| 三国志紀行――蜀漢の旅 |
城 塚 朋 和
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張飛とシルクの町・ロウ中*1 剣門関から舗装の切れた道を数時問、夜分遅くなってロウ中に着く。先ず、ホテルのロビーで驚いたのは、照度の低いロビーに思い思いのカラフルな色どりの洋服を着た女性たちが10人程、ソファーに座っていたことだ。化粧も結構濃くて、一瞬ぎょっとさせられたが、彼女達は到着の遅れた我々を待ちくたびれていた服務員とわかる。 このロウ州賓館は5階建てで、エレベーターはない。中央の階段を上っていくと、左右に部屋が並び、本日決められた5階まで上りきった正面はディスコになっていて、ボリュームを上げた音楽がガンガン響く。暗い部屋に大勢入って踊っているらしい影が動く。音は部屋まで聞こえ、12時までこの音楽に付き合わなければならないらしい。 バスにシャワーはついているが、切り換えはできず使用できない。水圧も低く、水が出るだけでもよしとしなけばいけない。部屋の明かりは印刷物がようやく読める位の明るさなので、日誌を書くのはやめておこうかと思う。 翌朝まず張飛廟に向う。ロウ中はタクシーがなく市内交通の主役は人力の三輪車。出勤途次と思われる人と三輪車が行き交い、中には昨夜にましてカラフルなブラウスを着て足を組んだしっかり化粧した女性が1人であるいは2人で乗っている。町がひなびた感じのする田舎町の割りに女性の姿がアンバランスで面白い。何割かの女性はシルクらしい。男性もシルクのシャツと思われるものを着ているのが目につく。 ホテルから5分ほどのところに張飛廟はあった。門に「漢張桓侯祠 桓侯廟」とある。手前が廟で、奥が墓地、廟内にあった張飛像は何か苦悶ありげな表情であった。 張敬明館長に紹介を受け、案内してもらいながら張飛について話をうかがう。張館長は地元の人らしく張飛びいきで、 「彼はかしこい人で、頭を使う人であった。孔明より頭がよかったという人が地元にはいるくらいだ。ロウ中牧としての7年間の張飛の政治の特徴は、廉政、清白、公道で功績よく、今でも尊敬されている」 と語りはじめる。 「厳顔は巴郡(重慶)の太守で西蜀を守っていたが張飛に攻められ敗れるが、張飛は彼の縛を解き釈放した。厳顔は張飛に心服、以後蜀将の一人となり、漢中攻めには大きな役割を果たした。 現在ロウ中は絹の産地の一つだがその地場産業の振興のもとを作ったのは張飛である。…」 張館長から話を聞いている内、「何故そんなに人望厚い張飛がどうして部下に寝首をかかれるようなことになってしまったのでしょう」と質問したら、返事がかえって来なかった。地元が大切にしているものに、つい余計な質問をし失敗してしまったようだ。 帰国してから植村清二の歴史随筆を読んでいて、張飛の首を持った2人が、そのまま呉に走ったところを考えると、「張飛の暗殺は、ただ彼の苛酷を怨んだ部下の反抗ばかりではなく、あるいは孫権の手がひそかにおよんだものかもしれない」とあるのを見つけ、張館長の話を思い出すと共に肯くものがあった。 ここ張飛廟にはロウ中近辺各地からお詣りに来て家族の平安、幸福を祈り、川北(四川省北部)では張飛は今でも大変な人気のようだ。 次に漢代、城のあった辺りを見下ろせる高台、縢王閣公園に登る。 縢王は唐高祖の20何番目かの息で、ここに遊んだ彼を記念して楼閣が建てられこの名がある。唐代はここは有名な観光地で杜甫も遊んでいる。一般的には縢王が洪州都督時代に建てた南昌の縢王閣が岳陽楼、黄鶴楼と並び、三大楼閣として有名だが、南昌は王勃が、ロウ中は杜甫と陸游が詩にうたい称えている。 左手、亭のあるところから漢城のあったあたりを眺望する。ロウ中は三方を嘉陵江に囲まれた沖積台地で、日高市(埼玉県)にあるキンチャク田をものすごく大きくした場所をイメージすればよい。漢城のあった辺りは砂州から引き続きの畑となっている。 午後張飛の殖産という意味から昼休み時間が明けるのを待って、シルクエ場に見学に出かける。この工場ではシルクの絨緞を製造していた。 従業員は若い女性、大きい絨緞だと4〜5名が1チームとなり、縦糸1本1本に絹糸を巻き3p位の長さで切りそれをたたいてたたいてつめていく。縦糸の向こうに模様が描かれた大きな方眼紙があって、指定の色糸をその目数に合せながら1本1本かけていく。面白いのは、その女性たちが、見事に色とりどりな私服で作業しているのである。規則では絹糸を切るのでほこりが舞うから白い上っぱりに白い帽子着用となっているらしいのだが、その姿で作業しているのはほんの数人で、後はもう百花績乱であった。 ロウ中に入って急に女性たちがはなやかになった感があったので、聞くと、上海と並んで女性ファッシヨンのはなやかなので有名な地なのだそうだ。絹の産地だけあって普段にシルクを着ているが、地元でもやはりシルクは少し値段が高く、文革後今女性は給料の大半をはたいてオシャレに余念がない様子だ。 労働時間は8時〜12時、2時半〜6時だという。大半は会社を囲むようにして建つアパート群に住んでいるとのこと。 この工場のシルク絨緞の特徴は仕上げを電動鋏で模様のまわりを刈る立休仕上げにあるという。現在作っているのはほとんど注文生産で、日本向けとのこと、そういえば、身近でこの立体仕上げの絨椴を見ているので、きっとここロウ中で作られた絨緞に違いない。 シルク工場見学の後、嘉陵江に向って軒を並べた古い町並の残る街区保寧鎮南街へと人々の波に圧倒されながら歩く。嘉陵江の船着き場から城内に入る入口に当たっていたところに華光楼の楼門が建っている。清代建築のものだが、ここ一帯がロウ中の一番の旧市街である。 夜は火鍋という言葉がめずらしく、繁華街にある火鍋屋で食事をした。火鍋は最近日本でも出てきたようだが、四川風寄せ鍋といったところ、煮込むスープが2種類あって、片方は唐がらし、山淑をたっぷり入れた辛く赤い汁。鍋そのものに巴形に仕切りがついて、もう一方はあっさり味、白ゴマ風味といった白いスープ。日本の寄せ鍋と同じだから、鶏、魚、野菜、豚、ウドンと何でも入れ好き好きで辛い方、甘い方のスープでさっと煮て、ゴマ油に塩とニンニクを適宜入れたタレにつけて食べるのである。ゴマ油に入れて食べるのは辛味を中和させる為という。 四川料理は辛いというのが定評だが、赤い方の辛さはもう尋常ではない。屋台の火鍋からレストランの火鍋まで、看板には"正宗川菜"日本風にいえば"元祖四川料理"といったものがやたら目につく。 またロウ中には張飛の名を使った名産がある。牛肉の薫製なのだがもともと回族の食習慣だったが、一般も食するようになった。表面が黒く中が赤いところから、外見は黒いが心は赤くきれいということで"張飛牛"と名付けられた由であった。 全く予備知識のない町であったが新しい張飛像を知ることが出来収穫があった。 *1(ロウ=門がまえに良) |