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(21) 軸装「桜の図 うつすとも月はおもはす うつるとも水はおもはす さる沢の池」 この歌は剣の柳生流極意の歌と伝えられているものを英治が誌したものである。 収蔵品紹介(12)で「やさしい むつかしい」を紹介した折、『草思堂随筆』中の英治のことばを引用したが、その同じ随筆中に、 「柳生石舟斎の極意書の奥書には 無刀 とたった二字しか書いてない。 それも柳生家の流祖といわれた彼が年もようやく七、八十歳に近くなってから悟ったことばなのである。 剣、剣、剣、剣、――で生涯鍛錬工夫をつみかさねて来た人が最後に究極のとして云ったことばは 無刀 で尽くしているのであった。」 『宮本武蔵』を完結したあと、時代的な雰囲気もあったのだろうが、さらに剣禅一如の境地をつきつめた達人といわれた人を題材にした作品を書いている。『柳生月影抄』『柳生石舟斎』『高橋泥舟』『林崎甚助』『小野忠明』などである。その『柳生石舟斎』の中で、上泉伊勢守にいどんで勝てない石舟斎に対して英治は伊勢守に、 「なぜあなたはこの伊勢守にどうしても勝てないか。 理は簡単である。あなたは剣を持ってかかる。常に、常に、剣を恃み、剣に迷い、剣に執着しておられる。それに対して伊勢守は、とくより剣を捨てておる、剣は持てど、剣に恃まず、剣に執着せず、無刀の心をもって、体としておる。 ‥‥いや、理も体も越え、剣をすらあるとも思わず対しているのです。」 といわせている。 この無刀の境地を記した歌が猿沢の池といえる。ただ映すのが水で、映るのが月と、月と水のことばが入れ違っているらしい。英治が誌した時うっかり入れ違えたのかどちらが正しいのか不勉強で調べてみたが今のところよくわからない。 |