
教養としての歴史学
キョウヨウトシテノレキシガク
- 著: 堀越 孝一

昔のひとは歴史をどう捉えていたのか。証拠と因果関係を重視する近代歴史学とは違う文体(スタイル)の歴史の書かれ方を読む。
中世人は歴史の予定調和を見ている──この世に起きる出来事が、すべて予表されたプロトモデルの写しであるという発想は、およそ近代人の歴史理解とは異質なものです。(中略)それでは中世人の「ヒストリオグラフィー」は全部が全部ナンセンスだということになるのか。わたしはそうは思わない。中世人は歴史にタイポロジカルな構図を見た。この構図は、わたしたち近代人が見るところ、無歴史的なものです。なにしろ歴史は常に現前しているのですから。わたしたちは「歴史は発展する」とか「歴史は因果関係で成り立っている」とか、なにしろ軽々と口にします。中世人にそんなことを話したって、かれらは困ったような顔をして、耳たぶの後ろでもかいていることでしょう。だから、かれらにはどうやら「因果関係」とか、「発展」とか、そういったキーワードが通用しないということなのです。──本書より
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目次
●調査者ヘロドトス
●アリストテレスの史学
●予表された歴史
中世人は歴史の予定調和を見ている
●単純な歴史家と卓越した歴史家
●ヴィーコの遠近法
ようやく歴史家に大学の先生が出た
●ギボン、ヨーロッパ史の構想
●ランケ、カエサルの副官
●ブルクハルト、バーゼルの文化史家
書誌情報
紙版
発売日
1997年12月18日
ISBN
9784061493858
判型
新書
価格
定価:704円(本体640円)
通巻番号
1385
ページ数
206ページ
シリーズ
講談社現代新書