私はどうして私なのか

私はどうして私なのか

ワタシハドウシテワタシナノカ

講談社現代新書

自分はたしかにいる。
では鳥や魚、赤ちゃんにも自分はあるのか? 私とは何?
「あなたがいて私がいる」ことを検証する鮮やかな分析哲学。

自分がいる、ということ
自分がいる。この事実は、否定できない。
私が、こう書きとめたとき、私は、書いているのは自分だ、と意識している。自分でも知らないうちに指が動き続けて、日本語の文字らしい模様がディスプレイに生じた、というのではない。私は、自分が書いている、と自覚しながら、指を動かしていた。
そのようにして、私は、自分でありえている(哲学あるいは心理学の用語で言えば、「自己」・「自我」(セルフ)でありえている、と言ってもいいが、この本では「自分」という、もっとも日常的な語を用いる)。
では、魚や鳥、あるいは人間の新生児は、どうなのだろう。彼らにおいても「自分」が成立しているのだろうか?
もう少し正確に問い直そう。いまの私においては、自分というものが成り立っている。それと同じような仕方で、自分がいるという事態が、鳥や魚や赤ちゃんにおいても、成り立っているのだろうか?――(本書より)


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目次

1 自分がいる、ということ
2 他人との関わりと、自己意識
3 言語――ないものについての考え
4 「自称語」の意味と指示対象
5 指示対象の与えられ方
6 「私」という指標語
7 内的な自己……?
8 私は大場健である、という事実の特別さ……?
9 意義(センス)と指示対象、そのスリかえ
10 「私が思うに」――聞き手へのコミットメント
終章 私の特権化=自閉を超えて

書誌情報

紙版

発売日

2003年02月18日

ISBN

9784061496514

判型

新書

価格

定価:770円(本体700円)

通巻番号

1651

ページ数

232ページ

シリーズ

講談社現代新書

著者紹介