
歴史認識を乗り越える
レキシニンシキヲノリコエルニッチュウカンノタイワヲハバムモノハナニカ
- 著: 小倉 紀蔵

靖国問題、従軍慰安婦、南京事件、歴史教科書……不毛な議論に打たれた61年目の終止符
「ひたすら謝罪」でも、「嫌韓・反中」でもない
真の対話がここからはじまる
「アジアの中の日本」を再構築する
「アジアと対話できない日本」の淵源は、日本が精神的にあまりにもアジアから離れてしまっているという「精神的距離」が、使用する言葉の異質性を増幅させていることにあるのだと思われる。アジアの中での発話主体・責任主体をもういちど立たせるために、<主体>という概念の東アジア的意味を考察することが必要だと考えた。儒教的伝統と近代化の過程において形成されたそれは、西欧近代の<主体>とどのように異なるのか。どのような問題を抱えているのか。その<主体>が表象する「歴史」は、いかにして幻影たらざるをえないのか。そしてポストモダン日本において、この古いモダンな<主体>はいかに解体されてしまったのか。もういちど「アジアの中の日本」を立たせるためには、幻影をいかに克服して、政治的選択肢における「センター」の軸をいかに構築しなくてはならないのか。おおよそ以上のような事柄が、本書で議論される内容である。それは20世紀の歴史認識問題とは異なる、すぐれて21世紀型の、新しいアジアをめぐる議論となるであろう。――<本書より>
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目次
第1章 日本人のあいまいな<主体>
第2章 対等な関係は可能か
第3章 「日本人」をもういちど原点から問い直す
第4章 東アジアの厄介な<主体>
第5章 東アジアの厄介なモダン
第6章 <主体>の摩擦
第7章 新しい<主体>へ
第8章 日本人の選択肢
第9章 東アジアの未来
書誌情報
紙版
発売日
2005年12月18日
ISBN
9784061498198
判型
新書
価格
定価:792円(本体720円)
通巻番号
1819
ページ数
240ページ
シリーズ
講談社現代新書