
天池
テンチ
- 著: 日野 啓三

現代文学の秀作!3人姉妹、新しい神話の誕生
静謐な秋の湖にとどろく雷鳴。魂の成熟と再生、思寵の美しさ!
男は水際の砂場に立っていた。風はないのに水際にはひっそりと漣が寄せている。異常なほど透明な水。だが湖の表面は両側の山陰部分だけを除いて、一面赤っぽい黄色に、ほとんど金色に染まっている。その光のきらめきの中に、女は後姿だけ見せていた。肩の広い長身の後姿が、影絵のように水から浮き出している。
女がいまここに連れてきてくれたことよりも、前もって何も話さなかったことに、そしていまも黙って離れていることに、男は女の配慮を、彼女もこの世のものならぬこの光景を大切に思っていることを感じた。魂が不意に真空に哂される思いだ。
知覚だけが異様に冴えて、感情の領域より一段下、普段は静まり返っている体の芯に近い暗い領域がひとりでに疼いて、自然に体が内側から開いてくる。──(本文から)
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書誌情報
紙版
発売日
1999年05月24日
ISBN
9784062096942
判型
四六
価格
定価:2,200円(本体2,000円)
ページ数
342ページ
初出
『群像』1997年1月号~1999年3月号(2回休載)。初出連載を、全7章とエピローグに分け直し、本文の一部を削除、加筆したもの