
子規、最後の八年
シキサイゴノハチネン8
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二十八歳で結核を発症し三十五歳で逝った子規。激しい痛みに堪えながら旺盛に表現する彼の病床には、漱石・虚子・秋山真之ら、多くの友が集った。近代日本の文芸表現の道筋を決めた、その“濃密な晩年”を描く。 そのわずか六尺の病床に、明治の青春と文学があった。 二十八歳で結核を発症し三十五歳で逝った子規。激しい痛みに堪えながら旺盛に表現する彼の病床には、漱石・虚子・秋山真之ら、多くの友が集った。 近代日本の文芸表現の道筋を決めた、その“濃密な晩年”を描く。 十一月六日の夜、子規はロンドンの漱石にひさびさ手紙を書いた。 「僕ハモーダメニナツテシマツタ。毎日訳モナク号泣シテ居ルヤウナ次第ダ」…… 苦痛のあまり文飾している余裕がない。文章は短く簡潔である。それだからこそ、むしろ劇的緊張感をはらむ。無意識のうちに子規が現代日本語の書き言葉を完成させてしまったといえるその手紙を、漱石はクラパム・コモンの下宿で明治三十四年十二月十六日頃手にした。――<「明治三十四年 その三 律という女」より>
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子規、最後の八年
発売日:2015年04月15日
二十八歳で結核を発症し、三十五歳で逝った正岡子規。脊髄カリエスによる激しい痛みに堪えながら、新時代の言語表現を追求する彼の病床には、漱石・虚子ら多くの友が集った。そしてその濃密な晩年は、現代日本語の書き言葉を完成させる道程でもあった。命尽きるまで情熱を燃やした子規の功績を辿る、近代日本文学史の労作。 子規の表現欲、旧文芸に対する改革欲、「親分」欲、「座」を主宰することへの演劇的情熱、そして食欲、どれをとっても病臥後のほうがはっきりしているし、またはなはだしいのである。子規の本領は、その早すぎた晩年のほうにある。 ――「あとがき」より――