内田篤人 悲痛と希望の3144日
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内田篤人 悲痛と希望の3144日

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ドイツ、ブラジル、日本…内田篤人の8年半を綴るノンフィクション。フットボーラ―内田篤人を巡る数々の事件を新証言とともに描く。日本代表・アントラーズ・シャルケのチームメイトやスタッフ、代理人、妻……。新証言から見えてくる、これまでの人物像を覆す内田篤人とは――。内田篤人の31回目の誕生日に届ける、アスリートの真髄を詰め込んだ一冊。 2010年にドイツ・ブンデスリーガの強豪、シャルケへと移籍、不動の地位を確立。 日本人初のチャンピオンズリーグ4強入りなど、日本サッカー界にその名を刻んでいる内田篤人。 しかし、彼のサッカー人生は、彩られた“栄光”だけでなく、もがき、そして苦しみ抜いた“怪我”を抜きに語ることはできない。 ドイツでの活躍と苦闘、ブラジル&ロシアW杯への悲壮なる決意、Jリーグ・鹿島アントラーズへの電撃復帰と主将就任……。 本書は、2010年夏の渡独から2019年冬の著者了戒美子氏への直電まで、内田篤人の3144日を、彼を取り巻く人物の目線も交えながら描いたノンフィクションだ。 日本代表・アントラーズ・シャルケのチームメイトやスタッフ、代理人、妻……。 新証言から見えてくる、これまでの人物像を覆す内田篤人とは――。 内田篤人の31回目の誕生日に届ける、アスリートの真髄を詰め込んだ一冊。 ◇目次 第一章 10-11シーズン「無我夢中で駆け抜ける」 第二章 11-12/12-13シーズン「開かれるキャラクター」 第三章 13-14シーズン「高まる市場価値、膝の負傷」 第四章 14-15シーズン「避けられぬ不協和音」 第五章 15-16シーズン「手術とリハビリ」 第六章 16-17シーズン「一応の復帰」 第七章 17年夏「ドイツでの再起」 第八章 17-18シーズン前半「ベルリン、冬」 第九章 18シーズン「最後のあがき」 第十章 19年冬「新たなるスタート」 内田篤人(うちだ・あつと) 1988年3月27日、静岡県生まれ。2006年、清水東高校から鹿島に入団。10年夏にドイツ・ブンデスリーガのシャルケへ移籍、1シーズン目に日本人初のCLベスト4進出を果たした。怪我で苦しみながらもシャルケで7年、ウニオン・ベルリンで半年プレーし、18年に鹿島へと復帰。19年から主将に就任している。日本代表デビューは08年。14年ブラジルW杯では全3試合でフル出場した。J1通算136試合出場3得点。ブンデスリーガ1部通算104試合出場1得点。ブンデスリーガ2部通算2試合出場。日本代表通算74試合出場、2得点。

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内田篤人 悲痛と希望の3144日
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内田篤人 悲痛と希望の3144日

発売日:2019年03月26日

ドイツ、ブラジル、日本…内田篤人の8年半を綴るノンフィクション。フットボーラ―内田篤人を巡る数々の事件を新証言とともに描く。日本代表・アントラーズ・シャルケのチームメイトやスタッフ、代理人、妻……。新証言から見えてくる、これまでの人物像を覆す内田篤人とは――。内田篤人の31回目の誕生日に届ける、アスリートの真髄を詰め込んだ一冊。 2010年にドイツ・ブンデスリーガの強豪、シャルケへと移籍、不動の地位を確立。 日本人初のチャンピオンズリーグ4強入りなど、日本サッカー界にその名を刻んでいる内田篤人。 しかし、彼のサッカー人生は、彩られた“栄光”だけでなく、もがき、そして苦しみ抜いた“怪我”を抜きに語ることはできない。 ドイツでの活躍と苦闘、ブラジル&ロシアW杯への悲壮なる決意、Jリーグ・鹿島アントラーズへの電撃復帰と主将就任……。 本書は、2010年夏の渡独から2019年冬の著者了戒美子氏への直電まで、内田篤人の3144日を、彼を取り巻く人物の目線も交えながら描いたノンフィクションだ。 日本代表・アントラーズ・シャルケのチームメイトやスタッフ、代理人、妻……。 新証言から見えてくる、これまでの人物像を覆す内田篤人とは――。 内田篤人の31回目の誕生日に届ける、アスリートの真髄を詰め込んだ一冊。 ◇目次 第一章 10-11シーズン「無我夢中で駆け抜ける」 第二章 11-12/12-13シーズン「開かれるキャラクター」 第三章 13-14シーズン「高まる市場価値、膝の負傷」 第四章 14-15シーズン「避けられぬ不協和音」 第五章 15-16シーズン「手術とリハビリ」 第六章 16-17シーズン「一応の復帰」 第七章 17年夏「ドイツでの再起」 第八章 17-18シーズン前半「ベルリン、冬」 第九章 18シーズン「最後のあがき」 第十章 19年冬「新たなるスタート」 内田篤人(うちだ・あつと) 1988年3月27日、静岡県生まれ。2006年、清水東高校から鹿島に入団。10年夏にドイツ・ブンデスリーガのシャルケへ移籍、1シーズン目に日本人初のCLベスト4進出を果たした。怪我で苦しみながらもシャルケで7年、ウニオン・ベルリンで半年プレーし、18年に鹿島へと復帰。19年から主将に就任している。日本代表デビューは08年。14年ブラジルW杯では全3試合でフル出場した。J1通算136試合出場3得点。ブンデスリーガ1部通算104試合出場1得点。ブンデスリーガ2部通算2試合出場。日本代表通算74試合出場、2得点。

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