透析を止めた日
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透析を止めた日

トウセキヲトメタヒ

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「私たちは必死に生きた。しかし、どう死ねばよいのか、それが分からなかった」 なぜ、透析患者は「安らかな死」を迎えることができないのか? どうして、「緩和ケア」を受けることさえできないのか? 10年以上におよぶ血液透析、腎移植、再透析の末、透析を止める決断をした夫。 その壮絶な最期を看取った著者による、息をのむ医療ノンフィクション! <序章>より 「夫の全身状態が悪化し、命綱であった透析を維持することができなくなり始めたとき、 どう対処すればいいのか途方に暮れた。 医師に問うても、答えは返ってこない。 私たちには、どんな苦痛を伴おうとも、たとえ本人の意識がなくなろうとも、 とことん透析をまわし続ける道しか示されなかった。 そして60歳と3ヵ月、人生最後の数日に人生最大の苦しみを味わうことになった。 それは、本当に避けられぬ苦痛だったか、今も少なからぬ疑問を抱いている。  なぜ、膨大に存在するはずの透析患者の終末期のデータが、死の臨床に生かされていないのか。 なぜ、矛盾だらけの医療制度を誰も変えようとしないのか。 医療とは、いったい誰のためのものなのか」 <目次> 序章 《第一部》 第1章 長期透析患者の苦悩 第2章 腎臓移植という希望 第3章 移植腎の「実力」 第4章 透析の限界 第5章 透析を止めた日 《第二部》   第6章 巨大医療ビジネス市場の現在地 第7章 透析患者と緩和ケア 第8章 腹膜透析という選択肢 第9章 納得して看取る 献体――あとがき 解説  南学正臣(日本腎臓学会理事長)

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透析を止めた日
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透析を止めた日

発売日:2024年11月13日

「私たちは必死に生きた。しかし、どう死ねばよいのか、それが分からなかった」 なぜ、透析患者は「安らかな死」を迎えることができないのか? どうして、「緩和ケア」を受けることさえできないのか? 10年以上におよぶ血液透析、腎移植、再透析の末、透析を止める決断をした夫。 その壮絶な最期を看取った著者による、息をのむ医療ノンフィクション! <序章>より 「夫の全身状態が悪化し、命綱であった透析を維持することができなくなり始めたとき、 どう対処すればいいのか途方に暮れた。 医師に問うても、答えは返ってこない。 私たちには、どんな苦痛を伴おうとも、たとえ本人の意識がなくなろうとも、 とことん透析をまわし続ける道しか示されなかった。 そして60歳と3ヵ月、人生最後の数日に人生最大の苦しみを味わうことになった。 それは、本当に避けられぬ苦痛だったか、今も少なからぬ疑問を抱いている。  なぜ、膨大に存在するはずの透析患者の終末期のデータが、死の臨床に生かされていないのか。 なぜ、矛盾だらけの医療制度を誰も変えようとしないのか。 医療とは、いったい誰のためのものなのか」 <目次> 序章 《第一部》 第1章 長期透析患者の苦悩 第2章 腎臓移植という希望 第3章 移植腎の「実力」 第4章 透析の限界 第5章 透析を止めた日 《第二部》   第6章 巨大医療ビジネス市場の現在地 第7章 透析患者と緩和ケア 第8章 腹膜透析という選択肢 第9章 納得して看取る 献体――あとがき 解説  南学正臣(日本腎臓学会理事長)

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