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吾輩は猫である(下) (新装版)
ワガハイハネコデアルゲシンソウバン

金田の娘・富子と寒月の結婚話はけっきょくなくなります。 寒月は故郷で結婚し、富子は先生の教え子で実業家の多々良と婚約。いっぽうで金田にうそのラブレターを書いたという中学生が訪ねてきて、先生の頭はごちゃごちゃに。 そんなことがあった夜、みんなが引き揚げた後、猫は飲み残しのビールを飲んでみたのでした。すると足元がふらふらして・・・・・・。<小学上級から すべての漢字にふりがなつき>
中学の英語教師、珍野苦沙弥先生の家に何とか入り込んで、無事飼われることになった猫が、苦沙弥先生の家族や、家にやってくる友人を観察するお話です。
近所の金田というお金持ちの女性が、寒月を自分の娘・富子と結婚させたいと、策をめぐらせましたが、 寒月は故郷で結婚し、富子は先生の教え子で実業家の多々良と婚約します。
先生はそれを祝福しますが、猫はなんだか面白くありません。そんな気分で、先生の飲み残しのビールを飲んだら、足元がふらふらして・・・・・・。
<小学上級から すべての漢字にふりがなつき>
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書誌情報
紙版
発売日
2017年07月21日
ISBN
9784062856225
判型
新書
価格
定価:814円(本体740円)
ページ数
384ページ
シリーズ
講談社青い鳥文庫
電子版
発売日
2017年08月25日
JDCN
06A0000000000002330D
初出
この本は1985年刊行の講談社青い鳥文庫『吾輩は猫である 上・下』をもとに、本文の表記・注釈のすべてを見直し、必要な改訂を行ったものです。
著者紹介
夏目漱石 ●なつめそうせき 1867年2月9日(慶応3年1月5日)~1916年(大正5年)12月9日。江戸(今の東京)生まれ。本名は金之助。小説家、英文学者。 松山中学,第五高等学校で英語教師をつとめ1900年文部省留学生としてイギリスに留学。1903年母校東京帝大の英文学初の日本人講師となった。1905年1月「ホトトギス」に発表した「吾輩は猫である」は、読みきりの予定だったが、評判となり、1906年8月まで連載された。漱石のはじめての長編小説となった。 1907年東京朝日新聞社の専属作家となる。近代日本の知識人の自我をめぐる葛藤(かっとう)をえがいた作品をあらわす。正岡子規と親しくなり、,俳句や漢詩もたしなんだ。門下には寺田寅彦,森田草平ら多数。大正5年12月9日死去。49歳。作品に「坊つちやん」「草枕」「虞美人草(ぐびじんそう)」「三四郎」「それから」「門」「こゝろ」「明暗」など。
佐野洋子●さのようこ 1938年、北京に生まれる。絵本作家。 武蔵野美術大学デザイン科卒。1967年、ベルリン造形大学においてリトグラフを学ぶ。主な作品に『100万回生きたねこ』(講談社)、『おじさんのかさ』『おばけサーカス』(講談社・サンケイ児童出版文化賞推薦)、『すーちゃんとねこ』(こぐま社)、『わたしのぼうし』(ポプラ社・講談社出版文化賞絵本賞)、『だってだっての おばあさん』(フレーベル館)、『ねえ とうさん』(小学館・日本絵本賞/小学館児童出版文化賞)などの絵本や、童話『わたしが妹だったとき』(偕成社・新美南吉児童文学賞)、さらに『神も仏もありませぬ』(筑摩書房・小林秀雄賞)、『役にたたない日々』(朝日新聞出版)、『シズコさん』(新潮社)、『死ぬ気まんまん』(光文社)、『佐野洋子対談集 人生のきほん』(西原理恵子/リリー・フランキー 講談社) などのエッセイ、対談集も多数。2003年紫綬褒章受章、2008年巌谷小波文芸賞受賞。2010年、72歳で逝去。