
講孟箚記
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下田渡海に失敗した松陰は、江戸より護送後直ちに野山獄に投ぜられた。本書は、再び世に出る見込みなき獄に起居し、同囚のために講義した「孟子」の前半。「吾(われ)の魯侯(ろこう)に遇(あ)はざるは天なり」において彼は「時に遇ふも遇はぬも、皆天に任せて顧みず。我に在りては道を明らかにし義を正しうし、言ふべきを言ひ為すべきを為すのみ」と。孟子のことばに拠り、それを越えて、自己現下の問題としてこれを考える、正に松陰ならではの気概の書である。
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講孟箚記(下)
発売日:1980年10月07日
「吾(われ)幽囚の罪人と雖(いえ)ども、悪んぞ国家の衰乱、夷狄(いてき)の猖獗(しょうけつ)を度外に置くを忍びんや」、国家の多難を前に、国の運命を担う責務から逃避する道はない。獄中にあれば獄中の人として、これに参ずる道を発見せずんば止まぬ21回猛士吉田松陰は、「余が一室に幽囚して、広大を致す如きは、学の力のみ」と、遂に『孟子』の全講を終えた。行動力の人であると同時に天性の教育家だった彼のこの情熱が『箚記』の紙表に溢れて、人の心を打つ。