
慈悲をめぐる心象スケッチ
ジヒヲメグルシンショウスケッチ
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慈悲は本来、行動の規範ではなかった。 宮澤賢治と同じ仏教者の視点から、『法華経』、そして賢治に静かに対座する。 怒りとは不思議なものだ。仏教では「瞋」と表されるが、誰にでもある煩悩の代表格である。おそらく、怒ったことのない人は、此の世に存在しないだろう。しかし、そのような人間のためにこそ、慈悲があるのではないか。自らの怒りが包み込まれる大海のような場としての慈悲。それを、賢治は『法華経』への信仰に見出したのだろう。――<本文より>
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慈悲をめぐる心象スケッチ
発売日:2011年01月14日
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」。はたしてそうなのか。著者は反芻(はんすう)し、問い直す。しかし賢治はそう確信して「慈悲」を希求し、それゆえ自らに怒りを向ける。「世界のぜんたい」に人生を捧げる。痛ましいほど美しく清らかな賢治の想いを、同じく文学と宗教に生きる著者が描く。(講談社文庫) 宮澤賢治が求めて止まなかった「慈悲」と「利他」への想いを、同じく文学と宗教に生きる著者が、せつなくも実感を込めて描く。 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」。はたしてそうなのか。著者は反芻(はんすう)し、問い直す。しかし賢治はそう確信して「慈悲」を希求し、それゆえ自らに怒りを向ける。「世界のぜんたい」に人生を捧げる。痛ましいほど美しく清らかな賢治の想いを、同じく文学と宗教に生きる著者が描く。 ――なにより人間の情愛は特定の相手に束縛されることであり、慈悲はその束縛から解放されて初めて発現する。古いウパニシャッドに「心の結び目をほどくこと」と表現されるのもそういうことである。愛は結び、慈悲はほどくのだ。――<本文より>