
西田幾多郎の生命哲学
ニシダキタロウノセイメイテツガク
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ベルクソン、ドゥルーズとどのようにつながっているか? 純粋経験、自覚、場所、叡智的世界、絶対無、絶対矛盾的自己同一… 西田とは「生命の哲学」である! 西田が論じたひとつのこと 西田の哲学の特徴は、彼が同じことをめぐってさまざまな仕方で議論を展開したことにある。さまざまなテーマを経るといっても、それは、原理的に、ひとつの問題をめぐって、接近する方法を執拗に変更していったことにほかならない。ではそこで、西田が論じたひとつの問題とは、率直にいって何であるのか。それは簡単にいえば、「行為」という方向からこの世界に存在する「私」を考えることであるといえる。そしてそのことは、「生成する世界」とは何かという問いと、必ず表裏一体をなすことになる。「行為する私」と「生成する世界」、それら両者が結びつく地点に、西田が見てとる「現実」が定位される。(中略)生命論としての西田という姿が浮かびあがるのは、こうした視角からである。そこで、生きているこの私と、生成しゆくこの世界とは何であるのかという、生命を論じる根幹のような主題が開かれていくことになる。――<本書より>
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西田幾多郎の生命哲学
発売日:2011年01月14日
純粋経験、自覚、場所、絶対無、行為的直観、絶対矛盾的自己同一……。一見、難解なことばにみずからの思索を託しながら、西田が終生追い求めたひとつの問題とは何だったのか。ほぼ同時代を生きたベルクソンとの交錯に着目し、ひいてはドゥルーズら現代思想につながる「生命の哲学」として西田哲学を再評価し、注目され続ける、俊秀の記念碑的力作。 西田哲学の本質は、ベルクソン、ドゥルーズと響きあう「生命の哲学」である! 西田論の画期をなす、俊秀の会心作! 純粋経験、自覚、場所、絶対無、行為的直観、絶対矛盾的自己同一……。一見、難解なことばにみずからの思索を託しながら、西田が終生追い求めたひとつの問題とは何だったのか。ほぼ同時代を生きたベルクソンとの交錯に着目し、ひいてはドゥルーズら現代思想につながる「生命の哲学」として西田哲学を再評価し、注目され続ける、俊秀の記念碑的力作。 「実践」であり、「働き」であり、「ポイエシス」 (制作、創出、作ること)であること。自ら自己形成される世界であること。徹底的に、動きつつ変わりゆく、そうした世界の現場に自らを投げこむこと。そして、そうした「行為」の立場以外からこの世界をみないこと。これは、西田の発想の根本的な基軸をなしているのである。生命論としての西田という姿が浮かびあがるのは、こうした視角からである。そこで、生きているこの私と、生成しゆくこの世界とは何であるのかという、生命を論じる根幹のような主題が開かれていくことになる。――<「序章」より>