水戸黄門(五)右近龍(上)
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水戸黄門 右近龍

ミトコウモン ウコンリュウ

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綱方を病いで失った光国は、兄の高松城主・頼重の第2子綱條をもらいうけ、水戸家の世嗣として鍛える一方、寛文12年、小石川屋敷のうちに彰考館をもうけ、後世の史家のための正しい指針となるよう大日本史編纂にますます力を注いでいく……。天和元年、新将軍・綱吉を補佐する覚悟を新たに、名を光圀と改める。ときに54歳。そして元禄3年、綱條に家督を譲り、より自由な立場を求めて隠居を決意する。その大名時代を描く。 綱方を病いで失った光国は、兄の高松城主頼重の第二子綱條をもらいうけ、水戸家の世嗣として鍛える一方、寛文十二年、小石川屋敷のうちに彰考館をもうけ、後世の史家のための正しい指針となるよう大日本史編纂にますます力を注いでいく‥‥。天和元年、新将軍綱吉を補佐する覚悟を新たに、名を光圀と改め、元禄三年、綱條に家督を譲り、より自由な立場を求めて隠居を決意するまでの大名時代を描く。〈右近龍 上下 全八巻〉

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水戸黄門(六)右近龍(下)
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水戸黄門(六)右近龍(下)

発売日:1980年03月12日

綱方を病で失った光国は、兄の第二子・綱條をもらいうけ鍛える一方、大日本史編纂にますます力を注ぐ。だが5代将軍・綱吉は、生母・桂昌院の勧めにより生類隣憫の令を発令。この政策は悪政として世人の不満を買った。綱吉を補佐する覚悟を新たに名を改めた光圀は、幕閣を相手にまっこうからこれに反対する。元禄3年、63歳の春、綱條に家督を譲り、より自由な立場を求めて隠居を決意するまでの光圀の、大名時代の全容を描く。 綱方を病で失った光国は、兄の高松城主頼重の第二子綱條をもらいうけ、水戸家の世嗣として鍛える一方、寛文十二年、小石川屋敷のうちに彰考館をもうけ、後世の史家のための正しい指針となるよう大日本史編纂にますます力を注いでいく‥‥。天和元年、新将軍綱吉を補佐する覚悟を新たに名を改め光圀とし、元禄三年、綱條に家督を譲り、より自由な立場を求めて隠居の決意をするまでの大名時代を描く。〈右近龍 上下 全八巻〉

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