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西鶴の感情
サイカクノカンジョウ
- 著: 富岡 多惠子

商都大坂に生きた町人、俳諧師・西鶴は、なぜ浮世草子「作者」となったのか。
「銀(かね)が銀をもうける」経済膨張の時代、虚構の業を通して「色」と「遊び」を、女と「世間」の実相を見つめた作家の稀有なる散文精神に迫る傑作評論。
廓とはマコトの通じぬ、ウソがかたまってできた世界だというのだが、そういう虚の世界だからこそ見えてくる「粋」という美遊もあった。ただしそれは、「世界の偽かたまつて」いるのは「廓」の内側に限ることなく、われわれの住む人間世界が同じように虚であるとの認識の前景である。西鶴の「美遊」は、ウソのかたまり―虚のなかに辛うじて在りうる。近松の辞世には、「出自」という「実」へのこだわりが見えるのに、西鶴の辞世は自己の「実」人生を無視したがごときつれなさであり、個人的な伝記資料がほとんど残っていないのもそれと無関係でない。――<本文より>
第16回伊藤整文学賞 受賞
第32回大沸次郎賞 受賞
書誌情報
紙版
発売日
2004年10月07日
ISBN
9784062126175
判型
A5
価格
定価:2,200円(本体2,000円)
ページ数
226ページ
初出
『群像』「人は何ともいへ」’02年1月号、「そしらば誹れわんざくれ」’02年4月号、「水は水で果つる身」’02年7月号、「笑いという「すい」」’02年11月号、「是から何になりとも成べし」’03年2月号、「流れのこと業」’03年5月号、「雪中の笋八百屋にあり」’03年8月号、「鶴の孫は」’03年12月号、「世界の偽かたまって美遊」’04年3月号、「つみもなく銀もなく--」’04年6月号。