賞・顕彰

吉川英治文化賞 過去の受賞者一覧

  • 回/年
    受賞者名
    住所
    功績
  • 第1回/昭和42年
    相沢忠洋
    昭和二十一年秋、岩宿遺跡を発見して日本における旧石器時代の存在を確認する端緒を作ったその功績及び、文化財保護活動に対して。
    荒木初子
    高知県の離島、沖ノ島で県の駐在保健婦として挺身し、その献身的な努力により乳児死亡率は下がり、風土病のフィラリア患者も減少した。
    岩野平三郎
    和紙界における伝統技術としての越前和紙抄造技術を伝承し、よくその名声を発揚した。
    平 三郎
    緯度観測のための望遠鏡「視天頂儀」に張る一ミクロン以下のクモの糸を採集、接眼レンズに張りつけるという地味ではあるが大切な仕事を四十余年続けた。
    宮崎康平
    和子夫妻
    視覚障害というハンディキャップを克服して、日本史の上で謎とされている邪馬台国問題に独力で挑戦、執念の労作をつくりあげた。
  • 第2回/昭和43年
    今泉 済
    衰亡に瀕した備前長船に伝わる日本刀の鍛刀技術を再興し、錬磨研鑽を重ねて、よく伝統技術を継承、発揚している。
    上野 満
    農業共同組合組織による新しい明るい農村の樹立をめざして、新利根川流域の湿地に実験農場を作り近代的農業の担い手となるべき農村青少年の育成に尽力。
    後藤楢根
    日本の童話文学発展のため、独力よく日本童話会を設立、機関誌「童話」を二十有余年百五十号以上、一回の休刊もなく継続発行している。
    近藤えい子
    夫君の遺志を継ぎ、貧苦と闘いながら、独力で重症知的障害児のための施設「のぎく学園」の母として挺身。
    渡部市美
    洋子夫妻
    山形県のへき地七軒西小学校古寺分校に赴任以来、夫妻協力して児童の学力、体力の向上に努めたほか、地域住民の生活改善にすぐれた成果をあげている。
  • 第3回/昭和44年
    大熊喜代松
    わが国言語障害児教育の先駆者として情熱、知力、体力のすべてを投じつつ言語障害児教育にすぐれた成果をあげている。
    小百合葉子
    劇団「たんぽぽ」の主宰者として、創立以来二十三年にわたり、文化に恵まれない地方を巡演、日本における少年少女文化の向上に貢献している。
    品川 博
    戦後、「少年の家」を設立、戦災孤児や親のない不幸な子供達を収容、社会人として世に送り出し、青少年育成に尽力している。
    鈴木邦治
    身体障害者というハンディキャップを克服し、目の不自由な人達のために点訳奉仕を続け、すぐれた成果をあげている。
    三松正夫
    昭和十八年暮の地震にはじまる昭和新山生成活動の変動経過を克明に観測記録し、世界地質学界に貴重な文献を提供し、大きな成果をあげた。
  • 第4回/昭和45年
    阿寒中学校
    戦後絶滅に瀕したタンチョウの保護活動に全校の先生・生徒が一致協力して、その繁殖及び保護に成功、教育面にもすぐれた成果をあげている。
    木辺成麿
    寺門を守るかたわら、天体望遠鏡の反射鏡磨きを生涯の仕事にし、今日では世界でも五指の中に入る名人になり、天文学発展に貢献している。
    福来四郎
    視覚障害児たちに、独特の粘土工作を指導、触覚の世界の中から造形能力を引き出すと共に作品を通じて、国際親善をも願い、視覚障害児教育に挺身している。
  • 第5回/昭和46年
    土方浩平
    令子夫妻
    「おんどり座」を通じて、日本の少年少女たちに夢と希望を与え、文化の向上に尽力している。
    平賀練吉
    多年にわたり、ブラジル移住者のために胡椒栽培を指導し、また移住者子弟の教育・文化の向上に貢献している。
    三原スヱ
    「丸亀少女の家」「和光園」の園長として、非行少女たちの更生保護に尽力、青少年育成にすぐれた成果をあげている。
    山崎 勲
    競輪選手をしながら、私財を投じ重症心身障害児施設「土佐希望の家」を建設、心身障害児のため献身している。
    渡部 忍
    リンゴ畑に撒布された害虫殺虫剤ホリドールが人体に害をおよぼすことを発見、以来十八年間住民の健康保持に挺身、農薬研究に著しい業績をあげている。
  • 第6回/昭和47年
    縣 治朗
    平安時代から伝わる金銀砂子、切箔・切つぎ・やぶりつぎの手法をとりいれた料紙を研究し、装飾性豊かな壁面画の製作に挺身している。
    秋月辰一郎
    長崎で被爆、自身原爆症におかされながら、二十六年間ひたすら被爆者診療に献身している。
    佐野藤右衛門
    親子二代、多年にわたり、私財を投じ、桜の育成、保護活動に尽力している。
    鈴木弼美
    飯豊山の麓で、少数主義、独立精神をかかげ、師弟愛あふれる、ユニークな教育を実践している。
    橋本広三郎
    人体解剖図を描いて四十年、解剖図を通して日本の医学進歩発展のため、貢献をしている。
  • 第7回/昭和48年
    岩村 昇
    ネパールの医療協力に貢献して十一年、ネパール王国の全域の公衆衛生の指導者として活躍、海外医療協力にすぐれた業績をあげている。
    大島詮幸
    シヅヱ夫妻
    刑余者と起居を共にし、夫妻一体となり更生指導にすぐれた成果をあげ、多くの更生者を送り出している。
    宮城まり子
    わが国で最初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を設立、園長として心身障害児のため挺身。
    森  豊
    登呂遺跡の考古学的価値を積極的に報道する一方、同遺跡の保存に尽力。
    横井隆俊
    住職のかたわら、家庭的に恵まれない子供たちを世話して十九年、八十名をこえる子弟を世に送り出した。
  • 第8回/昭和49年
    西岡楢光
    常一楢二郎父子
    西岡家は、代々法隆寺宮大工の棟梁をつとめ、この国家的な建築遺産の保存に尽力。
    藤岡博昭
    養護学級の担任を続けて十年、特に土器、はにわ学習は生徒の特性を引き出し、障害児に生きる自信を与えた。
    三戸サツヱ
    幸島の野生ザルの生態記録を続けること二十七年、人類学、霊長類学発展のために貢献。
    宮坂英弌
    「尖石遺跡」を発掘し縄文時代中期の集落研究の基礎を築き、長野県古代文化研究、遺跡の保護・保存に貢献。
  • 第9回/昭和50年
    菅 寿子
    独力で女子知的障害者のための施設「紅梅学園」を設立し、二十一年の長きにわたり園長として、挺身している。
    高橋竹山
    貧苦とたたかいながら、郷土芸能である津軽三味線の第一人者として、日本の伝統芸能を継承しつづけている。
    中村 裕
    社会福祉法人「太陽の家」を建設し、身体障害者スポーツの振興に努めるなど、身体障害者の社会復帰に尽力している。
    梁瀬義亮
    農薬パラチオンが人体に害を及ぼすことを発見して以来、無農薬農業の啓蒙運動を進める一方、「慈光会」を設立して独自の農法を実践し成果をあげている。
    与那覇しづ
    離島「与那国島」の保健婦として、結核をはじめ、ハンセン氏病患者の治療につとめ十九年にわたり島民の健康増進に貢献している。
  • 第10回/昭和51年
    大江巳之助
    文楽人形の頭製作に従事すること四十五年、伝統芸術の陰の功労者として貢献している。
    鈴木セイ
    重症心身障害児施設「はんな・さわらび学園」を創立するなど、四十年間にわたり社会福祉事業に尽力している。
    高垣二
    重度身体障害者でありながら「私設家庭相談所」を開設し、恵まれない人々のため二十九年間挺身している。
    永松カズ
    韓国社会で二十五年間にわたり、孤児を養育し、国境を越えた愛の社会事業に挺身している。
    馬場 脩
    千島、カラフトなど北方民族資料の探査、収集に努め、すぐれた研究成果をあげている。
  • 第11回/昭和52年
    高橋喜平
    なだれの調査研究に従事すること四十五年、雪害防止に多大の成果をあげている。
    知念芳子
    沖縄の「愛楽園」に看護婦として、ハンセン氏病患者の治療に挺身すること三十八年、看護婦の養成にも尽力している。
    美術院国宝修理所
    わが国の仏像の修理復元に多大の功績をあげ、修理技術の伝承・開発につとめている。
    本間一夫
    私財を投じ、日本点字図書館を開設以来三十六年間、点字図書、テープ図書の貸し出し、視覚障害者用器具の開発、普及に貢献している。
  • 第12回/昭和53年
    岡崎英彦
    重症心身障害児施設「びわこ学園」の園長を務めるほか、大津市の障害乳幼児対策に多大の成果をおさめている。
    田中多聞
    「悠生園」の園長として、身体障害老人の機能回復と、在宅老人指導にすぐれた成果をあげている。
    辻本繁・モト夫妻
    五十年の長きにわたり、夫妻協力して聾唖教育に献身し、特に口話法教育にすぐれた成果をあげている。
    富田見二
    まさゑ夫妻
    刑余者、非行少年の更生指導に挺身して三十余年、多くの更生者を社会復帰させている。
    西浦田楽能保存会
    厳しい戒律の下によく民俗芸能「西浦田楽能」を保存継承している。
  • 第13回/昭和54年
    大野 貢
    科学研究に欠かせない「ガラス装置」の製作に尽力し、科学発展の陰の功労者として挺身している。
    ゼノ・ゼブロフスキー
    孤児やホームレスの救援活動に多大の功績をあげ、半世紀にわたりわが国の社会福祉に貢献している。
    中城イマ
    母子寮ならびに老人ホームの施設長として挺身すること三十数年、社会福祉に貢献している。
    中村孝三郎
    独力で考古学を学び百ヵ所を越える遺跡を発掘調査し、縄文時代中期を解明した。
    馬場省二
    ハンセン氏病患者の治療に専念すること四十年、ハンセン氏病撲滅に挺身している。
  • 第14回/昭和55年
    天野芳太郎
    私財を投じペルー各地の遺跡を発掘・蒐集して「天野博物館」を設立、アンデス文化研究に大きく貢献している。
    地三郎
    露子夫妻
    二十五年にわたり、夫妻協力して心身障害児教育に挺身し、「早期発見」「早期教育」にすぐれた成果をあげている。
    田辺仁市
    実験用動物の飼育管理に従事して四十年、医学発展の陰の功労者として挺身している。
    平野長英
    尾瀬の自然保護のため、六十年にわたって献身的な努力を続けている。
    本田良寛
    大阪市西成区内、あいりん地区の医師として尽力すること十七年、地域医療対策に多大の成果をあげている。
  • 第15回/昭和56年
    片桐 格
    言語障害児・自閉症児などの「早期教育」を提唱し、治療教育をしながら健常児との統合保育を実践、新しい障害児教育に挺身。
    高橋重敏
    大学の機械工作研究において電子回折および電子顕微鏡装置の設計・製作に挺身し、日本の自然科学の研究発展に寄与。
    町田佳聲
    日本各地の民謡発掘のため、全国を行脚し採譜録音し、わが国の膨大な民謡を体系づけ、その発展に尽力。
    百瀬ヤエ子
    二十余年にわたり非行少年と起居を共にし、更生指導にすぐれた成果をあげ、多くの少年を社会復帰させた功績。
  • 第16回/昭和57年
    塩屋賢一
    日本ではじめて盲導犬を育成し、その普及に尽力すること三十有余年、手さぐり訓練から三百八十頭を世に送り出し、視覚障害者福祉に貢献。
    高橋 久
    英語教師のかたわら、独力で三十五年の歳月をかけ、日本で最初の「和伊辞典」を完成させた多大な功績。
    中山修一
    長岡宮の所在地を発見確定させるとともに、その発掘・調査に尽力、保護活動にもすぐれた成果をあげている。
    山下め由
    三百年の歴史をもつ黄八丈の染めに従事すること七十七年、その秘法を後継者に伝承し、伝統工芸を守り続けている功績。
    山本慈昭
    「日中友好手をつなぐ会」を設立、中国残留日本人孤児の肉親探しのパイプ役として挺身すること十六年、二百名にのぼる孤児を再会させた功績。
  • 第17回/昭和58年
    粟田万喜三
    日本で唯一人「穴太衆石垣積み」の技術を伝承し、これまで安土城をはじめとして千数百件の修復を行い、日本古来の文化財の保存に尽力している。
    田村キヨノ
    奈良「日吉館」の主人として五十有余年の永きにわたり、古文化研究の陰の理解者として献身した。
    中沢源一郎
    ブラジルで日系移住者のための地域医療をはじめ、社会福祉事業にすぐれた成果をあげ、日伯文化の交流にも貢献。在伯日系人の支えとなっている。
    西谷英雄
    知的障害児のために、私財を投じ「光の村養護学校」を設立。知的障害児の生涯教育を旗印に技術教育、更生自立にすぐれた成果をあげている。
    吉村シズヱ
    四十六年間の永きにわたり福祉事業一筋に挺身し、託児所「坂出育愛館」や瀬戸内海の豊島に「神愛館」を開設、七百人以上の子供たちを養育している。
  • 第18回/昭和59年
    飯田東中学校
    大火後の荒廃した街路にりんごを植樹、三十年余にわたり教師と生徒が協力し、育成保護の活動をとおしてすぐれた教育成果をあげている。
    黒川能保存会
    黒川能は農民の神事能として、室町時代より伝承されてきた伝統芸能であり、農民芸能古来の姿を保存している。
    ジェラルド・ハドソン・シルバ
    自ら創設したアイバンクの運営に取り組んで十九年、世界各国の視覚障害者に光を与え、国際アイバンク理事長として日本アイバンク運動の推進に寄与。
    和田・フレッド・勇
    私財を投じ、日系人のための老人ホームを設立、二十三年にわたり、その維持、推進に挺身。
  • 第19回/昭和60年
    小南みよ子
    私財を投じ、「国際女子研修センター」を設立、南米移民の青年に日本の花嫁を紹介すること三十年。海外移住者の母として貢献している。
    シャプラニール=市民による海外協力の会
    発展途上国の自立を援けるため、特異な協力をつづけているグループ。
    平野清介
    丹念な調査と綿密な編集で「新聞集成大正編年史」等七十冊以上を発行し続けている。
    本田 實
    彗星・新星の世界的発見者として知られ、天文学研究の基礎を支えるとともに、多くの後継者を輩出させて、日本天文学の発展に寄与している。
    松井新二郎
    視覚障害者録音速記タイピストの新職業を開拓するなど、視覚障害者の職域に光をもたらすとともに、視覚障害者の福祉増進と文化の向上に寄与。
  • 第20回/昭和61年
    鎌田孝一
    わが国最大のブナ原生林を守る運動をはじめ、地道な自然保護活動を二十数年間にわたり続け、多大の成果をあげている。
    北島忠治
    明大ラグビー部監督として五十七年間、大学ラグビーの一主流をつくりあげるとともに、すべてのラガーメンに門戸を開放、若きラガーメンを数多く育成。
    齋藤アサ子
    脳卒中対策にとりくむこと二十年、全国で最初のプログラムカード方式で、地域医療活動に挺身し、その献身的な努力により村民の健康保持に多大な成果をあげている。
    平良敏子と「喜如嘉の芭蕉布保存会」
    沖縄の喜如嘉に伝わる芭蕉布の伝統を掘りおこし、その技能をよく伝承して保存に努めている。
    野澤重雄
    二十余年の研究をもとに、水気耕栽培ハイポニカ法を考案、トマトをはじめ多くの野菜・花卉の育成をして農業生産の新しい道を拓く。
  • 第21回/昭和62年
    石井 勇
    一貫して交通政策にとり組み、弱者の立場で考案したアイディアを次々に実現させ、四十年間を福祉事業一筋に挺身。
    小野倉蔵
    私財を投じ社会福祉法人「中部少年学院」を設立し、福祉事業一筋に挺身すること四十一年。二千人に及ぶ子供たちが社会に巣立っている。
    竹柴蟹助
    六十九年の長きにわたり歌舞伎座・国立劇場の裏方として挺身する一方、勘亭流文字の第一人者として才能を発揮している。
    法月惣次郎
    小さな鉄工所を経営するかたわら、これまで数百台以上の各種パラボラアンテナをつくりあげてきた、日本の電波天文学発展の陰の功労者。
  • 第22回/昭和63年
    三谷一馬
    失われてゆく江戸風俗を四十年の歳月をかけ、「江戸職人図聚」はじめ数著に集大成、江戸風俗の”絵引き”として貴重な資料を提供している。
    元興寺文化財研究所
    民俗文化財の調査研究および、文化財の科学的保存処理法の研究・開発に著しい成果をあげている。
    金 竜成
    韓国社会で孤児施設をはじめ、多くの社会福祉事業を手がける一方、残留日本人妻の世話を献身的に行っている。
    高橋良治
    特別天然記念物タンチョウの人工ふ化、人工飼育に世界で初めて成功、生態研究・保護増殖に貢献。
    宮崎亮・安子夫妻
    自然環境の厳しい、ナイジェリア・バングラディシュにおいて、夫妻協力し医療奉仕一筋に挺身、海外協力にすぐれた業績をあげている。
    山野忠彦
    「熊野の長藤」はじめ名木・巨木を九百八十本以上も回生させた「名樹医」。
  • 第23回/平成元年
    萱野 茂
    失われゆくアイヌ民族資料の探査、収集につとめ、「二風谷アイヌ文化資料館」を設立、アイヌ文化の保護保存に貢献している。
    粉川 忠
    私財を投じ世界各国のゲーテ関連書を収集して、「東京ゲーテ記念館」を設立、専門家をはじめゲーテ研究者に大きく貢献。
    小嶋 昭
    トキ夫妻
    貧苦とたたかいながら、全盲というハンディキャップを克服し、夫妻協力して自立更生にはげみ、障害者の社会復帰指導に尽力している。
    森田三郎
    谷津干潟の自然保護に尽力すること十五年、死に瀕した干潟を鳥獣の楽園に甦らせた功績。
  • 第24回/平成2年
    飯島 實
    伊豆地方をはじめ、各地の船唄二百曲を、約八百枚の五線紙に採譜し、船唄の研究・保存に尽力。
    宇治達郎
    三氏共同で開発した胃カメラは、日本のみならず世界の医学界に不可欠となり、X線検査との併用によって医学の進歩に大きく貢献。
    杉浦睦夫
    深海正治
    渋谷正吉
    親子二代にわたり気象観測に従事すること八十八年、その貴重な資料はダム開発や農業改善に貢献。
    廣岡知彦を中心とする「憩いの家」
    二十三年間にわたり、家庭崩壊で行き場を失った少年少女を引き取り、家庭的雰囲気の中で自立援助に貢献。
  • 第25回/平成3年
    河合中学校 古田忠久と理科部
    危機に瀕した国の天然記念物「ゲンジボタル」の人工養殖に成功、以来野鳥保護、植物保全の面まで研究を進め、学校教育に多大な功績をあげている。
    佐伯輝子
    横浜の「寿町診療所」の所長として尽力すること十二年。あらゆる症状の患者とその心を相手に治療に専念する女赤ひげ医師。
    中田正一
    自ら創立した「風の学校」で海外協力活動を志す若者を育成する一方、井戸掘りや農業技術指導など、草の根の国際協力に邁進。
    吉原昭夫
    日光二社一寺の彩色技術の第一人者として四十年の長きにわたり、文化財の修理保存に尽力。
  • 第26回/平成4年
    淺田隆子
    恵まれない子供たちの母として挺身すること四十四年。児童福祉の草分けとして、福祉事業育成に寄与。
    佐々木徳夫
    失われた昔話の採集・分類に情熱を傾注して三十五年。故郷宮城県内にとどまらず、東北各地で採集した昔話が一万余話に及ぶ。
    野村達次
    実験動物の改良の研究とその開発に研鑽を重ねること四十五年、日本の医学・薬学の進歩発展に大きく貢献。
    渡辺・トミ・マルガリーダ
    日系人のため、老人ホーム「憩の園」を設立するなど、日系人の援護活動に貢献し、多くの人々から日系移民の母と尊敬されている。
  • 第27回/平成5年
    札幌麻生脳神経外科病院の紙屋克子と看護部
    スタッフが一丸となり、意識障害患者の意識回復に成果をあげるとともに、病院・医療関係者の要望にこたえ、実地指導などに積極的に取り組んでいる。
    忠鉢 繁
    南極上空のオゾンホールの存在を観測データにもとづいて世界で初めて発表、地球環境破壊への警鐘となった。
    遠山正瑛・柾雄
    親子二代にわたり、「緑あふれる大地」をめざし、沙漠緑化・農業開発事業に取り組み、成果をあげている。
    本間昭雄
    麻子夫妻
    途中失明して以来、夫妻協力して視覚障害者の職域の開拓をはじめ、視覚障害老人福祉の向上に努めるほか、国際親善にも尽力している。
  • 第28回/平成6年
    高見敏弘
    「アジア学院」を創設して二十年。現場密着型の指導内容で、発展途上国の指導者の育成にあたり成果をあげている。
    中山与志夫
    過疎の村にあり地方文化を育成し、私財を投じて大須戸能を保護保存、百四十年以上にわたる伝統芸能を守り続けている。
    奈良たんぽぽの会
    重度の障害を持つ子供たちの幸福を願い、福祉施設づくり運動を奈良市に起こして二十年。ネットワーキング運動に発展。
    宮本ヒサ子
    過酷な勤務条件と様々な困難の中で、三十年以上にわたり刑余者の更生指導に尽力、弱者の心の支えとなって貢献。
  • 第29回/平成7年
    石井謙治
    資料の乏しい中で貴重な文化遺産「和船」の調査研究を続け、その考証の確かさで高評価を得ている。和船研究の第一人者。
    大場茂俊
    光夫妻
    民間では有数の総合障害児療育施設「おしまコロニー」を整備。精薄者福祉に貢献し、その理論と実践は福祉政策に大きな影響を与えている。
    平井 正
    日本で最初の楽譜点訳社「平井点字社」を創設。以来五十六年間にわたり点字楽譜を製作、視覚障害者の音楽教育に貢献している。
    道下俊一
    へき地医療にたずさわって四十二年、医療はもとより、住民の文化面にも奮闘を続け挺身している。
  • 第30回/平成8年
    金井弘夫
    十年の歳月をかけ「新日本地名索引」等を私費を投じて制作。地名の入力データは生物学、地理学のほか多くの分野で活用されている。
    篠遠喜彦
    遺跡から発掘した大量の釣り針を手がかりにハワイ、タヒチ等ポリネシア諸島の文化編年と相互の交流関係を明らかにした。
    福島令子・智
    重複障害を持ちながら、自立の為に、母子一体となって尽力する姿は、多くの人々に生きる勇気を与えている。
    守谷光基
    房子夫妻
    更生保護施設に住み込み、寝食を共にして自立更生に尽力し、多くの人々を育成し世に送り出している。
  • 第31回/平成9年
    石井 薫
    東京有隣会の理事長として、長年にわたり、老人福祉事業に貢献。老人の福祉と医療の一体化、システム化を果たし、その運営に尽力。
    角花菊太郎
    六十年以上にわたり、様々な苦難や障害を乗り越えて、伝統ある揚浜製塩法による製塩技術の保存・継承に献身的に努める。
    曾野綾子と海外邦人宣教者活動援助後援会
    各国で奉仕活動をしている日本出身の神父や修道女の支援を続けて二十五年。寄付金の使途確認をするなど明確な活動が注目されている。
    馬塚丈司
    静岡県の遠州灘海岸で絶滅の危機にあるアカウミガメや渡り鳥コアジサシなどの棲息地の保護観察、環境保全、および地域の環境教育に取り組んでいる。
    光谷拓実
    日本で初めて、樹木年輪による年代測定法を完成、先史時代の遺跡に実年代を与えることに成功した。
  • 第32回/平成10年
    高橋 實
    幾多の困難を克服し、視覚障害学生のために大学の門戸開放、職域の拡大・就職の援助活動など、一貫して視覚障害者の自立援助活動を続けている。
    長谷川博
    二十二年にわたり絶滅寸前の「アホウドリ」の調査保護活動を続け、孤島・鳥島のコロニーでの保護繁殖に成功、自然保護に大きく寄与している。
    森下 一
    長年の医療活動の中で、私財を投じて全寮制の「生野学園高校」を設立し、多くの悩める不登校児たちに勇気と自信を与え、優れた教育成果をあげている。
    ユージン・アクショノフ
    四十年の長きにわたり”国境のない病院”の院長として、国籍・宗教・階層を問わず病に冒された外国人の診療に献身している。
  • 第33回/平成11年
    河合正泰
    美登利夫妻
    長年にわたり更生保護施設「宝珠園」において保護・指導に献身的に尽力し、多くの人々を社会復帰させている。
    見城慶和
    三十七年の長きにわたり夜間中学校一筋に教育に取り組み、困難の中勉学を続ける多くの生徒たちに励ましと自信を与え、優れた教育成果をあげている。
    近藤 亨
    自然環境の厳しいネパール王国ムスタン地域に定住し、果樹・野菜・水稲等の栽培指導のほか教育・医療まで地域住民への援助活動を続けている。
    橋本梧郎
    六十年以上にわたりブラジルで植物採集と分類に取り組み、ブラジル固有の植物を素材とした「ブラジル産薬用植物事典」を完成させ、貴重な資料とした。
  • 第34回/平成12年
    親盛長明
    沖縄県の離島で、「医介輔」として五十年にわたり率先して地域医療活動を続け、住民の健康保持に貢献している。
    黒森歌舞伎妻堂連中と黒森地区の皆さん
    山形県酒田市黒森で、二百六十年以上の歴史を持つ地歌舞伎「黒森歌舞伎」を、困難な中にも古式ゆかしく保存伝承している。
    田中 肇
    四十年にわたり、独学で花と昆虫の共生関係を中心とした花生態学について観察研究を重ねてきた”市井の植物学者”。
    牟田悌三と世田谷ボランティア協会
    昭和五十五年の設立以来、幅広く積極的にボランティア活動に取り組み、特にこどもを取り巻く問題では先駆的な役割を果たしている。
  • 第35回/平成13年
    木村稔・圭子夫妻
    三十年以上にわたり「群馬県仏教保護会」で夫妻協力して刑余者らのため献身的に更生指導を続け、多数の人々を社会復帰させている。
    近藤恒夫
    人生の”つまずき体験”をもつ人たちのためにリハビリセンター「ダルク」を設立、薬物依存者の自立への自覚や回復の支援を続けている。
    白鷹幸伯
    奈良・薬師寺西塔はじめ白鳳期建造物復元のため「千年以上支える釘」を製作、日本の建築文化財保存に尽力している。
    菅谷 昭
    チェルノブイリ原発事故により増え続ける病気を治療するため、無償で現地の子供たちや住民への医療行為を継続している。
    原田正純
    水俣病被害者救済に取り組むほか、水俣は二十世紀の負の遺産だとして、様々な角度から検証するため「水俣学」の確立に尽力している。
  • 第36回/平成14年
    ガリレオ工房
    身近な材料を使った実験教室を通じて自然科学の楽しさを提唱し、教育現場に多大な影響を与えている。
    小林ハル
    苦難のなか、卓越した記憶力と歌唱力で数百曲の瞽女唄を習得し伝統文化の伝承と普及に尽力。
    佐藤エミ子
    自身難病に苦しみながら、組織化が困難な希少病者の全国連合会の結成に尽力し、患者たちのために挺身。
  • 第37回/平成15年
    えりも岬の緑を守る会
    地域の各組合や自治会及び住民を組織し襟裳岬の緑化を推進、さらに次代を担う子どもたちの緑化意識を高めることに貢献している。
    菅波 茂
    「アジア医師連絡協議会」を設立し、長年にわたりアジアそして世界へ数多くの緊急医療活動を続けている。
    東京シューレ
    フリースクールを都内に開設し子どもたちの指導にあたるほか、不登校児への社会的理解を高めるために尽力している。
    永井利夫
    サヨコ夫妻
    長年にわたり、養育里親として六十人以上の子どもたちの育成に挺身するとともに、社会復帰の支援を続けている。
  • 第38回/平成16年
    岩渕文雄
    五百五十隻以上の木造船を伝統的技術と手法で造り続け、次世代を担う子どもたちの指導にも尽力。
    荻巣樹徳
    中国の山岳地帯で過酷なフィールドワークをこなしながら新種や幻の植物を発見し、植物分類学の分野に貢献。
    沖縄戦記録フィルム一フィート運動の会
    沖縄戦の記録フィルムを米国から買い取り、フィルムの上映会を通して平和運動を実践。
    内藤裕史
    長年にわたり多種多様な中毒事故の実例を渉猟し、財団法人日本中毒情報センターを通じて救急医療活動に貢献。
    中本ムツ子
    『アイヌ神謡集』のCD化に際し独特のリズムを再現して完成させたほか、失われゆくアイヌ文化の伝承に尽力。
  • 第39回/平成17年
    名取美和
    タイのチェンマイ市郊外にHIV感染孤児の受け入れ施設「バーンロムサイ」を設立し、共同生活をしながら子どもたちの将来の自立と教育に尽力。
    平沢保治
    幾多の困難の中、元ハンセン病患者の人権回復運動の中心として活動を続けると共に、次代を担う子どもたちの人権教育にも貢献。
    松田富士彌
    高信頼性はんだ付け技術に取り組んで六十年、現代の名工としてさらに技術の向上と後進の指導に尽力。
    山之内義一郎
    教師や地域住民と共に、知育一体の教育をめざした「学校の森」づくり運動を提唱し、その活動と実績は国内外に広く認められている。
  • 第40回/平成18年
    田村司
    琵琶職人として道半ばで病に倒れ右腕が使えなくなった後も、不屈の精神で自ら克服し多くの人に共感を与える。
    松島興治郎
    長年にわたり、コウノトリの飼育員として保護増殖一筋に取り組み、野生復帰活動に尽力。
    村山常雄
    シベリア抑留死亡者の名簿を独力で調査・整理し、ホームページで公開。遺族の方から感謝されている。
    本村義雄
    長年にわたり「くまごろう号」に乗り、全国で口演童話活動を続け、子どもたちの豊かな感性や情操の育成に貢献。
  • 第41回/平成19年
    雨宮 清
    カンボジアほかで戦禍に苦しむ人びとのため、地雷除去機の開発につとめ、世界に埋没される地雷除去のために貢献。
    菊本照子
    長年にわたり、ケニア共和国のストリートチルドレンの救援のため、保護教育と生活自立支援に尽力。
    桜井政太郎
    視覚障害者のために「手でみる博物館」を設立し、長年にわたり三千点の資料を収集製作するほか、障害者の知識向上に貢献。
    左野勝司
    国内外の石造り遺跡の修復や発掘に独学で技術を開発し、数多くの文化財の保存に尽力。
    堀田健一
    障害者のひとり一人の希望に合わせた「障害者用自転車」を製作し、障害者の生活行動の拡大に貢献。
  • 第42回/平成20年
    伊藤明彦
    40年間にわたり全国の被爆者を訪ねて証言の取材を続けて声を収録し、さらに録音テープにまとめ施設に寄贈。
    岩澤信夫
    「不耕起移植栽培」の普及に尽力し、環境問題に一石を投じるとともに、日本の農業のあるべき姿を模索。
    児童虐待防止協会
    日本初の民間団体として、子どもの虐待の相談と予防を目的に活動を続け、相談機関等の設立や対策に影響を与える。
    嶽釜 徹
    ドミニカ移住問題の中心となり問題解決に私費を投じて奔走し、さらに給付の実行に向けて尽力。
    宮城信勇
    20年以上の歳月をかけ「石垣方言辞典」を完成、日本語の研究に貢献。
  • 第43回/平成21年
    垣見一雅
    ネパールに居住し、住民から寄せられる様々な問題と向き合い、生活の自立を支援。
    田村恒夫
    阿波木偶の伝統技法を伝承発展させ「阿波木偶制作保存会」を設立し、後進の指導にあたる。
    中野主一
    長年にわたり観測者から寄せられる新天体の軌道計算を続け、国内における新天体発見へ貢献。
    長尾直太郎
    75年にわたり我が国の貴重な文化である浮世絵版画の制作に打ち込み、後継者の育成にも尽力。
  • 第44回/平成22年
    川田 昇
    知的障害者更生施設「こころみる会」を設立し、社会と園生との共生のため様々な施策を成功させ、広く模範となっている。
    久連子古代踊り保存会
    長年にわたり、伝統文化財の伝承のため、絶滅危機に瀕した久連子鶏を飼育から手掛けて装束を整えるなど、苦難のなか保存に尽力。
    菅原幸助
    長年にわたり、「中国残留孤児」の帰国支援活動に尽力し「改正中国残留邦人支援法」成立に貢献。
    明珍宗恭
    長年にわたり、日本の総合芸術といわれる甲冑の制作と修復に尽力し、貴重な文化財の伝承保存に貢献。
  • 第45回/平成23年
    宇梶静江
    「古布絵」の創作や絵本の出版をとおし、失われ行くアイヌ文化の伝承に努めるほか、海外との文化交流にも尽力。
    木村若友
    長年にわたり、浪曲師として活躍するとともに後進の指導と、広く日本の伝統文化の継承のために尽力。
    具志堅隆松
    沖縄において、開発・市街地化が進み時間との戦いのなかで、遺骨収集を市民とともに続けている。
    斎藤 晶
    山地牧場で自然に順応した「蹄耕法」による飼育方法を確立し、大地に根ざした酪農を実践。また、広く市民に開放し交流の場として提供。
    笹本恒子
    長年にわたり、女性報道写真家として“時代”を撮り続け、多くの貴重な作品を発表し、今なお精力的に活躍を続ける。
  • 第46回/平成24年
    大山泰弘
    知的障害者雇用の草分けとして52年。「働くことで人間は幸せになれる」を実践し続ける。
    岡野眞治
    放射能計測器を独自開発。チェルノブイリ、福島でも現地調査を行い、汚染を測定。
    畠山重篤
    「人の心に木を植える」植林活動を続けて20年。森を守ることで海の再生を果たす。
  • 第47回/平成25年
    片野清美
    夜間保育園を続けて30年、小学生対象の学童クラブも創設。
    杉浦銀治
    炭を使った土壌改良、環境改善型農業を世界中に指導する。
    二宮康明
    45年間、紙飛行機の設計・開発を通して科学の楽しさを伝え続ける。
  • 第48回/平成26年
    加藤 源重
    六十種類以上の障害者用自助具を作り続ける「三河のエジソン」。
    志賀高原漁業協同組合
    「魚を守るには山を守れ」で日本有数のイワナの漁場を保全。
    中 一弥
    八十年以上にわたり名作家と伴走してきた現役最高齢の挿絵画家。
  • 第49回/平成27年
    遠藤 尚次
    シベリア抑留者の遺骨収集を二十年以上続ける、抑留経験者。
    野口 義弘
    非行少年・少女の雇用を二十年以上にわたり続け、その数百二十名余り。
    日置 英剛
    半世紀にわたり『新・国史大年表』の執筆、編纂を続ける。
    日吉 フミコ
    水俣病患者、被害者支援組織を立ち上げ、四十七年にわたり闘う。
  • 第50回/平成28年
    嘉瀬誠次
    「長岡の花火師」は、毎年一〇〇万人を魅了、世界も感動させた。
    玉井義臣
    交通遺児支援から五十年、「あしながさん」は恵まれない子どもの支援を広げる。
    鶴丸礼子
    「鶴丸式製図法」を開発し、障害者向けの服のデザイン、普及に努める。
  • 第51回/平成29年
    臼井二美男
    スポーツ用義足の第一人者として障害者に「走る喜び」を提供する。
    中本忠子
    40年近く、家庭環境に恵まれない子どもたちに食事と団らんの場を提供する。
    藤井製桶所
    大桶づくりを続ける日本唯一の町工場は、日本の伝統的な味をも守る。
  • 第52回/平成30年
    日本盲導犬協会
    最大規模の盲導犬団体は視覚障害者に寄り添って社会との共生を目指す。
    本多一夫
    「本多劇場」を筆頭に小劇場ブームを巻き起こし、街の活性化にも寄与した。
    村林孝夫
    特許「白黒写真修復法」で「消えてしまった画像」を蘇らせる。
  • 第53回/平成31年
    大谷貴子
    日本初の骨髄バンクを設立し、白血病患者の人生に寄り添い支援活動に取り組む。
    金田茉莉
    証言や資料を集め、戦争孤児の実態を後世に伝える。
    小谷野匡子
    絵画修復を通じ、長年、美術コレクションの保存に尽力し、後進も多数育成する。
  • 第54回/令和2年
    國井 修
    エイズなど世界三大感染症と立ち向かうため、途上国の支援に尽力する。
    橋本 操
    ヘルパーによる「たん吸引」を可能にし、ALS患者の在宅での自立生活を推進する。
    「子供の科学」
    子供に科学の楽しさを伝え続けて96年、理系親子が絶対の信頼を寄せる。
  • 第55回/令和3年
    石巻日日こども新聞
    震災の被害にあったこども記者が、地域の今を伝え続ける。
    セカンドハーベスト・ジャパン
    企業・個人から提供を受けた食品を生活困窮者に供給する。
    ルダシングワ真美
    ルワンダで二十年以上義肢を無償提供する
  • 第56回/令和4年
    尾関清子
    日本最古の縄文時代の布を調査・研究し、真の姿を明らかにする。
    木村マサヱ
    三十年以上にわたりアイヌの子どもたちの教育支援を続ける。
    前田康弘
    障害者・高齢者更生保護施設で全国モデルとなる支援活動を続ける。
  • 第57回/令和5年
    小林普子
    外国にルーツを持つ子どもの教育支援を 20 年以上にわたり続ける。
    近藤博子
    「こども食堂」の名付け親として、子どもと地域をつなぐ場をつくる。
    村上龍男
    閉館寸前の加茂水族館を世界一のクラゲ水族館に育てる。