創文社オンデマンド叢書作品一覧

改宗と亡命の社会史 近世スイスにおける国家・共同体・個人
創文社オンデマンド叢書
近世社会は、古くは絶対主義の時代と呼ばれ、近年においては「宗派化」「社会的規律化」の時代と把握されている。この時代の教会は、国家権力と手を携えて臣民(信徒)の内面と日常生活を徹底的に「宗派化」し、また「規律」への服従を教え込んだというのである。一方、都市・農村の「共同体原理」を重視する歴史家は、市民・農民は受動的な臣民ではなく、共同体の維持と繁栄のために「宗派化」と「規律化」を下から担っていたと説く。いずれにしても近年の西欧近世史は「国家」と「共同体」を軸に展開されている。しかし実際には、諸宗派の混在を克服できない地域が随所にあり、こうした状態のなかでは「社会的規律化」も至難の業であった。近世人にとって宗派の境界は絶対的なものではなく、異宗派の土地に移り、改宗を行う無数の人々が存在したのである。本書は16世紀から18世紀初頭までのスイスとその周辺地域に焦点を当て、改宗と亡命という現象に注目しながら「個人」の覚醒と自立化の過程を浮き彫りにし、図式的に捉えられてきた西欧近世史像に再考を迫る。
【目次より】
貨幣換算表
序論 近世史研究の動向と問題の所在 諸宗派の歴史的役割をめぐって
はじめに
一 「社会的規律化」と「宗派化」の理論 二 家父長制強化論と女性抑圧論 三 「宗派化」「規律化」論への批判 その達成度をめぐって 四 「宗派化」「規律化」論への批判 その担い手をめぐって 五 家父長制強化論・女性抑圧論への批判 六 「個人」のゆくえ
おわりに 本書の課題と方法
第一章 近世スイスの宗派情勢
はじめに
一 スイス盟約者団の内部構造 二 「宗派化」と「規律化」の諸相 三 日常現象としての改宗
おわりに
第二章 聖職者の改宗と亡命
はじめに
一 真の宗教と偽りの宗教 二 奇妙な人材の交換 三 改宗聖職者の事件簿 四 再改宗
おわりに
第三章 信徒の改宗と亡命
はじめに
一 新しい信仰と古い信仰 二 つくられた改宗者 三 諸邦の改宗者援助政策 四 したたかな個人 五 貧しい人々
おわりに
第四章 女性および未成年者の改宗と亡命
はじめに
一 生存競争 二 転落者と放浪者 三 結婚と家族の秩序 四 遺産相続 五 未成年者
おわりに
第五章 国家・共同体・個人
はじめに
一 門閥都市国家の政治と社会 ルツェルンの場合 二 村落共同体と改宗者 三 都市共同体と改宗者 四 国家による新しい「公益」政策 五 国家と共同体のあいだで 六 スイス農民戦争と平民世界の「脱宗派化」
おわりに
結論
あとがき
注
参考文献一覧(略記号付)

中国音楽と芸能(中国学芸叢書) 非文字文化の探究
創文社オンデマンド叢書
西洋以外で唯一、自国の楽器だけで西洋の交響曲を演奏できるほど豊富な楽器を誇る中国。京劇はじめ演劇や語り物など伝統芸能と有機的関係をもつ音楽は、文字圏外で伝承される民衆文化を知る重要な手がかりである。彼らの探究の軌跡をたどるという独自の視点と具体的事物に即した論述は、豊饒な中国芸能文化に対する明確な輪郭を与える。文献や楽譜の渉猟とともに出土楽器の目睹、中国各地での芸能鑑賞や楽器演奏の習得という著者長年の蓄積をもとに中国の聴覚非文字文化を読み解き、新たな中国像へと導く魅力の一冊。
【目次より】
緒言
第一章 楽論
一 楽論の探究過程
二 礼と楽の結合への探究
三 礼楽理念の探究
四 雅楽の内容と継承の問題
五 雅楽における「和」と「サイクル」の理念
六 修養音楽的楽論への探究
七 〓康の楽無哀楽論
第二章 楽器
一 「楽器」の含義と分類
二 楽器と楽論・楽理の探究との関係
三 楽器と楽技の探究
第三章 記譜法
一 記譜と楽譜
二 記譜の種類と探究
三 曲譜と工尺譜の探究
第四章 胡楽の受容
一 外来音楽の新ジャンル
二 胡楽の伝来と涼州
三 王朝の雅楽と胡楽
四 宮廷の胡楽偏愛と胡楽人
五 胡楽器
六 胡楽の波動的浸潤とさらなる華化探究
第五章 儀礼の音楽
一 雅楽
二 仏楽
三 道楽
第六章 琴楽
一 楽器・琴の形成と技術の探究
二 漢代琴楽の隆盛と後世への影響
三 漢唐間の琴楽とその探究
四 唐代琴楽の発達と二面性
五 宋金元三代における琴楽の探究
六 明代琴楽に表れた二種の尚古の探究
第七章 説唱音楽
一 説唱芸能の意義
二 説唱の誦唱部分
三 斉言体説唱の探究
四 物語歌舞と雑言体説唱の探究
五 歌唱から説唱への音声言語探究
六 近代説唱音楽の探究
七 説唱音楽と固有性
第八章 劇楽
一 劇楽の内容と意義
二 各声腔の特徴とその探究
三 囃子方とその意義
跋語
中国音楽年表
参考文献

近代啓蒙批判とナチズムの病理 カール・シュミットにおける法・国家・ユダヤ人
創文社オンデマンド叢書
20世紀を体現した思想家カール・シュミットの近代批判・近代啓蒙批判を、シュミットが影響を受けた、あるいは論敵であった思想家、とりわけマックス・ヴェーバーの学問論や法・政治論との比較を通じて、またナチスの反ユダヤ主義や安楽死計画との関連を通じて浮き彫りにし、近代啓蒙批判とナチズムの病理・野蛮性との思想史的連関性を詳細に描き出す。ナチズムに代表される近代の生態を、未公刊の資料を駆使し複眼的な視角から解明、更に後世への歴史的教訓を引き出した画期的作品。
【目次より】
序 近代の病理とシュミット
第一章 シュミットの思想の基盤 法学と文芸の接点から
一 シュミットの家庭環境と修学時代
二 風刺書『影絵』(一九一三年)について
三 風刺文「ブリブンケン」(一九一八年)の内容とその意義
第二章 ヴェーバーとシュミット 学問論の相克
一 シュミットのヴェーバーに対する知的接触
二 「職業としての学問」(一九一七年)の成立事情
三 「職業としての学問」の論点
四 「職業としての学問」とシュミットの学問論
五 初期シュミット(一九一〇~一八年)の思想の核
六 「職業としての学問」の五つの論点とシュミットの「ブリブンケン」『政治的ロマン主義』
第三章 ヴェーバーとシュミット 政治論の相克
一 シュミットの『政治的なものの概念』とヴェーバー
二 シ ュミット『政治的なものの概念』の四つの論点とヴェーバー
三 シュミットの議会主義・民主主義観とヴェーバー
第四章 ナチス安楽死計画とシュミット 法史的社会史的視角から
一 生命の価値とシュミットの「価値の専制」(一九五九年)
二 ナチス安楽死計画(一九三九~四五年)の事実の概要
三 ナチス安楽死計画の前史
四 「安楽死」の法制化をめぐって 司法省と総統官房
第五章 反ユダヤ主義とシュミット 法・国家・ユダヤ人
一 研究史的前提
二 シュミットの反ユダヤ主義的発言
三 シュミットの反ユダヤ主義的思考の要因
結び 近代啓蒙批判とその教訓
注
あとがき
初出論文一覧

ライプニッツの認識論 懐疑主義との対決
創文社オンデマンド叢書
「自由意志」と「連続体合成」を哲学の二つの「迷宮」と表現したライプニッツは、実はそのさらに奥に広がる第三の迷宮、「知識の迷宮」を探索していた。かれは「懐疑主義の危機」の時代を生き、今日でも懐疑主義との対話を真剣な問題とする人々の共通する友人たる資格をもつ哲学者である。しかし、懐疑主義をめぐるライプニッツの考察のドキュメントとロジック、そしてその認識論上の意義が十分に解明されてきたとは言い難い。本書はこの点に注目し、ライプニッツが旅した知識の迷宮の冒険に光を当てるだろう。読者は、この冒険旅行に登場する「懐疑主義者たち」の多様な広がりに驚かされるに違いない。こうして見いだされたライプニッツの認識論は、時としてわたしたちを陥れる抗し難い力をもつ、懐疑の渦、知識の迷宮からの脱出のための「アリアドネの糸」なのである。
【目次より】
凡例
序 ライプニッツの哲学を認識論として読む
第一章 懐疑主義と認識論 ライプニッツ読解の一視角
第一節 「物体論」批判 ホッブズと若いライプニッツ
第二節 デカルト以後の懐疑主義「観念」から「表現」へ
第三節 「自由意志」の認識問題 スピノザとライプニッツ
第二章 論理と認識 論理主義的ライプニッツ解釈の批判
第四節 概念分析的真理論と認識論的問題
第五節 内属の論理学の問題構成 計算と「述語」の分析
観点からの伝統論理学の構成 5 述語としての「存在」
第六節 内属論理の「臨界」としての「関係命題」
第三章 認識と言語 構造的類比の「意味論」
第七節 反省行為と言語「ライプニッツのコギト」へ
第八節 自然言語の「意味論」 ライプニッツの自然言語論と認識論
第九節 直観と論理 デカルトとライプニッツ
第四章 認識と方法 類比・発見・最適
第十節 現象と実在 発見のための構成
第十一節 発見法としての「真の論理学」 ライプニッツの見果てぬ夢
第十二節 「最善」の認識可能性「弁神論」の方法論
第五章 認識論とモナドロジー
第十三節 ピュロニズムとモナドロジー
第十四節 モナドロジックな「心の哲学」の可能性
第十五節 モナドロジックな「実在論」
註
あとがき
文献表

平和構築と法の支配 国際平和活動の理論的・機能的分析
創文社オンデマンド叢書
現代世界で頻発している地域紛争に対応し、紛争後社会に永続的な平和を構築するためには、正統性と実効性を備えた社会制度を作り上げる必要がある。「法の支配」という視点から平和構築活動に迫り、「法の支配アプローチ」という戦略的モデルを提示する本書は、概念分析を通じて理論・思想体系を鮮明に描出するとともに、和平合意・選挙活動・法執行活動・司法活動など問題領域ごとに各地の平和活動の実情を具体的に検討する。平和到来へ、そして日本の国際貢献への視座を与える鮮烈なメッセージ。第3回(2003年度)大佛次郎論壇賞受賞(朝日新聞社)
【目次より】
序論
略語表
第I部 理論的分析
第1章 平和構築活動の位置づけ
1 平和構築概念の登場
2 平和構築概念の精緻化
3 平和構築の戦略論
4 小括
第2章 法の支配概念の内容
1 思想としての法の支配
2 国際社会における法の支配
3 平和構築と法の支配の連関
4 小括
第II部 機能的分析
第3章 和平合意
1 和平合意の位置づけ
2 和平合意の機能
3 和平合意のジレンマ
4 小括
第4章 選挙支援活動
1 選挙支援活動の位置づけ
2 選挙支援活動の機能
3 選挙支援活動のジレンマ
4 小括
第5章 法執行活動
1 法執行活動の位置づけ
2 法執行活動の機能
3 法執行活動のジレンマ
4 小括
第6章 司法活動
1 司法活動の位置づけ
2 司法活動の機能
3 司法活動のジレンマ
4 小括
結論
注
平和活動の展開一覧表

科学史からキリスト教をみる(長崎純心レクチャーズ)
創文社オンデマンド叢書
1543年、コペルニクスは地動説を発表したためにカトリック教会によって弾圧されたのか、それとも褒められたのか? ガリレオ裁判をはじめ、われわれは「宗教と科学の対立」という見方で捉えがちであるが、ホーリー・デザインの解明を求めた16~17世紀の「科学」は教皇庁の推奨をうけたものであり、近現代の科学とは大きく異なるものであった。学問体系からキリスト教的枠組が取り払われる18世紀以降を近代と位置づけて、聖俗革命という概念を提唱してきた著者は、常識にとらわれず異文化として歴史に向き合うことの意義と面白さをとく。さらに、環境破壊はキリスト教が元凶かという問題に踏み込んで、環境問題が提起する人間の欲望充足の限界を論じる。平易な語り口で自然科学の歴史のみならず近代学問の歩みを辿るとともに、現代われわれが直面する近代科学技術文明の弊害の根を問い、新しい倫理を展望する講演。
【目次より】
「長崎純心レクチャーズ」について 片岡千鶴子
第一回 近代科学の成立をどう捉えるか
科学革命
科学革命論の問題点
コペルニクスの地動説の本質
プトレマイオスの天動説
太陽への崇拝
フィレンツェ・プラトニズム
進歩史観的歴史記述法
ルネサンス時代の真相
サイエンスとは
質疑応答
第二回 聖俗革命
ディドロ自身の世俗化
百科全書とは
自由思想家
なぜアルファベット順か
もう神は要らない
世俗化された知
学問の再編 科学へ
科学者の誕生
学問の細分化
科学とは
デカルトの二元論
こころのタブー
こころのタブー・再論
質疑応答
第三回 環境問題とキリスト教
キリスト教が環境問題の元凶?
人間による「地の支配」
人間中心主義
男性中心主義
ホワイトは正しいか
文明概念の勃興
文化と文明
神ー人間ー自然
普遍化の努力
新しい倫理
欲望充足の限界
質疑応答
あとがき

中国古代礼法思想の研究(東洋学叢書)
創文社オンデマンド叢書
帝制期中国に支配的であった法思想を礼法秩序論であったと定めて、そこに至った要因を、主として先秦期の礼思想及び法思想の考察を通じて明らかにする。また、礼及び法思想の根底にある思考の構造又は論理の特色を探る。
儒家の社会規範「礼」と法家の「法」とは相容れない規範として先秦期に理論化されていたが、漢代より礼の法化と法の礼化が進み、礼法一体の礼法秩序論が帝政期中国の支配的法理論となった。両者のダイナミックな相互交渉を通して確立してゆく中国古代法思想の諸相を再構成し、礼法秩序論に至る理論的要因とその構造を明らかにする。荀子の礼思想を自然法論として捉えるとともに、韓非子の法思想から法至上主義が君主至上主義への傾向を本質的に内包することを導出、そのことが儒家と法家を融合させる重要な接着剤であったと指摘して、法治主義という近現代の観念の陥穽を解明する手がかりと、比較法思想研究に道を開く素材を提供する新しい試み。
【目次より】
序章
第一章 中国法思想研究の視角
はじめに
第一節 アンガーの中国礼法論
第二節 アルフォードの中国礼法論
第三節 中国法思想研究の視角
第二章 中国礼法思想の基礎的考察
はじめに
第一節 先秦期の法思想の史的展開
第二節 中国法思想の基層
第三節 儒家及び法家の社会秩序論
第三章 孔子の礼思想
はじめに
第一節 孔子の「礼」の具体像
第二節 孔子の「礼」論の立脚点
第三節 孔子の「礼」の概念的特質
第四節 「礼」の正当化根拠
第五節 「礼」の倫理化の背景
第六節 「礼」の秩序付け機能の特質
第四章 荀子の礼思想
はじめに
第一節 荀子の礼思想の基礎
第二節 荀子の「礼」論
第三節 荀子の「礼」論の構造
第四節 荀子の礼思想の構造
第五章 韓非子の社会規範論
はじめに
第一節 韓非子の法思想の理論的前提
第二節 韓非子の法理論
第六章 韓非子の社会統治論
はじめに
第一節 韓非子の「術」論
第二節 韓非子の「勢」論
第七章 董仲舒の礼法思想
はじめに
第一節 董仲舒の礼法思想
第二節 董仲舒思想の意義
第三節 礼法秩序論の諸問題
終わりに
第八章 中国法思想研究の課題
あとがき

道学の形成(東洋学叢書)
創文社オンデマンド叢書
道学の創立者は従来周敦いであると語られてきたが、史実に照らせばその淵源は二程、特に程いの学派であり、周程間に思想の授受は存在しなかった。著者は、朱熹の道統観を軸とする伝統的見方を排し、道学内部の思想的自己展開や、仏教・道教また王安石・蘇軾という外部を意識した思想的言説の展開を綿密に辿って道学形成史を再構成する。初期道学系の儒者に共通する万物一体観を「理一」として提示しえた程いの思想こそ、中央と在野両方の士大夫に存在理由と行動原理を与えた宋代思想の始まりであった。道学の基本的性格とそれを生み出した思想的社会的土壌、そして一個の学派として成長し勢力を伸張していく過程を壮大に描く画期的宋代思想史。
【目次より】
引用について
序章
第一節 宋代思想史研究の根本問題
第二節 道學研究の根本問題
第一章 北宋の思想運動
第一節 慶暦前後に至る思想動向
第二節 欧陽脩 中央の動向
第三節 陳襄 地方の状況
第二章 二程の先行者
第一節 胡〓 程頤の師
第二節 周程授受再考
第三節 宋代思想史上に於けるcの位置
第四節 二つの太極図
第三章 程〓の思想の基本構造
第四章 程頤の思想と道學の登場
第一節 程頤の思想に於ける「理一」の性格
第二節 「理気二元論」観の検証
第三節 程頤『易伝』の思想
第五章 道學と佛教・道教
第一節 道學と佛教に於ける議論の場と範疇
第二節 道學と華厳教學
第三節 死の問題から見た道學の佛教批判
第四節 二程の気論と道教
第六章 対立者の思想
第一節 王安石に於ける學の構造
第二節 蘇軾の思想的輪郭
第七章 道學の形成と展開
第一節 晩年の程頤
第二節 楊時の立場
終章
第一節 道學史上に於ける朱窯の位置
第二節 朱熹道統論の性格
注
後記

中世初期の所領経済と市場
創文社オンデマンド叢書
大きな転換を遂げつつある西欧中世社会経済史の研究を踏まえ、アルデンヌ、およびパリに所在する四つの修道院所領を、そこに内包される市場に着目し生産と流通の両面にわたって具体的に再構成した野心作。自給自足的な閉じられたシステムとしての所領という従来の学説を拝し、所領相互、あるいは周囲社会との交流を通じて多様な社会階層が垂直的に、さらに複数の地理的単位が空間的に統合されていたカロリング期社会の全体像が、史料を駆使して鮮やかに描かれる。
【目次より】
目次
序論 課題の設定
第一章 文書類から見たスタヴロ・マルメディ修道院の所領空間
はじめに
一 所領の骨格
二 所領の景観と構造
(1) 土地取引文書の記述様式
(2) 中核的所領
(3) 「古典荘園制」的所領と自立経営
三 経済活動
(1) 農業生産と牧畜・森林利用
(2) 特権的流通
四 所領編成
(1) キルデリク領域
(2) 接点としての交易拠点
五 外部世界との回路
小括
第二章 サン・テュベールの市とその周辺
はじめに
一 サン・テュベール修道院の初期史
二 中心地としてのサン・テュベール
三 中心地機能の継受
四 サン・テュベール周辺の景観
小括
第三章 サン・ジェルマン・デ・プレ修道院所領の生産と流通 所領明細帳を主たる素材として
はじめに
一 所領明細帳の概要
二 生産拠点としてのサン・ジェルマン領
三 小経営のあり方
(1) マンス保有民の実態
(2) 農民負担
(3) 小保有地のあり方
(4) ドナティオの諸相
(5) 所領経営におけるマンス保有民の地位
四 流通拠点としてのサン・ジェルマン領
(1) 商品作物の生産
(2) 市場交易との関係の深化
五 修道院の社会統合作用
六 サン・ジェルマン領の所領編成
小括
第四章 サン・ドニ修道院の所領と市場
はじめに
一 サン・ドニ修道院所領における生産活動
二 所領構造
三 商品・貨幣流通との接続
四 市場交易への関与
小括
総括 カロリング期の所領経済と市場
表・地図
あとがき
注
参考文献
索引
欧文レジュメ

現代金融論(現代経済学選書)
創文社オンデマンド叢書
現代日本の金融構造とその歴史的経緯を概観し、貨幣の需要と供給に関してマクロとミクロの両面から総合的に考察、その理論体系を簡潔に説明して、金融論の基礎を与える。さらに資産価格の決定のメカニズムを明らかにするとともに、金融派生商品(デリバティブ)の特質とその多様な取引を解説し、最後に将来において重要な役割を果たすと思われる電子マネーを分析して、その問題点と課題を示す。不良債権処理や間接金融から直接金融への転換に見舞われているわが国の金融界、そして単一通貨ユーロの出現と中国のWTO加盟に象徴される世界経済の変化を考えるうえで、金融政策の効果や国際金融理論までをも射程に入れた本書は、扱われているテーマの広さと理論的な信頼性において、金融経済に関心をもつ多くの学生や社会人にとって、今日求めうる最良のテキストとなろう。
【目次より】
まえがき
1 金融現象の基本構造
1.1 金融現象の本質
1.2 貨幣の機能と金融取引
1.3 金融システム
2 わが国の金融構造
2.1 高度成長を支えた金融システム
2.2 金融自由化・国際化へ
2.3 新しい金融制度への動き
3 貨幣供給と金融機関の行動
3.1 貨幣制度と銀行券
3.2 預金通貨の供給
4 家計および企業の金融行動
4.1 家計の金融行動
4.2 企業の金融行動
5 貨幣需要のマクロ的定式化とミクロ的基礎
5.1 マクロ的定式化
5.2 貨幣需要のミクロ的基礎
6 金融市場の理論
6.1 債券価格と利子率
6.2 株式価格
トービンのq理論
6.3 効率的証券市場
6.4 金融契約
7 金融政策
7.1 金融政策の目的と手段
7.2 IS-LM分析
7.3 物価水準の決定
7.4 合理的期待と経済政策
8 国際金融
8.1 外国為替と国際収支
8.2 国際金融市場
8.3 為替レートの決定理論
8.4 開放マクロ経済と金融政策
9 金融派生商品(デリバティブ)
9.1 金融脈生商品(デリバティブ)の一般的特質
9.2 金融先物取引
9.3 金融オプション取引
9.4 オプション価格決定理論(プレミアムの決定モデル)
9.5 スワップ取引
9.6 デリバティブに関するリスク管理
10 電子金融
10.1 電子決済
10.2 電子マネーの特徴
10.3 電子マネーの問題点と課題
10.4 金融政策への影響
付表
参考文献
あとがき

無と宗教経験 禅の比較宗教学的考察
創文社オンデマンド叢書
「無」という概念を、自己否定の徹底が自ずから根底的な自己肯定へと至る事態と見做し、主に禅を題材にして意味、言語、意識などの角度から人間存在の根源事象を探った野心作。禅の原典テキストまで遡り精確な文献解釈を行いつつも、そこに表れるものを宗教経験の事柄として生きた姿を吟味、さらに西洋神秘主義など他の宗教経験との比較を通じて禅の特殊性と普遍性を浮き彫りにする。
【目次より】
序論 本書の目的
第一章 肯定としての無 禅言語の二つの次元
はじめに
第一節 牛頭宗における「無」
第二節 無が無でなくなる構造
第三節 即非の論理と空の次元
おわりに
第二章 禅言語の逆説構造 ウィトゲンシュタインの規則論を手がかりに
はじめに
第一節 問いが発せられる条件
第二節 対法と事物一般の相対化
第三節 意外性の感覚
おわりに
第三章 宗教経験と悟り ウィリアム・ジェイムズと白隠との比較から
はじめに
第一節 ジェイムズにおける「意識の神秘的状態」
第二節 「実在の感覚」と見性
第三節 「無」についての諸解釈
第四節 実在性の空解
おわりに
第四章 見性の心理構造 白隠を中心に
はじめに
第一節 見性に先行する条件
第二節 見性の諸特徴
第三節 自らを信じるという問題
第五章 臨済の「無事」について 悟りと空の経験
はじめに
第一節 開悟の経験の内実
第二節 絶対無と空
第六章 禅と本覚 『大乗起信論』における所説をめぐって
はじめに
第一節 『大乗起信論』の本覚思想の内容
第二節 本覚と頓悟との関係 『起信論』から禅ヘ
第三節 空寂知としての頓悟 宗密の荷沢禅解釈
第七章 荷沢神会の「衆生心」について 禅における自然と頓悟の問題
はじめに
第一節 荷沢神会における「衆生心」の概念
第二節 禅における頓漸の実際
おわりに
付論 デウス・空・救済 不干斎ハビアンの思想について
あとがき
初出一覧
参考文献

(訳註)中国近世刑法志(下)
創文社オンデマンド叢書
十世紀以後の中国の正史刑法志すべてについて原文を掲げ、現代日本語に訳し、更に詳細な注を施した基本資料の集大成。本冊は元と明を収める。元史刑法志は一千条を超す法文からなる。とかく元代には漢民族王朝のような整備・系統だった法典は編纂されなかったと思われがちである。しかし元朝八十年の法典編纂の苦悩は、宋代からの同じ悩みを継承し、やがて明初の新しい立法に結実してゆく重要な過程であった。また、明史刑法志は厖大な法制資料をコンパクトにまとめ主な問題点や特徴を要領よく抑えて、明代史の流れの中で刑政概念を掴むのに役立つ。法制や刑罰の、各時代における生きた立体像とともに、時代を超えて存在する「中国的な法」を浮かび上がらせる必読文献。既刊の上冊は五代、宋、遼、金を収録。
【目次より】
はじめに 解題にかえて(下)
譯注 元史刑法志
譯注 明史刑法志
あとがき

(訳註)中国近世刑法志(上)
創文社オンデマンド叢書
「律令は文辞古質にして看覧する者もって詳明しがたし。格勅は条文繁多にして検閲する者あるいは疑誤あり」(旧五代刑法志)。法文は旧中国知識階層においても取りつきにくく、その法制理解はもっぱら「刑法志」に基づくものであったと言われる。従来とかく見過ごされがちだが、刑法志とは法律そのものではなく、各王朝の総合的な歴史の一部分としての法制や刑罰の歴史である。本書は正史のうち十世紀以後の刑法志すべてについて原文を掲げ、現代日本語に訳し、更に詳細な注を付す基本資料の集大成。時代ごとの特色とともに、その根底に流れ常に意識されてきた中国法の立体的理解へと導く必読の書。下冊は元と明を収録する。
【目次より】
序
はじめに 解題にかえて(上)
譯注 奮五代史刑法志
譯注 宋史刑法志
譯注 遼史刑法志
譯注 金史刑志

先秦の社会と思想(中国学芸叢書) 中国文化の核心
創文社オンデマンド叢書
秦に先行する夏殷周の時代(BC.2000頃~.BC220年頃)とは、中国独自の文化が形成された「原中国」であった。本書は、諸子百家の系譜を辿るという従来の手法を排し、最新の考古学的資料と伝来文献を有機的に結びつけ、原中国の社会の全体像と人びとの日常的な心のあり方を、明確なイメージをもって共感的に描き出す。彼らの強固な祖先観念と血族意識は一族や国家の長存、「天地長久」を願う熱い思いの現れであった。当時の支配層の意志決定に参与した史官は文字を独占する最高の知識人であり、天地人についての歴史の知識を蓄積する過程で万物の運行を司る天道を見出した。そして『老子』とは、天地長久の統治と処世を実現する教訓、格言、警句を、天道をも越える「道」の立場から編集整理したものに他ならなかった。豊富な史料と明快な論証により、中国文化の本質解明に一石を投じる画期作。
【目次より】
はじめに 本書の目的と立場
第一節 先秦とはいかなる時代か、いかに理解すべきか
第二節 史料について
第一部 血族社会の世界観
問題の提示
第一章 古代人と髪
第一節 髪と刑罰・兵士俑の髪型
第二節 髪の機能
第三節 髪の意味
第四節 原中国における髪の意味
まとめ
第二章 人間と植物の類比的認識
第一節 土毛・不毛
第二節 文王孫子、本支百世
第三節 『詩経』と類比的認識
まとめ
第三章 血族の長期的存続
第一節 世という文字
第二節 生命の継起的連続
第三節 舜の子孫
第四節 血縁の長期存続と祭祀
第五節 世系・世本
第六節 世の意識
第七節 不死鳥の陳国
第八節 祭祀継続の理由
まとめ
小結 戦国時代へ
第二部 『老子』思想の歴史的研究
問題の提示
第一章 『老子』思想の本質とその背景
第一節 『老子』の本質
第二節 再読「鄭伯、段に〓に克つ」
第三節 『老子』的処世の遍在
第四節 范氏一族の処世
第五節 支配層の意志決定
まとめ
第二章 歴史と『老子』
第一節 歴史とは
第二節 他族の歴史の教訓
第三節 鑑としての歴史・のっとるべき善
第四節 敬の処世
第五節 敬と『老子』
第六節 敬の具体化
第七節 歴史の事実の抽象化と『老子』思想
第八節 『老子』的思想の遍在
まとめ
第三章 天道と道
第一節 史官なるもの
第二節 道と『老子』
第三節 史官の直筆
第四節 シャーマンから史官へ 夏后啓とその子孫
まとめ
おわりに
あとがき

フランス・スピリチュアリスムの宗教哲学
創文社オンデマンド叢書
本書は、メーヌ・ド・ビランの投げかけた宗教哲学的問いに対する創造的回答として、フランス・スピリチュアリスムという思想潮流の全体像を描く。この思想潮流を、〈直観のスピリチュアリスム〉と〈反省のスピリチュアリスム〉の二系統に区別する視点から明快に論じて、スピリチュアリスムの現代的意味と現代における宗教哲学の新たな課題を提示する。
【目次より】
序
第一章 フランス・スピリチュアリスムの名称と定義
第一節 フランス・スピリチュアリスムの登場
第二節 フランス・スピリチュアリスムの二系統
第三節 スピリチュアリストの自己規定
第四節 心霊主義とレアリスム・スピリチュアリスト
第二章 メーヌ・ド・ビランの思索と課題
第一節 ビランの思想の基本的特色
第二節 ビランの思想の問題と方向性
(a) 二つの身体と二つの能力 (b) ビランの思想の問題点 (c) ビランの思索の方向性
第三節 自我と精神的生
第四節 反省と意志的シーニュ
第三章 ラヴェッソンにおける自由の媒介としての自然
第四章 努力観の深化としてのベルクソンの宗教哲学
第一節 「新しいスピリチュアリスム」としての『物質と記憶』
第二節 『物質と記憶』の努力論
(a) 逆円錐の比喩における「努力」の問題 (b) 『物質と記憶』第四章における「努力」 (c) ドゥルーズのベルクソン理解
第三節 努力観の深化
(a) 『創造的進化』の努力観 (b) 『二源泉』における努力観 (c) 努力の現実的次元と潜在的次元
第四節 ベルクソンにおける行為と宗教
第五章 ラシュリエの反省哲学とその問題点
第六章 ブロンデル『行為』における反省と宗教
第一節 行為の自己反省
第二節 反省の出現
第三節 身体への反省の展開
第四節 反省の展開とシーニュ
第五節 行為と宗教
第七章 ベルクソンとブロンデル
第一節 ベルクソンにおける無と存在
第二節 ブロンデルにおける無と悪
第三節 両者の思考の触れ合い
第八章 リクール解釈学の由来と展開
第一節 自由と自然との宥和と破綻
(a) 身体と自由 (b) 過ちと自由
第二節 反省と解釈
(a) 反省哲学と解釈学 (b) ナベールとリクール (c) 『過ちやすき人間』の人間学
第三節 リクールの解釈学と〈反省のスピリチュアリスム〉
(a) イニシアティヴの相違 (b) リクールの現象学受容 (c) リクール解釈学の生成
あとがき
註
引用および参照文献表

井伊直弼 修養としての茶の湯
創文社オンデマンド叢書
近世の為政者階級である武家として文武にわたる〈なすべき業〉の修養に勤める直弼は、同時に徳川家のために先陣を駆って死に向かう戦う武士を夢みていた。本書はこれまで誰もなし得なかった、政治家井伊直弼と文人井伊直弼の統合を修養としての茶の湯の視点から試みて、政治と茶の湯との関わりを魅力的な叙述で見事に描いてみせる。1851年から1860年までの44会の茶会記録から、理念と歴史的現実が鋭く相克するシーンを丹念に解読し、文人の内面世界と政治家の思想と行動を考察するアプローチは独創的である。その上で、これまで未紹介の原資料に注目するとともに、晩年の著述『茶湯一会集』を武家のための〈総合的茶の湯作法集〉と評価し直すことにより、転換期を生きた井伊直弼を茶道史においても新たに位置づけ直す。第12回茶道文化学術奨励賞(財団法人:三徳庵)受賞。
【目次より】
はじめに
第一章 理想の武士と「なすべき業」
第一節 若き日の苦悩と弘道館
第二節 なすべき業 武道と文芸
第二章 埋木舎時代の茶の湯 なすべき業としての茶の湯
第一節 石州流と井伊家の茶の湯
第二節 埋木舎時代の茶の湯
第三章 世子時代の茶の湯 「行」としての茶の湯
第一節 世子時代の茶の湯著述
第二節 茶の湯における食事と表記の歴史
第三節 石州流と「懐石」表記
第四章 藩主時代の茶の湯 武家の茶の湯の完成
第一節 『茶湯一会集」の評価
第二節 『茶湯一会集』
第三節 「一期一会」と「独座観念」
第五章 直弼の茶会 大名茶会と草庵茶の湯
第一節 直弼の茶会記録
第二節 大名/数寄屋坊主の会
第三節 ”草庵茶の湯“の実践
第四節 直弼の茶会 総括 大名茶会と草庵茶の湯
結語
注
あとがき
井伊直弼(茶の湯)関連年譜
文献目録
索引
英文概要
英文目次

政治の隘路 多元主義論の20世紀
創文社オンデマンド叢書
本書は、政治学の視野から、自由民主主義体制の中心理論である多元主義論の歴史的展開を、哲学的分野から実証的分野まで広範な領域を射程に収め通史的に分析する。フィッギス、バーカー、ラスキをはじめとする20世紀初めのイギリス多元的国家論が、第二次大戦後隆盛を極めたアメリカ多元的民主主義論を経て、フーコーに代表される近年のポスト・モダンへと到る流れを克明に描写し、いまや隘路にはまりつつある20世紀の政治の成果と限界を浮かぶ上がらせ、ボーダレス化する冷戦後の世界に鋭い問いを投げ掛ける。
【目次より】
序 政治が失おうとしているもの
序章 二〇世紀末の多元主義論
一 多元主義とリベラル・デモクラシー
二 多元主義と「政治」
三 本書の構成
第一章 イギリス多元的国家論
一 伝統の形成とリベラリズムの革新
二 多元的国家論の萌芽
三 伝統の再生へ 多元的国家論の諸相
(1) ジョン・N・フィッギス (2) アーネスト・バーカー (3) ハロルド・J・ラスキ (4) G・D・H・コール
四 多元的国家論の終息
第二章 多元主義論の変転
一 アメリカにおける多元主義論の受容
(1) 「国家」と「人民」 (2) 病理から批判理論へ
二 多元的国家論への対応
(1) 初期の受容と論点の形成 (2) 選択的受容と全面的批判
三 多元主義論と「科学」
四 多元主義論と「政治」の動揺
第三章 多元的民主主義論と政治科学
一 多元主義論の定着と政治科学の台頭
(1) 多元主義論の定着 (2) 政治科学と多元主義論
二 ロバート・A・ダールと多元的民主主義論
(1) 市場社会主義からポリアーキーへ (2) ポリアーキーの定式化 (3) ポリアーキーの分析 (4) 多元的民主主義論における「政治」
三 多元的民主主義論への批判
四 多元的民主主義論の変容
(1) 問題の析出 (2) 多元的民主主義論の修正 (3) 「保守化」批判の功罪
第四章 多元主義と多元化
一 文化的多元主義論と市民社会論の射程
二 多文化主義論と「政治」の相克
(1) 多文化主義論と集団の権利 (2) 「差異の政治」と集団のアイデンティティー
三 ポスト・モダニズムと「主体」の問題
(1) 個人のアイデンティティーと集団のアイデンティティー (2) ボスト・モダニズムの「主体」批判
四 ポスト・モダン多元主義論
(1) 「リベラル・プルーラリズム」への批判 (2) ポスト・モダン多元主義論の諸要素
終章 政治の陰路と政治的想像力
註
あとがき
参考文献

アウグスティヌスにおける教育
創文社オンデマンド叢書
古代の教育を来るべき新時代の方向へと転換させた「西洋の教師」アウグスティヌス。彼のキリスト教的人間観と、教育の中心にある説教の新しい教授法、さらに教師と学習者についての考え方を考察。異教徒文化、教養の基礎である自由学芸をキリスト教的哲学と聖書註解のための基礎教養として位置づけ、キリスト教と異教文化との融合を図って西欧的教養の基礎をすえた歴史的意義を解明する。
【目次より】
凡例
まえがき
引用著作一覧
序章 教師アウグスティヌスの形成
第I部 アウグスティヌスの教育活動
第一章 回心前のアウグスティヌスの教育活動
第二章 回心後のアウグスティヌスの共同生活と教育活動
第三章 修道者アウグスティヌスの教育活動
第四章 聖職者アウグスティヌスの修道生活と教育活動
第五章 聖職者アウグスティヌスによる入信者の教育
第六章 聖職者アウグスティヌスの一般信徒への説教
第II部 アウグスティヌスの教育論
第一章 アウグスティヌスの人間観と教育
第二章 アウグスティヌスによる教授と学習『教師論』を中心に
第三章 アウグスティヌスによる教授(説教)法(I)
第四章 アウグスティヌスによる教授(説教)法(II) バシリカ、絵画・彫刻、歌唱による
第五章 アウグスティヌスによる記憶と学習
第六章 アウグスティヌスによる自由学芸と哲学
第七章 アウグスティヌスによる自由学芸と聖書解釈 『キリスト教の教え』を中心に
補遺 カッシオドルスによる修道生活への自由学芸の導入
あとがき
注

クザーヌスの世界像
創文社オンデマンド叢書
神の創造物であるにも拘わらず、世界は何ゆえ分裂と相異に満ちたものなのか。本書はその著作のみならず説教をも駆使して、その思想の全体的構造を明らかにする。哲学の目的は愛によって神の真理に到達することであるとした彼は、脱中心・二極性・楕円の思考といった独自の方法で自らの思惟を相対化し、現実の世界が〈協和〉に向かって存在することを探究する画期的業績。
【目次より】
目次
序章 本研究の目的と方法
第一章 クザーヌスにおける〈哲学〉
第一節 「学としての哲学」
第二節 哲学と神学をめぐるヴェンクとの応酬
第三節 『覚知的無知について』と『推測について』における〈哲学〉
第四節 〈知恵〉への思索
第五節 〈Amor sapientiae〉としての〈哲学〉
第六節 〈知恵の狩〉
第二章 〈多様性〉問題
第一節 クザーヌスの思惟の根本動態
第二節 〈多様性〉問題への取り組みの発端
第三節 『覚知的無知について』と『推測について』における〈多様性〉問題
第四節 『創造についての対話』における〈多様性〉問題
第五節 中期以降における〈多様性〉問題
第三章 方法としての〈反対対立の合致〉
第一節 〈反対対立の合致〉の思惟をめぐるミリュー
第二節 前期における〈反対対立の合致〉
第三節 『神の観について』を中心とする〈反対対立の合致〉
第四節 〈媒介〉としての〈反対対立の合致〉
第四章 楕円の思考
序節
第一節 〈脱中心の思考〉
第二節 クザーヌスの〈思考の二極性〉
第三節 楕円の思考
第五章 〈神の現れ〉の諸相
序説
第一節 世界という〈神の現れ〉
第二節 〈秩序〉という〈神の現れ〉
第三節 人間という〈神の現れ〉
第六章 〈協和〉としての世界
序節
第一節 〈個物〉における〈協和〉
第二節 〈水平的協和〉と〈垂直的協和〉
第三節 〈協和〉としての認識
終章 〈多様性〉から〈協和〉へ
あとがき
注
文献目録
欧文要旨

教父と古典解釈 予型論の射程
創文社オンデマンド叢書
ギリシア教父たちは西洋古典の内にも救世主像を見出そうと試みた。異教文化受容を巡る教父の神学理解と、写本の筆写に携わる修道士や聖職者の隠れた努力を支えた修道院の精神とは何か。それが近代ルネサンスの先駆けともなったことを示す本書は、古典研究と教父学を総合的に考察して、中世哲学と古典学の領域に新たな視座を提供した。
9~10世紀ビザンティン時代の人文主義(特にアレタス)から遡って、教父時代における古典の受容と精神的境位がそれら後世のヒューマニズムに合致するものであることを実証し、キリスト教的人文主義の根底に潜むものを普遍的な相において探った。ホメロスなどの作品の解釈と伝承を分析し、西洋古典文献学を実証的写本伝承史のレベルから再構成。教父学の視点から異文化受容のあり方に光を当て、それがキリスト教ヒューマニズムの淵源であることを明らかにする。
地中海学会ヘレンド賞受賞。
【目次より】
序章 本書の構成と目的について 古典文献伝承と教父神学
第一部 ビザンティン時代における人文主義の成立と神学
第一章 地中海世界における書物史 カイサレイアのアレタスまでの文献史
第二章 アレタスの人文主義的神学 『黙示録注解』を中心に
第二部 カッパドキア教父たちの古典観と神学
第三章 バシレイオスと「ルネッサンス」 神学と人文主義の関係をめぐって
第四章 ニュッサのグレゴリオスにおける「神の像」理解の変容 人間性の再構築
第三部 終末論と予型論
第五章 オリゲネス的終末論の展開と証聖者マクシモス アポカタスタシスを中心に
第六章 証聖者マクシモスにおける終末論と神化 旧約聖書解釈との関連で
第四部 教父神学から古典解釈ヘ
第七章 アレクサンドレイアのクレメンスによる『オデュッセイア』解釈 古典の神学的受容
第八章 コンスタンティノス大帝とウェルギリウス『牧歌』第四歌 「異教予型論」と古典の受容
結章 人文主義的教父神学の地平と終末論的予型論の射程 総括と展望
あとがき
注
参考文献表