創文社オンデマンド叢書作品一覧

イスラーム家族法 婚姻・親子・親族
創文社オンデマンド叢書
独特の規定から成るイスラーム法の世界をもっとも色濃く写し出す家族法の領域に焦点を当てた、本邦初の体系的概説書。イスラーム最大宗派・スンナ派の四法学派の家族法を網羅的に紹介、詳細に比較検討した本書は、イスラーム社会を理解するうえでの必読文献となろう。第13回尾中郁夫・家族法学術奨励賞受賞。
【目次より】
はじめに
序論
第1章 婚姻
第1節 総論
第2節 婚姻の成立
第1項 求婚 第2項 契約当事者と婚姻締結の態様 第3項 契約に関わる条件 第4項 証人の立会い 第5項 婚姻障害 第6項 確定要件
第3節 無効な婚姻
第1項 曖昧性の法理 第2項 婚姻の無効の定義 第3項 無効な婚姻の効果 第4項 効力未定の婚姻
第4節 婚資
第1項 婚資の性質 第2項 婚資の設定・条件・相場額 第3項 婚資債権の発生・確定と履行
第5節 扶養請求権その他の妻の権利
第1項 扶養請求権 第2項 住居の手当て 第3項 夫が妻の許で時を過ごすことを求める権利
第6節 夫の権利
第2章 婚姻の解消
第1節 主体から見た婚姻解消の分類
第2節 態様から見た婚姻解消の分類
第1項 各学派における各婚姻解消の態様 第2項 取消可能な離婚と取消不能な離婚 第3項 婚姻解消の形式または原因とその態様の対照表
第3節 待婚期間
第1項 定義と期間の計算 第2項 待婚期間中の夫婦間の権利義務関係 第3項 待婚期間に服する女性の婚姻や性交
第4節 婚姻解消のさまざまな形式
第1項 一方的離婚 第2項 イーラー離婚 第3項 背中離婚 第4項 委任による一方的離婚権の行使等 第5項 身請離婚 第6項 仲裁による離婚 第7項 選択権の行使による婚姻の解消 第8項 呪詛の審判による婚姻の解消 第9項 後発的無効原因の発生 第10項 約款違反を理由とする婚姻の解消 第11項 夫婦の一方の死
第3章 親子・親族
第1節 親子関係
第1項 子 第2項 養子 第3項 棄児 第4項 女奴隷の子の父性の推定とその身分 第5項 保護関係
第2節 授乳
第3節 監護
第1項 監護権の性質 誰の権利か 第2項 監護権者の範囲と就任の順位 第3項 監護期間の終了と爾後の子の住所
第4節 扶養
第1項 総則 第2項 ハナフィー派 第3項 マーリク派 第4項 シャーフィイー派 第5項 ハンバル派 第6項 婚姻の斡旋 第7項 奴隷と動物の扶養
第5節 財産後見
第1項 禁治産制度の概容 第2項 財産後見
注
文献目録

明清戯曲演劇史論序説(東洋学叢書) 湯顕祖『牡丹亭還魂記』研究
創文社オンデマンド叢書
湯顕祖「牡丹亭還魂記」について、先行研究では究明されてこなかった、作品と作者自身、そして受容者との関わりに視座を据え、後代における演変の様相をも視野に入れ、該書を総合的かつ複合的に読み解く試み。才子佳人の夢と現実、生と死を超越した情の結実を描いた萬暦年間の名品『牡丹亭還魂記』。それは湯顕祖の反骨精神から生まれ、古文辞派への反発や李しなどの明末思想に支えられたものであった。執筆意図、創作理念、さらに読書人や一般庶民層における受容史など、総合的視点からその戯曲演劇史上の位置づけを試みた労作。巻末に詳細な索引を付す。
【目次より】
序章 中國近世戯曲演劇史における『牡丹亭還魂記』の位相
第一章 『牡丹亭還魂記』における柳夢梅像の設定
第二章 『牡丹亭還魂記』における梅花の形象
第三章 『牡丹亭還魂記』における杜詩の受容
第四章 『牡丹亭還魂記』における集句詩について
第五章 『牡丹亭還魂記』における真と仮の問題
第六章 『牡丹亭還魂記』版本試探
第七章 馮夢龍『墨〓齋重定三會親風流夢伝奇』における『牡丹亭還魂記』の変改
第八章 清代における『牡丹亭還魂記』の演変
第九章 子弟書における『牡丹亭還魂記』故事の変容
結章 湯顕祖の創作理念とその影響
あとがき(初出誌一覧)

ベギン運動とブラバントの霊性
創文社オンデマンド叢書
一二世紀の都市の勃興とともに都市には多くの女性が流入した。中でも現在ベルギーであるブラバントの諸都市には、手仕事や病人の看護などをしながら、相互扶助の敬虔な協同生活を営む女性信徒の一団が自然発生的に形成され、ベギン運動として展開していった。自由な生活形態を許す在俗の信徒集団である彼女らの運動は、異端視されることもあったが二〇世紀に至るまで存続した。本書はサン=ティエリのギヨームを源泉として、神の接触を求め霊的一致へと向かう霊性の系譜を、女性史をも視野に入れて考察した霊性史の先駆的試み。
【目次より】
凡例
目次
序言
第I部 サン=ティエリのギヨームの霊性
第一章 サン=ティエリのギヨームとその時代
一 ベルナールとの出会い
二 修道院の改革
三 方法をめぐる異議申し立て
第二章 サン=ティエリのギヨームの霊性
一 愛と理性
二 経験の学問
三 オリゲネスの発見
四 人との出会い 霊的一致
五 愛による知
第II部 ベギン運動とその霊性
第一章 ブラバントのベギン運動
一 研究史と初期のベギン運動
二 ベギンの語源
第二章 ワニーのマリと初期のベギン
一 『ワニーのマリ伝』とカタリ派
二 キリストの人性の信心
三 ベギンと教会
第三章 ハデウェイヒの霊性
一 生涯
二 作品
三 ハデウェイヒの霊性
第III部 ルースブルークの霊性
第一章 ルースブルークの生涯と作品
一 伝記史料
二 ブリュッセル時代
三 グルーネンダール時代
四 ジェルソンの批判
第二章 霊性の系譜 サン=ティエリのギヨーム・ハデウェイヒ・ルースブルーク
一 ルースブルークとサン=ティエリのギヨーム
二 ルースブルークとベギン
結論
あとがき
註
文献目録
略号表

メルロ=ポンティ 超越の根源相
創文社オンデマンド叢書
メルロ=ポンティにとって比類のない問題とは、存在論的・価値論的変革者としての「超越概念の変革」であった。古典的優越の相対化・ニヒリズムの超克という問題提起を試みる、通念に囚われない新たなメルロ=ポンティ解読。『知覚の現象学』刊行から半世紀以上、夥しい研究が蓄積されたが、著書によればこれら半世紀に及ぶ研究の歴史は、根本的な誤解と無理解の歴史であった。その根本的な誤解とは彼の思想を現象と存在、一元論と二元論といった古典的な枠組みに嵌め込もうとすることであり、無理解とは彼の哲学の核心である〈超越の根源相〉を掴めていないことである。メルロ=ポンティにとって真の問題とは〈超越概念の変革〉であったことを示すことにより、古典的超越の相対化(ニヒリズムの超克)という問題提起を試みた第一級の業績。
【目次より】
書名略号一覧
序論
第1章 メルロ=ポンティは読まれているか
序
第1節 知覚の優位性
第2節 一種の永遠
第3節 実りある矛盾
第4節 存在論的偶然性
第5節 生きられる独我論
第2章 メルロ=ポンティ自身はどう読むか
序
第1節 メルロ=ポンティの読解論
第2節 アランと「幾何学以前」
第3節 ラシエーズ・レイと「メノンの問い」
第4節 ラヴェルと「表現の問題」
第3章 メルロ=ポンティをどう読むべきか
序
第1節 メルロ=ポンティの〈自己批判〉
第2節 現象学の現象学
第3節 デュフレンヌによる読解
第4節 マリオンによる論及
第4章 区別か結合か
序
第1節 デカルトにおける観想と実践
第2節 区別による統一
第3節 メルロ=ポンティと創造的実践
第4節 超越による結合
第5節 価値論的変革
あとがき

メルロ=ポンティの意味論
創文社オンデマンド叢書
メルロ=ポンティの言語論には、全体論的言語観の内包主義的・表象主義的傾向に対するはっきりとした批判が含まれていた。彼にとってラング(記号体系)とは観念の体系でもなく、脳の記憶痕跡でもなく、それは微分化してゆく行動の構造(身体図式)にほかならなかった。広く今日の"認知科学"や"心の哲学を視野に捉え、メルロ=ポンティの言語論を全体論的行動主義と解釈し、その先駆性を位置づけた画期作。
【目次より】
序 言語の全体論とメルロ=ポンティの哲学
第一章 構造主義言語学の意味論とその問題点
一 ランガージュ・ラング・パロール 二 記号の体系としてのラング 三 ラングと恣意性の原理 四 構造主義における意味論的閉鎖性 五 構造主義の指示理論とその問題点 六 メルロ=ポンティと言語の哲学
第二章 メルロ=ポンティの初期言語思想
一 『知覚の現象学』における経験論と主知主義の批判 二 所作としての言葉 三 言語所作理論の問題点
第三章 中期思想とソシュール
一 『知覚の現象学』における言語の分類 二 メルロ=ポンティのソシュール解釈 三 パロールとラングの二重の意味 四 ラングと言語の「図式」
第四章 身体図式と習慣
一 幻影肢とデカルト 二 ヘッドの「図式」による幻影肢の解明 三 シルダーの「身体像」 四 メルロ=ポンティの身体図式論
第五章 身体図式と言語
一 対人関係としての言語と身体図式 二 身体図式と習慣としてのラング 三 メルロ=ポンティのソシュールの誤読 四 中期思想の問題点
第六章 言語と存在
一 後期言語思想における知覚と言語 二 分節化の体系としての知覚と言語 三 転換可能性・次元・肉 四 身体の転換可能性と言語 五 「無言のコギト」について
第七章 行動と構造
一 「行動」という概念 二 古典反射学説の批判 三 高等な行動とゲシュタルト 四 学習の理論 五 構造をもった行動と意識
第八章 指向性と知覚的意味
一 指向性と知覚 二 知覚主体としての身体と「作動している指向性」 三 ゲシュタルト理論の構成主義批判 四 知覚の構造性 五 指向性と制度化 六 知覚的意味の発生
第九章 メルロ=ポンティの意味論
一 メルロ=ポンティの言語論の進展 二 状況における発話と指示の発生 三 言語の理解と表現としての行動 四 象徴的形態の行動と知覚と言語の転換可能性 五 言語と他者
第十章 結論と考察
一 メルロ=ポンティの意味論と開かれた全体論 二 メルロ=ポンティの意味論の射程 三 考察
あとがき
注
文献表

欧陽脩 その生涯と宗族
創文社オンデマンド叢書

福沢諭吉 文明と社会構想(現代自由学芸叢書)
創文社オンデマンド叢書
「この間、日本の家族の変化は驚くほどである。フェミニズムは、近代という時代に生きる中で女性が感じてきた生きにくさは、女性が家族という領域に縛り付けられてきたことに起因すると論じた。しかし、家族の抱える問題は、女性だけをめぐる問題ではなく、近代という時代の作り出した社会構造全体に関わるものであろう。私たちは、いま、社会全体の構想を必要としている。本書で提示する福沢の議論が、そのヒントになることを願って議論を始めたい。」家族の関係および家族と社会との関連に注意しながら、福沢の議論を綿密に読み直し、福沢の文明論に迫る。
【目次より】
序
凡例
第一章 『文明論之概略』と文明化の道
第一節 基本的人間像と社会契約論
第二節 『文明論之概略』における転換
第三節 日本の独立と文明化の戦略
第四節 非合理な「情」と外向きの国権論
第五節 文明史の原理の再確認
第六節 立論の転換
第七節 学者と経世家への分裂
第二章 文明化のなかの女性と男性
第一節 文明化における女性のあるべき姿
第二節 男性の品行に関する現状改革論
第三節 男女交際のあるべき姿とその方便
第四節 人間のあるべき姿と人間関係の原理論
第五節 近代化のなかの家族
第三章 文明における個人と家族
第一節 西洋文明化における女性と家族
一 独立した〈個人〉の権利と女性
二 女性をめぐる家族内の人間関係
第二節 近代を超える福沢諭吉の思想
一 福沢の社会構想と家族
二 近代政治理論の到逹点
三 福沢の社会構想の意味
注
あとがき
文献リスト

唐代の思想と文化(東洋学叢書)
創文社オンデマンド叢書
唐代は伝統的儒家思想が衰え、仏教と道教が知識人の思想の中に浸透していき、従来の思想史=経学史という枠組みでは、捉え切れない時代である。著者はその枠組みを見直し、資料の枠を拡大して、自伝や遺言など個人の自己表白や人間関係を通してその時代の精神風土を明らかにする。新しい視点と、墓誌銘や僧伝など思想史研究では見落とされていた新しい資料を駆使して、唐代知識人の文化的側面に総合的な光を当てることにより、唐の思想と文化を全体的に解明した問題作。
【目次より】
序
第一部 劉知幾と『史通』
第一章 劉知幾の歴史意識
第二章 劉知幾 史評者の立場
第三章 宋代における『史通』
第二部 中唐の思想
第一章 権徳輿とその周辺
第二章 『陸文学自伝』考
第三章 劉禹錫の思想
第三部 習俗
第一章 唐代の葬俗 特に葬法について
第二章 『千唐誌斎蔵誌』に見える唐代の習俗
第三章 舎利信仰と僧伝『禅林僧宝伝』の理解のために
第四部 遺言
第一章 古代中国の遺言 その形式面よりの概観
第二章 韓愈の遺言をめぐって
あとがき

アリストテレスの第一哲学
創文社オンデマンド叢書
アリストテレスの第一哲学は、普遍的な学としてのオン(存在)の学と神学という二側面からなる。オンの学はあらゆる学問の基礎をなし、それを基に自然学や倫理学など部分的な諸学としての特殊学が成立する。神学はこれら諸学を統一する要をなし、更にオンの学と神学とは実体論を介して関連づけられる。これら存在・神・実体の諸概念の関連を全体的に考察するとともに、プラトンのイデアの離存性との対比を交えつつ、アリストテレス哲学の基本構造を明らかにした本格的業績。ヨーロッパの学の基本に関わる本書の考察は広くヨーロッパの思想文化を考えるうえでの基本文献となろう。
【目次より】
著作名略記一覧
序
第一章オン(on)の学について
1 第一哲学におけるオンの学と神学との関係
2 pros en(プロス・ヘン)形式
3 基礎論としてのオンの学 部分的な学との関係で
など
第二章 実体論1 実体の三層について
1 より先ということの意味の確定
2 第一実体(e prste ouiia)は三つの層において言われる
3 属性的存在との対比で、基体(可感的実体)は第一実体と言われる
4 基体を第一実体とすることから、基体の構成要素たる形相を第一実体とすることへの移行
5 形相は質料より先とされている箇所
6 形相は質料より先であることの根拠 その一
など
第三章 実体論2 「普遍的なものは実体ではない」ということについて
1 プラトンのイデア論をアリストテレスはどのように捉えているか
2 『形而上学』Z巻一三章で、「普遍的なものは実体ではない」ということがどのように論じられているか
3 「普遍的なものは実体ではない」ということについての別の観点 類と質料との類比関係
など
第四章 神学 自然概念が神概念との関係でいかに規定されているか
1 不動の動者とピュシス(pusis)について
2 ピュシスについての規定
3 総観されたピュシス
など
第五章 神学2 現実態の質を問うこと、自足性概念、倫理学との関係で
1 『自然学』Th巻と『形而上学』L巻とにおける神概念
2 運動とは何か
3 魂の働きは運動ではない
など
第六章 アリストテレス哲学におけるヒュポテシスについて
1 ゆるやかな意味では、ヒュポテシス、定義、テシス(thesis)は区別されていないこと
2 ヒュポテシスと同類の語あるいは事柄
3 アリストテレス哲学における原理的命題がヒュポテシスとされている具体例
注記
あとがき
使用文献表

唐宋の文学(中国学芸叢書)
創文社オンデマンド叢書
中国文学のピークをなす唐宋の文学。その文学空間に飛翔した多彩な表現。定型的な見方から自由になって、真実・魔力・快楽という新たな視点から中国文学の魅力に迫る。著者は中唐から宋代への文学意識の転換を踏まえ、文学作品の枠にとらわれずに文学者の逸話など幅広い素材を、日本や西洋の作品をも視野に入れて、自在に語る。「空の空なるもの」に過ぎない文学が、いかに大切であるかを明らかにして、格好の文学案内となった。
【目次より】
まえがき
目次
第一章 詩と真実
第一節 華山遭難
第二節 半夜鐘
第二章 文学の魔力
第一節 栄光と受難 文学作品の効用
一 栄光
二 受難
第二節 文学創作の説話
一 夢と詩才
二 作詩の指導
三 推敲
第三節 詩識 ことばの魔力
一 六朝時代の詩識
二 唐代の詩識
三 宋代の詩識
四 詩識をめぐる議論
第四節 作家と作品
第五節 恐ろしい文学
第三章 快楽としての文学
第一節 古文の修辞学
一 象徴としての登山 「始得西山宴遊記」
二 数字の魔術 「捕蛇者説」
三 愚者の美学 「愚渓詩序」
四 文体と認識
第二節 怪奇の文学 韓愈
一 独創性の追求
二 暴力と破壊
三 醜悪の美
四 唐から宋へ
第三節 娯楽の文法
一 暗号
二 脱出
三 対決
四 時の旅
五 トリック
六 試練
第四節 詩学の発見
一 不尽の意
二 換骨奪胎と点鉄成金
三 興趣
四 景と情
五 読みの快楽
六 知の冒険 王安石の集句について
第五節 快楽の思想 蘇軾を中心に
一 快楽の思想
二 快楽の思想を支えるもの
三 快楽の思想の源流
四 もうひとつの桃源郷 相対化への志向
注
あとがき

明清の戯曲(中国学芸叢書) 江南宗族社会の表象
創文社オンデマンド叢書
中国の演劇は社会と深く結びつきつつ独自の表現様式を生み出した。本書は明清期の江南の伝奇戯曲に光を当て、この地域特有の宗族社会の組織理念が演劇空間でいかに表現され、多くの作品群を性格づけたかを問う。著者は宗族組織の内部構造を分析し、五十以上に及ぶ作品の梗概を通して、中国人の生活感情と演劇の社会的機能を明らかにする。
【目次より】
序説 元明間の祭祀演劇の変化とその社会背景 農村の宗族構成から見た展望
第一章 明代江南宗族の祭祀体系
序節 外神系祭祀と内神系祭祀の関係 安徽省徽州府歓県渾渡黄氏 第一節 外神祭祀 第二節 内神祭祀 第三節 小結
第二章 明代江南宗族の演劇体系
序節 祭祀演劇の環境 安徽省徽州府休寧県老洲呉氏 第一節 外神祭祀 第二節 内神祭祀 第三節 演劇統制 第四節 小結
第三章 清代江南宗族による外神祭祀演劇の再編成
序節 清代江南同族村落の祭祀組織の再編成 第一節 郷村の社廟演劇組織の再編成 第二節 市鎮の社廟演劇組織の再編成 第三節 文武科挙神に対する演劇組織の形成 第四節 小結
第四章 清代江南宗族による共同体規制演劇の強化
序節 江南宗族の共有地支配の発想 第一節 水源地保全禁約の演劇 第二節 貯水池保全禁約の演劇 第三節 墳山竹木保全禁約の演劇 第四節 宗祠・墓祠保全禁約の演劇 第五節 小結
第五章 清代江南宗族による宗祠演劇の拡大
序節 宗祠演劇拡大の背景 第一節 個別祖先に対する寿誕祭祀演劇 第二節 祖先群に対する季節祭祀の演劇 第三節 進主(祖先神位入祀)の演劇 第四節 科挙及第者の祀祖謝恩演劇 第五節 超幽追薦演劇 第六節 小結
第六章 社祭演劇における宗族の戯曲選好
序節 社祭演劇に対する宗族の期待 第一節 節婦類 第二節 孝子類 第三節 忠臣類 第四節 功名類 第五節 風情類 第六節 遊賞類 第七節 超幽類 第八節 小結
第七章 宗祠演劇における宗族の戯曲選好
序説 宗祠演劇に対する宗族の期待 第一節 頌類 第二節 大雅類 第三節 小雅類 第四節 風類 第五節 超幽類 第六節 小結
第八章(上)宗族演劇の戯曲世界 宗族内部の戯曲世界
序節 宗族の内部統制に関わる戯曲世界 第一節 慶寿類 第二節 伉儷類 第三節 誕育類 第四節 訓誨類 第五節 激励類 第六節 分別類 第七節 思憶類 第八節 捷報類 第九節 小結
第八章(下)宗族演劇の戯曲世界 宗族外部の戯曲世界
序節 宗族の対外交流に関する戯曲世界
第一節 訪詢類 第二節 遊賞類 第三節 宴会類 第四節 邂逅類 第五節 風情類 第六節 忠孝節義類 第七節 陰徳類 第八節 栄会類 第九節 小結
終章 宗族演劇の現段階
注引文献

開発経済学(新版)(現代経済学選書) 諸国民の貧困と富
創文社オンデマンド叢書
諸国民の貧困と富 先進国の技術導入を柱に、市場・共同体・国家の適切な統合により途上国を発展軌道に乗せる政策を示す。日経賞受賞。新版では「アジアの金融危機」の実証分析と、説明の改良とりわけ内政的経済成長論に新たな解説を加えた。資料も全面的に最新のデータへ更新した。
【目次より】
新版に寄せて
序論 開発経済学の課題
「開発経済学」と「開発途上国」 本書の構成
1 経済発展の理論的枠組
1.1 社会システムの発展過程
1.2 誘発的革新の理論
1.3 理論的枠組と途上国の現実
2 開発途上国の発展展望
2.1 国際比較へのアプローチ
2.2 経済成長と構造変化
2.3 投資・貯蓄・物価
2.4 人的資本の向上
2.5 人ロ・資源・食料
3 人口成長と天然資源の制約
3.1 経済発展と人口成長
3.2 人口成長の経済理論
3.3 資源制約説の系譜
4 資源の制約を打破するには
4.1 科学的農業の可能性
4.2 「緑の革命」の展望
4.3 誘発的革新への障害
4.4 余剰資源にもとづく発展
5 資本蓄積と経済成長
5.1 アダム・スミスからマルクスヘ
5.2 第2次大戦後の開発論と開発政策
5.3 新古典派的生産関数と成長モデル
5.4 成長会計による検証
5.5 成長パターンの変化
6 技術進歩とその源泉
6.1 成長パターンの様式化
6.2 成長パターン変化の技術的基礎
6.3 技術進歩の源泉を求めて
7 所得分配と環境問題
7.1 経済成長と所得分配
7.2 不平等化の要因
7.3 停滞と貧困
7.4 経済発展と環境問題
8 市場と国家
8.1 市場と国家の経済機能
8.2 幼稚産業保護論をめぐって
8.3 開発モデルの盛衰
8.4 開発理論のパラダイム転換
8.5 アジア金融危機が意味するもの
9 共同体の役割
9.1 共同体の機能
9.2 途上国農村の構造
9.3 共同体と経済合理性 フィリピンでの観察
9.4 共同体の失敗とその補正
付論 技術進歩に関する理論的補足
参考文献

現代マクロ経済学(現代経済学選書)
創文社オンデマンド叢書
マクロ経済学はその姿を一変させ、今や新古典派理論の全盛となり、アメリカを中心とする学界もそれを「進歩」として支持する。著者はこれに断固として反対し、過去二五年間のマクロ経済学を批判的に検討し、理論の基礎をケインズの天才が見抜いた需要不足(=有効需要)に据えて、新しいマクロ経済学を試みる。中級レベルの学習のための道先案内を務める本書を通して、読者は実際的で豊かな可能性に満ちたマクロ経済学を見出すに違いない。
【目次より】
まえがき
図表一覧
序論
1 マクロ経済学の「新古典派化」
2 「新しい」ケインズ経済学
3 新しいマクロ経済学を求めて
景気循環の理論
1 Ramseyモデル
2 リアル・ピジネス・サイクル理論
3 ケインズ的アプローチ
4 金融政策と景気循環
経済成長論
1 Old Growth Theory
2 New Growth Theory 内生的成長モデル
3 経済格差の縮小
新しいマクロ経済学
1 価格と数量
2 生産要素の「不完全雇用」と生産性の部門間不均等
3 ルイス・モデル
4 需要と経済成長
5 残された課題 オープン・エンド
TFPと技術進歩の需要創出効果 技術進歩はいかにして生み出されるのか 技術進歩と不完全雇用
4章付論
文献表

エネルゲイアと光の神学 グレゴリオス・パラマス研究
創文社オンデマンド叢書
14世紀の後期ビザンティンの神学者グレゴリオス・パラマス(1296―1359)の思想を神学の領域を超えて、人間の普遍的な神認識の問題として考察したわが国初の本格的研究。パラマスの神認識と彼の修道霊性を重視する態度から東方神学の特質を浮かび上がらせるとともに東方キリスト教に特徴的な霊的感覚を一種の認識論として捉え、霊と身体との調和をはかるパラマス思想の中に、反グノーシス的な身体・感覚の復権があることを明らかにする。
【目次より】
凡例
まえがき
序論 グレゴリオス・パラマスの生涯と著作
第一部 東方神学の特質
第一章 パラマスの「神認識」をめぐって
第二章 パラマスと哲学 ヘシカズムの伝統との関連において
第三章 ギリシア教父の遺産 人間の神化
第四章 光と闇の神学(変容の光とシナイの神の闇)
第二部 エネルゲイア論
第一章 パラマスにおける神の本質と働きの区別の問題(一)
第二章 パラマスにおける神の本質と働きの区別の問題(二)
第三章 パラマスにおける神の本質と働きの区別の問題(三)
第四章 エネルゲイア、ヒュポスタシス、エンヒュポスタトス
第五章 エネルゲイアとウーシアの区別の哲学的源泉
第三部 人間の神化と光の神学
第一章 ヘシカズムにおける神化の思想
第二章 「霊的感覚」
第三章 身体もまた祈る パラマスの身体観への試み
第四章 光の神学と否定神学
第四部 神のエネルゲイアと光の神学 東方の論理に向けて
第二章 光としての神
第三章 神化の神学
第四章 超否定神学 東方の論理
あとがき
初出一覧
参考文献
欧文要旨
欧文目次

東方教父における超越と自己 ニュッサのグレゴリオスを中心として
創文社オンデマンド叢書
東方ギリシア教父の伝統は、ヘブライ・キリスト教と古代ギリシア哲学という二大潮流の邂逅のうえに成立し展開した。それは思想史上、後世にとって規範ともなり源泉ともなった。本書は教父哲学の祖アレクサンドリアのクレメンスと哲学面での代表者ニュッサのグレゴリオスにおける愛智=哲学の中心に息づく存在論的ダイナミズムに視点をおいて、哲学や倫理学の根源的位相を明らかにし、研究の少ない未開拓な分野に本格的な鍬をいれた画期的業績。
【目次より】
はしがき
序章 教父の愛智とその指し示すところ
第一部 信と知との探究 アレクサンドリアのクレメンスに即しての展望
第一章 知を求める信 その動的な構造
第一節 クレメンスの人と時代
第二節 根源の出会いと信
第三節 創造の場に
第二章 敬神と愛智
第一節 信と知との開かれたかたち
第二節 否定の道
第三節 自然・本性と自由
第四節 神性の交わりと他者
第二部 ニュッサのグレゴリオスにおける超越と自己
第一章 愛智の基本的構造
第一節 神的ロゴスの現存の場に向かって
第二節 愛智の発動
第二章 神の名と否定神学
第一節 生の範型としてのモーセ
第二節 神の名の顕現
第三節 否定神学と象徴
第三章 エペクタシスの道行き
第一節 闇のうちなる神の顕現
第二節 自己超越の論理
第三節 絶えざる生成
第四章 存在の次元における自由の問題
第一節 創造と罪
第二節 自由意志と自己
第三節 欲望の問題
第五章 善の超越性と不断の創造
第一節 自由と行為と善の連関をめぐって
第二節 不断の創造
第三節 人間的自由と神性の働きとの共働
第六章 肉体・質料の復権と他者
第一節 人間的自由と悪
第二節 内的な砂漠
第三節 肉体・質料の復権
第七章 神性の全一的交わり
第一節 エクレシアとその動的な姿
第二節 神の宿り・顕現の機微
第三節 全一的交わりの成立
第四節 キリストの受苦と栄光 没薬と乳香
第八章 内なる根拠・キリストの発見
第一節 信と知との緊張
第二節 使徒的経験の場に
第三節 教理的文脈の吟味
第四節 人間的自由と新しい創造
註
あとがき

ロシア・ナショナリズムの政治文化 「双頭の鷲」とイコン
創文社オンデマンド叢書
20世紀ロシアの国家・民族・ナショナリズムを、その深層に流れる政治文化に焦点を当て解明、歴史を貫く「ロシア的なもの」を剔出する。
【目次より】
はしがき
第一部 ロシア・ナショナリズムの政治文化
第一章 ロシアにおける国家と民族 歴史的、政治文化的考察
第二章 ロシア・ナショナリズムの歴史と政治文化
第二部 ソヴィエト体制下のロシア・ナショナリズム
第三章 「ユーラシア主義」とロシア国家像の転換 スラブ国家からユーラシア国家へ
第四章 ロシア革命と国家 「ナショナル・ボリシェヴィズム」の系譜
第五章 非スターリン化政策とロシア・ナショナリズム ヴェ・オーシポフをめぐって
第六章 グラースノスチ下のロシア・ナショナリズム運動
第三部 ロシア正教会とナショナリズム
第七章 ゴルバチョフ政権下のロシア正教会とナショナリズム
第八章 宗教とナショナリズム 西ウクライナの「ギリシア・カトリック教会」をめぐって
第九章 ソヴィエト体制崩壊後のロシア正教会とナショナリズム 自由の背理とアイデンティティ危機
第十章 二〇世紀のロシア正教会 チーホンからアレクシー二世へ
註
あとがき
初出一覧

ハイデガー哲学の射程
創文社オンデマンド叢書
『存在と時間』の真の射程がギリシア哲学(プラトン・アリストテレス)の存在への問いにあることを示しその根本構想を解明、ハイデガーの思惟の道、さらには西洋哲学の根底に潜む問題地平(形而上学・存在論)を鋭く描いた意欲作。
【目次より】
序 ハイデガー哲学の射程
凡例
第一章 形而上学
第一節 存在論 神学としての形而上学とその一性
第二節 形而上学の二重性と基礎的存在論の理念
第三節 『存在と時間』の書き換えと形而上学の問題
第二章 存在論
第四節 存在論的差異とイデア論
第五節 存在の意味への問いとアナロギアの一性(プロス・ヘン)
第六節 存在を超えて
第三章 現象学
第七節 現存在の現象学
第八節 真理
第九節 解釈学
第四章 現存在の分析論
第十節 道具分析の存在論的射程
第十一節 終りとしての死と時間性
第十二節 良心と現存在の分析論
註
あとがき

十字架のヨハネ研究
創文社オンデマンド叢書
一六世紀スペインの神秘家で詩人であった十字架のヨハネに関する初めての本格的研究。人間の魂が神との合一に向かう過程を入念に叙述・分析したヨハネの作品は、心理分析の精緻さと的確さ、さらには哲学的・人間学的な洞察の鋭さにおいてスペイン文学史上の至宝ともいえる古典である。著者は独自の方法により宗教言語論的特性を解明するとともにその解釈学的構造を分析、ヨハネ神秘思想の全貌を明らかにして、従来の神秘主義理解の視野を拡大する。
【目次より】
序文
略記号表
第I部 序論
一 生涯と時代
二 作品
(1) 造形作品 (2) 主著(3) 詩 (4) その他 (5) テクスト
三 思想の源泉
(1) 聖書 (2) カルメル会の伝統 (3) 教父、正統神学者 (4) スペイン神秘主義 (5) 世俗文学 (6) ドイツ系神秘主義 (7) ルネサンス思潮 (8) ユダヤ教神秘主義 (9) イスラム神秘主義
四 方法と視点
第一節 視点・関心・方法 第二節 本書の構成
第II部 道程
一 神への翻案/人への翻案 『ロマンセ』の位置
二 愛にみちた観念 『カルメル山登攀』における否定神学とそれを破るもの1
三 見ることと触れること 『カルメル山登攀』における否定神学とそれを破るもの2
四 夜の構造 『カルメル山登攀』・『暗夜』の根本イメージ
五 魂の受動性 『暗夜』の根本問題
第III部 合一
一 合一を語る言葉 『愛の生ける炎』における神秘的合一のイメージ1
二 魂の中心/神の中心 『愛の生ける炎』における神秘的合一のイメージイメージ2
三 甘美な接触 『愛の生ける炎』における神秘的合一のイメージ3
四 神のかげ 『愛の生ける炎』における神秘的合一のイメージ4
五 私の胸で恋人は目覚める 『愛の生ける炎』における神秘的合一のイメージ5
六 合一の人称 『霊の讃歌』における神秘的合一把握
あとがき

十九世紀英国の基金立文法学校 チャリティの伝統と変容
創文社オンデマンド叢書
有名パブリック・スクールの多くは、チャリティ(市民公益活動)によって創設された基金立学校である。19世紀教育改革期、国民教育全体の原資として再編が期待されたにも拘わらず、基金立学校はなぜ中流階級の中等教育機関として、国家統制を回避し独立セクターの中にその公益性を閉じ込めることになったのか。その過程を階層統合の挫折として捉える本書は、王立委員会報告書など公文書からその実態を解明する。教育理念・教育内容を巡る問題を、従来看過されてきた財政基盤との関わりで法制史的に論じた教育史の労作。
【目次より】
はしがき
序論 問題の所在と研究課題の設定
第I部 一九世紀初期基金立学校の実態と再編課題
第一章 基金立学校の基本的形態
第二章 基金立文法学校における「エルドン判決」の意義
第三章 基本財産(endowment)をめぐる論争
第II部 チャリティの監督機関の創設と基金立学校の改組構想
第四章 産業社会におけるリベラル・エデュケーション論争
第五章 チャリティ監督機関の設立と中流階級教育の高揚
第六章 基金立学校の改革構想
第III部 基金立学校の再編過程と二元的セクターの形成
第七章 基金立学校委員会(一八六九─七四年)の政策執行とその性格
第八章 基金立学校への公費補助
第九章 中等教育における公的セクターの成立
結論
あとがき
年表
文献一覧

神学的言語の研究
創文社オンデマンド叢書
ケーベル博士は西洋文化の理解のために神学の基礎知識が不可欠であると力説したが、いまだ神学は学問として認知されていない。本書はトマス・アクィナスが厳密な意味で「学」である神学を構築した事実を言語学的側面から論証、特に彼の神学が聖書と結びつくことにおいて「学」として確立することを明らかにし、学問領域の拡張を試みた問題作。
本書はトマス・アクィナスが厳密な意味での「学」としての神学をいかに構築したかを、“神”と呼ばれる神秘に関わる認識的・学問的言語としての神学的言語であるアナロギア、神の像、悪などに注目しつつ『神学大全』の分析をとおして論証する。とくに聖書的神学と対立するとされたトマスの神学が、むしろ徹底して「聖書的」であり、聖書と結びついてはじめて「学」として確立したことを明らかにした。さらに近代の人間中心主義的な理性観の限界を越えて、学としての神学が既存の学問だけではなく、われわれ自身にも知られていない認識能力の可能性を拓き、理性の自己超越性を洞察するうえでいかに有効であるかを、信仰告白や神秘経験の表現である宗教言語とは区別された神学的言語を考察することにより解明している。
【目次より】
まえがき
序論
第一章 「学」としての神学
I 「学」としての神学の可能性 II 「学」としての神学をめぐる問い など
第二章 トマス・アクィナスと神学的言語
I 神学と聖書 II 神学的言語について など
本論
第三章 神学的言語としてのアナロギア
I トマス神学とアナロギア II トマスの「アナロギア」理解 など
第四章 神学的言語としての「神の像」(1) 「神の像」再考
I 問題 II 「人間の尊厳」をめぐる問題 I など
第五章 神学的言語としての「神の像」(2) トマス・アクィナスにおける神学的言語としての「神の像」
I 問題 II 「神の像」の概念 III 「神の像」としての人間 IV 結び
第六章 トマスにおける神学的言語としての「悪」(1)
I 問題 二つの「悪」言語 II 欠如(privatio)としての悪 Iなど
第七章 トマスにおける神学的言語としての「悪」(2)
I 問題 II キリストにおける悪 III キリストの罪 など
第八章 キリスト論と神学的言語
I 問題 「学」としての神学 II アンセルムスにおける「学」としての神学 III 神学的言語としての「適わしさ」 など
第九章 受肉と神化
I 序論 問題 II 見神と神化(1) III 見神と神化(2) など
付論
一 トマス・アクィナス『神学大全』の基本的構想
二 神学的言語について