講談社学術文庫作品一覧

差別の超克 原始仏教と法華経の人間観
講談社学術文庫
「女は成仏できない」(五障)、「女は男に変身することによって成仏できる」(変成男子)――仏教は、女性を蔑視しているのか? 古くて新しいこの疑問を、サンスクリット、漢訳からの豊富な引用と緻密な論で質してゆく。インド思想研究の第一人者が正面から挑んだ、21世紀の「ジェンダー仏教論」。※原本『仏教のなかの男女観――原始仏教から法華経に至るジェンダー平等の思想』(2004年、岩波書店刊)を改題・改稿

中世都市 社会経済史的試論
講談社学術文庫
ローマからゲルマン諸族へと地中海に展開した古代文明。イスラームの侵入による「停滞の中世」のなかで都市と商業はいかに生まれたか
歴史的世界としてのヨーロッパの生成を自らの学問の中心テーマに据えた、二十世紀を代表するベルギー生まれの中世史家アンリ・ピレンヌ。本書では「中世都市」の来歴がみずみずしく語られる。
地中海を内に抱く古代ローマ世界の枠組みはゲルマン諸族の侵入でも維持されたかに見えたが、イスラーム勢力の地中海侵出により衰頽し、変容していく。そんな停滞のなかいつ「商人階層」が登場し、どのように都市と都市民が生まれてきたのか。遺された細かな史料にいたるまで渉猟し、一貫した問題意識から描かれた中世都市成立史の不朽の名著。

カントの「悪」論
講談社学術文庫
誰も守れないような道徳法則が、なぜ成り立つのか。カントが確立しようとした絶対的に普遍的な倫理学とは何か。その思考の道筋とは?
カント倫理学の中で「悪」はどのように扱われているのだろうか。
カント倫理学にはアディアフォラ(道徳的に善くも悪くもない領域)が開かれていない。その倫理学に一貫しているのは徹底した「誠実性の原理」である。人間における快や幸福追求の普遍性と、その中心に「自己愛」があることを認めながら、そうした「幸福の原理」を従わせ、理性が道徳的善さの条件として命ずる「誠実性」とは何か。
また、人間が悪へと向かう性癖と、根本悪、道徳的善さに至る前提としての「自由」とは?
絶対的に普遍的な倫理学を確立しようと努力を惜しまなかったカントが洞察した善と悪の深層構造を探る。

天皇の歴史10 天皇と芸能
講談社学術文庫
天皇の権威の源泉は、〈芸能〉にあった。『古今和歌集』をはじめとする勅撰和歌集は、なぜ二十一代も編纂されたのか。そして、「和歌」の伝統は戦乱の世をいかに乗り越えたのか。今様の後白河院、琵琶の後鳥羽院など、「声わざ」と管弦に生きた「芸能王」の系譜とは。立花の後水尾院や、茶の湯の後西院など、諸芸を愛好し、和漢の学問に励んだ天皇の姿からは、日本文化の深層と、その伝統形成の歴史が見えてくる。
講談社創業100周年記年企画として刊行され、高い評価を得たシリーズの学術文庫版、第10巻。最終回配本となる本巻では、古代から近世まで、和歌や音楽、学問、茶の湯など、「芸能」が天皇と日本の歴史の中でいかに大きな意味を持っていたかを解明してく。
第一部は、10世紀初頭の『古今和歌集』から500年続いた二十一代の勅撰和歌集を縦糸に、古代・中世の天皇による多彩な和歌の活動を解説。
第二部は、今様の後白河院、琵琶の後鳥羽院など、「声わざ」と管弦に長じた「芸能王」の系譜をたどり、皇位継承と秘曲伝受の密接な関係を解明する。
第三部は、戦乱の時代を乗り越えて、古今伝受など近世和歌がいかに復興し、継承されたかを見ていく。
第四部は、天皇家における漢学の尊重、立花の後水尾院、茶の湯の後西院など、諸芸を愛好し、和漢の学問に励んだ天皇と、日本の伝統文化の深層を探る。
[原本:『天皇の歴史 10巻 天皇と芸能』講談社 2011年刊]

日本近代科学史
講談社学術文庫
鉄砲伝来、江戸期の蘭学、洋学、明治期以降のダーウィニズム、太平洋戦争の軍事科学から高度成長期へーー。西欧科学を受け容れ、科学的思考を吸収しながら、日本人はいかに変わっていったのか? 科学史研究の第一人者、村上陽一郎の初の単著『日本近代科学の歩み』(三省堂選書 1968年刊を、改題、文庫化。
伊能忠敬、杉田玄白、佐久間象山、北里柴三郎、長岡半太郎……。明治維新から昭和を経て、科学と技術の国となった日本。紆余曲折の歴史の中、果たして日本人は、西欧に生まれ育った“科学”を、本当に受け容れたのか? 西欧の思想は、日本をどのように変えたのか? 西欧科学という「踏み絵」を使って500年を考察した、壮大な比較科学思想史!
科学史研究の第一人者、村上陽一郎の初の単著『日本近代科学の歩み』(三省堂選書 1968年刊)を改題、文庫化。
[内容]
第1章 西欧の科学・技術
第2章 西欧科学接触以前の日本の「科学的」状況
第3章 キリシタン期の西欧科学技術との接触
鉄砲の伝来/西欧科学体系の最初の伝来
第4章 蘭学期における西欧科学の影響
天文学/蘭学のもう一つの流れ
第5章 幕末期の西欧科学
洋学への傾斜/開国前後の西欧科学・技術
第6章 明治期以後の日本と西欧科学
国家に使われる科学/啓蒙期のエポック―生物進化論/ようやく自立に向かう明治科学界/国家の手で編成される産業界/その後の科学界の動き
第7章 日本文化と西欧科学
補 章
[本文より]
科学は近代西欧に生まれ、そして育った。西欧近代以外に、今日の科学を産んだ文化圏はほかになかった。このことは、絶対的な客観性、絶対的な普遍性を標榜しているはずの科学が、それを産み育てる思想的培地に、少なくとも間接的に依存していることを示す、一つの現実である。したがって、近代西欧と同じ思想培地をもたない日本に、科学が移入されたとき、それが、日本における基本的な思想構造とどのような関係を形造ったかという点が、本書の一つの関心事であった。

日本永代蔵 全訳注
講談社学術文庫
金銀でかなわぬものは、命だけ――あらゆる欲に取り巻かれた新興町人たちの、おかしくもどこか悲しい群像劇。まじめ過ぎる商人、ドラ息子、度を越したケチたちが、人生の何たるかを教えてくれる。井原西鶴が貞享五年(1688)四十七歳で遺した、この町人物の大傑作にして蓄財指南の書は、江戸時代を通してベストセラーとなる。
親譲りの始末屋があっさり色に溺れ、越後屋が現金掛け値なしの新ビジネスを始め、大借金をして勘当を喰らった二代目は物乞いに説教され――。
その才覚や商魂、あるいは始末倹約で分限者への道を切り開く者。怠惰や驕慢、あるいは贅を尽くした遊興でわかりやすく破産へと転げ落ちる者。好運に恵まれる者、不運に苛まれる者。元禄の世を迎えんとする日本では、発達する貨幣経済のなかで苦闘し、我が身の浮き沈みに翻弄される人々のドラマが繰り広げられていた。金銀でかなわぬものは、命だけ――あらゆる欲に取り巻かれた新興町人たちの、おかしくもどこか悲しい群像劇。まじめ過ぎる商人、ドラ息子、度を越したケチたちが、人生の何たるかを教えてくれる。井原西鶴が貞享五年(1688)四十七歳で遺した、この町人物の大傑作にして蓄財指南の書は、江戸時代を通してベストセラーとなる。

往生要集 全現代語訳
講談社学術文庫
極楽と地獄の観念はなにに根ざすのか。平安時代中期の僧・源信(942-1017)が極楽往生にまつわる重要な要素を集成した『往生要集』は、「極楽」と「地獄」の概念を明示し日本浄土教の基礎を築いた日本仏教史上最重要の仏教書である。川崎庸之、秋山虔、土田直鎮の三碩学が平易な現代語訳として甦らせた本格的決定版の文庫化。(原本:『日本の名著 第4巻 源信』中央公論社刊、1972年所収『往生要集』)
極楽と地獄。多くの日本人に浸透するこの観念は、そもそもなにに根ざすのでしょうか。
平安時代中期、「末法の世」に惑う人びとに死後の往生の方法を説くために、僧・源信(942-1017)が、膨大な経典・論疏から極楽往生にまつわる重要な要素を集成しまとめたものが『往生要集』です。
源信は同書で「極楽」と「地獄」の概念を具体的かつわかりやすく示し、死後の極楽往生のために一心に仏を想う念仏の重要性を説きます。その教えは同時代の貴族・庶民に受け入れられ日本浄土教の基礎となるとともに、文学や思想にまで影響を与え、後代の日本人に深く影響を与え続けています。
本書は川崎庸之、秋山虔、土田直鎮の三碩学が学問的精緻さを駆使し、日本仏教史上、最重要とされるこの仏教書を平易な現代語訳として甦らせました。さらに巻末に添えられた解説「源信の生涯と思想」は『往生要集』の世界のより深い理解を助けます。
浄土への道を学ぶうえで必読の書『往生要集』、本格的決定版と呼べる名著の文庫化です。
(原本:『日本の名著 第4巻 源信』中央公論社刊、1972年所収『往生要集』)

天皇の歴史9 天皇と宗教
講談社学術文庫
大和王権の大王祭祀、皇祖神を祀る伊勢神宮や大嘗祭の起源を究明。古代律令制による神祇制度の変遷を辿り、宮中祭祀の諸相を解説。鎮護国家と天皇護持の役割を担った仏教はどのように受容されたのか。皇室における神祇信仰と仏教信仰の関係を究明。大日如来と一体化する即位灌頂を行った中近世から、明治維新による変貌、国体と結びついた戦前・戦中、そして敗戦で象徴とされるまで、天皇の核心を追及する。
講談社創業100周年記念企画として刊行され、高い評価を得た全集の学術文庫版、第9巻。三輪山を神体とした大王祭祀、皇祖神を祀る伊勢神宮の起源、天武朝に始まる大嘗祭の本質などを究明。律令制で取り入れられた神祇制度の変遷を辿り、天皇手ずから神に神饌を献じる新嘗祭や神今食など宮中祭祀の諸相を解読する。祖先祭祀に代わるものとして受容された仏教は、鎮護国家の役割を果たし、やがて天皇護持の役割をも担うようになる。国家的法会や宮中仏教行事の変遷を紹介するとともに、天皇や皇族の出家、寺院でとり行われた天皇の葬礼など、天皇家と仏教の密接な関係を詳述。神事を先としつつ、仏教も統括した天皇の姿を明らかにする。廃仏毀釈を体験した明治以降、国家と宗教の問題はさまざまな問題を提起した。神道は宗教か。皇族に信教の自由はあるのか。宮中祭祀は宗教か。政教分離と民主化がもたらした皇室制度の整備とは。即位灌頂で大日如来と一体化するほど深く仏教色に染まった前近代から、現代に至る波乱の展開まで、激変した天皇と宗教の関係を追究する。
〔原本:『天皇の歴史09巻 天皇と宗教』講談社 2011年刊〕

興亡の世界史 東南アジア 多文明世界の発見
講談社学術文庫
インドと中国にはさまれて仏教とヒンドゥー教の影響を受けながら多彩な歴史を歩んできた東南アジア。なかでも一二世紀に最盛期を迎えたアンコール王朝は、巨大遺跡と仏教美術で多くの世界遺産を誇る。本書はアンコール研究に半生を捧げてマグサイサイ賞を受けた著者がアンコール王朝600年の盛衰と人々の日常生活を再現し、多彩な東南アジア諸王朝の興亡を明らかにする。東南アジア諸国の歴史と現状を理解するための必読書。
講談社創業100周年記企画「興亡の世界史」の学術文庫版。大好評、第4期の2冊目。東南アジアは、インドと中国にはさまれた地理上の位置から、双方の影響を受けながら多彩な歴史と王朝の興亡を繰り返してきた。自然に恵まれた多言語、多宗教世界の軌跡をアンコール・ワット研究に半生をささげた著者が追求。仏教やヒンドゥー教の宇宙観にもとづく寺院や王宮の建設と王朝盛衰の真相を新たに発掘された考古学上の成果から解明。遺跡に刻まれた人々の暮らしを復元するとともに、500年前、鎖国直前にアンコール・ワットを訪れた日本人の足跡を明らかにして東南アジアと日本の隠された歴史をも発掘した渾身の力作である。[原本:『興亡の世界史11 東南アジア 多文明世界の発見』講談社 2009年刊]

島原の乱 キリシタン信仰と武装蜂起
講談社学術文庫
関ヶ原合戦の記憶も遠のきつつあった1637年、彼らは突如として蜂起した。幕府や各地大名を震撼させ、12万人の大軍をもってしてようやく鎮められた大規模な一揆は、なぜ、いかにして起こったのか? 「抵抗」や「殉教」の論理だけでは説明できない核心は何か。信者のみならぬ民衆、戦国を生き抜いてきた牢人、再改宗者らが絡み合う乱の実相を、鮮やかに描き出した傑作論考! 宗教という視角から戦国時代について深く考察を続けてきた第一人者だからこそ書けた、「神国」思想と日本人という根源的な問題へと切り込む、必読の書。「島原の乱」考察の決定版。(2005年に中公新書より刊行されたものの文庫化)
【本書の内容】
民衆を動かす宗教―序にかえて
第一章 立ち帰るキリシタン
第二章 宗教一揆の実像
第三章 蜂起への道程
第四章 一揆と城方との抗争
第五章 原城籠城
第六章 一揆と信仰とつながり
学術文庫版あとがき

科学者と世界平和
講談社学術文庫
世界政府は人類の理想か、あるいは帝国主義の一つのかたちか。米国に亡命したばかりのアインシュタインと旧ソ連の科学者たちの対話「科学者と世界平和」。時空の基本概念から相対性理論の着想、量子力学への疑念、そして統一場理論への構想までを丁寧に、かつ率直に語った「物理学と実在」。二つの「統一理論」への天才の真摯な探究。(解説・佐藤優/筒井泉)
目次
科学者と世界平和
1 国連総会への公開状
2 アインシュタイン博士の考えの誤り
3 ソビエトの科学者たちへの返事
解説=佐藤優
物理学と実在
1 科学の方法についての一般的考察
2 力学とすべての物理学を力学によって基礎づけるいくつかの試み
3 場の概念
4 相対性の理論
5 量子論と物理学の基礎
6 相対性理論と粒子
解説=筒井泉

変成譜 中世神仏習合の世界
講談社学術文庫
日本中世はその精神性を措いては理解できない。熊野巡礼、修験神楽、法華経注釈、天皇の即位灌頂……神仏習合の多彩な展開を一次資料から徹底的に解読し、そこに心身と世界のドラスティックな変革=「変成(へんじょう)」という壮大な宗教運動を見出した渾身作。中世という激動の新世界、その遠大な闇と強烈な光に、日本随一の宗教思想史研究者が迫る!
*
「第一幕の舞台は、熊野街道中辺路。主人公は熊野詣の道者たち。
第二幕の舞台は、奥三河の山里、夜の神楽宿。演者は還暦を過ぎた老人たち。
第三幕の舞台は、深い海の底と南方無垢世界。主人公は八歳の龍女と水に棲む異類たち。
第四幕第一場は、宮中の高御座(たかみくら)。主人公は即位したばかりの天皇。第二場は、伊勢神宮・外宮。演者は神宮の可憐な童巫女。そして主人公のペルソナとしての金色の狐。
中世の混沌世界から生まれた、「変身」を主題とする四つのドラマ。
これらを貫く運動とは何か? またそれを影で操っていた存在とは――?」
――「プロローグ」より
此岸と彼岸、現実と非現実、神と仏の境界と習合、そして変成の謎にせまる。

天皇の歴史8 昭和天皇と戦争の世紀
講談社学術文庫
昭和天皇は、その生涯に三度、焦土に立った。皇太子として訪れた欧州の、第一次世界大戦の激戦地。摂政として視察した関東大震災。東京大空襲で焦土と化した東京。こうした体験は、「戦争と平和」をめぐる天皇の観念に何を及ぼしたのか。激動する国際情勢のなかで、天皇はどのように戦争に関わり、歴史の「動力」となっていったのか。そして、「昭和の戦争」は、平成の天皇に何を残したのか。「象徴天皇の時代」を大幅に加筆!
講談社創業100周年記年企画として刊行され、高い評価を得たシリーズの学術文庫版、第8巻。本巻では、昭和天皇とその時代を「戦争」との関わりを中心に描く。文庫化にあたり、「補章」として「象徴天皇の昭和・平成」ほか、約70ページを加筆した。
20世紀初頭の1901年に誕生した迪宮裕仁は、生涯に三度、焦土に立つ運命にあった。最初は、皇太子として訪れたヨーロッパの、第一次世界大戦の激戦地。二度目は摂政として視察した関東大震災の被災地。そして三度目は、天皇として体験した東京大空襲で焦土と化した東京である。こうした体験は、天皇の「戦争と平和」をめぐる観念に何を及ぼしたのか。激動する国際情勢のなかで、総力戦の意味を知る天皇はどのように戦争に関わり、歴史の「動力」となっていったのか。87年の生涯を通じて、苛酷な戦争と戦後の繁栄を経験した天皇が生きた「近代」という時代と、敗戦後の「退位論」浮上の背景を究明する。新たに加筆した「補章」では、近年、公開が進む「昭和天皇実録」をはじめとする新資料を通して、「昭和の戦争」が平成の天皇に残したものを検証し、「新憲法」「平和」「アメリカ」「沖縄」などの視点から、「戦後の天皇が象徴するものは何か」を考察する。
[原本:『天皇の歴史08巻 昭和天皇と戦争の世紀』講談社 2011年刊]

日中戦争 前線と銃後
講談社学術文庫
1930年代、社会システムの不調は盧溝橋事件発生へと至った。目的なきまま拡大する戦いの中、兵士たちは国家改造を期し、労働者や農民、女性は、自立と地位向上の可能性を戦争に見い出す。大政翼賛会の誕生はその帰結であった。前線の現実と苦悩、社会底辺の希望を、政治はいかにうけとめ、戦争が展開したか。統計資料から雑誌まで多彩な史料で当時日本の実像を浮かび上がらせ、日中戦争とは何だったのかを問う、著者渾身の一冊!(2007年刊『日中戦争下の日本』[講談社選書メチエ]を改題文庫化)
[本書の内容]
第一章 兵士たちの見た銃後
第二章 戦場のデモクラシー
第三章 戦場から国家を改造する
第四章 失われた可能性
第五章 「神の国」の滅亡
[本文より]
以上の帰還兵たちの考えに共通してみられるのは、戦争をとおして国内を改革し、国内の改革が新しい「東亜」を作り出すという戦争の力学への期待である。戦争の目的は、過去の平和への復帰ではなく、新しい日本の建設だった。兵士たちは、戦地の緊張を内地に持ち込み、「洗ざらしでも、サッパリとした、手垢のついていない着物を着ているような」日本に作り直す決意を固めた。
それにしてもこのような使命感を生んだ戦場とは、どのようなものだったのだろうか。彼らの戦った大陸の戦場で、何が起きていたのか。私たちはまだそのことを知らない。(第一章より)

仕事としての学問 仕事としての政治
講談社学術文庫
「職業としての学問」、「職業としての政治」の邦題で読み継がれてきたマックス・ウェーバーの二つの講演が、いま読むにふさわしい日本語で甦る。ドイツ語の原語Berufには、生計を立てることとしての「職業」という意味だけでなく、神からの「召命」や「天職」という意味も含まれる。「学問」も「政治」も単なる「職業」ではない、とはどういうことか? 今ますます切実さを増す問いに答える新たなスタンダード!
「職業としての学問」、「職業としての政治」の邦題で読み継がれてきたマックス・ウェーバー(1864-1920年)の二つの講演が、いま読むにふさわしい清新な日本語で甦る。今後のスタンダードとなる新訳、ついに登場!
なぜ本書は「職業としての」ではなく「仕事としての」という邦題を採用したのか? ドイツ語の原語Berufには、生計を立てることとしての「職業」という意味だけでなく、神からの「召命」や「天職」という意味も含まれる。つまり、この語には「……で」と「……のために」という二つの意味が込められており、「職業」という日本語では一方の意味しか表さない恐れがある。そして、この事実は今日、ますます重要性を帯びている。
第一次世界大戦が末期を迎えていた1917年11月7日の講演「仕事としての学問」では、生きることの意味の不確かさ、学問の基礎づけの不確かさのほかに、大学に就職できるかどうかの不確かさが説かれる。さらに、首尾よく大学に就職できたとしても、優れた研究者が常に評価されるわけではない、という事実がある。つまり、そこには「偶然」という要素が拭いがたく存在しており、単に「職業」としてではない意味をいかにして「学問」に見出せるのかが問われている。この問いは、ウェーバーの生きていた時代以上に、今日「学問」を志す人たちにとって切実な問題と言わざるをえない。
そして、ドイツが第一次大戦で敗れたあとの1919年1月28日に行われた講演「仕事としての政治」でも、かつての名望家が没落し、政治的リーダーの「パーソナル」な要素が強く作用するようになることで、政党政治が不確かになっていく現状が語られている。その結果、理想や理念のためではなく、ポストや利権を軸にして動く「フォロワー」たちが重要になる。これは、「ポピュリズム」が当然のこととなり、さらには「ポスト真実」が言われるようになった今日の状況にこそあてはまる。そうして、ここでも、単に「職業」としてではない意味をいかにして「政治」に見出せるのかが問われている。
古典を読むことの意味は、「今ここ」と決して切り離すことができない。そして、「今ここ」と切り結びつつ生み出された新訳でこそ、古典は読まれなければならない。

「神国」日本 記紀から中世、そしてナショナリズムへ
講談社学術文庫
われわれが漠然ととらえている「神国」という言説。しかし、元来、この思想は日本の優越性を表すものでも排他的なものでもなかった。「神国」とは何なのか――。古代から中世、近世、近現代と変容を遂げてきた神国思想の形成過程と論理構造を、史料の精緻な読解によって描き出す、日本人の精神史。既成概念を鮮やかに覆す思想史研究の意欲的な挑戦!

天皇の歴史7 明治天皇の大日本帝国
講談社学術文庫
幕末の混乱の中で皇位に就いた16歳の少年は、伊藤博文ら元勲たちと信頼関係を結び、「建国の父祖」の一員へと成長していった。京都を離れて江戸城跡に新宮殿を構え、近代憲法に存在を規定された天皇の政治への意志とは。復古の象徴、神道の主宰者でありながら、髷を切り、軍服を着た「欧化」の体現者。洋装の皇后とともに巡幸と御真影でその姿を見せ続け、国民国家の形成期に「万国対峙」を追求した「我らの大帝」の実像を描く。
講談社創業100周年記年企画として刊行され、高い評価を得たシリーズの学術文庫版、第7巻。本巻では、明治天皇から大正天皇まで、近代国家建設期における天皇の役割を検証する。
「王政復古の大号令」の夜、小御所会議で「幼冲の天子」と揶揄された16歳の少年は、その後、伊藤博文ら元勲たちと信頼関係を結び、「建国の父祖」の一員として自ら重要な決断を下していく。幕末の混乱のなかで皇位につき、現実政治の厳しさに直面した若き天皇は、いかに鍛えられ、成長していったのか。生身の政治家としての成長を追う。
また、京都の公家社会を離れて東京にうつり、新たに「宮中」を創設した明治天皇は、最初の「東京の天皇」であり、復古の象徴であると同時に、欧化の体現者でもあった。和風建築でありながら、儀礼の空間は洋風に装飾された明治宮殿。国学的な尊王論に支えられた神道の主宰者ながら、髷を切り、西洋料理を食した天皇は、歴史上初めて、「憲法」というものによってその地位を規定された存在であった。
そして、明治以前の天皇が、決して人々の前に姿を見せなかったのに対し、明治天皇は全国への巡幸や「御真影」で国内外にその存在をアピールしていく。洋装の皇后も天皇とともに姿を見せ、慈善活動や女子教育に新たな役割を見出す。西南戦争を経て、国会開設から日清・日露戦争へと向う国民国家建設の時代は、この国に住む人々に「我らの天皇」という意識が生まれてきた時代だった。[原本:『天皇の歴史07巻 明治天皇の大日本帝国』講談社 2011年刊]

興亡の世界史 人類文明の黎明と暮れ方
講談社学術文庫
ヒトの誕生から古代地中海世界まで、長大な文明史の「見取り図」を示す。最初の都市文明・シュメール、従来の文明観に変更を迫る「古代アンデス文明」、著者自身が近年手掛けたローマ帝国の新たな遺跡など、文明・文化の「多様性」に着目。いくつもの危機を乗り越え、環境に適応し、地球上のあらゆる陸地に拡散して文明を築いた人類の未来は。廃墟と化した遺跡には、私たちの現在を知り、これからを考えるヒントが隠されている。
講談社創業100周年記企画「興亡の世界史」の学術文庫版。大好評につき、第4期刊行スタート。その1冊目は、東大名誉教授で、国立西洋美術館長、文化庁長官などを歴任した著者が、ヒトの誕生から古代地中海世界にいたる長大な文明史の「見取り図」を示す。
著者の青柳正規氏は、この40年あまり、おもにイタリアの遺跡の発掘に携わり、文明を「手触り」で理解してきた。本書では、メソポタミアの最初の都市文明・シュメールや、従来の文明観に大きな変更を迫っている「古代アンデス文明」、著者自身が近年手掛けているローマ帝国の遺跡・ソンマ=ヴェスヴィアーナの最新成果など、文明・文化の「多様性」に着目し、人類の歴史の大部分を占める「古代」を通観する。
約600万年前、直立二足歩行へと移行した人類には、多くのリスクが待ち構えていた。ホモ・エレクトゥスとホモ・サピエンスによる2度の「アウト・オブ・アフリカ」、現生人類に近い思考能力を持ちながら絶滅したネアンデルタール。我々は、いくつもの危機を乗り越え、環境に適応し、地球上のあらゆる陸地に拡散し、農耕というイノベーションを経て、文明を築くようになったのである。
では、「文明の進歩」を測る物差しは何か。現代人はなぜ、過去への時間認識が縮小し、「歴史」への感覚が鈍ってしまったのか――。廃墟と化した遺跡には、私たちの現在を知り、未来を考えるヒントが隠されている。[原本:『興亡の世界史00 人類文明の黎明と暮れ方』講談社 2009年刊]

意識と自己
講談社学術文庫
何かを見る、聞く、触るなどによって身体的変化が生じ、情動を誘発する。この身体状態は脳内で神経的に表象され、感情の基層となる。では、感情はどのようにして「私」のものと認識されるのか。意識はそのときどのように立ち上がり、どう働くのか。ソマティック・マーカー仮説、情動と感情の理論を打ち立てた著者が解明する「感情の認識」という問題。哲学にも通じた世界的脳神経学者の名著。
ダマシオは1990年代から、2000年代2010年代と、神経科学を基盤として身体、脳、心に関する刺激的な著作をつぎつぎに発表し、哲学者たちの問題設定に大きな影響を与える一方、世界中に非常に多くの読者を持つ科学者。
ダマシオの考え方の基本は、心も、情動や感情も、意識も自己も、進化のなかで生存に有利だから発達してきたということで、彼がまず重視するのは「身体」。
ダマシオはfeeling(感情)といいemotion(情動)と言いますが、その言葉によって彼が意味するところは一般的・常識的な会話のなかでの意味と微妙にズレているようです。ダマシオの言う「情動」とは、動物や人間のような有機体が何かを見る、聞く、触る、想像するなどしたとき、なにがしかの心の評価的プロセスが起こり、それが、同時にもたらされた身体的反応と組み合わされたもの。
一方、こうした情動的身体状態は神経信号や化学信号によって有機体の脳に報告され、脳の中で神経的に表される。これが「感情」。しかし、表象が脳の中に形成されること、すなわち有機体が感情を持つことと、有機体が「感情を感じること」とは違うというのがダマシオの議論の重要なポイントです。
生存のために働いているのが情動ですが、情動は意識されることなく、いわば自律的に働いています。暑いときに汗を流すのが情動の役割だとすれば、もっと涼しいところへ移動するという行為を取らせるための仕組みがfeeling感情だというのがダマシオの言葉の意味するところです。
そして、その「感情を感じること」「感情を認識すること」のために決定的な役割を果たすのが「意識」であるというのがダマシオの議論の構造となります。
本書は、身体的変化と情動から感情が生まれ、感情の表象が自己を表象するきっかけとして、「意識」が働き始め、心というものが信じられるようになるという一つのストーリーを、神経科学の立場から。本書は『無意識の脳 自己意識の脳』(講談社刊 2003年)を原本とし、文庫化にあたり改題しました。

社会学的方法の規準
講談社学術文庫
マックス・ウェーバーと並ぶ社会学の祖エミール・デュルケーム(1858-1917年)が1895年に世に問うたマニフェストの書、待望の新訳。『社会分業論』(1893年)で名を馳せたデュルケームは、その2年後、社会学に固有の対象である「社会的事実」の存在を宣言し、それを扱う方法を提示する。本書が与えた影響は計り知れない。この古典中の古典を第一級の専門家が明快な日本語にした決定版が完成!
本書は、マックス・ウェーバーと並ぶ社会学の祖エミール・デュルケーム(1858-1917年)が1895年に世に問うたマニフェストの書、待望の新訳である。
ユダヤ人として生まれ、パリ高等師範学校で学んだデュルケームは、客観的な事実に基づいた実証科学としての社会学の確立のために邁進した。その最初の成果が『社会分業論』(1893年)であり、それに続く本書『社会学的方法の規準』は原理の書にほかならない。
本書でデュルケームは、社会学に固有の対象であり、また社会学によってしか取り出すことのできない対象の存在を宣言する。それが「社会的事実」というものだった。
私たちは当たり前に「社会」という言葉を使うし、社会というものが実在していると考えている。だが、実のところ、社会とは何だろうか。言うまでもなく、社会を構成しているのは複数の個人である。しかし、個人を足し算した総和がそのまま社会ではない、とデュルケームは言う。それは個に分割することができない「生物有機体たる一全体」であり、物として扱うことができる「客観的実在」である。この意味での「社会的事実」こそ、近代的な社会学に固有の対象にほかならない。
「社会的事実」の存在を高らかに宣言し、それを扱うための方法を明確に提示した本書は、社会学はもちろんのこと、多方面に多大な影響を及ぼした。機能主義やシステム論、エスノメソドロジーは、デュルケーム社会学を源泉としている。マルセル・モースを経てクロード・レヴィ=ストロースに至る人類学の系譜もまた、デュルケームから生じた。
こうして「古典」としての地位を不動のものにした書を、第一級の専門家が分かりやすく正確に翻訳する。まさに本書は「決定版」の名にふさわしい1冊である。