講談社選書メチエ作品一覧

セックス・イン・ザ・シー
セックス・イン・ザ・シー
著:マラー・J・ハート,訳:桑田 健
講談社選書メチエ
2016年に出版され、大ベストセラーとなった話題の書、ついに邦訳刊行! 海の生物たちがどんなセックス・ライフを送っているのか、知っていますか? サンゴ礁の専門家が書いた本書では、さまざまな海中生物の性生活がドラマチックかつロマンチックに描き出されます。印象的なロブスターについてのくだりから。 「オスの前に立ったメスは、厳かにはさみを持ち上げ、オスの肩にそっと触れ、続いてもう片方の肩に対しても同じ動作を繰り返す。この合図は何らかのメッセージを伝えているように思われる――「今さら私を捨てたりしないでね」と。向かい合ったオスとメスは、互いに大量の「黄金シャワー」を浴びせる。その後、メスは隠れ家の奥に移動し、脱皮に移る。 メスの脱皮には最長で一時間あるいはそれ以上を要するが、メスが最後まで残った殻を脱ぎ捨ててからちょうど三〇分後、本番が始まる。ロブスターの交尾の様子は驚くほどロマンチックだ――ただし、時間は短い。メスの魔法にかかったかつての暴君は、心優しい恋人に変貌する。メスの脱皮が終わるとすぐ、オスは閉じたはさみを海底につけ、覆いかぶさるような姿勢でまだ体のやわらかい相手を守り、時には触角でそっとさすってやる」。 ──人間の男女間で繰り広げられるドラマと見紛うばかりです。本書では驚きを誘う海中生物の姿が次々に紹介され、飽きることがありません。 しかし、著者は単に興味本位で本書を書いたわけではないことが徐々に分かってきます。 「私たちが魚を食することができるのは、その魚の餌になる微小な甲殻類が短い周期で繁殖してくれるおかげだ。……――その豊かさの源にあるのが、たくさんのセックスなのだ」。 そして、著者はこう断言するのです。 「海における性の営みが破綻すれば、人間も破綻する。水中で何が起きているのかを知ることが、地上の私たちにとって大切なのはそのためだ」。 興味を惹かれる「セックス」という入口から入って、とりわけ日本人にとっては欠かせない食物を提供してくれる海の大切さを認識すること。そして、海の生物たちを守ることに思いを致すこと。本書は、そんな大きなテーマにいざなってくれる、忘れられない1冊になるでしょう。
乱歩と正史 人はなぜ死の夢を見るのか
乱歩と正史 人はなぜ死の夢を見るのか
著:内田 隆三
講談社選書メチエ
我々の現代性の黎明期、日中戦争の前/日米戦争の後、江戸川乱歩と横溝正史――二人は探偵小説の夢を創造する。個人の日常生活を成立させるリアリズムの場に深い〈穴〉があき、あるいはリアリズムの〈場〉が〈死者〉の声に触れて崩れるとき、人間に関わる真実が独特の顔をして垣間見えることがある。だが、この真実を表象する手段は限られている。乱歩と正史はこの真実を寓喩――殺人とその不可能図形によって描き出す。 我々の現代性の黎明期、日中戦争の前/日米戦争の後、江戸川乱歩と横溝正史――二人は探偵小説の夢を創造する。 個人の日常生活を成立させるリアリズムの場に深い〈穴〉があき、あるいはリアリズムの〈場〉が〈死者〉の声に触れて崩れるとき、人間に関わる真実が独特の顔をして垣間見えることがある。 だが、この真実を表象する手段は限られている。乱歩と正史はこの真実を寓喩――殺人とその不可能図形によって描き出す。
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アーレント 最後の言葉
アーレント 最後の言葉
著:小森 謙一郎
講談社選書メチエ
1975年12月4日にニューヨークの自宅で急逝したハンナ・アーレント。その机の上に置かれたタイプライターには数行が印字された1枚の紙が残されていた。ライフワークとなる三部作『精神の生活』の掉尾を飾るはずだった本のタイトルに続いて二つの銘が引用されて途絶えたアーレント最後の言葉は何を意味しているのか? わずかな手がかりを頼りに挑む探索の旅は、アーレントの出自と絡み合いながら、謎の真相に迫っていく。 1975年12月4日、ニューヨークの自宅で、ハンナ・アーレントが急逝した。享年69。死因は心臓発作だった。 自室の机に置かれていたタイプライターには1枚の紙がかかっており、そこに何行か印字されていることが、すぐに気づかれた。 その第1行には「判断(JUDGING)」とある。これはアーレントの遺著となった未完の三部作『精神の生活』の第三部の書名であることがヘッダーの部分に記されている。この大著の第一部「思考」と第二部「意志」は原稿がほぼ完成した形で残されていたため、死後出版された。しかし、第三部「判断」のためにアーレントが執筆した言葉は、この1枚だけである。 その紙片には、タイトルに続いて二つの銘が置かれ、そこで途絶えている。 第一の銘として引用されているのは、ローマ帝政初期の詩人ルカヌス(39-65年)の『内乱』の一節。表題のとおり、これはカエサルとポンペイウスの対立を軸とするローマの内乱を描いた作品である。そして、第二の銘として引用されているのは、ゲーテ(1749-1832年)の長編詩劇『ファウスト』の一節である。 タイトルと二つの銘だけから成るこの最後の言葉は、いったい何を意味しているのか? 二つの銘が並べて引用されていることの意味は何か? そして、このような始まりとともに執筆が開始されたライフワークの最終作は、どんな書物になるはずだったのか? 手がかりはあまりに乏しいように見える。しかし、著者はここにあるルカヌスの一節をアーレントが人生の中で何回も(少なくとも8回は)引用してきたことに気づく。その一つ一つを丹念に調査し、それぞれの箇所でこの一節に付与された意味を読み解いていくと、アーレントの出自と結びつく問題系に結びついていることが見出された。それは同時に、アーレントにとって決して消せない影響を与えた男たち──クルト・ブルーメンフェルト、カール・ヤスパース、そしてマルティン・ハイデガーの記憶と交錯し、ゲーテから引用された第二の銘とも関わっていることが明らかになっていく。 アーレントが残した謎を解き明かしていく本書は、その過程で通説とされてきた伝記上の事実をも鮮やかに覆し、これまで誰も知らなかったアーレントの姿を描き出す。気鋭の著者によるスリリングにして刺激的な論考!
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モンゴル帝国誕生 チンギス・カンの都を掘る
モンゴル帝国誕生 チンギス・カンの都を掘る
著:白石 典之
講談社選書メチエ
13世紀にユーラシアの東西を席巻したモンゴル帝国。その創始者、チンギス・カンは、質素倹約、質実剛健なリーダーだった。それを物語るのが、著者が近年、発掘成果をあげているチンギスの都、アウラガ遺跡である。良質の馬と鉄を手に入れ、道路網を整備することで、厳しい自然環境に生きるモンゴルの民の暮らしを支え続けたチンギスの実像を、さまざまな文献史料と、自然環境への科学的調査を踏まえ、気鋭の考古学者が描く。 13世紀にユーラシアの東西を席巻し、その後の世界史を大きく転換させたモンゴル帝国。ヨーロッパが世界を支配する以前に現出した「パックス・モンゴリカ」時代の、人類史における重要性は、近年、広く知られるようになった。しかし、ではなぜ、ユーラシア中央部に現れた小さな遊牧民のグループ、モンゴルにそれが可能だったのか、また、その創始者、チンギス・カンとは、いったいどんな人物だったのか、まだ多くの謎が残されている。本書では、20年以上にわたってモンゴルの遺跡を発掘し続けている著者が、この謎に挑む。 著者がフィールド・ワークから実感するチンギス・カンは、小説などでよく描かれる、果てしない草原を軽快に疾駆する「蒼き狼」、あるいは金銀財宝を手にした世界征服者――というイメージとは異なり、むしろ質素倹約を旨とする質実剛健なリーダーだという。その姿を明らかにしつつある近年の著者の発掘成果が、チンギスの都と目されるアウラガ遺跡である。 チンギスは、ただ戦争に明け暮れるだけでなく、この都をひとつの拠点に、良質の馬と鉄を手に入れ、道路網を整備していった。つまり、産業を創出し、交通インフラを整えることで、厳しい自然環境に生きるモンゴルの民の暮らしを支え続けたのである。その「意図せぬ世界征服」の結果として出現したのが、イェケ・モンゴル・ウルス=大モンゴル国、いわゆるモンゴル帝国であった。 さまざまな文献史料と、自然環境への科学的調査を踏まえ、気鋭の考古学者が新たに描き出すモンゴル帝国とチンギス・カンの実像。
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忘れられた黒船 アメリカ北太平洋戦略と日本開国
忘れられた黒船 アメリカ北太平洋戦略と日本開国
著:後藤 敦史
講談社選書メチエ
アメリカ海軍はペリーの他にもうひとつの艦隊を派遣していた。司令長官は海軍大尉ジョン・ロジャーズ。「ペリーとハリスのあいだ」の「ロジャーズ来航」は黙殺され、まさに「忘れられた黒船」といっていい。それはいったいなぜなのか? 本書は、これまでほとんど本格的に検証されることのなかった測量艦隊の、具体的な来日の経緯と国際環境について明らかにし、日本開国の事情をこれまでとは異なる観点で描きなおすことをめざす。 現在の日本史学は、ペリー来航を実際以上に過大評価しているといわざるをえない。これが、本書の立場です。ペリー来航が日本史にとって重大な歴史的事件であったとしても、それがそのままアメリカ外交の歴史にとっても重大な事件であったことを意味するわけではありません。にもかかわらず、日本人あるいは日本史の研究者は、ペリー艦隊の派遣がアメリカ外交史上でも重大事件であると思いこんでいたのではないでしょうか。  アメリカにとって最大の目的は、東アジア貿易でイギリスに対抗すること、その手段として太平洋蒸気船航路を開設することにありました。だからこそ、その航路上に位置する日本列島が、石炭補給地、遭難時の避難港、そして新市場として着目されたわけですが、それはいわば「点」にすぎません。ペリーがやったことは「点」の確保であり、続く「航路=線」の開拓の模索がなければなりません。そして合衆国はたしかに、ペリー艦隊の派遣以外にも手を打っていたのです。  アメリカ海軍は日本近海も含めた北太平洋海域一帯の測量を目的に「北太平洋測量艦隊」を派遣していました。司令長官は海軍大尉ジョン・ロジャーズ。この艦隊は1853年6月にアメリカ東海岸のヴァージニア州ノーフォークを出航しました(その7ヵ月前に、ペリー艦隊が日本へ向けてまさに同じ場所から出航)。さらに1854年12月には鹿児島湾、翌1855年5月には下田、そして6月に箱館を訪れています。しかも下田では、幕府に向けて日本近海測量の認可を求めるということもおこなっているのです。老中阿部正弘以下の幕閣は驚愕し、じつは開戦も辞せずという瀬戸際にまで追いこまれました。  日本開国にかかわる幕末外交史研究において、この艦隊について検討されたことはほとんどありません。ペリーおよび1856年に来日した初代総領事ハリスについては必ず言及されますが、まさに「ペリーとハリスのあいだ」の「ロジャーズ来航」はごく一部の研究者に知られるのみで黙殺されたかっこうであり、まさに「忘れられた黒船」といっていいのです。それはいったいなぜなのか……?  本書は、これまでほとんど本格的に検証されることのなかった測量艦隊の、具体的な来日の経緯と国際環境について明らかにし、日本近代外交の起点ともいうべき開国の歴史を、これまでとは異なる観点で描きなおすことをめざす。
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フラットランド たくさんの次元のものがたり
フラットランド たくさんの次元のものがたり
著:エドウィン.アボット・アボット,訳:竹内 薫,写真:アイドゥン・ブユクタシ
講談社選書メチエ
2次元=平面世界(フラットランド)の住人に、3次元=空間世界(スペースランド)はどう映るのか? 4次元以上の世界は、どう想像できるのか?「次元」の本質をとらえた古典的名著、待望の新訳!アイドゥン・ブユクタシによる3次元の外へ誘う写真シリーズ《フラットランド》 特別収録 2次元=平面世界(フラットランド)の住人に、3次元=空間世界(スペースランド)はどう映るのか?  4次元以上の世界は、どう想像できるのか? 「次元」の本質をとらえた古典的名著、待望の新訳! アイドゥン・ブユクタシによる3次元の外へ誘う写真シリーズ《フラットランド》 特別収録
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ジャズ・アンバサダーズ 「アメリカ」の音楽外交史
ジャズ・アンバサダーズ 「アメリカ」の音楽外交史
著:齋藤 嘉臣
講談社選書メチエ
本書は国際政治史のなかでジャズが果たした特異な機能を考察し、ジャズが国際政治と共振しながら織りあげた歴史の実像に迫ります。戦争、冷戦、デタント、平和運動、イデオロギー、民主化、脱植民地化、人種、異文化対話といった、アメリカ内外の政治的ダイナミズムが交錯するところにジャズはあり、それを問うことはジャズとアメリカとの関係を脱構築することになるでしょう。 ジャズは自由の母国としてのアメリカを象徴する音楽と理解されてきました。そして20世紀後半の国際政治を大きく規定した東西イデオロギー対立のなかでジャズには重要な位置が与えられたのです。アイゼンハワー政権下、米国務省はアメリカを代表するミュージシャンたちを「ジャズ大使」として世界各地に派遣。彼らは、アジア、アフリカ、南米や共産圏の各地で観客を熱狂の渦に巻きこみます。デューク・エリントン、ルイ・アームストロングやサラ・ヴォーンら多くのスターたちが参加したこの壮大な計画の目的は「アメリカ」を宣伝することにありました。 しかし、ジャズには同時に「アメリカ」批判、抵抗の音楽としての側面があります。人種隔離からみずからの解放と自由を求める人びとにとって、ジャズを演奏することはすなわち、抑圧的社会に抗議の意思を表明する象徴的行為でした。ジャズが重視する即興性は、譜面が求める規律に抵抗するものです。すなわちジャズにはこの二面性、つまり自由な自己表現を追求する側面と、抵抗の文化としての側面が内包されているのです。その抵抗の矛先がアメリカ自体に向かうとき、ジャズは反米の意思表明媒体となります。たとえば第二次世界大戦後のフランスがそうであったように。サルトルら実存主義の思想家は、思想を体現するものとしてジャズを捉え、アメリカ批判の論陣を張りながらジャズを積極的に受容しました。 さらにジャズは「連帯」をうながす媒体ともなります。アメリカから派遣される「ジャズ大使」たちは政府の思惑を超えてファンとのあいだに多様な共感を生んだし、共産圏に生きるミュージシャンやファンも国境横断的な連帯の輪を独自に広げました。今日のジャズに期待されているのも、異文化対話をうながし人びとのあいだのつながりを導く連帯の哲学です。 本書は国際政治史のなかでジャズが果たした特異な機能を考察し、ジャズが国際政治と共振しながら織りあげた歴史の実像に迫ります。戦争、冷戦、デタント、平和運動、イデオロギー、民主化、脱植民地化、人種、異文化対話といった、アメリカ内外の政治的ダイナミズムが交錯するところにジャズはあり、それを問うことはジャズとアメリカとの関係を脱構築することになるでしょう。
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アダム・スミス 競争と共感、そして自由な社会へ
アダム・スミス 競争と共感、そして自由な社会へ
著:高 哲男
講談社選書メチエ
なぜ今、アダム・スミスなのか――。自由競争の理念を掲げて豊かさを追求する社会を論じる『国富論』と、他者への「共感」が社会形成にもたらす作用を説く『道徳感情論』。彼が残した二冊の主著を一貫した思想としてとらえ、両書の流れと呼応を俯瞰することで見えてくる、その思想の全体像。原典の新たな読み直しによって、誤解されてきた「近代経済学の父」の真の姿を明らかにし、閉塞する現代社会を超克する指針をしめす!
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物語論 基礎と応用
物語論 基礎と応用
著:橋本 陽介
講談社選書メチエ
動物もコミュニケーションを行うが、物語を語れるのは人間だけである。「物語」とは、人間の言語活動に特徴的かつ本質的なものである。では、ここでいう「物語」とはいったい何か――。フランス構造主義の物語論を中心に、その理論を紹介しつつ、カフカ、田山花袋、マルケスから、「シン・ゴジラ」「エヴァンゲリオン」「この世界の片隅に」まで、具体的なテクストを分析し、物語そのものの構造を論じ、設計図を明らかにしていく。 私たちは常に、物語に囲まれて生きている。小説や漫画などのフィクションが「物語」なのはもちろん、著者によれば、スポーツ中継や日々のニュース、歴史叙述も「物語」だという。では、ここでいう「物語」とは何か。どういう性質をもつものなのか――。これを論じてきた理論が物語論(ナラトロジー)である。 動物もコミュニケーションを行えるが、物語を語れるのは人間だけである。その意味では、物語とは、人間の言語活動に特徴的かつ本質的なものである。しかし、「物語」というと、これまでは往々にして、作者の意図や作品の社会的背景、歴史的意味の解釈にのみ、力点がおかれていた。本書でいう「物語論」はそうではなく、言語学や文体論を用いながら、物語そのものの構造を論じ、設計図を分析していく。 第一部では、フランス構造主義の物語論を中心に、その理論を紹介し、第二部では、カフカ、田山花袋、ボルヘスから、「シン・ゴジラ」「エヴァンゲリオン」「この世界の片隅に」まで、具体的なテクストを分析し、私たちの現実認識が、物語の仕方によっていることを明らかにしていく。
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ヨハネス・コメニウス 汎知学の光
ヨハネス・コメニウス 汎知学の光
著:相馬 伸一
講談社選書メチエ
ヨーロッパの知られざる巨人ヨハネス・アモス・コメニウス(1592-1670年)。近代教育学の祖とされるこの人物が示した無限の広がりを一望する初の本格的概説書! 哲学者として、宗教家として、そして政治家として、ヨーロッパを舞台に縦横無尽の活動を繰り広げたコメニウスを支えたものは何か? 世界のあらゆる事象を把握しようとするコメニウスの「汎知学(パンソフィア)」の構想を「光」をキーワードにして読み解く。 本書は、ヨーロッパの知られざる巨人ヨハネス・アモス・コメニウス(1592-1670年)の全貌を明らかにする本格的概説書である。日常生活の中で知らないことに出会ったとき、私たちはインターネットを開いて検索する。その時その場のニーズに合わせて無数にある情報にアクセスできるが、この「参照」という行為を意識することはほとんどない。しかし、歴史を振り返れば、誰もがさまざまな情報を自由に参照できるようになったのは、つい最近のことにすぎないことに気づく。そして、それを可能にした人こそコメニウスだった。 『世界図絵』(1658年)を開けば、150項目に分類された多岐にわたる事象が取り上げられ、それぞれの項目に対応した絵が挿入されているのを目にする。コメニウスは言う。この書で示したのは「世界全体と言語のすべての概要」である、と。それを手軽に学べるようにすることこそ、コメニウスが実現したものである。それゆえ彼は近代教育学の祖とされるが、しかしコメニウスをある学問領域に押し込めては理解できない。 「世界全体と言語のすべて」を把握しようとした背景には、コメニウスがヤン・フス(1370頃-1415年)の系譜に連なる神学者だったという事実がある。自身の内面に向かう宗教を捉えるとき、コメニウスは社会への視点を忘れなかった。そうして内面と社会のあいだで揺れる姿を描き出したのが、小説『地上の迷宮と心の楽園』(1631年)である。「迷宮」としての「地上」の世界で、いかにして「心の楽園」を実現するのか。その問いに導かれて、コメニウスは実際にさまざまな社会の問題に関与していく。ヨーロッパを遍歴しながら数多くの君主との関係が生まれ、政治的活動を行った。こうした多様な活動を支えていたのが哲学である。ルネサンスの諸学問に取り組んだコメニウスは、あらゆる事柄を独自の世界観で再構成した知の体系を構想し、それを「汎知学(パンソフィア)」と呼んだ。それは『人間的事柄の改善についての総合的熟議』という大著に結実する。 このように多様で巨大な存在であるコメニウスを、著者は「光」をキーワードにして読み解いていく。人間は世界から光を受け取り、みずからもまた光を発する存在である。無数の光が飛び交うこの世界の中に「心の楽園」を築き上げること。困難に満ちた世界の中で、この偉人を知ることには絶大な意味がある。
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氏神さまと鎮守さま 神社の民俗史
氏神さまと鎮守さま 神社の民俗史
著:新谷 尚紀
講談社選書メチエ
日ごろ意識することは少なくとも、初詣や秋祭り、七五三のお宮参りと、私たちの日常に神社は寄りそっている。我々にとって、神とは、そして日本とはなにか? 民俗調査の成果をふまえ、ごくふつうの村や町の一画に祭られる「氏神」や「鎮守」をキーワードに、つねに人びとの生活とともにあった土地や氏と不可分の神々や祭礼を精緻に探究。日本人の神観念や信心のかたちとしての神や神社の姿と変容のさまを、いきいきと描き出す。
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コンスタンツェ・モーツァルト 「悪妻」伝説の虚実
コンスタンツェ・モーツァルト 「悪妻」伝説の虚実
著:小宮 正安
講談社選書メチエ
音楽学者にして熱烈なモーツァルト崇拝者でもあったアルフレート・アインシュタイン(1880~1952)はモーツァルトの妻・コンスタンツェを、はっきりと「琥珀のなかの蠅」呼ばわりしました。ご馳走と見ればすぐさまそれにたかりにくる醜く、汚らわしく、うっとうしい存在。天才の妻として、なぜこれほどまでに、コンスタンツェは否定的なまなざしで受けとめられねばならなかったのか? 音楽学者にして熱烈なモーツァルト崇拝者でもあったアルフレート・アインシュタイン(1880~1952)はモーツァルトの妻・コンスタンツェを、はっきりと「琥珀のなかの蠅」呼ばわりしました。ご馳走と見ればすぐさまそれにたかりにくる醜く、汚らわしく、うっとうしい存在。そのような存在が、琥珀のようなモーツァルトと密接にかかわったからこそ、彼女は人びとの記憶に残るようになったのだというきわめて否定的な見解が、彼の言にはあらわれています。  なぜこれほどまでに、コンスタンツェは否定的なまなざしで受けとめられてきたのか?  この疑問を解くべく、本書ではまず、コンスタンツェの実家であるウェーバー家、および彼女の生涯を概観します。ただし、右の事柄についての資料はけっしてじゅうぶんとは言えず、まだ多くの点が謎に包まれていることは、先にお断りしておきましょう。またそのような状況に置かれている対象を前に、その人物の善し悪しに関して断定的な評価を下すつもりもありません。むしろアインシュタインの評伝を一例としてさまざまなバイアスがかけられた彼女の人生に関し、可能なかぎりその真実の足取りを再構成してみたいのです。  そして──ここからがこの本の真の目的となるのですが──、彼女が数あるモーツァルト伝やモーツァルト関係のメディアにおいて、どのように描かれ、どのように評価されてきたのかを追ってゆきます。なぜアインシュタインは彼女を「蠅」と呼んだのか、なぜ彼女はヨーロッパからみれば遥か東の島国においてさえ「悪妻」というレッテルを貼られるようになったのか。コンスタンツェに関する受容史を探るのが、じつは本書最大の狙いにほかなりません。  それにしても、人はコンスタンツェにいったいなにを見てきたのでしょう? またそのような視線のなかに、人はどのような想いをこめてきたのでしょう? 「悪妻」と呼ばれつづけてきたひとりの女性をめぐって、人間の抱える複雑な羨望と嫉妬、それぞれの置かれた時代相が解き明かされてゆくはずです。(序章を抜粋要約)
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共同体のかたち イメージと人々の存在をめぐって
共同体のかたち イメージと人々の存在をめぐって
著:菅 香子
講談社選書メチエ
グローバル市場経済の秩序が政治に優先されるなか、人間は国民国家内部では表象されえず、市場の「リソース」となる。一方でそれと同期して現れる「エクスポジション」と呼ぶべきアート群。共同性を表象する効果を担ったイメージ(像)は失われたのか。結びつきの根拠が揺らいでいる状況のなか、共同体はどこに見出せるのか。アートの機能とナンシー、アガンベンなどの思想から、人間と共同性の関係を考察。 グローバル市場経済の秩序が政治に優先されるなか、人間は国民国家内部では表象されえず、市場の「リソース」となる。一方でそれと同期して現れる「エクスポジション」と呼ぶべきアート群。 共同性を表象する効果を担ったイメージ(像)は失われたのか。結びつきの根拠が揺らいでいる状況のなか、共同体はどこに見出せるのか。 イメージの機能やナンシー、アガンベン、エスポジトなどの思想を参照し、いまや「剥き出しの生」となった人間の存在様態を考察する。
電子あり
意思決定の心理学 脳とこころの傾向と対策
意思決定の心理学 脳とこころの傾向と対策
著:阿部 修士
講談社選書メチエ
生きるとは意思決定の連続だ。本書は心理学と脳科学の最新の研究から、さまざまな具体的事例や実験の結果を紹介しながら、意思決定のメカニズムを探る。情動と理性という対立する「こころのはたらき」に注目する二重過程理論。マシュマロテスト、損失回避性、疲労、ブドウ糖、依存症などなど、意思決定のメカニズムと影響を与える要因を徹底的に検証。わかっているようで実はよくわからない、自分の「こころ」を知るための必読書。 ケーキを食べるか? 休日に何をするか? 投資先をどこにするか? 人間関係を円滑にするためにどう行動するか? 生活は意思決定の連続です。あるときは上手く意思決定ができ、あるときは失敗する。あるときはすぐに決まるのに、あるときはなかなか決められない。なぜでしょうか? 本書は心理学と脳科学の最新の研究から、さまざまな具体的事例や実験の結果を紹介しながら、わたしたちの意思決定のメカニズムを探っていきます。 情動と理性というふたつの対立する「こころのはたらき」に注目する二重過程理論がバックボーンになっています。 マシュマロテスト、トロッコジレンマ、歩道橋ジレンマ、損失回避性、疲労、ブドウ糖、依存症などなど、意思決定のメカニズムと影響を与える要因を徹底的に検証します。 脳とこころの癖や傾向を知っておくことで、わたしたちはよりよい意思決定が可能になります。 わかっているようで実はよくわからない、自分の「こころ」を知るための必読書です。
電子あり
天皇と和歌 国見と儀礼の一五〇〇年
天皇と和歌 国見と儀礼の一五〇〇年
著:鈴木 健一
講談社選書メチエ
1500年に及ぶ天皇と和歌の「多彩で強固な関係」を通観する。『万葉集』の巻頭、少女への恋心を歌う雄略天皇の作に読み取れる、敵対者との抗争。平安時代から編まれた21もの勅撰集。戦国乱世の「古今伝授」。幕末の尊王運動への影響。明治天皇は、厖大な数の歌を詠むことで「国民国家の元首」となり、日米開戦を目前にした昭和天皇は御前会議で祖父の御製を読み上げた。「和歌」という視点から描く、異色の「天皇の歴史」。 毎年正月に宮中で開かれる歌会始では、全国から進献される2万首もの歌の中から選ばれた「優秀作」と、皇族たちの作が厳かに披露される。近年では、大震災の被災者や、ペリリュー島の戦いに斃れた人々に思いを寄せた明仁天皇の歌が詠まれた。ではなぜ、天皇は代々、歌を詠み、歌会を開き、歌集を編んできたのだろうか。1500年におよぶ天皇と和歌の「多彩で強固な関係」を通観する。 和歌という表現形式が万葉以来の命脈を保つことができたのは、狭義の文学表現としてのみ存在したのではなく、政治や宗教とも結びつきうる「儀礼」としての性格もあったからだと考えられるという。 誰もが知る百人一首は、天智天皇の歌が巻頭におかれ、『万葉集』は雄略天皇の歌で始まる。雄略天皇の歌には、少女への恋心が謳われるが、そこには武力に長じた征服者の、ライバルたちとの抗争が読み取れるという。平安時代から500年以上にわたって編纂された21もの勅撰和歌集では、多くの歌人が勅撰、すなわち天皇に選ばれることを熱望し、賄賂を用意した。そして鎌倉時代以降は、勅撰集の編纂にも武家が大きく関与し、南北朝時代には、歌道も二つに分裂した。さらに、戦国乱世の秘伝「古今伝受」、江戸時代の宮廷歌壇の活性化、幕末の尊王運動に与えた影響……。 近代に至ると、厖大な数の歌を詠んだ明治天皇は、それが世上に流布されることで「国民国家の元首」としての地位を固め、日米開戦を目前にした昭和天皇は御前会議で祖父の御製を読み上げた――。 これまでの日本社会にとって、天皇とはどんな存在だったのか。「和歌」という視点からそれを検討していく、異色の「天皇の歴史」。
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俗語発掘記 消えたことば辞典
俗語発掘記 消えたことば辞典
著:米川 明彦
講談社選書メチエ
メッチェン、モダンガール、ニコポン、人三化七、土曜夫人、ヤンエグ、アッシー君……消えて行った日本語=死語、そのなかでも一段品の落ちる単語=俗語ばかりを収録。辞典風に五十音順に並べ、さらに詳細な説明や派生を加えた。俗語研究の第一人者による、ひとつの近代日本史。 消えて行った日本語=死語、そのなかでも一段品の落ちる単語=俗語ばかりを収録。辞典風に五十音順に並べ、さらに詳細な説明や派生を加えた。俗語研究の第一人者による、ひとつの近代日本史。 メッチェン、モダンガール、ニコポン、人三化七、土曜夫人、ヤンエグ、アッシー君……時代に強烈なインパクトを与え、しかし公に使われるわけはないことばたちは、いつの時代も存在した。それらの多くは次第に人々の感覚と合わなくなり、あるいは世相の変化でそれが表す対象を失い、いつの間にか役目を終えて、消えていく。 そんな言葉ばかり約100語をピックアップ。その成り立ちは単語を縮め、くっつけ、ふざけ倒し……実に気が利いている。明治から現代までの時代背景が、どのページからも強く立ち上ってくる。 【目次】 まえがき (本編) あ行 アッシー君/江川る/エンゲルスガール/おかちめんこ ほか か行 ガチョーン/銀ぶら/ゲバ/ゲル ほか さ行 サイノロジー/三高/シェー/シャン ほか た行 ちちんぷいぷい/チョベリバ/チョンガー/テクシー ほか な行 ナオミズム/濡れ落ち葉 ほか は行 ハイカラ/フィーバーする/瘋癲 ほか ま行 みいちゃんはあちゃん/メッチェン ほか や行 宿六/山の神/ヤンエグ/よろめき ほか ら行 寮雨/ルンペン/冷コー ほか (解説) 1 俗語とは 2 流行語の発生と消滅 3 俗語が消えて行く理由 4 若者ことばの変化
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聖書入門
聖書入門
著:フィリップ・セリエ,訳:支倉 崇晴,訳:支倉 寿子
講談社選書メチエ
アダムとエバ(イブ)の創造、「ノアの箱舟」、「バベルの塔」、シナイ山でモーセが神と交わした「十戒」など、旧約聖書にはよく知られた逸話が数多く登場します。また、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる四つの「福音書」に始まる新約聖書も、「最後の晩餐」、イエスの処刑など、印象深い記述に事欠きません。 しかし、旧約と新約を読破したことのある人は、どれくらいいるでしょうか。クリスマスに代表される聖書に基づくイベントになじんでいる日本人の多くにとって、聖書そのものは決して身近なものではないと言わざるをえないのではないでしょうか。そして、そのことはキリスト教文化圏であるフランスでも近年は変わりないようです。 本書は、そのような現状を前にしたパスカル研究の第一人者が、一般の読者のために書き下ろした概説書です。旧約・新約を構成するすべての書を万遍なく紹介するとともに、重要なエピソードや預言者などの主要人物については別個に取り上げて分かりやすい説明が加えられます。その上、それぞれの書が西洋文化の中でどのように用いられ、息づいているかが、文学、絵画、音楽、演劇、映画など、多彩なジャンルの具体的な作品を通して示されます。ブリューゲルの《バベルの塔》、ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》、バッハの《マタイ受難曲》など、有名な作品のみならず、西洋には聖書に想を得た作品が無数にあることを知れば、聖書がもつ力の広大さと奥行きを実感することができるでしょう。 フランスの碩学がガイドを務める聖書の旅へ、一緒に出かけましょう!
電子あり
絶滅の地球誌
絶滅の地球誌
著:澤野 雅樹
講談社選書メチエ
この地球は今、絶滅の危機に瀕している。毎年5万種の生物が姿を消しているとも言われる現在、地球は六度目の「大絶滅」に突入している可能性が高い。その原因を探るために、一見して無関係に思える「核開発」という主題に取り組む本書は、やがて「ニュー・パンゲア(超大陸)」と呼ばれる現代世界の姿に突きあたり、究極の問いに出会う……。前代未聞のテーマに全身全霊を捧げた著者が現実を直視し、真に思考する驚愕の書! この地球は、今まさに絶滅の危機に瀕している──。 本書は、この紛れもない事実を直視し、人類の未来を思考しようとするものである。 地球という星は、これまで五回にわたる「大絶滅」を経験してきた。そして、多くの専門家たちが警鐘を鳴らしている。現在、地球は六度目の「大絶滅」に突入しつつある、と。ある研究者によれば、毎年5万種の生物が地球上から姿を消している、そんな前代未聞の事態が今まさに進行している。 その原因は何か? この問いに答えるために、著者は一見すると無関係な主題に向かっていく。それが「核開発」である。兵器としてのみならず発電のためにも使われる技術を、人間はいかにして生み出し、その現状はどうなっているのか。それを追求していくとき、「ニュー・パンゲア(超大陸)」と呼ばれる状態になった現代世界の姿に突きあたり、まさにその状態こそが「大絶滅」をももたらしているのではないか、という疑念がもたらされる。 では、どうすればよいのか? もしも処方箋を求めるなら、われわれは究極の問いに取り組まなければならないだろう。──「人間は人間自身を選別することができるのか? 生きてよい人間と生きなくてよい人間の分断線を引くことが人間にはできるのか?」 もちろん、簡単には答えられない。ことによると、誰にも答えられない問いかもしれない。だからといって現状を黙認すれば、無数の生物が姿を消し、憎悪を抱えたテロリストが生み出され続ける。 だからこそ、現実を直視すること。そして、むやみに絶望するのではなく、ただ愚直に思考すること。 本書は、前代未聞のテーマに全身全霊を捧げて取り組んだ著者からの、希望に満ちた贈り物である。
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異端カタリ派の歴史 十一世紀から十四世紀にいたる信仰、十字軍、審問
異端カタリ派の歴史 十一世紀から十四世紀にいたる信仰、十字軍、審問
著:ミシェル・ロクベール,訳:武藤 剛史
講談社選書メチエ
もともとは東欧発祥の宗教運動が、11世紀に西ヨーロッパで顕在化して、12世紀にはカタリ派の名の下で南仏ラングドックでおおきく展開されるようになりました。 現存しないためその教義などは謎に包まれていますが、二元論的であり、現世を悪とみなすグノーシスの影響を受けているとも言われています。 本書は、その異端宗教運動の11~14世紀の歴史、すなわち南仏での誕生・発展から異端認定を経て、迫害・殲滅されるまでの歴史を描きます。歴史の後半では、ローマ教会によるアルビジョワ十字軍と異端審問が大きなテーマとなります。南仏アルビ地方で展開された、もうひとつの十字軍のおぞましい実態も明らかにされます。 本書はまた、南仏のラングドックが、十字軍侵攻をきっかけに、だんだんとカペー朝フランス王国に併合されていく過程も描いています。 知られざる異端の経験した恐るべき歴史をあきらかにする、カタリ派研究の第一人者による最良の訳書がついに登場します。
ニッポン エロ・グロ・ナンセンス 昭和モダン歌謡の光と影
ニッポン エロ・グロ・ナンセンス 昭和モダン歌謡の光と影
著:毛利 眞人
講談社選書メチエ
昭和の初め、世に言うエロ・グロ・ナンセンス時代に大量に作られ消費された、あきれるほどバカバカしいがゆえに魅惑的なエロ歌謡群は、いつしか忘却の底に沈みました。まさに日本歌謡史におけるミッシング・リンクといってよいでしょう。エロで生れてエロ育ち、私しゃ断然エロ娘……などと歌い上げたそれらを拾い上げ、つなぎあわせ、戦前の日本人が感じたエロを、その誕生から滅亡までたどってみる……。それが本書の目論見です。 「昭和初期は暗い時代だった」というイメージには根強いものがあります。  ただ、戦前期の日本を暗黒だったと言いきれるかというと、そうでもありません。時代はつねに多面的で翳があれば光もあります。  昭和初期はエロ・グロ・ナンセンス時代とのちに言われるようになります。出版界や新聞紙面のエロの跋扈は、厳しい思想弾圧によって国民に不満や圧政感が溜まらないようにするためのガス抜きではないか、との観測は当時からあったにせよ、芥川龍之介の謂う「ぼんやりした不安」を裏返しにした刹那的な享楽主義を軍縮とリベラル思想が後押しして、時代は暗黒どころか軽佻浮薄をきわめたのです。  無責任にもほどがあるエロとジャズとゴシップの垂れ流し状態は誰にも手がつけられません。新聞もラジオもあわよくば享楽的な方向に流れよう流れようとする。そうした世相を写した流行小唄や映画主題歌が雲霞のごとく出現しました。 エロで生れてエロ育ち 私しゃ断然エロ娘  こんな歌が平然と歌われていたのです。主義や思想に敏感な学生を息子にもつ親もまた「テロよりはエロ」「赤色に染まるなら桃色のほうがマシ」などと言い出す始末。閉塞感のなかで必要以上にクローズアップされた“エロ”という概念があらゆる分野に浸透する……。  そもそもはやり唄とはどの時代にあっても世相を写すものですから、それはけっして珍しい現象ではないといえます。ただ、昭和初期がユニークなのは、その内容がエロに特化し、一時はレコード歌謡がエロ一色に塗り立てられたことにあります。  エロ・グロ・ナンセンス時代に大量に作られ消費されたエロ歌謡群は、いつしか忘却の底に沈みました。まさに日本歌謡史におけるミッシング・リンクといってよいでしょう。それらを拾い上げ、つなぎあわせ、戦前の日本人が感じたエロを、その誕生から滅亡までたどってみる……。それが本書の目論見です。
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