講談社選書メチエ作品一覧

創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで
講談社選書メチエ
「創造」と「狂気」には切っても切れない深い結びつきがある──ビジネスの世界でも知られるこの問題は、実に2500年にも及ぶ壮大な歴史をもっている。プラトン、アリストテレスに始まり、デカルト、カント、ヘーゲルを経て、ラカン、デリダ、ドゥルーズまで。未曾有の思想史を大胆に、そして明快に描いていく本書は、気鋭の著者がついに解き放つ「主著」の名にふさわしい1冊である。まさに待望の書がここに堂々完成!
アップル社の最高経営責任者だったスティーヴ・ジョブズが「師」と仰いだ起業家ノーラン・ブッシュネルは、企業に創造性をもたらすには「クレイジー」な人物を雇うべきである、と説いている。ビジネスの世界でも「創造」と「狂気」には切っても切れないつながりがあることを、一流の企業人は理解していると言えるだろう。
だが、この「創造と狂気」という問題は、実に2500年にも及ぶ長い歴史をもっている。本書は、その広大にして無尽蔵な鉱脈を発掘していく旅である。
その旅は、「神的狂気」について論じたプラトン(前427-347年)から始まる。次いで、メランコリーと創造の結びつきを取り上げたアリストテレス(前384-322年)から《メレンコリアI》を描いた画家アルブレヒト・デューラー(1471-1528年)、そこに見出される創造性を追求したマルシリオ・フィチーノ(1433-99年)を経て、われわれは近代の始まりを告げるルネ・デカルト(1596-1650年)の登場に立ち会う。
デカルトに見出される狂気と不可分のものとしての哲学を受けて、あとに続いたイマヌエル・カント(1724-1804年)は狂気を隔離し、G. W. F. ヘーゲル(1770-1831年)は狂気を乗り越えようとした。しかし、時代は進み、詩人フリードリヒ・ヘルダーリン(1770-1843年)が象徴するように、創造をもたらす狂気は「統合失調症」としての姿をあらわにする。そのヘルダーリンの詩に触発された哲学者マルティン・ハイデガー(1889-1976年)が提示した問題系は、ジャック・ラカン(1901-81年)やジャン・ラプランシュ(1924-2012年)を通して精神分析の中で引き受けられる。そして、ここから現れ出た問題は、アントナン・アルトー(1896-1948年)という特異な人物を生み出しつつ、ミシェル・フーコー(1926-84年)、ジャック・デリダ(1930-2004年)、そしてジル・ドゥルーズ(1925-95年)によって展開されていく──。
このような壮大な歴史を大胆に、そして明快に描いていく本書は、気鋭の著者がついに解き放つ「主著」の名にふさわしい。まさに待望の堂々たる1冊が、ここに完成した。

小林秀雄の悲哀
講談社選書メチエ
「もう、終いにする」。戦後の知識世界に輝くビッグネーム・小林秀雄が、晩年、10年にわたって取り組んだ『本居宣長』は、執筆に難渋し、結論に達しないまま意外な一言で終わってしまった。日本が誇る知性は、なぜ最後の仕事で挫折したのか。彼がこの書物にかけた思い、そして小林がたどり着きたかった「ゴール」はどこにあったのか。小林の批評ぶりを多角的に検証しながら、批評とは何か、その原理について考える。
「もう、終いにする」
戦後の知識世界に輝くビッグネーム・小林秀雄が、晩年、10年にわたって取り組んだ『本居宣長』は、
執筆に難渋し、結論に達しないまま意外な一言で終わってしまった。
日本が誇る知性は、なぜ最後の仕事で挫折したのか。
彼がこの書物にかけた思い、企図、成果は?
そして小林がたどり着きたかった「ゴール」はどこにあったのか?
当代随一といわれた批評家のライフワーク『本居宣長』を丁寧に読み解き、
小林の批評ぶりを多角的に検討しながら、
批評とは何か、さらに批評を支える「原理」とは何かについて考える。
目次
序章
第2章 『本居宣長』という書物
第3章 外堀を埋める 『本居宣長』を読む・その1
第4章 源氏物語のほうへ 『本居宣長』を読む・その2
第5章 『古事記伝』を読む 『本居宣長』を読む・その3
第6章 『古事記伝』という仕事
第7章 小林秀雄の悲哀

十八世紀京都画壇 蕭白、若冲、応挙たちの世界
講談社選書メチエ
蕪村や応挙、若冲、蘆雪に蕭白。ほぼ同時期、同じ地に豊かな才能が輩出した。旧来の手法から抜けだし、己の個性を恃んで、奔放に新しい表現を打ちだす。十八世紀の京都は、まさにルネサンスの地であった。「奇想」の美術史家・辻惟雄は、彼らの作品に向き合い、多数の論考を遺している。それらを抜粋し、作品の解釈から時代背景や人物像にも迫ってゆく。あの時代の京都を、彩りをもって甦らせる試みである。
蕪村や応挙、若冲、さらに蘆雪に蕭白。ほぼ同時期、同じ地に豊かな才能が輩出した。彼らは旧来の手法から抜けだし、己の個性を恃んで、奔放に新しい表現を打ちだす。多士済々、百花繚乱。十八世紀の京都は、まさにルネサンスの地であった。「奇想」の美術史家・辻惟雄は、彼らの作品に向き合い、多数の論考を遺している。それらを抜粋し、作品の解釈から時代背景や人物像にも迫ってゆく。あの時代の京都を、彩りをもって甦らせる試みである。

天然知能
講談社選書メチエ
2019年2月10日 「毎日新聞」書評 中村桂子さん
2019年2月27日 「朝日新聞」文芸時評 磯崎憲一郎さん
2019年3月9日 「日本経済新聞」書評 野家啓一さん
2019年3月9日 「朝日新聞」書評 野矢茂樹さん
2019年3月30日 「聖教新聞」書評
2019年4月21日 「読売新聞」書評 鈴木洋仁さん
2019年4月28日 「産経新聞」文芸時評 石原千秋さん
2019年6月24日 「公明新聞」書評 小川仁志さん
2020年1月21日 「毎日新聞」読書日記 西垣通さん
『ケトル』2019年4月号 書評 橋爪大三郎さん
『週刊朝日』4・19号 「ベストセラー解読」永江朗さん
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「考えるな、感じろ」とブルース・リーは言った。計算を間違い、マニュアルを守れず、ふと何かが降りてくる。すべて知性の賜物である。今こそ天然知能を解放しよう。人工知能と対立するのではなく、想像もつかない「外部」と邂逅するために。
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一見やさしく書かれていますが、バカにしてはいけません。世界の見方を変えてくれます。――養老孟司(解剖学者)
AIブームへの正しいカウンター。自然/人工の檻の外へ、知性を解き放つ! AIみたいな人間と人間みたいなAIにあふれる社会への挑戦状。――吉川浩満(文筆家)
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「考えるな、感じろ」とブルース・リーは言った。
山の向こうにも同じように風景が広がることや、
太平洋でイワシが泳いでいることを信じられる。
今までのこだわりが、突然どうでもよくなる。
計算を間違い、マニュアルを守れず、ふと何かが降りてくる。
それらはすべて知性の賜物である。
生きものの知性である。
今こそ天然知能を解放しよう。
人工知能と対立するのではなく、
意識の向こう側で、想像もつかない「外部」と邂逅するために。
わたしがわたしとして存在するための哲学。

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論
講談社選書メチエ
「お金とは何か」から暗号通貨を捉え直し、ブロックチェーンの可能性をゲーム理論で追究する。ビットコイン、イーサリアム、リップル……暗号通貨(仮想通貨)はいかにして「お金」になるのか。技術・経済・社会の大転換期、この革命的な技術が世界をどう変えるのか、総合的に把握するための一冊。暗号学×経済学=暗号経済学の誕生。ナンダ、そういうことだったのか!◎RSA暗号・楕円曲線暗号解説も収録。
「お金とは何か」から暗号通貨を捉え直し、ブロックチェーンの可能性をゲーム理論で追究する。
ビットコイン、イーサリアム、リップル……暗号通貨(仮想通貨)はいかにして「お金」になるのか。
技術・経済・社会の大転換期、この革命的な技術が世界をどう変えるのか、総合的に把握するための一冊。
暗号学×経済学=暗号経済学の誕生。
ナンダ、そういうことだったのか!
◎RSA暗号・楕円曲線暗号解説も収録。
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第1部では、ビットコインを始めとする暗号通貨の基礎となるブロックチェーンの仕組みの要点を、数式など使わずにわかりやすく解説します。
ブロックチェーンという革新的な暗号技術は、世界をどう変えていくのか? オープンソースとプロプライエタリ、中央集権と分散化といったブロックチェーンが提起する哲学的な意味、そして通貨以外でのインパクトについても言及します。
第2部では、「お金とはなにか」を考えます。
価格の乱高下やセキュリティ問題など、いまだ暗号通貨を疑問視する声も強いのが現状ですが、これまで経済学が培ってきた貨幣理論を参照しながら、暗号通貨はいかにして「お金」たり得るのかを見ていきます。価格が安定する時とはすなわち、暗号通貨が「お金」になる時といえるでしょう。お金とはなにかという見識は、投資にも役立つかもしれません。
第3部は、ゲーム理論でブロックチェーンを検討します。
人間の行動は不合理すぎ、理論通りにいかないことが指摘されるゲーム理論ですが、アルゴリズムであるブロックチェーンの世界では、理論のままに均衡が実現されることになります。「囚人のジレンマ」などのゲーム理論をざっくりとおさらいしつつ、新しい世界を垣間見る章です。
補章として、公開鍵暗号とハッシュ関数の原理について、本文では簡略化した詳細部分を解説します。「そういうことだったのか!」と膝を打つこと間違いなし。数理暗号として、有名なRSA暗号と楕円曲線暗号の両方に言及しています。

オカルティズム 非理性のヨーロッパ
講談社選書メチエ
2019年3月1日「週刊読書人」書評 蔵持不三也さん〈書かれるべきテーマを書くべき研究者が書く〉
2019年3月2日「朝日新聞」書評 柄谷行人さん〈神なき時代をも貫く歴史的考察〉
2019年4月21日「毎日新聞」書評 鹿島茂さん〈理性と非理性を同じ「枠組み」で理解〉
2019年4月10日「読売新聞」著者インタビュー
『週刊金曜日』(2019年1月25日号)書評 永田希さん〈豊穣で危険な陰の思想史〉
ヘルメス文書、グノーシス、カバラー、タロット、黒ミサ、フリーメーソンやイリュミナティなどの秘密結社、そしてナチ・オカルティズムとユダヤ陰謀論……古代から現代まで、オカルトは人間の歴史と共にある。一方、「魔女狩り」の終焉とともに近代が始まり、その意味合いは大きく変貌する――。理性の時代を貫く非理性の系譜とは何か。世界観の変遷を闇の側からたどる、濃密なオカルティズム思想史!
【目次】
序章 毒薬事件――悪魔の時代の終焉と近代のパラドクス
第一章 オカルティズムとは何か
第二章 オカルティズム・エゾテリスムの伝統
第三章 イリュミニズムとルソー――近代オカルティズム前史
第四章 ユートピア思想と左派オカルティズム
第五章 エリファス・レヴィ――近代オカルティズムの祖
第六章 聖母マリア出現と右派オカルティズム
第七章 メスマーの「動物磁気」とその影響
第八章 心霊術の時代
第九章 科学の時代のオカルティズム――心霊術と心霊科学
第十章 禍々しくも妖しく――陰謀論を超えて
終章 神なき時代のオカルティズム

記憶術全史 ムネモシュネの饗宴
講談社選書メチエ
スマホをアップデートしたら、画面がガラッと変わって、お目当てのアプリや写真がどこにあるのか分からなくなった……そんな経験を思い出せば、「記憶」は「場所」と結びついていることが分かる。この特性を利用して膨大な記憶を整理・利用できるようにする技法が、かつてヨーロッパに存在した。古代ギリシアで生まれ、中世を経て、ルネサンスで隆盛を極めた記憶術の歴史を一望する書。最先端で活躍する気鋭の著者による決定版!
パソコンやスマホをアップデートしたら、画面がガラッと変わって、お目当てのアプリや写真がどこにあるのか分からなくなって呆然。あるいは、近所のコンビニが改装されて、棚の配置がすっかり変わってしまったら、お気に入りのお菓子や飲み物がどこに置いてあるのか分からなくなってイライラ。
──こんな経験は、きっと誰にでもあることでしょう。
このように、記憶というものは「場所」と結びついています。そして、ヨーロッパには、この特性を利用して、膨大な記憶を上手に整理し、必要な時にすぐ取り出せるようにする技法が存在していました。
それが本書のテーマです。
古代ギリシアで産声をあげた記憶術は、紙が貴重だった時代、長大な弁論を暗唱するために開発されました。キケロやクインティリアヌスといった一流の弁論家はもちろん、カエサルも会得していたとされるその技法は、中世には下火になるものの、やがてキリスト教の影響を受けて変容します。そして、15世紀に始まるルネサンスの中で華麗な復活を遂げ、指南書が陸続と出現しました。ところが、17世紀に入った途端、隆盛を極めたかに見えたこの技法は、忽然と姿を消すのです。いったい何が起きたのでしょう?
記憶術は、20世紀になって、パオロ・ロッシ『普遍の鍵』(1960年)と、フランセス・イエイツ『記憶術』(1966年)という記念碑的な著作によって、一挙に脚光を浴びるようになりました。いずれも邦訳が刊行され、日本でも話題になったのをご記憶のかたも多いことでしょう。それから半世紀を経て、記憶術は、文学、哲学、史学、美術史、建築史、音楽学、科学史、思想史、イメージ人類学、教育論、メディア論、記号論、医学など、実に多彩な領域の論客たちが名乗りをあげるようになり、新たなシーンが現れています。
本書は、その最先端で世界的に活躍する気鋭の著者が、記憶術の誕生から黄昏までを一望できるようにと願って執筆した、今後のスタンダートになること間違いなしの決定版です。

養生の智慧と気の思想 貝原益軒に至る未病の文化を読む
講談社選書メチエ
「酒は微酔にのみ、花は半開に見る」――儒者として医者として古典漢籍を総覧し本草学に通暁する貝原益軒が到達した「養生」の要諦である。人間が本来持っている「寿(いのちながき)」性質を、日常生活で現実のかたちにするにはどう生きたらいいのか。古代中国から日本へ連綿と続く「気」の世界観に支えられた未病を最善とする養生文化。江戸時代の貝原益軒『養生訓』に結実した大いなる智慧を読む。

〈海賊〉の大英帝国 掠奪と交易の四百年史
講談社選書メチエ
イギリスは貿易と戦争、そして「掠奪」で世界の海を制したのだった! 最強の海洋帝国と荒くれ者たちが動かした歴史を描く驚異的論考! 注目の若手研究者が、大きな歴史のうねりと、海の男たちの苦闘とを多層的に、鮮やかに描き出す。大海原の波濤の向こうに、誰も知らない世界史があった!
イギリスは貿易と戦争、そして「掠奪」で世界の海を制したのだった! 最強の海洋帝国と荒くれ者たちが動かした歴史を描く驚異的論考。
暴れまわる掠奪者たちを、法という鎖で縛り猟犬として飼い慣らしたイギリス政府は、新大陸・大西洋世界への進出競争や重商主義による貿易抗争を、「管理統制された掠奪」によって有利に進めんとした。海が世界史を転回させる舞台となった16世紀から、自由貿易が重商主義にとってかわる19世紀まで、軍人、海賊、政治家、商人たちの野望うずまく歴史のダイナミズムを活写する。
スペインの船や植民地を荒らしまわる「掠奪世界周航」をやってのけナイトの称号を得たフランシス・ドレイク、ジャマイカを根城にカリブ海で掠奪をくりひろげる「バッカニア」、インド洋や紅海への掠奪行を敢行する「紅海者」、北米の植民地と深く結びつく海賊たち……彼らはいかに「活躍」したか? 海軍や政府は彼らの力をどう利用したか? 注目の若手研究者が、大きな歴史のうねりと、海の男たちの苦闘とを多層的に、鮮やかに描き出す。大海原の波濤の向こうに、誰も知らない世界史があった!

なぜ私は一続きの私であるのか ベルクソン・ドゥルーズ・精神病理
講談社選書メチエ
オートポイエーシスという閉じた系の身体でありながら、意識が立ち上がるに際しては外部に連結する開口部を持たなければならないという矛盾。意識という現象はいったい何なのか。脳の働きとの関係はどうなっているのか。それは「私」という一続きの事態をどう成立させているのか。脳科学研究が「意識」の物質への還元を方向付ける趨勢に反駁したベルクソン、さらにドゥルーズの理論を参照し「私」の立ち上がる現場に迫る。
私の身体と私の意識。身体の生はオートポイエーシスという閉じた系であるのに、意識はそのつどの神経ネットワークを物質的基盤としつつも「私」が立ち上がるに際しては外部へと連結する開口部を持たなければならないという矛盾。脳科学研究が「意識」の物質への還元を方向付けるなか、20世紀初めにはベルクソンが反駁の理論を打ち立てた。
意識という現象はいったい何なのか。脳の働きとの関係はどうなっているのか。それは「私」という一続きの事態をどう成立させているのか。
精神病理学者である著者が、さまざまな症例を引き、ベルクソン・ドゥルーズの理論を参照しながら、「私」の立ち上がる現場を突き詰めていく。

胃弱・癇癪・夏目漱石 持病で読み解く文士の生涯
講談社選書メチエ
人間嫌いの厭世病。人の心の深い闇を描いた夏目漱石は、多病持ちだった。疱瘡、眼病、強度の神経衰弱、糖尿病、結核への恐怖、胃潰瘍……。次々襲う病魔と、文豪はいかに闘ったのか。医師との付き合い方、その診療にミスはなかったのか。そして病は、彼の生み出した文学にどんな影響を与えたのかーー。ままならない人生に抗い、嫉妬し、怒り、書き続けた49年。その生涯を、「病」をキーワードに読み解く!
人間嫌いの厭世病。人の心の深い闇を描いた夏目漱石は、多病持ちだった。
疱瘡、眼病、強度の神経衰弱、糖尿病、結核への恐怖、胃潰瘍……。
次々襲う病魔と、文豪はいかに闘ったのか。
医師との付き合い方にミスはなかったのか。
診察の中身は、本当の死因は何だったのか。
そして病は、彼の生み出した文学にどんな影響を与えたのかーー。
ままならない人生に抗い、嫉妬し、怒り、書き続けた49年。
作品、書簡、家族、知人の証言や、当時のカルテを掘り起こし、
その生涯を、「病」という切り口から読み解く!
内容
はじめに ミザンスロピック病
第一章 変人医者が生きかたのお手本
第二章 円覚寺参禅をめぐって
第三章 左利きの文人
第四章 朝日入社前後
第五章 新聞文士
第六章 神経衰弱の実相
第七章 胃が悲鳴をあげている
第八章 森田療法と漱石
第九章 修善寺の大患
第十章 急逝の裏に
むすびに 原稿用紙上の死
本文より)
漱石は頭を掻きむしるようにして、「頭がどうかしている。水をかけてくれ、水をかけてくれ」と唸るようにせきたてた。/見ると、夫は白目を剥いて、尋常ではない。/夫人は、ともかく水をと思い、そばのヤカンから水を口に含んでは口移しに水を与え、そして、漱石の求めに応じて、「貴方、しっかりしなさいよ、しっかりしなさいよ」と言いながら、ヤカンの水を植木鉢に水をやるように、夫の頭に勢いよくかけたのだった。「ああ、いい気持だ。ほんとうにいい気持だ」(「第十章」より)

「生命多元性原理」入門
講談社選書メチエ
なぜ生命は「多」を求めるのか?
遺伝、発生、進化の基本から最先端生命科学の肝まで、トップランナーが明快に解説する驚異の入門書
なんで地球にはこんなやたらに生き物がいるんだろう?
遺伝、発生、進化……なんでこんな複雑なシステムができたんだろう?
それには深いわけがある!
「多様性」をキーにして、DNA組換えやエビジェネティクス、進化や発生の原理など、最先端生命科学のキモを明快に解説。さらに、いま注目の新技術「CRISPR」や非コードDNAの科学的意味がジャック・デリダの思想と響き合うことの発見まで、最新の生命像と現代思想との共鳴させながら、根源的な「多元性」の原理へと読者を誘う。
【本書の内容】
第一章 地球生命史と生命多元性
第二章 DNAから考える
第三章 究極的目的から考える
第四章 「個体」と「発生」から考える
第五章 生命の多元性、人間の多元性

機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へ
講談社選書メチエ
「シンギュラリティ」「IoTで豊かな未来」「鉄腕アトム」「ターミネーター」……私たちは、機械を愛し、憎んでいる。では機械のほうから「私たち」を見たらどうなる? テクノロジーと深く結びつく人間は、あらたな存在に生まれ変わっているのかもしれない。
人類学者カストロは、アマゾンにおける食人=カニバリズムを、「他者の視点から自らを捉え、自己を他者としてつくりあげるための営為」として描き出した。「機械カニバリズム」は、テクノロジーによって私たちが変容ゆくことを捉える試みである。将棋ソフトによってプロ棋士と将棋が、SNSによってコミュニケーションと社会が、いままさに変容しているなか、「人間」観そのものが刷新されていくべきなのだ。気鋭の人類学者が、「現在のなかにある未来」を探る、痛快かつ真摯な思考!
川上量生氏コメント――
わたしたちはAIが人間の能力を凌駕しつつある歴史的過程の中にいます。AIと人間とどちらが優れているのか、そういう問いが日常的に飛び交う世の中で過ごすのも、この時代に生を受けた運命としてはやむを得ないことでしょう。
しかしながら実際にはこの問いは、そもそも正しくなかったことが明らかになってきました。いったい「優れている」とはなにか? AIとはなにか? そしてなによりも人間とはなにか? という、より大きな疑問が頭をもたげてきたからです。人間とはそもそも優れているのか、機械とは、そしてAIとはなにが違うというのか。そして真実が明るみになったときに、人類ははたして結果を受け入れることができるのでしょうか。
いささか大袈裟ではありますが、人間社会がAIの時代を受け入れるための礎石にならん、という決意で始めた将棋電王戦を、本書はAI時代における社会的な役割から解き明かしてくれました。また、より大きな視点で、ニコニコ動画を含めたネット社会についても、人間と技術の関わりから、どう捉えるべきかを示してくれています。
こういう議論はまだまだ始まったばかりで、21世紀の人類の最大の哲学的テーマであると思う次第です。
【本書の内容】
現在のなかの未来
ソフトという他者
探索から評価へ
知性と情動
強さとは何か
記号の離床
監視からモニタリングへ
生きている機械

魅せる自分のつくりかた 〈演劇的教養〉のすすめ
講談社選書メチエ
「演劇」は役者が舞台で演じるものだけではない。一人でできる《発声》や《海の歩行》から、数人で行う《漫才》や《ものまね》、本格的なストーリーを展開する《ショート・ストーリーズ》まで、具体的なレッスンを手引きとともに紹介し、演劇の知恵を惜しみなく披露。硬くなった身体をやわらかくすれば、心もやわらかくなって、魅力的な「自分」を手にできる。第一線で活躍し続ける演出家が今の世の中に贈る大切な1冊。
「演劇」と聞いたとき、何をイメージするでしょう? 小学生のとき学芸会で取り組んだ記憶。興味をもって出かけた劇場で、いつもはテレビで見ているタレントが動きまわっているところ。あるいは、バイトをしながら劇団でがんばっている友達がいる、というかたもいるかもしれません。
でも、そのようなものは「演劇」のごく一部にすぎません。本書は、30年以上にわたってプロの劇団を率いてきた第一級の演出家が、長年あたためてきたアイデアを皆さんにお伝えするため、演劇から得た知恵を惜しみなく披露した1冊です。
ここには、一人でできる《発声》や《海の歩行》から、数人で行う《漫才》や《ものまね》、そして本格的なストーリーを展開する《ショート・ストーリーズ》まで、具体的なレッスンが数多く紹介され、実際にやってみるための手引きもつけられています。
これらの中から気軽にできるものを選んで実際にやってみれば、多くの人は自分の身体がいかに硬くなっているかに気づき、それは自分の心が硬くなっていることにつながっていることを理解するでしょう。硬くなった心と身体をやわらかくするための知恵──それが「演劇」であり、著者が〈演劇的教養〉と呼ぶものです。
この〈演劇的教養〉が教育の中に組み込まれていない日本はめずらしい国だ、と著者は言います。だからこそ、今こそ、この知恵を実際に取り入れてみましょう。
そこに生まれるのは、誰にとっても魅力的な「自分」に違いありません。
[主な内容]
〈演劇的教養〉とは何か
第一章 この世にない魂と出会う
第二章 台本から演劇を作る
第三章 発声練習と役作り
第四章 身体の不思議
基礎編
第一章 《マッサージ》と《柔軟運動》
第二章 《発 声》
第三章 《海の歩行》
第四章 身体の発掘
第五章 《歩行》と《寝返り》
第六章 さて、「演劇」とは何だろうか?
実践編
第一章 《ストリップ》
第二章 《漫 才》
第三章 《ものまね》
第四章 《ショート・ストーリーズ》
「演劇教育」の可能性
第一章 小中学生対象のワークショップ
第二章 「演劇教育」と自己アピール

創造の星 天才の人類史
講談社選書メチエ
魔女狩りの嵐が吹き荒れる15世紀から、「魔術」と「科学」が分岐する17世紀、その結果として「非理性」が噴出を始める18世紀を経て、ベートーヴェンの《第九》で開始され、ヴァーグナーの《ニーベルングの指環》を生み出す19世紀、そして「非理性」を特異な形で先鋭化させたナチスを登場させた20世紀へ──。第一級の精神科医が放つ、500年間に及ぶヨーロッパ精神史!
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)が《モナ・リザ》を描き、デジデリウス・エラスムス(1466-1536年)が『痴愚神礼讃』を世に問うた16世紀初頭、ヨーロッパには「魔女狩り」の嵐が吹き荒れていた。「ルネサンス」と呼ばれる時代は、決して「文芸復興」という言葉で表しきれるものではない。そこには理性を完璧なまでに超越してしまうものを夢見る「非理性的創造者」が生み出され、のちの世界を翻弄していくことになる──。
本書は、『魔女の槌』なる書物が出現して「魔女狩り」の焔が点火される15世紀から、ナチスの狂乱が演じられる20世紀まで、500年に及ぶ精神史を描き出そうとする前人未到の試みである。
ヨハネス・ケプラー(1571-1630年)とルネ・デカルト(1596-1650年)が活躍した17世紀を経て、混沌としていた「魔術」と「科学」の境界が確定されていく。その結果として起きたのは、皮肉にも「科学」から排除された「非理性」の噴出だった。そうして18世紀には、イマヌエル・カント(1724-1804年)をも魅了したエマヌエル・スウェーデンボルグ(1688-1772年)が現れ、やがてヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-91年)という天才が生まれた。
噴出した非理性は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827年)の《第九》(1824年初演)とともに19世紀を迎え、ついにリヒャルト・ヴァーグナー(1813-83年)を出現させる。その流れは、やがてアドルフ・ヒトラー(1889-1945年)という存在をもたらしたが、その傍らでは、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90年)が、フョードル・ドストエフスキー(1821-81年)が、そしてフリードリヒ・ニーチェ(1844-1900年)が火花を散らせていた──。
幾多の天才たちを生み出した「創造の星」たる地球は、その後、どんな道をたどったのか? そして、21世紀を迎えた今、これからどこに向かおうとしているのか? 停滞期に入ったとさえ感じられる今、人類の来し方と行く末を考えるために。第一級の精神科医が放つ、誰も目にしたことのないヨーロッパ精神史。

実在とは何か マヨラナの失踪
講談社選書メチエ
1938年3月26日の夜、イタリア人の若者がパレルモからナポリ行きの郵便船ティレニア号に乗船したあと、忽然と姿を消した──。
その名は、エットレ・マヨラナ(1906年8月5日生)。1929年、エンリーコ・フェルミの主査のもとでローマ大学に提出した論文で学位を取得し、1933年には陽子と中性子のあいだに両者を原子核に結合する何らかの力が働いているという仮説を提示した、新進気鋭の理論物理学者である。彼の名は、その仮説に基づく「マヨラナ型核力」の名称で今日も知られており、失踪した当時はナポリ大学に新設された理論物理学講座の教授に31歳の若さで就任した直後だった。
順風満帆に見える人生を歩んでいるように見えたマヨラナは、なぜ失踪したのか? 自殺、修道院への隠遁、南米への亡命などなど、さまざまな説が唱えられたが、今日に至るまで真相は明らかになっていない。
本書は、哲学界の重鎮アガンベンが、この事件を取り上げ、マヨラナが姿を消した理由、姿を消さなければならなかった理由を、原子物理学の現状と行く末にマヨラナが抱いていた危惧を背景にして追求する。
マヨラナの論文「物理学と社会科学における統計的法則の価値」を手がかりにして、アガンベンは失踪の原因が「不安」や「恐怖」といった心理に還元されるべきものではなく、《科学は、もはや実在界を認識しようとはしておらず──社会科学における統計学と同様──実在界に介入してそれを統治することだけをめざしている》という認識にマヨラナが至ったことと関係している、という地点に到達する。その果てに見出されるのは、「実在とは何か」という問いを放つにはどうすればよいか、ということにほかならなかった。
古今の文献の渉猟とともに綴られる本書は、「確率」という大問題を巻き込みながら、ゆるやかな足取りで歩む旅の記録のごとき印象を与える。第一級の思想史家・哲学史家であるアガンベンにしかなしえない「実在」をめぐる問い!
*マヨラナの論文「物理学と社会科学における統計的法則の価値」のほか、本書で重要な意味をもつ、ジェロラモ・カルダーノ『偶然ゲームについての書』の本邦初となる全訳を併載。

近代日本の中国観 石橋湛山・内藤湖南から谷川道雄まで
講談社選書メチエ
日本は、つねに中国を意識してきた。とくに、明治維新以後、中国研究はきわめて深く、幅広いものとなり、東洋史という歴史分野を生み出した。、「日本人の中国観」の形成と変遷を跡づけると同時に、日中関係を考え直す契機となるのが本書である。石橋湛山の「小日本主義」とはなんだったのか。巨人・内藤湖南の「唐宋変革論」とは? 宮崎市定や谷川道雄など、数多くの論者の中国論にふれ、その歴史を読み直す。
日本は、つねに中国を意識しながら歴史を歩んできたが、とくに、明治維新以後、近代日本となって以来、中国研究はきわめて深く、幅広いものとなり、東洋史という歴史分野を生み出した。
では、明治以降、戦後に至るまでに、日本人はどのように中国を研究し、考えてきたのか。
歴史に名を残す学者たちの研究をあらためて読み直し、「日本人の中国観」の形成と変遷を跡づける。
それはまた、日中関係を考え直す契機にもなるだろう。
石橋湛山の「小日本主義」とはなんだったのか。巨人・内藤湖南の「唐宋変革論」とは?
宮崎市定や谷川道雄など、数多くの論者の中国論にふれ、その歴史を読み直す。

七十人訳ギリシア語聖書入門
講談社選書メチエ
ギリシアが強大な力を持っていたヘレニズム時代。アレクサンドリアの七十二人のユダヤ人たちが、ヘブライ語聖書をギリシア語に翻訳しはじめたという。この通称「七十人訳」が、こそ、現存する最古の体系的聖書であり、「イエス時代の聖書」である。七十人訳聖書とはなにか。なぜ生まれ、いかにしてキリスト教を変えたのか。『七十人訳ギリシア語聖書』の訳者が、長年の研究の成果をわかりやすく解説する。
紀元前三世紀頃、ギリシアが強大な力を持っていたヘレニズム時代。エジプトの港湾都市アレクサンドリアの七十二人のユダヤ人たちが、ヘブライ語聖書をギリシア語に翻訳しはじめたという。この通称「七十人訳」(しちじゅうにんやく)が、新興宗教のひとつでしかなかったキリスト教を地中海世界に広め、その後の世界宗教としての展開を決定づけることになる――。
七十人訳聖書とはなにか。なぜ生まれ、どのように広まり、いかにしてキリスト教を変え、政治や世界に影響を与えたのか。『七十人訳ギリシア語聖書』の訳者が、長年の研究の成果をわかりやすく解説する。

主権の二千年史
講談社選書メチエ
なぜ民主主義は危機に陥ったのか? 「貨幣」と「権力」を軸にしたメカニズムを駆動する「主権」とは、いったい何なのか? 経済学とも政治学とも異なる視点で古代ギリシア以来の壮大な歴史をたどらなければ、もともと民主主義に刻み込まれていた問題を理解することも、真に有効な打開策を探ることも決してできない。第一級の社会学者だからこそなしえた大胆な試みと重要な提言。未来を切り拓くための必読の書がここに完成!
今日、民主主義の危機が叫ばれることが多い。日本でも投票率は1980年代をピークに下降の一途をたどり、民主的な選挙で選ばれたはずの政治家に反対するデモが行われることもめずらしくなくなった。
振り返れば、民主主義が正当な統治形態とみなされるようになったのは20世紀に入ってからのことにすぎない。そして、早くも20世紀後半には民主主義の限界や欠陥が指摘されるようになった。本書は、今や危機に瀕している近代的な民主主義が成立する過程を、古代ギリシア以来の二千年以上に及ぶ歴史の中で描き出す壮大な試みである。
だが、本書の目的は単に歴史学的なものではない。歴史的な経緯を追うことによってのみ判明する民主主義の根本的な問題を剔出することが主眼である。危機をもたらした問題を明確に認識しないかぎり、その解決策を導き出すことは決してできないだろう。
この試みの導きの糸となる概念が、本書のタイトルにある「主権」にほかならない。民主主義をもたらしたメカニズムは「貨幣」と「権力」を軸にしている。だが、この両者は決して別々のものではなく、複合的に働いている。その働きを可能にしたのが「主権」という概念である。だからこそ、経済(学)と政治(学)を区別し、貨幣と権力をそれぞれ独立した媒体と考える従来の理解では、民主主義の危機を真に理解することはできない。
本書は、経済学者にも政治学者にもなしえなかった比類なき達成であり、第一級の社会学者として知られる著者による提言の書である。

小論文 書き方と考え方
講談社選書メチエ
相手に正しく伝わる文章は、どのようにすれば書けるのか。そして「文章を書く」ことの意味とは何か――。論理的ライティングは「異和感」から出発すると訴える著者が長年にわたる教育現場での経験に裏づけられた「書く」ことと「論理的思考」、そしてその相関を鍛え、自分の思いや考えを正確に他者に届ける文章の執筆法を解説する。「自分の言葉を持ってリアルに生きる」ための基本的教養となる小論文術を伝授する実戦型文章読本。