講談社学術文庫作品一覧

レヴィ=ストロース 構造
講談社学術文庫
本書は、現代最高峰の人類学者クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009年)の全貌を描いた決定版の誉れ高い1冊です。
ベルギーに生まれたレヴィ=ストロースは、フロイトやマルクスに触れた青年期を経て、南仏で高校教師になりました。その中で育まれた情熱を抑えられなくなった1935年にブラジルへ旅立ち、カデュヴェオ族やボロロ族、そしてナンビクワラ族の調査に乗り出します。その後、第二次世界大戦の勃発を受けて従軍しますが、1941年にはユダヤ人への迫害を回避するべくアメリカに亡命したレヴィ=ストロースに、ニューヨークで決定的な出来事が訪れました。それが言語学者ロマーン・ヤコブソン(1896-1982年)との出会いです。
のちに『音と意味についての六章』として公刊されるヤコブソンの講義の内容は、レヴィ=ストロースの中で若い頃からあたためられていた「構造」の概念と交錯しました。そうしてヤコブソンの勧めを受けて書き始めたのが、構造主義の誕生を告げる『親族の基本構造』であり、4年をかけて完成されたこの大著は1949年に刊行されることになります。
ここから旺盛な執筆活動を開始し、『人種と歴史』(1952年)、『悲しき熱帯』(1955年)、『構造人類学』(1958年)を生み出したあと、1959年にはコレージュ・ド・フランス教授に就任したレヴィ=ストロースは、一世を風靡した『野生の思考』(1962年)を発表すると、ついに全4巻に及ぶライフワーク『神話論理』(1964-71年)に着手しました。
その後も100歳で逝去するまで活躍し続けた偉大な人類学者が残した数々の仕事を、その生涯や時代との関係を描きつつ明快に解説してみせた本書は、1996年の刊行以来、概説書のスタンダードとして四半世紀にわたって読み継がれてきました。このたび、最新の書誌情報を追加するとともに、生前の著者と深い交流のあった小泉義之氏の書き下ろし原稿を併載した文庫版としてお送りいたします。
[本書の内容]
序 章 構造主義のエシックス
第一章 歴史の影のなかで
第二章 声とインセスト
第三章 旅の終わり
第四章 神話と詩のあいだに
第五章 幻想から思考へ
第六章 新石器のビルドゥングスロマン 1――南半球の森から
第七章 新石器のビルドゥングスロマン 2――北半球への旅
終 章 「構造」の軌跡
主要著作ダイジェスト
キーワード解説
読書案内
レヴィ=ストロース略年譜
解 説 小泉義之

朝鮮仏教史
講談社学術文庫
四世紀後半、朝鮮半島へ主として中国から伝わったとされる仏教。
高句麗・百済・新羅の王たちは新しい思想をどのように受け入れたのか。
またその後の王権と社会は仏教の影響のもとでどんな文化を形成していったのか。
崇拝と排斥、求道と教学、独自の哲学の錬磨、宗派の流れなど、
東アジア仏教圏の中でも独特の道を歩んだ朝鮮仏教の歴史を総覧する。

ベートーヴェン 巨匠への道
講談社学術文庫
その生涯は、音楽の歓喜と苦闘そのものだ!
1792年、ウィーンの地に立った一人の青年音楽家は、その後いかなる道のりをたどって、「楽聖」となったのか。
師ハイドンはじめ同時代の音楽家たちとの出会い、《エロイカ》《第十交響曲》創作の謎、家族関係の苦悩と波乱の生活、各界の理解者や奇人らとの友情、そして恋人……
音楽のあり方を根本から変え、傑作を生み出し続けたその生涯に、音楽評論の名手が全角度から光を当てる、珠玉の二十話。
【本書の主な内容】
青春のボン/ベートーヴェンの愛―婚約説をめぐって/第十交響曲のゆくえ/《シンフォニアエロイカ》の謎/ 「メルツェルさん、さようなら」―メトロノーム考/ 《ウェリントンの勝利》の顛末/べートーヴェンと宗教―フリーメーソンだったのか?/イギリスへの夢―ニートとの交際をめぐって/オペラのライヴァル―同時代人ウェーバー/「第三の故郷」ボヘミア/ヴァイオリン・コンプレックス/コントラバスとマンドリン/ダンス音楽への愛着/「歓喜」の背景―日本人とベートーヴェン など
※1987年刊『ザ・ベートーヴェン』(春秋社刊)の文庫化

日本の修史と史学 歴史書の歴史
講談社学術文庫
現存する最古の歴史書『古事記』、『日本書紀』にはじまり、『大鏡』などの「鏡物」、『平家物語』などの軍記物語、鎌倉幕府による『吾妻鏡』や江戸幕府の『本朝通鑑』、『徳川実紀』、水戸藩が編纂した『大日本史』、そして『大日本史料』をはじめ現在まで続くものもある明治政府の歴史編纂事業にいたるまで、この国では1300年以上にわたってそれぞれの時代に、さまざまな人々の手で歴史書が編まれてきました。これらの編纂にあたった人々は、どのような目で歴史を眺め、そしていかなる態度で歴史を書いたのでしょうか。歴史に向き合う姿勢はどのような変遷を遂げてきたのでしょうか。
本書は、古代から現代にいたる歴史書を、時代を追って50以上にわたって取り上げ、それぞれの成立事情や特色を平易に解説したものです。歴史叙述の変遷の軌跡から、この国の歴史そのものが照らし出されます。
六国史研究の大家であるとともに、東京大学史料編纂所所長をも務め自身も史料の編纂に携わった、戦後の日本史学の礎を築いた著者が贈る、第一級の史学入門! (原本:至文堂、1966年)
【本書で取り上げられている主な歴史書】
『帝紀』、『旧辞』、『古事記』、『日本書紀』、『日本後紀』、『続日本後紀』、『類聚国史』、『日本紀略』、『本朝世紀』、『扶桑略記』、『栄花物語』、『大鏡』、『今鏡』、『水鏡』、『増鏡』、『愚管抄』、『将門記』、『陸奥話記』、『平家物語』、『保元物語』、『平治物語』、『太平記』、『梅松論』、『釈日本紀』、『神皇正統記』、『吾妻鏡』、『百錬抄』、『六代勝事記』、『五代帝王物語』、『元亨釈書』、『善隣国宝記』、『本朝通鑑』、『寛永諸家系図伝』、『武徳大成記』、『東武実録』、『武徳編年集成』、『御撰大坂軍記』、『寛政重修諸家譜』、『徳川実紀』、『続徳川実紀』、『後鑑』、『大日本史』、『中朝事実』、『武家事紀』、『藩翰譜』、『読史余論』、『古史通』、『史疑』、『折焚く柴の記』、『続史愚抄』、『野史』、『大勢三転考』、『古事類苑』、『大日本史料』など。

上杉謙信
講談社学術文庫
「彼は大名の座から逃げようと思えば逃げられる境遇にあった。事実一度は逃げ出した。しかし四囲の情勢から過重な大任を引き受け、進んで戦乱のなかに身を投じて行った――」。
のちに「越後の龍」、「軍神」とまで称され、戦上手の代名詞となった上杉謙信は、どのようにして歴史の表舞台に躍り出たのか。本書は、謙信の単なる一代記にとどまらず、謙信の父であり、文字通り戦いに明け暮れる生涯を送った「戦の鬼」長尾為景の下剋上を中心に、複雑な越後の政治情勢から丁寧に説き起こす。家督を継いだ謙信は、独立心旺盛な国衆の反乱や裏切りに苦しみつつも、武田信玄や、北条氏康ら戦国の雄との対陣を繰り返し、やがては織田信長をも破る強国へと越後を導いていく。その苦難の道のりは、思わず引き込まれてしまうような血の通った文章で活写される一方で、いたずらに対象を美化することなく、透徹したまなざしで戦国武将上杉謙信の実像に迫る。早逝が惜しまれる研究者による、刊行から半世紀経てもなお色褪せることのない謙信伝の古典!(原本:人物往来社、1966年)
解説(山田邦明・愛知大学教授)より
......歴史の大きな流れをどうつかみ、具体的に現れる事象をどう評価するか、個々の人間の動きや、彼らが織りなすドラマをいかに表現するか、そうしたことを考えさせてくれるものとして、活力にあふれた本書は大きな価値を持ち、光彩を放っている。

ヨーロッパ世界の誕生 マホメットとシャルルマーニュ
講談社学術文庫
「地中海世界」の没落と「ヨーロッパ世界」の誕生、その背後で決定的役割を果たしたイスラムへの着眼ーー。歴史家が晩年の20年に全情熱を傾けたテーマ。ピレンヌの集大成にして、世界的に参照され続けている古典的名著、待望の文庫化!

日本料理文化史 懐石を中心に
講談社学術文庫
茶道の美と精進の思想―和の食、かくして極まれり。
「懐石」と「会席」は何が違うのか。
利休の「一汁二菜」「一汁三菜」はなぜ正統となったのか。
「乾杯」の日本的起源とは。
茶道から生まれた様式がいかにして日本料理の伝統を形づくったのかを、資料から丹念に考察する。
和の食、その精髄たる懐石料理の誕生から完成、そして後世への継承という歴史の中に、
日本文化のエッセンスを見いだす類稀なる論考。
【本書より】
何故、懐石という新しい料理の様式が生まれたのか。その歴史的前提を明らかにしなければならない。料理に限らず、文化は一つの様式に固定してしまうと、それを内部から突き破る革新が起こって、また新しい創造的な歩みがはじまる。いわば本膳料理の行き詰まりを打破する革新であったと、さきに懐石を位置づけたのだが、では、本膳料理とは何か―
【本書の内容】
唐菓子と柏餅―序にかえて
第一部 懐石誕生
懐石の誕生
近世公家の懐石
千家茶会記にみる懐石
茶書にみる懐石の心得
第二部 懐石以前
大饗料理
本膳料理
精進料理
食の作法
第三部 料理文化の背景
中世の食文化点描―大工・荘園・都市
日本の食事文化における外来の食

ローマの哲人 セネカの言葉
講談社学術文庫
パクス・ロマーナ期、ローマ帝国で弁護士、元老院議員、財務官、法務官、そして皇帝ネロの顧問官を歴任したセネカ(前1年頃~65年)は、思想家として人生、死、貧困、徳、欲望と快楽、真の自由という、誰の人生にも関わるテーマについて普遍的なメッセージを遺している。「どうしてこんな面白いものが今まで日本ではほとんど読まれなかったのだ」――特定の他者にあてた書簡の形で著した十数篇の文章を、『清貧の思想』『ハラスのいた日々』の作家・中野孝次が晩年自らの翻訳で読み解く。道徳的退廃に陥った21世紀の日本を憂え、人として生きる術を説くいきいきとした箴言として提示した、現代人のためのセネカ入門。(原本:2003年岩波書店刊)

英国流 旅の作法 グランド・ツアーから庭園文化まで
講談社学術文庫
18世紀、古典教養を学ぶため、貴族の子弟や家庭教師がこぞってイタリアへと旅した、「グランド・ツアー」。
フランス革命が始まって海外渡航が難しくなると、今度は湖水地方への国内旅行へとシフトチェンジ、
ガイドブック片手に風景観賞(ピクチャレスク美)で美意識を磨く。
はたまた馬車が流行りだせば、「自らの歩き、詩想を深めるべし」と徒歩旅行が大ブームに。結果、ワ-ズワスはじめ、世界的ロマン派詩人を次々生み出した――。
どんな時代もどんな状況でも、「旅で学ぶ」「旅で成長する」という信念を守り続けた英国人。
彼らは、なぜこれほどまでに旅に焦がれ続けたのか。
旅の効用とは、一体何なのか。
その飽くなき情熱と、彼らが愛してやまない理想郷「田園」の精神的意味を
様々な史料、図版とともに考察する。
学術文庫版解説・桑木野幸司「イタリアが造った英国の風景」
本書は『イギリス的風景 教養の旅から感性の旅へ』(NTT出版 2007年刊)を加筆修正、改題したものです。

ロシア正教の千年
講談社学術文庫
時に激しく弾圧され、また、時にロシア愛国主義を鼓吹し、人々の精神的支柱となってきたロシア正教の1000年の歴史を、政治と社会の流れの中でとらえた労作の文庫化。
西暦988年、キエフを中心にロシアの国家的統一を果たしたウラジーミル1世は、ビザンチン帝国に範を求めて東方キリスト教(ギリシア正教)を国教に採用した。以来、ロシアはビザンチン文明圏に属し、モスクワは「第三のローマ」としての存在感を高める一方、西欧文明の恩恵から隔絶されることになった。同じキリスト教を共有しながら、ローマ法、ルネッサンス、宗教改革を経験せずに近代へと向かうのである。
ロシア革命による「無神論体制」の誕生と、ソヴィエト政権の熾烈な迫害は、宗教者たちを厳しく追い詰めたが、それゆえにこそ、ナチス・ドイツとの大祖国戦争では、スターリンに協力しソヴィエト愛国主義の先頭に立つが、戦後はふたたびフルシチョフの弾圧を受ける。ゴルバチョフ政権下でようやく「宗教ルネッサンス」を迎えるが、ソヴィエト体制の崩壊は、正教会にも深刻な分裂の危機をもたらしたのだった。
文庫化にあたり、「プーチン政権下の正教会」について大幅に加筆。
〔原本:『ロシア正教の千年――聖と俗のはざまで』日本放送出版協会刊、1993年〕
![ミシェル・フーコー [増補改訂]](https://dvs-cover.kodansha.co.jp/0000342322/ck02J92vArXn5SjyvE1oiYW3J7OhCrVbxAK1Me9k.jpg)
ミシェル・フーコー [増補改訂]
講談社学術文庫
世界について、人間について展開されてきた西欧の思考空間には限界があったのか。表象への傾き、理性との間合いの取り方など、人間の思考に掛けられたそれらの「鍵」をフーコーはどうやって解こうとしたのか。歴史の言説分析から「合理性」の型の多様さを描き出し、思考の臨界点に挑んだ「知の考古学者」が到達した地点とは? 旧版に付して長大な序文を書き下ろした、著者渾身のフーコー論。

武士の町 大坂
講談社学術文庫
江戸時代の大坂と言えば「天下の台所」、つまりは町人の都というイメージが強いだろう。司馬遼太郎は、幕府直轄の武士はわずか二百人と述べている。しかし、江戸時代のはじめからおわりまで、一貫して大坂は「武士の町」だったのだ!
大坂に武士はほんとうは何人いたのか?
武士たちはどうやって大坂の生活を楽しんでいたのか?
大坂城はどんな構造だったのか?
奉行所では何が行われていたのか?
大塩平八郎はなぜ決起したのか?
なぜ「大坂は町人の町」という言説が生まれたのか?
「武鑑」や、大坂町奉行所の絵図面、代官たちの日記、幕府にのこされた数々の文書など、数多くの史料を駆使して、大坂という町で、いかに武士が生き、歴史を動かしていたのかに光をあてる快心作。

日本の庶民仏教
講談社学術文庫
日本人は宗教になにを求め、なにを信じてきたのか? 仏教は思弁的な教義や哲学、僧侶の支配、また優雅な仏教芸術のみで語られるものではない。インドから中国、朝鮮を経て、欽明天皇十三年(西暦552)に日本に受容された仏教は、庶民の間で不安や苦痛、悩みからの救済として取り入れられ、それぞれの生活や慣習に合わせ独自の伝播と発展を見せた。観音信仰、ヤマ信仰、高野聖にイタコ、踊り念仏、お遍路さん――多種多様な民間宗教の形から、日本の仏教文化を問い直す。(原本:角川選書、1985年刊)

憲法問題
講談社学術文庫
本書は、一流の法哲学者である著者が死の3年前となる1964年に世に問うたものです。恒藤恭(1888-1967年)は、何よりもまず第一高等学校で同期だった芥川龍之介の親友として、旧姓の「井川恭」の名で知られており、1927年に35歳の若さで自害した親友のために、『旧友芥川龍之介』(1949年)という著作を発表しています。
恒藤自身は、京都帝国大学に進んで法学を修め、1929年には同大学法学部の教授に就任します。ところが、1933年に法学部の同僚である刑法学者の滝川幸辰に文部省が休職処分を下し、これに大学も従うという「滝川事件」が勃発すると、抗議のために辞表を提出した教授の一人に恒藤も名を連ねました。退官後は大阪商科大学(現在の大阪市立大学)に移った著者は、新カント派の法哲学を基礎にしつつ、社会科学・人文科学の成果を取り入れた独自の法哲学を築き上げます。その成果は、『法の基本問題』(1936年)や『法の精神』(1969年)などに結実しました。
本書は、こうした不世出の法学者が、1949(昭和24)年から1960(昭和35)年のあいだに雑誌に寄稿した文章を新書として刊行したものです。言うまでもなく、本書収録の最も古い文章が書かれた1949年の時点では、日本はまだ占領下にありました。日本が主権を回復すると同時に日米安全保障条約(旧安保条約)を締結するのは1951年、それが現在に至る新安保条約に改定されるのは1960年のことです。その間、国内では1947年に施行された日本国憲法に対して「押しつけられたもの」という評価を下し、改正を求める声があがります。その動向を見てきた著者は、確かに主権回復後日本は憲法を改正する資格を手にしているが、それは「法的条件」にすぎないと言います。
「日米新安保条約のために、わが国が米国に対して高度の従属関係に立っているかぎりは、日本国民の真実の総意に合致するようなしかたで憲法改正が行われ得るための十分な条件が欠けている状態が持続する」。そして、著者はこう続けています──「だから、日本国民が真に自主的な立場から日本国憲法を再検討し、その改正に着手すべき時期は、現在未だ到来していない、という認識こそは、憲法問題、とりわけ改憲問題を解決するための基準である、と考えられるのである」。
本書が刊行されてから半世紀以上を経た現在、この言葉に私たちはどう答えられるでしょうか。恒藤恭の著作初の文庫化となる本書は、今こそ私たちに問いを投げかけています。
[本書の内容]
一 戦争放棄の問題
二 日本民族の更生の途
三 憲法と新しい道徳基準
四 平和憲法と日本の運命
五 平和憲法と国民の真情
六 憲法問題解決の基準
七 平和憲法と最高裁の使命
解 説(角田猛之)

イマジネール 想像力の現象学的心理学
講談社学術文庫
本書は、実存主義の旗手として知られるフランスの哲学者・文学者であるジャン=ポール・サルトル(1905-80年)が1940年に出版した哲学著作である。ここに待望の文庫版での新訳をお届けする。
パリに生まれ、高等師範学校で哲学を学んだサルトルは、1927年に高等教育修了論文「心的生におけるイメージ」を執筆した。指導教授に出版を勧められたその原稿は、版元のアルカン社の判断で前半部だけが出版される。それが1936年に刊行された初の単著『想像力(L’Imagination)』である。その後、哲学論文「自我の超越」(1936年)、短篇小説「壁」(1937年)を発表したサルトルは、1938年に刊行した長篇小説『嘔吐』で一躍作家として脚光を浴びることになる。翌年勃発した第二次世界大戦に従軍したため、高等教育修了論文の後半部と考えられる本書『イマジネール(L’Imaginaire)』の出版は、1940年まで待たなければならなかった。
本書の主題となっている「イメージ(イマージュ)」は、両大戦間期にシュルレアリスム運動に参加した人たち、ジョルジュ・バタイユ、ガストン・バシュラールが関心を寄せた対象だった。そのような状況の中で本書が出版されると、即座に反応してイメージ論を展開したのがモーリス・ブランショであり、エマニュエル・レヴィナスである。その後も、モーリス・メルロ=ポンティ、ミシェル・アンリ、ロラン・バルト、ジル・ドゥルーズといった人たちにとって、サルトルのイメージ論が重要な対話相手になったことを忘れてはならない。
近年、イメージや想像力に対する関心は、映像をはじめとする創作の現場も含め、新たな広がりを見せている。豊富な具体例とともに多様な方向で考察が展開される本書を、研究の最前線に立つ二人の研究者が学術文庫のために新たに訳出した。決定版となるこの新訳によって、本書はさまざまな世界で刺激をもたらし続けるだろう。
[本書の内容]
序(アルレット・エルカイム=サルトル)
第一部 確実なもの
第一章 記 述
第二章 イメージの仲間
第二部 蓋然的なもの
第三部 心的生におけるイメージの役割
第四部 想像的生
結 論
訳者解説(澤田 直)

国富論(下)
講談社学術文庫
『国富論』1776年に出版されたアダム・スミスの『道徳感情論』(講談社学術文庫)とならぶ主要二大著作のひとつです。近代経済学の嚆矢とされ、社会思想史上の最重要古典でもあります。『国富論』の取り扱う主題は、多岐にわたり、
分業の役割、
貨幣の特徴、
労働と利子についての考察、
国家間貿易の意味、
国家社会の発展段階とその特徴、
分業と製造業の発展の関係、
国家における軍隊の維持、
道路、港湾、運河などのインフラストラクチャーの整備と維持、
税金の種類と意味、
会社による独占の問題、
重商主義と重農主義の検討、
公債についての考え方、
などなどです。
かつては、市場という「神の見えざる手」に委ね「レッセフェール(自由放任主義)」で、経済は自然と最善へと向かうと主張した書物と受け取られてきました。
しかしそのような読み方は単純にすぎます。
昨今の研究ではスミス『道徳感情論』とあわせて読むことで、真に国家が豊かになることの哲学を探究しています。

レイシズム
講談社学術文庫
日本人論の「古典」として読み継がれる『菊と刀』の著者で、アメリカの文化人類学者、ルース・ベネディクトが、1940年に発表し、今もロングセラーとなっている RACE AND RACISMの新訳。
ヨーロッパではナチスが台頭し、ファシズムが世界に吹き荒れる中で、「人種とは何か」「レイシズム(人種主義)には根拠はあるのか」と鋭く問いかけ、その迷妄を明らかにしていく。「レイシズム」という語は、本書によって広く知られ、現代まで使われるようになった。
「白人」「黒人」「黄色人種」といった「人種」にとどまらず、国家や言語、宗教など、出生地や遺伝、さらに文化による「人間のまとまり」にも優劣があるかのように宣伝するレイシストたちの言説を、一つ一つ論破してみせる本書は、70年以上を経た現在の私たちへの警鐘にもなっている。
訳者は、今年30歳の精神科医で、自らの診療体験などから本書の価値を再発見し、現代の読者に広く読まれるよう、平易な言葉で新たに訳し下ろした。グローバル化が急速に進み、社会の断絶と不寛容がますます深刻になりつつある現在、あらためて読みなおすべきベネディクトの代表作。

全体性と無限
講談社学術文庫
本書は、エマニュエル・レヴィナス(1906-95年)の主著にして、20世紀を代表する哲学書(1961年)の決定版となる新訳である。
リトアニアのユダヤ人として生まれたレヴィナスは、ストラスブール大学で哲学を学び、生涯の友となるモーリス・ブランショと知り合うとともに、決定的な出会いを経験した。それがエドムント・フッサールの現象学との、そして1927年に刊行されたマルティン・ハイデガーの『存在と時間』との出会いである。翌年からフライブルクでこの二人の講義に出席し、1930年にはフランスに戻って現象学を主題とする博士論文を出版したレヴィナスはフランスに帰化した。
第二次世界大戦では通訳兵として召集されたが、ドイツ軍の捕虜として収容所で終戦を迎える。戦後は東方ユダヤ師範学校の校長として教育に携わる傍ら、講演や論文執筆などに注力した。そうして書き上げられたのが国家博士号請求論文となる本書であり、これは後年の『存在するとは別の仕方で あるいは存在の彼方へ』(1974年)と並ぶ主著として読み継がれている。
本書は、西洋を支配してきた「全体性」を標的に据えている。全体性は、個体を「自分に命令を下してくる諸力の担い手」に還元し、個体から主体性を奪う。そうして主体性を失った個体は他者に暴力をふるうだろう。レヴィナスは、このような全体性に対抗するものとして「無限」を掲げる。無限とは、本書の副題「外部性についての試論」にも示されているように「外部性」を指す。外部性とは「他者」であり、他者は「私のうちなる他者の観念をはみ出しながら現前する」とき、私の前に「顔」として現れる。その顔に現れる無限に応答すること――それこそが重要なことであり、存在論は倫理学に取って代わられねばならない。
全体性ゆえの暴力にさらされたレヴィナスの父や兄弟は、ナチスの手で殺害された。そうした暴力は、その後も、そして今も、世界の至る所でふるわれ続けている。レヴィナスの思想を多くの人が希求する時代は、よい時代とは言えないかもしれない。だが、そのような時代にピリオドを打つためにも、本書は正確さと明快さをそなえた日本語で訳される必要がある。気鋭の研究者が全身全霊を捧げて完成させたこの新訳によってこそ、本書は次の世代に受け継がれていくだろう。
[本書の内容]
第I部 〈同〉と〈他〉
第II部 内奥性と家政
第III部 顔と外部性
第IV部 顔の彼方へ
訳者解説
*お詫びと訂正
第1刷の「訳者解説」(561頁14行目)に記述の誤りがありました。心よりお詫びいたしますとともに、以下のとおり訂正させていただきます。第2刷以降は訂正いたします。
【誤】
博士論文としての審査後に
【正】
博士論文としての審査の少し前に

レヴィナス 「顔」と形而上学のはざまで
講談社学術文庫
本書は、近年ますます注目されるフランスのユダヤ系哲学者エマニュエル・レヴィナス(1906-95年)の思想を正面から考察し、批判的に継承することを企てた意欲作である。
著者自身が「愚直にレヴィナスの中心的問題の批判的論究を試みた」と言うとおり、本書でなされているのはレヴィナスの2冊の主著『全体性と無限』(1961年)と『存在とは別様に、あるいは存在することの彼方へ』(『存在の彼方へ』)(1974年)を丹念に読み解き、その考察を厳密に検討する、という当たり前の営為である。そこで問われるのは「他者が「絶対の他」であると共に私に対し無制限に責任を求めるものだというが、それは具体的にはどういうことを意味しており、またそれが事象において確認できるものか」、そして「彼のこのような極端な責任理解が、レヴィナス個人の倫理的立場の表明にとどまらず、われわれの倫理の分析としてどういう意味をもつのか」、「彼が力点を置く言語の問題において現れる他者と無制限の責任を求める他者との間に矛盾はないのか」という本質的な点にほかならない。
第一の主著『全体性と無限』を厳しく批判する論文「暴力と形而上学」(1964年)を発表したジャック・デリダ(1930-2004年)の議論をも検討しつつ、「他者」をいかにして言語化するか、という問題をめぐって第二の主著『存在の彼方へ』への転回がなされた意味は何かが考察される。第一の主著に胚胎していた問題を、第二の主著は克服しえたのか――著者は、レヴィナスが十分に突きつめずに終わった問題を「ケア」の理論を用いて発展させ、批判的な継承を試みる。この企てを通じて、レヴィナスの思想は今日を生きる私たちにとって生きた意味をもつようになる。
本書の原本が刊行されてから現在までの20年間に、レヴィナスの主要著作はほぼすべて日本語訳され、『全体性と無限』についても新訳がなされるようになった。進展する研究状況の中でも、本書は常に参照されるべき準拠点として、すでに「古典」の地位を確立したと言える。学術文庫として生まれ変わったことで、本書は輝きを放ち続けることだろう。
[本書の内容]
第I部 「顔」と形而上学──『全体性と無限』
第一章 「顔」──輪郭の描写
第二章 「選 び」
第三章 「同」と「他」
第四章 デリダの批判──「暴力と形而上学」
第五章 「教え」──倫理と学
第六章 「他」の言表──デリダの批判再び
第II部 方法の先鋭化──『存在の彼方へ』
第七章 「他」を語ることの困難──『存在の彼方へ』に向けて
第八章 絶対他把握の方法的問題
第九章 「感受性」と「語ること」
第十章 「顔」から「正義」へ
第十一章 レヴィナスへの批判と顔の倫理学の可能性

国富論(上)
講談社学術文庫
『国富論』1776年に出版されたアダム・スミスの『道徳感情論』(講談社学術文庫)とならぶ主要二大著作のひとつです。近代経済学の嚆矢とされ、社会思想史上の最重要古典でもあります。『国富論』の取り扱う主題は、多岐にわたり、
分業の役割、
貨幣の特徴、
労働と利子についての考察、
国家間貿易の意味、
国家社会の発展段階とその特徴、
分業と製造業の発展の関係、
国家における軍隊の維持、
道路、港湾、運河などのインフラストラクチャーの整備と維持、
税金の種類と意味、
会社による独占の問題、
重商主義と重農主義の検討、
公債についての考え方、
などなどです。
かつては、市場という「神の見えざる手」に委ね「レッセフェール(自由放任主義)」で、経済は自然と最善へと向かうと主張した書物と受け取られてきました。
しかしそのような読み方は単純にすぎます。
昨今の研究ではスミス『道徳感情論』とあわせて読むことで、真に国家が豊かになることの哲学を探究しています。
コンパクトに全2巻で刊行!