講談社選書メチエ作品一覧

銭躍る東シナ海 貨幣と贅沢の一五~一六世紀
銭躍る東シナ海 貨幣と贅沢の一五~一六世紀
著:大田 由紀夫
講談社選書メチエ
〈共進化する東アジア史を、貨幣という視点から捉える!〉 「ちかごろ北京城の内外で人々は贅沢を好み、貴賤を問わず、みな金襴や宝石を身に着け、服装がみずからの分限を甚だしく越え、どの宴席でもいつも盛りだくさんの料理や菓子などが並べられ……」 15世紀後半、明の都・北京では人びとが競って贅沢にふけるようになった。奢侈の風潮は、さらに朝鮮半島、そして日本列島にも伝播し、絹製品や陶磁器・金銀・珠玉などの「唐物」が東シナ海を盛んに行き交うこととなる。 大陸・半島・列島にわたる「贅沢の連鎖」はなぜ起こったのか? それは単なる偶然ではなく、また各地域内の単一事象だけでも決して説明がつかない、世界史的事件であった! これまで日本史の枠内で捉えられていた応仁の乱前後を画期とする日本列島の経済成長も、日朝交易が過熱化し半島から列島へ流れ込む朝鮮綿布、琉球を経由した唐糸・青花の流入といった多地域にわたる国際交易の活況と切り離して考える事ができない。 中世日本の経済成長、私鋳銭の流通や石高制への変化などの事象も、東アジア各地の経済成長と連動したものであった。 本書は、中国・朝鮮・日本の経済変動が相互に影響を与え合い、複数の起点からなる共時的な歴史変動がいかに生起するかを探る試みである。 【本書より】 総じて、およそなんの関わりもないように思われてきた東アジア各地の個々の事象が互いに関連し合い、やがてひとつの大状況(東アジア大での経済成長、日本銀の登場、倭寇的状況など)を創出し、さらにその大状況が多数の事象を派生させるとともに、これらの事象によってふたたび変容する、そのような歴史過程を描き出すことが本書の目的である。いままで意識されなかった歴史の「流れ」を見出し、その生成・展開を跡づけることを通して、この時期の中国史・日本史そして東アジア史をめぐる既存の認識とは多少なりとも違ったストーリーを提示できればと考えている。 【主な内容】 第一章 贅沢は連鎖する ─明・朝・日の経済成長 第二章 悪銭と悪布─ 巻き起こる通貨変動 第三章 そして「倭銀」があらわれた 第四章 活況と騒乱の東アジア─ シルバー・ラッシュがもたらしたもの おわりに ─ 「唐物」と「夷貨」:東アジア史を動かす“モノ”
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機械式時計大全
機械式時計大全
著:山田 五郎
講談社選書メチエ
より正確で安価なクオーツ式が普及したにもかかわらず、 高価な機械式腕時計に魅せられる人が後を絶たないのは何故か? 永久カレンダー、天文表示、オートマタ、鳴り物など、五大複雑機構の仕組みと変遷、 13世紀から今日へ語り継がれた数々の逸話の真偽、 スイス、ドイツ、日本85ブランドの特徴と代表モデル、購入時や使用時の注意点まで――。 博覧強記の著者が半世紀かけて積み重ねた知見を、豊富な図版と共に披露! ■YouTube「山田五郎 オトナの教養講座」にて、著者自らの本書制作秘話公開中!■ 序章・そもそも機械式時計とは 1)機械式とクオーツ式 2)そもそも「機械式」とは何か 第一章 機械式時計の基本構造 第二章 複雑機構 序)複雑機構とは何か 1)クロノグラフ 2)永久カレンダー 3)天文表示 4)オートマタ 5)「鳴り物」(アラーム・ソヌリ・リピーター) 第三章 間違いだらけな時計の歴史 11~13C・機械式の起源:「機械式時計は中国で発明された」=× 14C・複雑機構の起源:時計の機構はより複雑な方が高度である=× 16C・携帯時計の起源:「携帯時計はペーター・ヘンラインが1505年に発明した」=× 16C・時計と宗教改革:「スイスで時計産業が発達したのは水と空気がきれいな山国だから」=× 16~19C・和時計の誕生と進化:「機械式時計の1時間は夏でも冬でも変わらない」=× 17C・振子とヒゲゼンマイの誕生:「振子時計はガリレオが発明した」=× 18C・経度の発見:「クロノメーターは時計の精度の公式認定規格」=△ 18C・マリー・アントワネットと3人の時計師:「ボーマルシェは劇作家である」=△ 18~19C・時計産業の機械化:「高級時計は伝統的な手仕事で作られる」=△ 19~20C・腕時計の誕生:「腕時計はA=L・ブレゲが発明した」=× 20C・クオーツ危機:「日本のクオーツ式がスイスの機械式を駆逐した」=× 20C・スイス時計産業の復興:「スウォッチグループはN(ニコラス)=G(ジョルジュ)・ハイエック氏が創業した」=△ 21C・スイス時計20××年問題:「機械式腕時計のムーヴメントは大半がETA社製」=○→× 第四章 機械式時計の現状と主なブランド 第五章:機械式腕時計の選び方と買い方 1)何を選ぶ? 2)どこで買う? 3)どこを見る? コラム1:「エアリーの定理」って、どんな定理? コラム2:スイスの時計業界用語 コラム3:「時計界のピカソ」G・ジェンタ  コラム4:腕時計のドレスコード
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鷹将軍と鶴の味噌汁 江戸の鳥の美食学
鷹将軍と鶴の味噌汁 江戸の鳥の美食学
著:菅 豊
講談社選書メチエ
おいしい野鳥が食べたい!――幕府の権力をもってしても、江戸のグルマンの食欲を抑え込むことはできなかった。失われた食文化の全体像を、初めて描き出す異色作! 江戸時代の人々は、多くの「野鳥」を多彩な調理法で食していた。鶴、白鳥、鴨、雁、雉子、雲雀、鷺、雀、鳩・・・それらは、食のみならず政治や経済、儀礼などをめぐって、魚やほかの動物たちには見られない、複雑で高度な文化の複合体を形作っていた。鳥は、日本文化そのものを理解するうえで欠かせない重要な動物だったのである。 歴代の徳川将軍は、鷹狩で野鳥を狩り、鶴を天皇に献上し、また大名や家臣に獲物を分け与えた。中・下級の武士たちは雁鍋や鴨鍋を楽しみ、裕福な町人は料亭で野鳥料理に舌鼓をうち、庶民は鴨南蛮や雀焼といった素朴なファストフードを頬ばった。幕府によって野鳥流通が厳しく統制され、日本橋の水鳥市場は活況を呈し、その大きな利権を狙ってアウトローたちがうごめいていた。しかし、江戸時代に隆盛を極めたこの食文化は、明治以降、衰退してしまう。そして今、数千年の歴史をもつ野鳥を食べる伝統文化が、日本から消滅しようとしている。 さまざまな野鳥料理のレシピ、江戸に鳥を送っていた村のフィールドワークなどから、語られざる食文化を総合的にとらえたガストロノミー(美食学)の誕生。 目次 序章 鳥の味にとりつかれた美食家たち 第一章 鳥料理の源流――京料理から江戸の料理へ 1 日本人はいつから鳥を食べていたのか? 2 中世の鳥料理 第二章 江戸時代の鳥料理と庖丁人――鶴の味噌汁、白鳥のゆで鳥、鷺の串焼き 1 江戸の町から出てきた大量の鳥の骨 2 『料理物語』のレシピ 3 庖丁人――一流シェフの伝統と技術 第三章 大衆化する江戸の鳥料理――富商、貧乏武士、町人の味覚 1 鶏鍋、雁鍋、鴨鍋――中級・下級武士の食卓 2 料亭・名店の味――富裕層、文人墨客の贅沢 3 鴨南蛮と雀焼――庶民の素朴なファストフード 第四章 闇の鳥商売と取り締まり――せめぎあう幕府と密売人 1 「生類憐れみの令」による危機 2 アウトローたちの鳥商売の手口 3 鳥商売と大岡裁き 第五章 侠客の鳥商人 ――東国屋伊兵衛の武勇伝 1 日本橋・水鳥市場の男伊達 2 幕臣と侠客との親密な関係 第六章 将軍様の贈り物――王権の威光を支える鳥たち 1 鷹狩と贈答による秩序維持 2 「美物」の使い回し――中世の主従関係 3 「饗応料理」の鳥の意味 第七章 江戸に鳥を送る村――ある野鳥供給地の盛衰 1 手賀沼の水鳥猟 2 西洋的狩猟の浸食 3 カモが米に負けた 終章 野鳥の味を忘れた日本人
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Savoir & Faire 木
Savoir & Faire 木
編:エルメス財団
講談社選書メチエ
本書は、エルメス財団が推進するプロジェクト「スキル・アカデミー」の一環として企画された書籍シリーズ「Savoir & Faire」をベースに日本語版オリジナルのコンテンツを加えて構成しています。身近にある素材から「木」を選び、「木とは何か」を多角的に捉える意欲的な取組です。 職人技には、身体性と精神性があります。単純な技術を超える真の「わざ」を「スキル」と呼びたいと思います。フランスでは職人やデザイナー、エンジニアたちが専門分野を超えて、天然素材にまつわる知識や技術を共有するための試みとして、スキル・アカデミーが開催され、好評を博しています。本書『Savoir & Faire 木』は、フランス語版から精選した記事を翻訳・収録し、日本人の方 11 名にご寄稿をいただきました。 知っているようで知らない「木」の深い世界に触れれば、木を扱う時に、見る時に、今までとはちがった感覚を覚えることでしょう。 【le livreとは】 フランス語で「本」を意味する《livre》に定冠詞《le》をつけた「ル・リーヴル」は、講談社選書メチエの中に新たに設けられた特装版シリーズです。従来の選書メチエの枠を超える形式やテーマを試みたり、物質としての本の可能性を探ったりします。今あらためて「本というもの」を問い直すために――。 【目次】 日本語版に寄せて オリヴィエ・フルニエ  ものづくりの知恵とわざ ユーグ・ジャケ 木はリゾームである、そして非有機性のほうへ 宇野邦一 I 木と出会う 木材を知り、見分け、名付ける ポール・コルビノー+ニコラ・マッキオーニ 日本人にとっての木 有岡利幸 中世における木 ひとつの文化史ミシェル・パストゥロー ひと 内藤礼 II 木と生きる 日本の木造建築の歴史と特質 藤森照信 デザイン、工芸、そして工業における素材の技術的発展 レイモン・ギドー 木工家具とDIYスキルの可能性 石巻工房 パリ工芸博物館所蔵品の道具についての考察 エリック・デュボワ 木と仏像 藪内佐斗司 森は目である。その目には視線が刻まれている ジュゼッペ・ペノーネ III 木と感じる 「木」と食の文化 小泉武夫 日常の木の器 仁城義勝/仁城逸景 わずかな素材できわめて優美な物を作るという、いともシンプルな発想 エルワン・ブルレック 香る木 ジャン=クロード・エレナ 木と熙 山本昌男
近代アジアの啓蒙思想家
近代アジアの啓蒙思想家
著:岩崎 育夫
講談社選書メチエ
香港に国家安全維持法を導入した習近平の中国、ミャンマーの軍事クーデタ、フィリピンで強権をふるうドゥテルテ大統領など、現在、アジアの国々で、自由と人権の尊重、民主主義といった近代の潮流とは逆方向の動きが目立っている。アジアではこの100年余り、西欧起源のこうした思想と原理で自国を作り替える試みが続いてきたが、いまだ完全に自らのものとするに至っていないのである。しかもこうした「逆方向の動き」は、アジアのみならず、欧米社会でも起こっている。 そもそも、ヨーロッパに生まれた「啓蒙思想」は、アジア各地の知識人にどんな衝撃を与えたのか、そして、彼らはどんな社会をめざしたのか。アジア各国の啓蒙思想家の生涯から、近代アジアの苦闘の歴史と、現代にいたる矛盾をとらえ直す。 序章では、その最初期のモデルとしての福沢諭吉を取り上げる。以下、中国で革命を志した陳独秀と胡適、インドネシアの女性運動の先駆者カルティニ、インドのネルーとガンディー、朝鮮の儒教知識人・朴泳孝、日本に近代化を学んだベトナムのファン・ボイ・チャウ・・・。いずれも、アジアの進むべき道をしめした「道先案内人」であり、日本の啓蒙思想家・中江兆民が言うところの「種を播いた人」であった。そして、「啓蒙思想」は過去のものではなく、それを実現するための運動は今も受け継がれて「現在進行形」なのである。
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使える哲学 私たちを駆り立てる五つの欲望はどこから来たのか
使える哲学 私たちを駆り立てる五つの欲望はどこから来たのか
著:荒谷 大輔
講談社選書メチエ
新しいウイルスの蔓延をはじめ予期せぬ出来事が次々に起こり、AIなどの技術が想像もしなかった可能性を現実にする状況は、とどまるところを知りません。全体を見通すことは難しく、自分が今どんなところにいるのかも分からぬまま、新たな事態に翻弄されながら生きている、というのが多くの人の実感でしょう。 そのとき「使える」のは「哲学」である――これが本書のメッセージです。では、どのように使えるのか。その威力を実際に体験していただくために、本書は「富」、「美」、「科学」、「正義」、「私」という5つのテーマを設けました。誰もが「富」を手にし、「美」しくありたいと願いますが、それを実現するのに必要なのが、さまざまなテクノロジーを生む「科学」だと信じています。ところが、「富」と「美」だけでは満足できず、誰もが自分は正しいと信じ、「正義」ゆえに葛藤や悲劇が生み出されます――そのすべては「私」への固執がかつてないほど強くなった時代の現象です。 つまり、「富」、「美」、「科学」、「正義」、「私」は、どの時代、どの場所でも同じだったのではなく、歴史の産物なのです。それがいかにして生まれ、いかに変化してきた結果、現在の私たちを捉え、駆り立てているのかを解明できるのは、哲学だけだと断言できます。本書は、近年の出来事からスタートして、歴史の地層を掘り進め、徐々に深度を下げていく作業を実演していきます。従来の哲学史のように歴史をくだっていくのではなく、まるで発掘の作業のように歴史をさかのぼっていった先で、真の自由を手にできるはずです。 [本書の内容] I 富:「承認」への欲望 深度0 2019年:「富」の魔法/深度2 1867年:マルクスの価値形態論/深度3 1759年:アダム・スミスの道徳論/深度4 1517年:プロテスタント神学の救済論 II 美:「尊さ」への欲望 深度0 2019年:「美」の消費/深度1 1979年:「大きな物語の終焉」/深度2 1800年:「芸術」という神話/深度4 1590年:「何かよくわからないもの」の優美=恩寵 III 科学:「進歩」への欲望 深度0 2020年:「科学」の信仰/深度1 1962年:クーンの「通常科学」/深度4 1543~1687年:近代科学の「パラダイム」 IV 正義:「権利」への欲望 深度0 2017年:「正義」の揺らぎ/深度1 1962~71年:リベラリズムの「理想」/深度4 1690年:自然権のゆくえ V 私:「ありのまま」への欲望 深度0 2020年:「私」の全肯定/深度3 1781年:カントの「理性」/深度4 1641年:デカルトの「コギト」/深度1 1923年:無意識を操作する広告技術 欲望の哲学史から未来へ
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第三の精神医学 人間学が癒やす身体・魂・霊
第三の精神医学 人間学が癒やす身体・魂・霊
著:濱田 秀伯
講談社選書メチエ
本書の表題に掲げられた「第三の精神医学」とは、いったいどのようなものなのか、と思われることでしょう。それは、長年にわたって第一級の精神科医として臨床経験を重ねてきた著者が、われわれに向けて投げかける重要な提案です。 著者は言います。「10年、20年と診療を続けるうちに、さまざまな年齢の患者さんたちが、教科書に記されているような症状の背後に、若いころから同じ悩みを引きずっていることに気づき、私はこれこそが精神病の本質であるとの確信を抱くようになった」。では、その「精神病の本質」とは何でしょうか。それは動物実験や脳の分析では決して明らかにならない「人間本来の価値」であり、「生きる意味」そのものだ、というのが答えです。 当たり前のことに聞こえるかもしれません。しかし、18世紀後半に開始された近代的な精神医学の歴史を振り返るなら、その当たり前のことに到達できずにいた現実が分かります。本書は、フランスのフィリップ・ピネル(1745-1826年)に始まる歴史をていねいにひもときながら、1) エミール・クレペリン(1856-1926年)によって確立された、脳を観察する神経組織病理学と疾病分類学に基づく身体・自然科学的な精神医学、2) ジークムント・フロイト(1856-1939年)に代表される、個人心理学としての心理・精神分析的な精神医学、という二つの大潮流を跡づけていきます。その上で、これらのいずれにも与しなかったカール・ヤスパース(1883-1969年)に「第三の道」を見出し、その可能性を最大限に引き出そうと試みるのです。 第三の精神医学では、人間は「身体」、「魂」、「霊」という三つの層が折り重なった存在として捉えられます。本書は、それぞれの層を分かりやすく解説するとともに、それぞれの層に生じた障害への対処法をも紹介します。その結果、「心の病気」の「治療」とはいったい何をすることなのかが本当の意味で明らかになるでしょう。 多くの人が心の問題に悩まされ、苦しんでいる今日、本書はささやかな、しかし力強い希望の光を放っています。 [本書の内容] 序 章 精神医学と世俗化 第一章 宗教的存在としての人間 第二章 人間の精神構造 第三章 愛の秩序 第四章 心の病気とは何か 第五章 心の病気の治療 終 章 エマオへの道
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武士論 古代中世史から見直す
武士論 古代中世史から見直す
著:五味 文彦
講談社選書メチエ
 武士とはいかなる存在であり、いかに成長して武家政権を築きあげたのか。著者ならではの、多彩な史料を駆使して描き出される500年の歴史!  鎌倉幕府の成立から江戸幕府の終焉までを考えても、武家政権が存続した期間は実に700年近くにも及ぶ。少なくとも「日本」という国号が使われるようになってからのこの国の歴史の半分は、武士が支配的であったことになる。彼らは一体なにもので、どのように成長し、そしていかなる政権を築きあげたのか。  8世紀に武をもって朝廷に仕える下級官人と規定された「武士」は、「兵(つわもの)」や「武者」として史料上に登場すると、戦乱を繰り返し、やがては朝廷にまでその力を及ばせ、公武にわたる政権を樹立するに至る。『今昔物語集』に見える平将門らの「兵」にはじまり、承平天慶の乱、前九年、後三年の合戦、保元・平治の乱、源平合戦、南北朝の動乱と、戦乱を重ねるごとに成長し、武家政権の到達点である足利義満の栄華にいたるまで、およそ500年の道のりを描き出す。  同時に、古文書や日記のみならず、説話集や軍記物、絵巻、遺跡の発掘成果などを駆使して、主従契約や一揆契約のありさま、親や主君の敵討ち、切腹、集団自決、殉死などの武士の作法、さらには武士の構えた宅や館など、様々な武士の存在形態を明らかにする。  芸能や文化を含む独自の幅広い視野で研究を重ねてきた著者による、決定版武士の歴史! 【本書の内容】 はじめに 第1章 武士の源流  一 兵たちの世界  二 京の武者と諸国の兵  三 兵・武者から武士へ 第2章 武士の成長  一 武士の家  二 武家と武士団 第3章 武家政権と武士  一 二つの武家  二 鎌倉幕府の成立と武士 第4章 北条政権下の武士  一 泰時の政治と鎌倉  二 鎌倉後期の武士の環境  三 絵巻に見る武士像 第5章 京の足利政権と武士  一 幕府の滅亡と室町幕府  二 南北朝の対立  三 室町幕府の体制  四 武士と武家政権の到達点 まとめと展望 コラム 伝説の武者像 コラム 為朝伝説の行方 コラム 能に描かれた武士
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夢と虹の存在論 身体・時間・現実を生きる
夢と虹の存在論 身体・時間・現実を生きる
著:松田 毅
講談社選書メチエ
『なぜ世界は存在しないのか』でその名を轟かせたマルクス・ガブリエルをはじめ、「哲学」が注目を浴びることが多くなっています。出版界を眺めれば、古典や現代哲学の日本語訳、初心者向けの入門書、専門家の研究書などなど、幾多の書籍であふれかえり、何を手にすればいいのか、本当に「哲学する」ことを教えてくれるのはどの本なのか、すぐには分からないのが現状だと言わざるをえません。本書は、実力者として知られる著者が、入門書から一歩でも二歩でも先に進み、自分自身で「哲学する」ことを求める人に向けて、そのために役立つモデルを提供するものです。 哲学を始めるには、まず過去のさまざまな哲学者たちの議論を知ろうとすることでしょう。そのための入門書や解説書はたくさんありますが、そこで展開される思考が、今ここで生きている自分と、あるいは自分が生きているこの現実と、どのように切り結ぶものなのかは、誰も教えてくれません。本書でも、デカルト、スピノザ、ライプニッツといった17世紀に生きた哲学者たちを取り上げますが、目的は彼らの思想を手軽に知ることではなく、それを自分の問いにするとはどういうことのなのかを示すことにあります。 本書が表題に掲げる「夢」と「虹」は、いずれも、存在しているのか、存在していないのかを明確には言うことのできない、曖昧なものです。「夢」については、第I章で取り上げられる『千一夜物語』の「目覚めて眠る男」が恰好の題材になります。それは、バグダードを舞台にして、ハサンという男がカリフ(イスラームの最高指導者)のアル・ラシードに騙される物語です。酩酊から醒めたとき、ハサンはカリフとして丁重な扱いを受けます。これはアル・ラシードが悪戯で命令したからなのですが、はじめは困惑していたハサンも徐々にその気になり、自分は本当にカリフなのだと思うようになるのです――さて、ハサンが体験したのは「現実」なのでしょうか、それとも「夢」なのでしょうか。ここには、まさに「哲学する」ための最高の問いがあります。 本書は、このように「夢」と「虹」という題材から始め、さらには「身体」と「時間」という私たちとは切っても切れないものに進んで、最終的には「存在」を取り上げ、マルクス・ガブリエルの議論と対決します。各章の末尾には、みなさんが「哲学する」ための練習問題を設けることで、さらなる一歩にいざなってくれるでしょう。中には難しいところもあるかもしれません。でも、本書を手がかりにして根気よく思考していったとき、そこには見たこともない光景が広がっていることでしょう。 [本書の内容] 第I章 夢――デカルトとライプニッツから始める 第II章 虹――現象と幻想の存在論的距離 第III章 私の身体――因果と表象の二重性 第IV章 時 間 第V章 現実の存在論
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日本近現代建築の歴史 明治維新から現代まで
日本近現代建築の歴史 明治維新から現代まで
著:日埜 直彦
講談社選書メチエ
本書は、明治維新から現在に至る日本の建築史を一筆書きで描き出す試みである。日本の建築史については、これまで幾多の著作が書かれてきたが、1970年までで終わるものがほとんどで、その後の時代を包含するものはない。バブル経済に沸き立った1980年代を経て、長い不景気の時代を迎えた日本は大きな変化を受けている。ならば、21世紀の今、本当に必要なのは、この150年の歴史を通覧することにほかならない。 本書は全二部で構成される。第一部では、従来の建築史が扱ってきた明治維新から1970年代までの時期を取り上げる。そこでは、「国家のための建築」という特殊な役割を負わされる中で、明治期に導入された西洋の建築様式との格闘を続けながら、大正期、戦時期、そして戦後の復興から高度経済成長期までの激動の歴史が描き出される。続く第二部は、その「国家のための建築」という役割から解放された建築が、いかに拡散し、現在見られるような複雑な様相を呈するに至ったのかを見る。 自宅にいても、街に出ても、常に私たちは建築に囲まれている。にもかかわらず、建築について、その歴史について、手軽に基本的な知識を得られる書籍がない、というのは不思議なことである。本書は、そんな状況に終止符を打つべく、専門的な知識を必要とせず、ただ歴史的な建築物を羅列するのではなく、それぞれの時代に何が求められ、何が考えられたのか、その背景には何があったのかを明快に描くことを主眼としている。 本書を読めば、日本の建築について知悉できるばかりか、建築とは何か、そして建築物とともに生きるとはどういうことなのか、という重要な問題について明確なイメージをもつことができるだろう。 建築家として活躍するだけでなく、建築批評でも定評ある地位を確立してきた著者が手がけた壮大なドラマ、ついに完成。 [本書の内容] 第一部 国家的段階 第一章 明治維新と体系的な西洋式建築の導入/第二章 非体系的な西洋式建築導入/第三章 国家と建築家/第四章 明治期における西洋式建築受容の到達点/第五章 直訳的受容から日本固有の建築へ/第六章 近代化の進行と下からの近代化の立ち上がり/第七章 近代建築の受容と建築家の指向の分岐/第八章 総動員体制とテクノクラシー/第九章 戦災復興と近代建築の隆盛/第一〇章 建築生産の産業化と建築家のマイノリティ化/第一一章 国家的段階の終わり 第二部 ポスト国家的段階 第一章 ポスト国家的段階の初期設定/第二章 発散的な多様化と分断の露呈/第三章 新世代の建築家のリアリティと磯崎新/第四章 定着した分断とそれをまたぐもの/第五章 バブルの時代/第六章 一九九◯年代以降の展開と日本人建築家の国際的な活躍/第七章 ポスト国家的段階の中間決算
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自然の哲学史
自然の哲学史
著:米虫 正巳
講談社選書メチエ
「自然(nature)」というと、どんなイメージが浮かぶでしょう。海や森、動物や植物たちのおだやかな光景? 台風や地震など、災禍を及ぼすものを思う人もいるかもしれません。いずれにせよ、そこにある「自然」は人間に、そして「人為」に対立するものと捉えられています。人為による自然の破壊といった表現は、その対立を前提にしていると言えるでしょう。では、人間は自然に含まれていないのか。自然とは人間と無関係の対象として捉えることのできないものなのでしょうか。 本書は、こうした素朴な問いが哲学の端緒から現代までを貫いていることを示し、各時代に捉えられてきた「自然」がいかに変化してきたのかを描き出す壮大な試みです。プラトン、アリストテレスの古代ギリシアに始まり、古代ローマ、中世、ルネサンスを経て、17世紀のベーコン、デカルト、ライプニッツ、スピノザに至る流れを追ったあと、そこに共通する〈一なる全体〉という自然のイメージが取り出されます。このイメージの問い直しは、18世紀のディドロやルソーによって本格的に開始されたあと、カントを経て、19世紀のニーチェで頂点に達するものです。続く20世紀以後の現代に至って、自然のイメージは決定的な変容を遂げます。それが〈自然かつ人為〉という矛盾した表現をするほかない「自然」です。本書は、それをシモンドンやドゥルーズといった思想家の検討を通して明らかにし、歴史が哲学の思考に追いついていくさまを明らかにしていきます。 多くの研究者から信頼される著者がついに解き放つ待望の単著。渾身の思想劇! [本書の内容] 第I部 1 古代ギリシア哲学の自然と人為(1) 2 古代ギリシア哲学の自然と人為(2) 3 古代ローマ期から中世までの自然/技術 4 自然の逆説 5 非自然的なものの自然性 6 デカルト、ライプニッツ、そしてスピノザ 7 自然/人為という区分の手前で 第II部 1 ディドロの技術論 2 ルソーにおける自然と技術 3 アリストテレス再考 4 〈一なる全体〉としての自然(1) 5 〈一なる全体〉としての自然(2) 第III部 1 「神すなわち自然」 2 〈一なる全体〉としての自然を語らないこと 3 一八世紀に哲学史的断絶は存在したのか 4 〈一なる全体〉としての自然の復興? 5 「カオスすなわち自然」 第IV部 1 生命と技術 2 〈自然かつ人為〉としての自然 3 哲学に追いついた歴史 4 非人間的な〈自然〉 第V部 1 現代における自然哲学の条件 2 前-個体的存在と個体化 3 シモンドンと自然の概念 4 〈一〉以上のものとしての自然 第VI部 1 自然概念の第一の局面 2 自然概念の第二の局面 3 〈自然〉のカテゴリーの提示としての自然哲学
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西洋音楽の正体 調と和声の不思議を探る
西洋音楽の正体 調と和声の不思議を探る
著:伊藤 友計
講談社選書メチエ
「西洋音楽」とは何か。それはどのように形成されてきたのか。 古代ギリシア人によって気づかれた、音の高低と数学の関係、音の並び。それは音楽として中世から近代へと西洋で練り上げられていった。 音階や半音の発見、音を重ねることへの傾きと和音原理の探究、長調・短調の整序と規則の整理、また、人間的感情の美的表現から心地よさの追求へ。 西洋音楽は、一つの「世界創造」であった。本書では、その楽理の由来、実践の発展を訪ね、自然と音楽の関係、背景にある思想の展開に焦点を当てる。 西洋音楽とは普遍性を持つものなのか。自然のなかにドレミファソラシドはあるのか。 【目次】 第1部 音楽のかたちについて 第1章 モンテヴェルディ、1600年前後の音楽 第2章 西洋音楽はどのように流れるのか? 第3章 西洋音楽における半音と三全音――予定調和のための塩と悪魔 第2部 調・調性・和声について 第4章 調と調性 第5章 調性とは何なのか 第6章 和声の成立 終 章 音楽と自然
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『論語』 孔子の言葉はいかにつくられたか
『論語』 孔子の言葉はいかにつくられたか
著:渡邉 義浩
講談社選書メチエ
〈「古典」は創造される〉 儒家たちが己の思想の正否を賭けてテキストと格闘し続けた、エキサイティングな二千年の思想史! □「子曰く」……孔子は本当にそう言ったのか?□ 春秋時代の弟子たちが残した師の言行は、口承で、あるいは竹簡や木簡によって紀元後に伝えられた。 それはさらに時を経て、前漢から宋、江戸時代の日本に至るまで、儒教の思想家たちの強い意志と意図とともに編纂、継承され、ついに『論語』は東アジア最大の古典としてつくりあげられた。 鄭玄、何晏から朱子までの儒家、江戸の伊藤仁斎、荻生徂徠らはあるべき聖賢の思想をいかに追い求めたか。 『論語』テキストの系譜を、ひとつの思想史として描き出す! 「本書が扱うものは、『論語』の形成過程と、朱熹の『論語集注』が成立するまでの解釈史である。しかも、そこで明らかになることは、『論語』とは、孔子の「ありがたい」言葉が収められているものではなく、長い歴史の中で、思想家たちの意図のもと孔子の言動は作られてきた、という事実である。それでは、『論語』を読むことに意味はないのか。そうではあるまい。『論語』などの古典は、時代や個人に応じて受け取られ方が異なるからこそ、時代を超えた普遍性を持って読み継がれてきた。『論語』も、それを手にした一人ひとりの思いに基づいて読まれてきた」(本書より)
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地図づくりの現在形 地球を測り、図を描く
地図づくりの現在形 地球を測り、図を描く
著:宇根 寛
講談社選書メチエ
近代日本の地図づくりは、どんな技術で、いつ始まったのか。 明治政府が国土を測り始めて150年。測量を積み重ね、やがて航空写真も用いて得た情報をもとに、人間の手あるいは図化機によって手作業で描かれていた。 それによって描かれた「2万5000分1地形図」は、1908年に作成が始まったが、離島を除く日本全国4000面以上の図が完成したのは1981年、さらに北方領土なども整備されたのは2014年であった。 そして今、ようやく完全整備された「2万5000分1地形図」は使われる機会が激減している。衛星による測量技術やデジタル技術の進化による図化の方法、形式の変容などが新しい地図の世界を開いているのである。 三角点から電子基準点へ、航空測量に加えた衛星測量、また図の表現形式の目的別多様化など、まったく姿を変えつつある地図づくりとその活用法の広がりを紹介。
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ポジティブ心理学 科学的メンタル・ウェルネス入門
ポジティブ心理学 科学的メンタル・ウェルネス入門
著:小林 正弥
講談社選書メチエ
精神疾患の治療(マイナスをゼロへ)の枠を超え、 さらなる「幸せ」を目指す、ユニークな心理学が誕生した。 ”ポジティブ心理学”は人生の価値観を問い、 哲学的知見も融合する、総合学である。 同じ環境で暮らす修道女の、寿命の差に潜む驚くべき原因とは? 利他行動は、精神にどんな良い影響を生むのか・・・・・・? さまざまな実験から、 自らを「幸福」状態へと導くメソッドを、学術的に検証。 新たな学問の可能性と個人、社会への活用法を、 政治学者が豊富な事例をふまえ、細やかに解説する。 序章 政治学者、ポジティブ心理学と出合う                              第一章 幸福へのアプローチ ウェルビーイング(良好状態)の科学的解明 1「心」のあり方が現実を変えるーー「修道女研究」の衝撃  2 幸福をもたらす感情・心理を測る                          3「実践的科学」というポジティブ心理学の特質                  第二章 本当の幸せを生み出す 「美徳」と「人格的強み」の再発見                  1 短期的快楽か、長期的幸福か。ヘドニア─エウダイモニア論争                    2 二四の「強み」から検証する、<人間>の物語                          第三章 個人から社会へーー。ポジティブ心理学の包括的発展 1「心の状態」を善くする組織・制度とは? 2 高齢化社会への希望「ポジティブ健康」                   3 次世代のための「ポジティブ教育」 4 ビジネスの成功を導く「ポジティブ組織学」 5 繁栄する社会への「ポジティブ政治経済」 注 参照した海外のテキストや辞典 日本語での概要や参考図書 あとがきにかえてーー「善き幸福」の時代への希望    (内容紹介)    ポジティブ感情は視野の広がりを生む。(中略)避けがたい困難で生じたネガティブな心理状態からの回復力(レジリエンス)を高めることにも寄与できることがわかってきている。ポジティブ感情を生み出すエクササイズは、弱い立場にある人が上向きの循環をつかむアート(技術)、身を守るためのアートとして生きるものでもあるのだ。 ―――「第一章 幸福へのアプローチ ウェルビーイング(良好状態)の科学的解明」より
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現代民主主義 思想と歴史
現代民主主義 思想と歴史
著:権左 武志
講談社選書メチエ
 日本では民主主義(デモクラシー)の使徒とみなされるルソーが、欧米では全体主義の思想家とみなされるのはなぜか。なぜ、民主主義はナポレオンやヒトラーのような独裁を生み出してしまうのか。民主主義は何に敗北してきたのか。そもそも民主主義とはいったい何なのか――。  本書は、民主主義、そして民主主義の双子ともいうべきナショナリズムをめぐる思想がどのように生まれ、変容してきたのか、原点であるフランス革命の基盤となったルソー、シィエスの思想にさかのぼり、トクヴィルやJ・S・ミルによる自由主義者からの民主主義への反論、世界大戦期ドイツのヴェーバーとカール・シュミットの思想、さらに全体主義批判を踏まえた冷戦期のアレント、ハーバーマスを経て冷戦終結後の現在に至るまで、思想家たちが生きた時代的背景とともに、一気呵成に描き出す。  民主主義とはなにか、この根源的な問いの答えは、幾多の血を流しながら民主主義が歩んできた歴史のうちにこそ見いだされる。著者渾身の民主主義思想史!! 【本書の内容】 はじめに 序章 民主主義のパラドクス 第1章 近代民主主義とナショナリズムの誕生  第1節 フランス革命とルソー、シィエスの思想  第2節 ドイツ・ナショナリズムとフィヒテの思想 第2章 自由主義者の民主主義批判とナショナリズムの発展  第1節 民主主義革命とトクヴィル、ミルの思想  第2節 ナショナリズムの統一運動と民族自決権の思想 第3章 民主主義観の転換とナショナリズムの暴走  第1節 第二帝政期ドイツとヴェーバーの思想  第2節 ワイマール期ドイツとカール・シュミットの思想  第3節 民族自決権の適用とその帰結 第4章 民主主義の再検討とナショナリズムの封じ込め  第1節 全体主義批判と民主主義論の再構築  第2節 民族自決権の受容と回帰 結び 冷戦終結後の民主主義とナショナリズム あとがき
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自由意志の向こう側 決定論をめぐる哲学史
自由意志の向こう側 決定論をめぐる哲学史
著:木島 泰三
講談社選書メチエ
人間は遺伝子に操られているのか? 宇宙開闢の時点で、その後の出来事は一通りに決まっていたか? 運命はあるのか? 人間と機械は何が違うのか?  こうした疑問はすべて人間の自由意志の問題であり、 デモクリトスからスピノザ、デネットまで、 決定論の哲学史に刻まれている。 ダーウィンや神経科学など自然科学的観点も検討しつつ、 決定論のこれまでとこれからを考える。
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南極ダイアリー
南極ダイアリー
著・写真:水口 博也
講談社選書メチエ
棚氷の崩壊、氷河の後退、上昇する海水温……。南極大陸と南極圏の島々では、自然環境と生態系の変化が複雑に絡み合い、予想外の事態が次々と起こっている。 荒れ狂うドレーク海峡の先にある南極の“日常”を二〇年にわたり撮り続けた写真家は、何を見て、聴いて、嗅いで、触れたのか。 五感による、未知なる大地の記録! 深夜2時、白夜にうかぶペンギンのシルエット。 深く厚い氷の下のカラフルな海の表情ーー。 温暖化で変わりゆく南極の動物たちや景色を 貴重な写真120点とともに描写する。 カラー口絵32ページつき はじめに 第一章 温暖化の波のなかで――南極半島 第二章 南大洋に浮かぶ生きものたちの楽園ーーサウスジョージア島 第三章 コウテイペンギンの国ーーロス海、ウエッデル海の奥懐へ
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イスラエルの起源 ロシア・ユダヤ人が作った国
イスラエルの起源 ロシア・ユダヤ人が作った国
著:鶴見 太郎
講談社選書メチエ
「イスラエル」は、どんな国でしょうか? 中東でよく戦争をしている、小国だが強大な軍事力をもっている、と思う人もいるでしょう。一方、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』(1993年)を思い出しながら、長らく迫害されてきたユダヤ人がナチスによるホロコーストの末、ついに作り上げた国と考える人もいるかもしれません。 迫害されてきたかわいそうなユダヤ人が念願かなって作った国、しかしアラブ人(パレスチナ人)を迫害している攻撃的な国――このような対極的なイメージは、いかにして生まれてきたのか。本書は、この謎に迫ります。 ホロコーストがイスラエル建国の大きな後押しになったことは間違いないとしても、そのことはイスラエルの軍事的な志向性を説明しません。さらに歴史を遡ると、19世紀後半からユダヤ人が変化していったこと、それが「国家」による自衛を求める動きにつながっていったことが明らかになります。そこで重要な役割を演じたのが、ロシア人でした。 その具体的な動きを追っていくために、本書はまずロシアのリベラリストに注目します。民族の自由を訴え、それゆえユダヤ人の同化にも反対したマクシム・ヴィナヴェル(1862-1926年)の活動を追っていくとき、パレスチナにユダヤ人国家を作ることを目指すシオニズムに共鳴したユダヤ人の中にも同じ主張をもつ者がいたことが分かります。その典型は、ダニエル・パスマニク(1869-1930年)に見られるものです。 ところが、1880年代にロシアで「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人への迫害が始まると、ユダヤ人的側面とロシア人的側面を共存させていたロシアのユダヤ人たちは、徐々にユダヤ的側面に特化していきます。そのときユダヤ人たちがもったのが、ロシアの近代化に寄与してきたユダヤ人は「西洋的」だが、ロシアはそれに対立する「東洋的」な性格を持ち続けている、という認識でした。「東洋的」なロシアによって「西洋的」なユダヤ人が苦境に陥ったとき、「西洋的」な国家はユダヤ人を助けない──その経験は、やがてイスラエルが建国され、アラブ人の暴動が起きたとき、同じ構図をユダヤ人の中に想起させるのです。 『ロシア・シオニズムの想像力』で高い評価を受けた気鋭の研究者が巨大な問いに挑む渾身の論考。現代世界を読み解く手がかりが、ここにあります。 [本書の内容] 序 章 二種類のユダヤ人 第一章 内なる国際関係 第二章 ユダヤ人とロシア帝国 第三章 「ロシア・ユダヤ人」の興亡 第四章 ファシズムを支持したユダヤ人 第五章 民族間関係の記憶 第六章 相補関係のユダヤ化 終 章 多面的な個が民族にまとまるとき
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手の倫理
手の倫理
著:伊藤 亜紗
講談社選書メチエ
人が人にさわる/ふれるとき、そこにはどんな交流が生まれるのか。 介助、子育て、教育、性愛、看取りなど、さまざまな関わりの場面で、 コミュニケーションは単なる情報伝達の領域を超えて相互的に豊かに深まる。 ときに侵襲的、一方向的な「さわる」から、意志や衝動の確認、共鳴・信頼を生み出す沃野の通路となる「ふれる」へ。 相手を知るために伸ばされる手は、表面から内部へと浸透しつつ、相手との境界、自分の体の輪郭を曖昧にし、新たな関係を呼び覚ます。 目ではなく触覚が生み出す、人間同士の関係の創造的可能性を探る。
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