講談社学術文庫作品一覧

江戸の大普請 徳川都市計画の詩学
江戸の大普請 徳川都市計画の詩学
著:タイモン・スクリーチ,訳:森下 正昭
講談社学術文庫
1603年の開幕の頃、江戸は、東の卑小な要塞でした。徳川家は、雅都・京師に負けない町をつくろうと考えた。東の比叡山「東叡山」こと寛永寺、東の琵琶湖「不忍池」、清水寺を真似た「清水堂」、三十三間堂、大仏などを次々とつくり、江戸の威厳を創出しようとしたのです。そのほか様々な施設が、次々と江戸に配置されていきます。本書は、江戸の風景を再現し、そこにこめられた意味を読み解。江戸散策ガイドにもなります。 1603年、家康は江戸に幕府を開きました。しかし、当時の江戸は、東の卑小な要塞でしかありません。そこで、なんとか1000年近い歴史をほこる雅な都、京師に負けない町をつくろうと考えました。そこでまず幕府がとりかかったのが、長さ50メートルにして、馬車が行き交うことのできる壮麗な橋の普請でした。しかも面白いことに、橋は河川ではなく、江戸城にほど近い水路に架けられたのです。 幕府が狙ったのは、視覚的な効果だけではありません。日本橋のすぐ横手に、経済の源である貨幣鋳造所「金座」、江戸の時刻を知らせる「時の鐘」がありました。そして、紅毛人が集う「長崎屋」もまた、外人を江戸の中心に置くことによって、幕府の力を民衆に見せつけたのです。 また、京都の真似をして、東の比叡山「東叡山」こと寛永寺、東の琵琶湖「不忍池」、清水寺を真似た「清水堂」、三十三間堂、大仏などを次々とつくり、江戸の威厳を創出しようとしたのです。 本書は、徳川幕府が、新都・江戸をどのような思いをもって作り上げたのかを掘り下げることによって、今はなくなってしまったものも含め、江戸の風景を再現します。そしてその風景にこめられた意味を読み解いていきます。江戸散策ガイドにもなる一冊です。
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言語学者が語る漢字文明論
言語学者が語る漢字文明論
著:田中 克彦
講談社学術文庫
漢字は言葉ではない。記号である。漢字にはオトは必要ない。どの言語ででも漢字を「訓読み」できる。では、中国文明の周辺地域を含めた「漢字文化圏」とは自明のものなのか。歴史上の突厥・契丹・西夏・女真・モンゴル文字など、漢字からの自立運動は何を意味するのか。漢字を残す日本語は独自の言語であることの危機に瀕しているのか。言語学者が考察する文字と言語の関係。
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十二世紀のルネサンス ヨーロッパの目覚め
十二世紀のルネサンス ヨーロッパの目覚め
著:チャールズ.ホーマー・ハスキンズ,訳:別宮 貞徳,訳:朝倉 文市
講談社学術文庫
中世は、決して暗黒期ではない。中世とルネサンスの間に、断絶はない――。ルネサンスは1400年代(クァトロチェント)のイタリアより前、12世紀にはすでにさまざまな形で現れていた。ギリシア・ローマ文化を破壊、封印した陰鬱な時代、と捉えられがちな「中世」の真実を、ラテン語復権、大学の誕生などの事蹟から明らかにしてゆく中世の歴史的位置づけを真っ向から問い直した問題作。 中世は、決して暗黒期ではない。中世とルネサンスの間に、断絶はない――。 ルネサンス(古典復興)は1400年代(クァトロチェント)のイタリアで突然起こったのではなく、ヨーロッパ各地でそれに先駆け、すでにさまざまな創造がなされていた。 「中世」というとギリシア・ローマ文化を破壊、封印した陰鬱な時代、と捉えられがちだが、それはまったくの誤解である。とりわけ12世紀頃における文化復興は「中世ルネサンス」と呼ばれ、新鮮な活力にあふれている。 ラテンの古典と詩が息を吹き返し、遊歴詩人たちから聖俗混ざった抒情詩『カルミナ・ブラーナ』が生まれる。ローマ法の復権が見られ、ギリシアをはじめアラビア、スペイン、シチリア、シリア、アフリカと多方面から知識が流れ込み、それは哲学、科学の発展をもたらした。そして七自由学芸(リベラル・アーツ)のさらなる充実、知識の膨張による、必然としての大学の誕生…… 「他に例を見ないほど創造的な、造形的な時代」(ホイジンガ)の実像をたどり、中世の歴史的位置づけを真っ向から問い直した問題作。アメリカの中世史家はこの大著で歴史的転換を迫り、従来の暗黒史観に衝撃を与えた。 (C.H.Haskins,The Renaissance of the Twelfth Century,Harvard University Press,1927.邦訳『十二世紀ルネサンス』みすず書房、1989初版、1997新装)
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道元「宝慶記」 全訳注
道元「宝慶記」 全訳注
訳:大谷 哲夫
講談社学術文庫
『宝慶記』は、若き道元禅師(1200~1253)が仏道を究めんと南宋に渡り、燃えたぎるような情熱をほとばらせて、正師たる長翁如浄禅師(1162~1227)に拝問(古徳先哲に対して言葉や文章をもって丁重に質問すること)した求道の記録です。それはまた、道元の問いに真摯に答えた如浄という老古仏が、正伝の仏法である只管打坐の世界を道元に嗣続せしめんとした、まことに慈悲深い慈誨の記録でもあります。 道元は、南宋の宝慶元年(1225)5月1日から同三年(1227)の、おそらくは7月上旬、日本に帰国するために如浄の下を乞暇(禅林を下山するために暇を乞うこと)するまでの間、天童山の方丈で如浄に拝問したところと、それに対する師の慈誨とを、その都度記録しました。いわば、『宝慶記』は、道元が如浄に随身した「随聞記」であり、日中の枠を超越した師弟の問答が、阿吽の呼吸の中に展開されているのです。 対話という性格上、『宝慶記』には道元の肉声がより強く響きわたっています。修行とはなにか、仏法とはなにかについて具体的な内容となっています。古来、中国に渡った日本僧たちの記録は多くありますが、真実の仏法を求め、これほど師と弟子の間で目の当たりに相対して(これを面授といいます)真剣に交わされた記録はありません。道元の数ある著作のなかで、われわれ凡夫にとってもっとも親しみやすいのが本書です。大谷氏の精緻な訳注で、八百年の時空を超え禅の奥義が伝わってきます。
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儒教 怨念と復讐の宗教
儒教 怨念と復讐の宗教
著:浅野 裕一
講談社学術文庫
わずかな領地も持たず、生涯のほとんどを無位無官で流浪した一介の匹夫・孔子。みじめな人生を送った男の妄執が、復讐の宗教を生んだ。時に体制擁護のイデオロギーとして利用され、時に革命思想として弾圧されながら、その底に流れるルサンチマンの精神は2500年にわたって払拭されることはなかった。今、関心を集める「儒教」とは? 特異な宗教の正体を暴き、「聖人君子の道徳」という従来のイメージを覆す、新視角の儒教論。 2000年余りにわたって、東アジア、特に中国・韓国の文化と思想に大きな影響を及ぼしてきた「儒教」に、今、関心が集まっている。しかし、「儒学」ではなく「儒教」とはいったいどんな宗教なのか――日本では意外に知られていない。 本書では、学術文庫『諸子百家』や『孫子』などで、中国の古代思想研究者として知られる著者が、儒教という特異な宗教の成り立ちと正体を暴いていく。 わずかな領地も持たず、生涯のほとんどを無位無官で流浪した一介の匹夫・孔子。政界に地位を得て為政に参画せんと野望を抱きながら挫折し、みじめな人生を送ったこの男の妄執が、怨念と復讐の宗教を生んだ。名声では王公を凌いだ、天子にこそなれなかったが功業は堯・舜を凌ぐ――孔子の弟子たちや後世の儒者が執拗に語るほど、そこには「受命なき聖人」の情念が色濃くにじみ出ている。 時に体制擁護のイデオロギーとして利用され、時に革命思想として弾圧されながら、その底に流れるルサンチマンの精神は払拭されることはなかった。そして清朝末期、近代にいたり、変法自強運動の旗手・康有為の手によって「儒教神学」は完成する。「聖人君子の道徳」という従来のイメージを覆す、新視角の儒教論。 [原本『儒教 ルサンチマンの宗教』平凡社新書、1999年刊]
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新しい中世 相互依存の世界システム
新しい中世 相互依存の世界システム
著:田中 明彦
講談社学術文庫
冷戦構造の終焉、アメリカ覇権の衰退、経済相互依存の進展--。激変する情勢のただなかにある現代、我々はどこへ向かうのか。国境が薄れた「新中世圏」、なお国民国家たらんとする「近代圏」、秩序が崩壊した「混沌圏」に国々を分類、移行期にある世界を独自の視点で鋭く分析する、刺激的な論考。ヨーロッパ中世になぞらえた「新しい中世」の概念を駆って、ポスト近代の世界システムの構想に理論と実証で迫る。
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梁塵秘抄
梁塵秘抄
著:西郷 信綱,解説:三浦 佑之
講談社学術文庫
遊女や巫女など、歌や舞いを生業として諸国をめぐり歩く女たちが歌い継いだ流行歌「今様」。後白河はそれら、やがて消えゆく「声わざ」を蒐集し、「梁(うつばり)の上の塵も動くほど妙なる歌」という意味の名前をつけた。それが梁塵秘抄である。法皇をも虜にした、アウトサイダーたちの歌うたの調べを、稀代の古代文学者が耳をすませて読む。
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暗号大全 原理とその世界
暗号大全 原理とその世界
著:長田 順行
講談社学術文庫
人間社会の構築やコミュニケーション行為における意思や情報の伝達と秘匿の必要性から発生し、時代や社会の変遷とともに発展、進化しつづけた暗号。そこには数千年におよぶ人類の叡智がこめられている--。世界や日本のさまざまな暗号の実際と理論、そして歴史的な変遷を、豊富な具体的な例を掲げ平易かつ簡潔に網羅した〈日本暗号学〉不朽の古典!
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世界探検史
世界探検史
著:長澤 和俊
講談社学術文庫
人類の歴史はまた、「探検の歴史」でもあった。太古の人類の移動に始まり、アレクサンドロスの東征、張騫の西方探検、ヨーロッパによる「地理的発見時代」、近代の植民地獲得競争。そして20世紀には、南北の極地、内陸アジア、アフリカ奥地までが解明され、深海や宇宙へと進出して、探検家は記録を求めて研究探検の領域に入っていく。古今東西の探検家の足跡を網羅し、文明史の中に探検行動の意味を位置づけるユニークな人類史。 人類の歴史は、未知の大地や秘境に挑む「探検の歴史」であった。個々の探検活動は、一見、いかにも探検家自身の好みによって恣意的に行われているかのようだが、よく見ると、それぞれの時代や社会の要求に応じた行動であって、個々の探検もまた「時代の落とし子」なのである。 本書は、自身も中央アジアを始め各地を踏査したシルクロード研究で著名な著者が、古代から現代に至る古今東西の探検家の足跡を網羅し、文明史の中に探検行動の意味を位置づけるユニークな人類史である。 本書によれば、世界の探検史は6つの時代に区分される。第1期は古代で、太古の人類の移動、フェニキア人の活動、アレクサンドロスの東征、張騫の西方探検、などがこの時代である。第2期は中世で、宗教的な動機からしばしば探検活動が行われ、また、アラブ人や中国人もおおいに活躍した。第3期は、ヨーロッパによるいわゆる「地理的発見時代」で、探検の動機の多くは、商業的利潤の追求だった。第4期は17-18世紀で、未知の航路や沿岸部がくまなく探検され、植民地競争が始まる。第5期は19世紀から20世紀初頭で、植民地競争が激化し、内陸部の調査、地質・動植物・民俗の調査もさかんに行われる。そして、第6期、20世紀には、最後に残された極地、内陸アジア、アフリカ奥地まで解明され、さらに深海や宇宙の探検へと進出しつつあり、探検家は記録を求めて研究探検の領域に入っていく。 〔原本:白水社刊、1969年・1996年〕
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比較史の方法
比較史の方法
著:マルク・ブロック,訳:高橋 清徳
講談社学術文庫
リュシアン・フェーヴルとともに「アナール派」を創始した歴史学者マルク・ブロック(1886-1944年)による最良の歴史入門。ソシュールの愛弟子アントワーヌ・メイエによる比較言語学の原理に依拠しながら、歴史において「比較」を行うことの意義と問題点が豊富な具体例とともに炙り出される。講演記録であるために読みやすく、容易に読み通せる簡潔さをそなえながら、本質的な問いに切り込んでいく稀有な書物。 本書は、リュシアン・フェーヴル(1878-1956年)とともに『社会経済史年報』誌を創刊し、今日に至るまで歴史学の最前線を担ってきた「アナール派」の創始者であるフランスの歴史家マルク・ブロック(1886-1944年)が1928年にオスロの国際歴史学会で行った講演の記録である。 ここでは、ブロック自身が歴史学の将来がかかっていると言う「比較」の方法をめぐる考察がなされる。講演ゆえの読みやすさ、容易に読み通せる簡潔さをそなえつつ、歴史に「比較」という視点を持ち込むことの意義と問題点が明確に打ち出されていく。 ブロックが拠り所とするのは、言語学者アントワーヌ・メイエ(1866-1936年)の見解である。複数の言語を比較することで共通性と差異を見出し、一般法則を導き出していく比較言語学の原理に依拠しつつ、ブロックは比較の方法について「射程の長い比較の方法」と「視野においてより限定されたタイプ」の区別を設け、前者は普遍的な法則を抽出するために、後者は歴史的な指標を獲得するために用いられると主張する。この主張を裏づけるために、具体的な事例をまじえながら展開される本書の議論は、それ自体として実に面白く、刺激的なものになっている。 本書は歴史に関心をもつあらゆる人にとって、なぜ歴史を知るのか、そして歴史から何を知るのか、という根本的な問いを考えさせてくれる最善の歴史入門と呼びうる1冊である。訳文に全面的な改訂を施し、訳者による新稿をも加えた待望の文庫版、ついに登場!
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新版 平家物語(四) 全訳注
新版 平家物語(四) 全訳注
訳:杉本 圭三郎
講談社学術文庫
「おごれる人も久しからず」――討たれた平家一族の首は都に曝され、捕虜となった重衡は六条を引き回される。平家の没落は、誰の目にも明らかだった。三種の神器を持ったまま敗走を続ける平家と、追う源氏、壇の浦でついに最後の戦いが始まる――。凄絶、悲壮を極める物語のなか、「那須与一」など挿話も充実。かつて刊行された講談社学術文庫『平家物語』全12巻を4冊にまとめ、新版として刊行。堂々の完結。 12世紀末、日本が古代から中世へと大きく転換した時代に頭角を現した平家は、たちまちに権力の座に就くものの永く維持できず、東国の源氏勢によって急速に滅ぼされる。この平家一門の栄華と滅亡を軸に、歴史過程を物語ったのがこの『平家物語』である。 「おごれる人も久しからず」――討たれた平家一族の首は都に曝され、捕虜となった重衡は六条を引き回される。平家の没落は、誰の目にも明らかだった。三種の神器を持ったまま敗走を続ける平家と、追う源氏、壇の浦でついに最後の戦いが始まる――。 凄絶、悲壮を極める物語のなか、「那須与一」など挿話も充実。疾風怒濤の歴史をたどる『平家物語』は、日本史上もっともあざやかな転換期の全容を語る叙事詩であり、民族的遺産といえるものである。 かつて刊行された講談社学術文庫『平家物語』全12巻を4冊にまとめ、新版として刊行。年表、地図、系図を併録し、堂々の完結。
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ゼノン 4つの逆理 アキレスはなぜ亀に追いつけないか
ゼノン 4つの逆理 アキレスはなぜ亀に追いつけないか
著:山川 偉也
講談社学術文庫
第1逆理「二分割」――動くものは、終点に達する前にその半分の地点に達しなければならないので、動かないとする。第2逆理「アキレス」――走ることの最も遅い者ですら最も速い者によって追いつかれない。第3逆理「矢」――動くものはつねに、今、等しいものに即してあるとすれば、動く矢は不動である。第4逆理「競技場」――半分の時間がその2倍に等しい。 紀元前5世紀、南イタリアにあったギリシアの植民市エレアの哲学者ゼノン。彼が語ったという4つのパラドクスは、ギリシアの哲学者のみならず2500年後の現代に至るまで、ものを考える人間の頭を悩まし続けてきた。一方で「詭弁家」とレッテルを貼られ、他方では「無限」と「連続」をめぐる先駆的思索を行ったと激賞されもする。 パルメニデスの弟子ゼノンが帰謬法の典型的なやり方で意図したのは、論敵ピュタゴラス学派に見られる「世界は多からなる」という理論に対して、パルメニデスの「<有>はひとしく一>であり、不可分であり、部分を持たない」という世界観を補強することにあった。 本書では、「パズル」でも「手品」でも「詭弁」でもないゼノンの逆理の本質を探り出し、それが西洋哲学史、科学思想史に及ぼした深い影響について考察する。 第1逆理「二分割」。動くものは、終点に達する前にその半分の地点に達しなければならないので、動かないとする。 第2逆理「アキレスと亀」。 第3逆理「飛矢不動論」。 第4逆理「競技場」。半分が2倍に等しい。
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親鸞と一遍 日本浄土教とは何か
親鸞と一遍 日本浄土教とは何か
著:竹村 牧男
講談社学術文庫
無の深淵が口をあけ虚無の底に降り立った中世日本に日本浄土教を大成した二人の祖師がいた。定住型の親鸞と漂泊型の一遍という、全く対照的な生き方と思索を展開した両者の思想を、原典に現代語訳を付して緻密に読みこみ比較考量、日本文化の基層に潜む浄土教の精髄を浮き彫りにする。日本人の仏教観や霊性、宗教哲学の核心に鋭く迫った清新な論考。
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馬賊の「満洲」 張作霖と近代中国
馬賊の「満洲」 張作霖と近代中国
著:澁谷 由里
講談社学術文庫
日露の脅威がせまる清朝末期の混沌に、馬賊は生まれた。混乱の中、軍閥の長となり中原への進出をうかがい、覇権を目指した「東北王」張作霖もそんな一人だった。虚飾にとらわれた従来の張作霖像を解体し、中国社会が包含する多様性にねざす地域政権の上に馬賊を位置づけ、近代へと変貌する激動の中国と日中関係史を鮮やかに描き出した意欲的な試み。
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浮世絵の歴史 美人絵・役者絵の世界
浮世絵の歴史 美人絵・役者絵の世界
著:山口 桂三郎
講談社学術文庫
独特の魅力を放つ「浮世絵」は、いかにして生まれ、江戸期の象徴的芸術とまでなったのか? 庶民出の町絵師によって、庶民の興味を引く「美人・役者・風景」を題材にし、庶民の購買力によって支えられた浮世絵。本書は浮世絵を日本の近世から現代の美術史として通観する試みである。浮世絵とは、そもそも何だったのか――これを読めば、浮世絵のすべてがわかる、入門編にして決定版。 独特の魅力を放つ「浮世絵」は、いかにして生まれ、江戸期の象徴的芸術とまでなったのか? 庶民出の町絵師によって、庶民の興味を引く「美人・役者・風景」を題材にし、庶民の購買力によって支えられた浮世絵。版技術の発達、鳥居・勝川・歌川各派の興亡、「蔦重」と歌麿・北斎・写楽の登場を経て大きな世界を築き、ブームが去ると今度は海外から注目を集め、多くが流出する。本書は浮世絵を日本の近世から現代の美術史として通観する試みである。成立から隆盛に至る江戸期から、幕末の衰退、「低俗」と偏見にさらされた明治以降の研究と海外からの再評価まで、壮大な潮流を俯瞰してゆく。浮世絵とは、そもそも何だったのか――これを読めば、浮世絵のすべてがわかる、入門編にして決定版。
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荘子 全現代語訳(下)
荘子 全現代語訳(下)
訳:池田 知久
講談社学術文庫
「胡蝶の夢」「朝三暮四」「知魚楽」「万物斉同」「庖丁解牛」「寿(いのちなが)ければ則ち辱多し」「無用の用」などがよく知られているが、それだけではない、西洋哲学を凌駕する深い哲学・思想がある。最重要である「道」が「一」であり、また結局は「無」であり、人間には決して把えられないものであるという根本テーゼを定立した。宇宙論、生き方、処世、芸事まで、幅広い哲学を展開した、汲めども尽きぬ名著。 『荘子』は現在三十三篇本として確立しています。、内篇のみが荘子の自著であり、外篇・雑篇は荘子の弟子・後輩あるいは亜流の作であり、内篇は成立が最も早く価値も最も高く、外篇は成立がやや新しく価値も低くなり、雑篇ともなれば成立が最も新しく価値も最も低いというのが通説です。しかし、訳注者はその内容はどれも興味深いものであるとの立場をとります。 『荘子』には、よく知られた「胡蝶の夢」「朝三暮四」「知魚楽」「万物斉同」「庖丁解牛」「寿(いのちなが)ければ則ち辱多し」「無用の用」などがありますが、西洋哲学を超えるような大変に深い哲学・思想をふくんでいます。 「斉物論」は、中国古代の道家にとって最重要である「道」が「一」であり、また結局は「無」であり、人間の知恵によっては決して把えられない何ものかであるという根本テーゼを始めて定立しました。 宇宙論から人間の生き方、処世から芸事まで、幅広い哲学を展開した、汲めども尽きぬ面白さをもった『荘子』を全編、【総説】【現代語訳】【原文】【解説】を付し、達意の訳文と丁寧な解説で読み解いていきます。 『荘子 全訳注 下』(講談社学術文庫 2014年5月刊)の簡易版です。
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新版 平家物語(三) 全訳注
新版 平家物語(三) 全訳注
訳:杉本 圭三郎
講談社学術文庫
「おごれる人も久しからず」――勢いづく木曾義仲の前に、平家は僅か二十余年の栄華の末、都落ちを余儀なくされる。九州から瀬戸内へ落ち延びながら雪辱を期するも、源義経等の攻勢に一族は次々に無念の最期をむかえ――。宇治川の先陣、鵯越の坂落などおなじみの名場面の連続で、平氏転落の加速を格調高く語ってゆく。講談社学術文庫『平家物語』全12巻を4冊にまとめ、新版として刊行。第三巻は巻第七から第九までを収録。 12世紀末、日本が古代から中世へと大きく転換した時代に頭角を現した平家は、たちまちに権力の座に就くものの永く維持できず、東国の源氏勢によって急速に滅ぼされる。この平家一門の栄華と滅亡を軸に、歴史過程を物語ったのがこの『平家物語』である。 「おごれる人も久しからず」――平氏一門の運命はいよいよ、滅亡へと転回してゆく。勢いを増す木曾義仲の前に、平家は僅か二十余年の栄華の末、都落ちを余儀なくされる。九州から瀬戸内へ落ち延びながら雪辱を期するも、源範頼、義経等の攻勢に一族は次々に無念の最期をむかえ――。宇治川の先陣、鵯越の坂落などおなじみの名場面の連続で、平氏転落の加速を格調高く語ってゆく。 かつて刊行された講談社学術文庫『平家物語』全12巻を4冊にまとめ、新版として刊行。第三巻は巻第七から第九までを収録。
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自然魔術
自然魔術
著:ジャンバッティスタ.デッラ・ポルタ,訳:澤井 繁男
講談社学術文庫
イタリア・ルネサンス後期に活躍した自然探求者・技術者の著作。古代ローマの学者プリニウスの『博物誌』と並び称される。動植物の生成、磁石、女性美、蒸留、芳香、火薬、料理、狩猟、光学など、見聞と著者自身による実験観察をもとにした知識の万華鏡。黒魔術と言われる錬金術についても否定的に言及している。本書は博物誌としての歴史的意義とルネサンスから近代への思想的転換期を現している書物の抄訳。 デッラ・ポルタは16世紀から17世紀、イタリア・ルネサンス後期に活躍した自然探求者・技術者である。自然魔術師とも呼ばれる。その著書『自然魔術』は、古代ローマの学者プリニウスの『博物誌』と並び称される、自然に関する知識と観察・実験の成果をまとあげた書物である。 内容は、当時の自然観が率直に語られる一方で、動植物の生成、磁石、医術、女性美、蒸留、芳香、火薬、料理、狩猟、光学(レンズ研究)などについて、見聞と著者自身による実験観察をもとに詳細に語られている。いわば自然に関する知識の万華鏡とも言える。 デッラ・ポルタの近代科学への貢献は大きいと言われるが、その反面、黒魔術と呼ばれる錬金術についても言及されており、その技術は改良されることによって明るい見通しがつくとしている。ただし、錬金術師たちが吹聴しているようには「金」も「賢者の石」も「不老不死の妙薬」も作り出すことは不可能と断言している。 本書は博物誌としての歴史的意義とルネサンスから近代への思想的転換期を現している書物の抄訳。
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荘子 全現代語訳(上)
荘子 全現代語訳(上)
訳:池田 知久
講談社学術文庫
「胡蝶の夢」「朝三暮四」「知魚楽」「万物斉同」「庖丁解牛」「寿(いのちなが)ければ則ち辱多し」「無用の用」などがよく知られているが、それだけではない、西洋哲学を凌駕する深い哲学・思想がある。最重要である「道」が「一」であり、また結局は「無」であり、人間には決して把えられないものであるという根本テーゼを定立した。宇宙論、生き方、処世、芸事まで、幅広い哲学を展開した、汲めども尽きぬ名著。 『荘子』は現在三十三篇本として確立しています。内篇のみが荘子の自著であり、外篇・雑篇は荘子の弟子・後輩あるいは亜流の作であり、内篇は成立が最も早く価値も最も高く、外篇は成立がやや新しく価値も低くなり、雑篇ともなれば成立が最も新しく価値も最も低いというのが通説です。しかし、その内容はどれも興味深いものである。 『荘子』には、よく知られた「胡蝶の夢」「朝三暮四」「知魚楽」「万物斉同」「庖丁解牛」「寿(いのちなが)ければ則ち辱多し」「無用の用」などがありますが、西洋哲学を超えるような大変に深い哲学・思想をふくんでいます。 「斉物論」は、中国古代の道家にとって最重要である「道」が「一」であり、また結局は「無」であり、人間の知恵によっては決して把えられない何ものかであるという根本テーゼを始めて定立しました。 宇宙論から人間の生き方、処世から芸事まで、幅広い哲学を展開した、汲めども尽きぬ面白さをもった『荘子』を、【総説】【現代語訳】【原文】【解説】を付し、達意の訳文で読み解きます。 『荘子 全訳注』(講談社学術文庫 2014年5月刊)の簡易版です。
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中世ヨーロッパの騎士
中世ヨーロッパの騎士
著:フランシス・ギース,訳:椎野 淳
講談社学術文庫
鎧を着けて馬にまたがり、「サー」と呼ばれた戦士たち。平時は城に住み、騎馬試合と孤独な諸国遍歴に生涯を過ごす。本書は、中世騎士の登場から、十字軍での活躍、吟遊詩人と騎士道物語の誕生、宗教に支えられたテンプル騎士団、上級貴族にのしあがったウィリアム・マーシャルや、ブルターニュの英雄ベルトラン・デュ・ゲクランの生涯、さらに、『ドン・キホーテ』でパロディ化された騎士階級が、近代の中に朽ちていくまでを描く。 学術文庫ではすでに、『中世ヨーロッパの城の生活』(2005年刊)、『中世ヨーロッパの都市の生活』(2006年刊)、『中世ヨーロッパの農村の生活』(2008年刊)、『大聖堂・製鉄・水車』(2012年刊)、『中世ヨーロッパの家族』(2013年)が刊行されて好評を博している、ギースの「中世ヨーロッパシリーズ」の6冊目。本作では、中世ヨーロッパの軍事を担った「騎士」の実像に光をあてる。 世界の歴史上、さまざまな兵士が世界の戦場で戦ってきたが、活動期間の長さといい、歴史、社会、文化に及ぼした影響の大きさといい、中世ヨーロッパの騎士の右に出るものはない。「騎士」と聞いて思い浮かぶのは、鎧を着けて馬にまたがり、「サー」と呼ばれる戦士の姿だろう。平時は城に住み、野外の騎馬試合と孤独な諸国遍歴に生涯を過ごす――こんな通俗的なイメージは、歴史上に実在した騎士とまったくかけ離れているわけではない。そして重要なことに、彼らは強い連帯意識を持つ階級の一員でもあった。 本書では、中世騎士の登場から、十字軍での活躍、吟遊詩人とアーサー王物語に代表される騎士道物語の誕生、テンプル騎士団などの宗教騎士団、遍歴の騎士から上級貴族にのしあがったイングランドのウィリアム・マーシャルや、ブルターニュの英雄ベルトラン・デュ・ゲクランの生涯、さらに、衰退を迎えた騎士階級が、小説『ドン・キホーテ』に最後の一撃を加えられ、近代社会の中に朽ちていくまでを描く。