講談社学術文庫作品一覧

統合失調症あるいは精神分裂病 精神医学の虚実
講談社学術文庫
昏迷・妄想・幻聴・視覚変容……これらの症状は何に由来するのか。病名の誕生当初から「人格の崩壊」「知情意の分裂」などと理解されてきた謬見が次第に正されつつある。患者はどうして、どんな不具合を抱えているのか。精神科臨床に長年携わってきた著者が、脳研究の成果も参照し、治療につながる病気の本態と人間の奥底に蠢く「原基的なもの」を語る。

アルキビアデス クレイトポン
講談社学術文庫
ソクラテス哲学の根本を伝える重要な対話篇、初の文庫版で新訳が登場! 『アルキビアデス大』または『第一アルキビアデス』と称されてきた『アルキビアデス』は、一個人としての「この私」と捉えられる「自己」を認識すること、さらには「人間一般」を認識することを目指し、魂と徳の探究に乗り出す。短篇『クレイトポン』では、その魂と徳の探究への疑問が提示され、ソクラテス哲学の極限に向かって対話が進行していく。
ソクラテス哲学の根本を伝える重要な対話篇、初の文庫版での新訳。
本書には二つの対話篇を収めた。
『アルキビアデス』は、古来この表題でプラトン集成に収録されてきた二つの作品のうち、より規模が大きく、『アルキビアデス大』や『第一アルキビアデス』と称されてきたものである。この対話篇は「人間の本性について」という副題が添えられてきたことが示しているように、一個人としての「自己」を認識し、その魂のありようを理解すること、さらには「人間」一般というものを認識することを目的としている。あらゆる人にとって重要な、その認識を実現する唯一の方法こそ、言葉を用いて対話すること、つまり相互主体性の実践としての対話であることが、まさにこの対話篇で実践され、証明されている。その意味で、本対話篇はソクラテス哲学に触れようとする人にとって、最良の入門となるものである。
続く短篇『クレイトポン』には、古来「徳の勧め」という副題がつけられてきた。その名のとおり、ここではソクラテスによる「徳の勧め」(プロトレプティコス)が説かれるが、のみならず、この対話篇でクレイトポンはそれが「勧め」以上のものではなく、どうすれば実際に徳を身につけることができるのかを問い、その方法を教えることはできないのではないか、という疑問を提示する。その意味で、これは『アルキビアデス』で提示された道を限界まで問いつめた作品であり、二つの対話篇を併せ読むことでソクラテス哲学の神髄に触れることができる。
練達の研究者による明快な訳文でソクラテスとともに対話する喜びが、ここにある。

再発見 日本の哲学 石原莞爾――愛と最終戦争
講談社学術文庫
関東軍参謀として「満州事変」を主導した石原莞爾は、最終戦争論を唱えたことで知られる。王道を掲げる東洋文明の東亜と覇道を掲げる西洋文明の代表であるアメリカを中心とする連合との戦いで、戦争は極限に達するというのだ。彼の思想の背景には、軍事研究と日蓮信仰が、相携わっていた。戦後は、戦争放棄を唱えた彼の思想の本質とは何か。
「再発見 日本の哲学」は、近代日本を建設する上で、その思想上の土台となった思想、哲学を、改めて問い直すシリーズです。
学術文庫収録も、いよいよ10冊目になりました。
石原莞爾は、満州事変の首謀者の一人として知られています。
また、『最終戦争論』を唱え、東洋と西洋が最終的に戦争をして世界を統一する、というような、今から見れば悪しき軍部の理論的支えと聞こえるような主張をしています。
ただし、石原は、何の思想もない軍国主義者ではありませんでした。
軍事研究と法華経研究が、二つのバックボーンとなって、彼の思想は展開していきます。
それが、最終的には、戦争放棄に行き着く。
それは、単なる変節なのでしょうか。
著者はそこに一貫する彼の哲学を見通します。
近代日本と密接に関係する彼の哲学を解明する本書は、テロの世紀、戦争の世紀を迎えている現在のわれわれにとって、必読と言えます。

時間の非実在性
講談社学術文庫
マクタガートの「時間の非実在性」は、A系列(過去、現在、未来)・B系列(より前、より後)のふたつの概念を導入し、時間が実在しないことを証明した論文として名高い。これまで日本には全訳がなかったが、ついに、本書が本邦初訳となって登場した。本書は、それだけではない。訳者・永井均氏が、段落ごとに詳細な注解と論評を加えている。訳者独自の付論も掲載。全訳とともに、こちらも必読。まさに「時間の哲学」の決定版だ!
マクタガートが1908年に「Mind」誌に発表した「時間の非実在性」(The Unreality of Time)は、時間の哲学についての不朽の名作として名高い。発表から100年を過ぎた今でも、必読の文献とされる。
しかしながら、これまで、邦訳が刊行されていなかった。
本書は、現在、日本の代表的な哲学者の一人である永井均氏が、はじめて全訳し、かつ、きわめて詳細な注解と論評を施したものである。
マクタガートの時間論で、核心をなすのが、時間のA系列、B系列という議論である。
A系列とは、過去・現在・未来と流れていくことに時間の本質を見る。
B系列とは、より前であるか、より後であるか、に時間の本質を見る。
マクタガートの議論を丁寧に解説し、そのうえで、A系列、B系列をもとに、訳者が独自の「注解と論評」を加えた、必読の決定版。

ソビエト連邦史 1917-1991
講談社学術文庫
プロレタリアート革命が、農民国家ロシアで勃発したのはなぜか? 党が国家を所有するという転倒した関係はソ連に何を引き起こしたのか? 「古儀式派」という宗教と党中枢との知られざる関係とは?1917年の革命~1991年の崩壊。この74年間に失われた人命は、数千万以上。ソ連・ロシア政治研究の第一人者が、ソ連崩壊後明るみ出た数多の資料を読み解いて、人類史上最大の「社会主義国家」の全貌を解き明かす。
1917年の革命で誕生し、1991年に崩壊したソビエト連邦は、20世紀最大の政治事件であったことは異論がないでしょう。
この74年間に失われた人命は、数千万以上です。ロシア革命、内戦、新経済政策、集団化、粛清、第2次大戦に至る一九三〇年代の外交、「大祖国戦争」、なによりも1945年以降、超大国となる冷戦期のソ連、スターリンの死と批判、平和共存とフルシチョフ改革から、ペレストロイカ……。20世紀のもっとも陰惨にして重要な時代を、ソ連国家の中枢で動かした人物が存在しました。モロトフです。
工業化が進展した近代国家の労働者による革命が、農民国家ロシアで勃発したのはなぜか? 党が国家を所有するという転倒した関係はソ連に何を引き起こしたのか? 「古儀式派」という宗教と党中枢との知られざる関係とは?
ソ連・ロシア政治研究の第一人者が、ソ連崩壊後明るみ出た数多の資料を読み解いて、ソビエト連邦という人類史上最大の「社会主義国家」の全貌を明らかにします。2002年刊の選書メチエ『ソ連=党が所有した国家』を大幅に増補改訂した新版です。

中国侠客列伝
講談社学術文庫
「弱きを助け、強きを挫く」侠者たちの壮挙。替天行道、一諾千金……。信義を重んじ、自らの命を賭して果断に行動する侠者たち。血湧き肉躍る痛快事を次々と実現するアウトロー達の強さと優しさを読み解く。
侠客の原点は、信義を重んじ個人的利害を度外視して、時には命がけで弱きを助け強きを挫くことにあります。わが国では、侠なる人々が表立って登場するのは、近世江戸時代以降だが、中国の侠の歴史は、古代にまで遡ります。
中国史上、「侠者」が出現するのは、諸国が分立した春秋時代(前七七〇―前四〇三)以降です。春秋時代も後期に入ると、老子、孔子、墨子など、乱世において、人はどう生きるべきか、社会はどうあるべきかを模索する思想家があらわれ、こうした思想家と侠者の共通性があります。
孔子は、「義を見て為さざるは勇無き也」など、信義を重視しました。また、「言必ず信、行必ず果」など、個人の不屈の意志や行動力を称揚します。老子にも「大道廃れて仁義有り云々」と仁義を強調する発言があり、墨子は大国が小国をむやみに圧迫・攻撃することに反対して、「非攻」論を唱え、「弱きを助け強きを挫く」を実践しました。道家にも墨家にも侠者の精神に通じるものがあるのは確かです。
信義を重んじ、果断に行動する侠者的存在は、乱世のエトスのなかから、儒家、道家、墨家などの思想と軌を一にして生まれたようです。侠の精神に、これらの思想と共通点があるのも当然でしょう。
本書は、歴史と物語の両面から、『史記』『三国志』などの歴史書、『水滸伝』『聊斎志異』や元代の戯曲などから、選りすぐりの中国の侠者の変遷を具体的にたどり、スケールの大きな大陸的「侠」の世界に遊びます。

革命論集
講談社学術文庫
稀代の革命家アントニオ・グラムシ(1891-1937年)が1914年10月から逮捕・収監される直前の1926年10月に残した論考群。イタリア共産党結成に参加し、逮捕状を出されながらもムッソリーニのファシスト政権と対決し続けたグラムシは執筆活動でも戦闘を展開した。のちの「獄中ノート」に結実する独自の思想の土壌を形成する時期の論考を精選・収録した本書は、その大部分が本邦初訳となる第一級の文献である。
本書は、稀代の思想家アントニオ・グラムシ(1891-1937年)が1926年11月8日、前日に成立した国家防衛法違反の容疑で逮捕・収監されるまでの時期に残した主要な論考を精選した日本独自のアンソロジーである。
グラムシがイタリア社会党に参加した翌年にあたる1914年7月、第一次世界大戦が勃発する。当初は中立を宣言していたイタリア政府はひそかにイギリス、フランスと結び、ドイツ、オーストリアとの三国同盟を破棄して1915年には参戦に至った。イタリア社会党は政府に「絶対的中立」の立場をとるよう要求したが、党機関紙『アヴァンティ!』の編集長を務めていたベニート・ムッソリーニ(1883-1945年)は「相対的中立」を主張して参戦に傾き、社会党を除名される。こうした動きの中で1914年10月末に発表された「積極的かつ能動的な中立」が、本書の冒頭を飾る論考である。
以降、労働者による工場占拠闘争に参加するなど、積極的な行動を執筆と併行して展開したグラムシは、1921年のイタリア共産党結成に際しては、コミンテルン執行委員会のイタリア代表に任命された。その後、党代表としてモスクワを訪れたグラムシには逮捕状が出されるものの、1924年には下院議員に選出されてイタリアに帰国。議員の不逮捕特権を利用してムッソリーニのファシスト政権との対立姿勢を強めたが、2年後には逮捕・収監され、20年4カ月5日間の禁固刑を受けることになる。本書の最後に収められた「南部問題のいくつかの主題」は、逮捕される1カ月前に執筆されたものだった。
その後、1934年10月に仮釈放を認められるまでのあいだに書かれた33冊に及ぶ「獄中ノート」によって、ヘゲモニー論に代表されるグラムシ独自の思想が生まれ、深化させられたことは、よく知られている。しかし、その思想が生まれる土壌となったのが逮捕以前の時期の行動と執筆だったことは疑うべくもない。
本邦初訳の論考を数多く含む本書によって、ついにグラムシという巨人の全貌を目にすることができるだろう。

再発見 日本の哲学 北一輝――国家と進化
講談社学術文庫
独自の社会主義論と国家論を展開し、二・二六事件の蹶起将校たちの思想的指導者だった北一輝。国体論を批判し、当時の名だたる憲法学者たちとことごとく対決した彼の思想とは、いかなるものか。伊藤博文、有賀長雄、美濃部達吉、井上毅、穂積八束などなど、近代日本の礎となった思想との対抗のなかに北を位置づける快著!
北一輝は昭和11年(1936)の二・二六事件の、蹶起将校たちの思想的指導者として知られる。すなわち、戦前の代表的な国家主義運動家・思想家とされる。
もちろん、そのとおりなのだが、彼は若い頃、独学で当時の国家論や社会主義論を学び、二三歳にして、主著『国家論及び純正社会主義』を自費出版した。ここで、普通選挙制度の導入と議会による社会主義革命を主張し、刊行直後に発禁処分になっている。
以来、在野の活動家・思想家として活動する。
そして、1911年、中国の革命を支援するため上海に渡る。これを機に、一転して、軍隊主導の暴力革命を唱えるようになる。
このような経緯から、これを左から右への「転回」と捉え、思想的な断絶を指摘するのが、従来の北一輝論であった。
本書では、この思想的断絶を認めない。
主著『国体論及び純正社会主義』では、「国家人格実在論」なるものが主張されている。北にとって、国家は、物理的に実在する法人格であり、それは、進化するべきものであった。つまり、国家論と進化論が接合されたところに、北の思想的本質があったのだ。
この国家が進化するという思想は、ある意味では、近代日本の根底を支えた思想でもある。
北一輝を読み直すことは、近代日本に通奏低音としてながれていた国家論の系譜を読み直すことでもあるのだ。
本書は、いわば、「近代日本」という国家論を考え直す試みでもある。

江戸の花鳥画 博物学をめぐる文化とその表象
講談社学術文庫
江戸後期に隆盛を迎えた「博物学」の思潮に注目し、それまで曖昧にしか捉えられてこなかった「花鳥画」に清新なまなざしをそそいだ意欲作、ついに文庫化。美術史と科学史の垣根を取り払い、個々の作品の精緻な分析から鮮やかに浮かび上がる新たな光景。サントリー学芸賞(芸術・文学部門)受賞作。図版多数収録!
1995年度のサントリー学芸賞(芸術・文学部門)を受賞した本書は、それまで注目されることのなかった花木や草木、動物、虫魚など、あらゆる生物を対象にした「花鳥画」と呼ばれるジャンルを取り上げる。
従来の「花鳥画」という概念には、色彩豊かで精密な写実的表現の絵画も、墨一色による水墨の技法による絵画もいっしょくたに含められていた。著者はここに一つの大胆な補助線を引いてみせる。そのとき注目されたのが、江戸後期に大名や学者から庶民に至るまで広がっていった動植物の生態への関心と、それゆえになされた飼育や栽培だった。その延長線上にあるのが、江戸時代の「博物学」の隆盛である。
著者は本書の冒頭でこう宣言する。「本書を「江戸の花鳥画」と題したのは、あらゆる動植物へ向けられた江戸の画家たちの視線を、当時の博物学隆盛の文化背景の中に再発見しようとする試みのためである。そしてまた科学と芸術が密接に連関しながら育む新しい思潮の中で、古来より描き続けられてきた「花鳥」画が、科学と芸術とが特に接近した江戸時代においていかなる様相を呈していたかを明らかにするためでもある」。
こうして本書は、それまで誰も思いつきすらしなかった視線を生み出し、「花鳥画」という言葉にまったく新しい意味を与えた。
現在、日本では博物図譜のジャンルは多くの人に知られ、たくさんの展覧会が開かれている。その大きな突破口を開いた記念碑的著作が、ついに文庫化。図版多数収録!

禅語の茶掛を読む辞典
講談社学術文庫
禅の世界観・人間観を短い言葉に表した「禅語」。それを一行の書で表現し、掛軸として茶席をつくりあげる「茶掛」。言葉と書、それぞれに深淵なる表現を味わうための手引が一冊に。禅語の意味とともに、つづけ字の読み方、表現の仕組み、見どころ等について、わかりやすくコンパクトに解説する。「茶禅一味」=茶と禅はひとつ。計り知れぬ世界への絶好の入口。

愉しい学問
講談社学術文庫
本書は、フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900年)が遺した主著、待望の新訳である。1878年の『人間的、あまりに人間的』で採用されたアフォリズム形式の集大成として1882年に出版された本書では、「永遠回帰」の思想が鮮やかに提示され、有名な「神は死んだ」という宣言が登場する。続く『ツァラトゥストラはこう言った』(1883-85年)と並び、ニーチェ思想の神髄を伝える本書を、清新かつ斬新な日本語で!
本書は、フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900年)が遺した主著、待望の新訳である。
1872年に『悲劇の誕生』を出版して以来、旺盛な執筆活動を続けてきたニーチェは、1878年の『人間的、あまりに人間的』からアフォリズムの形式を採るようになった。その集大成として1882年に出版された本書は、質量ともに他を圧倒する包括的な書物であり、続く『ツァラトゥストラはこう言った』(1883-85年)と並んで、ニーチェの主著と呼ぶにふさわしい1冊になっている。
「およそ何事につけ、『汝はこれをもう一度、ひいては無数回にわたって欲するか』という問いが、最重量級の重みで君の行為にのしかかってくることだろう」(341番)。
このようにして「永遠回帰」と呼ばれる思想は、本書で実に鮮やかに打ち出された。
そして、有名な宣言が続く。
「近代最大の出来事──つまり「神は死んだ」ということ、キリスト教の神への信仰が信ずるに足らぬものになったこと──は、その最初の影をヨーロッパに早くも投げかけ始めている」(343番)。
こうした断片を読み進めるうち、近現代の思想がいかに深くニーチェの影響を受けているかが実感されてくる。
従来、本書のタイトルは『悦ばしき知識』や『華やぐ智慧』などと訳されてきたが、本書の訳者はあえて直訳することを決断し、『愉しい学問』とした。それはニーチェがタイトルに込めた「学問は謹厳実直なものであらねばならぬとする固定観念への挑戦」を明確に示している。
しかつめらしい哲学書ではなく、随所に笑いを誘う言葉がちりばめられた本書を通して、ニーチェとともに「愉しい学問」を実践する至福の体験!

犬と鬼 知られざる日本の肖像
講談社学術文庫
美しい自然、練磨された文化遺産、高度な技術、優秀な教育制度……。世界をリードするような新文明を築こうとした日本は、1990年代に失速した。明治維新、敗戦を超え、「近代化」を推進してきた日本は、本質的に「近代化」で失敗した。「有能な官僚制度」に誘導された土建国家は、伝統日本を破壊してしまった。この国の問題は、慢性的・長期的なもので、日本をこよなく愛する著者が怒りと悲しみを込めて警告する。
美しい自然、練磨された芸術と文化遺産、高度な技術国、優秀な教育制度……。世界をリードするような新しい文明を築こうとした日本は、なぜか1990年代に失速しました。
バブル崩壊はその引き金でしかありませんでした。明治維新、敗戦を超え、「近代化」を推進してきた日本は、本質的に「近代化」で失敗したのです。
「有能な官僚制度」に誘導された土建国家は、伝統日本を破壊し、ついには金融界までも崩してしまいました。日本の魂が傷つけられたのです。この国が抱える問題は、慢性的・長期的なもので、まさに日本人は「ゆでガエル」状態になっていることを、日本をこよなく愛する著者が怒りと悲しみを込めて警告します。
日本の景観破壊をいち早く告発し、現在のインバウンド旅行者についても発言を続ける著者の渾身の書です。
タイトルの「犬と鬼」は、『韓非子』のエピソードに拠っています。皇帝が宮廷画家に「描きやすいもの、描きにくいものは何か」と問うと、画家は「犬は描きにくく、鬼は描きやすい」と答えます。身近で控えめな犬のようなもの(伝統的な日本の景観)は、正確に捉えるのが難しいが、派手な想像の産物(不要で奇抜なモニュメント)にお金を出すことは易しいということを暗示しています。

再発見 日本の哲学 平田篤胤 霊魂のゆくえ
講談社学術文庫
日本倫理学会「和辻賞」受賞の力作。近世の庶民的な仏教思想を背景におきながら、死と霊魂について篤胤が展開した思想を、詳しく、繊細に読み解いた、画期的な著作、ついに文庫化!
私たちは死んだらどうなるのか。二百年前、誰もが抱くこの問いに解決を与えようとした思想家こそ、平田篤胤である。
篤胤は主著『霊の真柱』で、自らの学問の目的は「真道」を知ることである、という。そして、「真道」を知るためには、「霊の行方の安定」を知ることが先決だというのである。
つまり、人は死後、霊(霊魂)になる。その霊のゆくえを知ることこそ、かれの学問だったのだ。
江戸末期の思想家のそのような思考が、日本の近代に大きな影響を与えている。
複雑怪奇な篤胤の思想の本質を明解に分析する快著。

興亡の世界史 スキタイと匈奴 遊牧の文明
講談社学術文庫
定住農耕社会にとって、隣接する遊牧国家は常に脅威だった。ペルシア帝国をもってしても征服できなかった部族集団スキタイ。漢帝国と対等に闘った匈奴。こうした騎馬遊牧民はいつ頃誕生し、強大な力を握ったのか。「都市」のない遊牧社会を「野蛮」とみなすのは、定住農耕社会からの決めつけにすぎない。ソ連崩壊後のユーラシア草原地帯の発掘調査で次々と発見されている考古学資料を活かし、「もうひとつの文明」の実像に迫る。
講談社創業100周年記念企画「興亡の世界史」の学術文庫版。大好評、第2期の5冊目。
人口・経済力の点では圧倒的に劣勢なはずの遊牧国家は、隣接する定住農耕社会にとっては常に大きな脅威でした。ペルシア帝国の絶頂期を現出したダレイオス一世をもってしても征服することのできなかった部族集団スキタイ。漢の皇帝たちと対等に闘う軍事力と、李陵や張騫など有能な人材を受け入れる寛容さを持ちあわせていた匈奴。モンゴル高原から黒海北方まで草原を疾駆した騎馬遊牧民にとっては「ヨーロッパ」も「アジア」もありませんでした。定住農耕地帯の文化・社会・道徳とはまったく正反対の騎馬遊牧民。その自然環境、歴史的背景を踏まえ、彼らがいつ頃誕生し、強大な権力を持つようになったのかを明らかにし、ユーラシア大陸の東西に1000年のスケールで展開する騎馬遊牧民の歴史を描きます。
スキタイや匈奴は文字を持たず、自らの歴史を記録することはありませんでした。しかし、幸いにも東西の「歴史の父」と称される稀代のストーリーテラー、ヘロドトスと司馬遷によって、彼らの実力と暮らしぶり、習俗が書き留められています。興味深いことに両者の語るスキタイと匈奴の風俗習慣は驚くほどよく似ていることがわかります。本書では、史書に記された事柄を発掘資料とあわせて騎馬遊牧民の真の姿を浮かび上がらせていきます。
「都市」のない遊牧社会は、「文明」とは無縁の存在、むしろ対極にある「野蛮」の地と思われがちですが、それは定住農耕社会からの一方的な決めつけにすぎません。発掘された草原の覇者たちの装飾品には、豪奢な黄金の工芸品や色鮮やかなフェルト製品などがあり、その意匠から、ギリシアや西アジアの影響を受けながらも、独特な動物文様や空想上の合成獣グリフィンなど独自の美術様式を生み出していたことがわかります。
ソ連崩壊後に可能になったユーラシア草原地帯の発掘調査で、次々と蓄積されている新たな考古学資料。フィールド調査を積み重ねてきた著者ならではの視点で、「もうひとつの文明」の実像に迫ります。
原本:『興亡の世界史02 スキタイと匈奴 遊牧の文明』講談社 2007年刊

キリスト教の歳時記 知っておきたい教会の文化
講談社学術文庫
世界中のキリスト教会が備えている一年サイクルの暦。イエスやマリアに関わる日を中心に諸聖人を記念した祝祭日でいろいろな期節が彩られる。クリスマス、イースターという共通イベントのほかに教派や地域により意味や形に違いのある祝祭内容。各教会では実際にどんなことを祝っているのか、人々の生活とどう関わっているのかを、詳しく紹介する。
世界中のキリスト教会が備えている一年サイクルの暦。イエスやマリアに関わる日を中心に諸聖人を記念した祝祭日でいろいろな期節が彩られる。クリスマス、イースターという共通イベントのほかに教派や地域により意味や形に違いのある祝祭内容。各協会では実際にどんなことを祝っているのか、人々の生活とどう関わっているのかを、詳しく紹介する。

ブルジョワ 近代経済人の精神史
講談社学術文庫
20世紀初め、マックス・ヴェーバーが自ら後継者に指名したドイツの経済学者の代表的大著。資本主義に関する特殊研究を数多く発表してきたゾンバルトは、本書では「経済生活における精神とは何か」を問う。原著:Werner Sombart,Der Bourgeois,Zur Geistesgechichte des modernen Wirtschaftsmenschen,1913
20世紀初め、マックス・ヴェーバーが自ら後継者に指名したドイツの経済学者の代表的大著。
『近代資本主義』でゲルマン人企業家のなかに「ファウスト」的精神を見出し、『ユダヤ人と経済生活』でユダヤ人をメフィストフェレスに擬えるなど、資本主義に関する特殊研究を数多く発表してきたゾンバルトは、本書では「経済生活における精神とは何か」を問い、資本主義の精神の発生をとらえようと試みる。
その視点は中世ヨーロッパからアメリカ合衆国まで縦覧し、かつての海賊から現代ブルジョワまでの流れをたどり、企業精神の起源を探っていく。
原著:Werner Sombart,Der Bourgeois,Zur Geistesgechichte des modernen Wirtschaftsmenschen,1913

テレヴィジオン
講談社学術文庫
1973年、フランス放送協会の要請を受けて、フランスの精神分析家ジャック・ラカン(1901-81年)は、テレヴィ番組に出演した。
「フロイトへの回帰」を唱え、パリの地で精神分析の中興の祖となったラカンは、当時すでに世界的に知られる存在だった。しかし、「想像界」、「象徴界」、「現実界」など、魅力的でありつつも理解するのが困難な用語の数々に示されているとおり、その思想は難解を極めるものであることもまたよく知られている。博士論文を除けば唯一の著作である『エクリ』(1966年)は、そう簡単に近づくことのできない巨峰である。そして、1953年から1980年まで行われた『セミネール』もまた、講義で語られた言葉の記録ではあるものの、容易な理解を許すものではない。
そんなラカンが、テレヴィ番組に出演し、愛弟子ジャック=アラン・ミレールの質問に答える。多岐にわたる質問がなされ、明晰で厳密な回答が返される。しかし、ラカンが語りかけているのは、あくまで一般の視聴者であり、その言葉は他では見られない平明さを帯びている。
工夫を凝らされた訳文を全面的に再検討した決定版である本書は、まさに最良の入門書である。ラカン思想の真髄をポケットに!

再発見 日本の哲学 佐藤一斎――克己の思想
講談社学術文庫
佐藤一斎『言志四録』は、いまだに根強い人気を誇る箴言集です。かの西郷隆盛が信奉したことでも名高い。そこに書かれている思想とは、一体なんなのか?真の己を知り、志を立てる。近代日本の躍進を支えた秘密もそこからは読みとれます。今こそ、『言志四録』を!
佐藤一斎は、幕末に生きた儒学者である。幕府直轄の学問所、昌平黌の儒官として活躍した。それだけでは、幕末の官製の思想家ということになってしまうだろう。
しかし、彼の思想には、日本の近代化、明治維新の原動力となるエネルギーがそなわっていた。西郷隆盛が、彼の主著『言志四録』を抜萃して、つねに手元においたことからも、それはうかがい知ることができる。
佐藤一斎の思想を探究することは、また、西郷隆盛の思想を知ることでもあるのだ。
『言志四録』は、現代においても、根強い人気を誇る。ここから、企業人としての処世を学ぶ経営者も多い。
そのような人気をよぶ元となった、彼に思想の本質とは何か? 本書は、西郷隆盛の思想をも含め、そこに焦点を当てた、ほとんど唯一といっていい一般書である。
一斎は、儒学者でありながら、同時に、幕末に生きた一人の武士として、自己の独立を説いた。
士は独立自信を貴ぶ。
士はまさに己に在る者をたのむべし。
志・学・独立というものを、純粋に追求したその思想は、近代日本の通奏低音として、今に響いている。
一斎の言葉を、たんなる処世術としてではなく、日本の哲学として、繊細に、かつ怜悧に読み解いた、記念碑的力作。

興亡の世界史 ケルトの水脈
講談社学術文庫
ローマ文明とキリスト教におおわれる以前、ヨーロッパの基層をなしたケルト人は、どこへ消えたのか? 巨石文化からアーサー王の伝説、現代の「ケルト復興」まで、フランス、ブルターニュの歴史・信仰・言語を軸に、アイルランド中心の「ケルト・ブーム」を問い直す。
講談社創業100周年記念企画「興亡の世界史」の学術文庫版。大好評、第2期の4冊目。
ローマ文明やキリスト教以前の「最初のヨーロッパ人」はどこへ消えたのか? ストーンヘンジに代表される巨石文化、渦巻きや植物の華麗な装飾文様、妖精や小人などの伝説…「もうひとつのヨーロッパの起源」として、近年注目されている「ケルト文化」。EUなど欧州統合のアイデンティティとして、また近代西欧文明への批判として復興の気運をみせている「ケルト」の実像を、古代から現代にヨーロッパ史の中で明らかにする。
また、ケルト文化に関心を持つ多くの人々が訪れるのが、アイルランドである。それは、大陸からブリテン諸島へ移住した古代ケルト人は、ローマ人やキリスト教徒に追われてアイルランド島にのみしぶとく生き残った――と思われているからだが、最近の研究では、この「常識」が否定されつつあるという。本書では、言語学からみた「ケルト文化圏」と、歴史学からみた「ケルト人」の奇妙な関係を明らかにしていく。
そして、なぜ近代に「ケルト」は復興したのか? フリーメーソン、ナチスとの関係とは? 土着の文化は、ローマ文明やキリスト教とどのように融合し、広がっていったのか。言葉や文字は、そして文化は、いかに変容し、伝わるのか。ナショナリズムの興隆とともに語られる「民族起源としてのケルト」とは――。フランス、ブルターニュ地方の異教的な習俗や伝説の検証から始まる、異色の、そして初めての本格的「ケルトの歴史」。
[原本:『興亡の世界史07 ケルトの水脈』講談社 2007年刊]

『新約聖書』の誕生
講談社学術文庫
新約聖書が成立したのは、キリスト教の歴史のなかで特殊な状況が存在したからである。その歴史的に特殊な状況とはどのようなものなのか。そして新約聖書が成立して以来、新約聖書が権威あるものとして存在することが当然のように考えられているとするならば、そのような事態を当然のこととする特殊な立場が新約聖書をめぐって存在していると考えねばならないだろう。その特殊な立場とは、どのようなものなのか。
新約聖書はキリスト教にとって、この上なく重要な文書集である。しかし新約聖書が現在のものに見合うような形で成立したのは紀元四世紀のことである。地上のイエスが活動をはじめたのは紀元一世紀の前半であり、その後キリスト教運動は紆余曲折を経ながらも、地理的にも人数的にも拡大した。多くの者がキリスト教徒となり、さまざまな活動を展開して、その帰結の一つとして新約聖書が成立したのである。しかしこのことは四世紀になって新約聖書が成立するまでのキリスト教徒には、新約聖書は存在しなかったことを意味する。つまり新約聖書がなくても、彼らはキリスト教徒だったのである。
三〇〇年ほど存在しなかったものが、大きな権威あるものとして存在するようになったのである。したがってキリスト教徒にとって新約聖書の存在は当然のことではなく、いわば特殊なことである。つまり新約聖書が成立したのは、キリスト教の歴史のなかで特殊な状況が存在したからだということになる。その歴史的に特殊な状況とはどのようなものなのか。そして新約聖書が成立して以来、新約聖書が権威あるものとして存在することが当然のように考えられているとするならば、そのような事態を当然のこととする特殊な立場が新約聖書をめぐって存在していると考えねばならないだろう。その特殊な立場とは、どのようなものなのか。
(中略)
本書では、キリスト教における権威の問題に注目しながら、新約聖書がどのような意味で特殊な文書集なのかを探ってみたい。新約聖書の頁をめくって、内容を断片的に読んでいるわけではわからない新約聖書の姿が見えてくることになるだろう。(プロローグより)