新刊書籍
レーベルで絞り込む :

1968.12.04発売
危険な娘たち
講談社文庫
郊外の分譲地で、ふとしたキッカケで知り合った男に、惹かれていく房子。夫婦のトラブルで苦しむ義兄によって、ふしぎな女心に目ざめる玲子。ペンフレンドへの手紙に、大胆にセックスの渇きを訴える紀子。中学時代の先生への淡い憧れが、ライバルの出現によって、燃える恋にかわるたまえ。ベッドにしのび込んできたいとこの、幼い愛撫に傷ついたゆき。5人の思春期の娘たちは、愛と性の危険な時間を、どう受け止めただろうか。……性の万華鏡を描くことによって、男の女の原質を捉えようと試みる作者が、若い季節の秘密に、新しい手法でメスをいれた、異色青春小説である。

1968.11.29発売
大観画談
文芸(単行本)
日本画壇の大元老として、画業・識見ともにぬきんでた巨人の生涯を、ほぼ1世紀にわたり貫き通した大観。その生い立ち、修業、画論、酒談義などなど、興趣尽きない貴重な聞書をまとめた名著。「大観」の名声は欧米にもいよいよ高い。

1968.11.16発売
実存主義入門〈新しい生き方を求めて〉
講談社現代新書
人間とは何か。実存とは何か。その考え方は私たちの生き方とどういう関わり合いをもつのか。実存として生きるとは、状況のなかで乗り越え、立ち出でるとは、どういうことなのか。キルケゴール、ハイデッガー、ヤスパース、サルトルを手がかりに、「実存」を考える。

1968.10.16発売
自己分析―心身医学からみた人間形成―
講談社現代新書
「自己をみつめる」――やさしいようでむずかしい。不安や孤独、憤りや自己嫌悪に悩む私たちが、どうしたら正しく自己をみつめ、文明に疎外されない真に人間らしい生き方を、身につけられるのか。心と体をつなぐ心身医学は、人間におきる“眼に見えない異常”を探り出し、心のひずみが招く病気を治し、自己実現へと導く。こうして、自分にある可能性に気づくとき、だれもが、生きる喜びの無限に大きなことを発見する。著者の豊富な人生体験からつづられた本書は、1つの人間形成のすじ道を明らかにしてくれる。
体にひそむ心の病い――私たちは、常に眼に見える体の変化を通して、人間の心を、具体的にとらえることができる立場にある。またそのような微妙な心の変化が、体に投影されたものを、細かに観察することができる。こうした科学的な基礎に立って、人間の病いを見てくると、その背後には、ありとあらゆる人生問題がひそんでいることに気づく。そして、体の症状を医学的に処理すると同時に、その陰にひそむ心の問題にも、そのなり立ちを正しく分析することによって、科学的な治療や、自己改造が可能になる部分が、思いのほかに大きいことを知ったのである。――まえがきより
書評より――慶応大学助教授 小比木啓吾(本書より)
心で起こる体の病いというコトバが、滲透したのも、ひとえに、本書の著者池見酉次郎教授の精力的な啓蒙活動にあった。とくにこの『自己分析』では、医師としての教授の深まりが、人間の深まりとしてあらわされ、ありのままの姿で、人々に語ろうとした姿勢が、うかがわれる。たしかに読者は、本書を通して、肉体から心への道を、著者と共に歩みながら、それが1つの人間形成の体験過程となっている事実に気づいて、驚くことだろう。またそれは、東洋と西洋とを統合した日本的な心身医学が、どのように成長しつつあるかをも、暗示している。――「週刊読書人」掲載

1968.10.04発売
魔性
講談社文庫
直美は、姉の夫である坂庭に、女として初めてのからだを開いた。人間にはあらゆることが起こり得るという、悪魔的な期待が、若い彼女の心をくすぐった。そのくせ、愛は、どこかで自分を待っていると信じていた。そんな彼女の前に、純情なボーイフレンドやシニカルな中年男の、熱く光る眼差しがあった。ある日、陶酔する官能と乾いた心の背反の中で、直美は義兄への殺意を抱く。自分をなにものかに証明するように……。という、女の深部にひそむものを、繊細な手つきで、あますところなくえぐり出した著者の代表作「魔性」の他に「悦楽」「消えた表情」「傾く旅」を収録。

1968.09.28発売
色事師
講談社文庫
すばらしい肢体と美貌が男を惑わすホステスの亜紀。ドン・ファンとして名高い絵描きの伊達は、念願かなって彼女と一夜の情事をもつことになった。その夜の営みのとき、亜紀の見事な肉体に酔い痴れていた伊達が、彼女と一つになろうとした瞬間、亜紀は冷ややかに痛烈な言葉を放った……。色事師の異名をもつ男の奇妙な情事を濃厚なエロティシズムの中に描いて、現代人の欲望の生態と、微妙な男女心理のひだを大胆に抉った表題作「色事師」。他に「裏切られた情事」「情炎の果て」「色っぽい童女」など、北原武夫独特の、現代の愛とセックスを描く力作7編を収録。

1968.09.16発売
弁証法はどういう科学か
講談社現代新書
弁証法は、社会の原理を鋭利にそして的確に解明していく。矛盾とは? 否定の否定とは? ……難解といわれがちな唯物弁証法。本書では、科学的研究の武器として弁証法を捉え、かつ、身近な話題を例にとりながら、平易に解説し、その核心をつく。(講談社現代新書)
弁証法は、社会の原理を鋭利にそして的確に解明していく。矛盾とは? 否定の否定とは?……難解といわれがちな唯物弁証法。本書では、科学的研究の武器として弁証法を捉え、かつ、身近な話題を例にとりながら、平易に解説し、その核心をつく。
科学的方法を求めて――人生は未知の世界への旅行です。さきのことはわからないとか、一寸さきは闇だとかいいますが、何か正しい方向を知るための羅針盤のようなものはないでしょうか?問題の解決にあたって、誰もが手びきとするのは過去の経験です。自分はかつてこうやって成功したとか、誰々はこうやって失敗したという事実をしらべて、こうするのはよくなかろう、こうしたらうまくいくだろうと、その方向ややり方を工夫します。でもそれだけしかないでしょうか? もっと科学的な方法はないものでしょうか?わたしは自分の社会科学の研究に弁証法を使ってみて、それがどんなにすばらしい武器であるかを実感することができました。――本書より

1968.09.04発売
深い失速
講談社文庫
《私》は、大学病院の若い精神科医。患者の丹野明夫は、人妻殺しを《私》に告白し、フミコという名に激しい心理的な反応をみせた。が、被害者であるはずの大和田緋那子は、健在なのだ。彼女は、美貌のパイロット夫人だった……。《私》は、患者の告白の謎を追わねばならない。丹野の恩師・宮川教授を訪れると、教授はフミコの名に動揺をみせた。《何かがある?》……。一方、緋那子の夫・大和田は、失速・墜落の幻想に悩みつづけているという。冷えた夫婦の陰影が漂っていた。
やがて、丹野の水死、ジェット機の炎上と事件は続発する。《私》の前にも白い靄がかかった……。

1968.08.16発売
いきいきと生きよ
講談社現代新書
ゲーテは、つねにみずみずしい新鮮な心で、現実をありのままに受けとめ、しかも現実におぼれることなく、理想をもってそれに対処した人であった。われわれは、ゲーテが生きていたよりはるかに困難な時代のなかにあって、つねにいきいきと生きるために、この師のことばに心をひそめるべきであろう。本書は、著者とゲーテとの心の対話を通じて、示唆にみちた豊かなことばの泉から、われわれ現代人への知恵をくみとる。
愛を感じないものは、おもねることを学ばねばならない。そうでなければ世を渡ることができない。――「箴言と省察」痛いことばである。凸面鏡を突きつけられたようなもので、そこに写ったのは、うぬぼれ鏡に写ったのとは反対に、これが自分かと驚くほどの変妙な姿だが、それでもまさしく自分以外の何ものでもない。ゲーテの言っていることはおれには無関係だと断言できる人は、それほど多くはないだろう。それで、もしおもねりへつらう人間であることがいやならば、当然、われわれは人に愛をもたなければならないことになる。それは、そんなに容易にできることではないが、おもねる人間になることのいやらしさに比べれば、努力してでもそうならなければならない。
――本書より
書評より――西尾幹二(本書より)
著書はゲーテの前に、こころを空しくし、主観をできるだけ抑えて、「人間ゲーテの知恵のエキスのようなもの」を伝えたいと言っているが、数10年にわたってゲーテと交渉しつづけてきた「著者の知恵のエキス」が、箴言の選び方にも、その説明にも、そしてときどき素顔をみせる著者自身の人間への深い洞察のうちに否応なくあらわれている。それにとにかく読み易い。平明で、解り易い。それでいて、ひとつひとつの言葉に手ごたえがあって、思い出しては幾度でも取り出して、自分の生活の場に役立ててみたいような本である。――週刊読売書人所載

1968.08.04発売
夜の果実
講談社文庫
「私」は、深い眠りにおちている裸身の絵津子に、カメラを向けた。長い時間をかけ、すこしずつ変わるポーズを、可能なあらゆる角度から狙っては、シャッターを押しつづけた。そして、「私」の行為に気づかない彼女に向かって、一人きりの愉悦に浸った。絵津子は、かつての「私」の教え子であり、忘れられない女であったが、彼女が結婚したあと再会したとき、「私」は、自分の中に何かが失われていることを知った。「私」はその何かを取り戻そうと必死になっているのだった……。肉体のふしぎなからくりと、心の中の荒涼たる風景を、細密画の手法で、執拗に追求した、ユニークな長編。他に、短編「残存者」を収録。

1968.07.24発売
統計でウソをつく法
ブルーバックス
世の中には統計が氾濫している。「平均」とか「相関関係」とか言って数字やグラフを示されると、怪しい話も信じたくなる。しかし、統計数字やグラフは、必ずしも示されている通りのものではない。目に見える以上の意味がある場合もあるし、見かけより内容がないかもしれないのだ。統計が読み書きの能力と同じぐらい必要になっている現在、「統計でだまされない」ためには、まず「統計でだます方法」を知ることが必要だ!
だまされないためには、だます方法を知ることだ!
かの有名な英国の政治家ディズレーリは言った――ウソには3種類ある。ウソ、みえすいたウソ、そして統計だ――と。確かに私たちが見たり聞いたり読んだりするものに統計が氾濫しているし、「平均」とか「相関関係」とか「トレンド」とか言って数字を見せられ、グラフを示されると、怪しい話も信じたくなる。しかし、統計数字やグラフは、必ずしも示されている通りのものではない。目に見える以上の意味がある場合もあるし、見かけより内容がないかもしれないのである。私たちにとって、統計が読み書きの能力と同じぐらい必要になっている現在、「統計でだまされない」ためには、まず「統計でだます方法」を本書によって知ることが必要なのである!

1968.06.13発売
芭蕉=その人生と芸術
講談社現代新書

1968.05.25発売
推計学のすすめ
ブルーバックス
教養としての推計学的考え方!《決定の理論》合理的判断への道すじ《カンと経験》当てになるかどうか?《品質管理》無駄を出さない方法《比較と判定》とちらが上か?《原因と結果》本当に薬がきいたのか?《世論調査》正しい結果を出すには?
教養としての推計学的考え方!
《決定の理論》合理的判断への道すじ
《カンと経験》当てになるかどうか?
《品質管理》無駄を出さない方法
《比較と判定》とちらが上か?
《原因と結果》本当に薬がきいたのか?
《世論調査》正しい結果を出すには?

1968.05.16発売
新・哲学入門
講談社現代新書
科学技術がいかに進歩しても、それだけでは解くことのできぬ永遠の問題がある。なぜ永遠であるのか。なぜ古くて新しい課題としてありつづけるのか。本書は、つねに具体的で身近な事柄から出発しながら、そこに潜む哲学的課題を浮き彫りにし、根源にさかのぼって問いなおし、体系化することをこころみた、自ら哲学しようとする人のための入門書である。
われわれは、この世の中に生まれ、この世の中において生活し、この世の中で死んでいく。この世の中におけるわれわれの生活を正しくみちびき整えてゆくには、どのように考え、どのように行為したらいいか。このことについての正しい認識・聡明な知恵は、どのようなものであるのか。これを求めるところに哲学ははじまる。哲学のはじまりは神話である。本書では、まず神話時代以来の人類の思惟を展望し、ついで哲学の諸問題を「認識」「行動」「形而上学と信仰」の3部にわけてとりあげた。フランスおよび英米哲学の持ち味を生かしてつねに具体から抽象へと叙述をすすめ、可能なかぎり対立する考え方を紹介し同時に筆者の主張ももりこんである。

1968.05.07発売
女館
講談社文庫
生まれながらに霊感を与えられた美少女・妙子と、女ざかりの独身女、妙子に仕えて上品な物腰の、女の魅力を持ち続ける老女――「女館」に棲む3人の女と、影の如くつきまとう奇怪な風体の髭の男をめぐって、さまざまな事件が展開する。妙子の霊感で、動かなかった機械が動くようになり、新しい流行色のファッションが作られるようになり、政治家や実業家が、「女館」に日参するようになる頃、妙子は初めての恋に、女として目覚めてゆく。現代の愛と欲望のゆくえを、流麗な筆で捉えた異色長篇小説。

1968.04.13発売
柿本人麻呂
文芸(単行本)
学殖ある文芸評論家たる著者の、実証的にして、深い洞察とすぐれた創見にみちた労作!! ーー生活伝承に対する卓抜な理解に基づいて、日本詩=短歌の源流たる万葉集に新たな光をあて、短歌的抒情の変革者にして偉大な完成者たる歌聖・柿本人麻呂の芸術を見事に解明した。柿本人麻呂は著者のライフ・ワークの一つであり、文芸評論家であるとともに折口信夫門下でもある著者が、人麻呂と日本の詩の誕生に論究した名著である。

1968.04.12発売
朝な朝な
講談社文庫
女流評論家の高輪薫が海外旅行中、ローマに留学している一青年から故国の一女性への贈物を預ってきたことから、幸福をもとめるその女性の運命がひらけて行く――華道創美流の機関誌「創美」の編集部につとめる仙波雅子は、母のつよい希望で掛川昇と見合するが、初恋の人・松尾三郎の愛情を確めたことから、周囲の人びと、とくに副編集長・石井志奈子などの鞭撻で、幸福をつかみとる……。華麗なフランス情艶絵画をくりひろげるような愛欲を描いてベテランの作者が、仙波雅子の愛と行動のうちに現代娘の一典型を、ヨーロッパ帰りの女流評論家・高輪薫の眼をとおして描く大作。

1968.04.12発売
仮装行列
講談社文庫
旧華族との交渉を懸念する父のすすめで、滝沢一郎と婚約した田所真木子。真木子の義父・憲介は、東洋美術館長で、重要文化財審議会の委員をしている。旧華族の東照寺公一は、徳之内元伯爵家の相続人・摂子とブルー・セックスに耽っているが、真木子の婚約を知ると、掌中の珠を失う思いに悩む。二人の結婚に執念を燃やすのは、元伯爵夫人・徳之内津留で、一郎の父・滝沢代議士は、大名華族の元家令である。この政略結婚のかげには、徳之内家所蔵の国宝絵巻屏風をめぐる、母娘の醜い争いが隠されていた……。真木子をめぐる、仮装行列さながらの上流社会の虚偽と性の腐爛を描いた大作。

1968.03.16発売
死と生の記録 真実の生き方を求めて
講談社現代新書

1968.01.16発売
ヨーロッパの個人主義 人は自由という思想に耐えられるか
講談社現代新書
現代の社会に、進歩に、個人のあり方に、深奥からの疑いを発せよ。そして、己のうちなる弱さと、ぬきさしならぬ多くの困難を直視せよ。すべての真実は、幻想にみちた虚像を超えるところに始まる――。本書は個人主義の解説書でもなければ、ヨーロッパ論でもない。欺瞞にみちた「現代の神話」に鋭くつきつける著者の懐疑の書である。しかも懐疑をして脆弱な知性のとまどいや、絶望に終わらせない、切実な行動への書である。
読者に問う――人は自由という思想に耐えられるか――私のこのささやかにして、かつ本質的な懐疑は、いうまでもな、美しいことばで自由をはなばなしく歌い上げるわが日本の精神風土への抵抗のしるしであり、身をもってした批判の声である。それを読者がどう受けとめ、どう理解し、どのように自分の生き方のなかに反映させるかは、すでに読者の問題であろう。が、この一片の書は、解説でもなければ、啓蒙でもなく、このささやかな本のなかに、私の日常の生き方、感じ方、考え方と関わりのないことは、ただの1行も書かれていないことだけは確認しておこう。なぜなら、文明や社会の立場から人間を考えるのではなく、人間の立場から文明や社会を考えたいということが、私のいいたいことの基本的考え方のすべてをつくしているからである。――本書より
書評より――梅原猛(本書より)
ここで西尾氏は、何よりも空想的な理念で動かされている日本社会の危険の警告者として登場する。病的にふくれ上がった美しい理念の幻想が、今や日本に大きな危険を与えようとする。西尾氏の複眼は、こうした幻想から自由になることを命じる。自己について、他人について、社会について、世界について、疑え。そして懐疑が、何よりも現代の良心なのだ。西尾氏は、戦後の日本を支配した多くの思想家とちがって、何げない言葉でつつましやかに新しい真理を語ることを好むようである。どうやらわれわれは、ここに1人の新しい思想家の登場を見ることができたようである。――潮・1969年4月号所収