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1973.09.27発売
阿片戦争(下) 天涯編
講談社文庫
勇将関天培の壮烈な死、軍機大臣王鼎の“屍諫”、官兵の軟弱に蹶起する山中の民。だが敗戦また敗戦……迫りくる植民地化への危険に慟哭の想いを噛みしめつつも、崩壊後に来る近代への確実な目覚めを感じて林則徐は野に下る。時代は変る、いや変えなければ――阿片に内憂外患の清朝末期を鮮烈に描く完結編。

1973.09.27発売
古典落語(続々)
講談社文庫
明治・大正・昭和の三代にわたる落語家の速記本を基に、国民文芸としての落語の集大成を完全テキスト版で試みる画期的編集。本巻収録作品総数32編、東京篇、「子ほめ」「浮世床」「藪入り」「お神酒徳利」「味噌蔵」「田能久」「小言念仏」など25編、上方篇、「佐々木裁き」「あわび貝」「へっつい盗人」など7編。
明治・大正・昭和の三代にわたる落語家の速記本を基に、国民文芸としての落語の集大成を完全テキスト版で試みる画期的編集。本巻収録作品総数32編、東京篇、「子ほめ」「浮世床」「藪入り」「お神酒徳利」「味噌蔵」「田能久」「小言念仏」など25編、上方篇、「佐々木裁き」「あわび貝」「へっつい盗人」など7編。

1973.09.26発売
虚構の彷徨 ダス・ゲマイネ
講談社文庫
左翼運動への裏切りと鎌倉海岸での心中未遂、縊死未遂の告白を軸に、小市民的モラルを否定しながらも惨落と自負の意識に痛ましく引き裂かれていく青春の日々、その絶望の乱舞を、道化の言葉でつづった、「道化の華」「狂言の神」「虚構の春」という、いわゆる『虚構の彷徨』三部作。他に、芥川賞落選で精神的に追い込まれた同時期に書いた「ダス・ゲマイネ」も併録。
1973.09.26発売
わたしのなかのかれへ(下)
講談社文庫

1973.09.26発売
須弥山と極楽 -仏教の宇宙観-
講談社現代新書
須弥山とは高さ56万キロ、33人の天神が住む想像上の高峰である。紀元5世紀、インドで集大成された『倶舎論』は、この須弥山にはじまり、人間が宇宙をどう把えていたかを、詳細に描写している。本書は、この『倶舎論』を基礎に、仏教の宇宙観の変遷をさぐり、輪廻と解脱の2つの思想の誕生・発展の経緯を明らかにし、その現代的意味を説く。
輪廻と解脱の思想――仏教にはさまざまな経典や言葉があるけれど、結局は輪廻と解脱の2つの思想に帰するといえよう。仏教者はこうした輪廻的宇宙と解脱への道との両方を、それぞれ吟味し、研究し、やがてそれらを1つの壮大な体系にしたてあげた。そのような体系を示す書物の1つに、インド5世紀の仏僧ヴァスバンドゥの『倶舎論』がある。この中に須弥山説と呼ばれる仏教宇宙観が示されている。これが、後に“地獄と極楽”にまつわるさまざまな考え、描写へと発展し、日本にも大きな影響をあたえた。一見、過去のもの、われわれとは無縁のものと思われる仏教宇宙観も、実は、いまや新しい世界観を樹立する上で、重要な役割をになおうとしている。――本書より
1973.09.24発売
青春の門 放浪篇(上)

1973.09.20発売
異常の構造
講談社現代新書
精神異常の世界では、「正常」な人間が、ごくあたりまえに思っていることが、特別な意味を帯びて立ち現われてくる。そこには、安易なヒューマニズムに基づく「治療」などは寄せつけぬ人間精神の複雑さがある。著者は、道元や西田幾多郎の人間観を行きづまった西洋流の精神医学に導入し、異常の世界を真に理解する道を探ってきた。本書は現代人の素朴な合理信仰や常識が、いかに脆い仮構の上に成り立っているかを解明し、生きるということのほんとうの意味を根源から問い直している。
「全」と「一」の弁証法――赤ん坊が徐々に母親を自己ならざる他人として識別し、いろいろな人物や事物を認知し、それにともなって自分自身をも1個の存在として自覚するようになるにつれて、赤ん坊は「全」としての存在から「一」としての存在に移るようになる。幼児における社会性の発達は、「全」と「一」との弁証法的展開として、とらえてもよいのではないかと私は考えている。分裂病とよばれる精神の異常が、このような「一」の不成立、自己が自己であることの不成立にもとづいているのだとすれば、私たちはこのような「異常」な事態がどのようにして生じてきたのかを考えてみなくてはならない。――本書より

1973.08.31発売
考える技術・書く技術
講談社現代新書
「情報過多の時代だから情報処理の技術を心得ておかないと翻弄されることになる」とは、
1973年刊行の本書に書かれていること。
さらに情報に振り回される現代こそ、本書の価値は高まっています。
学生・新社会人も必読!
「頭がいいとか悪いとか、ふだんよく使われる表現だが、もともとどういう意味があるのだろうか? (中略)
わたくしも教師生活を二十年近くは経験しているけれども、九十五点の学生と八十三点の学生の間に、
頭のよしあしの差があると思ったことは、いちどもない。
試験とはせいぜい、怠けているかどうかを知るのと、勉強をはげます程度にしか役立たないように思う。
学校の成績や入学試験にいたっては、競馬の勝ち負けより少しましだといったくらいのものだ。
とにかく信じられているほどには頭のよしあしとは関係がなさそうだ」
「独創とか創造とかについて、わたくしは日米あわせて五十冊くらいは参考書を読んだが、
(中略)すべてに共通することは、型にはまった考え方から離脱するために心身を訓練することであった。(中略)わたくしは、この態度をバンカラと呼んでいる」(本文より)
○脳は刺激を与えないと悪くなる
○「いつも」「みんな」という言葉は使うな
○朝は新聞を読むな
○ときどき、ふだん自分が興味のないジャンルを含め、あらゆる雑誌をまとめて眺め通すと、
頭のしこりがほぐれる(ブレーン・ストーミング読書)。
○精読するときは、黄色のダーマト鉛筆を使って気になる部分に線を引く
○読み返しのときは、しばらく時間をおく
○日本語はピラミッド型、英語は逆ピラミッド型。だから英語を聞き取るためには、文の 最初に注目する。
○自分に必要な情報を保存するとき、見出しをつけるときは「名詞」ではなく「動詞」を 使う
○保存する引用、要約に自分の見解を加えるときは、色を変えて書く
○アイデアを妨げるのは、「自分にはできない」という否定的な自己暗示
○相手に理解し、同調してもらうためには、「仲間意識」をつくりあげる
○読み手を味方にするには、私小説的アプローチを入れる
○数量化は大切
○自分の説と他人の説の区別は重要

1973.08.29発売
阿片戦争(上) 滄海編
講談社文庫
内に人心荒廃し、外に中華思想を振りかざす清朝末期。産業革命後の英国新興資本は、市場を求める中国進出を企ていた。“阿片を認めるか否か”――暴利と保身に詭計をめぐらす特権商人、官僚達の渦中に、国を憂う清廉潔白な実力官吏林則徐と豪商連維材がいた。近代中国黎明のうねりを活写する大河小説。

1973.08.28発売
阿片戦争(中) 風雷編
講談社文庫
阿片鬼と化す人々に亡国の明日をみた林則徐の阿片厳禁論は、動揺する道光帝の心を掴む。一地方官吏から欽差大臣へ、積弊根絶に英国と対決すべく広東に乗りこむ彼の周囲に内外の敵。民族の誇りと将来のために“みごとに戦う”――武力行使に移る英国艦隊の面前で、その威力を知りつつ林は阿片を焼き捨てる。

1973.08.28発売
豆つぶほどの小さな犬・井戸のある谷間 他二編
小山にすむ小人の一族、コロボックルたちは、むかし豆つぶほどの小さないぬを飼っていました。ところが、死にたえたといわれていたそのマメイヌが、いまでも生きのこっているというではありませんか。──(「豆つぶほどの小さないぬ」)

1973.08.28発売
だれも知らない小さな国・そこなし森の話 他二編
小学校3年生の夏休み、もちの木をさがしにいったぼくは、こんもりした小山や杉林にかこまれた三角形の平地で、小指ほどしかない小さな人たちをみつけます。それが、コロボックルとのはじめての出会いでした。──(「だれも知らない小さな国」)

1973.08.20発売
江戸小咄
講談社文庫
時代の性格とニュースを知る上に貴重な文献であり、世相と一般の生活を如実にあらわしているといわれる咄本。江戸後期の咄本15冊を各種の原本にあたり、完璧な形で編集した好著ーー古典落語の原話として広く知られる咄本は、日本人の笑いの無尽蔵の大鉱脈であるが、また、その時代の世相を如実に映しており、庶民の生活を見る上での貴重な文献でもある。本巻では、現代人の感覚にもよく通じる江戸後期の作品群を主としてとりあげ、原文のまま紹介するものである。各編、解説、訳注を付す。<全2巻>

1973.08.15発売
青い小さな葡萄
講談社文庫
フランスのリヨンに留学した日本の一青年を主人公に、戦争で片腕を失ったドイツの神学生、拷問・虐殺をひそかに行った対独抵抗組織の内なる暗黒を描くことにより、人間と人間の疎外、異人種ゆえのコンプレックス、裁く者と裁かれる者の憎しみという問題を追究。遠藤文学の原点ともいうべき処女長編。

1973.07.25発売
夏の流れ 正午なり
講談社文庫
裁く者と裁かれる者の錯綜した心理、市民生活と犯罪、不条理ともいうべき人間の生と死を、囚人の処刑執行日を目前に控えた看守たちの日常生活の中で捉え、硬質な筆致で描いた、芥川賞受賞作品「夏の流れ」、都会での生活に敗れ、帰郷してきた青年の、人間と性を追求した「正午なり」など、全4篇を収録。

1973.06.28発売
てのひら島はどこにある・雨ふりこぞう ほか3編
ある春の日曜日、おばあちゃんが、てのひら島の話をしてくれました。いたずらな男の子と、ふたごの女の子、それに「いたずら虫」やら「なき虫」、「やきもち虫」に「いばり虫」と、さまざまなむしの神さまがでてくる話です。──(「てのひら島はどこにある」)

1973.06.28発売
マコトくんとふしぎないす・きつね三吉 ほか6編
マコトくんの家の古ぼけた小さないすが、どんなにすばらしいいすかは、マコトくんだけが知っています。このいすは、野原を走るはだかうまにも、草原を歩くぞうにもなるのですから……。──(「マコトくんとふしぎないす」)

1973.06.26発売
高崎山のサル
講談社文庫
日本のサル学として世界にその水準の高さを知らしめた好著ーー高崎山のサルの群れを、長期間にわたる徹底的なフィールドワークによって観察し、ついにその生態の全貌を捉えた、貴重な記録である。ボスザルを頂点とする群れの社会構造は、本著によってはじめて明らかにされ、世界の霊長類研究に先駆的業績をあげた。まさに「ニホンのサル学」を記念するにたるモニュメント的書である。

1973.06.20発売
美について
講談社現代新書
山河の美しさ、芸術の美しさ、人格の美……美は、さまざまな位相をとって人間の前に立ち現われ、より高い価値へとひとをいざなう。では、ひとはいかにして「美」を発見し、どのようにこれを受け入れてきたのか。最高の美とはいかなるものなのか。本書は、美についての理念の変遷や芸術の展開と関連づけながら、その存在論的意味を解明した美についての形而上学である。
美は人間の希望である――真と善と美とは人間の文化活動を保証し、かつ、刺戟してやまない価値理念である。真が存在の意味であり、善が存在の機能であるとすれば、美は、存在の恵みないし愛なのではなかろうか。われわれは美しい山河を眺めただけですら、救われた思いに浸る。卓越した芸術作品の美に接すれば、人間の偉大さにうたれ、自分が人間に属することを誇りに思うであろう。美は、たしかに、挫折し苦しむことの多いわれわれに差し出された存在の光りのようにも思われるではないか。美はこのようにして、人間の希望である。この輝かしい経験内容である美を反省しないでいることは、人間の栄光と喜びとについて考えずにおくことになる。――本書より

1973.06.15発売
絵のない絵本
講談社文庫
無邪気な者への共感、貧しさへの熱き同情、湖に漂う白鳥に托す詩情…。そっと月が話してくれた33の話。音楽がきこえてくるようなロマンティシズムに薫る、巨峰アンデルセンの、絵にも似た詩的散文ーー無邪気なもの、貧しいものへの熱い共感と、湖に漂う白鳥の孤影に託された詩情。ローマの廃墟から中国の寺院にまで及ぶ、そっと月が話してくれた三十三夜のおはなしは、憧れを懐くもののよろこびと悲しみを奏でて、豊かな詩的アラベスクをなす。新訳で贈る、北欧風ロマンティシズムの香り高い「絵画詩」とも言える名作。