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生きることと考えること
1970.11.16発売
生きることと考えること
著:森 有正
講談社現代新書
人間は経験をはなれては存在しえない。そして、ほんとうによく生きるには経験を未来に向かって開かねばならぬ。本書は、自己の生い立ちから青春時代、パリでの感覚の目ざめと思想の深まり、さらには独自の「経験」の思想を、質問に答えて真摯に語ったユニークな精神史である。 読者の皆さんへ――ここには、1つの精神の歴史が物語られています。森有正という、日本の思想界でもきわめてユニークな地位を占める1人の哲学者が自己を形成するにいたるまでのプロセスが、つつみかくさず物語られているのです。森氏は長い間、異国でのひとりぼっちの生活の中にあって、いやおうなしにすべてのできあいの観念を払いすて、自分自身の経験の上に思想を築き上げる道をえらばねばなりませんでした。観念をとおすことなく、自分の感覚に直接はいってくる事象をそのままうけとめ、そこから出発しておのずから1つの言葉に達する道を探索しなければなりませんでした。そうして獲得した独自の思想世界を、ここでは直截に、つまり経験をとおして思想を、「生きること」をとおして「考えること」を語っていただきました。――本書より
エロス的人間論 ―フロイトを超えるもの―
1970.09.28発売
エロス的人間論 ―フロイトを超えるもの―
著:小此木 啓吾,装丁:岡島 伴郎
講談社現代新書
現代人のための仏教
1970.09.28発売
現代人のための仏教
著:平川 彰,装丁:岡島 伴郎
講談社現代新書
2500年の間、多くの人々の心を支えてきた仏教思想は、いまなお、その新鮮な光を失っていない。人間の本性を見きわめ、真の生きがいをもとめようとするとき、それは限りない知恵をわれわれに与えてくれる。現代人の自己発見のしるべとして、仏教思想の根本を見直すことは意義あることだといえよう。本書は、釈尊から道元、親鸞と、その思索の跡をさぐりつつ現代人の生き方の指針をもとめて仏教の真髄に迫る好著である。
不確定性原理―運命への挑戦―
1970.05.28発売
不確定性原理―運命への挑戦―
著:都筑 卓司,装丁:安野 光雅
ブルーバックス
星飛雄馬は量子ボールを投げている!? 〈消える魔球〉を現代物理で推理すると…… 〈霧の如くかき消えて突如姿を現わす〉ことを不確定性原理が保証している。 〈ラプラスの悪魔〉は明日の天気をピタリと予想し 〈ハイゼンベルク〉は一寸先の運命を煙のようなものだという? 〈客観〉という言葉の絶対性をくつがえした不確定性原理は 〈相対性理論〉でさえも古い物理に変えてしまった……。
現代哲学事典
1970.04.30発売
現代哲学事典
編:山崎 正一,編:市川 浩,装丁:岡島 伴郎
講談社現代新書
今日ほど、人間についての根源的反省が強いられている時代はない。本書は、古今東西にわたる人類の思索の集積を、現代的視点から455項目に整理、簡潔明晰な定義、主張をもりこんだ個性的記述、東西思想からのアプローチによってわれわれの立ちむかうべき哲学的課題を論述、さらには、比較哲学年表、論理記号一覧、有機的使用に耐える各種索引も併載して、〈読む〉〈引く〉2つの機能を兼ね備えた現代人必備のユニークな事典である。 思考武器としての哲学的概念――現代は、あらゆる領域でその根本的な前提にさかのぼる反省がもとめられている時代である。そして、その分析・追求の有効な武器として哲学的概念が用いられている。しかし、哲学上の術語は一般に難解だし、実際必ずしも正しい使い方がされているとはいえない。このことが、元来錯雑した現代思想に無用な混乱を加えている面も無視できない。かといって無性格で無味乾燥な概念規定が、この混乱を救えるはずもない。こんな考えもあって、前々から、個性的アプローチで読んで面白く、しかも必要事項はおさえてある、そういった哲学事典はできないものかと思っていた。現代哲学事典は、こうした方向で編集してある。――編者のことば
マックスウェルの悪魔 確率から物理学へ
1970.02.28発売
マックスウェルの悪魔 確率から物理学へ
著:都筑 卓司,装丁:安野 光雅
ブルーバックス
この著名な悪魔は 単なるパラドックスではない 〈タイム・マシン〉を実現させて過去をよみがえらせ 〈永久機関〉を動かして世の中をアッといわせ 〈ジーンズの奇跡〉を見せて火の上の水を凍らせるマックスウェルの悪魔……。 〈ゼンマイのほぐれるように〉人類の死、宇宙の死が訪れるとすれば 〈マックスウェルの悪魔こそ救世主〉……。 〈人間 じつは マックスウェルの悪魔〉ではないのか?
現代をどうとらえるか イデオロギーを超えて
1970.02.24発売
現代をどうとらえるか イデオロギーを超えて
著:市村 真一
講談社現代新書
道元入門-生の充実を求めるために
1970.02.16発売
道元入門-生の充実を求めるために
著:秋月 龍ミン
講談社現代新書
人は何によって生きればいいのか。自分とはいかなるもので、悟りとは、禅とは、修行とはどういうことなのか。道元はこうした疑問に正面から取りくんだ宗教史上に屹立する大思想家である。この偉大なる覚者の凝縮された珠玉の言葉を軸に、生涯と思想を的確に解説した本書は、道元思想への絶好の手引書である。 〈生の充実を求めるひとに〉 父母も兄弟姉妹も、師も友も、夫も妻も、恋人も、そして神や仏でさえも、頼りにならない。自分以外のものを信ずるほど、はかないことはないのです。結局、人生は孤独です。社会であれ、他人であれ、ひっきょう外に向かって忿懣をぶちまけて、それですんでいる間はいいのですが、やがてその眼が内に向けられて、肝心のこの自己がいちばん頼りにならないと分ったとき、人はどうすればいいのでしょうか。そうしたうちの幾人かは道元の名を聞き、宗教哲学の古典『正法眼蔵』を読もうと思い立つでしょう。本書は、そうした「本当の自己」を求める多くの人々に読んでほしいのです。――著者のことば 求道の姿勢を描き出す感銘の一書 いま読んでいる秋月龍みん氏の『道元入門』は素晴しい。「正法眼蔵」を理解していく踏み台として、まことに適切な書だと思う。禅宗だとか、曹洞宗だとかでなく、仏法の正伝ということに、道元禅師がどれほど徹底して正法眼蔵を説かれたか。この眼目を見事におさえて解説され秋月氏の筆には快い精気が感じられる。――中外日報・編集手帖から(本書より)
兄 小林秀雄との対話
1970.01.16発売
兄 小林秀雄との対話
著:高見沢 潤子,装丁:岡田 伴郎
講談社現代新書
批評家・小林秀雄は「Xへの手紙」「無常といふこと」「モオツアルト」「考えるヒント」など、作品を発表するたびに、日本の思想界、文学界に大きな影響を与えてきた。本書は、その小林秀雄を実兄にもつ著者が、歴史、ことば、古典、美、読書などについて、小林秀雄と縦横に語り合い、若人の直面する人生の課題に応えた異色の人生論である。難解だといわれる小林秀雄の考えを明らかにした書といえよう
「無」の思想 老荘思想の系譜
1969.10.16発売
「無」の思想 老荘思想の系譜
著:森 三樹三郎,装丁:岡島 伴郎
講談社現代新書
無とは何か、死とは何か。真理は言葉によってとらえうるのか。これらの根本命題を課せられた人間を思うとき、われわれは、無を拠点とする東洋思想から、あまりに遠く隔たりすぎたのではないか。本書は、言葉を超えた真理を追究し、自然に帰れと説く老荘の哲学を核に、東洋自然思想の系譜を、禅から親鸞、宣長、芭蕉へとあとづける。西洋合理思想になれ親しんだ現代人にとって、東洋的虚無の立場から存在の本質に迫る必読の書。 人間の言葉は、ありのままの真理をあらわすに不適当である。そこに荘子の「弁ずるは黙するにしかず」という主張も生まれる。それでは沈黙を守ることだけが、真理を伝える唯一の道なのであろうか。沈黙は言葉に対立するものである。たがいに対立するものは同じ次元の上にあることになる。言葉が真理を伝えることができないとすれば、沈黙もまた真理を伝えることができない。とすれば「非言非黙」のみが、残された唯一の道である。それでは非言非黙とは、具体的にどうすることであるか。それは言葉を用いながらも、言葉にとらわれないことである。禅宗風にいえば、言葉は月をさす指であり、月のありかがわかれば、邪魔になる指は切りすてるがよい。――本書・不立文字の思想より 読売新聞書評より(本書掲載) 本書はインド的なものとの出会いによる複雑な展開を充分に腹にすえながら、中国的な無の思想〈老荘思想〉の大本を明確にし、かつその思想の変容のあとを概説した。著者は中国思想の専門家、ことに道家思想の造詣において定評がある。その専門的知識を駆使して、老荘思想の展開に新指標を打ち立てた野心作である。仏教の空思想を知る上で、中国的無の思想の実態を心得ておくことは大切である。本書はそのような要望にも格好の手引き書となる。
四次元の世界 超空間から相対性理論へ
1969.08.20発売
四次元の世界 超空間から相対性理論へ
著:都筑 卓司,装丁:ルネ・マグリット,装丁:永美 ハルオ
ブルーバックス
卵を割らずに黄身がとり出せますか? 《四次元の世界》ではそれが可能だというのです 《まぼろしの次元》を求めてリ-マン幾何学から物理学へ…… 《実在する四次元》はアインシュタインによってみつけ出されました 《真実とはかくも奇妙なものか》などと言わないでください 《超多時間理論》や《重力波》も四次元の産物です 《スッキリした説明》だれにもわかるていねいな解説は本書の特色の1つです
英語を使いこなす
1969.08.17発売
英語を使いこなす
著:G・クラ-ク
講談社現代新書
英語下手の日本人への効果的なアドバイス.言葉は目を通して論理的に学ぶより,耳を通して感覚的に覚えるほうが効果は大きい.不要なアレルギ-を取り除き自在に英語とつきあう方法を体験に則して説く.
電気に強くなる ―インスタント電気学入門―
1969.07.28発売
電気に強くなる ―インスタント電気学入門―
著:橋本 尚
ブルーバックス
「電気はどうも苦手……」では困ります 電気は私たちの影のようなもの……どこへでもついてまわります はんらんする電気器具はいうに及ばず 我々の体の中にも電気が流れています 電気とは何か……エッセンスを知ってしまえば飼いならすのは簡単 石綿をまかずにソケットの配線をする……これは電気のイロハを知らぬ人 ネームプレートを見て電気器具を買う……これは電気の通でしょう 本書は全て身近な所から例をとってまとめられた電気知識のエッセンスです
異常の心理学
1969.04.16発売
異常の心理学
著:相場 均
講談社現代新書
物質文明に縛られた現代人にとって、“異常の真理”は、けっして無縁ではない。たとえ自分はどんなに健康だと思っても、異常な状態や環境におかれたりすると、自分の心を失って流されてしまう。合理性の背後に、不意にしのびこむ異常性――人種的偏見、政治的な憎しみ、群集心理などは、日常生活にも、しばしば顔をのぞかせる。本書は、われわれの心にひそむ異常性を、社会的な、文化的な、さらに歴史的な視野で把え、それが現代社会にどう反映しているかを解明する。 心にひそむ悪魔――われわれは、科学の恩恵に浴して、快適な合理的な生活をおくっている。しかし、その背中合わせに物質文明の呪術が、日常生活、人間関係、政治の中で息づいていることを、忘れてはならない。ヒットラーをまつまでもなく、1人1人が呪術師の役割をになって、いまでも、中世の魔女狩り的な精神状態を醸成しているかもしれない。現代といえども、まだ魔女や悪魔たちが活躍していた中世の時代を何らかの形でひきついでいる。自分をみつめるためにも、心にひそむ異常性を知らねばならない。――本書より
美しい日本の私
1969.03.16発売
美しい日本の私
著:川端 康成,訳:エドワード.G・サイデンステッカ-
講談社現代新書
雪、月、花に象徴される日本美の伝統は、「白」に最も多くの色を見、「無」にすべてを蔵するゆたかさを思う。美の真姿を流麗な文章にとらえた本書は、ノーベル賞受賞記念講演の全文に、サイデンステッカー氏による英訳を付した、日本人の心の書である。 「山水」といふ言葉には、山と水、つまり自然の景色、山水画、つまり風景画、庭園などの意味から、「ものさびたさま」とか、「さびしく、みすぼらしいこと」とかの意味まであります。しかし「和敬清寂」の茶道が尊ぶ「わび・さび」は、勿論むしろ心の豊かさを蔵してのことですし、極めて狭小、簡素の茶室は、かへって無辺の広さと無限の優麗とを宿してをります。1輪の花は100輪の花よりも花やかさを思はせるのです。開ききった花を活けてはならぬと、利休も教へてゐますが、今日の日本の茶でも、茶室の床にはただ1輪の花、しかもつぼみを生けることが多いのであります。――本書より
キリスト教の人生論
1968.12.16発売
キリスト教の人生論
著:桑田 秀延
講談社現代新書
四国の裕福な家庭に生まれた少年が、幼くして生家の破産を経験し、富や権勢の空しさを知り人生の真実を求めて洗礼を受けた。以来数10年にわたるキリスト者としての信仰生活、神学者としての思索を倦むことなく続けてきた著者が、愛とは何か、罪とは何かなど、人生の根本問題を静かに語りかける。「意志としての信仰」を貫いた人生の達人のみが持ちうる説得力に満ちた声が、読者の心にしみ入るにちがいない。 やわらぎ――近ごろ、われわれのあいだで重要視されている「話しあい」とか「対話」とかは、たしかに望ましいことにちがいありませんが、いつも「対話」をさまたげる厚い壁のようなものがあり、容易にはおこなわれません。根本的には、私も私の相手も、そして皆のものがまず神とのあいだに「やわらぎ」を得ることが必要です。人間のあいだの話しあいは、私たちそれぞれが、まず神とのあいだに、やわらぎをもつことからはじまります。神と人間の人格的なやわらぎの成立が前提になります。今日、宗教は軽んじられていますが、人と人との出会いにおいても、宗教の意味は人びとが常識的に考えているものよりはるかに深く大いなるものだと私は考えます。――本書より
実存主義入門〈新しい生き方を求めて〉
1968.11.16発売
実存主義入門〈新しい生き方を求めて〉
著:茅野 良男
講談社現代新書
人間とは何か。実存とは何か。その考え方は私たちの生き方とどういう関わり合いをもつのか。実存として生きるとは、状況のなかで乗り越え、立ち出でるとは、どういうことなのか。キルケゴール、ハイデッガー、ヤスパース、サルトルを手がかりに、「実存」を考える。
自己分析―心身医学からみた人間形成―
1968.10.16発売
自己分析―心身医学からみた人間形成―
著:池見 酉次郎
講談社現代新書
「自己をみつめる」――やさしいようでむずかしい。不安や孤独、憤りや自己嫌悪に悩む私たちが、どうしたら正しく自己をみつめ、文明に疎外されない真に人間らしい生き方を、身につけられるのか。心と体をつなぐ心身医学は、人間におきる“眼に見えない異常”を探り出し、心のひずみが招く病気を治し、自己実現へと導く。こうして、自分にある可能性に気づくとき、だれもが、生きる喜びの無限に大きなことを発見する。著者の豊富な人生体験からつづられた本書は、1つの人間形成のすじ道を明らかにしてくれる。 体にひそむ心の病い――私たちは、常に眼に見える体の変化を通して、人間の心を、具体的にとらえることができる立場にある。またそのような微妙な心の変化が、体に投影されたものを、細かに観察することができる。こうした科学的な基礎に立って、人間の病いを見てくると、その背後には、ありとあらゆる人生問題がひそんでいることに気づく。そして、体の症状を医学的に処理すると同時に、その陰にひそむ心の問題にも、そのなり立ちを正しく分析することによって、科学的な治療や、自己改造が可能になる部分が、思いのほかに大きいことを知ったのである。――まえがきより 書評より――慶応大学助教授 小比木啓吾(本書より) 心で起こる体の病いというコトバが、滲透したのも、ひとえに、本書の著者池見酉次郎教授の精力的な啓蒙活動にあった。とくにこの『自己分析』では、医師としての教授の深まりが、人間の深まりとしてあらわされ、ありのままの姿で、人々に語ろうとした姿勢が、うかがわれる。たしかに読者は、本書を通して、肉体から心への道を、著者と共に歩みながら、それが1つの人間形成の体験過程となっている事実に気づいて、驚くことだろう。またそれは、東洋と西洋とを統合した日本的な心身医学が、どのように成長しつつあるかをも、暗示している。――「週刊読書人」掲載
新・哲学入門
1968.05.16発売
新・哲学入門
著:山崎 正一,著:市川 浩
講談社現代新書
科学技術がいかに進歩しても、それだけでは解くことのできぬ永遠の問題がある。なぜ永遠であるのか。なぜ古くて新しい課題としてありつづけるのか。本書は、つねに具体的で身近な事柄から出発しながら、そこに潜む哲学的課題を浮き彫りにし、根源にさかのぼって問いなおし、体系化することをこころみた、自ら哲学しようとする人のための入門書である。 われわれは、この世の中に生まれ、この世の中において生活し、この世の中で死んでいく。この世の中におけるわれわれの生活を正しくみちびき整えてゆくには、どのように考え、どのように行為したらいいか。このことについての正しい認識・聡明な知恵は、どのようなものであるのか。これを求めるところに哲学ははじまる。哲学のはじまりは神話である。本書では、まず神話時代以来の人類の思惟を展望し、ついで哲学の諸問題を「認識」「行動」「形而上学と信仰」の3部にわけてとりあげた。フランスおよび英米哲学の持ち味を生かしてつねに具体から抽象へと叙述をすすめ、可能なかぎり対立する考え方を紹介し同時に筆者の主張ももりこんである。
ヨーロッパの個人主義 人は自由という思想に耐えられるか
1968.01.16発売
ヨーロッパの個人主義 人は自由という思想に耐えられるか
著:西尾 幹二
講談社現代新書
現代の社会に、進歩に、個人のあり方に、深奥からの疑いを発せよ。そして、己のうちなる弱さと、ぬきさしならぬ多くの困難を直視せよ。すべての真実は、幻想にみちた虚像を超えるところに始まる――。本書は個人主義の解説書でもなければ、ヨーロッパ論でもない。欺瞞にみちた「現代の神話」に鋭くつきつける著者の懐疑の書である。しかも懐疑をして脆弱な知性のとまどいや、絶望に終わらせない、切実な行動への書である。 読者に問う――人は自由という思想に耐えられるか――私のこのささやかにして、かつ本質的な懐疑は、いうまでもな、美しいことばで自由をはなばなしく歌い上げるわが日本の精神風土への抵抗のしるしであり、身をもってした批判の声である。それを読者がどう受けとめ、どう理解し、どのように自分の生き方のなかに反映させるかは、すでに読者の問題であろう。が、この一片の書は、解説でもなければ、啓蒙でもなく、このささやかな本のなかに、私の日常の生き方、感じ方、考え方と関わりのないことは、ただの1行も書かれていないことだけは確認しておこう。なぜなら、文明や社会の立場から人間を考えるのではなく、人間の立場から文明や社会を考えたいということが、私のいいたいことの基本的考え方のすべてをつくしているからである。――本書より 書評より――梅原猛(本書より) ここで西尾氏は、何よりも空想的な理念で動かされている日本社会の危険の警告者として登場する。病的にふくれ上がった美しい理念の幻想が、今や日本に大きな危険を与えようとする。西尾氏の複眼は、こうした幻想から自由になることを命じる。自己について、他人について、社会について、世界について、疑え。そして懐疑が、何よりも現代の良心なのだ。西尾氏は、戦後の日本を支配した多くの思想家とちがって、何げない言葉でつつましやかに新しい真理を語ることを好むようである。どうやらわれわれは、ここに1人の新しい思想家の登場を見ることができたようである。――潮・1969年4月号所収