講談社学術文庫作品一覧
![スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳](https://dvs-cover.kodansha.co.jp/0000211769/0JC8IsBuYPw6RIim3OOes0alycnzJVO8tQnszKGa.jpg)
スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳
講談社学術文庫
かくしてひとり離れて修行し歩くがよい、あたかも一角の犀そっくりになって――。『法句経(ダンマパダ)』とともに原始仏典の中でも最古層とされる『スッタニパータ』。最初期の仏教思想と展開を今に伝えるこの経典は、釈尊に直結する教説がまとめられ、師の教えに導かれた弟子たちが簡素な生活のなかで修行に励み、解脱への道を歩む姿が描き出される珠玉の詞華集である。2400年前の金口直説を平易な現代語で読む。

ヒトはいかにして生まれたか 遺伝と進化の人類学
講談社学術文庫
人類学の泰斗が、近年の遺伝学の成果を取り入れ、「ヒトの誕生」への道のりを語る。古代ギリシャの哲人を悩ませた「なぜサルはヒトに似ているか」という問題に、ダーウィンの進化論がひとつの答えを提示し、20世紀の半ば以降は、DNAと進化の関係が探究されてきた。「毛がない」ことの意味、人類学からみた「雪男の謎」、ヒトの特徴である「ネオテニー」「自己家畜化」とは。文系・理系を融合した「新しい人類学」を提唱する。
「ヒト」とはそもそも何か。二足歩行をする「人類」が誕生したとき、DNAのレベルでは、何が起こっていたのか――。人類学の泰斗が、近年の遺伝学の成果を取り入れ、「ヒトの誕生」への道のりを語る。
古代ギリシャの哲人を悩ませた「なぜサルはヒトに似ているか」という問題に、ひとつの答えを提示したのが、ダーウィンの進化論だった。20世紀の半ば以降、DNAの発見によって「進化」と「遺伝子」の関係が探究されるようになるが、人類学と遺伝学は簡単に接続できるものではなかった。ヒトとチンパンジーが遺伝子はよく似ているのに姿は全く違うのに対し、カエルは遺伝的に大きな差異があっても姿はそっくりという例にみるように、遺伝子の進化と形態の進化は一致しないのだ。
こうした人類誕生にまつわる「遺伝」と「進化」の関係を、「進化の中立説」「遺伝距離」「構造遺伝子と調節遺伝子」などの用語を使いつつ、やさしく解説する。
二足歩行と脳の発達はどちらが先か、「毛がない」ことの意味、人類学からみた「雪男の謎」、ヒトの特徴である「ネオテニー」「自己家畜化」とは何か、など豊富な話題をまじえて、文系・理系を融合した「新しい人類学」を提唱する。
『ゲノムから進化を考える5 ヒトはいかにして生まれたか』(岩波書店、1998年刊)の文庫化。

日本人のための英語学習法
講談社学術文庫
英語を理解するということは、単に単語を覚えればいいのではなく、英語ネイティブたちの頭の中にある、英語によって切り取られた世界の成り立ち、そのイメージを捉える必要がある。他言語に比べても、英語の世界観と日本語の世界観の間には、乖離がある。本書では英語の世界観、英語ネイティブの思考方法について考え、その先で、英文法の原理を探り、動詞、名詞、前置詞などの根本的な役割について、とことん平易に説明する。

伊藤博文 近代日本を創った男
講談社学術文庫
初代総理大臣として内閣制度を創設し、みずから中心となって大日本帝国憲法を制定しながら、木戸孝允や岩倉具視らの間をたくみに世渡りして出世した「軽佻浮薄」な人物、あるいは、旧憲法によって民主化の道を狭め、韓国では民族運動を弾圧した権力者、といったイメージで語られてきた伊藤博文。日本近代政治史の第一人者である著者が、歴史学の最新成果をふまえて、伊藤の全生涯と「剛凌強直」たる真の姿を描き切る、決定版評伝。
初代総理大臣として内閣制度を創設し、みずから中心となって大日本帝国憲法を制定した伊藤博文の本格的評伝。
幕末維新、岩倉使節団、西南戦争、明治十四年の政変、条約改正、立憲政治の確立、日清・日露戦争、そして韓国統治・・・。伊藤博文の68年の生涯は、近代日本の草創期にそのまま重なっている。まさに「近代日本を創った男」であるにもかかわらず、本書が登場するまで、伊藤の本格的評伝はほとんど書かれることがなかった。そればかりか、木戸孝允や岩倉具視ら有力者の間をたくみに世渡りして出世した「軽佻浮薄」な人物、あるいは、旧憲法によって民主化の道を狭め、韓国では民族運動を弾圧した権力者・・・といったイメージで語られ続けたのである。
本書で、日本近代政治史の第一人者である著者は、書簡や日記等の一次史料を渉猟し、歴史学の最新成果をふまえて、伊藤の全生涯と、「剛凌強直」たる真の改革者の姿を描き切った。その後の伊藤博文のイメージを一変させた決定版である。
(2009年に講談社から刊行された同名書籍の文庫化)

日本仏教 思想のあゆみ
講談社学術文庫
聖徳太子、南都六宗、最澄・空海、鎌倉新仏教……。歴史的に仏教の展開の最終段階に位置し、高度な思想を展開した日本仏教。唯識や華厳の世界観、最澄や空海の即身成仏の思想、法然、親鸞、一遍らの念仏、道元の坐禅観、日蓮の唱題──。各宗派祖師の思想の概略をわかりやすく明らかにしながら、日本人のものの見方及び考え方の特質を描き出す一冊。(講談社学術文庫)
聖徳太子、南都六宗、最澄・空海、鎌倉新仏教……。歴史的に仏教の展開の最終段階に位置し、高度な思想を展開した日本仏教。唯識や華厳の世界観、最澄や空海の即身成仏の思想、法然、親鸞、一遍らの念仏、道元の坐禅観、日蓮の唱題──。各宗派祖師の思想の概略をわかりやすく明らかにしながら、日本人のものの見方及び考え方の特質を描き出す一冊。

侍従長の回想
講談社学術文庫
2014年における史学界最大の話題は『昭和天皇実録』の完成でした。天皇裕仁の一生と「昭和」という時代をいかに描き、評価するか……。この点において『実録』編纂者の苦心は並々ならぬものがあったと思われます。同時にこれを読む側も眼光紙背に徹する必要があります。そのためにもマッカーサーとの会見など『実録』の資料ともなった本書『侍従長の回想』はきわめて重要なものです。多くの読者の目に触れることを願います。
著者の藤田尚徳は海軍大将であり、サイパン陥落後の1944(昭和19)年8月から極東国際軍事裁判が開廷する1946(昭和21)年5月まで侍従長の任にありました。「聖断」に至るまでの天皇の懊悩、重臣たちの動き、玉音放送に至るまでなど、その回想は天皇の側近に侍していた人物でなければ知りえない秘話に満ちています。なかでもクライマックスは1945(昭和20)年9月27日、虎の門の米国大使館における昭和天皇とマッカーサーとの会見です。
2014年における近代史学界最大の話題は『昭和天皇実録』の完成でした。天皇裕仁の一生と「昭和」という時代をいかに描き、評価するか……。この点において『実録』編纂者の苦心は並々ならぬものがあったと思われます。同時にこれを読む側も眼光紙背に徹する必要があります。そのためにも『実録』の資料ともなった本書『侍従長の回想』はきわめて重要なものです。多くの読者の目に触れることを願います。

地名の研究
講談社学術文庫
日本は諸外国とくらべて地名が膨大であると説き、柳田は有名な「大きな地名」よりも、小字などの「小さな地名」に着目する。また、地名を新古の生活の必要によって命名する「利用地名」、自分の土地だと宣言するための「占有地名」、地名を分割して名付ける「分割地名」に分類。それぞれの特徴は何か。地名学の源流となった名著。(解説・中沢新一)(講談社学術文庫)
日本は諸外国とくらべて地名が膨大であると説き、柳田は有名な「大きな地名」よりも、小字などの「小さな地名」に着目する。また、地名を新古の生活の必要によって命名する「利用地名」、自分の土地だと宣言するための「占有地名」、地名を分割して名付ける「分割地名」に分類。それぞれの特徴は何か。地名学の源流となった名著。(解説・中沢新一)

差別感情の哲学
講談社学術文庫
差別とはいかなる人間的事態なのか? 他者に対する否定的感情(不快・嫌悪・軽蔑・恐怖)とその裏返しとしての自己に対する肯定的感情(誇り・自尊心・帰属意識・向上心)、そして「誠実性」の危うさの考察で解明される差別感情の本質。自分や帰属集団を誇り優越感に浸るわれらのうちに蠢く感情を抉り出し、「自己批判精神」と「繊細な精神」をもって戦い続けることを訴える、哲学者の挑戦。

最暗黒の東京
講談社学術文庫
明治中期の下層民の生活を克明に記録したルポルタージュ。徳富蘇峰の「国民新聞」に連載され、明治26年11月に民友社より刊行された。文明開化に沸き、日清戦争を目前にして「一等国」入りしつつあった明治日本の帝都には、すでに都市開発と経済成長に取り残された「貧民窟」がいくつも形成されていた。「東京論」の一つの視座として、また、現代の「格差社会」を考えるためにも必読の書。巻末解説を坪内祐三氏が執筆。
明治中期の東京に暮らす下層民の生活ぶりを克明に記録したルポルタージュ。明治25年(1892)11月から、徳富蘇峰の「国民新聞」に断続的に連載され、明治26年11月に民友社より刊行された。
「御一新」以来の文明開化に沸き、日清戦争を目前に控えて「一等国」に仲間入りしようとしていた明治日本の帝都の陰には、すでに都市開発と経済成長に取り残された人々が密集する「飢寒窟(貧民窟)」がいくつも形成されていた。そこに生きる人々の暮らしを、住居、食生活、生業から、日々の喧嘩のネタ、ただよう匂いまで、生々しく伝える本作は、横山源之助の『日本の下層社会』とならぶ明治記録文学の傑作である。「東京論」の一つの視座として、また、いまに続く「格差社会」を考えるためにも必読の書。
巻末解説を、坪内祐三氏が執筆。
〔原本:『最暗黒之東京』 民友社 明治26年(1893)刊〕

相楽総三とその同志
講談社学術文庫
作家・長谷川伸は幕末の「赤報隊」隊長・相良総三の軌跡を追い、草莽の志士たちの生死をたどることで「歴史」というものの姿をあらわしました。明治維新について記された書物はあまたありますが、その叙述の志の高さにおいて本書をこえるものはまずないでしょう。軽薄で声高な「改革史観」がはびこりつつある昨今、「偽官軍」の悲劇をあますところなく描いた本書がふたたび多くの読者に迎えられることを切望します。
相楽総三は幕末に尊王攘夷の志をもち、薩摩の西郷隆盛らと往来して倒幕運動に従事した男です。戊辰戦争の際には「赤報隊」を結成。「年貢半減」を掲げて東山道を進軍していったところ新政府の方針変更(裏切り)によって「偽官軍」とされ下諏訪で刑死しました。享年30。
作家・長谷川伸は相楽の軌跡を追い、草莽の志士たちの生死をたどることで「歴史」というものの姿をあらわしました。明治維新について記された書物はあまたありますが、その叙述の志の高さにおいて本書をこえるものはまずないでしょう。
以下は長谷川による「自序」の一部です。すべてはこれに尽きています。軽薄で声高な「改革史観」がはびこりつつある昨今、本書がふたたび多くの読者に迎えられることを切望します。
相楽総三という明治維新の志士で、誤って賊名のもとに死刑に処された関東勤王浪士と、その同志であり又は同志であったことのある人々のために、十有三年間、乏しき力を不断に注いで、ここまで漕ぎつけたこの一冊を、「紙の記念碑」といい、「筆の香華」と私はいっている。
明治維新の鴻業は公卿と藩主と藩士と、学者、郷士、神道家、仏教家とから成ったの如く伝えられがちであるが、そして又、関東は徳川幕府の勢力地域で、日本の西は討幕、東は援幕と印象づけられがちだが、その二ツとも実相でないことを『相楽総三とその同志』は事実に拠って弁駁表明している。士・農・工・商という称呼で代表している、全日本のあらゆる級と層から出て明治維新の大業が成ったのが実相で、そういう観かたを余りにもしないわれらの習癖に対し、無言の体当りを食わせた意味をもたない訳でもないのである。

チベット旅行記(下)
講談社学術文庫
仏教の原典を求めて、1900年当時厳重な鎖国をしていたチベットに、困難を乗り越えて、単身入国・帰国を果たした河口慧海師の旅行記です。最高の旅行記かつ、生活・風俗・習慣の的確な記録として、チベット研究の第一級の基本文献です。『西蔵旅行記』(1904、博文館)を底本とし、挿絵も全点収録しています。また、改訂版(1940年)と英訳本(1909年)も参照し、完全な形になっています。
仏教の原典を求めて、1900年当時厳重な鎖国をしていたチベットに、身に降りかかるさまざまな困難を乗り越えて、単身入国・帰国を果たした河口慧海師の旅行記です。
旅行記としてのおもしろさも第一級ですが、チベットの生活・風俗・習慣の的確な記録となっており、チベット研究の第一級の基本文献にもなっています。
チベット行を決心してから日本を出立するまでの準備。カルカッタ(コルコタ)での語学や物品の調達を経て、ヒマラヤに分け入ります。寒さ、盗賊、野生動物、厳しい地形、国境越えの苦労などを乗り越え何とかチベットに入国。厳重な警備の目をくぐり抜け、チベット第二の都市シカチェからラサへの道中。ラサに潜入した慧海は、チベット人を名乗り、医者として薬などを処方し、大活躍。ついには、法王に召されその盛名がますます高くなります。ラサの生活やチベット外交にも詳しくなります。しかしついに、素性が露顕しそうになり、チベット脱出を決意します。貴重な資料を持ち、幾重にも張り巡らされた関門を奇跡的にくぐり抜け、英領インドに到着し、日本へ帰国するまでの波瀾万丈の旅の記録です。
本書は、『西蔵旅行記』(1904、博文館)を底本とし、ノーカット版で、挿絵も全点収録しています。また、改訂版(1940年)と英訳本(1909年)も参照し、より完全な形になっています。学術文庫の五巻本を上下二巻本に再構成して刊行しました。

チベット旅行記(上)
講談社学術文庫
仏教の原典を求めて、1900年当時厳重な鎖国をしていたチベットに、困難を乗り越えて、単身入国・帰国を果たした河口慧海師の旅行記です。最高の旅行記かつ、生活・風俗・習慣の的確な記録として、チベット研究の第一級の基本文献です。『西蔵旅行記』(1904、博文館)を底本とし、挿絵も全点収録しています。また、改訂版(1940年)と英訳本(1909年)も参照し、完全な形になっています。
仏教の原典を求めて、1900年当時厳重な鎖国をしていたチベットに、身に降りかかるさまざまな困難を乗り越えて、単身入国・帰国を果たした河口慧海師の旅行記です。
旅行記としてのおもしろさも第一級ですが、チベットの生活・風俗・習慣の的確な記録となっており、チベット研究の第一級の基本文献にもなっています。
チベット行を決心してから日本を出立するまでの準備。カルカッタ(コルコタ)での語学や物品の調達を経て、ヒマラヤに分け入ります。寒さ、盗賊、野生動物、厳しい地形、国境越えの苦労などを乗り越え何とかチベットに入国。厳重な警備の目をくぐり抜け、チベット第二の都市シカチェからラサへの道中。ラサに潜入した慧海は、チベット人を名乗り、医者として薬などを処方し、大活躍。ついには、法王に召されその盛名がますます高くなります。ラサの生活やチベット外交にも詳しくなります。しかしついに、素性が露顕しそうになり、チベット脱出を決意します。貴重な資料を持ち、幾重にも張り巡らされた関門を奇跡的にくぐり抜け、英領インドに到着し、日本へ帰国するまでの波瀾万丈の旅の記録です。
本書は、『西蔵旅行記』(1904、博文館)を底本とし、ノーカット版で、挿絵も全点収録しています。また、改訂版(1940年)と英訳本(1909年)も参照し、より完全な形になっています。学術文庫で五巻本で刊行されていたものを二巻本に再構成しました。

日本語とはどういう言語か
講談社学術文庫
「はるかぜ」というと温かい、「シュンプウ」というと何かちょっと厳しい感じがするというようなニュアンスの違いを、われわれはごく日常的に感じて生きている。それは日本人が繊細であるというより、日本語の構造が繊細なのである。アルファベット文化圏の「言語学」では捨象されてきた、漢字文化圏の書字言語の諸現象。中でも構造的に最も文字依存度が高い日本語の特質をとらえた、石川日本語論決定版。
「はるかぜ」というと温かい、「シュンプウ」というと春の風には違いないけれども何かちょっと厳しい感じがするというようなニュアンスの違いを、われわれはごく日常的に感じて生きている。距離感が違い、温度感の違う言葉を使い分ける。日本人は非常に繊細で、表現がニュアンスに富んでいるというが、それは日本人が繊細であるというより、日本語の構造が繊細であるということにすぎない。
日本語は、漢字と平仮名と片仮名の三つの文字からなり、平安中期以降は漢語・漢詩・漢文と和語・和歌・和文つまり漢語と和語との二重複線の歴史をたどった。
アルファベット文化圏の「言語学」では捨象されざるをえなかった、、
東アジア漢字文化圏の書字言語の諸現象。
なかでも構造的にもっとも文字依存度が高い言語といえる日本語の特質を
鋭くダイナミックにとらえた、石川日本語論の決定版。

ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇 ケンブリッジ 1939年
講談社学術文庫
ウィトゲンシュタインの講義は、臨場感あふれ、また、哲学の思考の現場を味わえる貴重な記録として有名です。
学術文庫では、先に『ウィトゲンシュタインの講義 ケンブリッジ1932-1935』を刊行しました。これは、中期から後期に向かう時期の、いわゆる「言語ゲーム論」が、彼の中で熟していく過程を体感することができる講義でした。
本書『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇』は、明確に後期に属します。後期の『哲学探究』の思考が、濃密に出てくる講義になっています。
もちろん、死後、『数学の基礎』としてまとめられる数学論の構想の土台となった思考でもあります。
数学基礎論は、ウィトゲンシュタインの主要な関心のひとつでしたが、本講義の魅力は、その内容が、数学の基礎論にとどまらないところにあります。
言語論、規則論といった、まさにウィトゲンシュタイン哲学の根幹にあたるところを、じっさい、どのように思考をめぐらせて熟成させていったのか、その哲学の現場が、まさに実況中継としてみえてくるのが、本講義の魅力です。
もうひとつは、他の講義とちがって、出席している著名な学生たちが、活発に発言し、ウィトゲンシュタインがそれに真っ向から応じているのです。
その中心となっているのは、アラン・チューリングです。チューリングとウィトゲンシュタインの丁々発止を聞いているだけで、哲学の現場を体験できます。
数学の構造と、言葉の使用と、規則の成り立ち、これこそが、いまだに世界中の哲学読者を魅了してやまないウィトゲンシュタイン哲学のエッセンスでした。
講義という現場で、ぜひ、そのスリリングな面白さを味わってください。

華族誕生 名誉と体面の明治
講談社学術文庫
明治二年に誕生し、現行憲法の発効と同時に消滅した華族制度。
そこでは誰が華族となり、「公侯伯子男」の爵位はどのように決められたのか。
また、爵位をめぐってどんな人間模様が描き出されたのか――。
豊富なエピソードをまじえて華族制度の誕生を解説し、歴史上の意義を問う。
実体が忘れられて久しい、名誉と体面の保持に拘泥した特権階級に光を当てた、華族研究の必読書。

童謡・唱歌の世界
講談社学術文庫
覚えやすく歌いやすいが、堅苦しさのある「唱歌」。当代一流の詩人と作曲家が子どもたちのために競作した、世界に誇るべき文化財「童謡」。対立しつつも共存していた唱歌と童謡の魅力とは。大正から昭和初期のラジオ番組「子どもの時間」では、どんな歌が流れていたかを分析し、その頃に子ども時代を過ごした人々の愛唱歌をアンケート調査するなど、その歴史と人間模様をまじえて、日本の音楽文化と言語文化を再発見する。
愛唱歌をもつ人は、幸せな人である。子どもの時の愛唱歌は、それを歌う人を子どもの頃に立ち返らせ、それはあすへの活力のもとにもなる――。「内心は作曲家になりたかった」という国語学者が、自らも親しんできた「童謡」と「唱歌」の魅力を論じる。
大正から昭和初期のラジオ番組「子どもの時間」では、どんな歌が流れていたかを分析し、その頃に子ども時代を過ごした人々は、どんな歌を愛唱したかをアンケート調査するなど、「唱歌」と「童謡」が対立しつつも共存していた時代の「歌の世界」を、その歴史と人間模様をまじえて、著者独特の平易な筆致で描き出す。
覚えやすく歌いやすいが、堅苦しさのある「唱歌」。当代一流の詩人と作曲家が子どもたちのために競作した、世界に誇るべき文化財「童謡」。その数々を口ずさみながら読み進むうちに、日本の音楽文化と言語文化を再発見する一冊。
1978年に主婦の友社より刊行され、1995年に教育出版より再刊された同名書籍の文庫化。

ジャーナリストの生理学
講談社学術文庫
19世紀のパリで新聞などを舞台に活躍していたジャーナリストと批評家を取り上げ、作家一流の「生理学」の手法で徹底的に批判する。「もしジャーナリズムが存在していないなら、まちがってもこれを発明してはならない」と一刀両断にする結論を見れば、今も昔も新聞は何も変わっていないことは疑いない。新聞の存在意義が問われる今日こそ、ジャーナリストはもちろん、すべての人が手にするべき一冊。
19世紀のパリで新聞などを舞台に活躍していたジャーナリストと批評家を取り上げ、徹底的に批判する。
昨今、新聞ジャーナリズムの腐敗や堕落が取り沙汰されているが、本書を読めば、新聞というものが今も昔も何も変わっていないことに驚かされる。バルザックは『役人の生理学』(講談社学術文庫)と同様の手法を用いて、風刺に満ちた分類を施す。ここで対象にされたのは「政治ジャーナリスト属」と「批評家属」である。本書は「ジャーナリズムの生理学」にほかならない。
「政治ジャーナリスト属」のうち「信念を持つ著述家」には「セイド(狂信者)」というやつらがいる。「ひたすら信じ、常に熱狂している」セイドたちを「人類のためとあらばいつでも身を犠牲にする覚悟でいるのである」と揶揄する言葉は、今も完全に有効である。
このように、微に入り細を穿つ文章の数々は、豊富に収録された当時の図版と相俟って、さながら「19世紀ジャーナリスト群像」を織りなしていると言ってよい。達意の訳文で楽しみながら読める本書は、今こそジャーナリストが読むべきものだろう。
本書の「結論」には、次のような「公理」が掲げられている。「もしジャーナリズムが存在していないなら、まちがってもこれを発明してはならない」。では、すでに発明されてしまっていたとしたら? その問いに対する回答は、冒頭の「緒言」に記されている。「ジャーナリズムの息の根を止めるのは不可能ではない。一民族を亡ぼす時と同様、自由を与えさえすればよい」。

歴代日本銀行総裁論 日本金融政策史の研究
講談社学術文庫
本書はわが国を代表する歴史派エコノミストであった著者が、歴代の日銀総裁を通じて、日本の金融政策発展の様相を描き出そうとしたものです。また、原著刊行後(著者没後)の総裁の政策について、鈴木淑夫氏(元日本銀行理事、元野村総合研究所理事長)による補論を加えました。31代29人の総裁がなにを考え、行動してきたか(あるいは行動しなかったか)を知ることで、読者は必ずやたしかな指針を得られるはずです。
日本銀行総裁。「通貨の番人」としてその役目の重要性は誰しも知るところです。しかも「異次元の金融緩和」状態に突入している現在、日銀と日本経済はどこへゆくのかと日本国民のみならず世界中が注視しています。
危機の時代、人は歴史に学ぼうとします。明治15年(1882)の創設から130有余年、日銀がどのような金融政策を打ち出してきたか、それがいかなる結果をもたらしたかを知ることはきわめて有効なやりかたです。その最良の導きこそ本書です。
本書『歴代日本銀行総裁論』は、わが国を代表する歴史派エコノミストであった著者が、歴代の日銀総裁という「ひと」を通じて、日本の金融政策発展の様相を生きた姿で描き出そうとしたものです。なお、この学術文庫版では原著刊行後(著者没後)の総裁の政策については、鈴木淑夫氏(元日本銀行理事、元野村総合研究所理事長)による補論を加えました。
31代29人の総裁がなにをどう考え、行動にうつしてきたか(あるいは行動しなかったか)を知ることで、読者は必ずやたしかな指針を得ることでありましょう。

テンプル騎士団
講談社学術文庫
12世紀初頭、十字軍の聖地奪還により誕生したテンプル騎士団。イェルサレムの防衛と巡礼者の守護を担う騎士、教皇に属し厳格な規律に生きる修道士、東西文化交流の媒介者、莫大な資産を有し王家をも経済的に支える財務機関。近代の国民国家や軍隊、多国籍企業の源流として後世に影響を与えた謎の軍事的修道会の実像に、文化社会学の視点から迫る。

全国妖怪事典
講談社学術文庫
日本人はなぜ、妖怪に惹かれるのか――。妖怪とは自然への畏怖や闇に抱く恐怖が表現された、日本人の心理や生活の記憶を留める民俗資料である。柳田國男以来の妖怪研究の伝統をふまえ、文献に現れた七百四十余の妖怪を都道府県別に整理・分類、種別や出現場所、特徴等を紹介した、本邦初の本格的妖怪事典。妖怪を愛するすべての人に贈る必携の一冊。