講談社現代新書作品一覧

脳と記憶の謎
講談社現代新書
なぜ長期と短期の記憶があるのか、ボケは治るのか。記憶の物質的・進化的起源を追う遺伝子研究の最前線から、脳科学最大のテーマに迫る。

人間イエス
講談社現代新書
ローマ帝政下のパレスチナにおいて、鮮烈な生きざまと鋭い批判精神とで民衆の心をとらえた一人の男。未だ語りつくされていないその人間的魅力の内実に迫る。

<性>のミステリ-
講談社現代新書
【「男」とは何か?「女」とは何か?】
本当にこの世には「男」と「女」しかいないのだろうか。これまで見てきたように、「男」らしさや「女」らしさというのは相対的で、「男」だからこれこれこういう行動をとるということもないし、「女」だからといって皆、同じしぐさをし、似たような思考をするということもない。ジェンダーは社会・文化によって設定されるコードであり、性差とイメージされているもののほとんどは、セックスにその根拠を持っていない。(中略)
人間の性役割や思考型、能力が、生物的な要素による影響を受けていることをまったく否定できないにしろ、セックス差よりはジェンダー差の方が大きいことは言い得るのではないか。さらに、ジェンダーの内面化の度合いも個人個人によって偏差が生じる。行動や表現の傾向を規定するのは、個性による部分も大きいのだ。――本書より

自殺の心理学
講談社現代新書
【家庭内の混乱】
犯しやすい誤りを避けるために、医学には昔から伝えられている格言のようなものが数多くあります。自殺に関していえば、「自殺の危険の高い子供の背後には、自殺の危険の高い親がいる」、「自殺の危険の高い親の背後には、自殺の危険の高い子供がいる」と指摘されています。……
青少年の自殺行為は家庭内の混乱と密接に関連する状況でしばしば生じています。たとえばある自殺の危険の高い生徒がさまざまな問題行動をおこしていたために、他の生徒からいじめの対象になっているかもしれません。しかし、よく調べてみると、家族の中の出来事が原因で問題行動を起こしていて、それがいじめを受けるきっかけになっている場合もあるでしょう。……
家族のシステム理論から見ると ある人の現わす症状とは、家族全体の精神的なバランスを保つために、その人と家族が支払っている犠牲の結果であるともとらえられます。――本書より

イタリア・都市の歩き方
講談社現代新書
荘厳な大聖堂、歴史を刻む大広場、ファッショナブルな通りや橋。町楽しく人よき国イタリアの魅力を、名場面とともに紹介する特選スポット・ガイド。
ミラノの便利な美術館――観光案内所の裏にパラッツォ・レアーレがある。ここで開かれる美術展の最大の長所は旅行者向きであること。時間の限られている旅行者にとって大層利用しやすい。ところが、ミラノの美術館案内のパンフレットにはこのパラッツォ・レアーレは載っていない。……シーズンごとに展示内容が変わる催し場だからだろうか。イタリアの多くの美術館、博物館は午後まで開いていなかったり、昼の閉館時間が2時間以上あったりするが、パラッツォ・レアーレは夕方まで通して開いている。そのため旅行者はドゥオモ付近でいろいろ買い物したり、食事したり、映画をみたりする合間に都合よく美術鑑賞できる。――本書より

カンブリア紀の怪物たち
講談社現代新書
【カンブリア紀への招待】――バージェス頁岩はありきたりの化石層ではない。
ここでは腐敗の過程が一時停止してしまっていて、古代の生命の豊富さをありのまま見ることができる。堅くて丈夫な骨格を持つ三葉虫や軟体動物ばかりか、全く骨格の無い軟組織だけから成る動物も遺されている。これらの驚くべき化石においては動物体の輪郭だけでなく時には腸や筋肉のような内部組織までもはっきりと眼にすることができるのだ。ちょうどガラパゴス島のダーウィンフィンチという鳥が「適応進化」の重要性発見の代名詞とされるように、あるいは、また、ショウジョウバエが分子生物学の発展のシンボルとなっているように、バージェス頁岩は、生命の歴史の研究に生涯を捧げる人々にとって、イコン(聖像)になりつつある――本書より

謎解き中国語文法
講談社現代新書
可能の助動詞はどう使い分けを? 否定の“不”の位置は? 不可解といわれる文法を解きほぐし、中国語らしさの感覚をみがく、中・上級への手引。
婉曲表現としての“很不_”――さて、なぜ“很不”のような回りくどい言い方をするのか。直接ズバリと、良いなら良い、悪いなら悪いと言えばよいではないか。だが、それではこの世は立ち行かぬ。“很不_”は婉曲表現なのである。そもそも人や事物に対して、良いとか悪いとか、評価を下すことは難しい。手放しでほめれば軽く見られる。厳しいことを言えば嫌われる。……ほめとけなしの微妙なさじ加減に心砕くのが、人間である。そこで、相手を立て、こちらのメンツも保つ。それが評価である。……重要な点は、このような婉曲表現は、第三者に向けられるということだ。遠回しに人を低めるのである。自分のことにはふつう使用しない。……これは結果的には、自分たち(=話し手や聞き手)、つまりこちら側に対するケアである。自分に優しい婉曲表現である。――本書より

観音のきた道
講談社現代新書
古来から人々の心のよりどころとして親しまれ、信仰を集めてきた観音菩薩。インドから中国へ、そして日本へ――。その信仰の変容、仏教の展開を通して、民衆の祈りの本質を解き明かす。
観音像の成立――すでに2世紀前後よりあったといわれるインドの観音信仰は、インドや中央アジアから中国へきた訳経僧たちによって観音が説かれた梵本が漢訳されるに伴い、西域から中原の地へと伝えられていった。『法華経』の中の「普門品」で観世音菩薩が現世の苦悩や厄害を救ってくれる霊験が説かれると、観音を信仰すれば病気が治るなどの功徳があることがわかり、しだいに一般の民衆の中にも観音信仰者が現われるようになった。それと同時に信仰者たちの観音に対する祈りや願いの内容は無限に広がっていき、その内容は具体的なものになっていった。ある者は病気を治すことを願い、ある者は金銭や地位を得ること、ある者はよい子どもを授かること、またある者は災厄から免れることを願った。そして、これらのさまざまな願いをかなえてくれる霊験あらたかな観音像を、工人は造るようになった。観音像は民衆のさまざまな願いに応じられる力を持ったいろいろな形で造られるようになっていき、そのバリエーションはしだいに増えていったのである。――本書より

知能指数
講談社現代新書
「頭のよさ」とは何なのか。それは測れるものなのか。知能検査の成立、その後の歪んだ歴史、荒唐無稽なエピソードの数々――IQ神話を徹底検証し、知能観の見なおしを迫る。
何を疑い、何を知るべきか――IQというのは、頭のよしあしの基準を確定したい、あるいは、人々を頭のよさという1つのモノサシの上に序列化してみたい、という壮大な野望の産物である。そして、捉えようとしている知能(が仮にあるとして)と、捉えられた知能はまったく別物と思ってもいいくらいのものであった。しかしそのことに気づいた人は少なく、多くの悲劇を生み出すことになったのである。IQを批判的に検討するためには、まず、その奇妙さを実感できるような例をいくつか体験し……次にIQの歴史を振り返ってみたい。より本質的な批判として、なぜ知能を測定する必要があるのか、そもそも測定なんかできるのか、ということを問うためにも必要な作業である。――本書より

国の借金
講談社現代新書
財政赤字はなぜここまで累増したのか。きたるべき高齢社会に向けて、いま何を改革すべきか。わが国が直面する最重要政策課題を、欧米諸国とも比較しつつ、第1人者が解き明かす。
国の借金とは何か――いったん公債がある年度に発行されると、5年なり10年なりの償還時まで毎年利子を払いつづけなければならぬ。そして最終的には償還時に借りた元本をそっくり返済する必要があることから、一般にこの元本返済のため、国際整理基金特別会計にあらかじめ減債資金を積み立てておかねばならない。利子を含めた元利払いのための費用が国債費であり、注目すべきことは、この国債費が21.7%と歳出予算の中で最も高いウエイトを占めている点である。これは累年の借金の後始末を意味しており、国民が最も重要と考える社会保障関係費を上回る規模になってしまったところに、日本財政にみられる借金体質の深刻さがあるといえよう。この借金依存の体質を改めようとする財政再建あるいは財政構造改革が、21世紀に向けての大きな政策課題となってきている。――本書より

<非婚>のすすめ
講談社現代新書
ポジティブ・シングルライフ。それは家庭からの解放という革命である。日本型恋愛の謎、税制・年金のカラクリを明かし、人生設計の見直しを迫る注目作。
はじめに――戦後の日本社会は、一定の年齢になれば、皆が結婚するということを前提に作られてきた。しかし、一生独身を通す人が増え、その前提が崩れれば……シングルライフを支えるために社会システムを積極的に直していかなければならない時代になってきているのではなかろうか。現在、日本の若い世代は……家族からの解放という新しい革命を起こそうとしている。むろん、それは人生のパートナーがいなくなるということを意味しない。パートナーはいつでも、何人いても構わないのである。ただそのパートナーが排他的で長期継続であることを要求する「家族」という存在ではなくなってくる……豊かになるということは、好きなように生きるということである。少なくとも、常に好きなように生きる選択肢を抱えている必要がある。そして、現在の社会の仕組みのなかで、それを実現するために一番確実な方法が、一生をシングルで通すことなのである。――本書より

ジャンヌ・ダルク
講談社現代新書
「正統―異端」の枠組みを超えて、ヨーロッパの心性に影響してきたキリスト教のもう1つの地平「超異端」。その神秘の力を体現した女たちのエネルギー渦巻く中世に現れ、神話的存在となった処女戦士を、あらたな視点で描き出す。
超異端の地平――ジャンヌ・ダルクは、神秘家、名誉回復の聖女、処女、戦士、男装のアンドロギュノスという多くのモティーフを1人で抱えているわけだ。まさに、正統と異端とを塗り分けた教義の地平に投影される以前の、神と生の人間が出会う場所、聖なるものがひたすら過剰なるものとして渦巻く場所、救国の少女が異端者と呼ばれ、魔女が聖女になって飛び立つ場所、超異端の地平が生んだというのにふさわしい。そして、超異端の地平には時間軸がないから、ジャンヌ・ダルクは永遠にアクチュアルな挑発者として、私のファンタズムをいつまでも刺激し続ける。――本書より

上海路上探検
講談社現代新書
改革・開放はヒトと街をどう変えたか。衣食住、職場習慣からトイレ事情まで、つぶさに綴る最新報告。
南京路と准海路――南京路と准海路では客層が違う。南京路は外地人が多いとされている。オート三輪にテレビを詰め込む男や、布類をパンパンに詰めたボストンバックを脇に抱え歩道に座りこむ女性や、いくつもの羽毛布団を提げた男女などを見かける。……服装もくすんだ色が多く、今なお人民服もおり、いささかやぼったいのである。特に平日は、明らかに外地からのお上りさんが多いことが見て取れる。南京路と比べ准海路を歩く人々は年齢層が低く、男性や女性も垢抜けた服装が多い。特に女性がかっこいい。ジーンズやスリットの入ったスカートに短めのTシャツをあわせ、荷物も偽ヴィトンのハンドバッグや小さなリュックサックに伊勢丹の袋だけ、ショーウィンドウを横目に颯爽と歩いてゆく。……准海路と常熱路の交差点「美美百貨」という海外のブランドばかりのショッピングセンターがあるが、そんなところに行けば、中年男性と上海小姐のカップルがやたら目につく。――本書より

私の万葉集(四)
講談社現代新書
知的な笑いに満ちた異色の巻16をはじめ、東歌、不運の遺新羅使節団の望郷の歌など、従来の「万葉観」を覆すシリーズ第4集。
知的な笑いの要素――この巻16は、万葉集全体の中では巻1に続き、集中2番目に歌数の少ない巻なのです。その収録歌数の少ない巻の鑑賞が、本書では、たぶん他のどの巻よりも長いものになりました。それはしかし、私には当然のことでありました。なぜなら、巻16に収められている歌は、同一作者による何首もの連作をも含めて、すべて一首ずつ独立して鑑賞すべき、固有の背景あるいは物語をもっており、しかしそれが皆、今日の目で見ても鑑賞に堪える、その意味で鑑賞し甲斐のある歌だからです。それゆえ、巻16は、収録歌数は少ない半面、その多様性と、知的興味をいちじるしく刺戟する性質のため、実際にはずっと数の多い巻に匹敵し、凌駕するほどの内容のある巻となっています。しかし、この巻の大きな特徴である知的な笑いの要素は、従来の抒情性を頂点とするピラミッド構成の日本詩歌観においては、むしろ軽んじられ、排斥さえされる傾向がありました。――本書より

知性はどこに生まれるか
講談社現代新書
水や土や光について、脳ではなく手や足や皮膚が持つ知性とは何だろう。考える身体が知る「環境」の意味とは? 新しい認知理論の目で人間を考える。
身のまわりに意味を発見する――ぼくらを取り囲むところには行為が利用できることが無限に存在している。これら環境にあって行為が利用していることを「行為だけが発見することのできる意味」と呼ぶことにしよう。おそらくぼくらの行為がこの環境の中でしていることは、環境にあってぼくらを取り囲んでいる多様な意味を柔軟に探し当てることなのである。辞書に載っていない、名前のついていない、行為だけが知っている意味がある。19世紀にこの世界で起こる「変わり続けているありのままのこと」にだけ興味があったダーヴィンという男は、ミミズの行為にもありのままを見た。彼はそのことがぼくらが「知能」とよんでいることに近いことに気づいたが、特別な名前をつけたわけではない。しかし、観察のあげく、どうやらだれも気づかなかった行為の本当のことを少しは知った。――本書より

ベトナムの現在
講談社現代新書
高度成長を続ける注目国家の実像とは。市場経済化を実現したドイモイ(刷新)の本質を、民族の歴史、共産党体制の変遷から、第1人者が解き明かす。
はじめに――さて、ドイモイとは何か? 私は、ドイモイとは3つの内容を含んだ、ベトナム社会の大きな変革の試みであると考えている。第1は、古い社会主義のモデル、これを私は、社会主義という夢が「明日」にでも実現するのだから、「今日」は皆で貧しさを分かちあって奮闘しようという発想に支えられた「貧しさを分かちあう社会主義」と呼んでいるが、この「貧しさを分かちあう社会主義」からの訣別としてのドイモイである。このような意味のドイモイは、1970年代末から模索がはじまり、86年のベトナム共産党第6回大会で本格的に提起されたといってよいだろう。第2は、ベトナムの個性を探究する試みとしてのドイモイである。私は、ドイモイを論ずることは、ベトナム史全体を論ずることを意味すると考えている。第3は、ドイモイが、人類が21世紀という新しい世紀を目前としている段階で展開されている、すぐれて未来志向の変革の試みであるということである。――本書より

試験に出ない英単語
講談社現代新書
使わない方がいいけれど知らないと、言われていることのほんとうの意味やニュアンスが理解できない単語や言いまわし。上品とはいえないが真実味あふれる普段着の表現の機微を解説する「生きた」日常英会話ガイド。
三種の「車間距離あけろ!」――
よく車の後ろにBack off!と書いたステッカーが貼ってある。本来の意味は「邪魔するのをやめてほっておく」「手加減する」といったところだが、このサインのBack off!は後ろにピッタリついて走るドライバーに「もっと間隔をあけて走ってください」という意味である。同じ意味でCaution:Tabacco Chewnerというのもある。噛みたばこを用いる人は、しょっちゅう窓から唾をはくから、あまり接近していると唾がかかるぞ、というおどしである。Hit me. I Need Money.(ぶっつけてくれ、金が要るんだ)というのもある。これなどは、ほんのちょっとしたことが裁判沙汰になるアメリカでは説得力がある。――本書より

都市防災
講談社現代新書
迫りくる都市直下型地震にどう備えるか。阪神大震災の教訓を詳細に検証し、予知・救助・復興の抜本的見直しを提言する。
グレイゾーン情報の取り扱い――本来、地震学者は、観測結果を科学的に評価し予知情報を作成することにのみ責任を持つものであり、それを受けて国民に予知情報を公表し、必要な対応措置を呼びかけるのは政府(行政)の役割である。……しかし、現実には、判定会が地震発生の危険性があるとした場合、内閣総理大臣は警戒宣言を出さざるを得なくなると予想される。起きるかどうか判断に迷うという地震学者の「本心」をストレートに表現した予知的情報が判定会から出されても、政府としては困るのである。……日本のようにマス・メディアが高度に発達し、しかも情報公開を求める国民世論が強い国においては、観測データに重大な異常が出たとき、その情報を非公開することはあり得ないということである。――本書より

心にひびく短詩の世界
講談社現代新書
詩は短くてこそ――。四行詩二行詩一行詩、言葉は既に宇宙を呑み込んでいる。では極限の短詩はどんな形で何を語る?
冬眠――これは、1篇の詩がどれだけ短くできるかという問いかけを、はなから頓挫させかねない、ひとつの極限を示している。なにしろ、ここには、ご覧のとおり、言葉らしきものがない。あるものといえば、大きな黒丸だけ。はたしてこれが詩といえるのだろうか。しかし、まるで言葉がないわけではない。「冬眠」という言葉が、タイトルとして添えられている。タイトルは作品そのものではないかもしれない。それでも、その意味が作品の読み方を、多少とも左右することまで否定することはできないだろう。この作品でも、「冬眠」という言葉は、黒丸と十分すぎるほど呼応しあっている。――本書より

「黄泉の国」の考古学
講談社現代新書
海沿いの洞穴遺跡から出た船形の木棺は何を意味するか。古墳壁画に描かれた霊船や太陽や馬は? 「はるか彼方」に他界をみた古代人の心を再現し、考古学の常識を覆す画期的論考。
古墳壁画の世界――古墳壁画が表現する世界が、ひとつひとつの古墳に葬られた個人の生前の事績を顕彰するものでないことがおわかりいただけたと思う。そこには古代日本人の一般的な他界観が表されている。横穴式石室や横穴、被葬者の遺骸が横たわる墓室空間は、埋葬後は棺が納められた後、羨道部分で石や板を用いて閉塞される。内部は漆黒の世界となる。私たち現代人は、その壁画やレリーフをあたかも美術品を見るかのように鑑賞し、博物館や資料館で複製された古墳壁画を明るいライトのもとで見る。しかしこれら古墳壁画は第3者が見るために描かれ、彫られたのではないことに思いをいたすべきである。古墳壁画はあくまで、それが表現された空間に葬られた被葬者のためにある。被葬者は日月星辰の光明のもと、明るい常世に生を得る。被葬者にとって、石室や横穴の内部は決して光りの無い世界ではない。――本書より