講談社現代新書作品一覧

<非婚>のすすめ
講談社現代新書
ポジティブ・シングルライフ。それは家庭からの解放という革命である。日本型恋愛の謎、税制・年金のカラクリを明かし、人生設計の見直しを迫る注目作。
はじめに――戦後の日本社会は、一定の年齢になれば、皆が結婚するということを前提に作られてきた。しかし、一生独身を通す人が増え、その前提が崩れれば……シングルライフを支えるために社会システムを積極的に直していかなければならない時代になってきているのではなかろうか。現在、日本の若い世代は……家族からの解放という新しい革命を起こそうとしている。むろん、それは人生のパートナーがいなくなるということを意味しない。パートナーはいつでも、何人いても構わないのである。ただそのパートナーが排他的で長期継続であることを要求する「家族」という存在ではなくなってくる……豊かになるということは、好きなように生きるということである。少なくとも、常に好きなように生きる選択肢を抱えている必要がある。そして、現在の社会の仕組みのなかで、それを実現するために一番確実な方法が、一生をシングルで通すことなのである。――本書より

ジャンヌ・ダルク
講談社現代新書
「正統―異端」の枠組みを超えて、ヨーロッパの心性に影響してきたキリスト教のもう1つの地平「超異端」。その神秘の力を体現した女たちのエネルギー渦巻く中世に現れ、神話的存在となった処女戦士を、あらたな視点で描き出す。
超異端の地平――ジャンヌ・ダルクは、神秘家、名誉回復の聖女、処女、戦士、男装のアンドロギュノスという多くのモティーフを1人で抱えているわけだ。まさに、正統と異端とを塗り分けた教義の地平に投影される以前の、神と生の人間が出会う場所、聖なるものがひたすら過剰なるものとして渦巻く場所、救国の少女が異端者と呼ばれ、魔女が聖女になって飛び立つ場所、超異端の地平が生んだというのにふさわしい。そして、超異端の地平には時間軸がないから、ジャンヌ・ダルクは永遠にアクチュアルな挑発者として、私のファンタズムをいつまでも刺激し続ける。――本書より

上海路上探検
講談社現代新書
改革・開放はヒトと街をどう変えたか。衣食住、職場習慣からトイレ事情まで、つぶさに綴る最新報告。
南京路と准海路――南京路と准海路では客層が違う。南京路は外地人が多いとされている。オート三輪にテレビを詰め込む男や、布類をパンパンに詰めたボストンバックを脇に抱え歩道に座りこむ女性や、いくつもの羽毛布団を提げた男女などを見かける。……服装もくすんだ色が多く、今なお人民服もおり、いささかやぼったいのである。特に平日は、明らかに外地からのお上りさんが多いことが見て取れる。南京路と比べ准海路を歩く人々は年齢層が低く、男性や女性も垢抜けた服装が多い。特に女性がかっこいい。ジーンズやスリットの入ったスカートに短めのTシャツをあわせ、荷物も偽ヴィトンのハンドバッグや小さなリュックサックに伊勢丹の袋だけ、ショーウィンドウを横目に颯爽と歩いてゆく。……准海路と常熱路の交差点「美美百貨」という海外のブランドばかりのショッピングセンターがあるが、そんなところに行けば、中年男性と上海小姐のカップルがやたら目につく。――本書より

私の万葉集(四)
講談社現代新書
知的な笑いに満ちた異色の巻16をはじめ、東歌、不運の遺新羅使節団の望郷の歌など、従来の「万葉観」を覆すシリーズ第4集。
知的な笑いの要素――この巻16は、万葉集全体の中では巻1に続き、集中2番目に歌数の少ない巻なのです。その収録歌数の少ない巻の鑑賞が、本書では、たぶん他のどの巻よりも長いものになりました。それはしかし、私には当然のことでありました。なぜなら、巻16に収められている歌は、同一作者による何首もの連作をも含めて、すべて一首ずつ独立して鑑賞すべき、固有の背景あるいは物語をもっており、しかしそれが皆、今日の目で見ても鑑賞に堪える、その意味で鑑賞し甲斐のある歌だからです。それゆえ、巻16は、収録歌数は少ない半面、その多様性と、知的興味をいちじるしく刺戟する性質のため、実際にはずっと数の多い巻に匹敵し、凌駕するほどの内容のある巻となっています。しかし、この巻の大きな特徴である知的な笑いの要素は、従来の抒情性を頂点とするピラミッド構成の日本詩歌観においては、むしろ軽んじられ、排斥さえされる傾向がありました。――本書より

知性はどこに生まれるか
講談社現代新書
水や土や光について、脳ではなく手や足や皮膚が持つ知性とは何だろう。考える身体が知る「環境」の意味とは? 新しい認知理論の目で人間を考える。
身のまわりに意味を発見する――ぼくらを取り囲むところには行為が利用できることが無限に存在している。これら環境にあって行為が利用していることを「行為だけが発見することのできる意味」と呼ぶことにしよう。おそらくぼくらの行為がこの環境の中でしていることは、環境にあってぼくらを取り囲んでいる多様な意味を柔軟に探し当てることなのである。辞書に載っていない、名前のついていない、行為だけが知っている意味がある。19世紀にこの世界で起こる「変わり続けているありのままのこと」にだけ興味があったダーヴィンという男は、ミミズの行為にもありのままを見た。彼はそのことがぼくらが「知能」とよんでいることに近いことに気づいたが、特別な名前をつけたわけではない。しかし、観察のあげく、どうやらだれも気づかなかった行為の本当のことを少しは知った。――本書より

ベトナムの現在
講談社現代新書
高度成長を続ける注目国家の実像とは。市場経済化を実現したドイモイ(刷新)の本質を、民族の歴史、共産党体制の変遷から、第1人者が解き明かす。
はじめに――さて、ドイモイとは何か? 私は、ドイモイとは3つの内容を含んだ、ベトナム社会の大きな変革の試みであると考えている。第1は、古い社会主義のモデル、これを私は、社会主義という夢が「明日」にでも実現するのだから、「今日」は皆で貧しさを分かちあって奮闘しようという発想に支えられた「貧しさを分かちあう社会主義」と呼んでいるが、この「貧しさを分かちあう社会主義」からの訣別としてのドイモイである。このような意味のドイモイは、1970年代末から模索がはじまり、86年のベトナム共産党第6回大会で本格的に提起されたといってよいだろう。第2は、ベトナムの個性を探究する試みとしてのドイモイである。私は、ドイモイを論ずることは、ベトナム史全体を論ずることを意味すると考えている。第3は、ドイモイが、人類が21世紀という新しい世紀を目前としている段階で展開されている、すぐれて未来志向の変革の試みであるということである。――本書より

試験に出ない英単語
講談社現代新書
使わない方がいいけれど知らないと、言われていることのほんとうの意味やニュアンスが理解できない単語や言いまわし。上品とはいえないが真実味あふれる普段着の表現の機微を解説する「生きた」日常英会話ガイド。
三種の「車間距離あけろ!」――
よく車の後ろにBack off!と書いたステッカーが貼ってある。本来の意味は「邪魔するのをやめてほっておく」「手加減する」といったところだが、このサインのBack off!は後ろにピッタリついて走るドライバーに「もっと間隔をあけて走ってください」という意味である。同じ意味でCaution:Tabacco Chewnerというのもある。噛みたばこを用いる人は、しょっちゅう窓から唾をはくから、あまり接近していると唾がかかるぞ、というおどしである。Hit me. I Need Money.(ぶっつけてくれ、金が要るんだ)というのもある。これなどは、ほんのちょっとしたことが裁判沙汰になるアメリカでは説得力がある。――本書より

都市防災
講談社現代新書
迫りくる都市直下型地震にどう備えるか。阪神大震災の教訓を詳細に検証し、予知・救助・復興の抜本的見直しを提言する。
グレイゾーン情報の取り扱い――本来、地震学者は、観測結果を科学的に評価し予知情報を作成することにのみ責任を持つものであり、それを受けて国民に予知情報を公表し、必要な対応措置を呼びかけるのは政府(行政)の役割である。……しかし、現実には、判定会が地震発生の危険性があるとした場合、内閣総理大臣は警戒宣言を出さざるを得なくなると予想される。起きるかどうか判断に迷うという地震学者の「本心」をストレートに表現した予知的情報が判定会から出されても、政府としては困るのである。……日本のようにマス・メディアが高度に発達し、しかも情報公開を求める国民世論が強い国においては、観測データに重大な異常が出たとき、その情報を非公開することはあり得ないということである。――本書より

心にひびく短詩の世界
講談社現代新書
詩は短くてこそ――。四行詩二行詩一行詩、言葉は既に宇宙を呑み込んでいる。では極限の短詩はどんな形で何を語る?
冬眠――これは、1篇の詩がどれだけ短くできるかという問いかけを、はなから頓挫させかねない、ひとつの極限を示している。なにしろ、ここには、ご覧のとおり、言葉らしきものがない。あるものといえば、大きな黒丸だけ。はたしてこれが詩といえるのだろうか。しかし、まるで言葉がないわけではない。「冬眠」という言葉が、タイトルとして添えられている。タイトルは作品そのものではないかもしれない。それでも、その意味が作品の読み方を、多少とも左右することまで否定することはできないだろう。この作品でも、「冬眠」という言葉は、黒丸と十分すぎるほど呼応しあっている。――本書より

「黄泉の国」の考古学
講談社現代新書
海沿いの洞穴遺跡から出た船形の木棺は何を意味するか。古墳壁画に描かれた霊船や太陽や馬は? 「はるか彼方」に他界をみた古代人の心を再現し、考古学の常識を覆す画期的論考。
古墳壁画の世界――古墳壁画が表現する世界が、ひとつひとつの古墳に葬られた個人の生前の事績を顕彰するものでないことがおわかりいただけたと思う。そこには古代日本人の一般的な他界観が表されている。横穴式石室や横穴、被葬者の遺骸が横たわる墓室空間は、埋葬後は棺が納められた後、羨道部分で石や板を用いて閉塞される。内部は漆黒の世界となる。私たち現代人は、その壁画やレリーフをあたかも美術品を見るかのように鑑賞し、博物館や資料館で複製された古墳壁画を明るいライトのもとで見る。しかしこれら古墳壁画は第3者が見るために描かれ、彫られたのではないことに思いをいたすべきである。古墳壁画はあくまで、それが表現された空間に葬られた被葬者のためにある。被葬者は日月星辰の光明のもと、明るい常世に生を得る。被葬者にとって、石室や横穴の内部は決して光りの無い世界ではない。――本書より

ユダヤ人ゲット-
講談社現代新書
なぜユダヤ人は隔離居住を強いられたのか。フランクフルトのゲットーの建設から解放までを実証的に跡づける。
ゲットー遺跡をめぐって――1987年2月、〈市の交通サービスセンター建設工事現場で〉ゲットーの遺跡が明るみに出て、公に報道された時、フランクフルトではこの発掘遺跡の保存と工事の中止をめぐって、大論争が持ち上がった。……「数百年にわたり隔離され、しいたげられながら、嘲笑され忍従する生活を強いられた民の遺跡を取り壊し、コンクリートを流し込んで固めてしまうことは、第2次世界大戦のユダヤ人大量虐殺に続く、最終的ユダヤ人の抹殺である」という訴えは、圧倒的多数の心を動かした。「ゲットーからアウシュビッツは一直線ではない」として工事を続行しようとする保守政権側の主張は、完全な敗北に終わり、その結果生まれたのがゲットー博物館なのである。――本書より

「複雑系」とは何か
講談社現代新書
21世紀を解く最大のキーワード「複雑系」。生命、自然、物質、社会、経済。あらゆる事象を取りこみ展開していく新たな「知」のパラダイムとは。最先端科学の現場にあなたを誘う恰好の入門書。
〈世界〉の大転換――「複雑系の科学」という出現しつつある新しい科学は、ひょっとすると過去300年にわたり――いや、その根本動機は2千数百年前のギリシアにまでさかのぼる――〈世界〉を改造してきた西欧近代科学を、根底から変革するものになるかもしれない。そのことは、私たちのものの見方や社会のあり方にまで、転回を促すことになるだろう。これほどの大転換の時期に遭遇できる機会など、人類史上めったにあることではない。もちろん、転換には長い時間がかかるだろう。50年ですむかもしれないし、100年かかるかもしれない。だが、私たちはまちがいなくこの転換の入口にいる。科学の諸分野でさまざまな予兆が現われている。「複雑系の科学」の“すごさ”はこの転換を予感し、名づけえない〈世界〉の真実に何らかの形と名前を与えようとしている、その努力にある。――本書より

トルコ民族主義
講談社現代新書
モンゴル高原に源を発した遊牧民は、いかにして世界地図を塗りかえたか。いま、再び歴史の主役に躍り出た民族の歴史と未来像。
二つの顔をみせる民族の問題――民族の問題をイスタンブルから、あるいはトルコから見なおしてみると、……分離的、遠心的な現象とは対極にある第二の局面があることに気づく。それは従来、違った集団として意識し、国も異にしてきた人びとが、地理的な近さ、経済協力の可能性、言語、宗教、文化、歴史などの共通性をてこにしながらたがいに絆を強め、関係を緊密にしていこうとする統合的、求心的な傾向である。……これは広域ナショナリズムと呼ぶことができるだろう。ザカフカスのアゼルバイジャン人や中央アジアのトルクメン人、ウズベク人、カザフ人、キルギス人などがトルコに接近したり、内戦で苦しんでいたボスニアのイスラーム教徒がトルコに援助を求めたりしていることなどがこれにあたる。――本書より

観音・地蔵・不動
講談社現代新書
宗派を超え、教義を離れて日本人を魅了しつづけた守り本尊。貴族・武士・庶民それぞれの信仰を通して『日本仏教』の根源に迫る。
武士と地蔵――地蔵が戦場に現れて危急を救ってくれるという信仰も、武士政権が成立したこの時代には盛んだった。武士の危急を救う身代わり地蔵の説話としては、『太平記』に記す、壬生寺縄目地蔵の話も名高い。京で足利軍と戦った児島高徳勢が全滅したとき、武蔵国の住人香勾新左衛門高遠だけは囲みを破って壬生寺地蔵堂に逃げこんだ。すると1人の僧が現れ、自分の念珠を高遠の血刀ととりかえてくれた。寄手の兵は、念珠を持って祈っている高遠を参詣人と思い、血刀を持った僧に縄を打ってつれ去った。ところがこの身代わりの僧は牢から姿を消し、のちに壬生地蔵堂の本尊をみると縄目の跡が残っていたという。――本書より

デカルト=哲学のすすめ
講談社現代新書
カントやヘーゲルが哲学を完成したのではない。近代哲学とはデカルトの到達した高みかすべり落ちる歴史だった。戦争、宗教、あるいは病いなど今日的課題に答えうる「哲学の王道」を読み直す。
思想を捨てる――私はさしたる困難もなく生き残ってきた。私は今もさしたる苦痛なしに生きている。ところが、悲惨な状態で生き残ってきた人がいる。こちらは恵まれた生活を送っているのに、ぎりぎりの生存をつづけている人がいる。この事態について真摯に考えようとすると、悲惨な生者に対してどのような態度をとればよいのかという疑問がわきあがってくる。とはいえ私は老いてゆくし、いずれ死んでゆく。人間の死が必ず非業の死であるなら、私もいずれ悲惨な状態で死にゆくことになる。この事態について思うとき、死にゆく者として生きている私を、晴朗に肯定する手だてはないのかという疑問がわいてくる。こんな疑問をたずさえて、デカルトを読んでいこうと思う。――本書より

不安の心理学
講談社現代新書
だれもが経験するが、コントロールしにくい不安。心身の反応、思考や行動への影響などを多くの実例から探り、適切な対処のしかたに照準を合わせながら不安の本質に迫る。
不安と課題達成――不安によって動機づけられるのは、身体運動や生理的反応だけでなく、思考や想像活動なども動機づけられる。これらが、その時の外部環境や内部環境と関連して、課題の達成に複雑に影響する。したがって、適度な不安というのは、動物の場合ほど単純ではない。ごく軽い不安でも、課題の達成を妨害することもあれば、かなり強い不安が、一貫して課題の達成を促進することもある。不安の度合だけに着目するのではなく、動機づけられた個々の反応が、不安軽減の予期や課題の達成、ないしその予期とどう関連するのかをチェックすることが、不安と課題の達成との関連の理解には必要である。――本書より

〈わたし〉とは何だろう
講談社現代新書
わたしとわたしの周りの世界とは別もの? 対象として世界を捉える知を捨て、じかに自然に感応しつつ、山川草木のなか自分という風景を描き出す。
こちら側から向こう側へ――最近になって、ケン玉の新しい技法を案出した。それは目を閉じてするケン玉である。目を閉じたままで、闇の中を上下する目に見えないタマを受けとめるのだ。赤タマの動きと剣をもつ手の動きが同調して、スポッと合体する。2が1になる。闇のなかで2が1になる音。闇のなかで不意に生まれる音。私はその音に目を開いててのひらのなかにおこった微小な天地創造のドラマを味わう。音は闇のなかでおこった。微小な天地創造のドラマを味わう。音は闇のなかでおこった。自分のこちら側でもなく、向こう側でもない。自分の内部でもない。スポッという音。これは微小かもしれないが天地創造の音ではなかろうか。――本書より
JEUNESSE―ジュネス―とは、年若いこと。若狭とは、いまだ問いを呑み込まず、宇宙の風にさらされること。いわゆる「教養」や「知的好奇心」は、大人のスマートな会話に似合いそうな言葉です。立ち止まってみましょう。自分はどんな問いの渦の上に立っているのか。かすかな謎のささやきに耳を傾ける感性を、また、どんな権威や常識にも頼らぬ思考を、私たちはJEUNESSEと呼びます。古い問題をもう1度新たに問い直し、あたりまえに見える目の前の世界に想像力の自由な視線をめぐらすとき、見たこともない像が立ち上がるのです。現代新書JEUNESSEは、そんな知的感性を大切にしたいと考えます。

藤原氏千年
講談社現代新書
始祖・鎌足から不比等、良房らをへて道長に至り、ついに満天に輝く望月となった藤原一族。権謀、栄華、零落、風雅、伝統…。今に伝わるその足跡をたどる。
兄弟の熾烈な争い――伊尹死去の天禄3年(972)、兼通の権中納言に対して兼家は大納言になっていた。このような同母兄弟間での官位の逆転は異例と言える。この状況からすれば、伊尹の後継者には上位の兼家が有力と、誰しも思ったであろうし、その可能性は大きかった。しかし、実際に関白の座についたのは兼通のほうであった。そのいきさつを『大鏡』に見ると……。兼通は、いずれ弟に追い抜かれることを見越してか、円融天皇の母である妹の安子皇后から生前に「関白をば、次第のままにせさせ給へ、ゆめゆめたがへさせ給ふな」(関白職は兄弟の順にご任じなさいますように、決して違えてはなりませぬ)と書いてもらい、これを御守りのように大切に首にかけて持ち歩いていた。そして、伊尹の死に際して円融天皇の御所に行って示した結果、これが実現したのだという。……このようにして弟に勝った兼通は、いとこの右大臣藤原頼忠を補佐役として政治をおし進めた。この体制で5年目が終わろうという時に兼通は重病に陥った。ここで『大鏡』は、またもや兄弟の熾烈な争いを伝えている。――本書より

聖書VS.世界史
講談社現代新書
天地創造から6000年で人類は終末を迎えると聖書はいう。では、アダムとエヴァより古いエジプトや中国の歴史はどうなるのか。ニュートンの時間概念はどうなるか。聖書と現実の整合性を求めて揺れ続けた西欧知識人の系譜。(講談社現代新書)
西欧は聖書の描く人類史とどう格闘したか。聖書では人間の歴史はアダム以後6千年で終末を迎える。ではエジプトや中国の古い歴史は何なのか、ニュートンの時間概念はどうなるか。西欧の世界観は揺れ続けた。

新版・クラシックの名曲・名盤
講談社現代新書
あまたある名曲・名盤から何をどう聴くか。好評を博した旧版の推薦盤のほか、曲目を大幅に増補、新発売のCDを加えて改訂した決定版。豊穰の音楽世界への新しい道案内。
ベートーヴェン・弦楽四重奏曲第一四嬰ハ短調Op.131――ベートーヴェンの後期の四重奏曲、それは深い思索とファンタジーが曲のすみずみにまで浸透し、融通無碍な形式の自由さを獲得した幽玄ともいえる精神の声である。彼のモットーである〈苦悩を克服して歓喜へ〉への思想はもはや表面に現われず、孤独の影が濃い。ベートーヴェンは静かに自らの人生と心の内面を見つめているのだ。それにしても、これらは本当に淋しい、本当に孤独な人間でなければ書けない音楽ではあるまいか。人に聴かせるというよりは、彼の心の日記のような音楽なので、老ベートーヴェンと一対一で会話をするようなつもりで味わっていただきたい。当時の彼はもはや筆談でしか相手の意志が伝わらなかったのであるが……。ところで「作品131」だが、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の最高傑作は何か、と問われれば、10人中9人までがこの曲を挙げるにちがいない。――本書より