講談社現代新書作品一覧

日本語のレッスン
日本語のレッスン
著:竹内 敏晴
講談社現代新書
自分本来の声を取りもどし、ことばのもつ根源的な力を回復するための独自のプログラムを生き生きと提示する。 自分の声に出会う──ああ、これが自分の声だ、と納得した時、自分が現れる。これが自分だ、と発見するということは、自分をそう見ている自分もそこにしかと立っているということで、ふだんの自分が仮構のものだった、固まつた役割を演じていたのだと、霧がはれたように見える。世界が変わってしまう。目が開く。比喩ではない。実際に相手の顔が、周りの世界の隅々が、くっきりと、初めてのように見えて来るのだ。深ぶかと息をすると、自分の存在感が変わる。世界のまん中に自分が立っていると気づくと言ってもいいか。自分がこの世に落ち着くのだ。自分の声に出会うということは、自分が自分であることの原点である。──本書より
悩む性格・困らせる性格
悩む性格・困らせる性格
著:詫摩 武俊
講談社現代新書
自分や友だちはどんな人間?他人が気になり過剰に内省する過敏性性格、一人称が多く嫉妬深い顕示性性格など、自他の特徴を知り、柔軟な人間関係を作るためのヒントを提示。 なんとなく敬遠される人──なんとなく嫌われる人というのがいる。特に不誠実なことをしたとか、乱暴をしたとか、攻撃したとかいう事実がないのに、 親しい人がなかなかできない、できたとしてもやがて自分から遠ざかっていってしまう。その人の自覚としては、どうしてみんな自分から遠くなってしまったのか、自分の話を聞いてくれる人がどうしていなくなってしまったのかわからないというものである。本人はこのように考えているが、第三者的に見ると、あの人はいい人なのにどうして人望がないんだろうかということになる。ひとくちで言えば、特に非難されるようなことはないのだが、親しい友だちができないし、できそうになると相手が消えていってしまうのである。こういう人たちの根底にある性格は顕示性性格と名付けられる。──本書より
金融不安
金融不安
著:及能 正男
講談社現代新書
もはや誰も銀行を信じない。不信感が日本経済を萎縮させる。はたして金融が甦る日はくるのか──。独自のデータから日本・欧米の銀行破綻を詳述し、金融システムの本質的転換を迫る! 2行2 証券倒壊で幕が開いた──97年11月の2行2証券倒壊は、ひとつひとつの事例をみれば無理のない結末だったが、91年3月12日の東海銀行による三和信金〈本店東京)救済合併に始まる、いわぼ崩壊後の銀行破綻連鎖の、句読点なのか、それとも終止符なのか。……銀行は通常、安定で確固たるサービス産業の筆頭と考えられている。今世紀中葉の敗戦の混乱期をへて、この世妃末に至るまで銀行破綻は「異常事態」であり、ありうべからざる「事件」として受けとめられてきた。しかし、銀行業は本来的に安定・堅固なのか。86年から89年末へかけての金融バブルの発生、90年初頭からの株価崩落を契機として、97年12月の「惨劇」に至る8年間のバブル破裂期に、従来堅固とされてきた金融サービス産業の中核に一体何が起き、また引き続きいかなる事象が生起しうるのであろうか。──本文よ
はじめてのイタリア語
はじめてのイタリア語
著:郡 史郎
講談社現代新書
下手でも理解しようとしてくれるイタリア人──イタリアではことばがあまりできない外国人でも意思の疎通は比較的楽です。カタコトでもちょっとイタリア語を口に出すと「うまい」とほめられ、次にその人に会った時にまたイタリア語を口に出すと「すごい。上達したじゃないか」とおだてられます。(中略)そうして楽しくやりとりが進むうちにイタリア語を使う量も増えていきます。ですから上達も速いのです。──本書より すっきりわかる文法解釈、実践的な日常会話、初心者も安心の発音指導。語源の話、イタリアの雑学も興味津々、楽しく読める入門書決定版! 下手でも理解しようとしてくれるイタリア人──イタリアではことばがあまりできない外国人でも意思の疎通は比較的楽です。カタコトでもちょっとイタリア語を口に出すと「うまい」とほめられ、次にその人に会った時にまたイタリア語を口に出すと「すごい。上達したじゃないか」とおだてられます。イタリア人自身おだてに非常に弱い面がありますが、その反面ほめるのがうまいと言いますか、おだて上手なのです。そうして楽しくやりとりが進むうちにイタリア語を使う量も増えていきます。ですから上達も速いのです。イタリア人はイタリア語を勉強する人の強い味方、イタリア語はしゃべりやすく、上達も速いことばなのです。私たちもイタリア人のおだてに積極的に乗って、イタリア語の達人を目指そうではありませんか。──本書より
電子あり
バリ島
バリ島
著:永渕 康之
講談社現代新書
「神々の島」「芸術の島」は、いかにして生まれたのか。バリ、バリ、ニューヨークを結んで織りなされた植民地時代の物語をたどり、その魅力の深層に迫る。 植民地博覧会と「バリ島」──1920年代から30年代にかけての大戦のはざまにあたる時期、バリでは植民地統治体制が完成期を迎えていた。……同じ時期、バリの名を決定づける2つの事件が、パリとニューヨークという文明の中核地点で起こっていた。1931年パリの国際植民地博覧会、そして1937年ニューヨークでのミゲル・コバルビアスの「バリ島」の出版である。植民地博覧会に出展したオランダ政府は主展示館のテーマを「バリ」と定め、バリ舞踏団を招き、これがバリ芸能の最初の海外公演となった。1度目のバリ滞在の帰路パリに立ち寄り、この博覧会を興味深く見ていたメキシコ人コバルビアスが、再度バリを訪れ、そのときに得た資料をもとに書いたのが「バリ島」であった。この本はバリ文化紹介の決定版となり、日本語にも翻訳されている。──本書より
参勤交代
参勤交代
著:山本 博文
講談社現代新書
華麗な大名行列の実相とは何か。幕府・他藩への「外交」と儀礼、トラブル処理の知恵、コストのやりくり──多彩な実例と人間模様をふまえて幕藩体制の知られざる根幹を解き明かす。 面子の衝突──天保13年(1842)、古河宿でのことと伝えられる話である。翌年に挙行されることになった将軍家慶の日光社参の準備のため、勘定奉行跡部良弼と目付佐々木一陽らが、古河宿に入った。すると、そこには、前年家督を継ぎ、初入部を行おうとする仙台藩主伊達慶寿が、既に本陣に関礼を掲げていた。跡部らは、公用であることを笠に着て、強引に本陣に宿泊した。その結果、伊達家の一行は、仕方なく宿の周辺で野営せざるを得なくなった。このため、激した伊達家は、跡部と佐々木の両人を伊達家に引き渡すことを求め、もし容れないならば、もはや参勤をしないと申し立てた、という。……このようなトラブルを避けるための最善の方法は、絶えず道中の情報を収集して、宿場でかち合うことがないようにすることである。大名の宿泊地は一定しておらず、周囲の都合でよく変更したようである。──本書より
失われた化石記録
失われた化石記録
著:ウィリアム.ジェイムズ・ショップ,訳:阿部 勝巳,監:松井 孝典
講談社現代新書
35億年前、地球に何が起こっていたか!? 細胞はどのようにして始まったのか?──生命の始まりに関する大きな謎の1つに、細胞とその代謝がどのようにして始まったのかということがある。最初の細胞は、今日生きている生物の中でいちばん小さくいちばん単純な、マイコプラズマのようなものではなかったのかと想像したくなる。マイコプラズマは本当に小さい。わずか数百のタンパク質をつくる指令に必要なだけのDNAしかもっていない。すべてが寄生性であり、他の細胞内で成長し繁殖する。これは最初の生命形態としては、ありえない生活の仕方である。これに代わりうるモデルは、ふつうの細菌である。しかし細菌というのは驚くほど複雑なもので、数百種類のポリマー、1000種類以上の酵素、数千万個の分子から構成されている。最初の細胞は、もっとずっと簡単なものだったはずである。いちばん初めの細胞がどのようなものであったのかを知るには、今日の生命と最初の生命との間を仕切っている進化のヴェールをはがす必要がある。──本書より
からだと心の健康百科
からだと心の健康百科
著・編:椎名 健
講談社現代新書
自分に一番ふさわしい「健康」とは何なのか?正しい睡眠・ストレス対処法からダンベル・チューブなど最新のエクササイズまで……発想を変える48の処方箋! 健康とは何か?──「あなたは今、健康ですか」という問いに何と答えるだろうか。ある調査では、およそ8割の人が「自分は今、健康です」と回答した。しかし、「健康です」と答えた人の9割は、「健康について何らかの不安を持っている」とも答えていた。つまり、……腰痛や肩こり、体調不良、精神的ストレスなど、何かしら調子のよくないところがあったり、自覚的には体調が悪いというわけではないのだが、健康診断を受けると、血圧が高いとかコレステロールが多いとか言われて気になっている人が多いのかもしれない。一方、……将来を考えると、動脈硬化や心臓病、脳卒中、ガンなどの病気が多いらしいので、いろいろと心配してしまうという人もいるだろう。──本書より
<神>の証明
<神>の証明
著:落合 仁司
講談社現代新書
人が神に成る、神が人に成る。宗教の大前提はいかにして可能か。東方キリスト教を手がかりに、全宗教を貫く普遍理論を提唱。 世界と神──宗教とは何かという問いに答えることは難しいとされている。万人の納得する宗教の定義は差し当たり見つかっていない。以下に僕なりの宗教の定義を与えるが、それは万人に受け入れられている真理としてではなく、差し当たりそう定義してみると結果として何が見えて来るかを調べるための仮説としてである。つまり以下に与えられる宗教の定義は、そこから導かれる結果の善し悪しによってその成否が判断される仮定としてのそれである。したがって僕の宗教の定義を見ただけで本書を投げ出さないで欲しい。僕のように宗教を定義することによってえられる結果を見てからでも本書を捨てるのは遅くない。結果を知るためには実は本書の末尾まで目を通していただく必要があるのだが、結果については自信がある。読者はおそらく初めて聞くであろう宗教の見方と出会うに違いない。──本書より
人生の価値を考える
人生の価値を考える
著:武田 修志
講談社現代新書
ただ生きるかよく生きるか、あるいは挫けるか。逆境に落ちて突きつけられた問いを考え抜いた人たちの生き方を通し、生の意味を考察する。 人間は問われている存在──「人生には無条件の意味がなければならない」──これはどういうことであろうか。「人生には無条件の意味がなければならない」とは、言い換えれば、「人生にはどんな場合にも意味がある」ということである。それゆえ、まずこれによって言えることは、フランクルの人生に対する姿勢は、多くの人々のそれとは異なって、そもそも「人生には意味があるか、ないか」と問うような姿勢ではない、ということである。それどころかフランクルは、我々が人生に意味があるかと問うのは、「はじめから誤っている」という。我々は「生きる意味を問うてはならない」という。なぜであろうか。これに対するフランクルの答はこうである。それは、「人生こそが問いを出し、私たちに問いを提起しているから」である。我々は人生を問う存在ではなく、逆に人生から「問われている存在」だからだ、と。──本書より
多重人格
多重人格
著:和田 秀樹
講談社現代新書
自分のなかに棲む他人──人格の解離はなぜ起きるか。幼女連続殺人・M被告の精神病理とは。最新の知見で心の闇を解き明かす。 多重人格者の責任能力──むしろ、問題なのは、多重人格患者の自殺傾向である。自分が虐待を受けたのを明確に覚えている人格がどこかにいるのであるから、苦しみのあまり自殺を図るのはもっともなことだ。現実に自殺企図や自傷行為は非常に多く多重人格患者に見られ、多重人格を示唆する所見の1つに数えられているほどだ。他の人から見て、あの人の性格からは考えられないとか、全く予兆がなかったとか、動機が考えられないなどと言う、いわゆる「魔がさす」自殺においては、多重人格でなくても、解離のメカニズムが働いている可能性は否定できないだろう。分裂病の患者などでも、殺人事件などを起こすとセンセーショナルに報じられるが、それよりはるかに多い数で、幻聴や妄想の苦しみのために自殺している患者がいるのである。多重人格患者に対しても、その診断を確実に下し適切な治療を行うことが、患者自体の生命を守るために大切なことだという側面も忘れてはいけないだろう。──本文より 多重人格は日本に伝播するか──日本でも多重人格が珍しい病気でなくなるのかどうか。まず考えなければいけないのは、多くの場合アメリカの文化病、精神病理は、10年から20年おいて、日本に伝わってきたことである。こういう病気が増えていくことがある種の社会の病理だということは、決して無視してはいけない問題だ。そして、さらに重要なことは、いじめられた子どもを支える家族のメンタルヘルスを確立することで、その予防が可能かどうかもそろそろ考えないといけない時期かもしれないということだ──本文より
ロ-マ五賢帝
ロ-マ五賢帝
著:南川 高志
講談社現代新書
ローマはなぜ栄えたか。「人類が最も幸福であった時代」とされた最盛期の帝国の闇に隠された権力闘争の真相とは。新たな視点から皇帝群像を描き、ローマ史を書きかえる。 最盛期のローマの光と陰――ここで読者に気づいていただきたいのは、次のことである。すなわち、英明で君徳ある皇帝たちが続けて現れ、ローマが平和と安定の中で繁栄を亨受した紀元2世紀、こうした輝きに満ちた時代という歴史像にはそぐわない、賢帝が実は憎悪されていたというようなこの時代の陰の部分の存在である。そして、この時代の輝く部分ではなく、むしろこの陰の部分にこそ、この時代がローマ帝国の最盛期であった理由を解き明かしてくれる秘密が隠されているのではないか、と私は考えている。これから私は、紀元96年の五賢帝時代の開幕から、180年に五賢帝最後のマルクス帝が世を去るまでの歴史を語ることになる。私が述べる紀元2世紀の様相、それは世界史の教科書で記された平和と安定の五賢帝時代像とは少々異なるものになるであろう。そして、平和な時代というイメージとは相容れない、皇帝をはじめとした帝国の政治エリートたちの暗闘を、読者は理解されることになろう。――本書より
株式会社とは何か
株式会社とは何か
著:友岡 賛
講談社現代新書
企業はもうけるために存在する。ならば、何がどこまで許されるのか。経営者の責任、株主の権利、日本企業の特殊性とは!?斬新な視点で「株式会社の掟」を問う必読の書! 企業形体の近代化プロセスの到達点――企業の目的はもうけを得ることにあって、したがって、企業形体の近代化プロセスは、いわば、より効率的にもうけを得ることのできる企業形体へのプロセス、としてみなすことができる。そうした企業形体の近代化、その要のひとつとなるのが、企業の継続化、である。株式会社に代表される近代、そして今日の企業は、いわば、継続的に事実をおこなうことによって効果的にもうけを得るための継続的な組織、として存在している。そしてまた、この企業の継続化は、企業の大規模化、と重なり合う。すなわち、企業の継続化、大規模化は、より効果的にもうけを得ることのできる企業形体への進化、である。そして、この継続化、大規模化にもっとも適したものとして考案された企業形体が、これすなわち株式会社である。――本書より
恥と意地
恥と意地
著:鑪 幹八郎
講談社現代新書
日本人の心のありよう、人と人との関係にはどんな特徴があるのだろうか。自分の存在の全体に関わる「恥」の感覚、その防衛(回復)としての「意地」のメカニズムに新たな光を当てる。 表と裏――恥の感覚によっておこる1番大きなダメージは自己意識である。「恥ずかしい人間だ」「自分はダメ人間だ」というように、自分の自尊心や自己評価に深い傷を受けてしまうのである。心の中では、立ちあがれないようなひどいダメージとなることが多い。私たちはこのようにひどく辛いダメージを何とか避けようとする。「いいわけ」をしたり、突っ張ったり、「合理化」をしたり、突き放したり、相手を攻撃したり、もともとなかったものと否認したり、この場から避けて逃げ出し、2度とその場に近づかなかったりするなど、さまざまな行動をする。これらの回避する行動を外から見ると、自分の自尊心をまもり、いたわるための「意地」(維持)になっていることが多いのではないだろうか。――本書より
私の万葉集(五)
私の万葉集(五)
著:大岡 信
講談社現代新書
文化史上の奇跡ともいうべき防人歌、名門貴族の私的生活。天平時代の人間像をいきいきと伝える巻17から巻20まで、大好評シリーズ完結篇。 人間臭いエピソード――この時代の歌にはきわめてはっきりした特徴があります。「巻17」の最初の部分を除けば、「巻20」に至るまでの4巻は、共通してその成り立ちが甚だ私的な性格のものだという点です。その中心になっているのは、……大伴家持の、いわば「歌日記」です。家持自身の歌が大量に収められているばかりでなく、彼の周囲の人々、すなわち上(かみ)は左大臣橘諸兄(もろえ)から、下(しも)は東国の兵士(防人)たちの歌まで、……これ以前の巻々ではそれほど表面に出て来てはいなかった人間臭いエピソードをまじえて、年代順に歌が並んでいます。これらの歌によって、私たちは天平時代という、古代日本でもとりわけ私たちに親しい呼び名である時代の、いわばざっくばらんにうちとけた内幕を、少なくとも大伴家持という、自家が没落しはじめていることを痛いほど意識している古代の名門貴族の目を通して、かいま見ることができると言えます。――本文より
キリスト教英語の常識
キリスト教英語の常識
著:石黒 マリーローズ
講談社現代新書
英語理解の大きな核はキリスト教的な要素と背景の理解にある。新聞、雑誌、テレビ、映画、そして日常会話に頻出する聖書由来の、ないし神にまつわる表現を紹介する。神を制する者が英語を制す。(講談社現代新書) よく目にするキリスト教的表現を抽出、解説。英語理解の一つの核はキリスト教的要素の把握にある。新聞、雑誌、テレビ、映画、そして日常会話に頻出する聖書由来の、あるいは「神」を背景とする表現を紹介。
電子あり
教養としての歴史学
教養としての歴史学
著:堀越 孝一
講談社現代新書
昔のひとは歴史をどう捉えていたのか。証拠と因果関係を重視する近代歴史学とは違う文体(スタイル)の歴史の書かれ方を読む。 中世人は歴史の予定調和を見ている──この世に起きる出来事が、すべて予表されたプロトモデルの写しであるという発想は、およそ近代人の歴史理解とは異質なものです。(中略)それでは中世人の「ヒストリオグラフィー」は全部が全部ナンセンスだということになるのか。わたしはそうは思わない。中世人は歴史にタイポロジカルな構図を見た。この構図は、わたしたち近代人が見るところ、無歴史的なものです。なにしろ歴史は常に現前しているのですから。わたしたちは「歴史は発展する」とか「歴史は因果関係で成り立っている」とか、なにしろ軽々と口にします。中世人にそんなことを話したって、かれらは困ったような顔をして、耳たぶの後ろでもかいていることでしょう。だから、かれらにはどうやら「因果関係」とか、「発展」とか、そういったキーワードが通用しないということなのです。──本書より
マンガと「戦争」
マンガと「戦争」
著:夏目 房之介
講談社現代新書
手塚治虫、水木しげるから宮崎駿、エヴァンゲリオンへ――マンガは「戦争」をいかに描いてきたか。日本人の戦争観に迫る画期的マンガ論! 『ゴルゴ13』の「戦争」――ゴルゴの、重く厚い眉に上から抑えられた細い目と、薄く下を開けた三白眼の瞳、また堅く閉じられた口やタフそうな顎は、ほとんど劇的な表情をもたない。おまけに主人公としては異様に寡黙で、吹きだしのなかに「……」しか入っていないことが多い。……これは、手塚マンガが大げさな表情や饒舌さで心理表現をつくりあげたのと、ちょうど逆の打ち消し作用をもたらす。ゴルゴの内面や自意識は意味をなさず、そのぶんだけ悲劇は軽くなる。表立っては表明しにくい脱倫理的な場所からみる相対化された「戦争」。これがゴルゴにとっての戦争であり、同時にいくぶんか読者の欲求を反映していた。全世界を相手にできる有能な個人の場所と、戦争体験に色づけられた重い倫理的戦争観の相対化の欲求である。それは70年以後の青年読者にとって潜在的な欲求だったのではないかと、今になると思う。――本書より
カントの人間学
カントの人間学
著:中島 義道
講談社現代新書
エゴイズム、親切、友情、虚栄心……人間の「姿」はいかなるものか。複雑で矛盾に満ちた存在を描き出すカントの眼差しに拠り、人間の有り様の不思議を考える。 無邪気は道徳的ではない――3歳の子供はカントの目からすれば断じて道徳的ではない。それは積極的に悪をなさないが、善をもなさないのである。まったく同じ理由により、性器を切除したために性欲に支配されなくなった男は、性欲を克服したのではない。修道院内に軟禁されている少女たちは、男遊びや飲酒や喫煙に対する欲望を克服したのではない。外形的、物理的にさまざまな欲望を除去あるいは遠ざけあるいは消去することは、いわば幼児の状態を再現することであり、決して真の意味での欲望の克服ではなく、よってこうした状況のもとにおける行為は断じて道徳的ではないのである。道徳的善は、結局自愛に行き着くさまざまな感情の傾きを物理的に抹殺ないし隔離してではなく、こうした多様な感情の傾きを徹底的にくぐり抜けて達成される。――本書より
新しい福沢諭吉
新しい福沢諭吉
著:坂本 多加雄
講談社現代新書
近代日本の先覚者とされながら毀誉褒貶半ばする思想家の本質とは。「文明」「独立」等をめぐる言説を読み解き、日本思想史に新たな枠組を提示する。 [思想家福沢]――今日、個人の自由や自発性の尊重との関連で、「自由競争」ということの意味が再認識されていることは周知の通りでしょう。無論、それは、19世紀の考え方のそのままの復活を意味しているわけではありませんが、自由と平等の関係をどのように理解するかは、様々に形を変えながら、今日、なお問題であり続けているということです。とすれば、福沢のような考え方を一時代前のものと決めつけて斥けてしまうことは有意義ではないように思われます。言い換えると、福沢は、今日では、その役割を既に終えてしまった思想家ではないし、同時に、今日から見て「自明の真理」を語っていた「先覚者」でもないのです。すなわち、今日、なお依然として、新しい課題を投げかけてくる問題的な思想家であり、私たちと等しい高さの目線で接しなければならない人物なのです。――本書より