講談社現代新書作品一覧

自分らしく生きる
自分らしく生きる
著:中野 孝次
講談社現代新書
君はいま、本当に心の充足を感じながら生きているか? 道具や機械、組織や制度に支配されず、本当に自律的な人生を生きているか?あり余るほどの“モノ”に囲まれ、情報や娯楽が氾濫する日常生活。過剰な生産=消費のサイクルの中で、自分らしさを失わずに生きるには、人はいったい何を必要とし、何を必要としないのか。現代を真摯に見つめてきた著者が、迷える若い世代に呼びかける熱い魂のメッセージ。 自分の道を選ぶには?――君が自分の人生にたいして高い要求をいだき、自分の本当にしたいことをして生きようと決意したとき、君はどういう問題につきあたるだろうか。《他律的に管理された生き方で満足するか、自律的な活動の生を選ぶか。その二者択一の決定をたえず自分でしなければならない》これが、君のつきあたる困難の第一だ。そして君が後者を選ぶ勇気をもつならば、君は、《自分の行為にたいする責任を自分でひきうけ、それによって生じるありとある危険をみずから担わなければならない》――本書より
タバコ
タバコ
著:宮城 音弥,装丁:杉浦 康平,装丁:海保 透,装画:本 くに子
講談社現代新書
ケムリくゆらす至福と悲惨 タバコとガンによる死亡率の関係が強調され、公共的な場所での嫌煙運動がすすめられている。たしかに、煙は空気を汚すし、栄養にもならない。人間にとってタバコは、害のみをもたらし、益するところはないと、言いきれるのだろうか。作業能率や注意力にどんな作用を及ぼすのか。精神的なストレスを解消しているのではないか。ニコチンは体内でどんなはたらきをしているのか。体質や性格、吸い方や量、喫煙の条件と禁煙の必要な場合など、多面的に考察し、個人にとって社会にとっての喫煙の知恵を説く。
神と仏
神と仏
著:山折 哲雄
講談社現代新書
人は古来、神秘という名の不思議や不安、恐怖にとらわれ、見えない神に祈願を捧げた。6世紀半ば、仏教とともに仏像がもたらされた時、日本人はそこに人間を見、来世を信じた。以来、神と仏は、陰に陽に、いつもわれわれの生活とともにある。肉体から霊魂を救済することをめざす神道、心身一如の状態を理想とする仏教。対照的な2つの宗教と、日本人はどのようにかかわってきたのだろうか。協調、融和、統合の関係を6つの側面からさぐり、日本人のアイデンティティに迫った。 さまざまの場所にいるカミ、ホトケ――古代の人間は、カミやホトケのような存在が、この宇宙空間のさまざまの場所に生息し生活しているのだと考えたとき、ようやく心の平安をえ、自分たちの生活の指針をうちたてることができると感じたのではないだろうか。現世を超越する怒りのカミやホトケ、あるいは山や川や樹木のように、われわれの身辺によりそって加護の手をさしのべてくれる慈愛にみちたカミやホトケが、しだいに一つのまとまりのある世界を形成するようになった。つまり、遠いところに超然としている天空のカミもいれば、近いところに寄りそって立つ地蔵菩薩のようなホトケもいる。そこから、さまざまな性格や属性をもつカミやホトケとわれわれ人間とを結ぶ、多様な遠近感覚が生みだされ、育てられていった。――本書より
自閉症
自閉症
著:玉井 収介,装丁:杉浦 康平,装丁:海保 透
講談社現代新書
学校へ行かず、自分の部屋に閉じこもってしまう登校拒否の子、学校へ行っても、おし黙ってしまう緘黙(かんもく)の子……。他人との関係をもつことを避ける彼らは、けっして自閉症ではない。基本的に関係のもてない自閉児の世界ははるかに遠い。どこまでが自分の領域で、どこからが相手の領域か理解できないからこそ、会話は成立しない。と同時に、情の部分が欠如して、論理だけの世界に住む彼らは、何重にも絡み合わされた複雑な人間関係も苦手である。本書は、オウム返しやクレーン現象、パニックや自傷など、自閉児のことばや行動から、彼らの心の中に光をあて、関係をもつための、狭いながら確かな通路を模索する。 自閉の世界に入りこむ試み――ついに10日目になって教師の忍耐もつきた。まさに頭にきたのである。そして、切りきざんだ紙をさらに裁断機で細かくし、部屋の中に放りあげ、まきちらした。半ばやけ気味になって、「雪やこんこ」を歌った。紙片が子どもの頭にふりかかった。子どもはそれを払いのけようとして手を伸ばした。その瞬間、二人の目が本当に合ったという。目が合ったという表現は、それ以外のいいようがない。……そして子どもは声もあげずに教師の背中にまわって、おんぶの姿勢になったのである。――本書より
人はなぜ悩むのか
人はなぜ悩むのか
著:岩井 寛,装丁:杉浦 康平,装丁:海保 透
講談社現代新書
孤独と不安、病気や死への恐れ、劣等感、挫折感、複雑な人間関係のなかでの葛藤、親と子の確執、愛にまつわる苦しみ……。人は誰でも心の底に、さまざまな悩みをかこちながら生きている。神経症や心身症などの原因ともなる悩みを、逆に、よりよく生きるためのバネとするには、どう対処すればよいのか。本書は、苦悩の本態をさぐり出し、それを正しくうけとめ克服する方途を、豊富な臨床例にもとづきアドバイスする。 愛の悩み――神経症の人が結婚相手を選ぶことに不安を感じるのは、それによって、相手をひきうけるという重荷に耐えなければならなくなるからである。そして将来に対しての予期不安に悩まされるからである。だが、人間の営みにおいて、悩みを伴わない喜びはほとんど存在しない。したがって、愛の完結を求めようとするならば、同時に苦しみをもひきうける覚悟が必要になるのである。その決意と行動があってこそ“おとなの愛”が求められる。その苦悩の行く手に真の悦びが待っているのである。――本書より
小説―いかに読み、いかに書くか
小説―いかに読み、いかに書くか
著:後藤 明生,装丁:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
人は、さまざまな体験や感動をもっている。それを小説にまとめあげられたら、どんなにうれしいことだろう。小説を読むのも、そこに共感する自己の投影をみるからであり、同時に、書く方法がわかれば、小説にしてみたいと、だれしも思う。本書は、日本の名作をとりあげ、読むことを通して、心理描写、文章表現のコツをつかみ、小説の発想を汲みあげる。 小説を書くために──小説は最終的には、あくまでも個人的なものだ。実際、才能や個性は一般化できない。たとえばドストエフスキーの才能、個性は普遍化できない。しかし、ここにそのドストエフスキーの次のような言葉がある。「われわれは皆ゴーゴリの『外套』から出てきた」つまり文学修業において、西欧先進国の文学に読みふけった彼が、いざ自分で小説を書こうとしたときには、やはりゴーゴリから、出発せざるを得なかったのである。自分たちの先輩によって書かれた作品の方法を、読みとると同時に、それを、いかに自分流に「変形」「発展」させるか、そこに、ドストエフスキーの小説家としての正統な文学的戦いがあった。──本文より
ユングの心理学
ユングの心理学
著:秋山 さと子
講談社現代新書
「魂の医師」としてユングは、自己内部を深く凝視し、心の深奥、広大な無意識の領域へ踏みこんでいった。そこは、人間の喜怒哀楽の感情を生みだす源泉であり、心のあやういバランスを保つ力も存在している。忘れられたの断片〈影〉、内なる異性像〈アニマ・アニムス〉、母なるものの根源にある〈グレート・マザー〉、そして〈老賢人〉などのイメージは壮大な神話やファンタジーを創りだしつつ、日常のささやかな幸福や人間関係のドラマにも密接に関わっている。ユングの心理学は、生の根底、自己の未知なる内面への旅である。 ファンタジーの創造社――ユングの心理学では、病的な症状はただ治療しなければならない、過去の悪い思い出とつながるだけのものではない。そこにはすでに、これから生まれるべき、別の姿が、一つのヴィジョンとして含まれているはずなのである。病的な状態が生みだす妄想さえも、ユングは決して否定的なものとはとらなかった。あらゆる人間のファンタジーは、心の奥から生まれてくる想像力が形作ったものなのである。その背景には、揺れ動く人間の創造性があって、現実化されるのを待っているというのが、彼の考えである。――本書より
酒の話
酒の話
著:小泉 武夫
講談社現代新書
人類誕生以来ずっと、ひとは酒とともにかなしみ、よろこび、怒り、笑い、泣いてきた。一杯のビールから、一壜のワインから文化や芸術、政治が動き、歴史は変わっていった。まさに酒はわれわれの最良・最高の友である。いや、もしかすると悪魔の発明品かもしれない。風土や気候によって、世界の国々は特有の自分たちだけの酒を楽しんでいる。飲み方、うまさの秘密、早飲み、大酒飲みコンテスト、酔う酔わないの生理学まで、豊富なサカナを提供し、明日からのイッパイをさらに楽しくするおもしろ酒読本。 「酒はすべて悪徳のもと」――禁酒法が実施される前には、ニューヨークを例にしても、1万5000もの酒場が合法的にあったが、禁酒時代に入るとこれがなんと倍以上の3万2000もの地下もぐり酒場を生むことになる。また、禁酒時代に入るや、ハードリカー(ウィスキーのようなアルコール度の高い酒)が1年間に2億ガロン、ビールのようなソフトリカーになると6億8000万ガロン、ワインも1億1800万ガロン飲まれたと推測され、禁酒法以前に比べ10パーセントも増加している。禁酒法下でいかに酒が飲まれていたかを物語る好例に、摘発された飲酒運転の数があげられる。1920年の禁酒法最初の1年間に比べ、1927年1年間の酔っ払い運転の逮捕者は、実に467パーセントの増加となり、7年間で5倍近くもの逮捕者数となったのである。――本書より
〈自立〉の心理学
〈自立〉の心理学
著:国分 康孝,装丁:杉浦 康平,装丁:海保 透
講談社現代新書
人生はプロセスである。過去のつまずきにとらわれることなく、はかり知れない結果を思いわずらうことなく、自らの人生の主人公として、納得できる自分の生き方を工夫するのが、自立した人間である。自立をうながす場としての家庭、親のあり方を軸に信頼と拒否、依存、現実直視、分離、反抗、グループ・マインド、自由など、自立への条件と着眼点を豊富なカウンセリング体験から提示する。あやまちをおそれず自分を生きよ、と説く自己回復のためのガイド・ブック。 ひとりの自分――人生とは愛の対象からの分離の連続である。つねにさびしさがつきまとうものである。しかし、考えてみれば、このさびしさがあるゆえに、人恋しさもおこるし、人と相和して生きるありがたさもわかるのである。分離の体験がなく、いつまでも母子一体感・親子一体感が続くと、ある日、突然分離せざるをえなくなったとき、パニックに陥る。そこでふだんから、人なかにまじり、人に和しているときでも、自分ひとりの自分を意識する必要がある。孤独を味わう必要がある。しかし、孤独(loneliness)は孤立(isolation)ではない。孤立には日から拒否されている感じがあるが、孤独にはそれがない。孤独とは自立の意識である。――本書より
生命あるすべてのものに
生命あるすべてのものに
著:マザー・テレサ,監・訳:カトリック広報室
講談社現代新書
永遠に伝えたいマザー・テレサ。心にひびく愛のことば。 マザー・テレサは語りかける。力強くシンプルな言葉で、微笑みを絶やすことなく。一片のパンも、ひとかけらの愛もなく、飢え、死んでゆく人びと。生まれる前に愛をはぎとられ、死んでゆく多くの胎児たち。マザーは、この世界にみちみちている貧しさと心の飢えに、身を挺して愛を注ぎこむ、現代の聖母マリアである。自身の祈りの言葉を織りまぜつつ、母と子、学生を中心に、全世代の人びとに生命の尊さを訴えた来日講演録。英文原文付載、10ポ活字使用。 傷つくまで愛せよ――私たちは傷つくまで愛さねばなりません。 あるヒンズー教徒の4歳の子どもが、マザー・テレサは自分の子どもたちに与える砂糖を切らしていることを聞きました。カルカッタで一時砂糖がなくて困ったことがあったのです。その子どもは、これを聞くと両親に話しました。「3日間、お砂糖を食べないよ。ぼくのお砂糖をマザー・テレサにあげるの。」この幼い子どもは大きな愛で愛したのです。なぜなら傷つくまで愛したからです。そして、この子は私にどのように愛するかも教えてくれました。いくら与えたかではなく、与えることにどれだけの愛を注いだか、であると。――本文より
俳句を味わう
俳句を味わう
著:鷹羽 狩行,装丁:杉浦 康平,装丁:海保 透
講談社現代新書
俳句とは、わずか17音の短いしらべに托し、瞬間の感動を永遠のものとする日本独特の詩型である。伝統としてしみわたった季節感のおかげで、専門俳人でなくとも、すぐれた味わい深い作品を生むことができる。入門者にとっては、一語一語にこめられた秀句をこまかく掘り下げて読むことが、上達のための第1歩。味わうことより、何をどう見るか、何をどう掴むかがわかり、それがそのまま読んだ人の身につくのである。本書は、現代の今、日本のここに生きる人びとの秀句500を題材に、四季を時候・生活・天文などに分類した“俳句鑑賞歳時記”である。
日本の神々
日本の神々
著:平野 仁啓,装丁:杉浦 康平,装丁:海保 透
講談社現代新書
4万5000年前もの昔、ネアンデルタールは、死者の霊魂に花をささげたという。この宗教に通ずる心のはたらきは、古代日本人にも読みとることができる。ばらばらにこわされては埋められる土偶、酵母壺につけらえる蛇体把手、稲作の祭器・銅鐸、太陽を呼ぶ巫女の鏡、死者をまつる巨大な墳墓・古墳――。そこには、再生と豊饒への折りが、稲の精霊と大地と水への信仰が、太陽神・日の御子への崇拝が見てとれる。彼らは、どのように神をつくり、まつり、怖れたか。遺物や遺跡にひそむ意味を読みとることによって、その時代の人間精神を明らかにする精神史の方法から、神観念形成の跡を辿り、日本の神々をはぐくんだ古代の宗教意識を究明した意欲作。 神観念の核――古代日本人はもともと神という観念によって、火山の噴火や台風などあらゆる自然現象ならびに人間や動物や植物や巌石にあらわれる神秘な現象と対応したのである。異常な力や現象のなかに神を認める考えは、あらゆる自然現象に鋭敏な注意をむけさせるが、同時に、神を異常な力や現象のなかにひきとどめるのであった。人格神の成長ははばまれ、自然神の人格神化も不完全にとどまるほかはない。日本の神々はいずれも自然から完全に離脱できないのである。それはまた、日本の神についての理解の不安定をもたらすことになった。神について和魂と荒魂という2つの面を考えたところに、神に対応する古代日本人の不安定な理解のしかたが認められる。それは神に対して畏怖するとともに、親和しようとするところに生まれた、神の理解のしかたである。――本文より
哲学とは何か
哲学とは何か
著:後藤 平,装丁:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
「法華経」を読む
「法華経」を読む
著:紀野 一義
講談社現代新書
人間の悩み、恨み、欲望はつきるところをしらない。この世のすべてのものを肯定して、さわやかに明るく生きることはできないものか。「法華経」はいう。自分は救えなくとも、人を救えと。私利私欲をすてて生きると、見るもの聞くものみな美しくなり、さとりは、突然にやってくると。太陽や月の光が、暗いところを照らし出すように衆生の闇を滅し人々をゆったりとした絶対肯定・無限抱擁の世界へ導いてくれる「法華経」の真髄を、数々の生きざまを通して語る。宇宙的な超越世界に読者を誘う心の書。 すざまじき男――今の日本人は、憎しみには憎しみを返すという型の人間が多いが、常不軽菩薩は憎しみに対して、愛を、尊敬を、信ずることを返した。それは、「すさまじい楽天主義」だと思う。楽天主義というと人はすぐ、いいかげんとか、気楽さとか、人のよさとか、うすのろとか連想するらしいが、楽天主義とは、すさまじきものである。殺されたって、人を信じ通すという人生観を変えないのだ。人間はすばらしい。自然はすばらしい。生まれてくるってことはすばらしい。死ぬってこともすばらしい。病気になるってのもすばらしい、という風に、徹底的に信じ通すのだ。肯定、肯定、絶対肯定してゆくのだ。常不菩薩は、すさまじき楽天主義者である。私はこの頃、男というものはどこかですさまじい生き方がなくてはならぬと思いはじめている。人間はすばらしいと信じ通すすさまじさである。――本書より
写真を撮る
写真を撮る
著:竹村 嘉夫,装丁:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
子供の記念写真なら、表情の愛らしさが再現できればよい。記録写真なら、撮影者の意図を第三者に正しく伝え、作品としての組写真なら、ストーリーを語らせなければならない。写真の上手下手は、意図がどれだけ反映されているかで決まる。シャッターを切る前に、「何故撮るのか」「何を表現したいのか」をもう一度考えよう。〈書く〉〈話す〉〈撮る〉……ともに貴重な自己表現の手段である。本書は、シャッターチャンス、フレーミングの基本から記念写真、記録写真、接写、組写真のまとめ方の実践まで、コミニュケーションの手段としての写真の考え方・撮り方を写真体験四十年の著者が蘊蓄を傾けて語る。 1回の“シャッター料”は……――10万円のカメラを購入して10年間使い、そのカメラが2万円で売れたとしよう。いくらたくさんのフィルムを写そうが、ろくに使わないで戸棚のなかに眠らせておこうが、10年間で8万円を償却したわけだ。1年間にすれば8000円ということで、年にフィルム10本を写したばあいは、1本当たり800円だが、二本しか写さなければ4000円にもついてしまう。36枚撮りのカラーフィルムを写し、同時プリントでサービス判のプリントを頼んでも2000円でお釣りがくるのに、償却費を入れれば1本6000円近くについてしまう。――本書より
働くということ -実社会との出会い-
働くということ -実社会との出会い-
著:黒井 千次
講談社現代新書
一生の大部分をかけて自分は何をやりたいのか、何になりたいのか。いったい何のために働くのか。たとえ給料はあまり上らなくとも、自分らの意志で、納得のいく仕事がしてみたいと望むのはなぜか。何かをなしとげた時に味わう手応え、自己実現への欲求こそ、労働の本質である。会社勤め15年の体験をふりかえりつつ、働くことの意味と意識を考える。 働くことと遊ぶこと――「労働」と「遊び」を互いに背反するものと考えるのではなく、むしろ、相互補完的な人間の営みとして受けとめようとする姿勢こそが重要なのだ。「労働」の中には「遊び」がひそんでおり、「遊び」の底には自己表現を核とする「労働」が沈んでいる事実が忘れられてはならないのである。「労働」は疎ましく「遊び」は好ましい、という単純な感覚論をもってしては、「労働」そのものはおろか、「遊び」の本質さえ掴みそこなうことになるだろう。つまり、「労働」のあり方が正確におさえられていなければ、「遊び」のありようも探れぬわけである。いずれにしても、「遊び」に向けられた欲求のこれほどまでの肥大を、生活レベルの向上による文化的豊熟の表現であると喜んでばかりはいられない。「労働」が病んでいる時には、「遊び」もまた病んでいるのだ。――本書より
〈つきあい〉の心理学
〈つきあい〉の心理学
著:国分 康孝
講談社現代新書
ひとと心のふれあいがもてないために、生きることにつまずいてしまうことが多い。べたつかないふれあいを楽しむためには、(1)人生を時間の流れで観察できること (2)生きる意味を自分で創造できること (3)人生における自分の役割をもっていること この3つの資質が欠かせない。自分を見つめ内面の曇りをなくすことが出会いの出発点なのである。ひとことのあいさつ、潤滑油としての〈つきあい〉、毅然たる自己主張の大切さなども指摘しつつ、豊かな人間関係への道を説くガイド・ブック。 ふれあい中毒――他とのふれあいがなければ自分は生きてはいけない、堪えられないという人間は、ふれあい中毒症者である。これは健全なふれあいではない。強迫性(がむしゃら)は健全ではない。パーソナリティが健全な人はけっしてしつこくはない。しつこくない者同士の深い交わり、これが健全なふれあいである。しつこくないためには条件がある。自分はひとりで人生が歩めるという自分信頼感である。「人とのふれあいがあるにこしたことはない。それがあれば人生が豊かになることはまちがいない。しかし、なければないで、自分なりに生きていける」という淡白さ、いさぎよさ、心意気。これが健全なふれあいをもつためのライセンスである。――本書より
発想法 リソースフル人間のすすめ
発想法 リソースフル人間のすすめ
著:渡部 昇一
講談社現代新書
リソースフルresourcefulとは、発想の豊かさを表わす言葉である。語源的には「再び立ち上がる」「再び湧き出す」ということだが、転じて、どんな状況においてもアイデアが出てくること、つまりは、「汲めども尽きぬ知恵の泉(ソース)」をもつことである。リソースフルであるためには……、より深く豊かな泉をより多く身につけるには、どうすればよいのだろうか。まずなによりも、発想の源は自分自身の内部にある。みずからの独自で切実な体験を直視し、忘れず、みがきあげることを土台に、貴重な泉としての外国語習得、新鮮な目をもつこと、幅広い耳学問など、思いつきではない、柔軟な発想を生むための心がまえと方法を説く。
読書の方法〈未知〉を読む
読書の方法〈未知〉を読む
著:外山 滋比古,装丁:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌,その他:ヴァザルリオーダール
講談社現代新書
一度さっと読んだが何とも意味がわからない。読みつ戻りつ、考え考え何度も読んでみる。ついに言わんとすることがわかる。登頂のよろこびに似た感激の一瞬である。読書におけるこの“発見”を、現代人はなぜ忘れてしまったのか。予備知識のある内容ばかりを読んでいては、いつまでも発見はない。どうすれば〈未知〉のことを読み解けるのか。今まで一様と考えられてきた読みを、既知で読むアルファー読みと未知を読むベーター読みに分け、悪文の効用、素読の再評価、耳で読む法など、豊富なヒントを提示しながら、豊かな読書生活への方策をさぐった。 “一挙に本丸から攻めよ”――泳ぐのはたいへんだからといって、いくら畳の上で稽古していても、いつまでも泳げるようにはならない。水に入るのがこわいから、砂場で泳ごうか、などと言っているのでは話にならない。どうせ一度は苦しい目にあわなくては泳げるようにならないのなら、ひと思いに、まるで泳げないのを承知で海の中へ突き落としてしまえ。何とか泳げるものだ。素読にはそういう読者への信頼感をもっている。それと同時に、へたにやさしいものを読ませたりしていると、いつまでたっても、四書五経のようなところへはたどりつけまい、という考えもある。アルファー読みからベーター読みへ切り換えて、などといっていては、本当の読みができるようになるまでにどれほどの時間がかかるか知れない。一挙に本丸から攻めよ。それが素読の思想である。――本書より
ストレス
ストレス
著:宮城 音弥,装丁:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
心身のバランスを保つための緊張した感情、緊張力が、広義のストレスである。それは、環境に適応して生きていくために不可欠のものであるが、適量を越えた過度のストレスはいらいら、不安、怒り、さらには心身の病的状態をもたらす。本書は、心理的ストレスの原因と機構を明らかにし、ストレス逃避のチエともいえる酒・タバコ・遊びなどの意味を考察して、その回避・解消法を示す、現代人へのアドバイスの書である。 ストレスとギャンブル――われわれは日常生活で成功するためには、とくに富を得るためには、よく考え、十分に準備をし、努力してゆかなければならない。長い時間にわたるストレス状態が不可欠である。このような思考や努力を節約して目的を達成しようとするのがギャンブルであって、これによって、一気に、ストレスを発散することになる。ギャンブルでは、じっくりと努力するよりも、短時間に目的に到達しようとする。そのせっかちな気持が日常生活のストレスの代用となって、ストレスの発散に役立つのであって、現実からの逃避であると同時に、発散なのである。――本書より