講談社現代新書作品一覧

文章構成法
文章構成法
著:樺島 忠夫
講談社現代新書
文章を書くことは考えることであり、読み手に理解させ、納得させることである。では――●“模範文にならって書きましょう”ではなぜ書けないか●感動したことをそのまま書けば、よい作文ができるか●何を書けばよいかわからない時、どうするか●主題の見つけ方に技術はあるか●ヘタな文章に型はあるか●トピックはどう生かすか――本書は、内容作りから、目的にあった表現の仕方まで、システマティックに文章を作りあげていくノウハウを豊富な実例と体験をもとに公開した。 どんな順序で並べるか――「ゆうべ、熊さんの家に強盗が入ってね」「へえ、それは大変だ。で、どうなった?」「日本刀でぐさりと腹を刺された」「気の毒になあ」「しかし、強盗はすぐあげられた」「そうかい」「熊さんとこは天ぷら屋だからね」こういう順序ならば、相手をうまく話に乗せることができる。しかし、「熊さんとこは、天ぷら屋だろ」「そうだよ」「ゆうべ、熊さんの家に強盗が入ってね」「天ぷら屋だから、すぐあげられたのだろ」順序をまちがえると、意図通りにはいかないことになる。読み手は、時間的な順序に従って次々に与えられる内容に反応する。その反応のしかたに、人間としての一般的な傾向があれば、その傾向をうまくとらえることによって、よい文章の型を設けることができる。――本書より
ピラミッドの謎
ピラミッドの謎
著:吉村 作治,装丁:杉浦 康平,装丁:海保 透
講談社現代新書
ギザの大ピラミッドは驚異と神秘に包まれ、いまもなお砂漠にそびえ立つ。ピラミッドは古代の天文台、あるいは大洪水に備えたタイム・カプセルだったという説も出されている。はたして、なんのために、そしてどのようにして、二百万を超える巨石を積み上げていったのだろうか。正確な方位、絶妙な傾斜角、不思議なバランスを保つ重力構造――。古代人の信じがたいまでの技術は、どう解釈されるのだろうか。本書は、最新の発掘調査の成果をふまえ、ピラミッド建造の真相からピラミッドパワーの神秘まで、五千年の謎に迫る。 πの謎――ピラミッドの比率の中には「円を四角にする」というむずかしい数字の解答があると主張する学者もいる。ピラミッドの底辺の四辺をその高さの二倍で割るとπ(パイ)の値になる。またピラミッドの底面積はその高さの二乗にπを掛けた値である。円周率が正式に認められたのはピラミッド建造後2500年以上もたってからのことであるから、この数値は驚異である。また、ピラミッドの三角面の高さを半径とする円を描くと、その円周とピラミッドの四底辺の長さが同じであるという関係ができる。――本文より
創造の方法学
創造の方法学
著:高根 正昭
講談社現代新書
西欧文化の輸入に頼り、「いかに知るか」ではなく、「何を知るか」だけが重んじられてきた日本では、問題解決のための論理はいつも背後に退けられてきた。本書は、「なぜ」という問いかけから始まり、仮説を経験的事実の裏づけで、いかに検証していくかの道筋を提示していく。情報洪水のなかで、知的創造はいかにしたら可能なのだろうか。著者みずからの体験をとおして語る画期的な理論構築法が誕生した。(講談社現代新書) 読み継がれて35年 知的創造の技術を 実体験から語ったロングセラー! 知的創造とは何か それは情報洪水のなかで、いかにしたら可能になるのか。 「われわれは、科学における知的生産のための基本的なルールを、 常識として、手に入れる必要があるのではないか。 そして大学教育においても既成の知識の獲得よりは、 むしろ新しい知識を自ら生み出す方法の訓練に、重点を置かなくてはならないのではないか。 このような知的生産の時代をわが国によびおこすため、 この書物が少しでも役に立てば、筆者としてこれに勝る喜びはない」(あとがきより) 【目 次】 1 方法論への道 知的創造とは何か 2 問題をどうたてるか 3 理論と経験とをつなぐ 4 科学的説明とは何か 5 数量的研究の方法 6 全体像をどうつかむか 7 現場の体験の生かし方 8 ジャーナリズムに学ぶ 9 方法論の一般理論へ 創造にむかって
電子あり
人間関係の心理学
人間関係の心理学
著:早坂 泰次郎
講談社現代新書
他人とまともに視線を合わさない人がいる。日本人には、対人恐怖症さえ少なくない。人びとが真の人間関係を見失ったのは、これと無関係だろうか。著者は、たんに和気あいあいの「よい人間関係」ではなく、「ほんとうの人間関係」を模索してきた。まなざしを、ただ相手に向けるのではない。瞳は“人見”であり、たがいに瞳をとどかせるのだ。その重さを説き人が真の人間関係を見出してゆく過程を描き出す。対人関係トレーニングでの、著書の豊富な体験をもとに、人間一般より、かけがえのない一人一人の人間のあり方を説く本書は、さまよえる現代人のための人生読本である。 とどかない視線――他人の眼を見つめることは勇気がいる。まして他人のまなざしを自分のひとみで受けとめることは、身もすくむ思いだ。……それはしかし、そのまなざしが、私のひとみに、私のなかまでとどいたときのことだ。視線がこちらに向かってはいるが、とどいていないとき、その人の眼は、たんなる眼球という物体にすぎない。そんなとき、その人の眼は生きた眼というより、瀬戸物のように見える。Tグループのなかでは、だれもがこうした経験をするが、日常の対人関係のなかでも、少し気をつければ気がつくにちがいない。――本書より
続 知的生活の方法
続 知的生活の方法
著:渡部 昇一,装丁:杉浦 康平,装丁:海保 透
講談社現代新書
自分の知的領域にふれあう本を一冊一冊精選して、個性あふれるライブラリーを作りあげ、学問を生活化することが、知的生活のポイントである。そのために不可欠なゆとりある生活への道を探り、就職・結婚のプラスとマイナス、図書館の《接近利用法》、機械的な作業の有効性、フランクリン式文章上達法など毎日の生活を充実させるためのオリジナルな方法を公開する。大きな共感をもって迎えられた前著に続く本書は、日常のくりかえしのうちに、ともすれば流されがちな現代人にとって、ゆるぎないライフ・スタイルを身につけるための恰好のガイド・ブックである。 農耕的作業――構想が構想であるうちは論文でもなんでもない。いちおうの構想やら書いてみたいことが浮かんだら、書きはじめてみなければ何もわからない。疑問が生じたらチェックし、最初正しいと思ったことが間違いだったら書き直す、というふうにして、毎日、何時間か機械的に取り組み、何ヵ月、あるいは1、2年かかるということを覚悟しなければ、まともな論文はできない。最初になにほどかのアイデアがあり、それを具体的な知性生産に結びつけるためには、衝動的な作業では駄目で、機械的・継続的な、ほとんど農耕的といってもよい作業が毎日続く。――本書より
生きることと愛すること
生きることと愛すること
著:ウィリアム・エヴァレット,訳:菅沼 りよ,装丁:杉浦 康平,装丁:海保 透
講談社現代新書
人間は愛なくしては生きてゆけない、孤独な存在である。だが人は多く、ふれあいを求めながら、心を開くすべを知らない。人はどこまで愛を受け、どこまで愛を与えることができるのだろうか。自己愛、恋愛、親子の愛、神の愛など、さまざまな愛のかたちをとおして、ほんとうの自分をみつけるための道標を探索する本書は、生きることのむずかしさに悩む現代人の心に、真情あふれる示唆を与える。 愛の原則――私たちの多くは、おそらく無意識にではあるが、50対50のフェアプレイを基盤にして生きている。私たちは、相手が私たちを受け入れ、親切にしてくれるかぎり、相手にもそうする。しかし、もし相手が私たちをだましたり、傷つけたりしはじめたら、私たちも態度を変えてしまう。冷淡になり、相手と同じ戦術を使うのである。私たちは50対50の原則ではなく、愛の原則に従って生きなければならない。愛の原則とはひじょうに単純なことである。私たちは愛さなければならない――相手が何をいい何をしようとも、いまもいつも。人を愛するということは、その人にもっと愛する力を与えようとすることなのである。フットボール選手だった父親が、息子もフットボール選手にしたいと願うように、愛する人は、相手をも愛することのできる人に変えてゆくのである。――本文より
ニーチェとの対話 ツァラトゥストラ私評
ニーチェとの対話 ツァラトゥストラ私評
著:西尾 幹二
講談社現代新書
「《われわれは幸福を発明した》末人たちはそう言って、まばたきする」末人すなわち現代人に向けて、毒ある予言を呈したニーチェの警句は、《退廃》を宿命として帯びたわれわれの心を深く揺り動かさずにはおかない。本書はニーチェの評伝でも解説でもない。平板な無思想状況と人間の卑小化を予見していたニーチェと著者との《対話》を通じて、人間の生き方を問う思索と行動への書である。高貴なる精神とは何か? いま問いなおす意味は大きい。 末人の時代――人間は昔より多く理解し、多く寛容になったかもしれないが、それだけに真剣に生きることへの無関心がひろがっている。すべての人がほどほどに生きて、適当に賢く、適当に怠け者である。それならば現代人に、成熟した中庸の徳が身にそなわっているのかというと、決してそうではない。互いに足を引張り合い、互いに他を出し抜こうとしてすきをみせない。「人に躓く者は愚者」であって、「歩き方にも気を配」らなければならないのだ。人間同士はそれほど警戒し合っているというのに、孤独な道をひとりで行くことは許されず、べたべた仲間うちで身をこすり合わせていなければ生きていけない。「温みが必要だからである。」彼らは群をなして存在し、ときに権威ある者を嘲笑し、すべての人が平等で、傑出した者などどこにもいないと宣伝したがっている。――本書より
タテ社会の力学
タテ社会の力学
著:中根 千枝
講談社現代新書
日本社会では法的規制はきわめて弱い。人々の行動を律するのは法ではなく、個人あるいは集団間にはたらく力学的規制なのである。無原則のまま外界の変化に柔軟に対応する日本社会は、《軟体動物的構造》をもっている。本来の意味での権力が存在せず、小集団におけるリーダーの力が弱いのも、この特殊な社会構造によるのである。本書は、タテ社会内部にはたらくダイナミズム・動的法則を、《全人格的参加》《無差別平等主義》《儀礼的序列》《とりまきの構造》など、興味深い事例を引きながらあざやかに分析し、現代人1人1人をとりまくネットワークを明示する。『タテ社会の人間関係』と対をなす必読の名著。 法規制でなく社会的規制――私たちの社会生活に規制が働き、全体の治安が維持されているのは、個々人が小集団的規制に常に従い、全体が力学的にバランスをとろうとする動きをもっているからといえよう。こうした社会に育まれた私たち日本人は、法規制にてらして行動するなどということはなく、まわりの人々にてらして、あるいはあわせて行動することに慣習づけられている。いいかえれば、規制というものを肌で感じながら行動しているといえよう。日本社会においては、社会的規制が法規制の機能まで包含していると解釈できる。こうした世界になれていると、法のきびしさを忘れがちである。否、知らないで過すことも可能である。――本書より
イギリス人と日本人
イギリス人と日本人
著:P・ミルワ-ド,訳:別宮 貞徳,装丁:杉浦 康平,装丁:海保 透
講談社現代新書
イギリス人は、なによりもわが家をたいせつにする。彼ら一人一人が国王であり、女王であるこの城こそ、一羽の小鳥や移りゆく自然への愛を育み、ありふれたものの新しさを教えてくれる、人生の豊かな泉である。物質的繁栄とひきかえに、精神の荒廃を招いたわれわれ日本人が、彼らのコモン・センスから学ぶものは大きい。時流にまどわされず、ひたすら己れの道を歩むイギリス庶民のものの見方・考え方を、ユーモアとペーソスを混じえて語る、軽妙洒脱な英・日比較民族論。 父の手紙――こんにちの世界は、こんにちを代表する詩人T・S・エリオットがいみじくも名づけたように「荒地」の世界である。しかし、それだからこそわれわれは、時代の流れにさからって、残されたわずかばかりの、ますますもって貴重な土地をたいせつにすべきではないだろうか。その意味からして、私がいちばん尊敬する人物は私の父である。父が手紙でいっている気に入りのテーマを紹介しよう。「それが、一しずくの露のなかに宇宙を見いだし、手近なありふれたものの新しさを見なおす術なのだ。それができれば、不思議を求めて長いご苦労な旅をすることなどない。私は、アリといっしょに庭を横断するのでもけっこう楽しい。二羽のクロドリとかくれんぼをするのもいい。あの連中、じつにうまいものだよ……。」――本文より
明暦の大火
明暦の大火
著:黒木 喬,装丁:杉浦 康平,装丁:海保 透
講談社現代新書
新書東洋史(11)解放の世紀 現代のアジア
新書東洋史(11)解放の世紀 現代のアジア
著:伊藤 秀一,装丁:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌,装画:渡辺 冨士雄
講談社現代新書
帝国主義列強による、苛酷な分割支配のもとで、アジア諸民族はつぎつぎと立ちあがっていった。反乱・独立・解放・革命と各民族はみずからの方向を見出していく。植民地下のアジア諸国の動向を類型化し、そのなかの歴史の一貫性・必然性を著書は鋭く指摘する。独立そして混迷。いまアジアは何を考え、どこに進もうとしているのか。錯綜する現代アジアの諸相を見事に分析した本書は21世紀にむけて多くの示唆と展望を与えるにちがいない。 メシアの出現――大衆は貧困と抑圧の下にありながら、既存の秩序に対して反抗よりもむしろ忍従をえらぶ。時折、反抗する者が現われても、それは荒野の叫びにひとしく、ただ無力の証しとなるにすぎない。多くの場合、大衆はひややかに見殺す。だが、非道と無法を味わうたびに、大衆の心のなかにはげしい怒りが、蓄積されてゆく。ここに歴史の底流がある。それがひとたび組織されると、なにものをも押し流さずにはおかぬ奔流となる。無告の大衆が自らに力を感ずるのは、神が自分たちに味方していると感じたときである。それ以外に一体、全能の権力者に立ち向える拠りどころがありえたであろうか。メシアこそ、大衆が暗黒のなかで久しく待ち望んでいた光明であった。――本書より
ムー大陸の謎
ムー大陸の謎
著:金子 史朗,装丁:杉浦 康平,装丁:海保 透
講談社現代新書
「かつて太平洋上に1つの巨大な大陸と帝国があった。6400万人の人口を擁し、高度な石造建築をつくり、大河の港には、全世界の物資が集散した」と描写された大陸・帝国こそ、ムー大陸とその帝国である。今から1万2000年前に、帝王ラ・ムーに率いられ、栄華をきわめたというムー帝国は、実在したのか。なぜ滅亡したのか。本書は最新の調査や発掘による科学的成果を土台にして、ムー大陸形成の過程を地質学的に解明しつつ、ムー文明の全体像と滅亡のドラマを再現する。 栄えるムー帝国――人びとの目を奪う景観は、なんといっても7つの大都市であった。その1つは王宮が所在するヒラニプラで、この国の首都であった。この聖なる都市は、国の北西部にあった。町の中央にある小高い丘には、白亜の大神殿や大礼拝が立ち並び、僧院、神殿などが、所せましとばかりひしめいていた。さまざまな色彩の石を組み合わせてつくられ、不思議な光を投げかけていた。町には水路が、縦横に通じ、港々からはナーカルと呼ばれる「聖なる伝道者」たちが、海外の各地へと旅立った。町の人々も華やかな衣服をまとい、歌や踊りに興じる日々を送っていた。かれらの笑いさんざめく声は、美しい音楽の響きと交錯して、楽園は永久に続くと思われた。――本文より
新書東洋史(10)朝鮮史―その発展
新書東洋史(10)朝鮮史―その発展
著:梶村 秀樹,装丁:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
わずか20余年の開国時差から明治維新はかろうじて成功し朝鮮民族は、国家を失う結果となった。古代にあっては、先進文化をもつ多数の朝鮮人が渡来し、日本の古代文化、国家形成に重要な役割を演じ、中世には、独自の発展をとげた高度な文化国家であった朝鮮が、なぜ苦渋の近代史を強いられたのか。さまざまな外圧にもめげず、たくましく生きた朝鮮民衆の生きざまを通して、“近くて遠い国”朝鮮の内在的発展の歴史をさぐる。 三・一運動――1919年3月1日から始まり、およそ1年もの間朝鮮全土をおおった三・一運動は、ひとりの英雄的な指導者によって象徴されるような質のものではない。多くの無名の人々の、もちこたえてきた独立への意志が、ひとつに合流した民衆運動であった。たとえばソウルで学んでいたわずか15歳の女子学生柳寛順は、宣言文を持って故郷の天安に帰り、その土地での行動の先頭に立ち、逮捕されても昂然と正当性を主張して屈せず、拷問のため獄死したことが、いまも語りつがれている。かの女はいわば無数の無名の英雄のひとりであり、運動の象徴なのである。――本書より
新書東洋史(9) 西アジアの歴史 聖書とコ-ラン
新書東洋史(9) 西アジアの歴史 聖書とコ-ラン
著:小玉 新次郎,装丁:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
砂漠とオアシスガ織りなす厳しさと恵み。西アジアは、そのなかで東西交渉の要衝として、独自の歴史世界を形成した。キリスト教とイスラム教に代表される、その文化は、世界各地に伝播し、現代に至るまで、多大な影響を及ぼしてきている。本書は、「肥沃な三日月地帯」に誕生した古代国家にはじまる、ペルシア、アラビア、トルコなどの民族盛衰のなかに、西アジア独自の歴史を鮮やかに描き出す。現代の民族主義の動きも見とおし、西アジアを世界史のなかにみごとに位置づける。 民族主義の創造――西アジアは過去において、種々の文明の交流のなかから数多くの先進文明を生み出し、ヨーロッパ・インド・中国にも影響を与えてきた。そこには常に西アジアの民族主義が作用していた。たとえば、ヨーロッパからヘレニズムが浸透し始めて2世紀余りたった紀元前後には、西アジア各地域に、それぞれの伝統に根ざす新しい自覚として当時の民族主義が芽生え、それがキリスト教を生み、さらに数世紀のちにイスラム体制をつくりだした。しかも、キリスト教はヨーロッパ文明に深い影響を及ぼし、イスラム文明は、ヨーロッパ近代社会の形成に大きな役割を果している。民主主義な、下火になることはあっても消滅することはなかった。それどころか、新しい文明の創造は、常に民族主義の高揚から出発してきた。――本書より
新書東洋史(8)中央アジアの歴史
新書東洋史(8)中央アジアの歴史
著:間野 英二,装丁:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
ユーラシア大陸を二分する北方の“蒼き狼”たちの遊牧草原国家と南方のオアシスを軸につくられた都市国家――その両者の対立・抗争と共存の歴史が、中央アジアを彩った歴史である。あるときはトルコ化し、あるときはイスラム化する草原とオアシスの民は、ティムールによる統一帝国の坩堝の中で、新しいユーラシア文明をつくりあげる。本書は、この歴史のダイナミズムを掘り下げながら、現代に至る諸民族の興亡と独立を明らかにし、中央アジアを把えるに必要な歴史観を提示する。 中央アジアにおける北と南――中央アジア北部の草原地帯と山間牧地の主人公は、群をつくる有蹄類の動物を追って、夏営地と冬営地の間を季節移動する遊牧民であり、南部のオアシス地帯の住民は、農業を主とする定住民であった。しかし、この相異なる生活様式をもった南北二つの住民は、相互に隣接して生活している以上、常に密接な関係に立たざるを得なかった。それは特に征服と被征服、支配と被支配の関係であり、また時には一方の文化の、他方の文化に対する優位と劣位の関係でもあった。また同時に、両者間の相互補完的な共存関係をもつくりあげた。――本書より
新書東洋史(7)東南アジアの歴史 モンスーンの風土
新書東洋史(7)東南アジアの歴史 モンスーンの風土
著:永積 昭,その他:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
モンスーンの風土にめぐまれた多島海。東南アジアは中国・インド両文明のはざまにありながらも、アンコール・ワット、ボロブドゥールに象徴される特異な文化を育んできた。しかし、香料を契機とする西洋世界の侵入、それにひきつづく植民地化は、あまりに大きな波紋を残した。強制栽培制度による略取、太平洋戦争下の荒廃を負った独立への道はきわめて険しいものであった。本書は、曲折にみちた東南アジア史の本質を統一的視点からあざやかに解明した。 東南アジアの一体性――1970年代も半ばを過ぎた現在、かつての東南アジア植民地はすべて独立を獲得したが、民族革命の達成にくらべて社会的平等の実現はまだこれからの課題と言えよう。またその中には純然たる社会主義国家から露骨な反共独裁国家まで驚くほどの幅が見られるが、それにもかかわらず、もはや東南アジアの一体性について疑いを抱く者はほとんどないと言ってよかろう。インドシナ三国における共産政権の成立以後、王制をとる仏教国タイとの間の緊張が伝えられ、こまかい動きを見れば東南アジア全体の政治的安定は遠い将来のこととも思えるが、ただひとつ明らかなことは、ここではもはやどのような大国の介入も歓迎されないだろうということである。――本書より
英語の語源
英語の語源
著:渡部 昇一,その他:杉浦 康平,装丁:海保 透
講談社現代新書
〈王様〉を意味するキング〈KING〉は、血族を示すキン〈KIN-〉から派生し、育ちのよい人間からの連想で〈親切〉を意味するカインド〈KIND〉と語源を同じくしている。その中心にあるのは、〈血縁〉のイメージであり、政治的につくり上げられた連合国家の長、皇帝=エンペラーとは、はっきり分けられる。コルシカ生まれのナポレオンは、皇帝になったが、フランク族のキングになることはできなかったのである。本書は、身近かな単語の語源をさぐりながら、西洋文化の背景を明らかにした出色の文化論。 ワイルドの語源――家畜でない獣は英語でwild animalである。wild(野性の)という単語については、まだ意見が定まっていないが、はっきりした自説を出しているのは、ケンブリッジ大学のW・W・スキートである。彼によればself-willed(わがままな)という意味がwild(古い発音ではウィールド)の根底にあるという。つまり欲する(will)ままに生きている動植物は、すべてwildなものなのである。だからwildは動物にも使うし、植物にも使うし、また人間にも使う。馴らされて(tame)いない状態の動植物を指すのである。また日頃は教養で感情を抑制している人でも、その教養を忘れて暴れることがある。その状態を「荒れた」(wild)という。――本書より
新書東洋史(6)インドの歴史・多様の統一世界
新書東洋史(6)インドの歴史・多様の統一世界
著:近藤 治,その他:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
インドの存在はそれ自体ひとつの《大いなる謎》である。民俗・言語から、宗教・民族にわたるまできわめて特異な多様性を見せながら、そこに不思議な統一を保ちつづけているのも事実なのである。本書は、この《多様の統一世界》の解明を経糸に、インダス・ガンジス文明の発生から、イギリス植民地下の苦難と抵抗、戦後社会の矛盾までの時代の変容を緯糸に《神秘》と《貧困》に象徴されるインド史5000年の真実を、新たな視点から明らかにする意欲作である。 多様なるものの統一世界――インド女性のあの艶やかな着物サリーの着付け方一つにしても、地方により、あるいは人々によって、まことに大小さまざまな変化があるといわれるインド。地理的条件はいうにおよばず、民族・言語・宗教・慣習・社会組織などいずれの分野においても、おどろくべき多様性をもったインドは、われわれの住んでいるこの日本のような均質性の高い社会から見れば、たしかに一筋繩では理解できない対象であることには多言を要しないであろう。この多様性は、簡単にいえば、太古以来歴史的に形成されてきたインド文化のその形成のされ方の特徴によるものである、ということができる。――本書より
新書東洋史(5)中国の歴史5 人民中国への道
新書東洋史(5)中国の歴史5 人民中国への道
著:小野 信爾,その他:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
ゆらぎ始めた清朝の支配体制は、その体制が不備であった分だけ、逆に柔構造の強さを見せながら崩壊の道をゆるやかにたどっていく。列強の利害が改革派の官僚、軍閥の動きと絡まり、中国の革命運動は困難な状況のなかに置かれていた。本書は、太平天国、アヘン戦争から第二次世界大戦後の革命の成立まで、近代中国100年の曲折を描き出す。西洋近代のインパクトから生まれたさまざまな改革運動のなかで、共産主義が支持され、その革命が成就する過程を明快に分析。 五四運動の影響――五四運動を境に新文化運動は文化革命に発展した。その例証としては、大衆向け宣伝の必要と実践から口語文がこの過程で大衆的に根を下ろし、文章語としての正統の地位を確保したこと、男女同権、婦人解放の要求が高まるなかで、1920年から北京大学はじめ国立の有名大学が、女子学生に門を開いたことをあげておこう。日本の国立大学が女性に開放されたのは1946年、しかも占領軍の指示によってであったことを想起すれば、ことがらの重みが知れよう。――本書より
新書東洋史(4)中国の歴史4 伝統中国の完成 明・清
新書東洋史(4)中国の歴史4 伝統中国の完成 明・清
著:岩見 宏,著:谷口 規矩雄,その他:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
モンゴル帝国・元のあとに生まれた漢民族国家・明は、永楽帝のもとに巨大版図を築きあげる。農村工業の発展は庶民文化を花開かせた。しかし、北虜南倭、宦官の跋扈は次第に帝国を蝕み、女真族による中国最後の王朝・清が中国を征服する。辯髪で強く記憶されるこの国家は、アヘン戦争で敗れるまで長く世界に君臨した。本書は、従来の政治史のみならず、社会経済の新しい動向にも配慮し、中国史が誇る成熟した500年を、ダイナミックに考察し、中国的なるものを見事に解き明かした。 モンゴル親征――永楽帝時代を特徴づけ、またそれが中国史上の1つの輝かしい時代と称される理由は、帝によってくりひろげられた大々的な対外事業にあることは多言を要しないであろう。なかでも最大の事業は、「五出三犂(さんれい)」――五たび砂漠に出で、三たび虜庭を犂す(北虜の本拠を襲う)――といって当時の人々が自讃した永楽帝によるモンゴル族討伐の戦争であった。10世紀以来、北方民族に圧倒されつづけてきた中国人にとって、帝の遠征事業は漢民族の栄光をとりもどす壮挙と感じられたのであろう。しかし遠征の内容はそれほど讃えられるべきものではなかったのである。明帝国にとって北辺防衛は、成立当初から最大の課題であった。太祖は帝国成立と同時に、モンゴル族討伐の軍をおこしたが、全面的に勝利をえたわけではなかった。――本書より