講談社現代新書作品一覧

写真を撮る
写真を撮る
著:竹村 嘉夫,装丁:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
子供の記念写真なら、表情の愛らしさが再現できればよい。記録写真なら、撮影者の意図を第三者に正しく伝え、作品としての組写真なら、ストーリーを語らせなければならない。写真の上手下手は、意図がどれだけ反映されているかで決まる。シャッターを切る前に、「何故撮るのか」「何を表現したいのか」をもう一度考えよう。〈書く〉〈話す〉〈撮る〉……ともに貴重な自己表現の手段である。本書は、シャッターチャンス、フレーミングの基本から記念写真、記録写真、接写、組写真のまとめ方の実践まで、コミニュケーションの手段としての写真の考え方・撮り方を写真体験四十年の著者が蘊蓄を傾けて語る。 1回の“シャッター料”は……――10万円のカメラを購入して10年間使い、そのカメラが2万円で売れたとしよう。いくらたくさんのフィルムを写そうが、ろくに使わないで戸棚のなかに眠らせておこうが、10年間で8万円を償却したわけだ。1年間にすれば8000円ということで、年にフィルム10本を写したばあいは、1本当たり800円だが、二本しか写さなければ4000円にもついてしまう。36枚撮りのカラーフィルムを写し、同時プリントでサービス判のプリントを頼んでも2000円でお釣りがくるのに、償却費を入れれば1本6000円近くについてしまう。――本書より
働くということ -実社会との出会い-
働くということ -実社会との出会い-
著:黒井 千次
講談社現代新書
一生の大部分をかけて自分は何をやりたいのか、何になりたいのか。いったい何のために働くのか。たとえ給料はあまり上らなくとも、自分らの意志で、納得のいく仕事がしてみたいと望むのはなぜか。何かをなしとげた時に味わう手応え、自己実現への欲求こそ、労働の本質である。会社勤め15年の体験をふりかえりつつ、働くことの意味と意識を考える。 働くことと遊ぶこと――「労働」と「遊び」を互いに背反するものと考えるのではなく、むしろ、相互補完的な人間の営みとして受けとめようとする姿勢こそが重要なのだ。「労働」の中には「遊び」がひそんでおり、「遊び」の底には自己表現を核とする「労働」が沈んでいる事実が忘れられてはならないのである。「労働」は疎ましく「遊び」は好ましい、という単純な感覚論をもってしては、「労働」そのものはおろか、「遊び」の本質さえ掴みそこなうことになるだろう。つまり、「労働」のあり方が正確におさえられていなければ、「遊び」のありようも探れぬわけである。いずれにしても、「遊び」に向けられた欲求のこれほどまでの肥大を、生活レベルの向上による文化的豊熟の表現であると喜んでばかりはいられない。「労働」が病んでいる時には、「遊び」もまた病んでいるのだ。――本書より
〈つきあい〉の心理学
〈つきあい〉の心理学
著:国分 康孝
講談社現代新書
ひとと心のふれあいがもてないために、生きることにつまずいてしまうことが多い。べたつかないふれあいを楽しむためには、(1)人生を時間の流れで観察できること (2)生きる意味を自分で創造できること (3)人生における自分の役割をもっていること この3つの資質が欠かせない。自分を見つめ内面の曇りをなくすことが出会いの出発点なのである。ひとことのあいさつ、潤滑油としての〈つきあい〉、毅然たる自己主張の大切さなども指摘しつつ、豊かな人間関係への道を説くガイド・ブック。 ふれあい中毒――他とのふれあいがなければ自分は生きてはいけない、堪えられないという人間は、ふれあい中毒症者である。これは健全なふれあいではない。強迫性(がむしゃら)は健全ではない。パーソナリティが健全な人はけっしてしつこくはない。しつこくない者同士の深い交わり、これが健全なふれあいである。しつこくないためには条件がある。自分はひとりで人生が歩めるという自分信頼感である。「人とのふれあいがあるにこしたことはない。それがあれば人生が豊かになることはまちがいない。しかし、なければないで、自分なりに生きていける」という淡白さ、いさぎよさ、心意気。これが健全なふれあいをもつためのライセンスである。――本書より
発想法 リソースフル人間のすすめ
発想法 リソースフル人間のすすめ
著:渡部 昇一
講談社現代新書
リソースフルresourcefulとは、発想の豊かさを表わす言葉である。語源的には「再び立ち上がる」「再び湧き出す」ということだが、転じて、どんな状況においてもアイデアが出てくること、つまりは、「汲めども尽きぬ知恵の泉(ソース)」をもつことである。リソースフルであるためには……、より深く豊かな泉をより多く身につけるには、どうすればよいのだろうか。まずなによりも、発想の源は自分自身の内部にある。みずからの独自で切実な体験を直視し、忘れず、みがきあげることを土台に、貴重な泉としての外国語習得、新鮮な目をもつこと、幅広い耳学問など、思いつきではない、柔軟な発想を生むための心がまえと方法を説く。
読書の方法〈未知〉を読む
読書の方法〈未知〉を読む
著:外山 滋比古,装丁:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌,その他:ヴァザルリオーダール
講談社現代新書
一度さっと読んだが何とも意味がわからない。読みつ戻りつ、考え考え何度も読んでみる。ついに言わんとすることがわかる。登頂のよろこびに似た感激の一瞬である。読書におけるこの“発見”を、現代人はなぜ忘れてしまったのか。予備知識のある内容ばかりを読んでいては、いつまでも発見はない。どうすれば〈未知〉のことを読み解けるのか。今まで一様と考えられてきた読みを、既知で読むアルファー読みと未知を読むベーター読みに分け、悪文の効用、素読の再評価、耳で読む法など、豊富なヒントを提示しながら、豊かな読書生活への方策をさぐった。 “一挙に本丸から攻めよ”――泳ぐのはたいへんだからといって、いくら畳の上で稽古していても、いつまでも泳げるようにはならない。水に入るのがこわいから、砂場で泳ごうか、などと言っているのでは話にならない。どうせ一度は苦しい目にあわなくては泳げるようにならないのなら、ひと思いに、まるで泳げないのを承知で海の中へ突き落としてしまえ。何とか泳げるものだ。素読にはそういう読者への信頼感をもっている。それと同時に、へたにやさしいものを読ませたりしていると、いつまでたっても、四書五経のようなところへはたどりつけまい、という考えもある。アルファー読みからベーター読みへ切り換えて、などといっていては、本当の読みができるようになるまでにどれほどの時間がかかるか知れない。一挙に本丸から攻めよ。それが素読の思想である。――本書より
ストレス
ストレス
著:宮城 音弥,装丁:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
心身のバランスを保つための緊張した感情、緊張力が、広義のストレスである。それは、環境に適応して生きていくために不可欠のものであるが、適量を越えた過度のストレスはいらいら、不安、怒り、さらには心身の病的状態をもたらす。本書は、心理的ストレスの原因と機構を明らかにし、ストレス逃避のチエともいえる酒・タバコ・遊びなどの意味を考察して、その回避・解消法を示す、現代人へのアドバイスの書である。 ストレスとギャンブル――われわれは日常生活で成功するためには、とくに富を得るためには、よく考え、十分に準備をし、努力してゆかなければならない。長い時間にわたるストレス状態が不可欠である。このような思考や努力を節約して目的を達成しようとするのがギャンブルであって、これによって、一気に、ストレスを発散することになる。ギャンブルでは、じっくりと努力するよりも、短時間に目的に到達しようとする。そのせっかちな気持が日常生活のストレスの代用となって、ストレスの発散に役立つのであって、現実からの逃避であると同時に、発散なのである。――本書より
うつ病の時代
うつ病の時代
著:大原 健士郎
講談社現代新書
不眠や抑うつ、焦燥、食欲不振、体重減少、死の誘惑など、1度はだれでも体験した症状である。まじめで几帳面な人が、ある日突然孤独になる。背後からヒタヒタと迫っているのがうつ病である。蒸発、登校拒否、アルコール依存症などの裏側でも、かならずうつ病が糸を操っているという。ストレスの多い管理社会、冷えきった家族や職場の人間関係は、人をさらに孤立させていく。「現実逃避しながらも、一方では『助けられたい』と願う彼らには、暖かい人間関係だけが救いである」と訴える本書は、患者たちの対話の中で構築された〈うつ病に人間学〉である。 助けられたい」願望――孤独な魂は、周囲に向かって助けを求める。それはよく狂言自殺の形をとって現れる。遺書めいたものを書いて、家人の目にふれやすいところに置いたり、死を口走ったり、感傷的になったり、反抗的になったり、家出めいた行動に出たりする。たいていのばあい、周囲は彼らの苦悩に気づいて、救いの手をさしのべる。しかし、ときによっては周囲の者がそれに気づかなかったり、放置したりしていると症状は進行する。そして重症になると、「助けられたい」気持ちは影をひそめ、「死にたい」気持ちが多くの比重を占めるようになる。――本書より
時刻表ひとり旅
時刻表ひとり旅
著:宮脇 俊三
講談社現代新書
本来見るはずの時刻表を丹念に読んでいくと、そこには超過密ダイヤを軽業師のようにさばくスジやさんの見事な腕前が浮かんでくる。ローカル線から通勤列車まで国鉄全線完乗の快挙! もしくは怪挙? をなしとげた著者は、また時刻表の40数年間におよぶ熱烈なファンである。ダイヤのつくられ方、全線区架空討論会、時刻表名所めぐりなど蘊蓄を傾けた本書は、思わずニヤリとさせながら、鉄道の旅へ誘う楽しい大人の読物である。 時刻表は<読む>ものだ! 達人が明かすマル秘愉しみ方 新幹線ひかりは東京──新大阪間に何本すれちがうだろうか、東北本線にある空白の1時間の意味は何か……。本来見るはずの時刻表を丹念に読んでいくと、そこには超過密ダイヤを軽業師のようにさばくスジやさんの見事な腕前が浮かんでくる。ローカル線から通勤列車まで国鉄全線完乗の快挙!もしくは怪挙?をなしとげた著者は、また時刻表の40数年間におよぶ熱烈なファンである。ダイヤのつくられ方、全線区架空討論会、時刻表名所めぐりなど蘊蓄を傾けた本書は、思わずニヤリとさせながら、鉄道の旅へ誘う楽しい大人の読物である。 一見すると、無味乾燥な数字の羅列。でも丹念に読んでいくと、ダイヤ作りに頭を悩ませるスジやの苦労から、日本の鉄道が直面している問題までもが見えてくる。そう、時刻表とは、大の大人が熟読するに値する書物なのである。その魅力とたのしみ方を、熱烈な愛読者がこっそり明かす。 鉄道に揺られて、ふらりと旅に出たくなる名著。待望の復刊!〔解説・原武史〕
電子あり
朝鮮語のすすめ 日本語からの視点
朝鮮語のすすめ 日本語からの視点
著:渡辺 吉鎔,著:鈴木 孝夫
講談社現代新書
日本語の特色は――と聞かれたら、「日本語は、主語や動詞をよく省く。動詞が文末にくる。単・複の区別があいまい。関係代名詞がない。」などと答えるだろう。ところが、朝鮮語もまったく同じなのである。一方、日本人が「――ですが……」と語尾をにごすのは、切り口上を避けるためといわれるが、朝鮮語でも語尾をにごすにもかかわらず、韓国人は、きついことばを平気で使い、議論をつくすことをよしとする。本書は韓国育ち、在日十五年の気鋭の言語学者が、肌で感じた日・韓の文化の違いを通して、朝鮮語の面白さを紹介した読者待望の書。
夢診断
夢診断
著:秋山 さと子,装丁:杉浦 康平,装丁:海保 透
講談社現代新書
永遠の時間と無限の宇宙を駆けめぐる夢は人間の意識と無意識の対話といえよう。心の奥に沈むエモーションはひきだされ、よろこびやかなしみの感情はドラマとしてあざやかに定着する。本書はシャドウ、ペルソナ、アニマ、アニムス、太母、老賢人などユングの元型のイメージや集合無意識の考えを駆使しながら一人芝居としての夢をあざやかに診断していく。漱石の夢、更級日記の夢、未開部族の夢などとともにユング研究所以来の著者自身の夢ノートをてがかりに、暗く、抑圧された衝動の表現としてではない人生をより豊かにしていく夢の可能性を語る。 夢と遊んでみる――最近、ヨーガや禅などを好み、実践的な精神的修行の一つとして、夢に興味をもつ若い人たちが増えている。そして、マンダラや仙人や大女神の夢を見る人たちも多い。その結果として、インドやネパールに出かけたり、世界を駆けめぐる計画を立てる人もいる。それは若さと深くかかわる自我膨張の一つかもしれないということは知ってほしい。それでもなお、山に籠ったり、外国へ出かけたい人たちを、わたしはとめる気はない。なにごとも計算ずくめで、若さを失なった感動なき人々に比べれば、はるかにましだと思うからである。夢は考えだすと、やめられないほどおもしろい。ただ夢を考える時は、夢の世界に呑みこまれないように、しっかりとした自分をもってほしい。いつか、夢にそれこそ夢中になって、おかげで試験勉強に手がつかずに、落ちてしまったなどと文句をいっていた若ものもいたけれど、そこまでわたしは責任をもつ気はない。――本書より
好きと嫌いの心理学
好きと嫌いの心理学
著:詫摩 武俊,装丁:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
「蓼食う虫も好き好き」ということわざのとおり、好き嫌いの感情は、人によってさまざまである。食物やひいきのスター、あるいは恋人、同僚、上司に至るまで、われわれの行動はこの不思議の領域によって大きく規定されている。なぜ特定の相手を好きになったり、嫌いになったりするのだろうか。本書は、多くの心理実験、調査を踏まえ、性格と相性、家族関係のもつ意味、好きになる条件、嫌いな人間との関係改善の方法まで、興味ぶかく語る快作。 同調傾向――恋人たちは趣味、嗜好、人生観などがしだいに似てくるようになる。お互いに接近し、同調するようになるのである。この過程は自分自身も気がつかないうちに進行することが多い。たとえば、彼がブルーが好きだというと自分も何となくその色が好きになり、それを基調にした服をつくってみたり、室内の装飾にもその色が多くなったりする。あるいは彼女がクラシック音楽が、好きだというと、自分もいつの間にそれが好きになってしまい、ジャズなどを愛好していた当時の彼を知っているものを唖然とさせることがある。どんな生き方に価値をおくか、どんなタイプの人間が好きか、どんな思想を信奉するかというようなことから、字の書き方、食べものの好き嫌いにいたるまで相互の好みは接近してくる。何となく話し方が以前と違ってきたと思ったら、それが恋人の影響だったということもある。――本書より
「般若心経」を読む
「般若心経」を読む
著:紀野 一義
講談社現代新書
人は時として人生に空しさを感じ、迷い、心の支えを求める。生きる力を、救いを与えてくれる世界はないものか。「般若心経」は、衆生の苦厄を救うために説かれた。この世に存在するすべてのものは、実体がない。ゆえに、迷いも、苦しみも、老いも死もなく、永遠のやすらぎがえられるという。「ぎゃあてい ぎゃあてい……」の呪文は、さとれる人への、それを目指さんとする人への讃歌である。信ずるとは、さとりとは、真実とは、「空」とは、「色」とは、生きるとは……。人が生きてゆくうえでぶつかる様々な悩みを通して、「般若心経」の真髄に迫る。 空しさの中にゆたかさを見る――たしかにこの世は空しい。人間のすることもあてにはならない。しかし、あてにはならないと思っているからこそ、時として、人間とはなんとすばらしい存在だろうと思えるのではないか。生きていることは確かにあてにならない。人の命はまことにはかないものである。だからこそ、今生きているということが、たとえようもなくすばらしいことだと感じとられるのではないか。そのとき、空しかった空(くう)はもう少しもむなしいものではなく、広大無辺なひろがり、神の胸、仏のふところ、あたたかな永遠の生命の中にぴったりと抱かれていることに気づく。それを「空即是色」というのである。そんなゆたかな、ゆったりとした、途方もない人生が、この世の中にちゃんと実在するのである。それを私たちは、「真実」と呼ぶのである。――本書より
ドイツ留学記(下)
ドイツ留学記(下)
著:渡部 昇一
講談社現代新書
「戸を高く開けよ 門を広く開けよ 光栄の主は来り給わんとす」ドイツの人々の生活はキリスト教と切りはなせない。人生への深い思索、外人への篤いもてなしの心、季節ごとの祝日など、すべてのことの根底にキリスト教の精神が色濃くただよっていた。ただ、過ぎし16世紀の“宗教改革”による分裂の影は今もなお残り、独特の心性が生みだされてきた。カトリックとエヴァンゲリッシェ(新教)、2つの教会という視点からドイツの歴史・文化への接近を試みた本書は、新鮮な観察と洞察に満ちたドイツ入門の書である。
ドイツ留学記(上)
ドイツ留学記(上)
著:渡部 昇一
講談社現代新書
「いざ越え行かん広き野を。いざ登らん晴れたる嶺の人気なきを……」この漂泊歌(ヴァンダー・リート)「青き花」の歌声ひびくところ、緑の野と広大な森は若者たちのものであった。ドイツの人々の自然を愛する心への共感、また、その合理精神、徹底性から生まれた生活や教育制度のありかたへの新鮮な観察から生き生きしたドイツの姿を描く。若き日を異郷の地に遊んだ著者が、厳しくも実り多き研究生活、友との放浪、楽しきパーティ、心篤き人々との交流を、真情こめてつづる。
生きるための幸福論
生きるための幸福論
著:加賀 乙彦,装丁:杉浦 康平,装丁:鈴木一誌
講談社現代新書
●幸福なるかな心の貧しき者、天国はその人のものなり──キリスト ●運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構──夏目漱石 ●苦しい時には、自分より不孝な男がいたことを考える──ゴーギャン 先達にかぎらず人間とは、生きることの意味を求めてやまない存在といえよう。精神医学者の眼ざしと、作家の観察が、死、個性、旅、秘密、読書などをとおして語る、こころゆたかな人生論ノート。
家族関係を考える
家族関係を考える
著:河合 隼雄
講談社現代新書
家族における人間関係は一様なものではない。一人の異性を選択することによって成立する夫婦というヨコの関係、血のつながりで運命づけられた親子というタテの関係、さらに兄弟姉妹、親戚、こうした複雑さから、思いがけない対立や葛藤が生じてくる。家庭内暴力、離婚……。家族のあり方は、われわれの生きていく基盤として今、根本から問いなおされなければならない。(講談社現代新書) 家族における人間関係は一様なものではない。一人の異性を選択することによって成立する夫婦というヨコの関係、血のつながりで運命づけられた親子というタテの関係、さらに兄弟姉妹、親戚、こうした複雑さから、思いがけない対立や葛藤が生じてくる。家庭内暴力、離婚……。家族のあり方は、われわれの生きていく基盤として今、根本から問いなおされなければならない。本書は、日本社会の特質を踏まえつつ、母・父・子の深層の関係を追求、われわれが自立した人間として個性的に生きる場としての家族のあり方を模索する。 危険思想――夫婦の絆は親子の絆と十字に切り結ぶものである。新しい結合は、古いものの切断を要請する。若い二人が結ばれるとき、それは当然ながら、それぞれの親子関係の絆を切り離そうとするものである。一度切り離された絆は、各人の努力によって新しい絆へとつくりかえて行かねばならない。この切断の痛みに耐え、新しい絆の再製への努力をわかち合うことこそ、愛と呼べることではないだろうか。それは多くの人の苦しみと痛みの体験を必要とするものである。このような努力を前提とせず、ただ二人が結ばれたいとのみ願うのは、愛などというよりも「のぼせ」とでも呼んでおく方が妥当であろう。他の何事をしてもいいが、「愛する二人が結ばれると幸福になる」という危険思想にだけはかぶれないようにして欲しい、と願いたくなってくるのである。――本書より
電子あり
文章構成法
文章構成法
著:樺島 忠夫
講談社現代新書
文章を書くことは考えることであり、読み手に理解させ、納得させることである。では――●“模範文にならって書きましょう”ではなぜ書けないか●感動したことをそのまま書けば、よい作文ができるか●何を書けばよいかわからない時、どうするか●主題の見つけ方に技術はあるか●ヘタな文章に型はあるか●トピックはどう生かすか――本書は、内容作りから、目的にあった表現の仕方まで、システマティックに文章を作りあげていくノウハウを豊富な実例と体験をもとに公開した。 どんな順序で並べるか――「ゆうべ、熊さんの家に強盗が入ってね」「へえ、それは大変だ。で、どうなった?」「日本刀でぐさりと腹を刺された」「気の毒になあ」「しかし、強盗はすぐあげられた」「そうかい」「熊さんとこは天ぷら屋だからね」こういう順序ならば、相手をうまく話に乗せることができる。しかし、「熊さんとこは、天ぷら屋だろ」「そうだよ」「ゆうべ、熊さんの家に強盗が入ってね」「天ぷら屋だから、すぐあげられたのだろ」順序をまちがえると、意図通りにはいかないことになる。読み手は、時間的な順序に従って次々に与えられる内容に反応する。その反応のしかたに、人間としての一般的な傾向があれば、その傾向をうまくとらえることによって、よい文章の型を設けることができる。――本書より
ピラミッドの謎
ピラミッドの謎
著:吉村 作治,装丁:杉浦 康平,装丁:海保 透
講談社現代新書
ギザの大ピラミッドは驚異と神秘に包まれ、いまもなお砂漠にそびえ立つ。ピラミッドは古代の天文台、あるいは大洪水に備えたタイム・カプセルだったという説も出されている。はたして、なんのために、そしてどのようにして、二百万を超える巨石を積み上げていったのだろうか。正確な方位、絶妙な傾斜角、不思議なバランスを保つ重力構造――。古代人の信じがたいまでの技術は、どう解釈されるのだろうか。本書は、最新の発掘調査の成果をふまえ、ピラミッド建造の真相からピラミッドパワーの神秘まで、五千年の謎に迫る。 πの謎――ピラミッドの比率の中には「円を四角にする」というむずかしい数字の解答があると主張する学者もいる。ピラミッドの底辺の四辺をその高さの二倍で割るとπ(パイ)の値になる。またピラミッドの底面積はその高さの二乗にπを掛けた値である。円周率が正式に認められたのはピラミッド建造後2500年以上もたってからのことであるから、この数値は驚異である。また、ピラミッドの三角面の高さを半径とする円を描くと、その円周とピラミッドの四底辺の長さが同じであるという関係ができる。――本文より
創造の方法学
創造の方法学
著:高根 正昭
講談社現代新書
西欧文化の輸入に頼り、「いかに知るか」ではなく、「何を知るか」だけが重んじられてきた日本では、問題解決のための論理はいつも背後に退けられてきた。本書は、「なぜ」という問いかけから始まり、仮説を経験的事実の裏づけで、いかに検証していくかの道筋を提示していく。情報洪水のなかで、知的創造はいかにしたら可能なのだろうか。著者みずからの体験をとおして語る画期的な理論構築法が誕生した。(講談社現代新書) 読み継がれて35年 知的創造の技術を 実体験から語ったロングセラー! 知的創造とは何か それは情報洪水のなかで、いかにしたら可能になるのか。 「われわれは、科学における知的生産のための基本的なルールを、 常識として、手に入れる必要があるのではないか。 そして大学教育においても既成の知識の獲得よりは、 むしろ新しい知識を自ら生み出す方法の訓練に、重点を置かなくてはならないのではないか。 このような知的生産の時代をわが国によびおこすため、 この書物が少しでも役に立てば、筆者としてこれに勝る喜びはない」(あとがきより) 【目 次】 1 方法論への道 知的創造とは何か 2 問題をどうたてるか 3 理論と経験とをつなぐ 4 科学的説明とは何か 5 数量的研究の方法 6 全体像をどうつかむか 7 現場の体験の生かし方 8 ジャーナリズムに学ぶ 9 方法論の一般理論へ 創造にむかって
電子あり
人間関係の心理学
人間関係の心理学
著:早坂 泰次郎
講談社現代新書
他人とまともに視線を合わさない人がいる。日本人には、対人恐怖症さえ少なくない。人びとが真の人間関係を見失ったのは、これと無関係だろうか。著者は、たんに和気あいあいの「よい人間関係」ではなく、「ほんとうの人間関係」を模索してきた。まなざしを、ただ相手に向けるのではない。瞳は“人見”であり、たがいに瞳をとどかせるのだ。その重さを説き人が真の人間関係を見出してゆく過程を描き出す。対人関係トレーニングでの、著書の豊富な体験をもとに、人間一般より、かけがえのない一人一人の人間のあり方を説く本書は、さまよえる現代人のための人生読本である。 とどかない視線――他人の眼を見つめることは勇気がいる。まして他人のまなざしを自分のひとみで受けとめることは、身もすくむ思いだ。……それはしかし、そのまなざしが、私のひとみに、私のなかまでとどいたときのことだ。視線がこちらに向かってはいるが、とどいていないとき、その人の眼は、たんなる眼球という物体にすぎない。そんなとき、その人の眼は生きた眼というより、瀬戸物のように見える。Tグループのなかでは、だれもがこうした経験をするが、日常の対人関係のなかでも、少し気をつければ気がつくにちがいない。――本書より