講談社現代新書作品一覧

適応の条件
講談社現代新書
異なる文化に接した場合の〈カルチュア・ショック〉は、日本人において特に大きい。そこには、日本社会の〈タテ〉の原理による人間関係と、ウチからソトへの〈連続〉の思考が作用している。本書は、欧米・インド・東南アジアなど、ソトの場での日本人の適応と、そこに投影された〈ウチ〉意識の構造を分析し、〈強制〉と〈逃避〉という2つの顕著な傾きを指摘する。(講談社現代新書)
異なる文化に接した場合の〈カルチュア・ショック〉は、日本人において特に大きい。そこには、日本社会の〈タテ〉の原理による人間関係と、ウチからソトへの〈連続〉の思考が作用している。本書は、欧米・インド・東南アジアなど、ソトの場での日本人の適応と、そこに投影された〈ウチ〉意識の構造を分析し、〈強制〉と〈逃避〉という2つの顕著な傾きを指摘する。著者のゆたかなフィールド・ワークをもとに、国際化時代の日本人の適応条件を考察する本書は、ベストセラー『タテ社会の人間関係』につづく必読の好著である。
システムの発見――ゴムの産地として名高いマレーシアでは、英国統治時代からいわれてきた「ラバー・タイム」というのがある。ゴムのように伸びる時間の感覚である。熱帯ではどの国でも多少こうした傾向があるのがつねである。これに対して、約束した日時を守らないといって2年間も憤慨しつづけて過す日本人などがある。何度か同じように日時が守られなかった経験をもった場合には、怒るよりも、まず「なぜだろう」と考えるべきである。必ず何か理由があり、そのおくれ方自体に一定のシステムがみつかるものである。たとえば、1ヵ月といった場合はだいたい2ヵ月を意味するとか。表現というものは必ずしも実際の数を意味しないということは、どこの文化にもあることである。――本書より

本はどう読むか
講談社現代新書
本書は、本の選び方、読み方から、メモのとり方、整理の仕方、外国書の読み方まで、著者が豊富な読書経験からあみだした、本とつきあう上で欠かすことのできない知恵や工夫の数々をあまさず明かし、あわせて、マス・メディア時代における読書の意義を考察した読んで楽しい知的実用の書である。そして同時に、ここには、読書というフィルターを通して写し出された1つの卓越した精神の歴史がある。(講談社現代新書)
昭和を代表する知識人の体験的読書論 待望の復刊
本の選び方、読み方、メモのとり方、整理の仕方、外国書の読み方――。
豊富な読書経験からあみだした知恵や工夫の数々を紹介する、
読んで楽しい知的実用の書。
【目次】
1 私の読書経験から
2 教養のための読書
3 忘れない工夫
4 本とどうつきあうか
5 外国書に慣れる法
6 マスコミ時代の読書

バロック音楽
講談社現代新書
バロック音楽は、ある意味でもっとも現代的な音楽である。いっさいの先入観を必要とせず、虚心に音の美しさにひたりきらせる純粋さ。楽譜は見取り図にすぎず、ジャズにも似て即興演奏が重視され、聞く者の心に応じた多様な接近が可能となる。バッハやヴィヴァルディに象徴されるようにロック・ファン、ポビュラー・ファンにまで幅広く愛されている理由であろう。本書は、バロック音楽に関する最良の解説書であり、ファン待望の書である。
現代に生きるバッハ――最近おもしろいレコードを聞いた。バージル・フォックスという教会オルガニストがロックの会場で、何万というロック・ファンの若者たちにバッハのオルガン曲を聞かせている実況録音レコードである。まともなバッハである。正統的な演奏といってしまってさしつかえないだろう。多少リズムを鋭くし、テンポをいくぶん速目にとっているが、バッハの音楽には何の変形も加えていない。ところが、若者たちはフォックスの演奏を口笛をもって迎え、バッハの音楽の展開につれ、だんだん興奮し、あげくのはては手拍子までとって熱狂してゆくあり様である。わたくし自身、彼の演奏を生で聞いているが、バッハの音楽との違和感を覚えないばかりか、むしろバッハの音楽の普遍性というか、包容性というものにあらためて感嘆してしまったのである。――本書より
書評再録(本書より)
●バロック音楽と、どこかで、ふと偶然に出会った人に、さらにこの世界にふみ入るための手引きとして、本書は書かれている。一応、歴史的な概説を軸としているが、固苦しい学問臭はほとんど感じさせず、著者の個人的体験をまじえながら、バロック音楽の現代人への問いかけの意味を、一緒に考えて行こうとする姿勢に貫かれている。――-読売新聞-
●氏は、音楽にたいしてつねに開かれた態度で接しようとしている音楽学者であり、バロック音楽のすばらしさを説きながらも、それをべつの時代やべつの民族の音楽に対する優越性とすりかえようとはしない。また宗教音楽についても、「日本人には真の理解は難しい」式の俗論とは破綻委に、バッハが教会のためにも世俗のためにも、いかに人間くさい音楽を書いたかを力説する。――-朝日新聞-

日本人の意識構造
講談社現代新書
子どもを危険から守るとき、日本人はかならず前に抱きかかえる。それはなぜか――。日常の何気ない動作や人間関係に表われる意識下の民族的特質に注目しつつ、ユニークな視点から日本人像をあざやかに浮かび上がらせ、独特の歯切れのいい会田史観を展開した快著。話題のロングセラーの新書版である。
短距離とマラソン――わたしたちはかならず、ひじょうに短い目標を定める。10日間がんばれ、20日間がんばれ、せいぜい1年間がんばれということになり、そういうときにはエネルギーが集中する。背中で対象を感得できる程度に短期目標であり、想像力でも把握できるように具体的な競争相手を明確に設定するとき、はじめて、その達成にひじょうな努力を払うということになる。突貫工事とか、追いつけ追いこせ、という形にするときひじょうにうまくいく。これは、内側を向いている人間の心理、内側を向いている精神的姿勢の特徴であろう。それは、ひじょうな長所であるかもしれない。一方、ヨーロッパ人に対して、3日間だけ、1年間だけがんばれといっても効果はすくない。壮大な長期目標がないと元気が出ないというのがヨーロッパ人、つまり外側に向いている人間の弱さである。――本書より
書評再録(本書より)
●日本人とは、どういう民族なのか、その特質はどこにあるのか、いまほど問題にされているときはない。国際的にもそうである。本書は、日本人の意識構造の特質を、独自の発想法でみごとにえぐり出している。――-毎日新聞-
●だれもが知っていること、逆に、だれもが見のがしていたことを手がかりに、日本人の長所や短所が、アメリカやヨーロッパと対比のうえで描き出されてゆく。……実にみごとな料理ぶりというほかない。――鯖田豊之氏-読売新聞-
●学問の通常のワクを越えた発想をしながら、それが単なる思いつくではなく、ユニークな体系にまで発展し、それが文化や時務の解明、批判の武器として活用されている……氏のものはいつも独自であり、新鮮である。――尾鍋輝彦氏-サンケイ新聞-

正しく考えるために
講談社現代新書
人間は「考える」ことなしには生きてゆけない。よりよく生きるとはよりよく考えることである。よりよく考えるにはどうしたらいいか。論理的に誤りのない「正しい」判断ができるだけの心構えと論理を身につけることである。本書は、ともすれば陥りやすい論理や判断の落し穴を具体例に即して教えた、考えるための手引書である。

愛すること信ずること
講談社現代新書
夫婦とはいったい何であろうか。人を愛するとは? 信仰に生きるとは?この人間に根本の問題を、著者は自らの生活を卒直に語りながら考える。ユーモアあふれる語り口で、深く、きびしく人生の機微をみごとにとらえた本書は、また、心あたたまる夫婦愛の記録でもある。
〈夫の歌を聞く〉――結婚して以来、わたしは心の底ででも、夫を軽べつしたことは一度もない。むしろ、わたしの口は「ハッキリ」とものを言うために、「ハッキリ」とほめてきたかもしれない。「うちにはテレビがないけれど、三浦が、歌が上手なものですから、テレビなどいらないんですよ」などと、ぬけぬけとわたしは言う。そして、三浦がうたってくれると、ウットリと三浦の顔を眺め、悲しい歌は涙を流して聞いてしまう。人から見ると、いい年をして馬鹿な女と笑われるかもしれない。だが、夫の歌がこの上なく楽しいことは、べつだん他人様の迷惑にはなるまい。夫婦なんて、それでいいんじゃないかと思う。聖書にも、人のことをあれこれ言うなと書いてある。「さばくな」と。――本書より
きらめくような鋭さ 田中澄江
仕合わせが満ち溢れているような本である。しかし、仕合わせをつかむことは、いつの時代でもむずかしい。三浦さんは、けっして、大げさでものものしい表現をとらず、日常生活の中から、ひととひととの結びつきのもろさと可能性を見つめつづけてこられた。その口あたりのよい文章には、一語一語に、きらめくような鋭さで仕合わせの意味があたたかく語られている。

失われた文明
講談社現代新書
かつて1万2千年前の地球上には、想像を絶するような高度に発達した文明が、花を開かせていた。重さ2千トンもあるような石の建築物、青銅の精錬技術を駆使した工芸品、空を飛ぶ器機などが作られていた。しかし、その文明は“大洪水”という世界的大異変によって、突然地球上から姿を消してしまった。本書は、この“失われた文明”を、沈黙の世界から、たぐり出し、ファンタジーの翼をひろげて、古代史の謎を系統的に総合的に追究する。
大異変はほんとうに起り得るか――この書物で述べられている1万2千年前の世界現在の世界地図に見られる海洋のうすい色のところは、すべて陸地であった。そこに栄えた高度な文明は、いかに想像を絶するものであったか、さまざまな神話や伝承、古文書が立証している。とはいえ、一旦栄えた文明が、途中で断絶することがあり得るだろうか。人間社会を全滅させるような大異変が、ほんとうに起り得るだろうか。こういった疑問を抱かれる読者は多いことと思う。しかし、今日の文明社会においてもまた、起り得るのである。たとえば、南極大陸をおおっている氷が、もし全部とけてしまったら、地球の多くの都市や土地はたちまち海底に没してしまうだろう。それは地軸が少し角度を変えたら、起り得るのである。このようなことを念頭に入れながら、読者は本書の内容を考えねばならない――著訳者のことばより
『失われた文明』に寄せて――東京大学教授 増田義郎
人間の文明史には、現代の科学や最高の学問をもってしても、まだ説明し得ない不可思議な伝説が、たくさん存在している。本書でも述べられているような世界各地にある“大洪水”の物語や高度に発達した文明に関する言い伝えなどがそうである。本書は、まだ解明されていない1万2千年前の空間的世界に入りこみ、多くの謎に満ちた現象に系統的な説明を加えている。さらに文明の発生への大胆な仮説をも提起している。大胆な発想は、しばしば歴史の解釈に新しいヒントを、与えることがある。本書もまた読者に、歴史の背後にある“沈黙の世界”を解明するヒントを与えてくれるであろう。

日本人はどこから来たか
講談社現代新書
日本人の起源は永遠の謎である。日本は古来文化のルツボであった、流れこむばかりでそこから出て行くことのない――。このルツボのうちそとの謎に、多くの先人が、果敢に挑み、先住民説・原人説・混血説などを説いた。本書は発掘物・言語など豊なデータをもとに、精密な推理を進め、江南要素を重視する。
〈日本人の起源に関する諸説〉歴史的にみると、まず、日本島には日本人以前に先住民がいたという、先住民論があり、その先住民がいかなるものであったかをめぐって、アイヌ説・プレアイヌ説・コロボックル説などがあらわれた。さらに日本人混血説をへて、ナショナリズムとのからみあいもあって、日本島には最初から日本人がいたとする日本原人論があらわれた。最近になって騎馬民族征服説なども出されたが、もちろんこの世界には、確たる定説はない。化石人骨・血液型・言語・石器・土器・各種の道具、そして稲作の問題など複雑なファクターを比較検討しながら、本書では、日本人の祖型には江南要素が濃厚であると結論する。

日本人の論理構造
講談社現代新書
どうせ、せめて、さすが、しみじみ・・・。
これらのことばが、どのような文化の中に生まれ、私たちをどのように性格づけてきたのか?
長年アメリカで日本語や日本文学を教え続けてきた著者が、身近なことばから日本人独特の心理を探りだしたユニークな文化論。
いまこそ読まれるべき名著の復刊。

文化人類学の世界 人間の鏡
講談社現代新書
文化人類学は人間諸科学を統合する新しい〈人間学〉として注目されている。しかし、未開社会の奇妙な習慣や親族関係や古ぼけた陶片などを調べて、人間に関するどんな新しいことがわかるというのだろうか。本書は、アメリカ人類学界の第一人者が、そんな疑問に豊富な実例をもって答えながら、人間を写す鏡としての人類学の魅力と考え方を楽しくかつあますところなく描きだした定評ある入門書である。

親鸞入門
講談社現代新書
出家仏教を捨て、法然を超えて、在家仏教をうちたてた親鸞……。親鸞ほど、救われない人間、卑小な自己の姿を、真正面からみすえた宗教者はあるまい。その親鸞が、なぜ、善人よりも悪人が救われるといったのか。なぜ、おのれの力にたよることをいましめ、他力にすがれといったのか。本書は、人間が生きているということの真実を、その深みにおいて把えた偉大な求道者の生涯と思想を描いた好著。
〈真実の生を求めつづけた人〉――親鸞は激動する鎌倉時代の初頭に、現実に生きる自己の在りようを念仏の教えを通して、探求していった求道者だった。かれの思想と実践は、さまざまな角度から、多くの人びとによって解明されるべきであろう。なぜならば、親鸞という求道者は、念仏とか信心という仏教のことばを独自の態度から解釈することをもって、本領としたからではなく、万人がそれを求めそれに依って生きるところの「真実」を求めつづけた人であったからである。私が本書を書いたのも、現代に生をけたわれわれが、「真実」を求めて歩んだ求道者親鸞から、各自の生きがいを見出したいと願うからである。――本書より

生きることと考えること
講談社現代新書
人間は経験をはなれては存在しえない。そして、ほんとうによく生きるには経験を未来に向かって開かねばならぬ。本書は、自己の生い立ちから青春時代、パリでの感覚の目ざめと思想の深まり、さらには独自の「経験」の思想を、質問に答えて真摯に語ったユニークな精神史である。
読者の皆さんへ――ここには、1つの精神の歴史が物語られています。森有正という、日本の思想界でもきわめてユニークな地位を占める1人の哲学者が自己を形成するにいたるまでのプロセスが、つつみかくさず物語られているのです。森氏は長い間、異国でのひとりぼっちの生活の中にあって、いやおうなしにすべてのできあいの観念を払いすて、自分自身の経験の上に思想を築き上げる道をえらばねばなりませんでした。観念をとおすことなく、自分の感覚に直接はいってくる事象をそのままうけとめ、そこから出発しておのずから1つの言葉に達する道を探索しなければなりませんでした。そうして獲得した独自の思想世界を、ここでは直截に、つまり経験をとおして思想を、「生きること」をとおして「考えること」を語っていただきました。――本書より
エロス的人間論 ―フロイトを超えるもの―
講談社現代新書

現代人のための仏教
講談社現代新書
2500年の間、多くの人々の心を支えてきた仏教思想は、いまなお、その新鮮な光を失っていない。人間の本性を見きわめ、真の生きがいをもとめようとするとき、それは限りない知恵をわれわれに与えてくれる。現代人の自己発見のしるべとして、仏教思想の根本を見直すことは意義あることだといえよう。本書は、釈尊から道元、親鸞と、その思索の跡をさぐりつつ現代人の生き方の指針をもとめて仏教の真髄に迫る好著である。

現代哲学事典
講談社現代新書
今日ほど、人間についての根源的反省が強いられている時代はない。本書は、古今東西にわたる人類の思索の集積を、現代的視点から455項目に整理、簡潔明晰な定義、主張をもりこんだ個性的記述、東西思想からのアプローチによってわれわれの立ちむかうべき哲学的課題を論述、さらには、比較哲学年表、論理記号一覧、有機的使用に耐える各種索引も併載して、〈読む〉〈引く〉2つの機能を兼ね備えた現代人必備のユニークな事典である。
思考武器としての哲学的概念――現代は、あらゆる領域でその根本的な前提にさかのぼる反省がもとめられている時代である。そして、その分析・追求の有効な武器として哲学的概念が用いられている。しかし、哲学上の術語は一般に難解だし、実際必ずしも正しい使い方がされているとはいえない。このことが、元来錯雑した現代思想に無用な混乱を加えている面も無視できない。かといって無性格で無味乾燥な概念規定が、この混乱を救えるはずもない。こんな考えもあって、前々から、個性的アプローチで読んで面白く、しかも必要事項はおさえてある、そういった哲学事典はできないものかと思っていた。現代哲学事典は、こうした方向で編集してある。――編者のことば
現代をどうとらえるか イデオロギーを超えて
講談社現代新書

道元入門-生の充実を求めるために
講談社現代新書
人は何によって生きればいいのか。自分とはいかなるもので、悟りとは、禅とは、修行とはどういうことなのか。道元はこうした疑問に正面から取りくんだ宗教史上に屹立する大思想家である。この偉大なる覚者の凝縮された珠玉の言葉を軸に、生涯と思想を的確に解説した本書は、道元思想への絶好の手引書である。
〈生の充実を求めるひとに〉 父母も兄弟姉妹も、師も友も、夫も妻も、恋人も、そして神や仏でさえも、頼りにならない。自分以外のものを信ずるほど、はかないことはないのです。結局、人生は孤独です。社会であれ、他人であれ、ひっきょう外に向かって忿懣をぶちまけて、それですんでいる間はいいのですが、やがてその眼が内に向けられて、肝心のこの自己がいちばん頼りにならないと分ったとき、人はどうすればいいのでしょうか。そうしたうちの幾人かは道元の名を聞き、宗教哲学の古典『正法眼蔵』を読もうと思い立つでしょう。本書は、そうした「本当の自己」を求める多くの人々に読んでほしいのです。――著者のことば
求道の姿勢を描き出す感銘の一書
いま読んでいる秋月龍みん氏の『道元入門』は素晴しい。「正法眼蔵」を理解していく踏み台として、まことに適切な書だと思う。禅宗だとか、曹洞宗だとかでなく、仏法の正伝ということに、道元禅師がどれほど徹底して正法眼蔵を説かれたか。この眼目を見事におさえて解説され秋月氏の筆には快い精気が感じられる。――中外日報・編集手帖から(本書より)

兄 小林秀雄との対話
講談社現代新書
批評家・小林秀雄は「Xへの手紙」「無常といふこと」「モオツアルト」「考えるヒント」など、作品を発表するたびに、日本の思想界、文学界に大きな影響を与えてきた。本書は、その小林秀雄を実兄にもつ著者が、歴史、ことば、古典、美、読書などについて、小林秀雄と縦横に語り合い、若人の直面する人生の課題に応えた異色の人生論である。難解だといわれる小林秀雄の考えを明らかにした書といえよう

「無」の思想 老荘思想の系譜
講談社現代新書
無とは何か、死とは何か。真理は言葉によってとらえうるのか。これらの根本命題を課せられた人間を思うとき、われわれは、無を拠点とする東洋思想から、あまりに遠く隔たりすぎたのではないか。本書は、言葉を超えた真理を追究し、自然に帰れと説く老荘の哲学を核に、東洋自然思想の系譜を、禅から親鸞、宣長、芭蕉へとあとづける。西洋合理思想になれ親しんだ現代人にとって、東洋的虚無の立場から存在の本質に迫る必読の書。
人間の言葉は、ありのままの真理をあらわすに不適当である。そこに荘子の「弁ずるは黙するにしかず」という主張も生まれる。それでは沈黙を守ることだけが、真理を伝える唯一の道なのであろうか。沈黙は言葉に対立するものである。たがいに対立するものは同じ次元の上にあることになる。言葉が真理を伝えることができないとすれば、沈黙もまた真理を伝えることができない。とすれば「非言非黙」のみが、残された唯一の道である。それでは非言非黙とは、具体的にどうすることであるか。それは言葉を用いながらも、言葉にとらわれないことである。禅宗風にいえば、言葉は月をさす指であり、月のありかがわかれば、邪魔になる指は切りすてるがよい。――本書・不立文字の思想より
読売新聞書評より(本書掲載)
本書はインド的なものとの出会いによる複雑な展開を充分に腹にすえながら、中国的な無の思想〈老荘思想〉の大本を明確にし、かつその思想の変容のあとを概説した。著者は中国思想の専門家、ことに道家思想の造詣において定評がある。その専門的知識を駆使して、老荘思想の展開に新指標を打ち立てた野心作である。仏教の空思想を知る上で、中国的無の思想の実態を心得ておくことは大切である。本書はそのような要望にも格好の手引き書となる。
英語を使いこなす
講談社現代新書
英語下手の日本人への効果的なアドバイス.言葉は目を通して論理的に学ぶより,耳を通して感覚的に覚えるほうが効果は大きい.不要なアレルギ-を取り除き自在に英語とつきあう方法を体験に則して説く.