講談社現代新書作品一覧

原稿の書き方
講談社現代新書
日本語はゆれている。「わが地所に不可能の文字はない」「献上の美徳あるのみ」と書く学生がいる一方では、「耳ざわりがよい」「乱ペン乱文にて失礼」という表現がまかり通る。現代は、だれもが原稿を書く時代である。しかも原稿が、メモや日記とちがって、他人に見せ、印刷されるものである以上、そこにはルールがあり、よりよい伝達のための工夫がなければならない。本書は、原稿用紙の正しい使い方から文章表現の技術まで、長年の経験に基づくノウハウを公開し、巻末には、現代日本語の標準表記と校正記号一覧を配した現代人のための文章教室。
固有の考えを共通のことばで――慣用句と、情報による発想の画一化に、決まり文句の危うさがある。「疎外」といえば、必ず「歯車」がくる。さらに、「ぎすぎすした」「とげとげしい」「しらけた」という一連の語がつづく。概念的に固定化してしまうと、それだけ自分のものが限定されてしまう。そこから、はみ出ている部分をも包みこむためには、ことばを精密に選ばなければならない。固有の考えを、共通のことばで表現する――それが文章表現の矛盾であり、本質である。――本書より

日本人の言語表現
講談社現代新書
日本語は微妙なニュアンスと深い陰影に富んでいる。さらに日本人特有の話し方、書き方が、日本語をいっそう複雑で、むずかしいものにしている。本書は、古典から現代の歌謡曲、CMまで幅広い材料を豊富にひきながら、ことばの奥底にひそむ心理を明らかにしていく。著者ならではの鋭い指摘、軽妙で、エスプリにみちた文章、ことばに対する暖かい眼はものの見方、文化の特質まで射程におさめる。
いうな、語るな――日本で話さない方が評判がいいのは、実は男も同様である。昔中学校時代に読んだ漢文の教科書に、貝原益軒の逸事が出ていたが、どこかの渡し舟の中で、乗り合わせた1人の若造がとうとうと経書を講義するのを益軒は黙って傾聴したという話しで、その奥ゆかしさをほめたたえていた。古くは、『今昔物語』の『源頼信朝臣ノ男頼義馬盗人ヲ射殺ス語」に、源頼信の寡黙が源氏の棟梁としていかにもふさわしい人格であったかのように書かれている。明治時代には大山元帥が、近くは山本五十六が沈黙の英雄としてたたえられた。男は黙ってサッポロビール、というコマーシャルは、この精神から作られた。――本書より

社会科学の考え方
講談社現代新書
人間にとって、社会とはなにか。知識とはなにか。そして人間とは、なんなのか。これらの問いに、社会科学はどのような方法で、どのように答え、危機に立つ現代社会をどこに導こうとするのか。ルソー、スミス、マルクスなどの方法や考え方も紹介しながら、つきつけられた課題と正面から取り組んだ、ユニークな社会科学入門である。
共通する思考様式――社会科学といっても、現実に存在するのは、経済学とか政治学とか法学とかいう個別社会科学の集合体=社会諸科学にすぎない。それにもかかわらず、社会諸科学に共通した問題・性格・思考様式というものが、あるのではないだろうか。さらに、すべての科学に共通したそういうものがありはしないか。人間は、社会をつくり、社会のなかで生活し、社会を変革する。かんたんにいえば、それが人間の生活なのであり、人間が自己を実現しようと永遠に努力する過程なのである。この過程で人間は、生きるために(人間らしく生きるために)、人間について考え、社会について考える。そういう思考が、社会科学を生むのである。――本書から

フロイト
講談社現代新書
エディプス・コンプレックス、超自我、サディズム……など、精神分析の考え方は、広く受けいれられている。しかし、フロイトがそこにいたる道は、けっして平坦ではなかった。ユダヤ人ゆえの迫害、“性”をあまりに重視したための、世間との大きな摩擦、そしてなによりも、“心”という目に見えない領域を探るためには、自分を患者にみたてて、鋭いメスをいれるという苛酷な作業が必要であった。精神分析は、フロイト自身の精神遍歴、家庭環境を抜きにしては理解しえない。
自分自身を犠牲にして――フロイトは彼自身の生活を露出したこと、自分自身のプライバシーを自ら侵害したこと、何人も口に出したくない自分自身についての個人的なものを公然としたこと、自分自身を研究対象にしたことを気にした。しかし、自分自身の生活の最も内面的な秘密をさぐることによって、彼は神経の病気の源泉に光を投げたのだ。他の領域において、顕微鏡、パストゥールのミクロの生物の発見が行なわれたのと同様の発見を、彼は医学の世界で行ない、暗黒のなかに光を与え、病気の源泉を見出す新しい方法を発見したのである。彼は、すべてのエネルギーを使い果たして、疲労困憊し、各方面の医学雑誌に『夢判断』の書評のためのコピーを送った。――本書より

地図の歴史 日本篇
講談社現代新書
地図とは未知の土地への探険行為の所産であり、いわば人間の歴史、人間に共通の言語でもある。ワクワクあるいはジパング──それは、異国にあってやはり世界踏破をめざした人びとが、憧憬の念をこめて名づけた東洋の島、日本の呼称である。西洋の地図に日本はどのように登場していったか。また日本人は、この列島の姿をどう認識していたか。本書は、遠く大化改新からの田図にはじまり、鎖国下の江戸に花開いたわが国の地図文化の跡を辿りながらそこに生きた人間のありようと、その息吹を伝える好著である。

日本語のこころ
講談社現代新書
ローマ人が「法」を平等原理とし、キリスト教徒が、「神の前の平等」を築いたとすれば、日本人の平等原理は「和歌」であった。「万葉集」の作者が、兵士・農民から天皇まで、あらゆる階層のみならず、帰化人まで含んでいることが、これを如実に示している。和歌をよくすること、つまり日本語の真髄を体得することで、日本人のアイデンティティは形づくられた。本書は、日本人にとって日本語がもつ独特な意味を、他言語・他民族との比較、和語と漢語の対照など、縦横の引例・傍証で明らかにした注目の労作。
民話の世界
講談社現代新書

地図の歴史 世界篇
講談社現代新書
未知の土地へのあこがれと征服欲、当時の世界観や測量技術の水準……。1枚の古地図が語りかけるものは無限だ。現代の常識からすれば、奇怪な形の古地図には、しかしこの地球を知りつくしたいという、人間のしたたかな意志が秘められている。さまざまな世界観を示す地図の歴史は、さながら人類の地球征服の絵巻である。本書は、未開民族からメルカトルをへて現代にいたる地図の変遷を、つづった快著である。
仏像に想う(下)
講談社現代新書
仏像に想う(上)
講談社現代新書

経済学はむずかしくない(第2版)
講談社現代新書
もっとも身近な活動でありながらも、複雑、難解に見える現代経済学。
ミクロ経済学、マクロ経済学、ケインズ理論はどのようにして生まれたのか?
基本に立ち返り、平明に経済の構造を解き明かした名著が待望の復刊!

二十世紀の世界 新書西洋史(8)
講談社現代新書
社会主義国家の誕生、アメリカの躍進、民主主義の勃興と植民地の相つぐ独立――第1次世界大戦の終結は、同時に欧州中心の歴史の終焉でもあり、全地球規模での多極化と激動の時代の開幕でもあった。本書は、米ソ対立の二極構造をこえて多極化し、イデオロギーと国益が複雑にからみ合い、急速に微妙に流動する現代世界の動向に新しい光をあてた意欲作である。
現代史の構造――ヴァスコ・ダ・ガマ、コロンブス、マジェランらの航海が行なわれてから後には、世界を区分けしたのは常に欧州であり、19世紀末までに、地球全体の支配という世界史上例のない事業を、ごく少数の欧州諸国がやってのけた。こうした欧州の世界支配を打ち砕いたのが2つの世界大戦であり、ワシントンとモスクワが世界を支配するようになった。しかし、それも10年か20年しかもたなかった。世界史の構造がかくも短期間に変容したということは、そのテンポがいかに早められたかを証明している。今日、科学と技術の発達で世界は一体化した反面、世界勢力は分散化しつつある。分散化という点だけに限ってみれば、世界は、ガマやコロンブスやマジェラン以前の世界に似てきたのである。――本書より

帝国主義の展開 新書西洋史(7)
講談社現代新書
科学技術の驚異的発達・超大企業の出現、資本主義の爛熟にともなう帝国主義的進出、そして、はじめての世界戦争、さらには革命……。ドイツ帝国の興亡によって特徴づけられるこの時代は、ヨーロッパ的価値観が世界を征服し、いまわれわれの生きている〈現代〉のあり方を決定した時代でもあった。本書は、揺れ動く歴史的世界の構造をグローバルな目でとらえなおし、現代史理解のための新たな視座を提供した意欲作である。
-今日の世界を理解する鍵-本署の叙述は、19世紀以来おこなわれてきた一国単位の歴史叙述の集約ではない。筆者の念頭にあるのは、全地表的規模の歴史的世界とその構造の問題である。とくに、19世紀的世界から20世紀的世界への構造的転換の問題である。というのは、グローバルな歴史的世界はまさにこの半世紀間の「帝国主義の展開」を通じて形成されたものにほかならないからである。この時期の歴史を知ることは、今日の世界を理解することなのである。――本書より

ノイローゼ
講談社現代新書
ノイローゼは、脳の生理的な病ではなく、健康な精神が社会への適応につまづいたときに起る精神の病である。ストレス、欲求不満、強迫観念など、集団生活が強いる精神的緊張が、自我の日常的なリズムを狂わせるところにノイローゼが生じる。本書は、競争社会であるがゆえに増加するノイローゼの精神病理を解明し、このおとし穴におちいらぬための自己コントロールの方法をさぐる。
隣組ノイローゼ――住居の近代化によって、日本人も、団地やアパートに住むようになってきました。ところが、このような生活には、個人主義の発達が必要なのです。他人の生活に干渉しないことや、他人の迷惑にならないようにすることは、欠くことのできないことなのです。それができない人たちが、共同生活をするとき、どうしても緊張が生じてきます。私はかつて、これを隣組ノイローゼとよんだことがありましたが、今日では、団地ノイローゼとかアパートノイローゼというべきものが多くなっているといえましょう。――本書より

絶対王政の時代 新書西洋史(5)
講談社現代新書
太陽王ルイ14世が、はなばなしく活躍した時代は、近代社会へと、歴史が転換する激動の時代であった。僧侶・貴族から、その権力を奪い、絶対的統治権を手にした国王は、16-18世紀の300年間に、内に外にと勢力を膨張させ、植民地を通しての東西貿易によって、近代国家への発展の基礎をつくりあげた。また、哲学、文学、美術、音楽、自然科学などの分野で文化の花が開いた。この躍動する時代を、“ヨーロッパとは何か”という視点で把らえ、「転換期の歴史」の鼓動をつかむ。
統一と分裂の中のヨーロッパ――ヨーロッパの歴史は、政治的にみれば統一と分裂の2つの対極のあいだを揺れ動いているともいえる。ここに述べる絶対王政の展開は、まさにそのようなヨーロッパ的分裂化の端的な表現である。諸国家は自国の独自性と独立主権を強く主張し、すべてを自国の利害において計算し行動する。他国の富と繁栄は、自国の貧と衰退と考える。このような極端なヨーロッパの政治的分裂化にもかかわらず、実は、その内部では、絶対王政という政治形態をとって、1国の優位に対して、他国家が同盟して、その専横を阻止するという勢力均衡の原則が働いていた。――本書より

須弥山と極楽 -仏教の宇宙観-
講談社現代新書
須弥山とは高さ56万キロ、33人の天神が住む想像上の高峰である。紀元5世紀、インドで集大成された『倶舎論』は、この須弥山にはじまり、人間が宇宙をどう把えていたかを、詳細に描写している。本書は、この『倶舎論』を基礎に、仏教の宇宙観の変遷をさぐり、輪廻と解脱の2つの思想の誕生・発展の経緯を明らかにし、その現代的意味を説く。
輪廻と解脱の思想――仏教にはさまざまな経典や言葉があるけれど、結局は輪廻と解脱の2つの思想に帰するといえよう。仏教者はこうした輪廻的宇宙と解脱への道との両方を、それぞれ吟味し、研究し、やがてそれらを1つの壮大な体系にしたてあげた。そのような体系を示す書物の1つに、インド5世紀の仏僧ヴァスバンドゥの『倶舎論』がある。この中に須弥山説と呼ばれる仏教宇宙観が示されている。これが、後に“地獄と極楽”にまつわるさまざまな考え、描写へと発展し、日本にも大きな影響をあたえた。一見、過去のもの、われわれとは無縁のものと思われる仏教宇宙観も、実は、いまや新しい世界観を樹立する上で、重要な役割をになおうとしている。――本書より

異常の構造
講談社現代新書
精神異常の世界では、「正常」な人間が、ごくあたりまえに思っていることが、特別な意味を帯びて立ち現われてくる。そこには、安易なヒューマニズムに基づく「治療」などは寄せつけぬ人間精神の複雑さがある。著者は、道元や西田幾多郎の人間観を行きづまった西洋流の精神医学に導入し、異常の世界を真に理解する道を探ってきた。本書は現代人の素朴な合理信仰や常識が、いかに脆い仮構の上に成り立っているかを解明し、生きるということのほんとうの意味を根源から問い直している。
「全」と「一」の弁証法――赤ん坊が徐々に母親を自己ならざる他人として識別し、いろいろな人物や事物を認知し、それにともなって自分自身をも1個の存在として自覚するようになるにつれて、赤ん坊は「全」としての存在から「一」としての存在に移るようになる。幼児における社会性の発達は、「全」と「一」との弁証法的展開として、とらえてもよいのではないかと私は考えている。分裂病とよばれる精神の異常が、このような「一」の不成立、自己が自己であることの不成立にもとづいているのだとすれば、私たちはこのような「異常」な事態がどのようにして生じてきたのかを考えてみなくてはならない。――本書より

考える技術・書く技術
講談社現代新書
「情報過多の時代だから情報処理の技術を心得ておかないと翻弄されることになる」とは、
1973年刊行の本書に書かれていること。
さらに情報に振り回される現代こそ、本書の価値は高まっています。
学生・新社会人も必読!
「頭がいいとか悪いとか、ふだんよく使われる表現だが、もともとどういう意味があるのだろうか? (中略)
わたくしも教師生活を二十年近くは経験しているけれども、九十五点の学生と八十三点の学生の間に、
頭のよしあしの差があると思ったことは、いちどもない。
試験とはせいぜい、怠けているかどうかを知るのと、勉強をはげます程度にしか役立たないように思う。
学校の成績や入学試験にいたっては、競馬の勝ち負けより少しましだといったくらいのものだ。
とにかく信じられているほどには頭のよしあしとは関係がなさそうだ」
「独創とか創造とかについて、わたくしは日米あわせて五十冊くらいは参考書を読んだが、
(中略)すべてに共通することは、型にはまった考え方から離脱するために心身を訓練することであった。(中略)わたくしは、この態度をバンカラと呼んでいる」(本文より)
○脳は刺激を与えないと悪くなる
○「いつも」「みんな」という言葉は使うな
○朝は新聞を読むな
○ときどき、ふだん自分が興味のないジャンルを含め、あらゆる雑誌をまとめて眺め通すと、
頭のしこりがほぐれる(ブレーン・ストーミング読書)。
○精読するときは、黄色のダーマト鉛筆を使って気になる部分に線を引く
○読み返しのときは、しばらく時間をおく
○日本語はピラミッド型、英語は逆ピラミッド型。だから英語を聞き取るためには、文の 最初に注目する。
○自分に必要な情報を保存するとき、見出しをつけるときは「名詞」ではなく「動詞」を 使う
○保存する引用、要約に自分の見解を加えるときは、色を変えて書く
○アイデアを妨げるのは、「自分にはできない」という否定的な自己暗示
○相手に理解し、同調してもらうためには、「仲間意識」をつくりあげる
○読み手を味方にするには、私小説的アプローチを入れる
○数量化は大切
○自分の説と他人の説の区別は重要

美について
講談社現代新書
山河の美しさ、芸術の美しさ、人格の美……美は、さまざまな位相をとって人間の前に立ち現われ、より高い価値へとひとをいざなう。では、ひとはいかにして「美」を発見し、どのようにこれを受け入れてきたのか。最高の美とはいかなるものなのか。本書は、美についての理念の変遷や芸術の展開と関連づけながら、その存在論的意味を解明した美についての形而上学である。
美は人間の希望である――真と善と美とは人間の文化活動を保証し、かつ、刺戟してやまない価値理念である。真が存在の意味であり、善が存在の機能であるとすれば、美は、存在の恵みないし愛なのではなかろうか。われわれは美しい山河を眺めただけですら、救われた思いに浸る。卓越した芸術作品の美に接すれば、人間の偉大さにうたれ、自分が人間に属することを誇りに思うであろう。美は、たしかに、挫折し苦しむことの多いわれわれに差し出された存在の光りのようにも思われるではないか。美はこのようにして、人間の希望である。この輝かしい経験内容である美を反省しないでいることは、人間の栄光と喜びとについて考えずにおくことになる。――本書より

文明のあけぼの 新書西洋史(1)
講談社現代新書
石器や象形文字が語る古代人の奔放な活動の足跡――。本書は文明の発祥から、豊穰な文化遺産を残したエジプト・オリエントまで、連綿たる西洋文明の基礎となる古代人たちの知恵と信仰、さらには戦いと平和の歴史を、いきいきとよみがえらせた。ロゼッタストーンの解読、遺跡の発掘などにまつわる興味深いエピソードなどもまじえながら、西洋古代文化の構造と特質を平易に解明した好著である。
新たな時代区分――本書では古代を、始原、古拙、古典の3時代に分けて、文化を総体的にとらえ、歴史の主要な動向をたどってみたいと思う。ここで、歴史のはじめを「原始」といわず、「始原」と呼んだのは、それなりに理由があるからである。「原始」という語は、一般に低級な文化を示すために早くから使用され、遠古の文化に対しても、また、現今の未開文化に対しても適用されてきたため、そこには救いがたい混乱が見られるのである。ひとしく低級ではあっても、この2つの異質の文化を明確に区別することが必要であり、そのためには、しかるべき術語を用意しなければならない。――本書より