講談社現代新書作品一覧

新書東洋史(3)中国の歴史3 征服王朝の時代 宋・元
新書東洋史(3)中国の歴史3 征服王朝の時代 宋・元
著:竺沙 雅章,その他:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
唐帝国滅亡後の中国は五代十国に象徴される征服王朝が相次いで成立し、漢民族と遊牧民族との抗争の時代に入る。このめまぐるしい社会変動の中から、統一を勝ちとった宋は、生産力の増大、商人の勃興、王安石の新法と一大変革期を、つくりあげた。しかし、その間の党派争いや華北と江南の発展のひずみは、金の台頭、北宋の滅亡を招き、ふたたび中国は遊牧民族モンゴル帝国・元の支配下におかれる。本書は、この征服王朝600年の時代精神を解明する。 異民族に支配された中国――中国人はむかしから自らを夏とか中華と称して高度の文明をほこり、周辺諸民族を夷狄蛮戎(いてきばんじゅう)とよんで、軽蔑した。そして夷狄は中国に服従して文明の恩恵にあずかり、教化されるべきものとみられてきた。それが今や、中国人が「夷狄」に支配され、野蛮な異民族と見下していたものの命令に従わねばならなくなったのである。そうした境遇に身をおかねばならなくなったとき、中国の人々はどのように行動したのであろうか。さらに征服王朝の統治策が、それぞれ従来の中国諸王朝とは異なったものであるとすれば、それが中国の社会をどのように変え、後の時代にどのような影響を、及ぼしたのであろうか。われわれは600年にわたる宋・元の時代を、漢民族と異民族の対立抗争を軸にしてながめてゆきたい。――本文より
新書東洋史(2)中国の歴史2 世界帝国の形成 後漢・随・唐
新書東洋史(2)中国の歴史2 世界帝国の形成 後漢・随・唐
著:谷川 道雄,その他:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
秦・漢帝国の崩壊は、中国古代世界の解体を告げる。三国時代・五胡十六国・南北朝の動乱のなかからは新しい時代への息吹きがあらわれ、文化の型もめざましい変容をみせる。貴族階級が時代のにない手として登場し、隋・唐帝国による再統一がなされると、その潮流は大きなうねりとなって、朝鮮・日本へと波及していった。本書は、貴族階級の擡頭と世界帝国の形成を二本の柱に、中国中世社会の構造を解明し、東アジア世界を結ぶ歴史の糸を、あざやかに描き出した。 東アジア世界の成立――隋唐帝国と古代日本との“出会い”は、決して偶然の産物ではない。隋唐帝国形成の第一歩は紀元3世紀にふみ出されるが、それはまた、わが古代国家の原初形態を示す邪馬台国の時代でもあった。高句麗の出現はそれよりやや早いが、しかしそれも第1のピークである秦漢時代の終末を告げる事件であった。そして、7世紀後半、唐、奈良朝日本、統一新羅と並び立ったとき、真に東アジア世界とよぶべき歴史世界が成立したのであった。それはいわゆる隋唐世界帝国の重要な一環をなすものであるが、この国家群を1つに結びつけた歴史の糸とは、はたしてどのようなものであったであろうか。秦漢帝国の解体によって四分五裂の運命に立ち至った中国社会が、再び結合統一されて隋唐帝国を形成するその過程は、どのような原理によってみちびかれたのであろうか。――本書より
新書東洋史(1)中国の歴史1 中国社会の成立
新書東洋史(1)中国の歴史1 中国社会の成立
著:伊藤 道治,その他:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
藍田・北京原人以来、中国文明は世界に偉容を誇る。黄河流域の歴史上はじめての国家〈殷〉〈周〉。〈春秋〉〈戦国〉の動乱のなかから広大な大陸を統一した〈秦〉〈前漢〉。最近次々発掘される考古学の驚異的データをもとに、著者のとぎすまされた史眼はめまぐるしく変わる時代の意味と構造をシャープに解剖し、古代中国を現代にあざやかに甦らせた。中国史に偏することなくアジア全体の歴史を見とおす新書東洋史は本巻よりスタートする。 祭祀と甲骨文――殷文化の発見の緒口(いとぐち)をひらいた甲骨文とはいったいどういうものであろうか。新石器の竜山文化以来中国では広く大型哺乳動物である羊・鹿・牛・豚などの肩甲骨を使って卜占を行なう風習が見られる。肩甲骨の裏側に燃える細い木をおしつけ、一部分を急激に膨張させると、表面に亀裂ができる。その亀裂の具合で吉凶を判断した。ところが、殷の中期後半になると、哺乳動物の肩甲骨のほかに、亀の腹甲も使用するようになり、後期になると安陽や鄭州など――ただし鄭州ではまだ二、三例しか発見されていないが――では、肩甲骨や亀甲に何を卜(うらな)ったかをするどいナイフで刻って記録するようになる。それが甲骨文字であり、またほとんどの内容が卜占の内容であるので、卜辞ともよぶ。――本書より
聖書の起源
聖書の起源
著:山形 孝夫,装丁:杉浦 康平,装画:海保 透
講談社現代新書
聖書は、神話と伝承につつまれた、人間歴史の壮大なドラマである。旧約聖書や新約聖書にみられる奇跡と驚異の物語は、古代オリエント地域に生きた“神々と人間”ののぞみの結晶である。聖書の起源には、土地を求めてさまようイスラエルの民がおり、神ヤハウェとの契約を成立させる土地の祭りがある。また救い主キリストの背後には、カナン地域の死と復活の神々、病気なおしの神々の系譜がある。本書は、聖書を教典としてみるのでなく、古代オリエント地域にある多くの伝承断片が、なぜ聖書へと結実していったのか、その過程と謎を解明する。 伝承文学としての聖書――聖書には旧約聖書があり、新約聖書がある。どちらも、その内容については、別個の独立した文学の集成としかいいようがない、膨大な文書の集成なのである。旧約聖書39巻、新約聖書27巻、ページ数にして1700ページをこす。もちろん一言の説明も、あとがきもない。製作年代もマチマチ、作者も多くは不明である。というより本来が作者不詳の口承文学、あるいは伝承のたぐいに属するものが多い。こうした謎につつまれた聖書を前にして、それにもかかわらず、聖書に起源があるという事実は、何という大きな魅力であろうか。この魅力のすべては、その内容から発している。――本文より
いかに生きるか
いかに生きるか
著:森 有正
講談社現代新書
私たちの人生にとって大切なのは、人間経験の深まりである。それが人格をつくり、自立した個人を育て、生きる道を明らかにする。私たちは、その「経験」を、どのように深めてきたか。著書は自らの「経験」を、問い直しながら、日本的な人間関係、社会組織、情緒観などを省察し、日本人の“生”のありようを、真摯に追究する。そのとぎすまされた批判力と、みずみずしい感覚、生を凝視してきた精神の深みは、根源的な問いへの回答を用意するだけでなく、私たちに生きる勇気を与えてくれる。 思索と「経験」の深みから――本書の主題は、「いかに生きるか」ですが、それは、自分がいかに生きたかを包み隠さず、凝視する精神と1つになっています。このような点において、森有正ほどに、自分をかざらずに、裸の1人の人間として、自由に、勇気をもって、この困難な問いの核心に侵入できる知性は、存在しないのではないかと思います。すべての硬直した思考やイデオロギーから自由なところで、しばしばキリスト教的有神論からさえも自由なところで、生き生きと森有正は、生きることの問題について語っています。そこにみられるとぎすまされた批判力と、みずみずしい感覚は、読者の心をとらえずにはおかないでしょう。知性の高みが、経験の深みと、見事に一体化しているのです。ここに森有正の独自な世界があります。――解題・山形孝夫
新書日本史(7)近代の潮流
新書日本史(7)近代の潮流
著:飛鳥井 雅道,その他:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
維新とともに開かれた新生日本の前途には、さまざまな難問が山積していた。文明開化の急テンポの歩みは、はなばなしい発展の影に、《遅れてきた国家》の苦悩を露呈していった。列強諸国との角逐は、国家の名のもとに資本主義の急成長を促し、戦争から戦争への綱わたりを余儀なくさせた。本書は、日本近代化の特殊性を掘りさげ、独走する権力に抵抗をつづけた民衆の栄光と悲惨を軸に、明治から大正への多難な歩みをまざまざと描きだした。 「大日本帝国」のまぼろし――新しい日本は、外圧にさらされて登場しただけでなく、アジアでおくれて近代化しようとした数少ない国家だった。国内変革は通説以上に、かなり徹底しておこなわれようとはしたが、日本の国力の自前だけで、欧米列強に対抗することはできなかった。明治・大正・昭和の歴代の政府は、この矛盾をたえまない対外侵略と戦争とによって切りぬけようとしたのである。政府はこの戦争から戦争への綱わたり、戦争の自転車操業のあいだに軍部と官僚制を肥大化させ、国民とアジア民衆を抑圧しつつ、世界の「一等国」へのコースをひた走りに走っていったのだった。もちろん日本国民は、この一連の戦争に意識的、無意識的に抵抗はし続けたが、同時に、すくなからぬ部分が勝利の幻影に酔い、「大日本帝国」のまぼろしに加担したことも避けてとおることはできない。ここに近代化に成功した日本民衆の栄光と悲惨がある。――本書より
出雲神話
出雲神話
著:松前 健
講談社現代新書
国引き、八岐大蛇、国譲りなど日本神話のなかで出雲の果たす役割はなぜか大きい。大和朝廷にとって幽界の地出雲とは、どのような意味を持っていたのか。本書は、記紀、風土記、神賀詞などの文献資料と歴史学、神話学の蓄積を縦横に駆使しながら、巫覡祭祀説によって出雲神話の実像を明らかにする。スサノオ、オオクニヌシ、スクナヒコナなどなじみぶかい神々の世界をとおして日本神話に新たな視点と生命を与えた。 2つの出雲神話の食い違い――『出雲国風土記』の多くの伝承の中で、記紀に共通もしくは近似の伝承があるかというと、ほとんど見出せない。また逆の場合もそうである。また記紀と共通して登場する神格にも、同じ物語は、ひとつも見あたらない。これは不思議なことである。簸の川の上流のできごととされるスサノオの有名な八岐大蛇の話も、『風土記』の大原郡斐伊郷の条を見ても、触れられていない。『古事記』のオオナムチの生い立ちの話にある、八十神によるさまざまな迫害や、根の国での試練の話も、『風土記』にはない。神々の神統譜も、どうやら記紀のそれとはかなり異なったかたちで考えられていたらしい。――本書より
新書日本史(6)改革と維新
新書日本史(6)改革と維新
著:原田 伴彦,その他:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
石高制と身分制に象徴される幕藩体制は18世紀中頃から、その堅固さを次第に失っていった。吉宗の「享保改革」をはじめとする三大改革は、封建社会を維持しようとする対応策であった。本書は、黒船という外圧だけでなく、内側においても近代への準備が着々と進んでいたことを明らかにし、江戸から維新への激動期を描きだす。同時に、凶荒と一揆のなかでしたたかに生きた農民の姿といまも生きる庶民芸術を歴史のなかに位置づけた意欲作。 商品経済――近世の幕藩体制は一定の段階での商品貨幣経済の展開の上に成立しえたのであって、もともと自給自足的な自然経済状態とは縁の遠いものであった。武士階級が専門的武士団として城下町に集住したのは、兵農分離の完成すなわち農民から武力を奪い取り、家臣団を掌握する軍事的、政治的必要から生じたものである。近世初頭に大名がきそって城下町を建設したのはこのためであり、その場合、商工業者を都市に集中させたのは、ひとつには、支配する在地の農村から離れて消費者集団となった武士に物資を補給させるのと、農村における商工業的、流通的要素を都市にプールして農村における自然経済状況を維持しようとする意図があったわけである。城下町はもともと商品経済がなくては存立しえぬものであった。――本書より
俳句のたのしさ
俳句のたのしさ
著:鷹羽 狩行,その他:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
日本人にとって、俳句は親しく固有な文学表現である。どこほど多くの人が、めぐりくる四季の気配や、日々の歓び・哀しみを、この五七五のしらべに托してきたことか。俳句のたのしさは、まず、自分で作るたのしさにある。句眼の据え方にはじまり、手垢のつかないことばの創造、一句の完成にいたる、凝視と単純化のプロセスをくわしく手ほどきし、〈真相〉〈象徴〉〈しらべ〉〈破調と定型〉〈字余り〉〈季感〉〈写生〉などの句作の要点を、200に及ぶ秀句から解き明かした、魅力あふれる“読む俳句教室”。 句の姿の完成――高嶺星蚕飼の村は寝しづまり 水原秋櫻子 人の多い平地や都会よりも高いところに、養蚕にいそしむ村があります。村人は夜更けまで働き、それが終わってやっと静かになったというのでしょう。この句は上五の「高嶺星」ということばで完成したと思います。たとえば“星の下”であっては、村の位置が分かりません。「高嶺星」といったために、村が周囲を山にかこまれた盆地であることがあきらかになりました。茫漠としてさえぎるもののない平野の星であれば、むしろ騒がしいような活気が感じられましょう。が、見上げる天頂だけに星があり、あとは山々だけという情景が「高嶺星」で、この語が地形を暗示するばかりか、人里を遠く離れた奥深い、静かな山国であることを感じさせます。けっきょく、この作品は「寝しづまり」の静寂をいおうとしているわけで、それが「高嶺星」の一語を選んだことでみごとに完成されたのです。――本文より
知的生活の方法
知的生活の方法
著:渡部 昇一
講談社現代新書
知的生活とは、頭の回転を活発にし、オリジナルな発想を楽しむ生活である。日常生活のさわがしさのなかで、自分の時間をつくり、データを整理し、それをオリジナルな発想に結びつけてゆくには、どんな方法が可能か? 読書の技術、カードの使い方、書斎の整え方、散歩の効用、通勤時間の利用法、ワインの飲み方、そして結婚生活……。本書には、さまざまなヒントとアイデアが、著書自身の体験を通して、ふんだんに示されている。 累計部数118万部超!! 講談社現代新書史上最大のベストセラー!! 「この本で私が意図したことは、本を読んだり物を書いたりする時間が生活の中に 大きな比重を占める人たちに、いくらかでも参考になることをのべることであった。 私は読書論とか学者の伝記を読むのが好きである。そして『なるほど』と思われたことは 自分でも工夫してみた。真似してよかったものもあるし、真似しきれなかったものもある。 (中略)そんなことを体験に即してのべてみたいと思った。(中略) 知的性格についての本が、現代の読者のためにも必要なのではないか、と思ったのは、 二十数年前に読んだハマトンの『知的生活』を数年前によみかえし、去年と今年また読みかえして非常な啓発を受けたからである。 上智大学の若い同僚たちや、大学院の学生たちにもすすめたところ、この人たちも非常な感銘を受けたようであった。 確かに知的生活に対する具体的なアドヴァイスが現代でも求められているのである」 はじめにより 日常生活の中で、頭の回転を活発にし、オリジナルな発想を楽しむ。それが「知的生活」 改めて2010年代に生きる私たちに本当にたいせつな生活スタイルです。 時間に追われる現代人が、頭を活性化し、ユニークな発想を生み出すにはどうすればよいのか?  パソコン・スマホが普及するはるか以前、1976年に発行された本書ですが、そこには依然として「使える」ヒントが満載です。 多忙な日々でいかに自分の時間を作り、データを入手・整理し、それをオリジナルな発想にまで高めて行くのか──。 むしろ本書が提示するさまざまなヒントは、情報氾濫の時代である現代にこそ、ますます有効なものになっています。 ビジネスにも、またプライヴェートの充実のためにも必読の、現代人のための永遠のロングセラーです。
電子あり
原稿の書き方
原稿の書き方
著:尾川 正二,その他:杉浦 康平,装丁:海保 透
講談社現代新書
日本語はゆれている。「わが地所に不可能の文字はない」「献上の美徳あるのみ」と書く学生がいる一方では、「耳ざわりがよい」「乱ペン乱文にて失礼」という表現がまかり通る。現代は、だれもが原稿を書く時代である。しかも原稿が、メモや日記とちがって、他人に見せ、印刷されるものである以上、そこにはルールがあり、よりよい伝達のための工夫がなければならない。本書は、原稿用紙の正しい使い方から文章表現の技術まで、長年の経験に基づくノウハウを公開し、巻末には、現代日本語の標準表記と校正記号一覧を配した現代人のための文章教室。 固有の考えを共通のことばで――慣用句と、情報による発想の画一化に、決まり文句の危うさがある。「疎外」といえば、必ず「歯車」がくる。さらに、「ぎすぎすした」「とげとげしい」「しらけた」という一連の語がつづく。概念的に固定化してしまうと、それだけ自分のものが限定されてしまう。そこから、はみ出ている部分をも包みこむためには、ことばを精密に選ばなければならない。固有の考えを、共通のことばで表現する――それが文章表現の矛盾であり、本質である。――本書より
日本人の言語表現
日本人の言語表現
著:金田一 春彦,装丁:杉浦 康平,装丁:海保 透
講談社現代新書
日本語は微妙なニュアンスと深い陰影に富んでいる。さらに日本人特有の話し方、書き方が、日本語をいっそう複雑で、むずかしいものにしている。本書は、古典から現代の歌謡曲、CMまで幅広い材料を豊富にひきながら、ことばの奥底にひそむ心理を明らかにしていく。著者ならではの鋭い指摘、軽妙で、エスプリにみちた文章、ことばに対する暖かい眼はものの見方、文化の特質まで射程におさめる。 いうな、語るな――日本で話さない方が評判がいいのは、実は男も同様である。昔中学校時代に読んだ漢文の教科書に、貝原益軒の逸事が出ていたが、どこかの渡し舟の中で、乗り合わせた1人の若造がとうとうと経書を講義するのを益軒は黙って傾聴したという話しで、その奥ゆかしさをほめたたえていた。古くは、『今昔物語』の『源頼信朝臣ノ男頼義馬盗人ヲ射殺ス語」に、源頼信の寡黙が源氏の棟梁としていかにもふさわしい人格であったかのように書かれている。明治時代には大山元帥が、近くは山本五十六が沈黙の英雄としてたたえられた。男は黙ってサッポロビール、というコマーシャルは、この精神から作られた。――本書より
社会科学の考え方
社会科学の考え方
著:水田 洋,装丁:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
人間にとって、社会とはなにか。知識とはなにか。そして人間とは、なんなのか。これらの問いに、社会科学はどのような方法で、どのように答え、危機に立つ現代社会をどこに導こうとするのか。ルソー、スミス、マルクスなどの方法や考え方も紹介しながら、つきつけられた課題と正面から取り組んだ、ユニークな社会科学入門である。 共通する思考様式――社会科学といっても、現実に存在するのは、経済学とか政治学とか法学とかいう個別社会科学の集合体=社会諸科学にすぎない。それにもかかわらず、社会諸科学に共通した問題・性格・思考様式というものが、あるのではないだろうか。さらに、すべての科学に共通したそういうものがありはしないか。人間は、社会をつくり、社会のなかで生活し、社会を変革する。かんたんにいえば、それが人間の生活なのであり、人間が自己を実現しようと永遠に努力する過程なのである。この過程で人間は、生きるために(人間らしく生きるために)、人間について考え、社会について考える。そういう思考が、社会科学を生むのである。――本書から
フロイト
フロイト
著:ラッシェル・ベイカ-,装丁:海保 透,訳:宮城 音弥,装丁:杉浦 康平
講談社現代新書
エディプス・コンプレックス、超自我、サディズム……など、精神分析の考え方は、広く受けいれられている。しかし、フロイトがそこにいたる道は、けっして平坦ではなかった。ユダヤ人ゆえの迫害、“性”をあまりに重視したための、世間との大きな摩擦、そしてなによりも、“心”という目に見えない領域を探るためには、自分を患者にみたてて、鋭いメスをいれるという苛酷な作業が必要であった。精神分析は、フロイト自身の精神遍歴、家庭環境を抜きにしては理解しえない。 自分自身を犠牲にして――フロイトは彼自身の生活を露出したこと、自分自身のプライバシーを自ら侵害したこと、何人も口に出したくない自分自身についての個人的なものを公然としたこと、自分自身を研究対象にしたことを気にした。しかし、自分自身の生活の最も内面的な秘密をさぐることによって、彼は神経の病気の源泉に光を投げたのだ。他の領域において、顕微鏡、パストゥールのミクロの生物の発見が行なわれたのと同様の発見を、彼は医学の世界で行ない、暗黒のなかに光を与え、病気の源泉を見出す新しい方法を発見したのである。彼は、すべてのエネルギーを使い果たして、疲労困憊し、各方面の医学雑誌に『夢判断』の書評のためのコピーを送った。――本書より
地図の歴史 日本篇
地図の歴史 日本篇
著:織田 武雄
講談社現代新書
地図とは未知の土地への探険行為の所産であり、いわば人間の歴史、人間に共通の言語でもある。ワクワクあるいはジパング──それは、異国にあってやはり世界踏破をめざした人びとが、憧憬の念をこめて名づけた東洋の島、日本の呼称である。西洋の地図に日本はどのように登場していったか。また日本人は、この列島の姿をどう認識していたか。本書は、遠く大化改新からの田図にはじまり、鎖国下の江戸に花開いたわが国の地図文化の跡を辿りながらそこに生きた人間のありようと、その息吹を伝える好著である。
日本語のこころ
日本語のこころ
著:渡部 昇一
講談社現代新書
ローマ人が「法」を平等原理とし、キリスト教徒が、「神の前の平等」を築いたとすれば、日本人の平等原理は「和歌」であった。「万葉集」の作者が、兵士・農民から天皇まで、あらゆる階層のみならず、帰化人まで含んでいることが、これを如実に示している。和歌をよくすること、つまり日本語の真髄を体得することで、日本人のアイデンティティは形づくられた。本書は、日本人にとって日本語がもつ独特な意味を、他言語・他民族との比較、和語と漢語の対照など、縦横の引例・傍証で明らかにした注目の労作。
民話の世界
民話の世界
著:松谷 みよ子,その他:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌
講談社現代新書
地図の歴史 世界篇
地図の歴史 世界篇
著:織田 武雄
講談社現代新書
未知の土地へのあこがれと征服欲、当時の世界観や測量技術の水準……。1枚の古地図が語りかけるものは無限だ。現代の常識からすれば、奇怪な形の古地図には、しかしこの地球を知りつくしたいという、人間のしたたかな意志が秘められている。さまざまな世界観を示す地図の歴史は、さながら人類の地球征服の絵巻である。本書は、未開民族からメルカトルをへて現代にいたる地図の変遷を、つづった快著である。
仏像に想う(下)
仏像に想う(下)
著:梅原 猛,著:岡部 伊都子,その他:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌,装丁:辻 修平
講談社現代新書
仏像に想う(上)
仏像に想う(上)
著:梅原 猛,著:岡部 伊都子,その他:杉浦 康平,装丁:鈴木 一誌,装丁:辻 修平
講談社現代新書