講談社文芸文庫作品一覧

田園風景
講談社文芸文庫
貿易会社に勤める主人公の日常を東南アジアを舞台に描いた表題作「田園風景」、知り合いのアメリカ人夫婦の子供を預かる話「夏野」「向かいて聞く」、ほかに「コネティカットの女」「土手の秋」「寒桜」など9篇。明瞭な日常風景が、抽象世界へと転化し、人間の存在が、描かれる風景に同化し吸収されてゆく独得の世界を展く、傑作短篇小説集。野間文芸賞受賞作。

往復書簡
講談社文芸文庫
個性光る魅惑的な言葉のセッション
強烈な個性と独自の作風を誇る、2人の代表的女性作家、宇野千代と中里恒子の間で交わされた80通の書簡。1974年12月より翌年10月までの長きにわたり、2人は互いの作品評から文学論、さらには生活スタイルの細部まで語り合い、発表当時、大きな評判を呼ぶこととなった。ひかえめな筆致の背後にある、2つの個性のお互いに譲らぬスリリングな対話から、女性と文学の真髄を知る貴重な一書。
金井景子
65歳と77歳の2人の女性作家の語りの中には、弱さも強さも優しさも、山姥が妖術を繰り出すがごとく変幻自在に現われては消え、読む者を翻弄する。どちらかがボケでどちらかがツッコミという役割の固定化もない。巧みに誘い水を向け、相手の「キャラ」を崩してはまた再構築するさまは、数ある往復書簡の中でもちょっと他の追随を許さない面白さである。――<「解説」より>

風貌・私の美学 土門拳エッセイ選 酒井忠康編
講談社文芸文庫
写真の鬼による日本論を展開したエッセイ選! 「風貌」「筑豊の子どもたち」「古寺巡礼」等、日本を代表する写真家土門拳は達意の名文家でもある。時代と社会、芸術と文化、写真とは何かを問う土門美学の精髄。
日本と日本人へのオマージュ。
『古寺巡礼』『ヒロシマ』『筑豊のこどもたち』『室生寺』など、昭和の写真界をリードした土門拳は、達意の名文家でもある。肖像写真に添え、被写体の人間像を見事に描出した『風貌』、日本の伝統美を熱く語る『私の美学』をはじめ、時代と社会を見つめ、リアリズムを説き、写真論を展開した珠玉のエッセイ集。「一日本人としての自分自身が日本を発見するため、日本を知るため」そして人々にそれを伝えるために、生を賭した“写真の鬼”。
酒井忠康
土門拳の文章はある意味で強引である。別の意味では実直な文章であると思った。事実の測定を誤らない土門拳の眼が、紙背に光っているせいであろう。徹底したリアリズムを通した写真のそれのように、彼の文章はけっして滑らかではない。しかし、何か塗り固められて年季を刻んだものが暗示する不思議な光沢がある。だから、その魅力の一端をこうしたかたちの本にして多くの読者に提供できるのは、土門拳の世界をさらに知ってもらうとても仕合せなことだ、と私は思っている。――<「解説」より>
※本書は、『風貌』(1953年3月 アルス、1999年1月 小学館<愛蔵版>)、『私の美学』(1975年1月 駸々堂出版)、『ヒロシマ』(1958年3月 研光社)、および『土門拳全集』第5巻~第9巻、第11巻~第13巻(1984年2月~1985年11月 小学館)を底本としました。

試みの岸
講談社文芸文庫
馬喰・十吉は、海への憧れを一艘の貨物船に託した。一族の悲劇はそこに始まる。甥の余一は、崖から落ちる十吉の愛馬アオに変身し、港町で従姉・佐枝子が自死したという噂を耳にした。駿河湾西岸地方を舞台に、運命に試される純粋な人間の行為を「光と影」の綾なす世界に、鮮やかに刻印する3部作。
強烈な光が自然の原型と人間の行為を焙りだす。
馬喰・十吉は、海への憧れを一艘の貨物船に託した。一族の悲劇はそこに始まる。甥の余一は、崖から落ちる十吉の愛馬アオに変身し、港町で従姉・佐枝子が自死したという噂を耳にした。駿河湾西岸地方を舞台に、運命に試される純粋な人間の行為を「光と影」の綾なす世界に、鮮やかに刻印する3部作。力強いデッサンによって、海・波・光など自然の原型を焙りだし、重苦しい生の課題を問う小川文学の達成。
長谷川郁夫
そして、思い出す。22歳の私を出版の道へと駆り立ててくれたものが、復刊「アポロンの島」(昭和42年)の透明な光と、44年4月号の「黒馬に新しい日を」(「文學界」)にはじまる「試みの岸」3部作、そして「展望」44年11月号に載った「或る聖書」の3作であったことを。日本の小説言語によって、メタフィジカルな光景が鮮烈な視覚的イメージを伴って描き出されたことに感動した。文学の可能性が無限であることを確信したのだった。――<「解説」より>
※本書は、小沢書店刊『小川国夫全集』第3巻(1992年1月)を底本としました。

やわらかい話(2) 吉行淳之介対談集 丸谷才一編
講談社文芸文庫
きわどい話、艶っぽい事件、すれすれの告白、思わずニヤリ うっかり哄笑の艶笑歓談16本プラス解説対談1本!
対談の名手・吉行淳之介の自由闊達、抱腹絶倒の秀逸対談から16篇をあらたに精選。人生の機微を知る達人たちが語り合う異見、卓見。渡辺淳一と丸谷才一による吉行淳之介の艶めいたエピソード満載の新対談を収録。
<ゲスト>金子光晴/柳家三亀松/東郷青児/大宅壮一/岩田専太郎/藤原義江/秋山安三郎/渡辺淳一/開高健/池澤夏樹/山口洋子/池内淳子/林家木久蔵/アダチ龍光/杉浦幸雄/丸谷才一
女房に内緒でする“恋愛”から、「万婦これ小町」に至る心境まで人生の達人たちが吉行淳之介を相手に本音を吐露した秀逸対話録。

回想の太宰治
講談社文芸文庫
濃やかな愛情と明晰な目がとらえた人間・太宰治ーー太宰治は、文字通り文学のために生まれ、文学のために育ち、文学のために生きた「文学の寵児」だった。彼から文学を取り除くと、そこには嬰児のようなおとなが途方に暮れて立ちつくす姿があった。戦中戦後の10年間、妻であった著者が、共に暮らした日々のさま、友人知人との交流、疎開した青森の思い出など、豊富なエピソードで綴る回想記。淡々とした文にも人間太宰の赤裸な姿が躍如とする好著。
◎「これは、凄い本に出会ったものであります。質も量も。明晰さも、たしかさも、怖ろしさも。科学者の随筆みたいな、美しい揺るぎのない日本語で、太宰治は凝視され、記憶され、保存される。この著者が、昭和の初期に、太宰の妻であり、ともに暮らし、子をなして、日々会話し、身の回りの世話をし、親戚や食卓や経済を共有していたかと思うと、トカトントン。そこらの男の何十倍も聡明だった女の記録であり、記録をよそおった文学であります。」<伊藤比呂美「解説」より>
※本書は、『回想の太宰治』(昭和58年6月 講談社文庫刊)を底本としましたが、「アヤの懐旧談」を削除し、『増補改訂版 回想の太宰治』(平成9年8月 人文書院刊)より、「蔵の前の渡り廊下」「南台寺」「父のこと、兄のこと」「『水中の友』」の4篇を収録しました。

吉田健一対談集成
講談社文芸文庫
あの高らかな笑い声が聞こえてくる
文学のこと、文士のこと、父のこと、人生について……
[対談者]
徳川夢声/近藤日出造/河上徹太郎/池島信平/佐伯彰一/丸谷才一/佐多稲子/池田彌三郎
言葉とともに、その優雅な言葉の世界に自在に生きた吉田健一。グラス片手に、文学のこと、文士のこと、父のこと、そして東京の昔や充実した人生のあり方について、徳川夢声、近藤日出造、河上徹太郎、池島信平、佐伯彰一、丸谷才一、佐多稲子、池田彌三郎の8名を相手に、時に饒舌に、時に、ユーモアとシニカルな批評精神をもって、語り合う抱腹歓談。――あの高らかな笑い声が聞こえてくる。
長谷川郁夫
本書に収められた対談のどの一篇からも、行間にアルコールの香気が漂うのが感じられることだろう。酔いが回るにつれ、吉田さんの緊張はほぐれ、いつもの“語り”のペースを取り戻す。耳を澄ませば「(笑)」の箇所で、懐しいあの高笑いが聞こえてくるのである。ここには、文字通りの黄金色に熟成した、悠々たる大人の時間があるのだ。――<「解説」より>
※本書は、『吉田健一対談集成』(1998年2月 小沢書店刊)を底本として使用しました。本文中明らかな誤植と思われる箇所は正しましたが、原則として底本に従いました。また、底本にある表現で、今日からみれば不適切と思われるものがありますが、対談の行われた時代背景および対談者の多くが故人であることなどを考慮し、底本のままとしました。よろしくご理解のほどお願いいたします。

逆髪
講談社文芸文庫
漂流する現代家族をラディカルに描く傑作長篇!――かつて姉妹漫才で鳴らした鈴子・鈴江。今はカンペキ主婦に身をやつす姉と、独身の物書きとして芸界の周辺に生きる妹。正反対のようで同じ血縁という強烈な磁力に搦めとられて彷徨う二人の日常の背後に、狂女逆髪と盲人の琵琶法師の姉弟が織りなす謡曲「蝉丸」の悽愴な光景を幻視、富岡節ともいうべき強靭な語りの文体で活写。『冥途の家族』『芻狗』など、家族や性をテーマに書き続けてきた著者の到達点とされる傑作。
※本書は、『富岡多惠子集6 小説5』(1999年6月、筑摩書房刊)を底本として使用しました。著者の一閲を得て誤植を正し、振り仮名を多少増やすなどしましたが、原則として底本に従いました。

堀辰雄覚書・サド伝
講談社文芸文庫
日本人にとってキリスト教信仰はいかに可能か、という問題意識のもと、戦時下より親交のあった堀辰雄の作品を対象に、その純粋性から宗教性へ、さらには古典的汎神論の世界へと考察を深めた最初期の評論「堀辰雄覚書」、また、リベルタンとしての歩みを進めることで、キリスト教規範と闘い、性と自由の先見的な思想を掴んだサドを赤裸に描いた「サド伝」を収録。著者の表現の根幹を知るための貴重な一書。
神とは何か。悪とは何か。
日本人にとってキリスト教信仰はいかに可能か、という問題意識のもと、戦時下より親交のあった堀辰雄の作品を対象に、その純粋性から宗教性へ、さらには古典的汎神論の世界へと考察を深めた最初期の評論「堀辰雄覚書」、また、リベルタンとしての歩みを進めることで、キリスト教規範と闘い、性と自由の先見的な思想を掴んだサドを赤裸に描いた「サド伝」を収録。著者の表現の根幹を知るための貴重な一書。
山根道公
2つの長篇評論「堀辰雄覚書」と「サド伝」の底流にあるそれぞれのテーマすなわち「日本人とキリスト教」と「悪の問題」については、遠藤文学の根幹を貫くテーマとして、小説の世界でさらに深く追究されていく。(中略)遠藤の文学的生涯を俯瞰するとき、その前半期に評論家の顔をもっていた遠藤が力を傾けた2つの長篇評論「堀辰雄覚書」と「サド伝」が、遠藤文学の根底を流れる2大テーマの源泉に位置する評論として逸することのできない作品であることは理解されよう。――<「解説」より>
※本書は、新潮社刊『遠藤周作文学全集』第10巻(2000年2月)、第11巻(2000年3月)を底本とし、明らかな誤植と思われる箇所は正しましたが、原則として底本に従いました。

壺坂幻想
講談社文芸文庫
盲目で死んだ祖母への鎮魂に、作家は壺坂寺に詣でた。山道を辿ると、みかん水を売って祖母を大切にした叔父の悲運、生きている母の姿など、親族の誰彼もの不幸が思い浮かんでくるのであった……。『雁の寺』『越前竹人形』『飢餓海峡』の著者が、作家生活20年にして初めて、書かずにはいられないテーマに突き当たった。水上文学晩年の陰翳に満ちた豊かな文学世界の到来を約束する、家族を巡る追想の連作短篇集。生きるとは、私とは、何か?
〇高橋英夫 「クスリ」だか毒だかを口に含んだことのある水上勉はやがて作家となり、いくつもの私小説を書いた。自分自身のこと、周辺の人々のことを書き、人間の生と死を表現した。(中略)毒のようでもあるが「クスリ」でもあるほおずき、それがつまりは私であり、私小説でもあるのだろう。水上勉を読んだ読者は、生きることの何か、私の何かが、見えない層となって自分の心身のなかに積もってゆくという経験をしたのである。――<「解説」より>

梅一輪・湘南雑筆(抄) 徳冨蘆花作品集 吉田正信編
講談社文芸文庫
「自然」を愛し、「人生」に苦悩した明治の青春
明治元年生まれ、昭和2年没。理想を求め、現実に躓き、なお人として良き道を往くべく苦闘した蘆花。熊本での幼少期、身近に砲声を聴いた西南戦争を背景に、ある一家の悲劇を描く「灰燼」、貧者救済を己に課し、異国で死ぬうら若い女性の凛とした生き方を、キリスト者の求道と人間的悩みの両面から描く「梅一輪」、農的生活の実践論「美的百姓」等、近代日本の光と影を一身に体現する蘆花文学の精髄24篇。
吉田正信
蘆花は大衆的なだけではなく、選べば作品の質も高い。文学を美的言語形象による人間学という基本に立って見直せば、蘆花はその後の文壇が回避して文学をひ弱なものにした大事なものを、秘めている。(中略)蘆花没後80年という適度なへだたりをえた今、蘆花の文学と人間は、読者の素直な眼による再評価を待っている。――<「解説」より>

影について
講談社文芸文庫
空襲、焼け跡のバラック生活など、敗戦前後の厳しい状況、さらに複雑な家庭環境のなか、少年らしい健気さ、腕白さをもって過ごした前橋での日々。この少年期の<原風景>を基点に、映画館の看板書きの助手時代、画家への修業と上京、そして現在へと至る自伝的連作短篇。色、光、形、影など、画家としての本領を発揮した構成で、記憶のなかの小さな風景がドラマとして動き出し、飄逸な味わいを生む傑作集。
少年期の<原風景>から織りなされる珠玉の連作短篇。
空襲、焼け跡のバラック生活など、敗戦前後の厳しい状況、さらに複雑な家庭環境のなか、少年らしい健気さ、腕白さをもって過ごした前橋での日々。この少年期の<原風景>を基点に、映画館の看板書きの助手時代、画家への修業と上京、そして現在へと至る自伝的連作短篇。色、光、形、影など、画家としての本領を発揮した構成で、記憶のなかの小さな風景がドラマとして動き出し、飄逸な味わいを生む傑作集。
角田光代
たしかに私たちは、かなしんでいるときにその感情にかなしみという名をつけない。屈辱を感じているときに、踏みつけられたような胸の痛みを屈辱と名づけない。すべての言葉はあとづけなのだ。(中略)この一連の小説には、光を放つような「いのち」があり、思いを内含した「情景」があり、視点を軸にした膨大な時間の流れがある。――<「解説」より>

相撲記
講談社文芸文庫
生家の筋向かいに、当時全盛を極めた「友綱部屋」があり、取的が出入りし、関取と並んでチャンコ鍋をつつくという幼少年期を過ごした著者は、戦後、横綱審議会委員となり、視力を失う最晩年まで務めるなど、文壇きっての相撲通として知られる。土俵、仕切り、行司の変遷、双葉山始め名力士の技倆の分析など、厖大な知識と熱意で綴る。迫り来る戦火に、相撲という伝統美を死守するの心意気で書かれた耽美派作家の異色の日本文化論。
●轡田隆史
とかく戦争のことが頭をはなれない、とも記しているのに、戦争に言及するくだりはまことに少ない。それどころか、「鬼畜米英」を撃滅するために「一億火の玉」になれと叫んでいる時代に、相撲の風俗を描きながら、相撲の「いろけ」に言及し、それを巧みにとらえているのに、ぼくはあらためてこころうたれる。――<「解説」より>

日本の童話名作選 現代篇
講談社文芸文庫
日常を超え拡がる子どもの宇宙!
70年代からの日本社会の激動は童話の世界を大きく変えた。大人が子どもに与える教訓的な物語は影をひそめ、子どもの空想を刺激し日常とは別の次元に誘う幼年童話、ファンタジーの名作が生まれる一方、いじめや受験戦争に蝕まれる10代の心を繊細に描くヤングアダルト文学も登場。若い才能ある書き手達が大人と子どもの文学の境界を双方から軽やかに突破していった。山下明生、灰谷健次郎、江國香織、村上春樹等の名品26篇。
●淋しいおさかな 別役実
●凧になったお母さん 野坂昭如
●桃次郎 阪田寛夫
●コジュケイ 舟崎克彦
●はんぶんちょうだい 山下明生
●花がらもようの雨がさ 皿海達哉
●月売りの話 竹下文子
●ひろしのしょうばい 舟崎靖子
●だれもしらない 灰谷健次郎
●ぽたぽた 三木卓
●おとうさんの庭 三田村信行
●ひょうのぼんやり おやすみをとる 角野栄子
●まぼろしの町 那須正幹
●仁王小路の鬼 柏葉幸子
●電話がなっている 川島誠
●半魚人まで一週間 矢玉四郎
●少年時代の画集 森忠明
●絵はがき屋さん 池澤夏樹
●くるぞ くるぞ 内田麟太郎
●草之丞の話 江國香織
●黒ばらさんと空からきた猫 末吉暁子
●氷の上のひなたぼっこ 斉藤洋
●あしたもよかった 森山京
●金色の象 岩瀬成子
●ピータイルねこ 岡田淳
●ふわふわ 村上春樹
――<「目次」より>

黒い裾
講談社文芸文庫
千代は喪服を著(き)るごとに美しさが冴えた。……「葬式の時だけ男と女が出会う、これも日本の女の一時代を語るものと云うのだろうか」――16歳から中年に到る主人公・千代の半生を、喪服に託し哀感を込めて綴る「黒い裾」。向嶋蝸牛庵と周りに住む人々を、明るく生き生きと弾みのある筆致で描き出し、端然とした人間の営みを伝える「糞土の墻」ほか、「勲章」「姦声」「雛」など、人生の機微を清新な文体で描く、幸田文学の味わい深い佳品8篇を収録した第一創作集。
◎出久根達郎ーー自分をダシにして、巧みな虚構の世界を築く。エッセイ風小説、とでも称したら適切だろうか。描写が小説のそれでなく、エッセイの筆致なのである。大体、幸田作品の書き出しが、エッセイ風の文章である。身近な事柄の説明から、始まる。いつの間にか、仮構の世界に、読者は誘いこまれている。そして、結びの文章は、これは完全に小説のそれである。――<「解説」より>

暗夜遍歴
講談社文芸文庫
月子の父親が陥れられることによって登場した小田村大助。奪われるようにして小田村と結ばれた月子。政治と実業の世界の鬼であった小田村は、また、奔放な性を生き、女性遍歴を重ねていく。運命にもてあそばれた月子は、短歌に道を見出すことで、傷を癒し、自らを支えようとする。――息子・由雄の眼を通し、母・月子、父・大助の愛憎の劇を冷徹に描いた自伝的作品。亡き母への痛切なる鎮魂歌。

贈答のうた
講談社文芸文庫
「うたはあのようにも詠まれてきた。/ひとはあのようにも心を用いて生きてきた。」ーー歴代の勅撰和歌集、私家集、さらに物語や日記文学の中で、華やかな独詠の陰に埋もれがちな贈答のうた。詠み交す事で深化増幅する人の心と精妙に響き合う贈答歌に光をあて、自在な口語訳を付しつつ読み解く。王朝人の豊饒な言葉の贈物への密やかな答歌とも評された名著。野間文芸賞受賞作。
詠み交わすうた 響き合うこころ
うたはあのようにも詠まれてきた。ひとはあのようにも心を用いて生きてきた。歴代の勅撰和歌集、私家集、さらに物語や日記文学の中で、華やかな独詠の陰に埋もれがちな贈答のうた。詠み交わす事で深化増幅する人の心と精妙に響き合う贈答歌に光をあて、自在な口語訳を付しつつ読み解く。王朝人の豊饒な言葉の贈り物への密やかな答歌とも評された名著。野間文芸賞受賞作。
竹西寛子
私は、独詠独吟よりも更に日本人の心の動きの事実に近づき易い贈答のうたについて、いつか詩歌物語の別を問わず辿ってみたいものだという、まことにおおけない願望を抱くようになった。(中略)しかしこうした気の遠くなるような作業が、微力の自分に易々とかなうはずもない。(中略)ならば、せめて、脈絡もないままに馴染んできた平安、鎌倉時代の贈答のあれこれをまず読み直し、いくばくかを読み加えながら、贈答についての自分なりの整理の第一歩を、と思い立った。――<「はじめに――なぜ贈答のうたか」より>

鰐 ドストエフスキー ユーモア小説集 沼野充義編
講談社文芸文庫
ドストエフスキーは最初から「ユーモア作家」だった!
怪しい色男を巡る、2人の紳士の空疎な手紙のやり取り。寝取られた亭主の滑稽かつ珍奇で懸命なドタバタ喜劇。小心者で人目を気にする閣下の無様で哀しい失態の物語。鰐に呑み込まれた男を取り巻く人々の不条理な論理と会話。19世紀半ばのロシア社会への鋭い批評と、ペテルブルグの街のゴシップを種にした、都会派作家ドストエフスキーの真骨頂、初期・中期のヴォードヴィル的ユーモア小説4篇を収録。
沼野充義
ここに収められた初期から中期のドストエフスキー作品の基調ともいうべきものは、延々と続く形而上的議論の底知れぬ深みに下りていく手前で踏みとどまり(いったん呑み込まれたら這い出すことができないような深みがあることはすでに予感されるとはいえ)、あえて表層で戯れ続けているような感じさえ与える過剰な言葉と自意識のドタバタ劇場であって、ドストエフスキーは明らかにユーモア作家でもあった。――<「解説」より>

この三つのもの
講談社文芸文庫
まことの恋と友情と智恵の石
主人公・赤木清吉は、友人・北村荘一郎にないがしろにされている夫人・お八重に同情するうちに、永遠の恋に陥ちてしまう――。かつてスキャンダラスな「細君譲渡事件」として世に知られた佐藤春夫と谷崎潤一郎および千代夫人との三角関係を題材に、自らの愛憎の葛藤を吐露した未完の表題作と、「一情景」「僕らの結婚」を収録。10年におよぶ愛の軌跡の全貌を辿る。作品は、愛を貫く文学者の誠実を示すものとなった。
千葉俊二
時間的にはわずか4日間の出来事が記されているのみであるが、その場面々々に応じて過去の回想や述懐が挟まれ、時間が重層的に組み合わされる。あたかも絵の具を丹念に何度も塗りかさねるようにして画いた油絵の大作をみるように、描写の密度は細かく、登場人物の人間関係や心理の交錯が、それこそバルザック風の本格的なリアリズムの手法によって重厚に描きだされる。――<「解説」より>

老いた体操教師・瀧子其他 小林多喜二初期作品集 曾根博義編
講談社文芸文庫
大正から昭和初め、働きつつ学ぶ青年・多喜二は、文学への熱情、人間を抑圧する社会への怒り、知り初めた恋の苦しみを、ノートに書きつけ雑誌に投稿した。虐げられる弱き者への優しい眼差しと、苦の根源への鋭い問いを秘めた、これら初期作品群こそは、29歳で権力に虐殺されたプロレタリア作家の多感な青春の碑である。86年ぶりに発掘された最初期の「老いた体操教師」、秀作「瀧子其他」を含む16篇を精選。
革命、恋。短くも激しく燃えた青春の碑
大正から昭和初め、働きつつ学ぶ青年・多喜二は、文学への熱情、人間を抑圧する社会への怒り、知り初めた恋の苦しみを、ノートに書きつけ雑誌に投稿した。虐げられる弱き者への優しい眼差しと、苦の根源への鋭い問いを秘めた、これら初期作品群こそは、29歳で権力に虐殺されたプロレタリア作家の多感な青春の碑である。86年ぶりに発掘された最初期の「老いた体操教師」、秀作「瀧子其他」を含む16篇を精選。
曾根博義
「瀧子もの」……など、昭和に入ってからの短篇に、多喜二のリアリズムが個人的にも社会的にも登りつめ、磨きをかけられた末に、「救い」や「理想」を求めて闘い、個人を超えるぎりぎりの地点にまで達した、その最高の成果が見られる。(略)また「人を殺す犬」の残酷さは個人の内面を無視した表現の残酷さではなくて事実の残酷さであるにもかかわらず、言葉によるリアリズムの極限の恐ろしいまでの力を感じさせて、2年後の「蟹工船」を想起させずにはおかない。――<「解説」より>