講談社学術文庫作品一覧

藤原行成「権記」全現代語訳(中)
講談社学術文庫
平安中期の能吏藤原行成の日記。本巻は、長保二年(1000)行成二十九歳から寛弘三年(1006)三十五歳までを収録。一条天皇の皇后定子に続き、東三条院が一年の間をおいて相次いで崩御、さらに妻子も失うという不幸と、自身なかなか公卿の地位に昇れない焦燥感を抱えながらも公務に精励する行成。儀式次第・宮廷作法から夢想まで詳細に記す。
道長を訪れ、内裏に参り、
皇后、女院の崩御に諸事を奉仕
側近が記す儀式・人事・仏事と日常
平安中期の能吏藤原行成の日記。本巻は、長保二年(1000)行成二十九歳から寛弘三年(1006)三十五歳までを収録。一条天皇の皇后定子に続き、東三条院が一年の間をおいて相次いで崩御、さらに妻子も失うという不幸と、自身なかなか公卿の地位に昇れない焦燥感を抱えながらも公務に精励する行成。儀式次第・宮廷作法から夢想まで詳細に記す。
下人が云ったことには、「皇后宮(定子)の御産は□、すでに非常です」と云うことだ。(中略)御前に参った。天皇がおっしゃって云ったことには、「皇后宮がすでに頓逝したことは、甚だ悲しい。左大臣に、参るよう、今すぐ仰せ遣わすように」ということだ。 (長保二年十二月十六日条)

ドイツ貴族の明治宮廷記
講談社学術文庫
明治中期、宮中近代化のために招聘され、新宮殿での憲法発布式典を見届けて帰国したお雇い外国人、モールの日本滞在記。威厳ある若き天皇への謁見、知性と品位を備えた皇后への賞讃、「宮中衣裳問題」での伊藤博文との衝突など、欧化を急ぐ立憲国家成立期の宮廷社会を知る必読文献。さらに関西、箱根、日光、磐梯山への旅など、各地の風物も豊かに描く。(講談社学術文庫)
憲法発布と急激な欧化。
明治日本を知る基本文献。
若き天皇への謁見。伊藤博文との「洋装論争」。宮中の近代化を担った「お雇い外国人」が活写する明治上流社会。
明治中期、宮中近代化のために招聘され、新宮殿での憲法発布式典を見届けて帰国したお雇い外国人、モールの日本滞在記。威厳ある若き天皇への謁見、知性と品位を備えた皇后への賞讃、「宮中衣裳問題」での伊藤博文との衝突など、欧化を急ぐ立憲国家成立期の宮廷社会を知る必読文献。さらに関西、箱根、日光、磐梯山への旅など、各地の風物も豊かに描く。
※本書の原本は1988年、新人物往来社より刊行されました。

国家と革命
講談社学術文庫
「民主主義を徹底せよ。それが死滅するまで!」
世界を震撼させたロシア十月革命。
その指導者レーニンによる革命権力マニフェスト。
論争と実践の書でありながら国家とは階級支配機関だという一線を譲らず、代議制の欺瞞を暴き立て、直接民主主義の徹底を訴えてあらゆる妥協論を弾劾する。
理論と実践が完全に統一されているかのような口ぶりは、原則を忘れたい我々をおびやかす。
歴史的挑発の書。

二人であることの病い パラノイアと言語
講談社学術文庫
フロイト精神分析を構造主義的に発展させ、20世紀の思想潮流にあって、確固たる地位を占めたラカン。本書は、ラカン最初期の1930年代に発表された五篇の論考を収録。「症例エメ」「≪吹き込まれた≫手記」「パラノイア性犯罪の動機」の三篇は、症例報告の記録性があり、明澄ですらある。現代思想の巨人の哲学の出発点を探るための必読書である。
巨人の思想の原点に触れる
「症例エメ」他、読み易い初期論文5篇を収録!!
フロイト精神分析を構造主義的に発展させ、20世紀の思想潮流にあって、確固たる地位を占めたラカン。本書は、ラカン最初期の1930年代に発表された五篇の論考を収録。「症例エメ」「≪吹き込まれた≫手記」「パラノイア性犯罪の動機」の三篇は、症例報告の記録性があり、明澄ですらある。現代思想の巨人の哲学の出発点を探るための必読書である。
フランスの伝統的な精神医学のほか、ヤスパース、クレッチマー、フロイトなど、ドイツ語圏の文献を盛んに読んでおり、精神分析よりは現象学の明晰さに親和性を感じていた跡が論文にも窺えて、それゆえ、後年の、ラディカルなフロイト主義者としてのあのラカンには辟易する人でも、興味をもって読みとおしていただけるものと期待している。――<「訳者まえがき」より>
※本書の原本は、1984年、朝日出版社より刊行されました。

だれのための仕事――労働vs余暇を超えて
講談社学術文庫
たのしい仕事もあればつらい遊びもある。仕事/遊び、労働/余暇という従来の二分法が意味を消失した現代社会にあって、わたしたちが生きることを支えているものはなにか、それは「働く」ことと「遊ぶ」こととどのようなかかわりがあるのか――。人間性の深みまで掘り下げて労働観・余暇観の歴史にせまり、人間活動の未来像をさぐる、清新な労働論。(講談社学術文庫)
「働く」ことと「遊ぶ」こと
われわれの日々の活動とその価値はどこへ向かい、どのように変化してゆくのか
たのしい仕事もあればつらい遊びもある。仕事/遊び、労働/余暇という従来の二分法が意味を消失した現代社会にあって、わたしたちが生きることを支えているものはなにか、それは「働く」ことと「遊ぶ」こととどのようなかかわりがあるのか――。人間性の深みまで掘り下げて労働観・余暇観の歴史にせまり、人間活動の未来像をさぐる、清新な労働論。
わたしたちが仕事のなかにもとめる移行の感覚とは、未来のために現在を犠牲にする<前のめり>のものではなく、むしろ同時的なものであろう。それは他者との関係のなかで<わたし>の変容を、そして<わたしたち>の変容を、期するものであるから。「希望はつねに帰郷であるとともに、何かある新鮮な新しいものである」。<希望>という、この美しいことばで、「途上にある」という移行の感覚を表現したのが、ガブリエル・マルセルであった。――<本書第四章より>
※本書の原本は、1996年、岩波書店より刊行されました。

藤原行成「権記」全現代語訳(上)
講談社学術文庫
『権記』は、平安中期、九条流藤原氏の嫡流で三蹟の一人と称される藤原行成の日記である。青年期は不遇であったが、長徳元年(九九五)、蔵人頭に抜擢されて以降は、一条天皇や東三条院、藤原道長の信任を得、側近の能吏として順調に累進してゆく。日々の宮廷の政治・儀式・秘事が細かく記され、貴族の多忙な日常が見える第一級史料、初の現代語訳。
一条天皇・藤原道長の側近として多忙極まる日常的政務
能吏による平安宮廷詳細日記
『権記』は、平安中期、九条流藤原氏の嫡流で三蹟の一人と称される藤原行成の日記である。青年期は不遇であったが、長徳元年(九九五)、蔵人頭に抜擢されて以降は、一条天皇や東三条院、藤原道長の信任を得、側近の能吏として順調に累進してゆく。日々の宮廷の政治・儀式・秘事が細かく記され、貴族の多忙な日常が見える第一級史料、初の現代語訳。
行成の日記である『権記』の名は、極官の権大納言による。『行成卿記』ともいう。(中略)特に蔵人頭在任中の活動が詳細に記されており、当時の政務運営の様相や権力中枢・宮廷の深奥を把握するための第一級の史料である。――<「はじめに」より>

ヴェネツィア帝国への旅
講談社学術文庫
練達の旅人とたどる「海の国」の栄光の歴史
アドリア海からエーゲの島々、そしてコンスタンティ
ノープルへ。英国の紀行作家が情趣豊かに描く。
圧倒的な経済力と「文化力」で地中海の各地に拠点を築いた海洋帝国ヴェネツィア。その栄光の跡を英国随一の「歴史の旅人」が訪ね、情趣豊かに綴る紀行文学の傑作。アドリア海からギリシャ本土へ、さらにキプロス島やエーゲ海の島々、奇跡の都・コンスタンティノープルへ。十字軍の遠征やオスマン帝国との抗争など、歴史を彩った人々に想いを馳せる。
※本書の原本は、2001年に東京書籍より刊行されました。

イスラームの「英雄」 サラディン――十字軍と戦った男
講談社学術文庫
マムルーク朝のバイバルスとともに、イスラーム史上の英雄と称されるアイユーブ朝のサラディン。アラブと十字軍の50年以上にわたる覇権争いに終止符を打ち、十字軍から聖地エルサレムを奪回した「イスラーム世界の英雄」として知られる彼は、同時代のアラビア語史料や伝説に「アラブ騎士道の達人」「慈悲深い高潔な人物」と謳われ、ヨーロッパでも智者、果敢な騎士、寛大な性格の人物と評されました。アラブ側は異教徒と勇敢に戦った英雄として、ヨーロッパ側はアラブ騎士道の体現者として、サラディンを描きつづけています。そのような伝説に彩られた人物の実像とはどのようなものだったのでしょうか。本書は、サラディンが、どのような政治・経済・社会状況にあって、どのように考え、どのように行動したかを明らかにします。さらに、伝説と事実を峻別したうえで、架空の伝説も人々の願望の表れとしてとりあげ、「人間としてのサラディン像」をあざやかに描き出す、「英雄」の実像に迫った本格的伝記です。
〔原本/1996年、講談社選書メチエ〕
【本書の内容】
プロローグ――サラディンの生きた時代
第一章 修行時代
1 誕生
2 カリフ権力の衰退と十字軍の侵攻
3 少年サラディン
4 ヌール・アッディーンとの出会い
5 エジプト遠征
第二章 エジプトの若きスルタン
1 アイユーブ朝の創設
2 バイナル・カスラインの戦い
3 サラディンの補佐役たち
4 イエメン征服の謎
5 シリアへの進出
6 新体制の確立
第三章 カイロからエルサレムへ
1 エジプト経済の繁栄
2 聖戦(ジハード)へ向けて
3 エルサレム奪回
4 アッカーをめぐる攻防
5 サラディンの死
エピローグ――サラディン以後

東京の自然史
講談社学術文庫
地殻変動(巨大地震で、地表面は数メートル移動)、氷期と間氷期の海水面変化(一〇〇メートル以上)、火山灰の堆積(数メートル以上)、河川による砂礫の堆積……。一〇〇万年超の東京の形成過程と江戸以来の開発による地形変化を解明。過密集住の東京を脅かす様々な災害。散歩ガイド・災害マップとして、必携の地形学による東京史。(講談社学術文庫)
氷河期、火山活動、大地震による地殻変動、風雨による浸食と砂礫の運搬……そして人間による開発 100万年のスパンで、東京の地形の秘密を読み解く
地殻変動(巨大地震で、地表面は数メートル移動)、氷期と間氷期の海水面変化(一〇〇メートル以上)、火山灰の堆積(数メートル以上)、河川による砂礫の堆積……。一〇〇万年超の東京の形成過程と江戸以来の開発による地形変化を解明。過密集住の東京を脅かす様々な災害。散歩ガイド・災害マップとして、必携の地形学による東京史。(解説・鈴木毅彦)
この本では、東京の土地の自然がどんな構成になっているかを、その生いたちにもとづいて説明することに重点をおいているけれども、その間には土地の性状と関係のある災害や土地利用の問題にも言及したいと思う。……自然の生いたちは、古くまで遡ればきりがないが、現在の東京の地形が成立し、現在利用されている地下水が関係するような地層が成立したのは、ほとんど、第四紀と呼ぶ最新の地質時代のことであるから、話は第四紀の約一〇〇万年にしぼられ、最近の一〇万年ぐらいが特に問題となる。(「第一版のまえがき」より)
※本書の原本は、紀伊國屋書店より1979年に刊行された『東京の自然史<増補第二版>』です。

逆賊と元勲の明治
講談社学術文庫
明治日本の現実の歴史過程に対して、生身の人間の個人的意思や言動、個性などは、いかなるかかわり合いを持っていたのか。西郷隆盛の「銅像建設問題」、危機の時代における「長老」の役割、政治家・明治天皇の伊藤博文への信頼と不満、軍人・山県有朋の日露開戦反対論など、先入観とフィクションを排した透徹した視線で「歴史」と「人間」を論じる。(講談社学術文庫)
裏切りと連帯。信頼と衝突。「生身の人間」が歴史を動かした。
歴史家の透徹した眼で分析する「明治」をつくった男たちの群像と、危機の時代の指導者の条件。
明治日本の現実の歴史過程に対して、生身の人間の個人的意思や言動、個性などは、いかなるかかわり合いを持っていたのか。西郷隆盛の「銅像建設問題」、危機の時代における「長老」の役割、政治家・明治天皇の伊藤博文への信頼と不満、軍人・山県有朋の日露開戦反対論など、先入観とフィクションを排した透徹した視線で「歴史」と「人間」を論じる。
※本書は、1982年にPHP研究所より刊行された『「明治」をつくった男たち――歴史が明かした指導者の条件』を文庫化にあたり改題したものです。

ハイデガー「存在と時間」入門
講談社学術文庫
「ある」とは、どういうことか
20世紀思想界に屹立する不朽の古典を精緻に解読する、ハイデガー哲学への招待
哲学者マルティン・ハイデガーの主著にして、二十世紀の思想界に衝撃と多大な影響を与え、現代哲学の源流として今なおその輝きを増しつづける現代の古典『存在と時間』。その新しさのゆえに難解とされてきた、ハイデガーが企図した哲学の革新性とはなにか? 西洋近現代哲学研究の泰斗と気鋭の後進が精緻かつ平易に解説する、ハイデガー哲学入門。
ハイデガーの『存在と時間』という書物は、二〇世紀の思想界を決定的に色濃く染め抜いた、現代の古典中の古典である。本書は、この著作において企てられた哲学の革新を、できるだけ平易にまた正確に、その主要な論点において、解説することを狙った入門書である。――<本書「はしがき」より>
※本書の原本は1980年8月、有斐閣より、有斐閣選書の一冊として刊行されました。

天の科学史
講談社学術文庫
「天への恐れ」から星の観測は始まり、その意味を説明するために占星術が生まれ、正確な「暦」が権力者の権威を高める。やがて天動説から地動説へとパラダイムは転換し、天体力学の隆盛を経て、天体物理学と宇宙開発競争の時代へとむかう。民俗や宗教、数学や物理学を巻き込んで展開する最古の科学=天文学の歴史と、人類の宇宙観の変遷をたどる。
人間にとって<宇宙>とは何か
天体観測と占星術の始まりから、暦の作成、地動説への転換、天体力学の隆盛、米ソの宇宙開発競争まで。最古の科学=天文学の歴史と、人類の「宇宙観」の変遷。
「天への恐れ」から星の観測は始まり、その意味を説明するために占星術が生まれ、正確な「暦」が権力者の権威を高める。やがて天動説から地動説へとパラダイムは転換し、天体力学の隆盛を経て、天体物理学と宇宙開発競争の時代へとむかう。民俗や宗教、数学や物理学を巻き込んで展開する最古の科学=天文学の歴史と、人類の宇宙観の変遷をたどる。
※本書の原本は、1984年に朝日新聞社より刊行されました。

デカルト、ホッブズ、スピノザ 哲学する十七世紀
講談社学術文庫
近代哲学の祖とされ、「心身二元論」に拠ったデカルト。国家契約説をとなえ、「万人の万人に対する戦争」で知られるホッブズ。「神即自然」を主張したスピノザ。十七世紀の哲学シーンを彩る三人の思索は、動乱期のヨーロッパを生きたゆえの魅力にあふれている。神、国家、物体と精神……、根本問題をめぐる三様の思索を、鮮やかに浮き彫りにする。(講談社学術文庫)
私はある、私は存在する……デカルト
「私」はこの身も心も神でできている……スピノザ
人はなぜ人に服従するのか……ホッブズ
「機械的なもの」と「魂あるもの」が重なり合う
十七世紀の哲学世界!
近代哲学の祖とされ、「心身二元論」に拠ったデカルト。国家契約説をとなえ、「万人の万人に対する戦争」で知られるホッブズ。「神即自然」を主張したスピノザ。十七世紀の哲学シーンを彩る三人の思索は、動乱期のヨーロッパを生きたゆえの魅力にあふれている。神、国家、物体と精神……、根本問題をめぐる三様の思索を、鮮やかに浮き彫りにする。
十七世紀は「機械論」の世紀であった。が、ただの機械ではない。機械的な存在が自生し、産出し、ものを言うのである。それは「合理主義」という名から想像される以上に不気味な、「存在論的機械論」とでもいうべきものの出現であったと私は思う。機械的な存在が主観の対象の側に客体として仮構されてある、というのではない。むしろ、自分は別なふうに存在しているのかもしれぬという隔たりをわれわれ自身のただなかに開く、そういうものとして機械的なものはある。――<「ものを言う首」より>
※本書の原本『精神の眼は論証そのもの』は1999年、学樹書院より刊行されました。

百代の過客 日記にみる日本人
講談社学術文庫
円仁、貫之、孝標女、定家、宗祇、芭蕉、そして名もなき旅の遊女がつづった日記――
数百年の時をこえて「永遠の旅人」の声が聞こえる
読売文学賞・日本文学大賞 受賞作
日本人にとって日記とはなにか。平安時代の『入唐求法巡礼行記』『土佐日記』から江戸時代の『野ざらし紀行』『笈の小文』『奥の細道』まで、八十編におよぶ日記文学作品の精緻な読解を通し、千年におよぶ日本人像を活写。日本文学の系譜が日記文学にあることを看破し、その独自性と豊かさを探究した、日本文化論・日本文学史研究に屹立する不朽の名著。
そもそも私が日記に心を向けたのは、(中略)今日私が知る日本人と、いささかでも似通った人間を、過去の著作の中に見いだす喜びのためだったのである。最もすぐれた日記は、その作者を最もよく表し、逆に最もつまらぬ日記は、先人の詩歌や日記から学んだ歌枕の伝統を、ただいたずらに繰り返すのみである。日本人はいにしえより今日に至るまで、読書によって知悉する風景を己自身の目で確かめ、所の名物を己も口にすることに、格別の喜びを抱いてきた。――<本書「終わりに」より>
※本書は、1984年に朝日新聞社より刊行された同名の書籍の上下巻を合本にしたものです。

諸葛孔明――「三国志」とその時代
講談社学術文庫
歴史学から見た三国志。
敗けても敗けてもまた戦争。なのに、なぜ、彼は愛されたのか。
連戦連敗の将として死んだ諸葛亮。無謀な北伐を繰り返しながら後に義の人として絶大な人気を博した「三国志」の英傑。その思想と行動を中国史研究の先駆者が幾多の文献を用いて描き出す。なぜ彼が後世、称賛されるに至ったのか。その評価はどのように変遷したのか。一九四〇年の初版以来、改訂を重ねて読み継がれてきた「三国志」研究の重要古典。
***
――孔明の遺文にはそうした当世風なところがない。しかし時世の流れにおくれていたように見えた孔明が八百年後、その忠厚質実の人格と文章とにより朱子はじめ宋儒に賞讃され、醇儒の気象ありとされ、かつ儒教の教養によってのみ軍政を統べうるという理想にかなった人として崇敬の的となったのである。(中略)宋以前でも南朝のように中原を夷狄に奪われても、彼らの征服国家は正統ではないと主張する立場から劉備や孔明への好意的評価が生じた。――<本書「あとがき」より>
※本書の原本は1940年、冨山房より「支那歴史地理叢書」第八『諸葛孔明』として刊行され、1966年には桃源社より本書と同名の改訂版が刊行されました。文庫化にあたっては1984年、光風社出版より刊行された同名書を底本としました。

フィロソフィア・ヤポニカ
講談社学術文庫
一九二〇年代以降、田邊元と西田幾多郎は日本的・独創的哲学=「京都学派」を創造する。田邊哲学=愛の哲学と西田哲学=欲望の哲学との対決から誕生した「種の論理」。その最重要の達成は、二十世紀後半から展開する現代思想、構造主義、ポスト構造主義、「野生の思考」、認知科学を先取りしていた。豊饒なる田邊哲学の全貌に迫る。(解説・鷲田清一)私がまず驚いたのは、田邊元の数学思想の斬新さだった。(略)そしてつぎに
京都学派の巨人=田邊元、ここに甦る!
「種の論理」「友愛の哲学」とはなにか?
対称性人類学が田邊哲学の現代性を明らかにする!
一九二〇年代以降、田邊元と西田幾多郎は日本的・独創的哲学=「京都学派」を創造する。田邊哲学=愛の哲学と西田哲学=欲望の哲学との対決から誕生した「種の論理」。その最重要の達成は、二十世紀後半から展開する現代思想、構造主義、ポスト構造主義、「野生の思考」、認知科学を先取りしていた。豊饒なる田邊哲学の全貌に迫る。(解説・鷲田清一)
私がまず驚いたのは、田邊元の数学思想の斬新さだった。(略)そしてつぎには、絶対的な媒介性と転換性をめぐる田邊元の思考の現代性に感心した。(略)さらに、彼の思想のもっとも重要な達成である「種の論理」の中に、正真正銘の構造主義と良識あるポスト構造主義を同時に見いだしたときには、私の喜びは頂点に達した。 ――<「プロローグ」より抜粋>
※本書の原本は、集英社より2001年に刊行されました。

江戸人の精神絵図
講談社学術文庫
禁欲的知識人=定信の倒錯した自己顕示欲、徂徠による政治の虚構性の暴露と絶対的な「聖人信仰」、東湖を殺めた安政大地震期に水戸藩が暴走した理由、慊堂と弟子ネットワークなど、武士的社会の内実を読解。秋成の欠損した指と自意識、源内の山師的精神の背景、銅脈先生の酔生夢死的生活を活写し、江戸時代人の精神構造の前近代性と現代性に迫る。(講談社学術文庫)
定信、徂來、東湖、秋成、源内、慊堂……。遠くて近きは江戸の人。寛政~化政~天保~安政、各時代を代表する人物を題材に、江戸の精神風土を腑分けする。文学者ならではの筆致が歴史のリアルを呼び起こす
(原本『江戸人の昼と夜』を改題、論文「花の名は人めきて」を追加収録)

大清帝国への道
講談社学術文庫
従来、「異民族の征服王朝」もしくは「最後の中華王朝」とのみ捉えられてきた清は、満・漢・藩の「三つの貌」を持つ帝国だった。ヌルハチが統合した北方の一小国は、やがて長城を越えて北京に入城し、さらに中央アジアを制圧、康熙・雍正・乾隆という三帝のもとで最盛期を迎える。満洲語史料を読み解き、現代に続く多民族国家の形成過程を解明する。(講談社学術文庫)
北方の小集団はいかにして大帝国を築いたか
華夷秩序を超越し、「3つの顔」をもつ世界帝国=清朝は、多民族国家・現代中国の原型だった。ヌルハチから康熙・雍正・乾隆まで、大帝国の若々しい盛期を描く。
(原本タイトル『大清帝国』を改題)

風姿花伝
講談社学術文庫
世阿弥元清が、亡父観阿弥の教えをもとにまとめた『風姿花伝』。「幽玄」「物学(物真似)」「花」など、能楽の神髄を語り、美を理論化した日本文化史における不朽の能楽書を、精緻な校訂を施した原文、詳細な語釈と平易な現代語訳、解釈を深めるための余説で読み解く。息子の観世元雅に幽玄能の奥義を伝えるべく書きつづった『花鏡』の翻刻を併録する。(講談社学術文庫)
秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず
日本文化史に屹立する能楽の聖典、その神髄とは?
世阿弥能楽論の逸品『花鏡』の翻刻を併録
世阿弥元清が、亡父観阿弥の教えをもとにまとめた『風姿花伝』。「幽玄」「物学(物真似)」「花」など、能楽の神髄を語り、美を理論化した日本文化史における不朽の能楽書を、精緻な校訂を施した原文、詳細な語釈と平易な現代語訳、解釈を深めるための余説で読み解く。息子の観世元雅に幽玄能の奥義を伝えるべく書きつづった『花鏡』の翻刻を併録する。
「命にはをはりあり、能にははてあるべからず」と、信念を吐露した世阿弥の言葉はいつわりではなかった。「初心をわすれずして、初心を重代すべし」という、この道に果てあらしめぬための秘伝は、ひとり能楽においてのみならず、人間のなす業を不朽のものとするためにはこれまたゆるがぬ箴言となっている。――<本書「はしがき」より抜粋>
※本書の原本は、1969年、桜楓社より刊行されました。

寺山修司全歌集
講談社学術文庫
短歌、俳句、詩、エッセイ、評論、演劇……。芸術のジャンルを軽々と飛び越え、その鬼才ぶりを発揮した寺山修司。言葉の錬金術師は歌う。故郷を、愛を、青春を、父を、そして祖国を! 短歌の黄金律を、泥臭く、汗臭く、血腥い呪文へと変貌させる圧倒的な言語魔術に酔いしれる。(講談社学術文庫)
横溢する言葉の魔力
短歌、俳句、詩、エッセイ、評論、演劇……。芸術のジャンルを軽々と飛び越え、その鬼才ぶりを発揮した寺山修司。言葉の錬金術師は歌う。故郷を、愛を、青春を、父を、そして祖国を! 短歌の黄金律を、泥臭く、汗臭く、血腥い呪文へと変貌させる圧倒的な言語魔術に酔いしれる。
(解説「アルカディアの魔王」塚本邦雄 解説「透明な魔術」穂村弘)
寺山修司の場合はどうか。……一見したところ、等身大の<私>が我々の知っている日本に生きているように思えるのだ。だが、寺山ワールドの<私>は神が自らに似せて作った傀儡に過ぎない。作者=本当の私は、五七五七七という定型空間の外部にいて、神のように全てをコントロールしている。――<「解説2 透明な魔術」穂村弘より>
※本書は『寺山修司全歌集』(風土社、沖積舎)を底本にした。