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わたしのなかのかれへ(下)
1973.09.26発売
わたしのなかのかれへ(下)
著:倉橋 由美子,装画:栃折 久美子
講談社文庫
須弥山と極楽 -仏教の宇宙観-
1973.09.26発売
須弥山と極楽 -仏教の宇宙観-
著:定方 晟
講談社現代新書
須弥山とは高さ56万キロ、33人の天神が住む想像上の高峰である。紀元5世紀、インドで集大成された『倶舎論』は、この須弥山にはじまり、人間が宇宙をどう把えていたかを、詳細に描写している。本書は、この『倶舎論』を基礎に、仏教の宇宙観の変遷をさぐり、輪廻と解脱の2つの思想の誕生・発展の経緯を明らかにし、その現代的意味を説く。 輪廻と解脱の思想――仏教にはさまざまな経典や言葉があるけれど、結局は輪廻と解脱の2つの思想に帰するといえよう。仏教者はこうした輪廻的宇宙と解脱への道との両方を、それぞれ吟味し、研究し、やがてそれらを1つの壮大な体系にしたてあげた。そのような体系を示す書物の1つに、インド5世紀の仏僧ヴァスバンドゥの『倶舎論』がある。この中に須弥山説と呼ばれる仏教宇宙観が示されている。これが、後に“地獄と極楽”にまつわるさまざまな考え、描写へと発展し、日本にも大きな影響をあたえた。一見、過去のもの、われわれとは無縁のものと思われる仏教宇宙観も、実は、いまや新しい世界観を樹立する上で、重要な役割をになおうとしている。――本書より
青春の門 放浪篇(上)
1973.09.24発売
青春の門 放浪篇(上)
著:五木 寛之
異常の構造
1973.09.20発売
異常の構造
著:木村 敏
講談社現代新書
精神異常の世界では、「正常」な人間が、ごくあたりまえに思っていることが、特別な意味を帯びて立ち現われてくる。そこには、安易なヒューマニズムに基づく「治療」などは寄せつけぬ人間精神の複雑さがある。著者は、道元や西田幾多郎の人間観を行きづまった西洋流の精神医学に導入し、異常の世界を真に理解する道を探ってきた。本書は現代人の素朴な合理信仰や常識が、いかに脆い仮構の上に成り立っているかを解明し、生きるということのほんとうの意味を根源から問い直している。 「全」と「一」の弁証法――赤ん坊が徐々に母親を自己ならざる他人として識別し、いろいろな人物や事物を認知し、それにともなって自分自身をも1個の存在として自覚するようになるにつれて、赤ん坊は「全」としての存在から「一」としての存在に移るようになる。幼児における社会性の発達は、「全」と「一」との弁証法的展開として、とらえてもよいのではないかと私は考えている。分裂病とよばれる精神の異常が、このような「一」の不成立、自己が自己であることの不成立にもとづいているのだとすれば、私たちはこのような「異常」な事態がどのようにして生じてきたのかを考えてみなくてはならない。――本書より
考える技術・書く技術
1973.08.31発売
考える技術・書く技術
著:板坂 元
講談社現代新書
「情報過多の時代だから情報処理の技術を心得ておかないと翻弄されることになる」とは、 1973年刊行の本書に書かれていること。 さらに情報に振り回される現代こそ、本書の価値は高まっています。 学生・新社会人も必読! 「頭がいいとか悪いとか、ふだんよく使われる表現だが、もともとどういう意味があるのだろうか? (中略)  わたくしも教師生活を二十年近くは経験しているけれども、九十五点の学生と八十三点の学生の間に、 頭のよしあしの差があると思ったことは、いちどもない。 試験とはせいぜい、怠けているかどうかを知るのと、勉強をはげます程度にしか役立たないように思う。 学校の成績や入学試験にいたっては、競馬の勝ち負けより少しましだといったくらいのものだ。 とにかく信じられているほどには頭のよしあしとは関係がなさそうだ」 「独創とか創造とかについて、わたくしは日米あわせて五十冊くらいは参考書を読んだが、 (中略)すべてに共通することは、型にはまった考え方から離脱するために心身を訓練することであった。(中略)わたくしは、この態度をバンカラと呼んでいる」(本文より) ○脳は刺激を与えないと悪くなる ○「いつも」「みんな」という言葉は使うな ○朝は新聞を読むな ○ときどき、ふだん自分が興味のないジャンルを含め、あらゆる雑誌をまとめて眺め通すと、 頭のしこりがほぐれる(ブレーン・ストーミング読書)。 ○精読するときは、黄色のダーマト鉛筆を使って気になる部分に線を引く ○読み返しのときは、しばらく時間をおく ○日本語はピラミッド型、英語は逆ピラミッド型。だから英語を聞き取るためには、文の 最初に注目する。 ○自分に必要な情報を保存するとき、見出しをつけるときは「名詞」ではなく「動詞」を 使う ○保存する引用、要約に自分の見解を加えるときは、色を変えて書く ○アイデアを妨げるのは、「自分にはできない」という否定的な自己暗示 ○相手に理解し、同調してもらうためには、「仲間意識」をつくりあげる ○読み手を味方にするには、私小説的アプローチを入れる ○数量化は大切 ○自分の説と他人の説の区別は重要
阿片戦争(上) 滄海編
1973.08.29発売
阿片戦争(上) 滄海編
著:陳 舜臣
講談社文庫
内に人心荒廃し、外に中華思想を振りかざす清朝末期。産業革命後の英国新興資本は、市場を求める中国進出を企ていた。“阿片を認めるか否か”――暴利と保身に詭計をめぐらす特権商人、官僚達の渦中に、国を憂う清廉潔白な実力官吏林則徐と豪商連維材がいた。近代中国黎明のうねりを活写する大河小説。
阿片戦争(中) 風雷編
1973.08.28発売
阿片戦争(中) 風雷編
著:陳 舜臣
講談社文庫
阿片鬼と化す人々に亡国の明日をみた林則徐の阿片厳禁論は、動揺する道光帝の心を掴む。一地方官吏から欽差大臣へ、積弊根絶に英国と対決すべく広東に乗りこむ彼の周囲に内外の敵。民族の誇りと将来のために“みごとに戦う”――武力行使に移る英国艦隊の面前で、その威力を知りつつ林は阿片を焼き捨てる。
豆つぶほどの小さな犬・井戸のある谷間 他二編
1973.08.28発売
豆つぶほどの小さな犬・井戸のある谷間 他二編
著:佐藤 さとる,絵:村上 勉
小山にすむ小人の一族、コロボックルたちは、むかし豆つぶほどの小さないぬを飼っていました。ところが、死にたえたといわれていたそのマメイヌが、いまでも生きのこっているというではありませんか。──(「豆つぶほどの小さないぬ」)
だれも知らない小さな国・そこなし森の話 他二編
1973.08.28発売
だれも知らない小さな国・そこなし森の話 他二編
著:佐藤 さとる,絵:村上 勉
小学校3年生の夏休み、もちの木をさがしにいったぼくは、こんもりした小山や杉林にかこまれた三角形の平地で、小指ほどしかない小さな人たちをみつけます。それが、コロボックルとのはじめての出会いでした。──(「だれも知らない小さな国」)
てのひら島はどこにある・雨ふりこぞう ほか3編
1973.06.28発売
てのひら島はどこにある・雨ふりこぞう ほか3編
著:佐藤 さとる,絵:村上 勉
ある春の日曜日、おばあちゃんが、てのひら島の話をしてくれました。いたずらな男の子と、ふたごの女の子、それに「いたずら虫」やら「なき虫」、「やきもち虫」に「いばり虫」と、さまざまなむしの神さまがでてくる話です。──(「てのひら島はどこにある」)
マコトくんとふしぎないす・きつね三吉 ほか6編
1973.06.28発売
マコトくんとふしぎないす・きつね三吉 ほか6編
著:佐藤 さとる,絵:村上 勉
マコトくんの家の古ぼけた小さないすが、どんなにすばらしいいすかは、マコトくんだけが知っています。このいすは、野原を走るはだかうまにも、草原を歩くぞうにもなるのですから……。──(「マコトくんとふしぎないす」)
美について
1973.06.20発売
美について
著:今道 友信
講談社現代新書
山河の美しさ、芸術の美しさ、人格の美……美は、さまざまな位相をとって人間の前に立ち現われ、より高い価値へとひとをいざなう。では、ひとはいかにして「美」を発見し、どのようにこれを受け入れてきたのか。最高の美とはいかなるものなのか。本書は、美についての理念の変遷や芸術の展開と関連づけながら、その存在論的意味を解明した美についての形而上学である。 美は人間の希望である――真と善と美とは人間の文化活動を保証し、かつ、刺戟してやまない価値理念である。真が存在の意味であり、善が存在の機能であるとすれば、美は、存在の恵みないし愛なのではなかろうか。われわれは美しい山河を眺めただけですら、救われた思いに浸る。卓越した芸術作品の美に接すれば、人間の偉大さにうたれ、自分が人間に属することを誇りに思うであろう。美は、たしかに、挫折し苦しむことの多いわれわれに差し出された存在の光りのようにも思われるではないか。美はこのようにして、人間の希望である。この輝かしい経験内容である美を反省しないでいることは、人間の栄光と喜びとについて考えずにおくことになる。――本書より
黒い樹海
1973.06.15発売
黒い樹海
著:松本 清張
講談社文庫
仙台へ旅立った筈の姉が、意外や浜松のバス事故で急死!身分証明書が不明のため知らせが遅れ、笠原祥子は事故現場へとんだが手がかりは無い。新聞社へ勤めた彼女は、姉の交友関係の男たちを追求中同僚の婦人記者と、事件の鍵を握る女性の相次ぐ殺人事件に――。マスコミに潜む人間悪を抉る推理の傑作。
われら青春の途上にて
1973.06.15発売
われら青春の途上にて
著:李 恢成,装画:玉置 正敏
講談社文庫
早梅の文(千利休筆)
1973.05.30発売
早梅の文(千利休筆)
解説:中村 直勝,その他:中村 直勝(文学博士
文芸(単行本)
文明のあけぼの 新書西洋史(1)
1973.04.20発売
文明のあけぼの 新書西洋史(1)
著:富村 傳,その他:杉浦 康平,装丁:辻 修平
講談社現代新書
石器や象形文字が語る古代人の奔放な活動の足跡――。本書は文明の発祥から、豊穰な文化遺産を残したエジプト・オリエントまで、連綿たる西洋文明の基礎となる古代人たちの知恵と信仰、さらには戦いと平和の歴史を、いきいきとよみがえらせた。ロゼッタストーンの解読、遺跡の発掘などにまつわる興味深いエピソードなどもまじえながら、西洋古代文化の構造と特質を平易に解明した好著である。 新たな時代区分――本書では古代を、始原、古拙、古典の3時代に分けて、文化を総体的にとらえ、歴史の主要な動向をたどってみたいと思う。ここで、歴史のはじめを「原始」といわず、「始原」と呼んだのは、それなりに理由があるからである。「原始」という語は、一般に低級な文化を示すために早くから使用され、遠古の文化に対しても、また、現今の未開文化に対しても適用されてきたため、そこには救いがたい混乱が見られるのである。ひとしく低級ではあっても、この2つの異質の文化を明確に区別することが必要であり、そのためには、しかるべき術語を用意しなければならない。――本書より
赤んぼ大将山へ行く・タツオの島 ほか五編
1973.03.31発売
赤んぼ大将山へ行く・タツオの島 ほか五編
著:佐藤 さとる,絵:村上 勉
せまい庭にある小さな池に、タツオはかわいい島を1つつくってやりました。その夜のことです。まっ白なひげの小さなおじいさんがその島にやってきて、だれにも見えない光る家をたて、その中にはいっていったのは……。──(「タツオの島」)
海へ行った赤んぼ大将・だいだらぼっち ほか四編
1973.03.31発売
海へ行った赤んぼ大将・だいだらぼっち ほか四編
著:佐藤 さとる,絵:村上 勉
やっと1さいになったばかりの赤んぼうのタッチュンは、めざまし時計におこされて、モモンガ服をきせられました。すると、さあふしぎ。タッチュンは、走ったり、とんだりの大かつやくをはじめたではありませんか……。──(「海へいった赤んぼ大将」)
妖怪
1973.02.15発売
妖怪
著:司馬 遼太郎
講談社文庫
悪の限りがはびこる室町時代頽廃期。6代将軍の落胤という熊野の源四郎は、「将軍になろう」と京へ上る。京は7代将軍足利義政の御台所日野富子と、側室の今参りの局の陰湿な権勢争いに明け暮れ、源四郎はその暗闘の虜となり唐天子の幻術に翻弄される。応仁の乱前夜の奇々怪々に乱れる京の風雲を描く――。
またふたたびの道
1972.12.15発売
またふたたびの道
著:李 恢成,装丁:亀倉 雄策,装画:呉 炳学
講談社文庫