講談社文芸文庫作品一覧

可能性としての「在日」
講談社文芸文庫
在日2世作家として、少年期のサハリン越境の原体験をもとに、南北朝鮮の政治体制や日本のナショナリズム、さらにパレスチナ問題に対し、そのつど問題提起と行動をおこしてきた著者の、思想・文化・人間観が開示されている。21世紀を生きる「在日」の新しい可能性を追求した表題作ほか、単行本未収録の「韓国国籍取得の記」を含め、30余年の文学的営為を示す講演・エッセイを精選した。

インド綿の服
講談社文芸文庫
「足柄山からこんにちは」――自然に囲まれて暮らす一家の様子を、長女はユーモアあふれる楽しい手紙で知らせてくれる。山の豊かな四季。そこで営まれる若さと活力に満ちた生活。その便りは“私たち”に大きな喜びを与えてくれる。表題作をはじめ「楽しき農婦」「足柄山の春」など、家族の愛の交流を描く足柄山シリーズ6篇。
「足柄山からこんにちは」――
自然に囲まれて暮らす一家の様子を、長女はユーモアあふれる楽しい手紙で知らせてくれる。
山の豊かな四季。そこで営まれる若さと活力に満ちた生活。その便りは“私たち”に大きな喜びを与えてくれる。
表題作をはじめ「楽しき農婦」「足柄山の春」など、家族の愛の交流を描く足柄山シリーズ6篇。

ロング・グッドバイ 寺山修司詩歌選
講談社文芸文庫
詩人、歌人、俳人、劇作家、小説家
多彩な才能・孤独な詩人の魅力
昭和29年、18歳で「短歌研究」新人賞を受賞。21歳の時最初の作品集『われに五月を』を刊行。「天井棧敷」の設立のほか多分野に亘って人々を魅了した寺山修司の代表的作品群を新編集。詩、短歌、俳句、物語、散文詩の5章で構成し、未刊詩集、未刊歌集、絶筆、遺稿等を含め収録。「私という謎 寺山修司エッセイ選」と対をなす決定版詩歌集。

好色女傑伝(下)
講談社文芸文庫
ユーモアたっぷりに描いた貴婦人たちの奔放な“性態”
16世紀フランス、大動乱時代を生きたブラントームは、豊かな教養と旺盛な好奇心をもって、長い宮廷生活で見聞した上流婦人たちの奔放な性態を赤裸々に描いた。独特なユーモアとシニカルなスタイルを駆使して、当時の宮廷人の秘部を粉飾なく写しとった本書は、健康素朴なエロチシズムに充ち、史料的価値にもすぐれた文学的香気あふれる古典的名作である。

戦後短篇小説再発見10 表現の冒険
講談社文芸文庫
新しい文学表現宇宙をめざし挑戦する十二篇奔放な発想表現で世界名作童話をパロディー化した石川淳「アルプスの少女」他、内田百 、稲垣足穂、小島信夫、安部公房、澁澤龍彦、笙野頼子等。解説・清水良典

好色女傑伝(上)
講談社文芸文庫
ルネサンス期のフランス宮廷をいろどる愛の歓楽の種々相
1540年頃、南フランスの名門貴族の家に生まれたブラントームは軍人としてヨーロッパ各地を転戦し見聞を広めた。40歳過ぎに落馬事故に遭い故郷に隠退すると、余生をもっぱら回想録の執筆に費やした。当時のフランス宮廷や貴族社会の色模様をおおらかで健康的に、しかもユーモアたっぷりに描いた本書は、艶笑文学の古典的名作として広く読み継がれてきた。

私という謎 寺山修司エッセイ選
講談社文芸文庫
作家論、映画監督論、自叙伝など詩的感性が横溢するエッセイ集
私は1935年12月10日に青森県の北海岸の小駅で生まれた。しかし戸籍上では翌36年の1月10日に生まれたことになっている。(「汽笛」)
短歌、俳句、詩、演劇……さまざまなジャンルで煌めく才能を発揮し、47歳で逝った寺山修司の詩的感性が横溢するエッセイ集。偏愛したボルヘス、夢野久作、フェリーニ等についての洞察、自叙伝、芝居、競馬等のエッセイを収録。

作家の日記
講談社文芸文庫
作家としての精神を育んだフランス留学時代の内的記録ーー1950年6月、第1回カトリック留学生として渡仏し、1953年2月、病によって帰国するまでの2年7ヵ月の、刺すような孤独と苦悩に満ちた日々。異文化の中で、内奥の〈原初的なもの〉と対峙して、〈人間の罪〉の世界を凝視し続けた、遠藤周作の青春。作家としての原点を示唆し、その精神を育んだフランス留学時代の日記。

戦後短篇小説再発見9 政治と革命
講談社文芸文庫
時代の転回点で激しく噴出するエネルギー――状況の変革を求めて行動する人間の苦悩と抵抗を照射する12篇
・田中英光「少女」
・林房雄「四つの文学(或る自殺者)」
・堀田善衞「断層」
・野間宏「立つ男たち」
・埴谷雄高「深淵」
・倉橋由美子「死んだ眼」
・井上光晴「ぺぃう゛ぉん上等兵」
・古井由吉「先導獣の話」
・金石範「虚夢譚」
・高橋和巳「革命の化石」
・開高健「玉、砕ける」
・桐山襲「リトゥル・ペク」

百間随筆2 池内紀編
講談社文芸文庫
当代随一の文章家と謳われた百鬼園の随筆2偏屈で幻想的で鬱屈して滑稽な百間先生独得の個性を掬いとる池内紀編集によるエッセイ二十篇。「ねじり棒」「サラサーテの盤」「ノラや」「面影橋」などを収録。

海の泡 檀一雄エッセイ集
講談社文芸文庫
1912年山梨県に生まれた檀一雄は東大在学中から佐藤春夫に師事し、37年短篇集『花筐』を刊行した。戦後は『リツ子・その愛』『リツ子・その死』で文壇に確固たる地位を築き、76年1月、代表作『火宅の人』を残して死去。本書は数多くのエッセイから文学的交遊録と紀行文を中心に31篇を選んで5部構成にした、檀一雄の豊饒な資質をうかがい知るに足る新編エッセイ集。

戦後短篇小説再発見8 歴史の証言
講談社文芸文庫
戦争、敗戦を経て繁栄の時代へ――苛烈な状況下でも挫けず生きる個人を描き、時を超えて光彩を放つ11篇
・平林たい子「盲中国兵」
・阿川弘之「年年歳歳」
・中野重治「おどる男」
・三浦朱門「礁湖」
・富士正晴「帝国軍隊に於ける学習・序」
・佐多稲子「雪の峠」
・水上勉「リヤカーを曳いて」
・吉野せい「麦と松のツリーと」
・田中小実昌「岩塩の袋」
・李恢成「馬山まで」
・坂上弘「短い1年」

自伝の世紀
講談社文芸文庫
文学の長い歴史のなかで成長を続けた小説ジャンルといえども、20世紀になるとその地位がゆらぎ、あたかも生命体のごとくに、老化衰退の様相を呈し始める。その間、自伝ジャンルは、「私」のイメージの拡大とともに、目ざましい急成長をとげる。本書は、自伝ジャンルこそ20世紀文学の中核的位置を占めるものである、という主張を基軸に執筆された、著者畢生の自伝論である。芸術選奨受賞作。

百間随筆1 池内紀編
講談社文芸文庫
池内紀編集による内田百間の代表的随筆19夏目漱石の門下生として師の日常や知友芥川龍之介との交情等を俳諧精神に裏打ちされた奇抜でユーモアのきいた文章で綴る。「立腹帖」「鬼苑道話」等収録。全二冊

戦後短篇小説再発見7 故郷と異郷の幻影
講談社文芸文庫
記憶の底から蘇る忘れがたい光景――故郷・異国での失意と希望の日々を、過ぎ去りゆく時の中に刻む12篇
・井伏鱒二「貧乏性」
・長谷川四郎「シルカ」
・小林勝「フォード・1927年」
・木山捷平「ダイヤの指環」
・辻邦生「旅の終り」
・石牟礼道子「五月」
・五木寛之「私刑の夏」
・森敦「弥助」
・林京子「雛人形」
・光岡明「行ったり来たり」
・小田実「「アボジ」を踏む」
・島田雅彦「ミス・サハラを探して」

私の人生頑固作法 高橋義孝エッセイ選
講談社文芸文庫
Yシャツは何十年来、白の木綿のものしか着ない。色物、縞物は着たことがない。Yシャツを着始めて以来、白一色で通している(「私の人生頑固作法」)。独文学者であり趣味人で知られる、名エッセイスト・高橋義孝。知恵に溢れた含蓄ある辛口の随想は、人生論、文学論、能や相撲などの趣味のほか、様々に及ぶ。「実説百★記」「老いぬれば」「美しいことば」など30篇を収める精選エッセイ集。名エッセイストのユーモア溢れる辛口随筆。(注・★=門がまえの中に月)

われよりほかに 谷崎潤一郎最後の十二年(下)
講談社文芸文庫
通俗的な谷崎像をくつがえした労作
【日本エッセイスト・クラブ賞】受賞作
我といふ人の心はたゞひとり われより外に知る人はなし(「雪後庵夜話」)
晩年の谷崎潤一郎に12年間、口述筆記者として身近に接した伊吹和子は、著者ならでは知りえなかった谷崎の実像を整った日本語で冷静に記述する。谷崎の奇怪異様な心の奥の奥まで究め尽くし、世の通説に自信をもって異議を申し立てた労作。

戦後短篇小説再発見6 変貌する都市
講談社文芸文庫
孤独な人々の夢が集積する都市空間――焼跡の廃墟から大都市の砂漠まで、都市居住者の内面を捉える12篇
・織田作之助「神経」
・島尾敏雄「摩天楼」
・梅崎春生「麺麭の話」
・林芙美子「下町」
・福永武彦「飛ぶ男」
・森茉莉「気違いマリア」
・阿部昭「鵠沼西海岸」
・三木卓「転居」
・日野啓三「天窓のあるガレージ」
・清岡卓行「パリと大連」
・後藤明生「しんとく問答」
・村上春樹「レキシントンの幽霊」

上海游記・江南游記
講談社文芸文庫
大正10年3月下旬から7月上旬まで、およそ4ヵ月に亘り、上海・南京・九江・漢口・長沙・洛陽・大同・天津等を遍歴。中華民国10年目の中国をつぶさに見た芥川龍之介が、政治、文化、経済、風俗ほか、当時の中国の世相を鮮やかに描写。芥川独特の諧謔と諦観で綴った大正10年の中国印象記。表題作をはじめ「長江游記」「北京日記抄」及び、絵葉書に象徴的に記した各訪問地の感想「雑信一束」の5篇を収録。

われよりほかに 谷崎潤一郎最後の十二年(上)
講談社文芸文庫
文豪の知られざる実像に出会う驚き
【日本エッセイスト・クラブ賞】受賞作
京都で生まれ育った伊吹和子は24歳の時、下鴨の潺湲亭(せんかんてい)で当時66歳の谷崎潤一郎と会い「潤一郎新譚源氏物語」の原稿の口述筆記者となる。「谷崎源氏」の仕事が終わったあとは、中央公論社の谷崎担当の編集者として引き続き口述筆記に従事し、「瘋癲老人日記」や「夢の浮橋」など、晩年の傑作の誕生の現場に親しく立ち会う。