講談社学術文庫作品一覧

斜線 方法としての対角線の科学
講談社学術文庫
本書は、サブタイトルにある「対角線の科学」について、フランスの碩学カイヨワが論じたものです。対角線の科学とは、「既得の知識をいろいろな形で横方向に切断することによって、時として危険なまでに細分化してしまっている様々な探究分野の区分を補修する」という目的をもっています。
たとえば、蝶の翅、岩石の文様、絵画、神話になんらかの共通する構造を探り出そうとします。人間界と自然界の両方の現象の背後に潜む法則・原理を取り出しうるという方にカイヨワは賭けるのです。神話学、宗教学、社会学、人類学、動物学、鉱物学、数学、物理学などの広範な知見を統合し、「類推の極致」ともいうべき想像力の洞察に、正しさを求める営みとしての哲学を試みます。

岩波茂雄と出版文化 近代日本の教養主義
講談社学術文庫
岩波茂雄が起こした岩波書店の興隆は、「学歴貴族」の栄光の時代に呼応しています。近代日本のアカデミズムは外来で急ごしらえであり、「前衛」という言葉で操作可能だと見抜いていたのが、岩波茂雄であり、日本のインテリの底の浅さを見抜いています。教育社会学者の竹内洋氏は、日本のアカデミズムのありようと出版産業の構造を、問い直し、解明します。一冊で二冊分の内容を持っています。
本書は、岩波書店の創業者である岩波茂雄をめぐる分析『岩波茂雄 成らざりしカルテと若干の付箋』(村上一郎著)と、解説(竹内洋)からからなります。
信州人である岩波茂雄はいかにして出版社を起こし、出版界を牛耳っていくようになったのか? その過程で何を利用し、何を切り捨てたのか? 「岩波文化」と呼ばれる一大潮流を作り上げ、日本の教養主義を牽引したが、そこに問題はなかったのか?
おりしも、岩波書店の興隆は、近代日本の「学歴貴族」の栄光の時代に呼応しています。近代日本のアカデミズムは外来で急ごしらえのところがあり、しっかりと熟成されたものではなく、見せかけの「前衛」で乗っ取ることが可能だと見抜いていたのが、岩波茂雄であると村上一郎は述べます。そして、日本のインテリゲンチャのあり方の底の浅さを見抜いています。
教育社会学者の竹内洋氏は、日本のアカデミズムのありようと教養主義の盛衰、そして出版業というものが、文化産業としてどのような構造を持つのかを、『岩波茂雄』を土台に据えて、問い直し、解明していく、一冊で二冊分の内容を持つ本です。

フロイトとユング
講談社学術文庫
十九世紀末、フロイトによって確立された精神分析学。彼の高弟ユングは後に袂を分かち、一派をなす――。人間存在の深層を探究した彼らの存在は、今なお我々に多大な影響を与え続けている。彼らは何を追い求め、何を明らかにしたのか。二人の巨人の思想の全容と生涯を、それぞれの孫弟子にあたり日本を代表する第一人者が語りつくした記念碑的対談。
人間存在の深層を探究した二人の巨人
その思想の全容と生涯を両派を代表する日本の第一人者が語りつくす
十九世紀末、フロイトによって確立された精神分析学。彼の高弟ユングは後に袂を分かち、一派をなす――。人間存在の深層を探究した彼らの存在は、今なお我々に多大な影響を与え続けている。彼らは何を追い求め、何を明らかにしたのか。二人の巨人の思想の全容と生涯を、それぞれの孫弟子にあたり日本を代表する第一人者が語りつくした記念碑的対談。
深層心理学は知的な理解のみでは十分ではない。人間全体としてのかかわりが、真の理解のためには必要となってくる。そのような意味で、本書もわれわれの個人的な体験からはじまって、フロイトやユングの人となりに及びつつ論を展開していったことは、今から考えてもいいアイデアであったと思っている。……この対談をヒントとして、読者は深層心理学のなかの問題点をひろいあげ、自らの思索を深めてゆかれることだろう。――<本書「対話者あとがき」より>
※本書の原本は、1978年11月、思索社より刊行され、1989年8月、第三文明社よりレグルス文庫として再度刊行されました。

役人の生理学
講談社学術文庫
革命後、ジャーナリズムが勃興したフランスで一気にブレイクした「生理学」シリーズ。現代の「スーパー・エッセイ」のたぐいですが、バルザックの観察眼にはなかなか唸らせられます。冒頭の定義があります。「役人とは生きるために俸給を必要とし、自分の職場を離れる自由を持たず、書類作り以外なんの能力もない人間」現在と同じではありませんか!付録に、一九世紀の役人文学3篇を追加。
一九世紀の半ば頃、パリの書店は、「生理学」ものと呼ばれれる小冊子で溢れかえっていました。それは、扱う主題はさまざまで、風刺に満ちた出鱈目を書いたもので、青か黄の表紙がついており、読者を笑わせることを目的とした娯楽本でした。革命後、ジャーナリズムが勃興したフランスで一気にブレイクしました。現代の「スーパー・エッセイ」のたぐいでしょうか。
しかしその観察眼にはなかなか唸らせられます。
冒頭に定義があります。
「役人とは生きるために俸給を必要とし、自分の職場を離れる自由を持たず、書類作り以外なんの能力もない人間」
現在と同じではありませんか!
能なし役人とは「郊外に一戸建てを借りて住んでいる。中背、小太りで、ゆっくりと歩き、官吏であることを誇りにしている。どんな場合でも、体制に奉仕することに心血を注ぎ、政治音痴を自慢にしている。……『ジュルナル・デ・デバ紙』の意見をそのまま採用し、どんな権力であろうと、かならず権力の味方をする。」
この後、産業革命が起こり、金融資本が勢力を拡大してくると、民間企業で働く「サラリーマン」が誕生してくる。役人のようなライフスタイルが市民の間に広がっていくのである。『役人の生理学』で戯画化された人々は、現代のサラリーマンの原型なのです。
役人・会社員というのは、進歩していないことに驚かされます。
大文豪による抱腹絶倒のエッセイです。
付録に、一九世紀の役人文学3篇を追加。

明治医事往来
講談社学術文庫
平均寿命三十年の時代、電灯がつき、陸蒸気が走り、煉瓦の家が立ち並ぶ繁栄の裏には汚濁、貧困、頽廃があった。栄養立国・衛生立国をめざす一方で、「女工哀史」らを蝕んだ結核や、娼婦を死に走らせた梅毒検査。そして、夏目漱石、岩倉具視、樋口一葉らを襲った病魔の数々――。死と病いを身近に抱えながら生きた有名無名の人々を綴る、明治への鎮魂曲。
平均寿命三十年の時代、電灯がつき、陸蒸気が走り、煉瓦の家が立ち並ぶ繁栄の裏には汚濁、貧困、頽廃があった。栄養立国・衛生立国をめざす一方で、「女
工哀史」らを蝕んだ結核や、娼婦を死に走らせた梅毒検査。そして、夏目漱石、岩倉具視、樋口一葉らを襲った病魔の数々――。死と病いを身近に抱えながら生きた有名無名の人々を綴る、明治への鎮魂曲。

東京 下町山の手 1867-1923
講談社学術文庫
〈東京〉は、いつ生まれ、どう育ったのか。
江戸の残照を映す下町と、下町文化。
近代化を担った山の手と、山の手文化。
二つのせめぎあいと融けあいを軸として、
1867年から1923年まで―明治維新から関東大震災まで――モダン都市・東京へと変貌するさまをたどり、
江戸の香りが失われてゆく〈原・東京〉の姿を愛惜をこめて描く。
谷崎潤一郎、川端康成、永井荷風、三島由紀夫らを英訳し、源氏物語の英訳を完成させるなど数々の日本文学を世界に紹介した泰斗による東京論・近代日本論の名著。

忠臣蔵 もう一つの歴史感覚
講談社学術文庫
日本人の心の中に「大石内蔵助」という名は一つの男の理想像として刻み込まれている。しかし、このイメージは、実は歴史上の実像とは隔たりがある。それでは、「忠臣蔵」という共同幻想をつくったのは、本当はだれなのか。そして、この壮大なフィクションは、なぜこれほど日本人に愛され続け、『仮名手本忠臣蔵』はどのようにして歌舞伎最大の古典となったのか。明晰な構成と文体で鮮やかに描き出す、第一人者による意欲作。
誰がつくったのか。
なぜ愛されるのか。
日本人の心のうちに、「大石内蔵助」という名は一つの男の理想像として刻み込まれている。このイメージは、実は歴史上の人物像とは隔たりがある。それでは「忠臣蔵」という共同幻想をつくったのは、いったいだれなのか。そしてこの壮大なフィクションは、どのようにして歌舞伎最大の古典となり、時代を超えて一つの美意識を完成させるに至ったのか。
一つの美学が完成した。その流れをみれば、三人の名優が発明したことは、それぞれの時代におけるそれぞれのかたちであって、実は一つのものの表現にしかすぎないということがわかる。(中略)三人の名優の芸の系譜は、どんな時代にも、日本人の感性が一つのものを求めていたこと、少なくとも歌舞伎の世界の中では、一つの感性がこうしてとぎすまされ、それが一人の男の肖像として結実していったことを示している。――<本書より>
※本書の原本は、1981年、白水社より刊行されました。

吉田松陰著作選 留魂録・幽囚録・回顧録
講談社学術文庫
幕末動乱の時代、倒幕、維新を実現する長州藩の若者たちの多くが学んだ松下村塾。明治維新の精神的理論の支柱と称され、至誠と行動を貫徹した吉田松陰の思想とはなにか? 本書は、『幽囚録』『対策一道』『愚論』『回顧録』『急務四条』をはじめとする松陰の代表的な著作の原文に、平易な現代語訳を添えて丁寧な解説を施す。時代を変革する先駆者の思想の全貌を、本人の著述にもとづいて描き出した、必読の一冊。
幕末の動乱期、至誠と行動に生き、維新の原動力となった変革者の思想
身はたとひ
武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置かまし大和魂
至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり――。幕末動乱の時代、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文ら、倒幕・維新を実現する人材を育てあげ、明治維新の精神的理論の支柱と称された長州藩士、吉田松陰。『幽囚録』『対策一道』『回顧録』などの代表的著述に丁寧な語釈と平易な現代語訳を施した原典を通して迫る、至誠と行動を貫徹した時代の変革者の思想。
松陰は、彼自身、決して文章を飾ろうという意志などはなかった。むしろ高杉晋作などがあまりに名文を書くと、それを戒めるくらいであった。しかし、彼の自分を飾らない文章、そして何事をも一生懸命に考えて書く心の文章は、なかなかの名文章であるといってよいのである。それは、数多くの書簡、あるいは『留魂録』などを読めば解るであろう。――<「あとがき」より抜粋>
※本書の原本は、1969年5月、筑摩書房より「日本の思想」第19巻『吉田松陰集』として刊行されました。なお、原本所収の「講孟余話(抄)」は割愛しました。

イザベラ・バード 旅に生きた英国婦人
講談社学術文庫
19世紀を代表するイギリス人旅行家の生涯とは。体調不良に悩まされた41歳のイザベラが静養の目的で南洋にでかけたのがすべての始まり。以後アメリカ、マレー半島、日本、チベットなど、当時は外国人が足を運ばなかったような奥地にまで臆せず赴く。その記録はベストセラーになると同時に、民俗学的にも生物学的にも貴重な資料となる。知られざる幼少期から、旅先での苦闘、晩婚後の報われぬ日々まで、激動の72年間を描く。
本邦初訳
日本、チベット、ペルシア、モロッコ……
19世紀、未踏の地に行った! 見た! 書いた!
病弱のイザベラが静養の目的で南洋にでかけたのがすべての始まり。以後アメリカ、日本、マレー半島、チベットなど外国人が足を運ばなかった奥地にまで臆せず赴く。その記録はベストセラーになると同時に、民俗学的にも生物学的にも貴重な十九世紀の史料となった。知られざる幼少期から、異国での苦闘、晩婚後の報われぬ日々まで激動の七十二年を描く。
『スペクテーター』誌の評者はこう評している。「イザベラ・バードは理想的な旅行家だ。彼女は自分が見たものを正確な言葉を用いてあたかも読者が眼前に見るかのように思わせる素晴らしい能力を持っている……これまでバードほど巧みに表現できる冒険家はいなかった」(中略)読み進むにつれて、過ぎ去った過去に対する関心と郷愁がそくそくと読者の胸に迫ってくる。――<本書「序文」より>

物語の中世 神話・説話・民話の歴史学
講談社学術文庫
竹取物語、海幸彦・山幸彦、宮廷説話、芋粥、桃太郎、物ぐさ太郎、鉢かづき……。
本書は歴史学・社会史研究の立場から神話・説話・民話という素材に接近する。
絵巻物などの絵画に隠されたシンボルを読み解く刺激的な論考は、〈物語世界〉をとおして中世の〈現実〉とそこに生きた人々の生活や意識に迫る。
新しい中世社会像の構築に貢献した先駆的研究。

落語の言語学
講談社学術文庫
扇子に手ぬぐいというわずかな小道具のほかは、ただ演者の「一枚の舌」によって、庶民はもちろん将軍や大名を高座に呼び出すこともできれば、遊郭や冥界に遊ぶこともできる不思議な話芸、落語。この落語の面白さを支えているものは何か、少年時代からの落語ファンでもある言語学者が、「ことば」の面から分析した、異色の落語論。志ん生や文楽、円生、小さん、談志などの実例を引用しながら、特異な芸能の特徴・構造・魅力を解読。
扇子に手ぬぐいというわずかな小道具のほかは、ただ演者の「一枚の舌」によって、庶民はもちろん将軍や大名を高座に呼び出すこともできれば、遊郭や冥界に遊ぶこともできる不思議な話芸、落語。この落語の面白さを支えているものは何か、少年時代からの落語ファンでもある言語学者が、「ことば」の面から分析した、異色の落語論。
落語は、マエオキ、マクラ、本題、オチ、ムスビ、という構造からなる「言語空間」である。先人が築いたこうした「型」の上に、多くの演者が才能を開花させていった。彼らの「ことば」にはどんな特徴があって、一般の言語活動とはどう違うのだろうか。噺家はなぜ、「えー、一席お笑いを申し上げます」とマエオキをいうのだろうか。そもそもなぜ、落語にオチが必要なのだろうか。落語の「演題」はどのように決められているのだろうか。
志ん生や文楽、円生、小さん、談志などの実演の例を多彩に引用しながら、落語という特異な芸能の特徴・構造・魅力を解読する。
1994年と2002年に平凡社より刊行された同名書籍の文庫化。

往生要集を読む
講談社学術文庫
「地獄」と「極楽」を対立するものとする概念は、インド思想や一般仏教にはなく、日本独自のものである。日本人の宗教観の基層ともいえるのその考え方が日本に定着するのには、平安時代中期の僧・源信が著した『往生要集』の影響をぬきに語ることはできない。。
膨大な仏教経典や経文、論書を博捜して極楽往生に関する重要な文章を集成し念仏を勧める『往生要集』が示す浄土思想は、源流のインドの浄土教からどのように発展し、また歪曲されていったのか。
斯界の碩学が、インド仏教の原典と『往生要集』に綴られた源信の思想を徹底的に比較検討、独自の視点から日本浄土教の根源と特質に迫った、日本仏教を考えるうえで必読の一冊。

ウィトゲンシュタインの講義 ケンブリッジ1932-1935年
講談社学術文庫
「言語ゲーム」論はこうして熟していった!
中期から後期に向かうウィトゲンシュタインの生々しい哲学の現場を読む!
ある語の使い方を知っていることはチェスの駒の動かし方を知っていることに似ている。では、規則はいかにしてゲームをプレイすることの内に入り込むのか。――たとえば一九三二―三三年の講義でこう語りかける。言語、意味、規則といった主要テーマを行きつ戻りつ考察し続け、ウィトゲンシュタインにとっても画期となった時期の魅惑の哲学を味わう。
ボールを用いてプレイしている人々を見て、そしてそのようなゲームを百回見たあとで、そのゲームの規則を書くように言われたとしよう。しばらく見たあとならばその規則を書くこともできるだろうというのは、確かにふつうのゲームの場合であればその通りであるに違いない。さて、規則に従ってゲームをプレイすることと、たんに遊んでいることとの間にあらゆる種類の中間的事例がある。そしてそれはわれわれの言語においても同様である。――<本書「1934年-35年 ミカエル祭学期 講義3」より>
※本書の原本は、1991年、勁草書房より刊行されました。

記号論2
講談社学術文庫
『フーコーの振り子』の著者が問う「記号生産の理論」!
記号、あるいは記号の連鎖が作り出されるとはどのようなことか。
意味作用とコミュニケーションをめぐる思索は、いよいよ核心へ。
記号が作り出されるとはどのようなことか。記号生産の様式を認知、直示、模像、創案の四型に類型化。美的テクストなどの記号が表示義を絶えず新しい共示義に変えて行くさまを描出する。信号がその内容といかに相関するかという様式についても検討し、過剰コード化やコードの転換により新たな意味作用が生成する現象をも分析。記号という営みの核心に迫る!
メッセージとコードは両者の間に保たれる緊密な弁証法的な相互関係を通して、たがいに相手を養い合う。この関係を通じて受信者は新しい記号現象の可能性を意識し、それによって言語全体――すなわち、語られて来たこと、語りうること、語られうるし、また語られるべきことから成る遺産のすべて――を考え直すように仕向けられるのである。……意味体系を変えるということは、文化が世界を「見る」やり方を変えるということである。――<本書より>
※本書の原本は、1996年に岩波書店より刊行されました。

記号論1
講談社学術文庫
『薔薇の名前』の著者が問う「コードの理論」!
意味作用とコミュニケーションにかかわるあらゆる現象を統合的に捉える基本概念・理論をソシュール、パースを起点に体系化
記号とは何か。諸研究の成果をふまえて基本概念・理論を体系化。慣習的な認知を前提に意味作用とコミュニケーションを可能にするコードの成立の過程と機能の範囲について分析する。言語、思想、芸術……文化の種々層が実は記号現象として捉えうることを示し、意味の生成・伝達にかかわるあらゆる現象を統合的に捉える方法を追究する、壮大な思索の軌跡。
記号は固定化した記号論的存在物ではなく、いくつかの独立した要素(二つの異なる面の二つの異なる体系から由来し、コードによる相関関係に基いて合流する)の合流点なのである。もともと、記号などというものは存在せず、存在するのは記号機能だけなのである。……記号はコード化の規則により要素間に一時的な相関関係が成立する結果として暫定的に生じるものである。――<本書より>
※本書の原本は、1996年に岩波書店より刊行されました。

昭和維新試論
講談社学術文庫
日本人は、はじめて差別に憤り、平等を希求した。本書は、忌まわしい日本ファシズムへとつながった〈昭和維新〉思想の起源を、明治の国家主義が帝国主義へと転じた時代の不安と疎外感のなかに見出す。いまや忘れられた渥美勝をはじめとして、高山樗牛、石川啄木、北一輝らの系譜をたどり、悲哀にみちた「維新者」の肖像を描く、著者、最後の書。(講談社学術文庫)
日本人は、はじめて差別に憤り、はじめて平等を求めた。
悲哀にみちた「昭和維新者」の肖像を描く著者、最後の書。
日本人は、はじめて差別に憤り平等を希求した。本書は、忌まわしい日本ファシズムへとつながった昭和維新思想の起源を、明治の国家主義が帝国主義へと転じた時代の不安と疎外感に見出す。いまや忘れられた渥美勝をはじめとして、高山樗牛、石川啄木、北一輝らの系譜をたどり、悲哀にみちた「維新者」の肖像を描いた、著者最後の書。(解説・鶴見俊輔)
朝日の遺書全体を貫いているものをもっとも簡明にいうならば、何故に本来平等に幸福を享有すべき人間(もしくは日本人)の間に、歴然たる差別があるのかというナイーヴな思想である。そして、こうした思想は、あえていうならば、明治期の人間にはほとんど理解しえないような新しい観念だったはずだというのが私の考えである。(……)私はもっとも広い意味での「昭和維新」というのは、そうした人間的幸福の探求上にあらわれた思想上の一変種であったというように考える。――<本書より>
※本書の原本は、1984年に朝日新聞社より刊行されました。文庫化にあたっては1993年に刊行された朝日選書版を底本とし、2007年に筑摩書房より刊行された、ちくま学芸文庫版を参照しました。

ヴェネツィア 東西ヨーロッパのかなめ 1081-1797
講談社学術文庫
岩波書店から1979年および2004年刊行された同名書籍の文庫化。 原著は、VENICE The Hinge of Europe 1081-1797, The University of Chicago Press,1974

インド仏教思想史
講談社学術文庫
古代インドの歴史と思想潮流の中に仏教は生まれた。その教義は仏教思想の中核をなしつつ、初期仏教(原始仏教)、部派仏教、大乗仏教と展開し、チベット、東南アジア、中国、日本へと広がってゆく――。仏教思想の源流であるインド仏教を歴史にそって追い、その基本思想と重要概念、諸思想の変遷を精緻に読み解く、斯界の碩学によるインド仏教思想入門。
初期仏教から部派仏教、そして大乗仏教、密教へ――
仏教とはなにか
古代インドの歴史と思想潮流の中に仏教は生まれた。その教義は仏教思想の中核をなしつつ、初期仏教(原始仏教)、部派仏教、大乗仏教と展開し、チベット、東南アジア、中国、日本へと広がってゆく――。仏教思想の源流であるインド仏教を歴史にそって追い、その基本思想と重要概念、諸思想の変遷を精緻に読み解く、斯界の碩学によるインド仏教思想入門。
※本書の原本は、1975年6月、第三文明社よりレグルス文庫の一冊として刊行されました。

古事記とはなにか 天皇の世界の物語
講談社学術文庫
アマテラスとは高天原にあって葦原中国まで貫く秩序の原理である。スサノヲは秩序を根源からゆり動かす巨大なエネルギーだ。オホクニヌシはスサノヲの力を得て国作りを完成する――明快な論理と一貫した作品論的態度による読解で析出される『古事記』の全体構造と世界像とは。天皇の世界たる「天下」を語る物語として、厳密な読みを示した画期的力作!
黄泉国は地上にある!
高天原は『古事記』にあって『日本書紀』にはない!
詳細な読解で『古事記』論の画期をなした力作登場!
アマテラスとは高天原にあって葦原中国まで貫く秩序の原理である。スサノヲは秩序を根源からゆり動かす巨大なエネルギーだ。オホクニヌシはスサノヲの力を得て国作りを完成する――明快な論理と一貫した作品論的態度による読解で析出される『古事記』の全体構造と世界像とは。天皇の世界たる「天下」を語る物語として、厳密な読みを示した画期的力作!
天と地とが動きはじめる世界のはじめ、天の世界高天原に神々があらわれる、そのときに、地上は「ただよへる」のみで、世界とはいえないということなのである。後に見るように、地上が世界となるのは、イザナキ・イザナミの働きによってである。つまり、地上の世界=「国」は、天の世界にあらわれた神のもとにはじめて世界となる。逆にいえば、天の世界の関与なしには地上は世界としては成り立たない。(略)これが『古事記』の語る世界のはじまりなのである。――<本書「世界の成り立ちの物語」より>
※本書の原本『古事記』は、1995年、日本放送出版協会より刊行されました。

日本中世都市の世界
講談社学術文庫
公権力の及ばない「無縁」の地で職人や芸能民などの非農業民が構築・統制した流通・金融・商業の自立的な組織。中世考古学や文献史学などを援用した多角的視点から市場原理や自治等の諸問題を実証的に探究、「無縁」論をめぐる思索の全容を描出する。都市民による交流と文化の場としての新たな中世社会像を提唱した、記念碑的論集。(解説・桜井英治)
流通や金融、商業の自立的組織を構築した非農業民の世界の形成と諸制度――
「無縁」論をめぐる網野史学の記念碑的論集
公権力の及ばない「無縁」の地で職人や芸能民などの非農業民が構築・統制した流通・金融・商業の自立的な組織。中世考古学や文献史学などを援用した多角的視点から市場原理や自治等の諸問題を実証的に探究、「無縁」論をめぐる思索の全容を描出する。都市民による交流と文化の場としての新たな中世社会像を提唱した、記念碑的論集。(解説・桜井英治)
本書の刊行後、現在にいたる五年間に、中世都市研究は目覚ましい進展をとげたといっても、決して過言ではなかろう。……このような研究の発展を通して、中世都市の実態が鮮明に浮び上ってきただけでなく、「都市とはなにか」という最も根本的な問題がさまざまな角度から問い直されるとともに、さらに視野をひろげ、「人類の歴史とともに古い」とまでいわれるほどになった商業や都市の歴史を遡り、人類社会の中での位置づけ、その役割が問題とされるにいたっている。――<「文庫版あとがき」より>
※本書の原本は、1996年1月、筑摩書房より刊行されました。本講談社学術文庫は、同書を増補改訂し、2001年1月に同社より刊行されたちくま学芸文庫を底本としています。