講談社学術文庫作品一覧

時とはなにか 暦の起源から相対論的“時”まで
講談社学術文庫
人々の生活の基本にあり、日常を区切り律する「時」。その成り立ちや仕組みはあまり知られていない。幾多の不備があっても習慣として使い続けられる暦がある一方、高い精度が求められ原子単位となっていく「時」もある。一体「時」はどのように決められているのか。先人たちが苦労を重ね定めてきた歴史とともに、現代的な観点も含めて、「時」の専門家が壮大なテーマを易しく解説する。(講談社学術文庫)
時はどのように定められ、使われてきたか。人は時を測り、定め、保ち、利用してきた。日々の生活に密着した「時」は、どのような歴史を経て決められたのか。その道程や概念を時の専門家が易しく解説する。

ヨーロッパ人の見た幕末使節団
講談社学術文庫
使節団38名は訪問国でいかに迎えられたか 文久2年(1862)、天正年間以来250年ぶりの欧州への使節団派遣。「初めての日本人」を現地の目はどう捉えたのか。英・独・露の報道からその反響を探る。

山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰
講談社学術文庫
蛇と猪。なぜ山の神はふたつの異なる神格を持つのか? 日本古来の社の祭神の起源は、祖霊としての蛇神であった。6~7世紀、中国から将来された易・五行による新たな神々が、原始蛇信仰の神々と混淆し、山の神は複雑な相貌をもつようになる。神島の「ゲーターサイ」、熊野・八木山の「笑い祭り」、御田神社の「烏喰神事」などの祭りや習俗を渉猟し、山の神にこめられた意味を読み解く。(講談社学術文庫)
蛇と猪。なぜ山の神は二つの神格を持つのか。蛇はたんに「水の神」ではない。山=蛇は死と再生を司り、荒神、宇賀神ともなる。易・五行において山の神は、陰の極として亥となり、あらゆる生命の初発を担う。

病が語る日本史
講談社学術文庫
平安時代の人々は病気に罹ると怨霊・物の怪の所為とそれにおびえ、加持祈祷を大々的に行った。また仏教の伝来、遣唐使の派遣は海外の伝染病をもたらした。そして疾病の蔓延は人々を苦しめ、政治を動かし、大きく変えもした。
寄生虫に冒され、結核やポリオも病んだ縄文・弥生の人々、贅沢病ともいえる糖尿病で苦しんだ藤原家一族、江戸時代猛威をふるったインフルエンザやコレラ。
その他、天然痘、麻疹、梅毒、眼病、脚気など、各病気と当時の人びとがいかに闘ってきたかを、歴史上の事件、有名な人物の逸話を交え、〈病〉という視点を軸に展開していきます。
日本武尊の死因・脚気の原因はいつ明らかにされたか?
もし武田信玄がガンで急死しなかったら?
具体的な謎解きをまじえ、読者の興味を引き付けながら、それらの病が日本の歴史に及ぼした影響をさぐってゆきます。
医学史研究の第一人者が語る病気の文化史であり病気の社会史です。
原本 『病が語る日本史』講談社、2002年刊
●主な内容
第一部 病の記録
骨や遺物が語る病/古代人の病/疫病と天皇/光明皇后と施療/糖尿病と藤原一族/怨霊と物の怪/マラリアの蔓延/寄生虫との長いつきあい
第二部 時代を映す病
ガンと天下統一/江戸時代に多い眼病/万病のもと風邪/不当に差別されたらい・ハンセン病/脚気論争/コレラの恐怖/天然痘と種痘/梅毒の経路は?/最初の職業病/長い歴史をもつ赤痢/かつては「命定め」の麻疹
第三部 変わる病気像
明治時代のガン患者/死病として恐れられた結核/ネズミ買い上げ--ペスト流行/事件簿エピソード/消えた病気/新しく現れた病気/平均寿命と死生観
関連文献
あとがき

ペリリュー・沖縄戦記
講談社学術文庫
大ヒットのドラマ・シリーズ『ザ・パシフィック』の原作!「戦争は野蛮で、下劣で、恐るべき無駄である」。硫黄島に匹敵する損害率を記録した一九四四年秋のペリリュー島攻略戦、そして四五年春の沖縄上陸戦。二つの最激戦地でアメリカ海兵隊の一歩兵が体験した「栄光ある戦争」の現実とは?おびただしい生命を奪い、人間性を破壊する戦争の悲惨を克明に綴る、最前線からの証言。
大ヒットのドラマ・シリーズ『ザ・パシフィック』の原作!
「戦争は野蛮で、下劣で、恐るべき無駄である」。
硫黄島に匹敵する損害率を記録した一九四四年秋のペリリュー島攻略戦、そして四五年春の沖縄上陸戦。
二つの最激戦地でアメリカ海兵隊の一歩兵が体験した「栄光ある戦争」の現実とは?
敵味方を問わずおびただしい生命を奪い、人間性を破壊する戦争の悲惨を克明かつ赤裸々に綴る、最前線からの証言。
私はアメリカ第一海兵師団第五連隊第三大隊K中隊の一員として、中部太平洋にあるパラオ諸島のペリリュー島と、沖縄の攻略戦に参加した。
本書はその訓練期間と戦場における体験を記したものである。
(中略)
一人として無傷で帰還することはできなかった。多くは生命を、そして健康を捧げ、正気を犠牲に捧げた者もいる。
生きて帰ってきた者たちは、記憶から消し去ってしまいたい恐怖の体験を忘れることはできないだろう。(本書「はしがき」より)

西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇
講談社学術文庫
西洋史の泰斗ジャック・ルゴフが「先駆的民俗学者」と呼んだティルベリのゲルウァシウスによる奇譚集。南フランス、イタリアを中心にイングランドやアラゴンなどの不思議話を129篇収録。幽霊、狼男、人魚、煉獄、妖精、魔術師……。奇蹟と魔術の間に立つ《驚異》は「人間と世界の在り方の反省へと、謙虚に誘う」神聖な現象だった。中世人の精神を知るために必読の第1級史料。(講談社学術文庫)
奇蹟と魔術の間に立つ《驚異》は教訓となる。幽霊、狼男、人魚、煉獄、妖精、魔術師……。ここに収録されたのは「科学的驚異」である。自然でありながら、理解を超えた真実が、中世人の精神を陶冶したのだ。

江戸城 将軍家の生活
講談社学術文庫
豪族・江戸氏の館から皇居へ
比類なき最大の巨城の800年
12世紀半ば、草深い原野に館を設けた豪族江戸氏。以来、太田氏、上杉氏、北条氏、徳川氏、そして皇室へと、主を替え姿を変え、保たれてきた江戸城。江戸時代に全国の技術・労力を結集して築かれた城の壮大さと、歴史に占める重みとは他に類を見ない。その築城術や、政庁として、将軍の居城としての役割、城内の生活なども含め、現在は姿なき巨城を様々な視点から概観した好著。
※本書の原本は、1964年に中央公論社から刊行されました。

文化の型
講談社学術文庫
アポロ型文化とディオニソス型文化
『菊と刀』に先立つベネディクトの文化論
『菊と刀』で知られる著者の代表作。北アメリカ、メラネシアの3つの未開社会の文化を分析し、それらの性質が秩序や慎みをもつアポロ型と、陶酔や興奮を伴うディオニソス型であることを明らかにする。併せて、人類学の相対主義的立場、文化の多様性、社会の性格、個人と文化の関係等にも論及。「文化とパーソナリティ」の問題の先駆をなした書である。

ゴンチャローフ日本渡航記
講談社学術文庫
ロシア文豪の眼に映る幕末日本の庶民の姿 会談ともてなしの風景
1853年8月、通商を求めるプチャーチン提督の秘書官として長崎に来航したゴンチャローフ。通詞を介しての奉行とのやりとり、さらに幕府全権・筒井政憲、川路聖謨らとの交渉が進められてゆく。傑作『オブローモフ』作者の目に、日本の風景、文化、庶民や役人の姿はどう映ったのか。鋭い観察眼と洞察力にユーモアを交え、芸術的に描かれる幕末模様。
日本人の間には2、3人の老人たちもいた。彼らは股引をはいていた。つまり、彼らの両足は上の方まで青い布地で包まれ、みんな同じ脚絆をつけ草鞋をはいていた。短い合羽もまた青色であった。「これは一体どういう連中ですか」とたずねると、「兵卒たちです」という。兵卒だと!わが国でいう兵卒とは、まるで正反対の思いもよらない代物である。――<本書より>
※本書は1969年刊『ゴンチャローフ日本渡航記』雄松堂出版を底本としました。

漢字道楽
講談社学術文庫
甲骨文字からIT時代の漢字まで
「漢字の宇宙」に遊ぶ
「巨」の部首は?「卍」は何画?「布什」とはどこの大統領?――3000年以上昔の甲骨文字の時代から、漢字はどのように造られ、生活をうるおし、文化圏を広げてきたか。そしてIT時代の情報伝達をいかに担っていくか。漢字に囲まれて育った著者がその魅力と歴史と未来への可能性を語り尽くす、ユニークな漢字文化論。
教師という職業柄もあって、漢字が嫌いだという人を何人も近くで眺めてきた。そして漢字嫌いの人にあうたびごとに、漢字をめぐるおもしろさについて語ってきたつもりである。その試みは成功したこともあれば、そうでなかったこともある。しかしここではお堅い話は抜きにして、おおらかに漢字の世界を楽しんでいただきたい。そう念じつつ、私はこの本を書いた。「漢字道楽」と名づけたゆえんである。――<本書「プロローグ 漢字ブーム」より>

事典の語る日本の歴史
講談社学術文庫
「知」はいかに集成・分類され伝えられたか 道真が心血を注いだ『類聚国史』、初の日本語辞書『倭名類聚抄』、武士の教科書『太平記』、近世和学の集大成『古事類苑』……日本人の精神の系譜を類書に辿る。

榎本武揚 シベリア日記
講談社学術文庫
明治11年、2ヵ月かけての13000キロのシベリア横断の旅。幕臣・明治高官として活躍した榎本武揚の綴った日記は貴重な資料である。実地の踏査、綿密な観察、古馬車に揺られながらの克明な記述、19世紀末のシベリアの実情がつぶさに紹介される。本日記に関連する書簡3通と、幕府留学生としてオランダへ向かう船中で綴った「渡蘭日記」も付す。(講談社学術文庫)
実地の踏査、綿密な観察 明治11年のシベリアの実情を綴る明治高官の隠れた日記
明治11年、2ヵ月かけての13000キロのシベリア横断の旅。幕臣・明治高官として活躍した榎本武揚の綴った日記は貴重な資料である。実地の踏査、綿密な観察、古馬車に揺られながらの克明な記述、19世紀末のシベリアの実情がつぶさに紹介される。本日記に関連する書簡3通と、幕府留学生としてオランダへ向かう船中で綴った「渡蘭日記」も付す。
(榎本武揚の)生涯は、終始波瀾に富み、また一方ならぬ辛酸を嘗めたことは、彼がいかに国家に尽くすところが大であり、かつその活躍がいかに常人の追従を許さぬものであったかを物語っている。ここに収録せる「西比利亜日記」と「渡蘭日記」の2篇は、日本海軍の黎明期であると共に、夜明け前の日本の姿を記録せるまことに貴重な文献である。しかも忠実な記録の行間に溢るる先駆者の熱情は、涙ぐましいものがあり、武揚榎本の真骨頂を窺うに足る好個の資料でもある。――<本書「両日記の解説」より>

日蓮「立正安国論」
講談社学術文庫
あいつぐ異常気象・疫病・飢饉・大地震、そして承久の乱。荒廃する国土をもたらしたのは、正法が廃れ、邪法=専修念仏がはびこる仏教界の混迷である。日蓮は、社会の安穏実現をめざし、具体的な改善策を「勘文」として鎌倉幕府に提出したのが『立正安国論』である。国家主義と結びついてきた問題の書を虚心坦懐に読み、「先ず国家を祈って須らく仏法を立つべし」の真意を探る。(講談社学術文庫)
国家主義から解放し、虚心坦懐に真意に迫る 地震・疫病・飢饉そして承久の乱。専修念仏の流行による仏教の大衆化。国家存亡の危機にあたり、日蓮が鎌倉幕府に対して提出した社会安穏の意見書を徹底的に精査

パラダイムとは何か クーンの科学史革命
講談社学術文庫
トーマス・クーンという名前を知らない人でも、また科学史や科学哲学などの分野に縁のない人でも、「パラダイム」という言葉なら聞いたことがあるに違いありません。
いまや日常語として「物の見方」「考え方の枠組み」の意味で使われているこの言葉は、もともと1962年刊『科学革命の構造』というクーンの著書の中で語られたもので、「一定の期間、研究者の共同体にモデルとなる問題や解法を提供する一般的に認められた科学的業績」を意味していました。
この概念は、それまでの「科学革命は17世紀に起きた1回きりの大事件」という科学史の常識を覆す衝撃的なもので、「<科学>を殺した」といわれたほど、大きな影響を及ぼしました。
パラダイム・シフトは歴史上何回も起こり、それは社会・文化の歴史と密接な関係があるとするクーンの見方は、フーコーが人文科学的知の布置の変化を考古学的方法によって解き明かしたと同じスタンスで、「知」の連続的進歩という通念を痛撃しています。
本書は二十世紀終盤の最大のキーワードとも言うべき「パラダイム」の考え方を面白く、わかりやすく説くものです。
●主な内容
第1章 <科学>殺人事件
第2章 科学のアイデンティティ
第3章 偶像破壊者クーンの登場
第4章 『科学革命の構造』の構造
第5章 パラダイム論争
第6章 パラダイム論争の行方
【原本】
『現代思想の冒険者たち クーン パラダイム』1998年 講談社

イザベラ・バードの日本紀行 (下)
講談社学術文庫
北海道へ到達したバードは、函館を起点に道内を巡行、当地の自然を楽しみ、アイヌの人々と親しく接してその文化をつぶさに観察した。帰京後、バードは一転、西へと向かい、京都、伊勢神宮、大津等を巡って、日本の伝統文化とも触れ合う。発展途上の北海道と歴史に彩られた関西……そこで目にした諸諸に、時に賛嘆、時には批判、縦横に綴った名紀行。(講談社学術文庫)
大旅行家の冷徹な目が捉えた維新直後の日本 北海道内を巡行しアイヌ文化にも触れたバードは、東京に戻ったのち再び海路関西へと向かい、神戸に上陸。京都、伊勢、大津等を巡り、各地で鋭い観察の目を向ける

女帝と道鏡 天平末葉の政治と文化
講談社学術文庫
称徳天皇と道鏡、緊密すぎた関係の顛末とは 相次ぐ政変、病、孤独……悩み多き女帝に手をさしのべたのは、無名の学僧・道鏡だった。二人の蜜月から転落までを丹念に追い、八世紀末の仏教政治の実態を暴く。

生態と民俗 人と動植物の相渉譜
講談社学術文庫
日本人は自然から何を享受し何を守ったか。 食料となり燃料となり霊性をも帯びる木。肉として薬としてまた神使として供される動物。人々は周囲の生態系をどう活かしてきたのか。民俗事例から共生関係を探る。

宗教哲学入門
講談社学術文庫
宗教とは何か。その役割はどこにあるのだろうか。人は生あるかぎり「苦」を背負って歩む。物質的豊かさにもかかわらず、「退屈」と「不安」に苛まれる。手応えのない「空虚」な生に悩む。この現代的「苦」からの救済の道を、キリスト教、仏教、イスラム教という三大宗教はどのように指し示すのか。「信なき時代」における宗教の存在意義と課題を問い直す。(講談社学術文庫)
キリスト教・仏教・イスラム教
宗教は何のためにあるのか
宗教とは何か。その役割はどこにあるのだろうか。人は生あるかぎり「苦」を背負って歩む。物質的豊かさにもかかわらず、「退屈」と「不安」に苛まれる。手応えのない「空虚」な生に悩む。この現代的「苦」からの救済の道を、キリスト教、仏教、イスラム教という三大宗教はどのように指し示すのか。「信なき時代」における宗教の存在意義と課題を問い直す。
諸宗教はすべて、われこそは真理なり、と主張している。いったい本当には、どの宗教が真理なのであろうか。言い換えれば、どの宗教が絶対者へいたる道であり、命を約束してくれるのであろうか。諸宗教が入り乱れるグローバルな現代においては切実な問題である。そのことは多発する民族紛争の根底に宗教間の対立のあることを思えば、ただちに首肯できるであろう。――<「第1章 課題と方法」より>
※本書は、2000年、財団法人放送大学教育振興会刊行の改訂版『宗教の哲学』を底本としました。

中世ヨーロッパの農村の生活
講談社学術文庫
中世英国の農村、村人たちの日常生活とは? 14世紀前後のイギリス東部の農村、エルトン。村人たちはどんな生活をしていたのか。領主と農民、教会の役割、農作業の実際など中世農村の姿を立体的に描き出す。

江戸東京地名辞典 芸能・落語編
講談社学術文庫
古典落語を中心に講談、浄瑠璃、歌謡などに現れる江戸の地名を採録。秋葉の原、池の端、永代橋、お歯黒溝、神楽坂、角海老、兼康、思案橋、痔の神様、とげ抜き地蔵。落語・講談・浄瑠璃・狂歌など大衆芸能にはその時代々々の地名が人々の日常を伴って生き生きと登場する。江戸・明治期のこれらの地名はその後どこへ消え、どう変わったのか。町名、橋・坂名、寺社、大名家、妓楼など1500余を収録し、解説する。
古典落語、講談、浄瑠璃などに現れる地名。江戸・明治期の地名、橋名、坂名、寺社、大名・旗本家、妓楼、料亭など、今や消え去ってしまった地名集成。大衆芸能にまとめ上げられた当時の暮らしぶりが甦る。