講談社学術文庫作品一覧

日本妖怪異聞録
講談社学術文庫
妖怪に秘められた敗者たちの怨み声を聞く
大江山の酒呑童子、那須野の妖狐・玉藻前、是害坊天狗、大魔王・崇徳上皇……
妖怪は山ではなく、人の心に棲息している。妖怪とは幻想である。そして、自分たちの否定的分身である。国家権力に滅ぼされた土着の神や人々の哀しみ、怨み、影、敵が形象化されたものである。
酒呑童子、玉藻前、是害坊天狗、崇徳上皇、紅葉、つくも神、大嶽丸、橋姫。日本妖怪変化史に燦然と輝く鬼神・妖怪たちに託されたこの国の文化史の闇を読み解く。
酒呑童子は山の神や水の神と深いつながりを持っている。彼ら鬼たちは龍神=大蛇=雷神のイメージと重ね合わされており、酒呑童子が大酒飲みと描かれているのは、近江誕生説にしたがえば、彼がヤマタノオロチ=伊吹大明神の血を引く異常な「人間」であったからである。酒呑童子は仏教によって、もともと棲んでいた山を追われてしまう。それは山の神が仏教に制圧されたプロセスと同じであろう。(中略)酒呑童子の物語から、土着の神や人びとの哀しい叫び声が聞こえてくる。征服者への怨み声が……そしてその声は、自然それ自体が征服されていく悲鳴であるのかもしれない。――<「第一章 大江山の酒呑童子」より>

チャップ・ブックの世界 近代イギリス庶民と廉価本
講談社学術文庫
行商人が提供した本と読書の楽しみ、そして大衆文化への拡がり
18世紀のイギリスで、行商人チャップマンが日用品とともに売り歩いた素朴な廉価本――チャップ・ブック。安価で手軽に面白い話が読めることで、庶民に大いに愛された。占い、笑話、説教、犯罪実録、『ロビンソン・クルーソー』などの名作ダイジェスト……その多様なジャンルの読み物を人々はどう楽しんだのか。本の受容を通して、当時の庶民の暮らしぶりを生き生きと描き出す。
金に余裕のある上流階級や貴族はともかくとして、一般の労働者や庶民にとっては、いわば英文学の本道を行くような作品は高嶺の花だったと言うことができよう。1週間なり1ヵ月なりを飲まず食わずで過ごして本を買うなどというのは、恐らくよほどの酔興でなければ考えつかないことだったのである。その意味で、1ペニー、2ペンスという値段で買えるチャップ・ブックは、貴重な存在であった。――<本書より>

結社と王権
講談社学術文庫
日本的王権=天皇制の構造とは?
国家形成に与(あずか)る<結社>の存在とは?
王はどのようなところに生まれ、国家はいかに形成されるのか、また共同体社会とのつながりは? 王権と共同体の間に無限の距離を見出す人類学的な視線を日本文化に向けたとき、どんな姿が浮かび上がるのか。血縁や地域を超えて人々を結びつける幻想的共同体「結社」の存在分析を足がかりに、日本的王権=天皇制の構造と国家形成の道筋を考察する。

近代文化史入門 超英文学講義
講談社学術文庫
今まで何の関係もないと思われていた2つのものが、1つであることを知ることこそ、魔術・マニエリスムの真諦である。そして、これこそが究極の「快」である。光学、辞典、哲学、テーブル、博物学、造園術、見世物、文字、貨幣、絵画、王立協会……。英国近代史を俯瞰し、歴史の裏に隠された知の水脈を、まるで名探偵ホームズのように解明する「脱領域の文化学」の試みである。(講談社学術文庫)
ニュートンと庭と絵と文学はつながっている。科学、美学、社会学、歴史学、哲学、辞典学、庭園術、観相学、博物学……。あらゆる知の領域を繋ぎ合わせて、紡ぎ出す、奇想天外にして、正統な近代視覚文化論。

占領期 首相たちの新日本
講談社学術文庫
吉野作造賞受賞作
「亡国の再生」に挑んだ5人の首相たち
敗戦2日後に誕生した東久邇内閣を皮切りとして、7年後の占領統治の終焉までに、幣原、吉田、片山、芦田、再び吉田と5人の首相、6代の内閣が生まれた。眼前には、非軍事化、民主化、食糧難、新憲法制定等、難問が山積する。占領という未曾有の難局、苛烈をきわめるGHQの指令のもとで、日本再生の重責を担った歴代首相たちの事績と人間像に迫る。
本書は占領下で重い荷を負った「首相たちの新日本」を再現せんとする試みである。戦後日本の再生のドラマを、通史的に描くのではなく、5人・6代の首相たち(吉田のみ再度、政権についた)が、何を想い、何を資源として、この地に堕ちた国を支え上げようとしたか。そして何に成功し、何に行き詰まったか。「人とその時代」を6つ重ね合わせるスタイルで描こうとの試みである。――<本書「まえがき」より>

合戦の文化史
講談社学術文庫
武器、武具、戦闘法、生死観……
戦う者の心情と戦場の舞台裏
時代の最先端の技術が集約される戦争において、古代より武器・武具はどのように進化し、戦闘法はどう変わったのか。また、勇壮な舞台の裏側で死を覚悟した武士は何を思ったのか。「晴れの場」であった戦場における武士のいでたちと戦い方から、死者の葬礼・供養など儀礼にいたるまで、有職故実研究の第一人者が、合戦の知られざる背景を明らかにする。

中世ヨーロッパの社会観
講談社学術文庫
人体に、建造物に、蜜蜂に、チェス盤に――
隠喩で捉えられた社会像
中世ヨーロッパは教皇・皇帝という聖俗権力の下の階層秩序的な社会であった。人体諸器官に喩えれば君主は頭、元老院は心臓、胃と腸は財務官と代官、武装した手は戦士、足は農民と手工業者、そしてそれらは魂であるところの聖職者の支配に服する――ほかに建築・蜜蜂・チェスなどを隠喩として社会の構成と役割を説明する中世人の象徴的思考を分析。

孝経 <全訳注>
講談社学術文庫
人間観・死生観の結晶 儒教の古典を読み直す
本文18章と付篇1章から成る小篇である『孝経』は、
孝道を論じた儒教の経書で、古来永く読み継がれてきた。しかし、単に親への孝行を説く道徳の書ではなく、中国人の死生観・世界観が凝縮された書である。
『女孝経』『父母恩重経』「法然上人母へのことば」など中国と日本の『孝経』周辺資料も多数紹介・解読し、精神的紐帯としての家族を重視する人間観を分析する。
従来、『孝経』と言えば、子の親への愛という、いわゆる親孝行と、孝を拡大延長した政治性という、いわゆる統治思想と、この両者の混在といった解釈がなされることが多く、それが『孝経』の一般的評価であった。そうではない。『孝経』全体としては、やはり死生観に関わる孝の宗教性が根本に置かれている。その上に、祖先祭祀・宗廟といった礼制が載っているのである。――<本書「『孝経』の主張」より>

日本精神分析
講談社学術文庫
「日本精神分析」というエッセイは、日本の文化に関する考察である。私はいつも、日本人の経験を、自民族中心主義に陥ることなく、普遍的に意味をもつようなかたちで提示したいと思っていた。しかし、ある意味で、本書のエッセイはすべて、そのような姿勢で書かれている、といえる。ゆえに、本のタイトルを「日本精神分析」としたのである。――〈「学術文庫版へのあとがき」より〉
近代国家を乗り越える道筋を示す画期的論考。資本、国家、ネーションの三位一体が支える近代国家。芥川、菊地、谷崎の短編を手がかりに、近代日本のナショナリズムと天皇制、民主主義、貨幣を根源的に問う。

河口慧海日記 ヒマラヤ・チベットの旅
講談社学術文庫
艱難辛苦のチベット行
旅の日常がリアルに伝わる日記の全貌
慧海の旅行記は世に驚愕の渦を捲き起こしてきた。当時、厳重な鎖国政策をとる禁断の地への単独潜入。経典の原典を求めて、苛酷なヒマラヤ越えを敢行し、秘密のベールに包まれたチベットの実情を紹介した。砂嵐に耐え、飢えに苦しみ、強盗に遭い、大河で溺れる。本書は、近年発見されたチベット行の日記を全文掲載し、丁寧な注釈と解説を施す。また、姪の追想録も付す。
十月一日、朝六時発足して東南に進む。不食の故にほとんど足を進むること能はず。一里半ほど来りし時に、昨日長行の疲労と依雪眼病の痛苦と凍寒飢餓の困難と湊合して最早歩を進むること能はず。さりとて人家の宿る処に着かざれば、このまま草原中の露と消へん。強ひて足を進めんとすれば蹌踉飄漂として雪中に疆(はばま)る。進退全く極まりて草雪中に坐す。――<本書「河口慧海日記」より>

ローマ建国伝説 ロムルスとレムスの物語
講談社学術文庫
ローマ建国をめぐる英雄 ロムルスとレムスの生と死
大叔父の謀略により、生後すぐ捨子とされた王家の正系、双子のロムルスとレムス。2人は狼と牧人に養われ、長じて大叔父を討つが、ロムルスとレムスが覇を競い、ロムルスが勝者となってローマを興す――ローマ建国伝説である。この物語を、古代の史書等に拠りつつ、ロムルスの生涯を柱に再話。併せて物語を構成する諸要素を分析し、その意味を探る。

日本神話の源流
講談社学術文庫
太平洋の海洋文化圏、中国・朝鮮半島の遊牧・農耕文化圏、北方狩猟文化圏と接する日本列島。先史時代より、いくつもの波のように日本に到来した人々がいた。我々のルーツはどこなのか。日本神話は、東南アジア地域ばかりか、印欧語族の古神話と、同一の構造を備えていることも明らかになった。日本神話の起源・系統、その全体構造や宗教的意味を、比較神話学で徹底的に解読する。(講談社学術文庫)
神話に秘められた民族移動と文化伝播の記憶。日本文化は「吹溜まりの文化」である。北・南・西の三方向から日本に移住した民族、伝播した文化。大陸、南方諸島、北方文化の混淆の痕跡を日本神話の中に探る。

太平洋戦争と新聞
講談社学術文庫
満蒙の特殊権益をめぐる中国との対立から戦争の泥沼へとのめり込んでゆく日本。満州事変、日中戦争、太平洋戦争と続く動乱の時期、新聞は政府・軍部に対しどんな論陣を張り、いかに報道したのか。新聞紙法を始めとする法令、厳しい検閲に自由を奪われるとともに、戦争遂行へと自らの主張を転換する新聞。批判から迎合的煽動的論調への道筋を検証する。(講談社学術文庫)
新聞はなぜ戦争への道を阻止できなかったか。満州事変から日中戦争、太平洋戦争へと突き進む政府・軍部に対し、新聞はいかに報道し、どんな論陣を張ったのか。批判から迎合的煽動的論調への道筋を検証する。

イタリア・ルネサンス再考 花の都とアルベルティ
講談社学術文庫
花の都フィレンツェの驚異的絶頂の世紀を描く
万能の文化人アルベルティとともに、ヨーロッパを照らした「人文主義」の光源を探る
輝かしき15世紀(クアトロ・チェント)。繁栄をきわめるメディチ家と有力家族たちが、パトロンとなって花開く芸術。贅美溢れるモノの帝国にして、聖なる雅都となったフィレンツェ。社交と祝祭、聖と俗、科学と魔術、中世と近代が渾然一体となった都市を動かしていた思想とコードとはなにか。ダ・ヴィンチをして劣等感に臍を噛ませた万能人アルベルティを通して描く新ルネサンス像。〈解説・山崎正和〉
聖ベルナルディーノの言葉「イタリアは世界でもっとも知性的な祖国、トスカーナはイタリアでもっとも知性的な地方、そしてフィレンツェはトスカーナのもっとも知性的な都市である」は、わたしの確信を代弁している。昨今では、フランスやドイツやイギリスのルネサンスを、イタリアとひとまとめにして連続的に論ずる流儀がはやりのようだけれど、あんな北方の、田舎臭い文化活動、青白く屈折した意識の覚醒を「ルネサンス」と呼んで、個人と家族と都市がスクラムを組んで絢爛たる文化を開花させたイタリアと一緒にしてほしくないものだ。――<「あとがき」より>

フロイト=ユンク往復書簡(下)
講談社学術文庫
緊密な関係に亀裂、フロイトとユンク、訣別へ!
師弟として、父子として、濃密な関係にあったフロイトとユンクだったが、1911年、リビドー理論をめぐって2人の間にさざ波が立ちはじめる。この亀裂は深刻化し、やがて1913年、関係解消を呼びかけるフロイトの手紙にユンクが即応し、2人は悲劇的な結末を迎えることとなった。本巻では、訣別へと至る1910―13年の書簡を中心に収録。
フロイトとユンクの往復書簡は、2人のすぐれた人物のきわめて実り多い、しかも最終的にはまさに悲劇となった遭遇の直接のあかしである。この悲劇は、2人の出会いそのものの中に、そして、まさに古典劇の模範どおりに否応なく終局に向かって突進していった往復書簡の劇的経過の中に見受けられる。――<本書「編者による解説」より>

「縮み」志向の日本人
講談社学術文庫
あの『菊と刀』と並ぶ 外国人による日本文化論の傑作!
小さいものに美を認め、あらゆるものを「縮める」ところに日本文化の特徴がある。世界中に送り出された扇子、エレクトロニクスの先駆けとなったトランジスタなどはそうした「和魂」が創り出したオリジナル商品であった。他に入れ子型・折詰め弁当型・能面型など「縮み」の類型に拠って日本文化の特質を分析、“日本人論中の最高傑作”と言われる名著。

英文収録 おくのほそ道
講談社学術文庫
元禄2年、曾良を伴い、奥羽・北陸の歌枕を訪(おとな)い綴った『おくのほそ道』は日本文学史に燦然と輝く傑作である。簡潔で磨き抜かれた芸術性の高い文章、円熟した境地。私たち誰でもが馴染み親しむ数多くの名句も鏤(ちりば)められ、「わび」「さび」「かるみ」などの詩情が詠出される。日本人の心の文学は英語ではどのように表現されるのか。日本文学に造詣の深いキーン氏の訳で芭蕉の名作を読む。(講談社学術文庫)
ドナルド・キーン氏の英訳で芭蕉の名文を読む
元禄2年、曾良を伴い、奥羽・北陸の歌枕を訪(おとな)い綴った『おくのほそ道』は日本文学史に燦然と輝く傑作である。簡潔で磨き抜かれた芸術性の高い文章、円熟した境地。私たち誰でもが馴染み親しむ数多くの名句も鏤(ちりば)められ、「わび」「さび」「かるみ」などの詩情が詠出される。日本人の心の文学は英語ではどのように表現されるのか。日本文学に造詣の深いキーン氏の訳で芭蕉の名作を読む。
芭蕉は『おくのほそ道』の創造過程において、自らの芸術のためにはありとあらゆる形で正真正銘の事実に脚色を加えたのである。もう1つの例を挙げてみよう。芭蕉は「路ふみたがえて、石の巻といふ湊に出」と書いたが、別に道に迷った訳ではなく、石巻の金持ちに招待されたのである。また、相当に良い家に泊まっただろうが、この事実をも隠した。芭蕉は現在でも石巻では嫌われているそうである。――<本書「芭蕉における即興と改作」より>

フロイト=ユンク往復書簡(上)
講談社学術文庫
熱い連帯に支えられ、旧来の医学界に敢然と挑む
2つの巨星
20世紀が生んだ2人の巨人、フロイトとユンク。1906年4月11日付のフロイト書簡を皮切りに、2人の間に約7年、360通に及ぶ文通が始まる。フロイトはユンクを溺愛して「息子」と呼び、ユンクも「父」なる師に忠実に応えた。2人は同志として連帯し、精神分析を否定する医学界に敢然と戦いを挑む。本巻では1906―09年の書簡を収録。
2人は1906年の4月、文通をはじめた。11ヵ月後、2人ははじめてウィーンで会い、ユンクの言葉によれば休みなく13時間も語りあった。その後7年間、2人は数日の間隔をおいて文通を続けた。……2人の書簡の中には、相互の友情の発展と密接な協力、それに最終的訣別の歴史が独特の明白な感動的方法でくりひろげられている。――<本書「解説者序文」より>

古代豪族
講談社学術文庫
藤原氏の誕生、吉備真備の大出世、最後の豪族・将門……
朝廷に蠢き、地方を治めた有力者たちの実像を描く
財産の世襲が、全国各地に豪族を生んだ。弥生時代に誕生した豪族は、律令国家誕生でその性格を大きく変える。反朝廷と親朝廷。地方と都。さまざまな貌の豪族たち。役所と警察と裁判所と税務署をかねた郡司の生活とはいかなるものだったか。藤原氏などの有力豪族はいかにして隆盛したのか。飛鳥時代から最後の豪族・将門の平安中期まで、初期国家に蠢いた有力者たちの実像を描く。
豪族と貴族のちがいはどこにあるのだろうか。感覚的には豪族が土臭いのに貴族は洗練されているといえる。豪族が発生するのは、全国各地に財産の世襲がはじまったときからであるが、貴族はその後に統一国家が成立して、地方から豪族が都に集住したときに、かれら豪族が転化して貴族になるのである。豪族は国家から相対的に自立しているが、貴族は国家に寄生している。また豪族のなかから貴族が発生するが、貴族になれなかった豪族は、そのまま全国各地に存続しうる。国家を破壊する力は貴族にはないが豪族にはある。――<「はじめに」より抜粋>

民主主義 古代と現代
講談社学術文庫
ギリシア史家の第一人者が執筆した民主主義論の名著
民主主義は時代の潮流であり、世界の正統思想であり、また、現代政治のキーワードともなっている。理想の政治、民主主義とは一体どのようなものなのか。ギリシア史家の第一人者が、古代民主制の模範的都市、アテナイの政治の仕組み、機能、問題点や補完策などその実態と本質を功罪両面から学問的に的確に分析し、現代の民主主義のあり方を考える政治学の名著である。
今日の西欧社会においては、誰もが民主主義者である。……(本書では)私は政治学者や理論家としてではなく、職業的歴史家として書いている。古代ギリシアと現代それぞれにおける民主主義の観念を、根本的に異なる2つの世界を論議する上で可能な範囲内で、弁証法的に論じようとした。それぞれの社会は他の社会を理解するのに役立つとの信念に基づいてのことである。――<本書「序文」より>