講談社現代新書作品一覧

コ-ランと聖書の対話
講談社現代新書
イスラーム国エジプトには総人口の10パーセント強のキリスト教徒=コプトの人たちが住んでいる。少数派コプトの歴史と文化を浮き彫りにし、神の啓示という共通の根を持ちながら対立のみが目立つ両教の相互理解の道を、エジプトの人々との交流をふまえ考察する。
モーセの山、シナイ山──まわりのシナイ連山を瞼にやきつけながら一歩一歩踏みしめていくと、岩肌に朱色のサリーブ(十字架)と白色の“アッラー・アクバル”(偉大なる神)の文字が並べて記されてあるのにでくわした。実に感動的であった。このガバル・ムーサ(モーセの山=シナイ山)を一歩一歩時間をかけて登っていくことの大きな意味の1つは、とくにユダヤ教徒、クリスチャン、モスレムたちがモーセにまで立ち返ることになれば、皆は充分一体感が持てるようになることを身をもって体感していくところにあると言えよう。──本書より

ユ-ゴ粉争―「多民族・モザイク国家」の悲劇
講談社現代新書
「民族浄化」という狂気のもと、蓄積された民族主義と武器が、かつての隣人を殺戮していく。わずか73年で崩壊。戦争状態となった“自主管理・非同盟”の国家・旧ユーゴ。悲劇の歴史的背景を辿る。
計画的、組織的かつ大規模――わたしが聞いた難民たちの証言をまとめると、セルビア側の「民族浄化」作戦はボスニア戦争開始直後の92年5月から7月までの約3ヵ月間に集中しておこなわれた。犠牲者の大半はこの時期に村を追われたり、命を落とした。支配地を拡大するために住民を大量虐殺し、家々を焼き払う。殺し方も、ナイフで喉をかき切るなどの残忍な方法が意図的にとられる。わざと一部を生きたまま逃がすのは、「セルビア人の蛮行」を周囲の村々に伝えさせるためだ。セルビア人を恐れて自分から逃げてもらえば、殺すよりも手間はかからない。集落ごと「無傷」で手に入れることができる。殺さない場合でも、男は家畜小屋などを改造した「強制収容所」に閉じ込める。女には性的暴行を加え、あるいは殺しあるいは妊娠したことを確認してから釈放する。――本書・

「葉隠」の叡智 誤一度もなき者は危く候
講談社現代新書
戦国も既に遠い泰平の時代、武士の道は「奉公人」の道となる。「志」を勧め、「名利」を説く「葉隠」に、治世を生きる人間哲学を読む。
「奉公人」への道──ひとは一般に、「葉隠」の語り手山本神右衛門常朝について、どのような印象を抱いているであろうか。なにしろ「死ぬ事と見付たり」の御本人である。あるいは言うかもしれぬ。彼こそは武の人、強者、古武士の典型なり、と。だが私の見るところはちがう。彼は文の人、弱者、分別ある治世の「奉公人」である。(中略)強い武士というものは、「勝つ」ことだけを考えて、いちいち「死」を覚悟したりなどしない。これに対し、弱者になればこそ「死の覚悟」によりみずからをふるいたたせる必要があるのである。──本書より

パクス・イスラミカの世紀 新書・イスラ-ムの世界史(2)
講談社現代新書
ユーラシアを覆う「イスラームの平和」が生み出した空前の大交易時代。オスマン帝国など強大な三帝国の下で、イスラームの繁栄は第2のピークを迎える。イスラームから世界史を読み直すシリーズ第2巻は拡大と成熟の時代を描く。
染付コレクションが語るもの――イスラーム世界は、7世紀後半における成立以来、一貫して旧世界の三大陸の陸と海の交通が輻輳するところでありつづけた。当時の世界各地を結ぶ交通ネットワークは、移動の文明であるイスラームの支配下にあった。つまり、イスラームの歴史そのものが、すべて「大交通時代」であったとさえいえよう……。こうしたイスラームの大交通時代の繁栄の一端は、イスタンブルのトプカプ宮殿にいまも残る、膨大な中国陶磁器コレクションにみることができる。宋の青磁と白磁、明の赤絵、そして世界最大の規模をほこる元の染付コレクション。こうした貴重な陶磁器は、「陶磁の道」を経て、ムスリムたちによってオスマン帝国へと運ばれたものであろう……。ヴァスコ・ダ・ガマのいわゆるインド洋航路「発見」も、大西洋から喜望峰を回ってインド洋への入口を発見しただけで、そこからの彼のインドへの道は、まさにムスリムのインド洋ネットワークに頼ってすすめられたのだった。――本書より

画像検査で読む人体
講談社現代新書
最新のハイテク医療技術が映し出すからだの内側。従来のX線検査に加えて、CT、超音波(エコー)、MRIなど、多様化する画像診断法を紹介し、知っておきたい各種検査の意味と、賢い受診のための基礎知識を提供。
画像検査の意義──医療情報が乱れ飛ぶ今日の社会状況のなかで、患者さんが画像検査に対する認識を深めることの意義は、どこにあるのだろうか。それはまず、今日の画像診断の特徴や利点や限界またその背景などを、患者さん側も、ある程度は理解しておき、より適切な診療を受ける機会を自らつかむことではなかろうか。それはまた、人々がさまざまな検査を円滑に受け入れられる、市民的な理解の素地を作ることにもなると思われる。そこで、このような視点から、今日の臨床現場で多く利用されている画像診断の一端を、案内してみようと思う。──本書より

コミュニケ-ションの英語
講談社現代新書
英語表現を覚えるにはまずその文化背景から。感謝は誰が何にするのか?相手を否定しない不同意とは?言葉を裏付ける非言語表現とは?他者と「思い」を共有した言語関係(コミュニケーション)への道案内。
言葉以外のことば――最期にアドバイスを1つ。それは、どうぞ観察してくださいということである。英語を話す・聞くだけでなく、その言葉とともにどんな非言語行動がなされているかを観察してみると、今まで見えなかったようなことに気づくはずである。言葉によるコミュニケーションと非言語によるものとの両方が意識された時、その人のコミュニケーション能力は飛躍するに違いない。そして、この観察の対象は、コミュニケーションの相手に対して向けられるだけでなく、自分自身の行動にも向けられるべきである。自分の文化の中で無意識のうちに身につけてきた非言語行動がどんなものなのか、そして、それが異文化と接触した際、どんな意味をもつのかを観察する中で、いうなれば、「文化を超えた」自分独自の非言語行動のパターンも可能になるのではないだろうか。――本書より

「孫子」を読む
講談社現代新書
人間心理の奥底を見つめ、「必ず勝つ」方法を冷徹に追求しつづけた孫子。勝算の冷静な分析、無勢で多勢に勝つ方法、リーダーに迫る5つの罠――など、しなやかな知と逆転の発想にみちた「最古最高の用兵理論」を読みとく。
百戦百勝はベストではない――『孫子』の兵学の特色は、軍事についてきわめて柔軟な発想を展開している点である。たとえばその柔軟さは、戦争イコール戦闘とは考えないといった形で現れてきている。…… 「交を伐つ(敵の外交関係を断ち切る)」(謀攻篇)といった外交戦術であったり、「謀を伐つ(敵の陰謀を未然に葬る)」(謀攻篇)といった謀略活動であったりする方が、金もかからず、血も流れず、はるかに効率がよいことになる。…… 孫子にいわせれば、決戦以外の戦闘をいかに巧みに回避して行くかが、将軍の腕の見せどころであって、百戦百勝を誇るのは、すでに百戦した点で凡将と称すべきである。――本書より

都市の文明イスラ-ム 新書イスラ-ムの世界史(1)
講談社現代新書
百万都市に集まる世界の巨富、コスモポリタンとして生きる人々。イスラームから世界史を読み直すシリーズ第1巻は、中東文明の継承者が世界文明をリードした時代を描く。
アーバン・ライフの達人たち――8世紀のイスラーム社会では、官僚や軍人の棒給はすべて現金で支払われた。これは驚くべきことといってよい……。これを実行するためには、現物で徴収された租税を商人に売り渡して現金に変え、この収入を基礎に精密な予算を組む必要があった。つまり、高度に発達した貨幣経済と官僚組織がすでに整えられていたのである……。イスラーム時代に入って、西アジアの都市はらさに洗練されたおもむきを呈しはじめる。市場は世界各地からもたらされた商品であふれ返り、現金さえあれば何でも買うことができた。遠隔地との取引をおこなう大商人は、現代の総合商社にも匹敵するといってよい。各地に代理人を派遣し、その情報にもとづいて有利な売買をおこない、その決済に手形や小切手が用いられた。豊かな生活を享受し、イスラームについての知識をみがくこと、これが都市に生きる人々の理想であった。イスラーム社会は、ヨーロッパに先がけて、都会的な生き方のマナーを身につけ、これを積極的に楽しむ人々を生みだしたのである。――本書より

蘇州―水生都市の過去と現在
講談社現代新書
長江下流域デルタ地帯、背後に広大な太湖、点在する湖沼、縦横に走る大小の運河、この水豊かな地に“大輪の花”のごとく栄えた古都・蘇州。その繁栄と衰微のさまをあとづけながら、東洋の水の都の運命を探る。豊かな水の恵み――江南の大小さまざまな都市のいずれもが水運を巧みに利用した形態をもち、その恩恵をたっぷりと受け取っていることは、都市形態や産物を見ればわかる。いずれの都市も交通および流通手段として水路を活用している。産物は魚や米。織物とて水がなくては良いものができない。場所は違うが名酒を産する紹興もまた水性豊かな一帯である。かくのごとく、水は江南のひとびとにたっぷりと恵みを施した。これは、近年も変わらない。近年の工業の隆盛もまた、豊かな水に頼っている。太湖の最近の産物に加わったものに淡水真珠があるが、これもまた水性豊かな一帯なればこその産品である。江南の豊かな水は、今日もなおひとびとに恵みを施し続けているのだ。――本書より

ロシア市場経済の迷走
講談社現代新書
ロシアに市場経済は定着するのか。92年価格自由化に始まる改革意図とは裏腹に、苦境にあえぐ市民生活。表と裏が入りまじる混乱経済の実態を追跡。
経済改革への流れ――われわれはこのロシアの市場経済化への実験の軌跡をなんとか追跡して、記録しようと試みた。だが、広大な国、1億5000万人も住む国の動きがそう簡単につかまえられるものではない。そこで、政策の送り手ではなく、受け手の現場を追ってみようと、首都モスクワと極東のウラジオストクに観測の定点を決め、そこでの住民の生活、仕事、考え方などの変化の動きを中心に追跡してみた。(中略)ロシア市場経済の行方はまだ定かではないが、長い間の社会主義思考に染められ、画一的な考え方しかできなかったロシア人が、大混乱、混沌の中で戸惑いながらも少しずつ変わろうとし、変わりつつある姿だけは浮き彫りにされたのではないかと思っている。――本書より

心身症
講談社現代新書
ストレスが腰痛を生み、不安が胃潰瘍を生み、行動パターンが病気を誘導する。心身相関に関する最新研究を紹介し、近代医学が引き裂いた「こころ」と「からだ」の統合を目指す新しい医学を提唱する。
すべての病は心身症である――コンサルテーション・リエゾン精神医学の基本にあるのは、すべての病は心身症であるという、広い意味の心身医学の考え方である……。人間においては、その内部において心(脳)と身体各部の間に相互作用が行われると同時に、外部の環境(対人関係を含む)との間でたえず相互作用が行われている。人間の疾病とは、この複雑な相互作用がどこかで何らかの不調をきたしたものと考えられる。したがって人間の疾病をみる場合には、心と身体を二分するのではなく、人間の内外における全体を評価し、治療的立場からどの因子の処理に力を注いだらよいかを判断すべきである。こういう心身相関の考え方に立てば、人間のすべての病は心身症と考えられ、とりわけて心身症という特殊な疾患群を考えたり、心身医学という特殊な学問領域を設けることは不要であるとも考えられるのである。――本書より

反日感情―韓国・朝鮮人と日本人
講談社現代新書
36年間にわたり隣国を植民地として蹂躙し、人々を強制連行したり、「従軍慰安婦」とした戦前。このことに対し、積極的に償いをしてこなかった戦後。隣国との歴史を再検討し、日本に対する彼らの不信感の根拠を探る。
天皇と責任――朝鮮人は、天皇を朝鮮植民地支配の責任者と考える。なぜなら、形式的にではあれ、朝鮮を植民地にしたのは明治天皇の名においてであったからである。大日本帝国憲法第13条は、「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」ることを規定していたし、実際に条約の調印にあたる全権代表を任命するのも天皇の仕事であった。また、すべての条約は「天皇の批准に依り完全に確定するものと認められ」ていた……。天皇の批准あるいは裁可がなければ、朝鮮の植民地化もなかったわけである……。さらに、「皇民化」政策と呼ばれた、朝鮮神宮(明治天皇らを祭っていた)などの神社への参拝強要、「皇国臣民ノ誓詞」斉唱の強要、日本語の強要、創氏改名の強要などは、いずれも朝鮮人を昭和天皇の臣民に化そうとするものであった……。1984年に全斗煥大統領が来日したとき、昭和天皇(韓国では「日王」「ヒロヒト」と表記されることが多い)の発言、いわゆる「お言葉」が問題になったのは当然であった。――本書より

巨大銀行の構造
講談社現代新書
預金量世界上位を独占する日本の巨大銀行群。強大な経済支配力、徹底した秘密主義、カネ・人・情報のパワー、証券との死闘、そして厖大な含み資産と不良債権――。日本資本主義を育成した金融の王者たちの光と影を内部から克明に描く。
床柱を背にした銀行――企業は銀行の機嫌を損じてはいけない。そこで、貸付部門の人々や、審査担当の幹部役員などに豪華な宴席や、盆暮れの高価な贈答品提供などの接待攻勢をかけた。「床柱を背にした銀行」と揶揄(やゆ)された光景であった。……諸産業の君臨し、一段と高いところから企業経営の隅々まで関与し、不満足であれば賃金を減らし、時に役員を派遣する。古典的金融理論でいうところの「独占金融資本の産業支配構造」そのものの風景であった。「石橋を叩いて他人に渡らせて自分は渡らない」のが銀行の本質で、「貸渋り」はいま始まったわけではなく、「雨が降ったら傘は取り上げる」のが、わが国の銀行の深層心理に定着していて、そう簡単には変わらない。いまでは、資本市場があるので大企業の銀行依存度は弱まったものの、市況が悪ければ増資や債券発行が難しくなる。やはり銀行に逃げられたら困る。まして中小企業は銀行に頼るしかない。いざとなったら銀行様なのである。――本書より

ゴリラとヒトの間
講談社現代新書
「狂暴で残忍な」ゴリラは、穏和な森の住人だった。胸叩き(ドラミング)の見事な様式美。ストイックな視線の会話。多様な行動文法を読み解き、類人猿から人への進化を探る。
平和共存の儀式的行動――相撲と胸叩きが異なるのは、前者が闘いを必然としているのに対し、後者が闘いを避けることが前提であるということだ。そのため、相撲では仕切りは両者がぶつかり合うための前奏として重要である。それぞれの儀式化された美しい動作は、むしろ両者の力を抑え、闘う意思を統制し、一瞬の立ち合いをうまく合わせることへ集中する。一方ゴリラでは、ディスプレイが架空の闘いを演出する。両者は代わる代わる胸を叩いてクライマックスに達し、異なる方向へ突進して闘う意欲を相互に外すことに重点が置かれる。闘いに至れば、ゴリラのオスは死を賭した真剣勝負をしなければならない。相撲のように、体に土がついたり、どちらかが土俵を割った時点で勝負が決まるということはない。ゴリラのシルバーバックたちは、ディスプレイの中で燃え尽き、闘いや攻撃に発展することなく興奮を静める術を進化させたのである。――本書より

看護婦の現場から
講談社現代新書
一刻を争う救命救急医療から、ターミナルケアまで、医療の最前線で生命の尊厳と向きあう看護婦たち。深夜勤務、密度の濃い労働、恵まれない待遇など、知られざる看護の実態と、揺れ動く医療制度にメスを入れ、よりよき看護と介護のあり方をさぐる現場からの報告。
「よい看護」とは――「自分の問題」として看護を受けとめてみる時、いま一度、私たちは看護の内容を何も知らず、また知らされてこなかったことに気がつくのである。看護婦さんたちは、どんな現場で具体的に何をしているのか。患者は、どんなことをしてもらえるのか。患者の側も、それをイメージとしてつかんで、世の中に声を出してもいいのではないか、と思った。と言いつつ、私たちはイメージをつくり出すための資料をほとんど持っていない。知らされてこなかった、と言ってよい。ここまで考えて、私は、とにかく看護の現場を歩いてみようと思い立った……。いわば、「よい看護」探しである。「よい看護」ができる条件はなんなのか。看護婦さんたちが「よい」と思うことは、患者にとっても「よい」ものであるのか。そして「悪い看護」と言われるところに横たわる事情はなんなのか。とにかく、現場に立ち、考えてみることにしてみた。――本書より
新版・経済指標を読みこなす
講談社現代新書
経済の実態と変化を50のデ-タから読取る有効求人倍率、住宅着工統計、日銀短観、貿易統計などの基礎的な経済数字から、日本経済の全体像、さらには変化の予兆を読みとる方法を分かりやすく伝授する一冊

トウ小平
講談社現代新書
「赤い資本主義」を生んだ現実主義者の素顔中国共産党を育てた革命家。三度の失脚から復活した不倒翁。民主化運動を弾圧した独裁者。そして、「赤い資本主義」を生んだ改革者。中国最高権力者の生涯と思想

墓と葬送の社会史
講談社現代新書
村はずれに捨てられ、粉砕された死体・遺骨。それが納骨・墓詣りの習俗へと変化したのはなぜか。祖先祭祀の象徴であった墓が、その存在自体を拒否されつつある現代的側面も含め、死者管理の歴史展開を眺望する。
火葬禁止令の背景――火葬禁止は、1873(明治6)年7月18日。太政官布告第253号「火葬ノ儀自今禁止候條此旨布告候事」という短い布告によっておこなわれる。『太政類典』のなかに、どのような経過を経て火葬禁止令が制定されたかについて述べられている。(中略)すなわち、火葬の是非は別として、千住駅近くの俗に火葬寺と呼ばれる地及び深川の霊岸寺、浄心寺等において火葬場を設けているが、死体の焚焼による煙と悪臭がひどく、人々の健康を害し、不潔であるとする。これらの寺だけではなく、人家接近の地で火葬することはよくないのでこれを禁じ、悪臭が人家に届かない地を測り、火葬場を設けるように高議のうえその筋と相談をしてほしいというのが、警保寮の、伺いの内容であった。(中略)警保寮の上申にたいして、太政官庶務課の回答が寄せられるのは5月29日である。この回答では、火葬は「浮屠(浮図(ふと)=仏僧)ノ教法ニ出テ、野蛮ノ陋躰ヲ存シ惨劇ノ甚敷(はなはたしき)モノニシテ人類ノ忍ヒ難キ処」と規定したうえで、火葬場の新規替え地を認めるとするならば、火葬を公認することになるので、火葬を禁止すべきだとした。――本書より

ハプスブルク家の女たち
講談社現代新書
王朝の歴史を彩った皇妃・皇女たちの群像。「美公」の妻と妹の歩んだ人生の明暗。貴賤結婚の苦難に耐えた大公妃。政治にも及んだ嫁姑の確執。時代を見失った最後の皇后。女たちの生きた、もう一つの帝国史。(講談社現代新書)
王朝の歴史を彩った皇妃・皇女たちの群像。「美公」の妻と妹の歩んだ人生の明暗。貴賤結婚の苦難に耐えた大公妃。政治にも及んだ嫁姑の確執。時代を見失った最後の皇后。女たちの生きた、もう一つの帝国史。

「欲望」と資本主義-終りなき拡張の論理
講談社現代新書
資本主義の駆動力は何なのか。ゆたかさの果て、新たなフロンティアはどこに求められるのか。差異・距離が生み出す人間の「欲望」の観点から、エンドレスな拡張運動の文明論的、歴史的な意味を探る。(講談社現代新書)
豊かさの果てには何があるのか?
本書は冷戦期の終焉時に書かれた。
冷戦の終わりとは「資本主義の勝利」を意味するものであった。
社会主義という資本主義の「歯止め」がなくなったあと、資本主義はどこにいくのか?
こうした問題意識から「欲望」をキーワードに、
資本主義の文明論的・歴史的な意味を探る本書は生まれた。
本書が書かれてから、20余年、
幾度のバブル崩壊を経ながらも、
さらに拡張を続けようとするグローバル資本主義。
しかし昨今の不安定な動きを見ていると、
いま人類のやるべきことは、この拡張運動を延命させることではなく、
運動に歯止めをかけるなんらかの仕組みをつくることではないか?
本書はそのためのヒントを示し、
いま私たちが生きる世界を考える重要な視点を与える一冊。