講談社現代新書作品一覧

漢字の字源
漢字の字源
著:阿辻 哲次
講談社現代新書
食物や器の文字に形象された、古代の祭祀や日常生活。男女関係から天下国家も描写し、珍獣妖怪まで跋扈する漢字たち。確かな理論と豊な蘊蓄(うんちく)で繙(ひもと)く、中国4000年の社会文化史。 ホウキを持った貴婦人――「婦」とはホウキを手に持った女性ということで、ここからこの字はしばしば世の女性解放論者から目の仇にされるようになった。曰く、女性を意味する「婦」がオンナとホウキからできているのは、女性を家事労働に縛りつけようとする封建的な思想の表われにほかならず、このような作り方をしている漢字はこの男女平等の時代にまことに許しがたい文字であると。…… 一部の漢字の背景にはたしかに男女差別がある。しかしこの「婦」もまた男尊女卑の思想が表われた例のひとつだと考えならば、それは古代中国の実情と文化をふまえていない、いささか浅薄な議論というべきである。甲骨文字や殷周時代の青銅器の銘文においては、「婦」は当時の王の妃を指す文字として使われている。…… この場合のホウキは、戸外や一般家屋の掃除に使われるものではなく、実は神聖なお祭りをする祭壇を掃除するためのものだったのである。――本書より
生きることと読むことと 自己発見の読書案内
生きることと読むことと 自己発見の読書案内
著:中野 孝次,その他:靉 嘔,装丁:杉浦 康平,装丁:佐藤 篤司
講談社現代新書
忘れられない本がある。生きる励ましとなり、心の支えともなる本がある。自分にとって本当に必要な本といかにして出会うか。読書の醍醐味を語る。 「出会い」としての読書――人間は生きていく上でいつも順調にいくとは限らない。精神的にも、肉体的にも、あるいは家庭や、勤務先での立場や、どんなところで物事がうまくいかず、いつ生が危殆に瀕するかもしれない。ぼくの経験を言えば、そういう時に最も力になってぼくを救う役目を果たしてくれたのは、家族や友人や同僚ではなく、何よりもまず書物であった。だからここではぼくが生涯に何度か陥った危機のとき、あたかも救済者の如く現れ、ぼくを力づけてくれた本のことを語ろうと思う。人は自分がそれをそれと知らずに欲していたとき、まさにそこに現れるべき本に出会うことがあるものだ。――本書より
戦後企業事件史
戦後企業事件史
著:佐高 信,その他:木村 恒久,装丁:杉浦 康平,装丁:佐藤 篤司
講談社現代新書
経営トップの公私混同、内紛、粉飾決算、不正融資、そして倒産。社会を忘れ、逆命利君を疎んじる会社大国が引き起こした多種多様な企業事件を題材にして、事件の主役とその構造に迫る。 株主総会――毎年、6月末の同じ日の同じ時刻に、一斉に株主総会が開かれる。上場企業のほぼ9割もがこんな異常なことをやるのは、総会屋が恐いからである。総会屋のハシゴを恐れて、企業はこそこそと形式的に株主総会をする。なぜ恐いのか。それは企業が弱みをもっているからである。(中略)一般的には総会屋が悪者視される。右翼や暴力団と区別のつかない総会屋は確かに誉められた存在ではない。しかし、彼らが生存できるのは、企業がつけこまれる隙をもち、彼らにエサを与えるからである。内紛、汚職、粉飾決算等、さまざまに恥部や暗部をもつ企業は、それを嗅ぎつけた総会屋に口止め料を渡す。問題は総会屋よりも企業にあるのである。――本書より
子守り唄の誕生 五木の子守り唄をめぐる精神史
子守り唄の誕生 五木の子守り唄をめぐる精神史
著:赤坂 憲雄,イラスト・その他:佐藤 篤司,装丁:杉浦 康平
講談社現代新書
日本の子守り唄はなぜ暗いのか。重く湿った匂いはどこから来るのか。近代の闇の底から聴こえてくる、数も知れぬ守り子たちの呟きの唄を解読し、忘れられた精神史の風景を掘り起こす。 守り子の父は山から山へ――おどんがお父っぁんな、あん山ぁおらす、と歌われた。山中の出作り小屋で焼畑耕作にしたがうナゴ百姓の父を偲んだ唄と解することは、そこではまだ可能だ。しかし、おどんがお父っぁんな、山から山へ、里の祭にゃ、縁がない、と歌われたときには、もはやそうした解釈では届かない。山から山へ、という歌詞の意味は、焼畑農耕と関連づけることではまったく了解しがたい。里の祭りや宮座には縁がない、という歌詞と重ね合わせにしてみるとき、ゆるやかに浮上し像を結んでくるのは、村の秩序のそとを漂泊・遍歴してゆく人々=ナガレモンたちの姿である。焼畑をするナゴ百姓たちは、山から山へと渡り歩くことはない。ナゴの娘がみずからの父について、山から山へ、また、里の祭りには縁がない、と歌うことはありえない。――本書より
競馬の快楽
競馬の快楽
その他:植島 啓司,イラスト・その他:山口 はるみ,装丁:杉浦 康平,装丁:赤崎 正一
講談社現代新書
競馬事始め学習法から、思い出の名馬・快勝負。馬名に読みとれる家族劇や、アメリカ競馬に生きる格闘技魂。はては、バリ島の闘鶏に見るオッズの自然律や、カジノにおける現実変容術まで。賭博を語り、人生の勝負に想いをめぐらす。人間到る所、賭ければパラダイス! 新聞予想――幼い頃からその才能を高く買われた兄、才能はそれほどでもないが努力して自分に打ち勝とうとした弟。…… 兄は不運にも病弱で、力を発揮するチャンスを逸してしまう。ようやく本来の姿に戻ったのがちょうど人生の勝負時。奇しくも必死に努力してきた弟との対戦となった。さて、こういう場合、あなたはどちらを選ぶだろうか。競馬というのは単純に強いほうを選ぶというのではなく、自分に似たほうを選ぶようにできているのではないか。あなたはヘンリーかトーマスか。兄か弟か、才能か努力か。…… 競馬は人生をそのままなぞるわけでなはい。だが、いかなる結果に終わろうと永遠に忘れられないものがある。われわれはそれらをも引き受けながら賭け続けるのである。――本書より
幻獣の話
幻獣の話
その他:池内 紀,装丁:杉浦 康平,装丁:赤崎 正一
講談社現代新書
一角獣から鳳凰、ゴジラまで――。人はどこまで空想の翼を翔かせえたか? 神話・伝説、宗教、芸術が生んだおびただしい幻獣は、何を物語るか? 絶対の美、恐怖の極、珍妙笑止な獣など、人間の華麗な精神絵巻をひもとく。 輪廻転生する幻獣――いたるところに奇妙な生きものがいる。…… ロンドンのウェストミンスター寺院付属の図書室には、この種の一覧表といったものがあり、ベルギーの古都ブリュージュにも、ドイツの古都アウグスブルクにも同様のものがそなわっている。…… 架空の生きものが博物誌から消えるのは18世紀後半以降で、リンネの分類体系にはサテュロスなど若干の生きのこりはあったものの、ビュフォンの『博物誌』にいたり、現実の生物分類から完全に消し去られた。…… おもてだっては地上から姿も消したが、この知的遺産は目に見えない水路によるかのようにして、のちのちの時代につたわっている。しずかに意識の下を流れ、イメージの重なりのなかにまじって、やがてときならぬところにあふれ出る。――本書より
「ことば」を生きる―私の日本語修業
「ことば」を生きる―私の日本語修業
著:ねじめ 正一,装丁・その他:赤崎 正一,装丁:杉浦 康平,イラスト・その他:南 伸坊
講談社現代新書
生きたことば、光ることばとはどういうものか。詩人のことばはどこが違うのだろうか。自らの修業時代をたどり、ことば感覚の体得法を伝授。 志村先生――私が書いたのはほとんど語呂合わせである。「石がころころコロッケ食ったらお腹が空いた/井の頭公園の鯉が餌をえさえさ食べて下痢をした/……」シャレ帖に毛が生えたような文章ばかりだった。そんな文章のどこがいいのか、志村先生は必ずみんなの前で読み上げるのだ。最初は「その手には乗らないぞ」と気を引き締めていた私も、回が重なるうちにだんだんいい気持ちになってきた。通信簿の成績は体育を除いてオール2、もちろん国語も2で、本だってマンガしか読まなかった私が、文章を書くことにちょっぴり自信を持ったわけだ。その機を逃さず、志村先生は「今度は班ノートに詩を書いてみろ」と言ったのである。「お前なら書ける。いつもあんなおもしろい文章を書くんだから」とも言うのである。おだてに弱い私は、信頼する志村先生のこの一言に舞い上がって、次週の班ノートにさっそく詩を書いた。「店番」という題の詩だった。――本書より
英語メディアを使いこなす TIMEからCNNまで
英語メディアを使いこなす TIMEからCNNまで
著:鍋倉 健悦,装丁:杉浦 康平,装丁:赤崎 正一,その他:浅沼 テイジ
講談社現代新書
見出しは動詞に注意、FENは英字紙と平行して聴く、速読は文頭から――。英語情報を活かすテクニックとヒント。 「興味あるテーマ」から入る――。英文による情報雑誌は、経済や国際情勢といったいわゆる堅い話ばかりでなく、文化やトレンドなどのソフトな話題も満載している。だから興味ある記事にぶつかれば、それが、英文雑誌の世界に入っていくひとつのきっかけになると思う。そして、さらに積極的になって、自分の趣味に合った専門誌を見つけ、情報を増やしていく目的で読めるようになれば、これに勝る読み方はあるまい。……もっともはじめのうちは、半分くらいしかわからないかもしれない。しかし裏を返して言えば、それは半分もわかるということである。5割打者ということなのだから、もっと自信を持ってほしい。――本書より
江戸古川柳の世界―知的詩情を味わう
江戸古川柳の世界―知的詩情を味わう
著:下山 弘,装丁:杉浦 康平,装丁:赤崎 正一
講談社現代新書
日常生活の機微を、優しくも鋭いまなざしでとらえ、自由に、おおらかに作られて、江戸庶民の間で大流行した575の世界の機知あふれる詩情を読み、解き、楽しむ。 女房の抵抗――「近所ならこれ着なさいと意地悪さ」亭主が1人でモゾモゾと、良い着物に着替えはじめたので、女房が、「どこへ行くの」と尋ねる。「なに、その、ちょいと近所までだよ」近所までが聞いてあきれるョ。どうせ白粉を塗りたくった女のところへ鼻の下を伸ばしに行くんだろう……。女房の勘は百発百中なのだ。それでツンとして意地悪なアドバイスに及ぶ。「近所へ行くのなら、この普段着でいいでしょ」これが妻としては精一杯の抵抗なのだ。察するところ、夫はふだん家にいるようだし、経済的に家庭を困らせていないようだから、妻としては離婚調停を申し立てるべき段階ではない。この段階では妻ががまんするのが美徳というより当然の心得だった。――本書より
戦争を始めるのは誰か 湾岸戦争とアメリカ議会
戦争を始めるのは誰か 湾岸戦争とアメリカ議会
著:会田 弘継,装丁:杉浦 康平,装丁:佐藤 篤司,その他:國米 豊彦
講談社現代新書
戦争権限は大統領にあるのか、議会にあるのか。湾岸戦争を目前に控え、議会は動き出す。もはや共和党も民主党もない。戦争か否かの1票を自らの良心に従い、投じるのだ。 「アメリカ議会最良の時」――議会制度は瀕死の状態だという人もいる。冒頭紹介したような、アメリカでも日本でもみられる議員の生態は、その証拠だ。(中略)議会制度は、利権構造で民衆に媚びたがために、存立の基盤を自ら切り崩し、復讐を受けているのだ。これは、日本も同じことである。問題は、議会制度の根幹にかかわるような事態が訪れたときに、どれだけ本来期待されている機能を議会が果たせるかだ。よたよたのアメリカ議会は、ペルシャ湾岸危機が実質的な米・イラク戦争へと移行していく最後の局面で、とにかくその期待に応えようと試みた。歴史を振り返りつつ、先人の言葉を思い出しながら、同時に、ひとりひとりの議員が自身の歩んできた道を思い起こしながら、議場で「良心と判断」の説明をしようと努めた。議員の演説は夜を徹して行われ、延々30時間にも及んだ。――本書よ
はじめてのスペイン語
はじめてのスペイン語
著:東谷 穎人
講談社現代新書
明快な音と、歯切れのよいリズム。直説法と接続法の使い分けや、再帰表現が語る、豊かなニュアンス。神と話すことば」の世界へようこそ。 スペイン語と神とカルロス・プリメロの午後――スペインの長いゆったりとした昼食を済ませたあと、コーヒーを飲み、ゆっくりと銘酒「カルロス・プリメロ」を舌の上でころがしながら、気の合った仲間と会話を楽しむ。まさに私にとっては至福のひととき。良き仲間をもつ喜びと、その仲間たちとスペイン語を通して心を通じ合える喜びを噛みしめ、「カルロス・プリメロ」に陶然となり、カルロス1世のことばを思い出すのです。…… さて前口上が長くなりました。とにかくスペイン語は美しいことばです。長い歴史の奥深い文化に裏打ちされたこのことばの仕組みの概略を、これから皆さんにやさしく解説し、スペイン語の世界にお誘いしたいと思います。――本書より
現代家庭の年中行事
現代家庭の年中行事
著:井上 忠司,著:サントリ- 不易流行研究所,その他:浅沼 テイジ,装丁:杉浦 康平,装丁:佐藤 篤司
講談社現代新書
四季折々に生活のリズムを刻み、家族の絆を結ばせる年中行事。「豊かな社会」の中で変容する行事の意義と、家庭づくりの知恵を探る。 家庭の活性化のために――家庭生活を、1週間の単位ではなくて、1年間の単位で考えてみては、どうだろう。1年のタイムスパンで考えると、家族のメンバーが週にいくど食卓をかこむか、などということは、さして大きな問題とはなりえない。家庭の現状はかならずしも嘆くにあたらないのである。発想の転換ひとつで、家族がなにがしか活性化すること、請け合いである。1年というサイクルでみれば、わが国には、春夏秋冬という四季があり、それぞれの季節にふさわしい「年中行事」がある。この年中行事に着目すると、「家庭」という劇場では、もっと多様な“シナリオ”と“演出”が可能になることであろう。――本書より
ソクラテスはなぜ裁かれたか
ソクラテスはなぜ裁かれたか
著:保坂 幸博,その他:山本 匠,装丁:杉浦 康平,装丁:佐藤 篤司
講談社現代新書
有罪とされた哲学者ソクラテスは、どんな罪を犯したのだろうか。その裁判の争点を問い直し、神話的ギリシア世界におけるソクラテスの真の偉大さを考察する。 魂に働きかける──ソクラテスの対話の特徴は、その表現形式や議論の内容にあるよりも、相手の魂に直接的に働きかけて、これを説き指導することにあったように思われる。……ソクラテスにとって、そして実はプラトンにとっても、言葉とは書かれるものではなく、話されるものであった。「話される言葉こそが、魂に裏づけられた言葉である」とプラトンはいっている。ソクラテスは対話する相手を目の前にするとき、その相手の精神がどのような状態にあって、どこを向いているかということを、即座に見抜く透徹した目をもっている。そして、このように相手の存在を確認したうえで、その場に最も効果的な対話を形作る特異な能力をもっている。──本書より
素顔の医者 曲がり角の医療を考える
素顔の医者 曲がり角の医療を考える
著:中川 米造,その他:國米 豊彦,装丁:杉浦 康平,装丁:赤崎 正一
講談社現代新書
なぜ日本の医者は権威主義的か? 患者数が増え続ける理由は? 日本の医者の源を追いつつ医者養成システムをつぶさに検討し、現代医療の構造的問題に迫る。 人体解剖実習――学生たちは最初、一般的な注意があたえられた後、実習室に入る。防腐剤にまじって異様な臭いが漂っている。ずらりと並んだ解剖台の上に、シーツでおおわれた死体がそれぞれ横たえられている。一台に5人ないし6人の学生が配される。シーツを取ると、固く冷たくなった裸の身体が目にとびこんでくる。おもわず目をそらして、自分が担当させられている、手や足に目を移す。学生はそれぞれ右手、左手、右足、左足というように部分をわりあてられて、そこを解剖するのである。…… 最初の数日は、学生たちはすべてがはじめての体験ばかりで、混乱する。夕食をとるにも、食欲がなくなっている。肉などが視野にはいると、吐き気を覚えるという学生もいる。「なんでこんな実習をしなければならないのですか」と泣きながら先輩に訴える女子学生もいる。――本書より
素朴と無垢の精神史 ヨーロッパの心を求めて
素朴と無垢の精神史 ヨーロッパの心を求めて
著:ピ-タ-・ミルワ-ド,訳:中山 理,装丁:杉浦 康平,装丁:赤崎 正一
講談社現代新書
待たざること、自然の内に生きること――心の黄金を求める情熱は素朴な生の形を選ぶ。富や贅沢に背を向けた西洋のシンプリシティの系譜を辿る。 西洋の心とは――私たちがまず気づかなくてはならないことは、文化や文学や芸術は、私たちを取り巻いている今日の富や贅沢の中からではなく、質素で純朴で自然と密接に結びついた生活から生まれるということである。富に支えられた贅沢な生活ではなく、むしろそのような状況にあってこそ、人間とは何か、シェイクスピアのいう「アダムの艱苦」を味わいながら大自然とともに生きるとはどういうことか、善なる神の被造物になるとなどういうことかを肌で感じられるようになるのだ。――本書より
都市のコスモロジ- 日・米・欧都市比較
都市のコスモロジ- 日・米・欧都市比較
著:オギュスタン・ベルク,訳:篠田 勝英,装丁:杉浦 康平,装丁:赤崎 正一
講談社現代新書
シカゴの摩天楼と伊勢神宮。平安京と田園調布(ガーデン・シティー)……。都市に隠されたモチーフを縦横に比較し、喪われた「都市の意味」=「都市性」の回復を問う。 日本/西洋の弁証法──「西洋の都市」と呼べるようなモデルは存在しない。パリとロサンゼルスの間、あるいは地中海の町とミズーリ州の「ミドル・タウン」の間には根本的な相違があって、同じ都市性について語ることはできないのだ。……都市性に関するかぎり、日本型に対比できるような「欧米タイプ」が存在すると考えるのはばかげている。実際、自然との関係のような基本的なものを含めて、さまざまな点において、日本の都市とアメリカの都市は、アメリカの都市とヨーロッパの都市よりも近い関係にあるといえる。……本書が構想されたのは、したがって、日本(人)という実体と欧米(人)という実体をあまりにも簡単に対立させてしまうような日本(人)論の紋切型を打破するためである。──本書より
自閉症からのメッセ-ジ
自閉症からのメッセ-ジ
著:熊谷 高幸
講談社現代新書
もの言わぬ、静かな子供たちが示す、優れた空間認識や記憶力。ときには破壊的なまでの、習慣や物事の同一性への固着。認知心理学を通じて見た自閉症が私たちに語る、人間の心と脳のしくみ。 循環する時――私たちは、時間を一次元的な軸の上を進むものとして解釈している。過去の出来事は時がたてばたつほど遠いセピア色の世界となっていく。だからこそ、自分にとっては時間の果てにあると感じられる誕生日の曜日を、息子にぴったりと当てられた母親は「怖いような」「気持ちの悪いような」気分になるわけである。しかし、自閉症者は、私たちがイメージしているような時間軸というものをはたして意識しているのだろうか。M君とN君は、カレンダーを記憶する方法は少し違っていた。しかし両名とも、カレンダーという二次元空間の上を移動しながら指定された日付の曜日を探しに当てていた、という点では共通している。つまり、彼らは地図を見ていたのであり、二次元的なパターンを操作していたのだということができる。――本書より
英語表現をみがく<名詞編>
英語表現をみがく<名詞編>
著:豊田 昌倫,装丁:杉浦 康平,装丁:佐藤 篤司
講談社現代新書
最重要語の70%を占める名詞は、英語品詞の王。その誕生物語から、品位ある名詞とない名詞、単数と複数のふしぎ、英語と米語の差などまで。名詞をその基礎から理解し、英語感覚をみがく。 プリーズといいなさい──外国人の観光客や学生が“Victoria Station.”(ヴィクトリア駅)のように目的地だけを告げると、駅員が“Say please.”(プリーズといいなさい)と注文をつけるのを何回も耳にした。これは“Victoria Station please.”とていねいにいうべきだとの忠告なのである。……レストランで食事が終わり、飲み物を注文するときはどうか。客だからと横柄にかまえて、“Coffee.”(コーヒー)とか“Tea.”(’ティー)と名詞止めで注文するのは、英語の慣習にそぐわない。……この場合は下降よりも上昇調のイントネーションが好ましい。pleaseの1語を軽くそえるだけで、笑顔が返ってくるはずだ。──本書より
イスラ-ム復興はなるか 新書イスラ-ムの世界史(3)
イスラ-ム復興はなるか 新書イスラ-ムの世界史(3)
編・その他:鈴木 董,編・その他:坂本 勉,その他:加藤 博,その他:小松 久男,装丁:杉浦 康平,装丁:佐藤 篤史
講談社現代新書
イラン革命、湾岸戦争、ユーゴ紛争、原理主義……。イスラームにいま何が起きているのか。西欧優位の時代が生んだ近代化改革と、イスラーム復興運動のあいだで苦悩する、イスラームの近・現代を描くシリーズ最終巻。 息を吹きかえすイスラーム――ホメイニーの登場とイラン革命の成就によって、前章までにおいて述べてきた、第一次世界大戦直後の時期にその輪郭がつくられた国民国家の体制は、くさびを打ちこまれた。このような社会変動は、イラン一国だけにとどまるものではない。ほかの地域でも同じように体制自体の動揺・破綻・崩壊がすすんでいる。それはトルコやアラブ諸地域においては、ナショナリズムにもとづく国民国家の体制のゆきづまりとしてあらわれ、中央アジアやザカフカスでは、社会主義体制からの訣別というかたちをとった。このような体制変革にエネルギーをあたえているのは、いうまでもなくイスラームであろう……。いまやイスラームは失地を回復し、新しい活力をえて復興しようとしている。ヨーロッパ的な政治・法・社会のシステムに毒され、妥協をくり返してきた従来の世俗主義・モダニズムの体制を見直し、根本原理にたち戻って変革していこうとする動きが出てきた。イスラーム復興運動、原理主義運動などとよばれるものがそれである。――本書より
私の万葉集(一)
私の万葉集(一)
著:大岡 信,装丁:杉浦 康平,装丁:赤崎 正一
講談社現代新書
古代日本最初の歌集に収められた4500首余りのなかから、現代詩人の心が選りすぐる秀歌の数々。巻一から巻四までの鑑賞と読解。 現代に生きる『万葉集』――『万葉集』が現在でも、古典としてのみならず、それほど努力しなくとも現代人が味わい、楽しむことのできる「生きた」歌集として私たちの前にあるということは、否定しよのない事実です。こういう古代詞華集の存在は、世界的にいってもきわめて稀れでしょう。たしかに日本よりもずっと古い時代から偉大な文明を花開かせた国々または民族はたくさんあります。しかし、それらの国々や民族の古代文化の産物である詩や散文のうち、現在でも「生きた」ものとして現代人に愛読されているものは、はたしてどれほどあるでしょうか。宗教分野での聖なる書物を除くと、その数は実に寥々たるものとなるに違いありません。――本書より