講談社現代新書作品一覧

大学はどこへ行く
講談社現代新書
大学選別の時代が始まった!!日本の大学は生まれ変われるか?
「学力低下」から独立行政法人化まで、一橋大学長が語り尽くす「大学改革の行方」。
護送船団方式からの訣別――宇宙大爆発を意味するビッグバンが、国立大学の改革を引き金に日本の大学にも同じように生じたと考えるべきであろう。大学間の競争と選別を軸とする変革の時代、つまり大学ビッグバンの時代を迎えたのである。国立大学はこれまで、長いこと政府・文部科学省によって庇護されてきた。強い規制の下に置かれているとはいえ、経営上さしたる問題もなく多少の不自由さはあっても概して温かく保護されてきたといってよい。現在99ある国立大学は、いわば文部科学省の護送船団方式による大学行政にどっぷり浸かり、そのオンブにダッコの境遇にすっかり慣れ親しんできた。「入口」の入試で学生を選抜するが、あとはさしたる教育もせず安易に「出口」から卒業生を送り出すスタイルを踏襲してきた。大学のレジャーランド化が指摘されてから久しい時が経つ。このような護送船団方式の下での大学の現状が、もはや存続することは不可能であろう。――本書より

エロイカの世紀
講談社現代新書
ナポレオン革命とベートーヴェンはどう交錯したか。ヘーゲルは馬上の英雄に何を見たか……近代とともに誕生した「世界史的偉人」を通じて、革命の世紀を生き生きと描く。
英雄の世紀――ナポレオンという「英雄」は、ことによると、ひとつの幻影にすぎないかもしれない。だが、多数の「世界史の偉人」たちが、まだまだ肩をならべて、「エロイカの時代」を演じているのではないか。変革にたずさわった政治家・軍人たち、つまりワシントンやフランクリンも、ロベスピエールも英雄と名づけてよかろう。
いや、政治ばかりか産業にも芸術にも英雄の名にあたいする巨人たちが頭をならべる。そもそも、ベートーヴェンとヘーゲルという、おない歳のドイツ人こそが、英雄の筆頭にたっているようにもみえる。
ときは、「エロイカの世紀」であった。わたしは、これからその「エロイカの世紀」を、たどりたいと考えている。「世界精神の事業遂行者たる使命をおびた世界史的個人」(ヘーゲル)としてのエロイカは、あらゆる領域に姿をあらわすことであろう。――本書より

現代アラブの社会思想
講談社現代新書
なぜ今、終末論なのか。
なぜ「イスラームが解決」なのか。
学術書からヒットソングまで渉猟し、苦難の歴史を見直しながら描く「アラブ世界」の現在。
終末論の地層――イスラーム教の古典的要素にさかのぼることのできる要素の上に、近代に入ってから流入した陰謀史観の要素と、現在に流入したオカルト思想の要素が、いわば地層のように堆積して、現代の終末論は成り立っている。そして、イスラーム教の古典終末論の要素にも、また積み重ねがある。イスラーム教はユダヤ教・キリスト教から続く「セム的一神教」のひとつである。ユダヤ教とキリスト教が発展させた終末論体系を基本的に継承しており、両宗教から受け継いだモチーフがかなり多い。その上に「コーラン」や「ハーディス集」によってイスラーム教独自の修正や潤色が加えられている。――本書より

傭兵の二千年史
講談社現代新書
ヨーロッパ興亡史の鍵は、傭兵にあった! 古代ギリシャからはじまり、ローマ帝国を経て中世の騎士の時代から王国割拠、近代国家成立まで、時代の大きな転換点では、常に傭兵が大きな役割を果たしてきた。(講談社現代新書)
ヨーロッパ興亡史の鍵は、傭兵にあった! 古代ギリシャからはじまり、ローマ帝国を経て中世の騎士の時代から王国割拠、近代国家成立まで、時代の大きな転換点では、常に傭兵が大きな役割を果たしてきた。

<ほんとうの自分>のつくり方
講談社現代新書
「自分って何?」の答えは、聞き手に自己を物語る中で形成される。〈自分〉を見つめ直し、たしかな生き方をつかむ方法を説く。
〈自分〉は発見されるのではない。
それは聞き手との語り合いの中からつくられる――
人生の意味というものは、どこかに転がっていたり、埋もれていたりするものを、そのまま拾ったり掘り起こしたりして見つかるといった類のものではない。自分なりの解釈のもとに自己を語り、聞き手の解釈を理解する努力をし、その聞き手の理解の枠組みからもわかってもらえるように工夫しながら語り直し、再び聞き手の反応を確認する。こういった作業の積み重ねの中で、自分が経験してきたことがらの意味が、ひいては人生の意味が、知らず知らずのうちに生み出されているのである。――本書より

自衛隊は誰のものか
講談社現代新書
「戦力なき軍隊」の理想と現実、なしくずし再軍備、旧軍人の策動、社会党の揺れ――国民不在のまま政争の具として翻弄されつづけた半世紀を問う。
自衛隊をめぐる焦点の移り変わり――
警察予備隊から自衛隊になるまでのあいだ首相だった吉田茂は、これが旧軍の復活にならないよう気をくばり、とくに旧軍人を採用するにあたっては細心の注意をはらった。吉田は、将来は新しい「国軍」に発展させるつもりで自衛隊を生んだのであった。吉田の弟子にあたる池田勇人も佐藤栄作も吉田がやり残したことに手をつけず、防衛政策はそのままなし崩しにすすんだ。結局、吉田が生んだ自衛隊を誰も責任をもって育てなかったのである。そうであれば当然、毎年自動的に予算が増えていくなかで、官僚の手でいささか無責任に自衛隊は育っていった。陸・海・空を統合した戦略もなにもなく、各自衛隊はばらばらの官僚機構にすぎなかった。――本書より

日本破綻―デフレと財政インフレを断て
講談社現代新書
〈緊急提言〉まずデフレを止めよ!
このまま放置すれば構造改革は失敗、不良債権は急増し、銀行、生保の破綻が続出、制御不能のインフレが起こる――日本の金融システムを精査した気鋭の学者による緊急提言。
デフレ阻止へ舵を切れ――小泉純一郎首相の掲げる構造改革、すなわち不良債権処理、財政の全面的な見直しと赤字の削減、政府系金融機関などの特殊法人民営化と補助金の撤廃は、いずれも欠くことのできない政策であり、筆者も全面的に賛成である。しかしデフレを放置すれば、すべてが水泡に帰する。その理由は、日本の国家財政の破綻と財政インフレである。1930年代の世界を振り返れば、デフレとインフレという2つの恐怖があった。デフレによる倒産と失業、財政赤字の拡大による財政破綻とインフレである。日本はいま、この2つのリスクに直面している。デフレを早期に断たないと財政破綻によるインフレリスクが急速に高まる。本書はそのメカニズムをわかりやすく説明すると同時に、それに対する具体的な政策対応を提言することを企図した緊急出版である。――(本書より)

ロボットの心-7つの哲学物語
講談社現代新書
ロボットも心は持てる――脳科学や哲学の最新理論をふまえつつ、機械、知性、道徳など現代人の課題に迫る思考実験。
プロローグ――本書のテーマは一言でいうと、ロボットに心がもてるか、ということである。この質問をいきなり大学生にすると、学生の大半はあまり迷いもせずに「No」と答える。そこで、その理由は何か、とたたみかけて尋ねると実にさまざまな答えが返ってくる。曰く、「ロボットには計算ができても、人の気持ちは分かるはずがない」「ロボットはプログラムされたこと以外のことをする創造性をもっていない」「心とは人間の本質だ、それをロボットがもったらそれはもう人間だ、だから定義によりロボットは心をもてない、証明おわり」……
そこで彼らの言い分をひとしきり聞いた後で、「じゃ、ドラえもんには心がないわけ?」と反撃(?)すると、彼らは一様にのけぞって、「えっ、そりゃ、ずるいよ」といわんばかりの顔をする。しかし、本当のところはどうなんだろう。ロボットが心をもつというのは原理的には可能なのだろうか。これからの話を面白くするために、私は、「可能だ」という陣営に身を投ずることにする。――(本書より)

先端医療のルール-人体利用はどこまで許されるのか
講談社現代新書
受精卵、遺伝子、ES細胞、人クローン、臓器移植……。
何をどこまで許すのか。新たな全体の見取り図と倫理原則を説く。
人体要素の「格付け」――たとえば、髪の毛や爪も人体の一部だが、その扱いについて倫理的問題があるだろうか。床屋で散髪するのは臓器の摘出と一緒だから明確な説明に基づく自由な同意がいる、倫理委員会のチェックもいる、という人はいないだろう。髪の毛を鬘メーカーに売るのは人体の商品化につながり人の尊厳に反する、という人もいないだろう(と私は思うが、いかがだろうか)。逆に人体のなかで、他とは違う特別な価値をもち、それゆえに一段と厳しい保護・規制をしなければいけない要素はあるだろうか。移植医学や再生医学で直面する問題と、これまでの諸外国の対応を参考に、実際に考えるべき格付けのポイントを概観してみたい。――(本書より)

新宗教と巨大建築
講談社現代新書
「信仰の空間」を解読する!
なぜ前近代の宗教建築は賞賛され、近代以降の教殿はいかがわしいまなざしで見られるのか。天理、大本、金光、PLなどの建築と都市を直視する。
建築史における近代宗教――英雄的な建築家の営みとアヴァンギャルドの連続で語られる近代建築史と、寺社建築を軸に構成される日本建築史の狭間にあって、ほとんど顧みられなかったのが近代の宗教建築である。……
日本の戦後建築は、モダニズムを民主主義のための建築と規定し、宗教的な要素を切り捨てることで出発した。神社が現代建築から撤退し、進歩史観的な建築史が確立するとともに、宗教建築は近代以前のものとして理解される。……
本書の目的は新宗教の空間を考察することになろう。その際、教団の思想から空間の概念を読みとり、いかに現実の空間に反映させたのかを検証する。いずれも19世紀に登場した天理教、金光教、大本教を具体的にとりあげ、さらに戦後の新宗教建築を幾つか概観する。――(本書より)

民族とは何か
講談社現代新書
知られざる「民族」の根本!
なぜ「民族」が地球上に成立し、しかも現代世界を読み解く上で欠かせない要素なのか。聖書の世界からヨーロッパの成立、現在の紛争までを明確に見通す。

今なぜ戦後補償か
講談社現代新書
すべての戦争は補償義務を免れない!
日本の「戦後」は本当に終わったのか――アジア・太平洋地域に今も残る戦争被害者への補償を終えることによって、初めて日本は世界における真の名誉と信用を得ることができる。
戦争被害者は個人でも、加害国や関係した企業に補償を求めることができる!――
戦争の加害国が被害者個人に対して「償う」という観点から生まれたのが「戦後補償」ということばである。「戦後責任」が原状に回復するための作業であるとすれば、戦後補償とは戦争被害者の人権救済として、具体的な金銭的補償を行うことである。(中略)戦後処理の過程で国家間で行う「戦後賠償」に対し、被害者個人による加害国家に対する請求を「戦後補償」としたのである。(中略)それまでは、戦後処理を国家間で解決するための枠組みの議論はされたが、戦争によって、被害を受けた民間人の立場の権利回復は、真剣に議論されなかった。英語においても明確な区別はなかった。しかし現在では、国家間の賠償は「レパレイション(reparation)」、個人への補償は「コンペンセイション(compensation)」として区別されるようになった。――(本書より)

<希望>の心理学―時間的展望をどうもつか
講談社現代新書
年齢とともに時間が速くなるのはなぜか
悲観主義と楽観主義はどちらが正しいか
人生を豊かにする考え方!
ひとが生きるうえで最も必要なのは希望をもつことである。現在・過去・未来の統合=「時間的ふくらみ」の重要性を解説し、絶望を乗り越え、未来を構想するための方法論を説く。
プロローグ――何が大切といって、私はひとが生き続けることが何よりも大切ではないかと思う。そして、生き続けるうえで最も必要なことは希望をもつことだと考えている。ただし、「生きていれば、いつかよいことがある」「きっと苦労は報われる」「結局はなんとかなるだろう」などという希望ではない。……
何ともならなくてもいいと思えること、このことのなかに希望がある。このことに希望が持てなければ……すべてのひとが絶望の淵にたたき込まれ、とうてい生き続けることはできないように思われるのである。本書は、どのようにしたら希望を持つことができるのか、過去へのこだわりとどのように向かい合って未来を構想できるのか、現在を大切に生きるとはどのようなことをいうのかについて、時間的展望の心理学の立場から考えたものである。――本書より

アジアの歩き方
講談社現代新書
大宅賞作家が案内するアジアのおもしろさ。20年あまりにわたりアジアとディープに付き合う著者が、食からはじまり、感覚の違い、日本との関わり、ボーダレス化する今の姿など、アジアの「真実」を浮かび上がらせる。アジアはいつも深くておもしろい!
アジアはいつも深くておもしろい
食、危機回避の方法、常識の違い、日本との関わり、ボーダレス化するいまの姿など、アジアの「真実」がみえてくる!
スラムほど安全な場所はない――スラムや下町の住民は、自分たちの住む地区をタガログ語で「ロオバン」(内部)と呼ぶ。この「内部」に暮らしていると、フィリピン庶民の社会は一見規範が崩れているようで実は崩れていない、それなりに落ち着いた生活圏であることがわかってくる。たとえばお年寄りは日本よりもはるかに敬われ、大切にされている。男女関係でも、いきなり2人きりで映画館に行くなんて、もってのほか。男性が相手の女性の家に何度か通い、先方の親の承諾を得ないと、外でデートもできない。また、兄弟姉妹では、年長者が年少者の面倒を見る習わしで、だから日本に出稼ぎに来るフィリピン人女性には長女が多いと言われている。下宿先の周りには、知的障害を持つ子供や青年が何人かいた。彼らはからかわれたり、子供のあいだではときにいじめにもあっていたが、“隔離”や“排除”の対象では決してなかった。――本書より

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会
講談社現代新書
気鋭の批評家による画期的な現代日本文化論! オタク系文化のいまの担い手は1980年前後生まれ第三世代。物語消費からデータベース消費へ。「動物化」したオタクが文化状況を劇的に変える。
哲学の本でもなく、社会学の本でもなく、文化研究でもなく、サブカル評論でもなく、社会評論でもなく。
浅田彰と宮台真司と大塚英志と岡田斗司夫とフラットに並べて論じ、
サブカルチャーとハイカルチャーを行き来するはじめての書として、
2000年代以降の批評の方向を決定づけた歴史的論考。
また本書で語られているデータベース消費、解離的な人間といった分析は、
本が出てから十数年を経過した今日では、さらに有効性をもったキーワードとなっている。
これは、2001年当時は、本書のサブタイトルである「オタクから見た日本社会」であったものが、
いまでは「オタク」という言葉をつける必要がなくなっていることを意味している。
2000年代を代表する重要論考であるのと同時に、
2010年代も引き続き参照され続ける射程の長い批評書。

成果主義と人事評価
講談社現代新書
目標管理制度、管理会計、コンピテンシー評価――
現役人事マンでなければ書けない雇用制度の虚実
人を活かす人事システムとは!?
安易な人事改定が会社を滅ぼす!成果主義はなぜ危険か。どう活用すればよいのか。真に価値を生む雇用制度を考える。
成果主義と人事評価――目次より
●「偉さ」の証明
●成果をどう評価するか
●経営者はなぜ成果主義にすがるのか
●組織を横断したチームワークと人事評価
●利益の奪い合いへの抵抗
●拡散する不安
●価値の発見
●人材への投資とリストラ
●人事評価と報酬のリンク
●成果を生む土壌

テレビゲーム文化論―インタラクティブ・メディアのゆくえ
講談社現代新書
なぜ宇宙が舞台に?ポケモンは日本文化か?テレビゲームはロボットである?誕生から30年、「相手をしてくれるメディア」は何を変えたのか。文化としてのテレビゲームを検証する。
遊び相手ロボット――テレビゲームをメディアとして考えた場合、その特徴のひとつはインタラクティブであることといわれる。わかりやすくいいかえれば遊び相手をしてくれることだろう。攻撃してくる敵のいないインベーダー、追いかけてくる鬼がいないパックマンはあり得ない。テレビゲームは、原始的な形ながら、明らかに、遊び相手ロボットだったのだ。こう考えると、一見別々の流れにあるようないくつかの現象が、ひとつの大きなうねりとして、まとまって見えてこないだろうか。テレビゲームの登場(70年代)、パソコンの普及(80年代)、「たまごっち」などの「育てゲーム」の流行(90年代)、娯楽ロボットへの注目(2000年代)……。――本書より

ユダヤ人とローマ帝国
講談社現代新書
ユダヤ人はなぜ迫害され祖国を追われたのか。
「キリスト殺し」の汚名を着せられ、その証人として「生かさず、殺さず」の運命を背負わされたユダヤ人の歴史とは。古代ローマ時代の貴重な資料に基づいて検証。
離散、放浪、迫害そして……「悲劇の原点」がここにある!

社会保障入門―何が変わったかこれからどうなるか
講談社現代新書
〈不安の時代〉を生きる基礎知識!
医療費自己負担増のゆくえは?年金制度は大丈夫?
医療・年金・雇用などの複雑な仕組みをわかりやすく解説し、今後の課題をともに考える1冊。
社会保障入門――目次より
●社会保障の現在
●増え続ける老人医療費をどう効率化するか
●政管健保も組合健保も財政危機
●年金保険制度をどうするか
●最近の3つの年金改正
●失業保険から雇用保険へ
●介護保険の課題
●進む社会福祉改革
●年金スリム化論の是非
●社会保障と構造改革

紛争の心理学
講談社現代新書
プロセス指向心理学の驚くべき実践!
対立・衝突の炎を溶かす内なる力に目覚めよ!
民族紛争、人種差別から「公然の虐待」まで、あらゆるレベルの人間関係の紛争や対立をどう解決するか。世界中でワークを実践している著者の衝撃的な主著。
「ワーク」という言葉は、おもにアメリカ西海岸を中心に発達したニューエイジ心理学のなかでよく使われてきた表現である。一般的には、心理学プロセスを解放するさまざまな方法と実践という意味をもっている。ミンデルの場合、個人、カップル、昏睡状態など、多様な関係を場としており、とくに集団討論の形をとるワールドワークは、きわめてユニークなものだ。プロセス指向心理学のもっとも大切な前提は、心理的、精神的、感情的混乱や運動の過程は、それ自体、知恵を内包しているということだ。変化と成長をうながす兆しとして、内外の出来事の全体は起こってくる。そのプロセスの全体を尊重することが重要だとミンデルは考える。それによって、新しいより柔軟で知恵に満ちたものの見方や存在のあり方が生れてくる。たえず変化していく生命のありようを信頼し、尊重し、そこから知恵を引き出しながら、自己を成長させていく。――本書より