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美しい日本の私
1969.03.16発売
美しい日本の私
著:川端 康成,訳:エドワード.G・サイデンステッカ-
講談社現代新書
雪、月、花に象徴される日本美の伝統は、「白」に最も多くの色を見、「無」にすべてを蔵するゆたかさを思う。美の真姿を流麗な文章にとらえた本書は、ノーベル賞受賞記念講演の全文に、サイデンステッカー氏による英訳を付した、日本人の心の書である。 「山水」といふ言葉には、山と水、つまり自然の景色、山水画、つまり風景画、庭園などの意味から、「ものさびたさま」とか、「さびしく、みすぼらしいこと」とかの意味まであります。しかし「和敬清寂」の茶道が尊ぶ「わび・さび」は、勿論むしろ心の豊かさを蔵してのことですし、極めて狭小、簡素の茶室は、かへって無辺の広さと無限の優麗とを宿してをります。1輪の花は100輪の花よりも花やかさを思はせるのです。開ききった花を活けてはならぬと、利休も教へてゐますが、今日の日本の茶でも、茶室の床にはただ1輪の花、しかもつぼみを生けることが多いのであります。――本書より
キリスト教の人生論
1968.12.16発売
キリスト教の人生論
著:桑田 秀延
講談社現代新書
四国の裕福な家庭に生まれた少年が、幼くして生家の破産を経験し、富や権勢の空しさを知り人生の真実を求めて洗礼を受けた。以来数10年にわたるキリスト者としての信仰生活、神学者としての思索を倦むことなく続けてきた著者が、愛とは何か、罪とは何かなど、人生の根本問題を静かに語りかける。「意志としての信仰」を貫いた人生の達人のみが持ちうる説得力に満ちた声が、読者の心にしみ入るにちがいない。 やわらぎ――近ごろ、われわれのあいだで重要視されている「話しあい」とか「対話」とかは、たしかに望ましいことにちがいありませんが、いつも「対話」をさまたげる厚い壁のようなものがあり、容易にはおこなわれません。根本的には、私も私の相手も、そして皆のものがまず神とのあいだに「やわらぎ」を得ることが必要です。人間のあいだの話しあいは、私たちそれぞれが、まず神とのあいだに、やわらぎをもつことからはじまります。神と人間の人格的なやわらぎの成立が前提になります。今日、宗教は軽んじられていますが、人と人との出会いにおいても、宗教の意味は人びとが常識的に考えているものよりはるかに深く大いなるものだと私は考えます。――本書より
実存主義入門〈新しい生き方を求めて〉
1968.11.16発売
実存主義入門〈新しい生き方を求めて〉
著:茅野 良男
講談社現代新書
人間とは何か。実存とは何か。その考え方は私たちの生き方とどういう関わり合いをもつのか。実存として生きるとは、状況のなかで乗り越え、立ち出でるとは、どういうことなのか。キルケゴール、ハイデッガー、ヤスパース、サルトルを手がかりに、「実存」を考える。
自己分析―心身医学からみた人間形成―
1968.10.16発売
自己分析―心身医学からみた人間形成―
著:池見 酉次郎
講談社現代新書
「自己をみつめる」――やさしいようでむずかしい。不安や孤独、憤りや自己嫌悪に悩む私たちが、どうしたら正しく自己をみつめ、文明に疎外されない真に人間らしい生き方を、身につけられるのか。心と体をつなぐ心身医学は、人間におきる“眼に見えない異常”を探り出し、心のひずみが招く病気を治し、自己実現へと導く。こうして、自分にある可能性に気づくとき、だれもが、生きる喜びの無限に大きなことを発見する。著者の豊富な人生体験からつづられた本書は、1つの人間形成のすじ道を明らかにしてくれる。 体にひそむ心の病い――私たちは、常に眼に見える体の変化を通して、人間の心を、具体的にとらえることができる立場にある。またそのような微妙な心の変化が、体に投影されたものを、細かに観察することができる。こうした科学的な基礎に立って、人間の病いを見てくると、その背後には、ありとあらゆる人生問題がひそんでいることに気づく。そして、体の症状を医学的に処理すると同時に、その陰にひそむ心の問題にも、そのなり立ちを正しく分析することによって、科学的な治療や、自己改造が可能になる部分が、思いのほかに大きいことを知ったのである。――まえがきより 書評より――慶応大学助教授 小比木啓吾(本書より) 心で起こる体の病いというコトバが、滲透したのも、ひとえに、本書の著者池見酉次郎教授の精力的な啓蒙活動にあった。とくにこの『自己分析』では、医師としての教授の深まりが、人間の深まりとしてあらわされ、ありのままの姿で、人々に語ろうとした姿勢が、うかがわれる。たしかに読者は、本書を通して、肉体から心への道を、著者と共に歩みながら、それが1つの人間形成の体験過程となっている事実に気づいて、驚くことだろう。またそれは、東洋と西洋とを統合した日本的な心身医学が、どのように成長しつつあるかをも、暗示している。――「週刊読書人」掲載
新・哲学入門
1968.05.16発売
新・哲学入門
著:山崎 正一,著:市川 浩
講談社現代新書
科学技術がいかに進歩しても、それだけでは解くことのできぬ永遠の問題がある。なぜ永遠であるのか。なぜ古くて新しい課題としてありつづけるのか。本書は、つねに具体的で身近な事柄から出発しながら、そこに潜む哲学的課題を浮き彫りにし、根源にさかのぼって問いなおし、体系化することをこころみた、自ら哲学しようとする人のための入門書である。 われわれは、この世の中に生まれ、この世の中において生活し、この世の中で死んでいく。この世の中におけるわれわれの生活を正しくみちびき整えてゆくには、どのように考え、どのように行為したらいいか。このことについての正しい認識・聡明な知恵は、どのようなものであるのか。これを求めるところに哲学ははじまる。哲学のはじまりは神話である。本書では、まず神話時代以来の人類の思惟を展望し、ついで哲学の諸問題を「認識」「行動」「形而上学と信仰」の3部にわけてとりあげた。フランスおよび英米哲学の持ち味を生かしてつねに具体から抽象へと叙述をすすめ、可能なかぎり対立する考え方を紹介し同時に筆者の主張ももりこんである。
ヨーロッパの個人主義 人は自由という思想に耐えられるか
1968.01.16発売
ヨーロッパの個人主義 人は自由という思想に耐えられるか
著:西尾 幹二
講談社現代新書
現代の社会に、進歩に、個人のあり方に、深奥からの疑いを発せよ。そして、己のうちなる弱さと、ぬきさしならぬ多くの困難を直視せよ。すべての真実は、幻想にみちた虚像を超えるところに始まる――。本書は個人主義の解説書でもなければ、ヨーロッパ論でもない。欺瞞にみちた「現代の神話」に鋭くつきつける著者の懐疑の書である。しかも懐疑をして脆弱な知性のとまどいや、絶望に終わらせない、切実な行動への書である。 読者に問う――人は自由という思想に耐えられるか――私のこのささやかにして、かつ本質的な懐疑は、いうまでもな、美しいことばで自由をはなばなしく歌い上げるわが日本の精神風土への抵抗のしるしであり、身をもってした批判の声である。それを読者がどう受けとめ、どう理解し、どのように自分の生き方のなかに反映させるかは、すでに読者の問題であろう。が、この一片の書は、解説でもなければ、啓蒙でもなく、このささやかな本のなかに、私の日常の生き方、感じ方、考え方と関わりのないことは、ただの1行も書かれていないことだけは確認しておこう。なぜなら、文明や社会の立場から人間を考えるのではなく、人間の立場から文明や社会を考えたいということが、私のいいたいことの基本的考え方のすべてをつくしているからである。――本書より 書評より――梅原猛(本書より) ここで西尾氏は、何よりも空想的な理念で動かされている日本社会の危険の警告者として登場する。病的にふくれ上がった美しい理念の幻想が、今や日本に大きな危険を与えようとする。西尾氏の複眼は、こうした幻想から自由になることを命じる。自己について、他人について、社会について、世界について、疑え。そして懐疑が、何よりも現代の良心なのだ。西尾氏は、戦後の日本を支配した多くの思想家とちがって、何げない言葉でつつましやかに新しい真理を語ることを好むようである。どうやらわれわれは、ここに1人の新しい思想家の登場を見ることができたようである。――潮・1969年4月号所収
日蓮 その生涯と思想
1967.12.16発売
日蓮 その生涯と思想
著:久保田 正文
講談社現代新書
日蓮が生きた貴族時代から武士団社会への過渡期は、強者が弱者をむさぼる混沌の時代であった。日蓮の目にそれは、末法の現われと映じ、末法であればこそ法華経に帰依し、武力に代わる仏法をもって、世の道理とせねばならぬと説いたのであった。本書は、法難の連続であった生涯を跡づけながら、その法華経への絶対帰依の思想を、現代との連関で明らかにしてゆく。宗教社会学者の手によって公平な場におかれ、なお魅力あふれる日蓮像がここにある。 日蓮の思想の系譜――日蓮の考え方を知るうえにおいて、心得ておかねばならぬことは、その思想の系譜に2つのものがあることである。1つは、古来外相承と呼ばれているものである。他の1つは、内相承と呼ばれているものである。外相承というのは、インドの釈尊、中国の天台、日本の伝教および日蓮という系譜であって、これを日蓮自身の言葉によれば、三国四師というのである。これに対して内相承というのは、釈尊から本化地涌の菩薩の上首、上行を媒介として、直ちに日蓮にいたるものである。事実日蓮は、佐渡へ流される前は天台沙門日蓮と称していた。佐渡に流されて以後は、本朝沙門日蓮と記すように変ってきている。――本書より
確率の世界
1967.10.25発売
確率の世界
著:ダレル・ハフ,訳:国沢 清典,装丁:芦立 ゆうし
ブルーバックス
日常生活は確率の学校である――ウォルター・バジォット 《ブリッジ ポーカー ルーレット コイン投げからマーチンゲール》勝負事には欠かせぬ確率 《賭博が確率論のはじまり》とはいささか旧聞に属するが、今やその適用範囲は膨大 《核物理 量子論 遺伝 市場調査 品質管理 世論調査 天気予報……》その他もろもろ 《ゲームの理論》は勝つための戦略を教える……《超感覚》を確率論からみると……《幸運》とは? 《平穏無事な日常生活》だって確率の綱渡りだ 一つ踏みはずせば狂いだす 《確率論の光をあてれば》この世のすべては新しく あなたの好奇心をそそるだろう
万延元年のフットボール
1967.09.16発売
万延元年のフットボール
著:大江 健三郎,装丁:粟津 潔
文芸(単行本)
ノーベル文学賞受賞、大江健三郎の代表作 日本近代100年を見事に結晶化した長篇。現代日本文学の可能性の極点を示す傑作! 日本の近代100年──その歩みの中の民衆の心を、故郷の土俗的背景と、遡行する歴史的展望においてとらえ、戦後世代の切実な“体験”を、文学的形象として見事に結晶化した問題の長篇700枚。
さらばモスクワ愚連隊
1967.01.30発売
さらばモスクワ愚連隊
著:五木 寛之,装丁:山内 ・
文芸(単行本)
原色・宝石小事典
1966.11.30発売
原色・宝石小事典
著:崎川 範行,装丁:町田 アキラ
ブルーバックス
●さまざまな色ときらめきをみせる“大地の星々”……その一つ一つを手にとって…… ●それぞれにそなわった個性とねうちに焦点をあわせました。 ●石のよしあし・価値・持ち味・個性にあった選び方などの疑問に即座に応じられるよう…… ●名品からポピュラーな品までできるだけ巾広く多種類の宝石をカラーで紹介しました。 ●宝石を持っている人には再めて自分のものをみなおす本として…… ●これから宝石を求めようとする人には、こん切な案内書として…… ●博学の著者がうんちくを傾けた小事典です。
相対性理論の世界
1966.08.25発売
相対性理論の世界
著:ジェ-ムス.アンドリュー・コ-ルマン,訳:中村 誠太郎
ブルーバックス
現代物理のエッセンスをこの1冊で 《信じられない世界》だと 古い常識の持ち主たちはいうであろう 《光が曲がリ スピードや重力が時間をとめる……》それが我々の世界だ 《第三の火》原子力を解放し 科学を革命のルツボに投げこみ…… 《現代科学の大黒柱》となりえた相対性理論とは何か? 《やさしく しかも正確に》それを伝える使命感に貫かれた本書は…… 《現代人の必須教養》として 万人必読の決定版である
教養としての世界史
1966.06.14発売
教養としての世界史
著:西村 貞二
講談社現代新書
現代ほど、あらゆる分野にわたって、世界史的視野というものが必要とされる時はない。ヘーゲル、マルクス、ランケなどによる従来の史観は、第2次大戦後の世界の激変によって、再検討が不可避のものとなっている。本書は、新しい世界史像をもとめて、統一的観点からとらえなおした恰好の入門書である。 世界史は、思うに、成功よりも挫折と失敗の場面を、幸よりも不幸を、はるかに多く呈示します。しかしヘーゲルがいったように、「歴史の幸福なページは空白」かもしれません。変転してやまない世界史を凝視し、しかもそこから未来への前進の手がかりをつかむには、強い精神とたゆまない努力とが必要です。人間は、悠久の昔から今日にいたるまで、一歩一歩、歴史をきりひらいてきました。この力こそは、これからも歴史をきりひらいてゆく力であるはずです。――本書より
哲学のすすめ
1966.01.16発売
哲学のすすめ
著:岩崎 武雄
講談社現代新書
人間はなんのために生きているのだろう?どうしたら幸福になれるのだろうか?哲学はいったいどんな役に立つのだろう?哲学と科学はどうちがうのか?哲学はいつの時代も変らないのだろうか?本書は、こんな疑問にやさしく答えながら、「考える」ことの重要さを説き、生きる上の原理としての哲学を深めた、よりよく生きるためのユニークな哲学入門である。――著者のことば 哲学というものは、その本質上、文章では説明しにくいことが多く、そのため用語も必要以上に難解になり、わかりにくくなる傾向があるが、著者は、日本の哲学書にありがちな特殊な専門語をできるだけ使わずに、ごく平明な文章で説明することに努めている。哲学的な「考え方」を説明し、哲学と科学とはどう違うかというような根本問題を説いている。表現はやさしくできているが、扱われている問題は高度に哲学的である。
薬よりよく効くからだの事典 からだの手帖
1965.08.20発売
薬よりよく効くからだの事典 からだの手帖
著:高橋 長雄,装丁:芦立 ゆうし
ブルーバックス
なんでもきいてください ●この本にはあなたのからだのひみつが書かれています ●どのページからでもお読みください ●あなたのからだのどこをとっても眼をみはる造化の妙が光っているのです ●玄白らが小塚原の腑分(ふわ)けよりざっと200年…… ●いま最新の科学があかす現代版「解体新書」 ●スマートな話題がいっぱいのあなたのからだのガイドブックです
英語の新しい学び方 なぜ日本人は上達しないか
1965.08.16発売
英語の新しい学び方 なぜ日本人は上達しないか
著:松本 亨
講談社現代新書
英語上達のひけつは、なりよりも英語で考えること。日本語に訳すことはひとつの技術にすぎない。訳すまえに、英語で考え、感じること、これがたいせつである。本書は、英語教育の第一人者が、豊富な現場体験をもとに、なぜ日本人は英語が苦手か、その原因をつきとめ、真に力のつく英語学習法を、楽しく手ほどきする必読の入門書である。 英語で考える〈こつ〉電話が鳴ったら、The telephone.と思います。さもなければ、Oh the phone''s ringing.と思います。おなかがすいたら、Food.を想像します。あるいは、Oh I''m starved.といいます。「仕事をしようか、野球を見ようか」と悩むなら、ついでに、Shall I work or shall I watch the ball game?といってみます。英語で考えるチャンスは無限にあります。「考える英語」のおもしろさは、decideすることにあります。すくなくとも1日に1回は、なにかひとつ英語でponderしてdecideする習慣をつけていただきたいのです。――本書より
クラシック音楽のすすめ
1965.08.16発売
クラシック音楽のすすめ
著:大町 陽一郎
講談社現代新書
音楽に感動するとは、どういうことなのか。どの作曲家の、どの作品から始めたらいいのか。どの指揮者・演奏家がすぐれているのか。音楽をより身近なものに、と願う著者が、自身の豊富な音楽体験をとおして、クラシック音楽のもつ醍醐味を語り、鑑賞に必要な基礎知識を教える。 クラシック音楽は難解ではない――ベートーベンばかりがクラシック音楽ではないのです。モーツァルトのように軽快で優雅なもの、またヨハン=シュトラウスのように踊るためのものもあります。さらに『マイ=フェア=レディ』のようなすぐれたミュージカルもクラシック音楽として残るものだと考えます。クラシック音楽に気軽にはいっていくことができるようにわたしは、いくつかの手がかりを示したつもりです。若い人々が、クラシック音楽へ目を開いて、音楽を一生、身近なものにしていただければと思います。――本書より
スペイン語のすすめ
1965.07.14発売
スペイン語のすすめ
著:荒井 正道
講談社現代新書
セニョール、セニョリータ……。闘牛とフラメンコとカソリックの国、スペインのことばは、中南米諸国の公用語でもある。スカッとした男性的なことば、世界でいちばん美しいことばとすっかりスペイン語のとりこになっている著者は、「スペイン語を話してみませんか」とよびかける。ウイットのきいた文章。身近で楽しい話題。スペイン語のABCから片言の会話まで、スペイン語の基礎は、この1冊で楽々マスターできる。読んで楽しく、ためになる入門書である。 〈スペイン語はカステラ語〉スペイン語は一名カステラ語とも呼ばれるといったら、お菓子の名まえですから、おかしいとお思いでしょう。しかしじつは、スペイン語は、スペインからムーア人を15世紀に追放して、国を統一したCastilla(カスティリア)王国を中心とした地方の言語が、スペインの共通語となったのです。そして、それが植民地のアメリカ大陸に移し植えられました。ですから、あの広い地域に広がっている言語はCastillaのことばなので、スペイン語はカスティーリャ語ともいいます。――本書より
教養としてのキリスト教
1965.03.13発売
教養としてのキリスト教
著:村松 剛
講談社現代新書
西洋の歴史・文化を理解するカギとして、キリスト教精神のもつ重さはあまりにも大きい。本書は、キリスト教を知るための基点の書として、聖書の成り立ちから、人間キリストの愛と苦悩、キリスト教精神の本質とその歴史的軌跡までを解き明かした。知識から共感へ、さらに混迷の中から生の支柱を索める現代人にとって、意義深い〈1冊の書〉である。 人間キリストの苦悩――イエスがエルサレムに行ったとき、学者、パリサイびとが、姦淫の現行犯を押えられた女をつれてきたと、「ヨハネによる福音書」は書いています。「師よ、〈中略〉モーゼは律法に、かかる者を石にて撃つべきことをわれらに命じたるが、汝はいかに言うか」〈ヨハネ・8章〉。イエスは身をかがめて、指で地になにかを書いていた。人びとがさらに問い詰めると、イエスは身を起こし、「汝らのうち、罪なき者まず石を彼女に投げよ」と言い、ふたたび身をかがめて、指で地にものを書いたといいます。この描写は美しい。指で地にものを書くということが、ユダヤ教のなんらかの習慣になり、旧約伝承なりを暗示するのかどうか、じつはいまのところわかってはいません。ここでは、イエスの困惑と苦痛とを、察すれば足りるのです。ここの箇所は福音書のなかでも、生きた人間としてのイエスを、もっともあざやかに感じさせる叙述の1つでしょう。――本書より
禅のすすめ
1964.12.16発売
禅のすすめ
著:佐藤 幸治
講談社現代新書
禅は、ある意味で宗教を超えている。自然と人生を透視する仏教者の哲学であり、科学的な心身鍛練法であり、また、すぐれた対話法でもある。本書は、禅のもつこれらさまざまな側面を、科学的に解明する。また、他宗教との比較、脳生理学の応用、いくつもの座禅経験などを織りまぜて、禅の全体像を浮き彫りにする。心理学者として、禅の本質を科学と宗教の合一に見、理論的裏づけをもって普及につとめた著者による禅の「実践」のすすめである。 脳波が示す自由な心――精神医学の笠松教授が行なった興味深い実験の報告があります。目を開いて座禅している熟練した坊さんに、15秒ごとにカチッ、カチッという音の刺激をくり返し与えてみますと、何回やっても、脳波の反応にあまり変化はみられないのに、禅の修行を積んでいないふつうの人々に、座禅の状態に近いように目を閉じさせて同じ実験をやってみますと、初めは禅僧には見られないような大きな脳波が認められます。しかし、座禅を長く続けた後には、ほとんど脳波の変化がなくなります。禅の心境は、ものをはっきり認知しながらそれに心をとどめないというのが根本ですが、それが脳波の形で明らかになるわけです。座禅によって生ずるこの澄みきった心こそ自由な心だと申せましょう。――本書より