講談社現代新書作品一覧

私はどうして私なのか
私はどうして私なのか
著:大庭 健
講談社現代新書
自分はたしかにいる。 では鳥や魚、赤ちゃんにも自分はあるのか? 私とは何? 「あなたがいて私がいる」ことを検証する鮮やかな分析哲学。 自分がいる、ということ 自分がいる。この事実は、否定できない。 私が、こう書きとめたとき、私は、書いているのは自分だ、と意識している。自分でも知らないうちに指が動き続けて、日本語の文字らしい模様がディスプレイに生じた、というのではない。私は、自分が書いている、と自覚しながら、指を動かしていた。 そのようにして、私は、自分でありえている(哲学あるいは心理学の用語で言えば、「自己」・「自我」(セルフ)でありえている、と言ってもいいが、この本では「自分」という、もっとも日常的な語を用いる)。 では、魚や鳥、あるいは人間の新生児は、どうなのだろう。彼らにおいても「自分」が成立しているのだろうか? もう少し正確に問い直そう。いまの私においては、自分というものが成り立っている。それと同じような仕方で、自分がいるという事態が、鳥や魚や赤ちゃんにおいても、成り立っているのだろうか?――(本書より)
問題解決型リーダーシップ
問題解決型リーダーシップ
著:佐久間 賢
講談社現代新書
日本企業はなぜ低迷から抜け出せないのか。 上司・部下関係の実態調査とケーススタディから、まったく新しいリーダー像を提起する。 ●いま、日本企業の職場に何が起きているか 「ギャップ型上司」と「問題解決型上司」 ●変容するリーダーの役割――ギャップはなぜ生じたのか 「できる上司」とは何か ●問題解決型リーダー「6つの経営スキル」 バトナ=補完条件の提示 ●信頼されるリーダーの条件 「コーチング」の基本 ●企業変革者としてのリーダーシップ ●成果主義のリーダーシップ いま、日本企業の職場に何が起きているか こうして6つの質問について見てきただけでも、両極端の二つの上司像が浮かび上がるだろう。 一つは、部下から見て問題解決力も学ぶべき点もなく、部下の提案には耳を傾けず、部下をどう評価しているかも説明せず、新しい手法に対しても消極的な、したがって信頼できない上司。 もう一方は、問題解決力があり学ぶべき点も多く、部下の提案にも耳を傾け、部下の人事評価も本人に説明し、新しい手法も積極的に取り入れる、信頼できる上司。 前者を「ギャップ型上司」と名づけることにしよう。後者は、「問題解決型上司」と呼ぶのがふさわしい。そしてどうやら日本には、部下に聞いたこのアンケート結果を見るかぎり、「ギャップ型上司」のほうが多いようなのである。――(本書より)
中国と台湾
中国と台湾
著:岡田 充
講談社現代新書
激化する軍拡競争、支えあう経済、暗躍する密使、新指導者、米中新冷戦―― 新局面に入った中台関係の本質を抉る! 多面政治家、李登輝の一面として、中国との「裏」の関係を表すエピソードがある。李と江沢民ら中台首脳の意向を受けた「密使」の存在である。 台湾側の密使は、香港やマカオ、広東省などで頻繁に中国側と接触して、双方の政策のすり合わせや、中台対話に向けた秘密会談を重ねていた。 1996年のミサイル危機や「二国論」の際も、中台が事前に情報交換していたことになり、激しい非難の応酬の裏で、中台間には衝突回避に向けた「危機管理」が働いていた。 同時に「密使」の存在からは、米中台の三方がそれぞれの事情から「海峡の緊張」を必要とし、かつ利用する政治ゲームの実相が垣間見える。――(本書より)
天皇と日本の起源
天皇と日本の起源
著:遠山 美都男
講談社現代新書
天皇号と国号「日本」はいかにして成立したか。 推古・厩戸から天武・持統まで、権謀と動乱の謎を解明し、国家形成の軌跡を描く。 厳密な意味で飛鳥時代といえば、それは舒明天皇が飛鳥岡本宮を造営し、そこに遷り住んだ630年以降ということになる。そして、通説のいうように、飛鳥時代の終わりを藤原へ遷都した694年と見なすならば、630年から694年までのおよそ60年間が飛鳥時代ということになるのである。 このわずか60年ほどの間に、「天皇」という君主号と「日本」の国号が生み出されたわけで、飛鳥という土地が、さらにそこで展開した歴史が、「天皇」や「日本」を生み出したといっても決していいすぎではない。飛鳥に「天皇」と「日本」の起源があるといえよう。 飛鳥という土地のどのような要素が、また飛鳥時代のどのような出来事がそれを可能にしたのか、それを追究し、解明していくことが本書の課題なのである。――(本書より)
最強のファイナンス理論
最強のファイナンス理論
著:真壁 昭夫
講談社現代新書
ノーベル経済学賞受賞の最新理論がぐんぐんわかる! 「行動ファイナンス理論」超入門 バブルはなぜ起こる? 逆張り投資が成功するのはなぜか? ノーベル経済学賞を受賞した注目の理論で市場を読み解く。 「行動ファイナンス理論」の有用性――「行動ファイナンス理論」の主な有用性は三つある。 一つは、伝統的ファイナンス理論では説明が困難な、短期的・非合理的な金融市場の動向を解析することが可能になったことだ。 二つ目は、投資家自身の投資行動を効率化する助けになることだ。読者自身の投資家としての技量の向上にも役立つはずだ。 そして三つ目は、この理論が我々の日常生活に応用できることである。心理学的な要因を理解することによって、日常生活の中で話題が増えることも想定される。 これら三つは、金融市場の専門家、あるいは個人投資家、さらに一般の個人にとって大きな福音になるはずである。 これまでのファイナンス理論は、いわば、理想的な人間像を完璧に模した人形を作ることに徹してきた。新しい「行動ファイナンス理論」は、その精巧な人形に、生身の人間が持つ温かな生命を吹きこむツールなのである。――(本文より)
キャラクター小説の作り方
キャラクター小説の作り方
著:大塚 英志
講談社現代新書
物語の舞台や登場人物をどう設定するか。 オリジナリティ、「おもしろさ」とは何か。みるみる書ける小説入門! これは実用的な小説入門書であり、本気の文芸批評です。 登場人物をどう決めるか。作品世界をどう作るか。オリジナリティとは何だろう。 新しい文学が現れつつある今、もっとも注目される評論家/小説家が、誰でも書けるメソッドを教える。 ジュニア小説、ゲーム小説だけでなく、純文学、ミステリー、まんが、アニメ、映画まで応用できる! ●キャラクター小説とは何か ●キャラクターとはパターンの組み合わせである ●架空の「私」の作り方について ●物語はたった一つの終わりに向かっていくわけではないことについて ●お話の法則を探せ ●「千と千尋の神隠し」におけるお話の法則 ●「世界観」とはズレた日常である ●世界観の細部に神は宿る ●近代文学とはキャラクター小説であった ●「私」になる手段としての文学 小説家になることが「私探し」と密接に結びついてしまったのは、この国の「文学」が大なり小なり「私小説」という伝統の上に成り立っているからです。 そして、小説家志望者たちが小説家にうまくなれないのは、「私探し」と「小説を書く」という行為をうまく区別できないからのように思えます。 本書はひとまず「私探し」の方は置いておいて下さい、というところから始めます。そのために「私探し」という問題に皆さんが足をすくわれずに済む小説形式を例に、その創作のノウハウについてあたかも受験参考書のように講義します。いや、自分が書きたいのは「私」についての小説だ、とおっしゃる方も少なくないでしょう。しかし、そういう場合も、あなた自身の「私」や、いわゆる「私小説」については、ひとまず脇に置いておいて下さい。だまされた、と思って。――(本書より)
ミステリイは誘う
ミステリイは誘う
著:春日 直樹
講談社現代新書
ミステリイは深い! 死体、探偵、美女、手がかり、推理――。 5つのキーワードで古今のミステリイの森を自在にフィールド・ワーク!読めばあなたも殺される!? ●殺人は近代社会のスキャンダルである ●芸術としての殺人 ●孤高のタフガイが死体と出会うとき ●探偵の反-近代性 ●ポアロとウィムジイの所在なさ ●美女の味わい ●オリジナルとコピーの交錯 ●アイデンティティの揺らぎとワンダーランド ●推理の快感 ●ミステリイの可能性 ――(目次より抜粋) ~手がかりとは?~ 手がかりが――(中略)、決定的に重要となるのはどんな場合か。たとえば、牛の足跡がだく足やギャロップの痕を残したとき、これに注目したホームズが牛型の蹄鉄を馬に打つトリックに気づいて犯人をつきとめた場合。あるいは、貴族を自称する女の靴が、高価な身なりにつり合わないような安物のときに、ポアロが彼女を宝石泥棒と見抜いた場合。つまりは足跡や靴が、犯人の巧妙な嘘をあばき、<外観>の下の<存在>をあらわにするように働いたときである。 手がかりはこうして犯人の偽装を見破り謀略をあばく結び目となるときに、はじめて決定的となる。だから手がかりの発見は意外な真相へと一挙につながるわけで、ミステリイの醍醐味そのものといえる。探偵がこんな特権を、読者に簡単に分け与えるはずがないではないか。――(本書より)
分かりやすい日本語の書き方
分かりやすい日本語の書き方
著:大隅 秀夫
講談社現代新書
“文章添削の鬼”が明快に説く、基本からの文章上達法! 用字用語の使い方から構成まで、役に立つヒントを満載。 ●「魚」と「さかな」の違いは何か ●言い換えの語を多く覚える ●慣用句は出典を確かめてから使う ●助詞の乱用で文章を引っ張るな ●四字熟語は数多く覚えなくてもよい ●言葉の重複は見苦しいので気を配る ●書き出しの一行で勝負は決まる ●修飾語と接続詞はほとんど要らない ●人物を描くときは七つ褒めて三つけなせ ●たとえ話を入れて分かりやすくする ほかの人が書かないことを書く―― テーマは「旅」である。多くの受講生はぶっつけで原稿用紙に向かって書き始めるせいか、「旅」の解説をあげつらうので、失敗していた。 「旅というのは日常からの逃避である」とか、「旅と旅行は違う。俳人芭蕉のように目的地も日程も決めないで、1人か2人でぶらりと出かけるのが旅であり、団体ツアーなどは旅行でしかない」とか書く受講生が多かった。 旅の定義から述べられ始められると、読むほうはもううんざりするにちがいない。わたしは次の合評のとき、こう注意してきた。 「ほかの人が書かないことを述べるのが真の文章である。人間は顔形が異なるように体験も違う。他人と同じことを書いていたらだれも読んでくれないに決まっている。具体的にはどうすればよいのか」 ここまで言って更に続ける。 「ともかく体験を書きなさい。抽象的なことをいくら述べても読む人は感銘しない。ちょっと考えてごらんなさい。(中略)いろいろ書くことがあるはずでしょう。抽象的なテーマを与えられたらまず、“わたし”という主語を用いて執筆メモを作れば、何かを具体的に書けるようになるものです」――(本書より)
論理に強い子どもを育てる
論理に強い子どもを育てる
著:工藤 順一
講談社現代新書
できる子どもは論理的に考える 「論理」を「屁理屈」ととらえている大人は多いが、論理力とは相手をことばで納得させる説明能力である。子どもの論理力を引き出す実践的で効果のある方法を説く。 説明文を書くことが論理力を育てる―― 「書くこと」が重要なのは、子どもが観察して考えたことを整理して、人が読んでもわかるように、ことばを組み立てる練習になるからです。それが人に話すときに、筋道だった説明をする能力の基礎にもなります。 最近は説得力のある意見というと、すぐに「話すこと」に目がいきがちですが、話すことに慣れていない子どもの場合には本末転倒で、単語をつなげるだけになってしまいます。 人にわかる説明をするには、観察した事実を、まず主要なものとその他のものに分類してまとめ、それらを筋道立てて配列し、自分のことばで新たにまとめ上げる作業が必要です。子どもの論理力を育てるには、ことばを扱う能力を養わなければならず、それには、事実に即した説明文を書いてみることが必要なのです。――(本書より)
会社を変える戦略
会社を変える戦略
著:山本 真司
講談社現代新書
これが正しい企業改革だ! 戦略的コスト削減とは何か。 「選択と集中」実行のツボは。 最新経営手法を上手に使って強い会社に変える、エグゼクティブ必読の超具体策。 富を生み出すエンジンに点火せよ―― 「デイビッド、先日のスピーチで宣言した、私の3つの改革は覚えているね?」 「コスト削減、選択と集中、有事の組織の構築でしたね」 「それにコミュニケーション戦略の実行を加えたい。私の考えでは、 1.『コスト削減』で競争力回復の初速を稼ぎ、 2.『選択と集中』で富創出のエンジンに点火し、 3.『有事の組織』で平安の眠りから民を目覚めさせ、 4.『コミュニケーション戦略』で従業員の心を揺さぶる ――この4つで、わが社の一気呵成の改革を狙いたいんだ」 「面白そうですね。ジムの経営の原理原則が浸透すれば、そしてジムがその原理原則にかなった行動を取りつづければ、成功できると想います」――(本書より)
ゼロからわかる経済の基本
ゼロからわかる経済の基本
著:野口 旭
講談社現代新書
デフレ、株安、失業。「専門家」や政府の見解は本当に正しいのか?読めば必ずわかる超入門! 経済を正しく理解するには、やはり、経済学の助けが必要です。市場の働きとは何か、政府の機能とは何か、貿易の意義とは何か、不況はなぜ起きるのか、そのときに必要な政府の政策とは何か……等々に関して、これまでの経済学の蓄積を無視して、正しい理解を得ることはできません。本書も、それを大いに利用しています。 にもかかわらず、本書は単なる経済学のテキストではありません。経済学のテキストとは、経済学を理解するためのテキストです。しかし本書は、あくまでも「現実の経済」を理解するための本だからです。 ――(本書より)
外務省「失敗」の本質
外務省「失敗」の本質
著:今里 義和
講談社現代新書
大丈夫か日本外交!? エリート外交官はなぜコワモテ政治家に食い物にされたのか。機密費詐取や日朝交渉の実態とは。「伏魔殿」内部の真実を明かす。 地に落ちた信用―― 2001年元旦、巨額の官房機密費詐取疑惑が初めて報じられて以来、外務省では不祥事が相次いで発覚し、その信用は地に落ちた。 ハイヤー代やホテル代の水増し請求、在外公館の予算不正使用、本省内全部局にわたる裏金プールなど、ずさんな公金管理を浮き彫りにした事件だけでなく、鈴木宗男代議士との不明朗な関係や、瀋陽の総領事館で発生した北朝鮮住民駆け込み事件など、政界との関係や人権感覚でも非常識ぶりをさらけ出した。 外務省の威信と地盤は、とりわけ湾岸危機後の10数年間に、急速に低下したように見える。外務省の権威を支えていた海外情報や語学能力、国際法、国際慣習といった分野の知識面では、社会のグローバル化に伴って民間との格差が縮まっているのに、外務省はそうした環境の変化になかなか気づかなかったからだ。 草の根の声や感情に疎い外務省の体質は、小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日総書記が会談した際、拉致被害者の安否確認リストの内容を家族らに即刻伝えなかった失態にも結びつく。――(本書より)
働くことは生きること
働くことは生きること
著:小関 智弘
講談社現代新書
町工場から時代が見える 職人の技ものづくりの魅力 腕のいい職人の仕事は粋で美しい。効率第一の裏で、働く人は要員に成り下がっていないか。旋盤工・作家が問う「仕事」の現在。 こころ豊かに働く―― 物質的な豊かさに溺れると、人はそのモノの価値を見失う。かつて人びとはモノのうしろに、それを育てたり作ったりする人びとの労苦や技を見る目を持っていたが、それが見えなくなった。モノの利便性や経済的な、つまり実用的な価値しか見えなくなる。モノに対する価値判断が実用的になれば、労働に対するそれも同じことである。 自分で額に汗して働くよりは、他人に作らせてそれを安く買う方法を考えようとする。産業の二重構造をたくみに利用して、中小企業が作ったモノを大企業が売る。(中略) そんな日本の社会の底辺で、働くことが生きること、生きることが働くことと信じて疑わない人たちがいる。町工場だけにいるわけではない。農村にも、学校にも、医療や福祉の現場にも、いや大きな企業のなかにもむろんいるのにちがいない。――(本書より)
時間は実在するか
時間は実在するか
著:入不二 基義
講談社現代新書
「飛ぶ矢」は止まっている!? マクタガートの「非実在性」の証明とは!? 過去・現在・未来の「罠」 飛ぶ矢のパラドックスに始まり、マクタガートの非実在性の証明を検証し、新しい形而上学を構想する。 「実在」の第1の意味―― まずは、マクタガートから「遠く離れた」ところから始めてみよう。……古代ギリシアの哲学者であるゼノンとアリストテレス、古代末期のキリスト教者であり哲学者であるアウグスティヌス、初期大乗仏教の確立者ナーガールジュナ(龍樹)、明治から昭和期の国語学者山田孝雄(よしお)。彼らの議論を参照しながら、その「問題」へと接近してみよう。 「実在」とは、まず第一に、単なる見かけ(仮象)ではなくて、ほんとうに存在しているものという意味である。 「ほんとうに(really リアリィ)」という副詞を名詞にすると、「実在(reality リアリティ)」になる。見かけ(仮象)を剥ぎ取った後の「ほんとうの(real リアルな)姿」の中に、「時間」がはたして含まれているのかどうか。それが、「時間は実在するか」という問いの1つの意味である。――(本書より)
三国志と日本人
三国志と日本人
著:雑喉 潤
講談社現代新書
どうして日本人は「三国志」が好きなのか。本家の中国では極め付きの悪人とされている曹操が、なぜ日本では人気なのか。「日本書紀」からゲームソフトに至るまで、日本人の心をとらえ続ける三国志の魅力に迫る。 父祖代々の『三国志』 お膝元の中国での『三国志演義』の親しまれ方と日本のそれとはかなり違う。乱暴に要約すると、中国人は芝居から入り、さらにむかしは、寄席の講談によって親しんだ。芝居は人物を思いきってタイプ化する。『三国志演義』の曹操といえば、白塗りの極め付きの悪人であるから、芝居で親しんだ長い伝統を持つ中国人から、曹操悪玉の印象は容易にぬぐえない。 その点、日本人は江戸時代以後、主に挿絵入りの書物によって『三国志演義』に親しんだから、かなり分析的に人物を見ている。とくに吉川英治の『三国志』は、曹操を魅力的に描いており、これがロングセラーとなったものだから、日本人に曹操好きが多いのも無理のないところである。 ざっとこのように『三国志演義』への親しみ方自体に、中国と日本の違いが明らかだか、江戸時代以前に、日本人の上層部には正史の『三国志』へのかなり長いアプローチの歴史があった。極端にいえば、日本史の各時代に、いつも『三国志』が、なんらかのかたちで影を落としていた。その歴史の跡を述べようとするのが、わたくしのねらいである。――(本書より)
最新・北朝鮮データブック-先軍政治、工作から核開発、ポスト金正日まで
最新・北朝鮮データブック-先軍政治、工作から核開発、ポスト金正日まで
著:重村 智計
講談社現代新書
先軍政治、工作から核開発、ポスト金正日まですべてがわかる決定版 崩壊か?軟着陸か?軋む極東の闇。情報鎖国の内側で今何が起きているか。内実を明かし、行方を読む決定版。 金正日総書記は、韓国の新聞社社長団への次の発言で、「先軍政治」への思いを明らかにした。 「私の力は、軍力から生まれる。外国とうまくいくにも、軍力がなければどうしようもない。外国との関係では、力は軍力から生まれる。私の力も、軍力から生まれている」 この発言には、軍の力を背景に体制を維持し、国家の崩壊を阻止しているとの思いが込められている。軍は、単に国防のためではなく権力と体制維持の最大の力であるという発想だ。――(本書より)
人形作家
人形作家
著:四谷 シモン
講談社現代新書
企画・嵐山光三郎/人形撮影・篠山紀信 「青春の暴風圏の記録であり、昭和という溶けかけていく時代へのエレジーでもある」――嵐山 不良少年から天才人形作家へ。60年代の新宿を駆け抜け、唐十郎、澁澤龍彦らと出会った激動の半生と創作の舞台裏を告白。 細部へのこだわり――「ドイツの少年」では靴や靴下、ガーターベルトなど、小物にも細心の注意をはらいました。靴は靴職人に特注しました。市販の子供の靴でも代用が利くと思うでしょうが、人間の足は意外とつま先が平たくて幅があり、恰好よくないのです。ですから人形用に足先の細い型で靴を作ってもらいました。…… 人形をガラスのケースの中に入れたのは、ショーウィンドー的な感覚からです。たとえば、デパートのショーウィンドーを通して見る商品は、隔離された世界のなかにあり、売り場でじかに売っているのとおなじものなのに、それとはどこか違う標本的なものに見えます。僕の人形も家具的なケースに押し込み、ガラスというフィルターを1枚かけて、標本のように見せたいと考えたのです。ガラスのひんやりした人工的な素材感が僕の好みであったということもありました。――(本書より)
スポーツ語源クイズ55
スポーツ語源クイズ55
著:田代 靖尚
講談社現代新書
サッカー、ゴルフ、野球、マラソン……解いて納得!知る快感! 「サッカー」や「ゴルフ」の語源は何? 野球では三振を「K」と書くのはどうして? 三択クイズで楽しむスポーツ史。 チームの主戦投手をどうして「エース」と呼ぶようになったか?…… 1869年、アメリカのオハイオ州シンシナティに、レッドストッキングスという世界最初のプロ野球チームが誕生しました。地元のアマチュアチームがワシントンからやってきたチームにこてんぱんに負けたため、シンシナティの市民は野球を職業とするプロの強力チームを結成し、市の名前を国中にPRしようと考えました。このチームに、球史に残るアーリィ・ブレイナードというピッチャーがいました。 今日、チームの大黒柱となるピッチャーのことをエース(ace)といいますが、どうしてそう呼ぶようになったのでしょうか? 1.ピッチャーの守備位置番号を「1」と決めたため、ace(=1)とした 2.アーリィのニックネームがAce(エイサ)であったため、それが自然にaceとなった 3.アーリィのここぞというときの一球が素晴らしく、「一球投手」と呼ばれたから ――(正解は本書をご覧下さい)
「ひらきこもり」のすすめ~デジタル時代の仕事論
「ひらきこもり」のすすめ~デジタル時代の仕事論
著:渡辺 浩弐
講談社現代新書
「会社で仕事をする」時代から「好きなことが仕事になる」時代へ 好きなことを自己表現しよう。 ネットで世界相手に発信しよう。 組織を頼らない新しい仕事論を具体的に提示する。 IT革命の「革命」の意味――バーチャル空間の中では土地の広さやビルの高さに全く価値がない。その位置にも意味はなくなる。……大きな組織やビルディングがなくても、各種情報機器やネットワークを使えば、自宅で、個人でどんどん仕事ができてしまう。巨大なシステムの必要性が希薄になるのだ。…… 生産だけではなく流通においても、メジャー企業の強みはなくなる。……同様に、土地を持ってるから安心だとか、一流大学を出ているから、あるいは一流企業に勤めているから安泰、なんてこともなくなっていく。出自や所属に関係なく、その時点で一番ビビッドな奴がいきなりトップに立つ。極端に細分化されたあるジャンルの中での、ナンバーワンが勝つ。いやナンバーワンだけでなく、オンリーワンでもいい。 とすると、他人に指示されて勉強したり鍛錬したりすることより、自分1人で、自分に向いたジャンルを見つけることがまず、とても大切なことになってくる。――(本書より)
これが現象学だ
これが現象学だ
著:谷 徹
講談社現代新書
現代哲学の大きな潮流をなす現象学とはそもそも何なのか。空虚になった学問の危機を克服し、人間の直接経験から出発して世界に至る思想の全貌を解説! あなたと私が現象学だ――現象学の具体的な内容に踏み込む前に、フッサールが好んだ言葉を2つ引いておきたい。ひとつは「自分自身で考える人」(Selbstdenker)という言葉であり、この言葉で、フッサールは自分が尊敬する哲学者を称賛した。もうひとつは「ともに哲学する」(synphilosophein)という言葉であり、この言葉で、フッサールは自分が仲間だと思う人々に呼びかけた。「自分自身で……」と「ともに……」という2つの言葉は、一見すると、互いに矛盾するように思われるかもしれない。ところが、そうではない。 ……彼は1916年にフライブルク大学に移り、そこで若きハイデガーと出会った。しばらくしてフッサールはハイデガーの哲学的・現象学的な素質の大きさに気づく。彼は真に「ともに哲学する」パートナーを見つけたと信じた。彼はハイデガーに言った。「あなたと私が現象学だ」――本書・