講談社学術文庫作品一覧

アリストテレス 心とは何か
講談社学術文庫
師プラトンをはじめとする先哲の諸研究を総括・批判し、独自の思索を縦横に展開した本書は、心について論じた歴史上最初の書物である。難解なことでも知られるこの書の翻訳に、気鋭の哲学者が挑戦。分かりやすさ・読みやすさを主眼に訳出し、理解を深めるため懇切かつ詳細な訳注と解説を付した。アリストテレス哲学の精髄、新訳で文庫界に初登場。

天正遣欧使節
講談社学術文庫
日本で初めてヨーロッパを見た少年たち
秀吉の時代の燦然たる一大壮挙
秀吉の時代、13歳の少年たちが、日本で初めて、ルネサンス華咲くヨーロッパを訪れた。ローマ教皇やスペイン国王に拝謁し、市民らの熱狂的な歓迎を受ける。8年半の旅の後、帰国した日本はキリシタン禁制の世。はたして、少年たちの行く末は?日欧交渉史の第1人者が、使節行の足跡を辿り、豊富な史料を駆使し、その歴史的真相を解明する。

プラトンの学園 アカデメイア
講談社学術文庫
古代ギリシアに、900年余にわたって存続し、西洋的学問の源泉となる学園があった。その名は「アカデメイア」。その精神像は周知の通りだが、はたして具体的身体像はいかなるものであったか?古典文献を渉猟しつつ、実像に迫る。

平安の春
講談社学術文庫
藤原氏栄華の礎(いしずえ)を築き、数々の美徳をそなえた好人物とされる師輔(もろすけ)の真の姿を浮彫りにし、専制君主白河法皇の激しくも淋しい生涯に迫る……。後宮の栄光に溢れた優麗典雅の生活あり、争いに敗れ鄙(ひな)に隠栖する悲しき女性も垣間見える。平安の都を舞台に繰り広げられる人間模様を、多くの文献の読み込みと深い洞察で語る学術エッセイ。

ヒュ-モアとしての唯物論
講談社学術文庫
人間は現象しか認識しえないにもかかわらず、その限界を越えて考え語ってしまう。カントのいう「超越論的批判」を踏まえて、著者は、有限な人間の条件を超越し、同時にそのことの不可能性を告知する精神的姿勢こそが「唯物論」であり「ヒューモア」であると説く。柄谷理論の新展開を示す主要論文を集成。

霊と肉
講談社学術文庫
「精神」と「身体」のもう1つ原初的な関係として「霊」と「肉」の世界に踏みこむ試み。変身、魔と仮面、中世往生死の思想、霊魂転生、祟り、穢(けが)れ、浄土などをキーワードに、人間の心性を規定している原型と変型を描出する。仏教世界の二十八部衆とはなにを象徴しているのか、メドゥサの邪眼とはなにか……。さらに、地獄観を手がかりに、ヨーロッパ、中東、アジアの冥界の差異をも明らかにする刺激的論考。

学校と社会・子どもとカリキュラム
講談社学術文庫
デューイの教育思想と理論は戦後日本の教育に大きな影響を与えた。シカゴ実験室学校の成果を踏まえ、あるべき学校の理想像を構想し、学習の内容・方法・運営を具体的に提示する。学校は家庭や近隣の社会を縮約した小社会で、教育は子どもの経験から始まるという活動主義の教育実践論を展開。子どもの個性と自主性を重んじたデューイの学説は、現在の教育荒廃状況に十分対応できる実効性をもっている。

ラ・プラタの博物学者
講談社学術文庫
「パンパ」とよばれる大草原が広がる南米のラ・プラタ地域は、ハドスンが青少年期を過ごした土地である。その地をこよなく愛し、自然や野生生物の観察に明け暮れた彼の熱情は、やがて当地の大自然を美しく歌い上げた本書となって結実し、博物学者としてのハドスンの名声を不動のものとした。原典にちりばめられた博物画家スミットによる味わい深い挿画を完全収録し、待望の新訳で贈る博物誌の名品。

宇津保物語・俊蔭 全訳注
講談社学術文庫
『源氏物語』をやがて生む素材に満ちた『宇津保物語』は、日本最古の長篇物語として物語文学に大きな影響を与えた。本書は、特に重要な「俊蔭」巻を、現代語訳、語釈、余説で詳細に解読する。俊蔭──俊蔭の娘──仲忠──犬宮と一家四代にわたって継承される琴(きん)の伝承譚と、時の権門源正頼の娘あて宮をめぐる16人の求婚譚の2本立ての物語が展開する。貴族から庶民に至る人間模様を生き生きと綴る好編。

ザビエルの見た日本
講談社学術文庫
日本人の西欧文化受容に重要な役割を演じたフランシスコ・ザビエル。1549年に来日すると、旺盛な行動力で布教に邁進した。その間、スペインのイエズス会や友人宛に手紙を書き送る。いわく、日本人は知識に飢えている。神の存在に興味を示し説教に真剣に聞き入っている。いわく、日本はキリスト教伝道にふさわしい国だ……。書簡から、ザビエルの心情とその目に映った日本人像を読みとる好著。

顔の現象学
講談社学術文庫
われわれがある人を思い浮かべるときには、その人の名前とともに、その人の顔、その人の後ろ姿や歩きっぷり、言葉遣いなどをも想起する。これらのほとんどを取り外してもその人に思いを馳せることはできるが、ただ顔を外しては、その人について思いをめぐらすことはできない。他人との共同的な時間現象として出現する曖昧微妙な〈顔〉を、現象学の視線によってとらえる。鷲田現象学の豊潤な収穫。

唐詩
講談社学術文庫
中国古典詩の最高峰といわれる唐詩。本書では、唐詩が作られた7世紀初めからの約300年間を初唐・盛唐・中唐・晩唐の4つの時期に分け、それぞれの時代情況と詩の関係を考察する。例えば、初唐後半を支配した則天武后は文芸に理解を示し、科挙の試験に詩を加えた。以後詩作が知識人の必須の教養となる。盛唐に杜甫・李白を生むゆえんである。漢詩、中国古典愛好家必携の書き下ろし文庫オリジナル。

ヘ-ゲルの歴史意識
講談社学術文庫
ルネサンス以来の西欧近代思想を論理学、自然哲学、精神哲学からなる体系に構築して、現代哲学の母胎となったヘーゲル哲学。本書はその形成と思想的遍歴を大著『精神現象学』や『民族宗教とキリスト教』などから探りつつ、筆者自らの思想を、啓蒙思想批判から古代ギリシアへの讃美に至る歴史意識の帰趨の中でとらえ直す。大学紛争の経験を通して「国家」と「自由」の問題を真撃に追求した意欲作。

絵画で読む死の哲学
講談社学術文庫
真の絵画芸術には哲学的思想が内包されている。真理を追求する画家たちは、1枚の絵の中に自己のすべてを表現しようとするからだ。本書では、「死の舞踏」「最後の審判」「ゲルニカ」「原爆の図」など古今東西の多くの名画を通して、そこに暗示された「死の思想」の探究を試みる。哲学における最大のテーマというべき「死」の意味とその本質を、画家たちの研ぎ澄まされた魂はどのように描いたのであろうか?

英国外交官の見た幕末維新
講談社学術文庫
「アーネスト・サトウの盟友」の回想録
幕末の大動乱を目撃したイギリス人
近代日本幕開けの原動力は何か。西洋列強の脅威にさらされた日本は国際社会に如何に参加していったか。本書は、維新期の4年間を我国で過した英国外交官の眼が捉えた臨場感あふれる記録である。明治天皇・徳川慶喜との会見、時代を先導した藩主や志士達との交流、外国人襲撃事件、維新の波の中に迸(ほとばし)り出る民衆の底力等を鮮明に綴る。「外圧」にゆれる現代日本にとっても示唆に富む貴重な史料である。

今物語
講談社学術文庫
36歌仙絵を描いたとも言われる、歌人藤原信実の編んだ『今物語』は、53編からなる中世説話文学の傑作である。和歌や連歌を話の主軸に据え、女房の深い教養に裏づけされた機知に富んだやりとりなど、王朝時代の雅びの世界を織りなす逸話から、貴族社会の裏話や失敗談などを簡潔な和文で綴る。豊かで魅力的な風流譚・恋愛譚・滑稽譚の数々は、鳥羽院政期以降の社会と人々の生活の一面を活写する。

ウォ-ル街の崩壊(下)
講談社学術文庫
大恐慌到来!
(この日の)株価の損害は、ニューヨーク取引所だけで約100億ドルにのぼった。これは当時全国に流通していた通貨総額の2倍にあたった――1929年10月29日、アメリカの死んだ日。
1929年10月24日、アメリカの株価は歴史的大暴落を記録する。世に言う「暗黒の木曜日」である。29日には再び株価が暴落し、アメリカ経済に止めを刺した。ニューヨーク・タイムズは「株式史上最悪の暴落」「株価は事実上、崩壊」と報じた。なけなしの金を投じた者から巨額の資金を動かした者まで、破産者はもちろん自殺者も相次いだ。世界大恐慌の発端となる「ウォール街の崩壊」であった。

ウォ-ル街の崩壊(上)
講談社学術文庫
1929年。世界金融の中心ウォール街は、依然として衰えをみせない空前の投資ブームに沸いていた。相場師や資産家はもちろん、庶民までもがにわか成金を夢見て株式投資にのめりこんだ。しかし、株価が経済の実態をはなれ、一人歩きをはじめていることには誰も気づいていない……。果てしなく続くと思われたバブル景気に誰もが浮かれくるった株価大暴落の前夜を、生々しく描出したドキュメント。

ハイゼンベルク
講談社学術文庫
20世紀は、アインシュタインの相対論革命で始まった〈物理学の世紀〉であった。ナチスに追われてアインシュタインが去ったドイツで、量子力学の完成に心血を注いだハイゼンベルク。不確定性原理、原子核構造論、統一場の方程式などの業績は、旧来の科学を支えてきた哲学概念の根本的な変革を促して原子核物理学から核兵器に至る道程を拓いた。20世紀物理学の驚異のドラマを鮮烈に描いた力作。

イエス像の二千年
講談社学術文庫
イエスは2千年にわたり、西洋文化の歴史の中にそそり立つ人物であった。そして、その生涯と教えは、人間の存在や運命についての最も根本的な問いに対する答えを、それぞれの時代に応じて表現してきた。本書は、各時代の特徴を語るさまざまなイエス像を鮮やかに浮かび上がらせ、歴史の中に位置づけることによって、その時代の精神を明らかにした博識と英知、創見と霊感にあふれた稀にみる労作である。