三つの革命 ドゥルーズ=ガタリの政治哲学

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三つの革命 ドゥルーズ=ガタリの政治哲学

ミッツノカクメイドゥルーズガタリノセイジテツガク

講談社選書メチエ

20世紀を代表する哲学者ジル・ドゥルーズは精神科医フェリックス・ガタリとの協同作業を試み、『アンチ・オイディプス』(1972年)、『千のプラトー』(1980年)、そして『哲学とは何か』(1991年)という三つの著作を残した。これら三冊を貫くただ一つの課題とは何だったのか? 資本主義を打倒し、「革命」を実現するための三つの戦術。精緻な読解を経て、今日の情勢下での有効性を問う、21世紀のスタンダード!


20世紀を代表する哲学者ジル・ドゥルーズ(1925-95年)は、『差異と反復』(1968年)と『意味の論理学』(1969年)という前代未聞の著作を公刊したあと、精神科医であるフェリックス・ガタリ(1930-92年)との協同作業に挑んだ。その成果は『アンチ・オイディプス』(1972年)と『千のプラトー』(1980年)という世間を驚愕させる著作を生み出す。その後、単独での執筆に戻り、映画を扱った全2冊の『シネマ』(1983年、1985年)、ライプニッツ論である『襞』(1988年)を発表したドゥルーズが最晩年になって、もう一度、ガタリとの共著を世に問うた。それが『哲学とは何か』(1991年)である。
とりわけ『アンチ・オイディプス』は日本でも多くの読者を獲得し、雑誌の特集号や入門書も続々出版されてブームを巻き起こした。そうして「スキゾ」、「リゾーム」、「器官なき身体」といったキーワードが人口に膾炙するようになって、すでに久しい。だが、ドゥルーズ=ガタリが残した三つの著作を一貫した視座から読む、ということは今に至るまでなされていない。本書は、この前人未到の課題に挑むべく、気鋭の研究者が執筆したものである。
三冊を貫くただ一つの課題とは何だったのか?──それが「革命」にほかならない。資本主義を打倒すること。その目標のために、その時々の情勢に応じた戦術を提示すること。つまり、ドゥルーズ=ガタリはただ一つの革命「戦略」を実現するために、三つの革命「戦術」を示した。それは今日の情勢、とりわけ2011年以降の日本の情勢の下でも有効性をもちうるのか? 精緻なテクスト読解を経た本書は、このきわめて今日的な課題を試みる。
21世紀を生き抜くために不可欠な思考が、ここにある。


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目次

 序 論 三つの革命
1 一つの戦略、三つの戦術
2 ドゥルーズとドゥルーズ=ガタリ
3 各章の構成
第一部 『アンチ・オイディプス』
 第一章 切断と主体集団の形成
1 欲望諸機械と欲望的生産
2 オイディプス化と欲望的生産の抑圧
3 切断とその切断
 第二章 プロレタリアによる階級闘争
1 六八年五月からロシア革命へ
2 利害から欲望へ
3 切断の切断、その二つの体制
4 なぜ欲望なのか
5 プロレタリアートから分裂者へ
 補論 分裂分析と新たな主観性/主体性の生産
1 ラカン的「構造」から「欲望機械」へ
2 分裂分析とは何か
3 第二次分節から第三次分節へ
4 分裂分析と革命的切断
5 新たな集団的主観性/主体性の生産
第二部 『千のプラトー』
 第一章 リゾームと横断性
1 リゾームとは何か
2 『千のプラトー』の権力理論
3 資本、国家、戦争機械
 第二章 マイノリティによる公理闘争
1 プロレタリアートからマイノリティへ
2 公理闘争から生成変化へ
3 生成変化とは何か
4 実践としての分裂分析
5 万人による革命性への生成変化
 補論 エイハブの恥辱か、フェダラーの勇気か
1 逃走線と自由
2 勇気か、恥辱か
3 外を内へと折り畳むこと、あるいは主体化
4 周縁者の危険
第三部 『哲学とは何か』
 第一章 マジョリティによる政治哲学
1 マジョリティであることの恥辱
2 人権、NGO、ハイデガー問題
3 大地、革命、哲学
4 NGOからプラトン的演劇へ
 第二章 革命、熱狂、概念
1 「革命とは何か」
2 六八年五月と「耐え難いもの」
3 「近代性とは何か」
 結 論 分裂分析と私たち
1 分裂分析としての政治哲学
2 今日の日本における三つの戦線
3 プレカリアートによる階級闘争
4 市民による反ファシズム闘争
5 福島住民/琉球民族による人権闘争
6 絶望と政治哲学

書誌情報

紙版

発売日

2017年12月13日

ISBN

9784062586672

判型

四六

価格

定価:2,200円(本体2,000円)

通巻番号

664

ページ数

352ページ

シリーズ

講談社選書メチエ

電子版

発売日

2017年12月22日

JDCN

06A0000000000010964R

著者紹介

著: 佐藤 嘉幸(サトウ ヨシユキ)

1971年、京都府生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)取得。パリ第10大学大学院認識・文化研究科哲学専攻修了。博士(哲学)取得。現在、筑波大学人文社会科学研究科准教授。専門は、フランス現代思想、権力理論。主な著書に、『権力と抵抗』(人文書院)、『新自由主義と権力』(人文書院)、『脱原発の哲学』(田口卓臣との共著、人文書院)ほか。主な訳書に、ジュディス・バトラー『自分自身を説明すること』(共訳、月曜社)、『権力の心的な生』(共訳、月曜社)、ミシェル・フーコー『ユートピア的身体/ヘテロトピア』(水声社)ほか。

著: 廣瀬 純(ヒロセ ジュン)

1971年、東京都生まれ。早稲田大学大学院文学研究科芸術学専攻修士課程修了。パリ第3大学映画視聴覚研究科博士課程中退。現在、龍谷大学経営学部教授。専門は、映画論、現代思想。主な著書に、『美味しい料理の哲学』(河出書房新社)、『シネキャピタル』(洛北出版)、『アントニオ・ネグリ 革命の哲学』(青土社)、『暴力階級とは何か』(航思社)ほか。主な訳書に、トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』(共訳、月曜社)、アントニオ・ネグリ『未来派左翼』(NHKブックス)ほか。

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